ここでは朝も夜も意味がなかった。腕時計はあるが、こんなところでじっとしていると時間の感覚も薄れる。
 本も無ければ音楽も無く、できることといえば、ただ思索のみ。
 言えば差し入れてくれるかもしれないが、それは図々し過ぎるというもの。それに、そんな気分にはとてもなれない。
 天井の小さな明かりは頼りないが、部屋はそれだけで余すところなく照らせる程度の広さしかなかった。
 暗く冷たい壁が閉塞感を煽り、それから逃げるように目を閉じる。横向きになれば小さな光は届かず、すぐに暗闇が訪れた。
 音も光もない世界で思考だけが残る。彼女がこんな世界で何を思い、何をしたかったのか、こうしていると少しだけ理解できた。
 本当は今すぐ走り出したい。こんなところでじっとしている訳にはいかない。しかし込み上げてくる衝動は、無力さ故に押し殺すしかなく。
だからといってこの胸の疼きは止まるはずがないというのに。
 もっと話しておけばよかった。そうすればこんなことにはならなかった。数えきれないほどの後悔。それも、もはや今更でしかない。 
 何故彼女はああなってしまったのか、未だに分からない。この靄が掛かったような気分はそのせいだ。
 分からないことが多すぎる。その中で最も分からないのは彼女の気持ち、そして自分の気持ち。
  闇の中から声が響き、声は自分を責め立てる。引き出そうとするのは償いの言葉。
 しかし、それも罪悪感を充足させるためのものでしかないと知っていたから、敢えて答えることはしなかった。
 やがて虚無からの声は輪郭を伴い、実体を形作る。
 現れた姿はもう一人の自分自身だった.

第三話 
凍てつく炎

 圧迫されるような閉塞感。日光の届かない地下で、補う役割を果たせていない電灯。
鉄とコンクリートの色と臭いしかなく、薄暗さも相まって緊張がいや増す。
 それが階段を降りたスバルの最初に感じた印象だった。近代的な造りである上階に比べて、
何故地下はこんなに前時代的な独房といった風なのか。尤も、融合される危険を鑑みれば下手に電子ロックにするよりもリスクは少ない。

 融合体と接触、感染の疑いのある者は検査の後、48時間の隔離、監視態勢に置かれることになる。だが、今のスバルには関心のないことだった。

「ここだよ、スバル。入って」

 先導するなのはによって開かれた独房の中にあるのは質素なベッドと、一角にはトイレであろうごく簡素な個室のみ。
他には見事なまでに何も無かった。無論窓も無く、ドアには小さな覗き窓がある。

「ごめんね、隔離室一杯でこんなところだけど。これから48時間経ったら出してあげるから我慢して」

 少し申し訳なさそうにしているなのはに、スバルはろくに返事も返さない。ただ項垂れて指示に従うだけだった。
 きっと自分の身体のことがXATに伝わることを、なるべく避けようと骨を折ったのだろうが、それすら今はどうでもいい。

「明日の朝また来るからね。今日はもうゆっくり休んで」
「はい……」

 きっと自分は酷い顔をしている。思い切り泣いたせいだろう、身も心も疲弊していた。
ドアが閉まるのも構わず、スバルは力なくベッドに身を投げ出した。横たわってから、スバルはこれまでのことを思い出す。

 病院を飛び出してティアナを捜したものの見つからず、結局最後に声を掛けてから数時間、雨の中を彷徨い歩いた。
病院に戻ると玄関先になのはが立っており、スバルを見るなり濡れるのも構わず駆け寄ってきた。スバルを見て絶句していたのは、ずぶ濡れの姿に対してだけではないだろう。
 すぐにシャワーを浴びさせられ、車に乗った。車中でスバルは病院で起こった全てを話した。ティアナとの会話の一言一言まで全てを包み隠さず。
 報告は要点を纏めて簡潔に。努めて事務的にまくしたてると、口を固く引き結ぶ。辛うじて涙は堪えられた。しかし、それもなのはが次の言葉を発するまでのことだった。
 スバル同様に固く事務的な口調でなのはは告げた。
 融合体と化したティアナが一般人とエリオに重傷を負わせたこと、そして生きていたヴァイスと一緒に走り去ったことを。
 ティアナは間違いなく融合体となり、人を、仲間を殺そうとした。瞬間、頭をハンマーで殴られたような衝撃が走った。
 それを聞かされた途端、堪えたものが溢れだす。なぜ泣いているのかも分からなくなるくらい涙ばかりが流れた。
 胸が一杯で息が苦しかった。痛みを、悲しみを嗚咽に変えて吐き出さなければ呼吸が止まりそうなほどに。
 そっと抱かれた肩から伝わる。本当はなのはも辛いのだと。
 自分だけ泣くことは卑怯だと知りながら、車が地上本部に着くまでの間、スバルはなのはにすがりついて泣き喚いた。

