「この、どアホ――――!!!」
平日夕方の公園に、大きな、それはそれは大きな声が響き渡った。
至る所に広がり遊戯に勤しんでいた子供達は手を止め、一斉に声のした方へ、その視線を向ける。
ある子供は畏怖、ある子供は驚愕を、それぞれの瞳に宿していた。
「どうしてアンタはいつもいつもいつもいつも! そうなのよ――――!!」
視線の中心にて、アリサはただ叫んでいた。
自身の内に沸き立つ感情をそのままに、口から吐き出す。
その発声と共にビリビリと震撼する公園中の空気。
周囲を囲む子供達にはそのアリサの姿が、憤怒に満ちた鬼のように錯覚して見えた。
「あ、あの、アリサちゃん……」
「すずかは黙ってて!」
「は、はい……」
「もう頭きた! アンタ等は本当に学ばないんだから!!」
その怒りの矛先には二人の人間がいた。
一人は茶色の髪を二つに結んだ少女。
一人はド派手な金髪を箒のように逆立てた青年。
そのどちらもが茫然とした様子で、怒りに声を震わすアリサの事を見詰めている。
「え……あの……私、何かしちゃったかな……? アリサちゃんを怒らせるような事……」
「現在進行形でやってるわ! それに『私』じゃなくて『私達』! あんたもよ、ヴァッシュ!!」
「え、僕も!?」
「そうよ!! てかメインはアンタよ!!」
「ええ!? ぼ、僕何かしたっけ? あんま記憶にないんですけど……」
自身の半分にも満たない背丈の少女に怒鳴られ、青年は慌てたような表情を浮かべる。
それはその横に立っている茶髪の少女もしかり。
互いに困惑を浮かべ、ついには顔を見合わせ首を捻る。
「わ、私達、何かやっちゃったみたいですよ、ヴァッシュさん……」
「ぼ、僕達、何をやっちゃったんだろうね、なのはさん……」
二人―――なのはとヴァッシュは顔を近付け、ひそひそ言葉を交わす。
そんな二人に、アリサの怒りは順調にボルテージを上げていく。
それはもう完璧に、もはや後ろの大気が「ぐにゃ~」と歪んで見える程に、アリサは怒っていた。
すぅ、と大きく深く息を吸い込むアリサ。
それは咆哮を吐き出す為の予備動作。
飛んでくるだろう怒声を予見した二人は、ビクリと身体を強張らせ、身構える。
「……ねえ、私達は友達だよね」
―――だが、次の瞬間にアリサの口から漏れた言葉は、予想外にも穏やかなものであった。
その言葉にヴァッシュとなのはは目を見開き、そして沈痛な表情を浮かべて視線を逸らす。
ただの一言だけであったが、理解できてしまったからだ。
何故アリサがこんなにも怒りを抱いているのか、その理由を。
「何かおかしいよ、二人とも……フェイトが学校を休み始めたあの日からずっと……何か隠してる……」
ポツリポツリと落とされていく声に、二人は返す言葉を持てなかった。
ただ俯き、唇を噛み締め、その悲しみに染まった声に耳を傾ける。
「分かってる……友達にだって言えない事があるのは分かってる……なのはには前も同じような事があったもん……」
「アリサちゃん……」
「でも……でも全部を自分達だけで背負い込まないでよ……私は嫌だよ……そんな辛そうな二人を見るのは……」
「アリサ……」
ふと見れば、その両の瞳には薄い水膜が浮かび上がっていた。
だが二人にその涙を止める術はなく……アリサの言葉を黙って受け止める事しかできない。
心内に浮かぶ感情を抑圧するかのように、なのはの手が握り締められる。
それはヴァッシュも同様。アリサを見詰めながら、その両手を握り締める。
そうして四人の間に流れ出す静寂。
それは、気まずさではなく、虚無感が詰め込まれた静寂であった。
静寂は数秒、数十秒と続いていく。
「……ごめんね、アリサちゃん……」
ポツリと言葉をこぼし、その静寂を破ったのは高町なのは。
心を蝕む痛みにただ顔を歪めて、震えた声で謝罪を紡ぐ。
「アリサちゃんが怒る理由も分かるよ……私、半年前から何も成長してなかった……」
「そ、そんな事は……!」
「ううん、本当にそう思う。だから私はこんなにも後悔してるんだと思う……でも―――」
そこで言葉を区切ると、なのは小さく息を吸い込んだ。
僅かな間であったが、それはまるでなのはの迷いが表に現れたかのようだった。
ほんの一秒程の躊躇いの後、なのはははっきりと告げた。
「―――今は……話すことができないの……ごめんね、アリサちゃん……」
吐き出してしまいたかった。
心の中でせき止められている感情と秘密とを、一息に全て吐き出したかった。
だが、今はまだ駄目だ。この秘密を暴露する訳にはいかない。
一時の感情に任せ、時空管理局の存在を教える訳にはいかない。
それが、魔導師という道を選択した自分に課せられた義務だ。
「本当にごめんね……」
「な、何でなのはが謝るのよ! 無理を言ってるのは明らかに私だし……なのはが謝る必要はないのよ!