 そこでちょうど睡魔が訪れ、意識が遠のく。構わない、どうせこれ以上は何も考えたくなかったのだ。
 スバルは抗うことなく眠りに落ちていく。目を閉じる時に見えた時計は22時05分を示していた。


 夜も更け、人気の消えた街を見下ろしながら飛ぶ影が三つ。先頭を行くのは赤毛の活発そうな少女。
その後ろに茶髪の少女二人、一人はストレートのロング、一人はショートカット。戦闘機人オットー、ウェンディ、ディードの三人である。
 上機嫌で跳ねるように飛ぶウェンディの手にはしっかりとロックの施されたケースが握られていた。

「いやー、最近は邪魔が入ることも無くなって随分と楽になったっスね」

 レリック奪取の任を受け、今日向かったのがこの三名。これまでであれば魔導師たちの妨害を考え、多勢でそれなりに計画立てて行わなければいけなかった襲撃。
だが、今回は数体のガジェットと三人でも驚くほど簡単に成功した。
 管理局は現在デモニアックの対処に追われ、こちらにまで手が回っておらず、目の上のたんこぶと言えた機動六課も、
現在は精力的に活動していないらしい、とはDr.スカリエッティの言である。

「これならドクターにも褒めてもらえる……って大丈夫っスか?」

 ウェンディの後方に付いてきているオットーは口元を押さえ、荒い息を吐いている。明らかに顔も紅潮していた。
 隣でディードが支えていなければ飛行も難しい様子だ。ディードは不安げな顔つきでオットーを励ましている。

「オットー、もう少しで着くから。急いでドクターに診てもらいましょう」

 最近ウェンディはこの二人が嫌いではなかった。共に感情に乏しいが、お互いに支え合い、心を通わせている。
 他者にはつれないが、なるほど、不器用なだけだと思えばその無愛想も微笑ましい。
 当初は苦手であったが、今回一緒に作戦に当たった時にも見事なコンビネーションを発揮し、自分をサポートしてくれた。
 表面上ではわからないが、ある意味では実に姉妹らしいと言える。

「それじゃ少し急ぐっスよ。ディード、スピード出せる?」
「ええ、頑張ってオットー」

 日中、目的地までの移動中にデモニアックと接触、戦闘に突入した。管理局の目を引いてくれるのはありがたいが、当然近づけばこちらにも牙を剥いてくる。
 単純な動きである為、コンビネーションで挑めば難しい相手ではないが、今回は流石に肝を冷やした。
 意外にも粘られた為、乱戦になり後衛であったオットーまで肉薄されたのだ。
 すかさずディードが、オットーと揉み合う融合体の背後に接近。一瞬にしてツインブレイズで首を刎ねた。
 断面から噴き出す鮮血は人と同じ真紅。なんとも気分が悪くなる光景だった。
 機械と融合した、人を超えし者。しかし自分達は奴らとは違う。あんな化物とは違う。
 それは支え合うこの二人が表している。ウェンディにはそう思えてならなかった。


「で、どうなんスか、ドクター?」
「まあ、待ちたまえ。君達ももう休みなさい。もう少ししたら今日のデータを見せてもらおう」

 ウェンディに見向きもせず、ドクターと呼ばれた紫髪の男性、ジェイル・スカリエッティは答える。その横には同じ髪色の淑やかな女性、ナンバーⅠウーノが寄り添っていた。
 広い空間に並んだポッドには現在オットーしか入っていない。事情を聞いたスカリエッティはすぐにここへ誘導した。
 普段自分達が使用している部屋とは違うのが気になったが、特別な機器でもあるのか、治療にはここが適していると言われた。
 はぐらかされた気分だが、ウェンディも噛みつく理由がない。だが、これではまるで隔離だ。
 オットーの入れられたポッドからは様々なコードが伸びており、スカリエッティはその前で操作しながら何やら思案していた。
 唸ったり、時に首を捻ったり。その表情は千変万化であったが、唯一分かることはとても楽しそうだということ。
 これ以上は話していても無駄だ、ウェンディは最後にオットーを一瞥して部屋を後にする。

「じゃあディードも行くっスよ」

 オットーを見つめて動こうとしないディードの手を半ば無理やりに引いて。
 放っておけばいつまでも立っていただろう。手を引かれながらも、ディードの視線がオットーから離れることは無い。
 ウェンディの目には彼女の顔がとても脆く儚く映った。一瞬、自分達が戦闘機人であることを忘れされる程に。

 ウェンディ達が退室してから、一時間もスカリエッティはモニターに釘付けになっている。隣に立っているウーノの事など目に入っていない。
 ウーノは彼の秘書として情報処理は専門だったが、今回はまるで理解できなかった。作業速度といい、情報認識といい、機人の自分を上回っているため理解がなかなか追い付かない。
スカリエッティは誰にともなくぶつぶつと呟きながら、勝手に一人で先に進んでいく。

「うーむ、さっぱりわからない……」
「あの……オットーはどうなのでしょうか?」
「いや……そうか。これは……細胞の変化と増殖……生体部を侵食……機械部分も半ば……」

 完全に没頭しているのか、スカリエッティはウーノの声に気付いてすらいない。こうなってしまっては放っておくしかないだろう。
 玩具を手に入れた子供のようで少し微笑ましいとも思った。対象が妹であることを除けばだが。

「……なるほど。これは実に面白い……。……うん、大体わかった」

 それから更に四十分が経過。ようやくスカリエッティはモニターから目を離し、軽く伸びをしたと思いきや、出口に向かって歩いて行く。
途中でウーノを振り返った彼の顔は上機嫌そのものだった。

「ああ、ウーノ。すまないが頼まれてほしい。ここの機器とシステムを全体から切り離して独立させてくれ。
それと、ここから外までの最短のルートを朝まで開放。そこから繋がるドアは全てロック、触れると電流が流れるように。できるかい?」
「ええ、2,3時間も頂ければ可能ですが……しかしなんの為に……?」
「すぐにわかるさ」

 ウーノは思わず命じられるままに答えてしまったが、その意図は分からない。
 カプセルの中のオットーは意識は無いが苦しそうに身を捩っている。スカリエッティを行かせてしまっていいものか、急に不安になってきた。

「あ、ドクター! オットーの処置はもうよろしいのですか?」
「一旦ウェンディ達のデータを抽出しよう。それからすぐに再開するよ。これは非常に興味深いから」

 スカリエッティは今度は振り返ることなく答えた。去り際にもう一度、ウーノに言葉を残す。その言葉はウーノの不安を払拭するものではなく、更に波立たせた。

「ウーノ、それが終わったら君も休みたまえ。それ以降はくれぐれも私の許可なくここに立ち入らないように。妹達にもロックした箇所は連絡を、なんせ危険だからね」

 危険というのは電流が、だろうか。それともこの部屋なのか。不安は晴れる訳もなく、ウーノは指示に従う他なかった。


 目を開くと目の前に無機質な壁があった。どう見ても寮の自室ではない。
 数秒して酷い頭痛によって意識の覚醒が促された。それによってスバルは昨晩の出来事を思い出す。天井の隅には小さな監視カメラがこちらを向いていた。

「そうか……あたしは……独房に入れられたんだっけ」

 時計を見ると06時58分。普段ならとっくに起きている時間。こんなに眠ったのは随分と久し振りな気がした。
起き上がることなく壁を見つめる。部屋の端だというのに、向かい側の壁が近いことで改めて部屋の狭さを実感した。
 一人ならこの程度の狭さでも苦にならない。むしろ隔離室や寮の部屋の方が広く閑散として思える。
 身体には気だるさが残り、まだまだ寝ていたくなる。人並み外れた頑丈さが自慢の身体は、心に引きずられたのか想像以上に錆びついていた。
 脳が考えることを拒否し、再び眠りに落ちようとした時、ドアが軽くノックされた。