……こっちこそごめんね……なのはの気持ちも知らずに怒っちゃって……」
そして再び流れ出す静寂。
今回は虚無感だけでなく気まずさも混ぜられているその静寂に、誰もが押し黙っていた。
見物客であった子供達も、今はもう興味をなくしたのか、それぞれの遊戯に専念している。
その賑やかな、楽しそうな声とは真逆の空気が、四人を包み込み、圧迫していた。
「……あー……ま、まあ、アリサももそんなに深く考えないでさ! 確かに僕達は二人に言えない秘密を持ってるけど、心配はいらないよ! だから大丈夫だって!」
その辛気くさい空気を嫌ったのか、ヴァッシュが、わざとらしい程に元気の込められた声を張り上げる。
普段通りの笑顔を浮かべながら、今にも涙を零しそうなアリサとなのはに近付き、その頭に手を置いた。
「それに今は言えないけど、何時かは絶対に話すよ。
その日が何時になるかは分からない……だけど、なのはも僕も、絶対に全てを打ち明ける。絶対にだ」
腰を落とし顔の高さを合わせ、ヴァッシュはアリサと正面から顔を突き付け合う。
そして、優しさに満ちた笑顔を張り付かせ、ヴァッシュはアリサへと言葉を掛けた。
「だって僕達は友達だろ? ね、なのは」
「……うん、私も約束する。何時かは絶対に教える。アリサちゃんとすずかちゃんに、全てを話す。
だから……そんな悲しそうな顔しないで? アリサちゃんはもっと明るい顔の方が似合ってるよ」
微笑みは、伝染する。
弱々しくもヴァッシュが浮かべたその微笑みは、なのはへと移り、そして遂にはアリサにも、すずかにも広まっていく。
満面の―――、とまでは言い難いが、四人の表情に笑顔が戻っていた。
「フフ、もう分かったわよ! ……でも、今度また二人でウジウジと無理して背負い込んでたら許さないからね!
辛い時は素直に辛いって言う! 理由は話せなくても、それくらいは出来るでしょ?」
「そうだよ。詳しくは聞かない……でも、一人で抱える事はないんだから。
ほんの少しだけでも二人を助けられるのなら、それだけで良いんだから」
そう告げるアリサとすずかに対して、二人は肯首と笑顔を持って返答した。
時間の経過に伴い、空は茜色に移り変わっており、見渡せば公園を埋め尽くしていた子供達も、その殆どが姿を消していた。
夕焼け空の下で笑い合う、三人の少女と一人の青年。
その心の底に眠る悩みは寸分も変化なく、ただそれぞれに乗し掛かる心労だけは幾ばくかの減衰を見せた。
現状は何ら変わる事はない。
ただ今この瞬間だけは、ヴァッシュとなのは、二人共に過酷な現実を忘れていた。
こんな自分を心配してくれる親友達の姿が、二人の心に一時の休養を与えていた。
□ ■ □ ■
「いやー、二人は良い子だよ、ホント。なのはも良い友達を持ったねえ」
そして、それから十数分後の海鳴市。
ヴァッシュとなのはの二人は、肩を並べて家路を歩いていた。
冬季真っ盛りという事もあってか、夕焼け空は既に空の端へと追いやられている。
空を漆黒と数多の星達が占領し始めていた。
「そうですね……」
「何かさっそく、元気ないね。またアリサに怒られちゃうよ?」
「それは……分かっているんですけど……」
明るく振る舞うヴァッシュとは対照的に、なのはの表情は重い。
アリサとの一件があったとはいえ、元来の責任感の強さが影響し、その表情を陰鬱なものへと固定していた。
そんななのはの心境に気付いているのだろうか、ヴァッシュはただ笑顔を向ける。
満面の、普段通りの微笑み。
その微笑みを、ただなのはへと向けていた。
「大丈夫だって、フェイトもクロノも大した事ないって、リンディも言ってたし」
そうして告げられた励ましの言葉も、なのはの表情を和らげるには至らない。
ひたすら暗雲立ち込めるなのはに、ヴァッシュは思わず白色の溜め息を吐く。
それは勿論、なのはには聞こえないように小さい物。
直ぐさま空中に霧散し、溶け込んでいった。
「……それと言って置くけど、フェイトやクロノの事は全部僕の責任だ。なのはが責任を感じる事はないよ。
なのはは指示通りにあの子を抑え込んでいた。ミスをしたの僕の方さ。……アンノウンの出現に対応しきれなかった。