「スバル、もう起きてる?」

 確認するまでもない、なのはだ。声の調子はやや重く、気遣ってくれていることが分かる。スバルは急いで起き上がり、挨拶を返した。

「おはようございます、なのはさん……と、フェイトさんも」
「うん……おはよう、スバル」

 覗き窓から外を窺うと、なのはの後ろにフェイトも立っていた。声も表情もなのはよりずっと暗い。
 思い当たる節はエリオの件しかない。スバルも、エリオがどうしているのか気になっていた。

「あの……エリオはどうしてるんですか?」

 フェイトの表情が更に曇る。なのははフェイトが答えようとしないのを見て、話し始めた。フェイトの様子からして悪い報告かと、自然とスバルも身構えてしまう。

「右腕は骨折はしてたけど、撃たれた傷は骨や大きな血管を外れてるから、治癒魔法と合わせて治療に専念すれば二週間程度でほぼ回復するみたい」
「よかった……」

 スバルはほっと胸を撫で下ろした。エリオが想像より軽傷だったことは勿論、ここでエリオが重傷であればティアナの罪は更に重くなる。
 しかし、それを聞いたフェイトは、静かにドアに詰め寄った。

「よくないよ! ヴァイス君が止めなかったらエリオは殺されてたんだよ? ティアナに!」

 これまで伏せられていた顔はスバルを睨んでいる。フェイトにこんな目で見られたのは初めてのことだった。
 はっとなって頭を下げるスバル。フェイトはティアナに対して敵愾心を抱いても仕方ない。我が子のように可愛がっていたエリオが殺されかけたのだから。

「すいません……あたしよかったなんて言って……」
「フェイトちゃん、スバルはそんなつもりで言ったんじゃないよ」

 なのはに仲裁されるまでもなく、フェイトも自分が熱くなっていることは分かっていたのだろう。罰の悪そうな顔でドアに背中を向けた。

「わかってる……ごめん、なのは、スバル。私先に戻ってるから……」

 フェイトが去ってからしばらく沈黙が流れたが、やがてなのはから話しだした。

「ごめんね。フェイトちゃんあんまり寝てないみたいで、ちょっと気が立ってるから……」
「いえ……あたしの方こそ悪かったんです……」

 再びの沈黙。これではいけないと思っても、スバルから積極的に話すことは憚られた。
 それを見て、なのはも困ったように溜息を一つ。

「じゃあ本題に入るね。研究棟の隔離室じゃこうやって話せないから。ここでもモニターはできるし、私達が交代で様子見に来るってことで無理言ったんだよ」

 前置きを済ませたなのはは軽く頬を掻く。その様はどこか迷っているようにも見えた。

「そうだね……言おうかどうか迷ったんだけど、スバルにも考えてもらわなきゃいけないことだし、考えるにはいい機会だから」

 そう言って、なのはなかなか本題に入ろうとしない。彼女がこんなに踏ん切りの悪い話し方をすることはまずない。それだけで加速度的に鼓動が早まる。

「……今はティアナとヴァイス君のことは六課の人間しか知らない。ただ、人間の姿と理性を持った融合体の存在はXATにも報告しなきゃいけないし、
そうなったらはやてちゃんも二人の顔と名前を出さなきゃいけない……」
「そんな……」

 そんなことになれば二人は融合体として狩られてしまう。よしんば狩られなかったとしても、局からは二度と人として見られないだろう。

「落ち着いて、スバル。本当ならすぐにでも報告するところを、はやてちゃんは明後日の対策会議まで伏せておくつもり。
それは私達でティアナとヴァイス君を見つける為。そして……それができなかった場合、フォワードのみんなに覚悟を決めてもらう為の時間なんだよ」

 今度こそ嫌な予感がする。既に胸の鼓動の音は最高潮に達しそうだ。

「覚悟って……まさか……」

 なのはの顔に影が差す。沈痛な表情からは次に言う言葉が容易に想像がつく。
 しかし、言わないで欲しかった。

「最悪、ティアナとヴァイス君を……斃さなきゃいけないってこと」

 スバルはドアに駆け寄った。その勢いにもなのはは全く動じない。
 なのはがこんなことを言うとは思えなかった。いつだって部下や仲間を思いやってくれると信じていたのに。

「なのはさん! なのはさんも昔はフェイトさんやヴィータ副隊長と敵同士だったんでしょう!?」
「勿論できる限りのことはするつもり。でも昔のフェイトちゃんやヴィータちゃんの時とは訳が違う。
どっちも譲れない目的があってぶつかっちゃったけど、それでも無駄な犠牲は出そうとしなかったし、力ずくでも話すことはできた。でも……今度は違う」

 なのははスバルから目を逸らさない。その目には確かな意志が感じられた。スバルには何を言っても彼女の心を動かせる自信はなかった。

「融合体はただ傷つけて殺すだけだから。言葉だって通じない。戦闘機人とも違うよ」
「でも……ティアはヴァイス陸曹のおかげで理性を取り戻したって……」
「ティアナと話せれば、こちらに従ってくれればいい。でも、現にエリオを撃ったのは事実。
融合体に関しては分からないことが多すぎるの。人と融合体の姿を自由に使い分けて殺戮を始めればどうなるか……私達は最悪の状況も考えておかなくちゃ」

 彼女の口から出る言葉はことごとく正論。これでも譲歩している方だと思う。
 だからといってスバルも後には退けない。

「でも……それで諦めちゃうんですか!? フェイトさんやヴィータ副隊長の時だって諦めずに話そうとしたんじゃないんですか!?」
「言ったでしょ、融合体は人を殺すだけだって。放っておいたら……私達が迷ってる間に何人もの人が犠牲になる……! 
今のティアナは強いよ。拘束しようとしたり、諦めずに話そうとする余裕があるとは限らない」

 これまでも融合体の一回の出現で、五人、十人の死傷者が出ることはざらにある。もしも取り逃がした場合のことを考えれば、それだけ人が死ぬ。
 ましてや魔導師の身体と武器、術を持っているのだから被害はこれまでの比ではない。
局員がデバイスごと融合体になって殺戮を始めたと、ニュースにでもなれば沽券に関わる。故にXATも血眼になって二人を追うだろう。

「たとえ、拘束して連れ帰ったところでどうするの? もしも逃げられて、本部や六課のコンピュータに融合されれば損害は計り知れない」
「で、でも……ゲルトの例だってあるじゃないですか」
「それはゲルトが当初から協力的な姿勢を見せてるからでしょ。二人に重傷を負わせて逃亡中のティアナを一緒にはできない」

 完全な正論、ぐうの音も出ないとはこのことだ。過去のなのは自身の例を出せば分かってくれるかと思ったが甘かった。
 咄嗟の切り札さえ論破され、反論が出てこないままスバルは押し黙った。
 それでも、どうしても承服できない。そうして結局最後に出てきたのは、身勝手な感情でしかなかった。

「それじゃあ……それじゃあティアはどうなるんですか? 融合体になって、あたし達に殺されるなんて……そんなの残酷過ぎるじゃないですか!!」
「他の融合体は殺しておきながら、仲間だったら助けたい。それは残酷じゃないの!?」

 病院でティアナと向き合った時と同じ感覚。
 今の自分は完全に頭に血が上っている。胸の内から湧き上がる、得体の知れない何かに急きたてられている。
 その先を口にするな、と冷静な自分は言う。
 それでもスバルには止められない。それも、あの時と同じだった。