僕が上手く動いてればクロノもフェイトも無事で済んだ筈だ。全部……僕の責任さ」
もう夜も近いというのに、世界は面白い程に明るかった。
一定間隔に設置された街灯や、それぞれの家庭からの溢れ出る光が、暗闇をかき消している。
こんなに明るい夜など、彼の世界では考えられないものであった。
そう、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの世界では有り得ない光景が、そこには広がっていた。
前方を見詰めるヴァッシュの瞳が僅かに細められる。
「……ヴァッシュさん」
「ん、どしたの?」
「―――二度とそんなこと言わないで下さい。怒りますよ?」
「え?」
前方に固定されていた視線が、思わず傍らの少女の方へと移動していた。
そこには静かな、だが確固たる怒りを瞳に宿し、コチラを睨む少女の姿。
その怒りにヴァッシュは笑顔を引き吊らせる。
「クロノ君が撃墜されたのも、フェイトちゃんのリンカーコアが奪われたのも、ヴァッシュさんだけのせいじゃありません。
そうやって一人で全部背負い込むのは止めようって、ついさっき言ったばかりじゃありませんか」
なのはの言葉を聞き、その怒りの理由がヴァッシュにも理解できた。
要するに先のアリサと同じだ。
全ての事象を自分の責任と告げた事に、腹を立てている。
つくづく似ているな―――と、ヴァッシュは知らずの内に頬を緩ませていた。
「何で笑ってるんですか……」
「いやあ、つくづく似てるなと思ってさ。君と、すずかと、アリサはさ」
「似てる? 私とアリサちゃん達が?」
「そうさ、自分の事ではなかなか怒らないくせに、他人の事になると本気で怒る。ホントそっくりだよ」
「…………」
「それとフェイト達の事を一人で背負い込もうとしてるのは、なのはも同じだろ?」
「う……それは……」
「だから、アリサに怒られたし、今も辛そうな顔をしてる。でもさ、今は少なくとも束の間の日常を満喫しなくちゃ。
フェイトもクロノもあと一週間もすれば完治するって言ってたし、塞ぎ込むほど悩まなくても大丈夫だって」
「で、でも……」
「親友が二人も傷ついたんだ、心配するのは当然さ。でもね、もうあの戦いから三日だよ? そんな引きずっちゃダメダメ。そろそろ皆に明るい顔見せてあげなよ」
言い切ると同時にヴァッシュは一歩大きく踏み出し、クルリと振り返る。
やはりと言うべきか、その顔に笑顔を宿したまま、ヴァッシュはなのはと顔を合わせた。
そして月夜へと右手を突き上げ、強く握り込む。
「ね?」
「……はい」
ヴァッシュの笑顔に、首を縦に振って答えるなのは。
ヴァッシュは微笑みをより一層に深め、その頭に右手を乗せる。
その右手から伝わる温もりに、なのはは恥ずかしげに顔を赤らめ、俯いた。
「じゃ、帰ろうか。晩御飯作って士郎さん達が待ってるよ」
「は、はい」
そうして振り返り、ヴァッシュは無人の市街地を歩行し始める。
その背中を、なのはは一秒、二秒と立ち止まったまま、ジッと見詰めていた。
胸中に、遂に言い出す事のできなかった疑問を抱いたまま、その背中を見詰める。
なのはは気付いていた。
ヴァッシュは何かに苦悩している。
フェイトやクロノの事とはまた別の何かに、悩んでる。
時折見せる深刻な表情が、その事実を如実に語っていた。
その表情は、今まで見せたどんな苦悩の顔とも別種のものであった。
高町家に留まる事を決意したあの時とも―――、
この世界に留まる事を決意したあの時とも―――、
戦いの世界に踏み出す事を決意したあの時とも―――、
―――まるで違う。
あの戦闘から覗かせるようになったヴァッシュの顔は、この二カ月で一度も見せた事のない種類のもの。
何か……自分が預かり知らぬ深い深い何か。
その表情から垣間見える感情は、迷いだけではなかった。
言うなれば―――覚悟。
もう何年も前から決意していたかのような、表情。
何時も浮かべてる笑顔とはまるで違う、自分の知らないヴァッシュさんが、そこには居た。
聞きたかった。何を悩んでいるのか……、と一言問い掛けたかった。
でも、たった数秒で吐露し終えるだろう短い疑問を口に出す出す事が、自分には出来なかった。
多分、自分は怖かったのだ。
この疑問を口にしたら、今の平穏な生活が崩壊してしまうような、そんな気がしたのだ。
この疑問を口にしたら、自分の知るヴァッシュが消失してしまうような―――そんな気がしたのだ。
だから、疑問をくすぶらせている。
告白できない疑問に、胸を焼け付かせている―――
「なーーーのーーーはーーー? 置いてっちまうぞーーー」
気付けばヴァッシュは、ずっと遠方を歩いていた。
手を大きく振り回しながら、ずっと立ち止まっていたなのはを呼び寄せる。
そんなヴァッシュに、なのはの葛藤は更に巨大な存在へと変貌していく。
その葛藤はフェイト達の事と相成り、なのはの笑顔を弱々しいものへと押し込んでしまう。
そう、なのはの悩みもまた一つではなかったのだ。
ヴァッシュについて、フェイト達について、そして闇の書……三つの難問がこの数日間、なのはを苦しめて、落ち込ませる。
それは、取り柄の一つとも云える元気を喪失させる程に。
「お、到着」
と、なのはが我を取り戻したその時には、何時も通りの我が家に辿り着いていた。
鼻腔を擽るは夕食の香り。
結局、明確な解答が思い浮かぶ事はなかった。
この数日、幾度となく繰り返された堂々巡りを本日も行ったのみ。
思わずなのはの口から溜め息が零れた。
「ああ! 忘れてた!!」
その傍らで唐突に大声を挙げる男が一人。勿論、ヴァッシュ・ザ・スタンピードだ。
わざとらしい程に大袈裟なリアクションを見せたヴァッシュは、焦燥の様子でなのはの方を見る。
焦りの視線と、戸惑いの視線が、二人の間で激突した。
「ど、どうしたんですか?」
「いや、今日はリンディに話があったんだ。義手に備え付けられてる通信機の事でさ。……確か今日には管理局から戻ってくる予定だったよね?」
「確かそうですけど……今日中にしなくちゃいけない話なんですか?」
「うん、ちょっとね。守護騎士さん達もいつ現れるか分かんないしさ、準備は万端にしておきたいんだ」
「それはそうですけど……」
「まぁ出来るだけ早く戻ってくるからさ。士郎さん達にもそう伝えておいてよ」
「……分かりましたよ。お父さん達には適当に言い訳して置きますから」
「あ、あと夕ご飯残しておいてね。帰ってきてから頂くから」
「フフッ……分かりましたよ」
「んじゃ、宜しく頼むよ、なのは!」
喋るだけ喋ったヴァッシュはそのまま、走り去っていった。
その背中を見詰めて、なのはは再び溜め息を吐く。
悶々とした思考を纏い付かせたまま、団欒の我が家へと入っていった。
□ ■ □ ■
「はぁ……結局言えず終いか……」
そして一人となったヴァッシュ。
ヴァッシュは高町家の門前から、直ぐ近所にある臨時本部へと移動していた。
その足取りは重く、また先程までの笑顔は何処かに消え去っていた。
身体を覆い尽くす寒気に身体を丸めて抵抗しながら、ヴァッシュは夜の海鳴市を孤独に歩いていく。
「……ホントどうすれば良いんだろうなぁ……」
高町なのは同様に、ヴァッシュもまた悩んでいた。
だが、その悩みの種はなのはの物とはまるで違う。
先の戦闘で遭遇した、兄弟であり、同朋であり、そして宿敵である男。
人類の滅亡を目的とし、あの砂の惑星で暴虐を続けていた男。
その男の存在が、ヴァッシュを悩ませ続けていた。
何故、この世界に奴が居るのか。
何故、奴が闇の書の守護騎士達と共闘しているのか。
その何もかもが、ヴァッシュには分からない。
分からないからこそ、それは苦悩となりその心を容赦なく責め立てる。
(……このまま秘密にしておく……ってのも流石に無理があるし……)
ヴァッシュがリンディの元を訪ねる本当の理由は、まさにこの問題に関してであった。
ナイブズが守護騎士達と行動していた以上、管理局と相対する関係になるのは必至だ。
何の情報もなくナイブズと戦闘する事は、如何に人間離れした能力を持つ魔導師達であっても自殺行為でしかない。
そして、奴の力、異常性を知る者はこの世界でただ一人……自分のみ。
自分が伝えなくては、管理局がナイブズの情報を入手する事は難しい。
入手できたとしても、相応の犠牲は付き纏う筈だ。
つまりは―――死ぬ。なのはが、フェイトが、クロノが、ユーノが、アルフが……死ぬ。
それは、それだけは許せない。許す事ができない。
なら、伝えるしかない。そう、伝えるしかない筈なのだが―――
(―――でも、ダメだ……それじゃあ何の関係もない彼等を巻き込む事になる……俺達の因縁に……)
だが、情報の伝達もまた、結果として彼等の首を絞める事に繋がりかねない。
この世には知らない方が良い厄ネタがごまんとある。ナイブズに関するネタなど、その最たるものだ。
ナイブズの脅威を知った管理局が、彼を放置しておく訳がない。
今はまだ守護騎士の一員と認識されてるだけの男を、完全な敵害対象と捉えてしまうかもしれない。
話に聞いただけだが、管理局の戦力もまた相当なもの。
そう簡単に壊滅するとは思えないが……やはりナイブズは底が知れない。
万が一の事態が起こる可能性も大いに有る。
それこそ次元すら超越した争乱に発展する事だって有り得る筈だ。
それは許せない。
そんな事が良い訳が―――ない。
(……どうすれば……良い……)
気付けばヴァッシュは宛もなく市街地を放浪していた。
定まらない指針に同調する足取りが、目的地への到着を良しとしない。
フラフラと本来の道から逸れ、今まで辿った事のない道へと身体を誘う。
煌びやかなネオンに照らされる市街地に、夜間だというのに賑やかな人々。
そんな光景を視界では捉えど知覚はせず。
ここは何処なのか―――と、脳裏の片隅で考えながらも、両の脚は歩みを止めない。
自我から切り離されたかのように、勝手気ままな道を選択し続ける。
そして―――
ドンガラガッシャーーーン!!
―――見事に通行人と衝突した。
「きゃあっ!」
「うべあっ!」
か細い叫び声と共に地面へと転がる通行人に、これまた見事に地面とのキスを行ったヴァッシュ。
眼前に現れた障害物に人波は器用な対応を見せ、転んだ二人を上手い具合に回避していく。
人々が形成した波の渦中にて、ヴァッシュは痛みを押し殺し、物凄いスピードで立ち上がった。
「す、すみませんでしたぁ! ケガは、ケガはないですか!?」
自身の鼻から滴る鮮血を完全にシカトし、倒れた通行人―――その姿はまだ年端もいかない少女だった―――を抱きかかえるヴァッシュ。
その周辺に散らばる品々を見る限り、買い物帰りか。
ヴァッシュは物凄い慌てっぷり少女の容態を確認した。
「イテテ……」
「ご、ごめん! 大丈夫かい?」
「だ、大丈夫ですよ。少し顔ぶつけただけですし……」
「顔!? ちょっと見せて! もし傷が残るようだったら……」
「ほ、本当に大丈夫やて! 前を確認してなかった私達も悪いんやから」
大慌てするヴァッシュに対し、少女は見た目とは不相応な、落ち着いた対応を見せた。
少し擦りむいたでこを抑え、朗らかな笑顔を浮かべて、大袈裟に騒ぐヴァッシュを制止する。
容姿からして、おそらくなのはと同年代か。
透き通るような茶色のショートヘアーと、訛りの含まれた口調が特徴的であった。
少女は、ヴァッシュの謝罪を一頻り聞いた後で、その後方へと振り向く。
「もうヴィータもしっかり前見なアカンよ。車椅子やからって皆が皆避けてくれる訳やないんやから」
少女の直ぐ後方には二人の男女が立っていた。
彼等の表情に移る感情は奇妙にも驚愕。
両者ともに目を見開き、倒れる少女……ではなく少女を抱えるヴァッシュへと視線を向けていた。
少女の言葉により連れ添いの存在を知ったヴァッシュが、顔を上げる。
そして、見た。
連れ添い人達の姿を。
そして、止まった。
連れ添い人達の姿を認識すると同時に。
「―――え?」
そして、紡いだ。
驚愕に満ち満ちた言葉を。
そこに居たのは、将に―――
「ナイ……ブズ……?」
「ヴァッシュ……か」
―――彼の苦悩の根源である男……ミリオンズ・ナイブズの、その姿だった。
それは彼等の運命を分ける出会い。
この出会いを境に、彼等の境遇は更なる深遠へと転がり落ちていく事となる。
運命の歯車は急速に加速していく―――
最終更新:2010年08月31日 02:36