「それはおかしいですか!? あたしは今もティアを仲間だと思ってます! たとえなのはさんにとってティアがもう融合体でしかなかったとしても!!」
「――ッ!!」


 しまった、と我に帰った時には既に遅かった。
 耳をつんざくような轟音。
 金属のドアがへこむかと思うほどの音が地下に響き渡り、ビリビリと振動が空気を伝う。強烈な音と振動と迫力が、スバルの身体まで激しく震わせる。
 なのはがドアを殴ったのだと気付いた時、窓になのはの顔が覗いた。
 激情というのは目に見えるものだ、とスバルは思った。
 そこにあるのは純粋な怒り。
 なのはの視線は烈火もかくやと赤々とした炎を宿し、それでいて寒気がするような冷気も纏って、スバルを突き刺す。
 あの時、ティアナと一緒になのはの教導を無視して無茶をした模擬戦。あの時以上になのはが怒っている。眉間に皺を寄せ、本気でスバルを睨みつけている。
 言葉にするより遥かに重く鋭い。燃え滾るような眼差しが何より雄弁になのはの感情を物語っている。
 つい口を滑らせて出た言葉は、なのはを怒らせるには十分過ぎる侮辱だったらしい。
 残響が止んでも恐怖に戦慄く身体はいつまで経っても治まらない。
 明らかな失言。謝らなければ、そう思っているのに声が出てくれない。それは単に恐怖によるものではなく。
 ただひたすら申し訳なくて、自責の念で頭がいっぱいになった。それがスバルを動かせなかった。
 スバルは、昨夜なのはが泣いていた自分を慰めてくれたことを思い出した。
 なのはが辛くないはずがない。その結論に至るまで、それを告げるまでには苦悩があったに違いない。そんなことは彼女の性格を考えれば簡単なはずなのに。
 どうして考えが回らなかったのか。彼女はティアナより、自分より、誰よりなのは自身に激怒しているのだと。
 三十秒ほど経ったろうか。スバルが言葉に詰まっていると、なのはの怒りの形相がふっと脱力した。
 風船が萎むように張りつめた気配が消え、残ったのは悲しげな瞳。

「今日はもう来ない。私もスバルも頭冷やして……明日の夜、解放された時スバルの考えを聞くよ。どうあれ覚悟だけはしておいて」

 覚悟――いざとなればティアナを殺すのか、あくまで助けることに拘るのか。どちらにせよ彼女の前ではっきりと宣言しなければならない。

「……できれば話したくなかった。私の答えに左右されないでほしかったから。誰にも寄りかからずに、スバルの考えで決めて。
ただし、もしも心が決まってなかったら、ティアナのことは勿論、出動からは全部外すからね」
「そんな……」

 スバルを除けば、動けるのは隊長達とキャロだけということになってしまう。ただでさえ激化している融合体事件に対し、動けるのがそれだけではあまりに心許ない。

「あやふやな気持ちじゃ戦っても死ぬだけ。どんなに苦しくても、死ぬと分かっている相手と一緒には戦えないから」

 それだけ言うと、なのはの目が窓から離れる。足音が遠ざかっていくのを感じながら、スバルはその場に立ち尽くした。
 残り時間は約39時間。それまでに自分は答えを出せるのか、胸に問いかけても答えは返らなかった。


 ミッドチルダ東部の森林、木々が生い茂る山地には似つかわしくない女性が一人。白衣を羽織りメガネを掛けてはいるが、知的さを感じる者は少ないだろう。
むしろ胸元まで開いた扇情的な服から覗く褐色の肌が、妖艶な雰囲気を漂わせている。
 大木にもたれかかり、朝日に目を細めながら、さも退屈そうに周囲をぐるりと見回した。

「この辺りのどこかだと思ったのだけれど……」

 そう一人ごちていると、遠くで茂みがざわめいた。枝の折れる音、葉の揺れる音が連続して近づいている。
 周辺には野生動物も多数生息しているが、これは薮だろうが何だろうがお構いなしだ。相当な速さで、おそらくは大きさもそれなりだろう。
 女は音に向き直った。靴はハイヒール、手も白衣のポケットに収めたままで、それでも動じる様子は無い。
 音は気配と共に膨れ上がり、黒い影が目の前に躍り出る。
 それは融合体とも呼ばれる、金属のような骨格を持った悪魔、デモニアック。白を基調とした外観、胸部から察するに女性型。
 デモニアックはこちらを獲物と見定め、凄まじい速度で腕を薙ぎ払う。
 これまで数多のデモニアックを見てきたが、その誰よりも速い。匹敵するものがあるとすれば自分の主、そしてその追跡者、そして自身ぐらいだ。
 ふわりと女の身体が浮いた。風に揺れる柳の葉の様に腕は身体を掠め、腕を振り切った時には既に女は射程外にある。
 勢い余った腕は女の背後にあった大木にめり込み、半ばまで抉られた大木は葉を舞い散らしながら倒れた。

「速さも力も桁違い、素体が素晴らしいとここまで違うのね」

 女は初めて笑顔を浮かべた。微笑みは薄く伸ばして張り付けたような、少なくとも好意的なものではない。
 事実、彼女にとってはよくできた実験動物に過ぎなかった。口元とは反対に、目は冷徹にその性能を分析している。
 能力は主には遥か遠く及ばないものの、自分には手が届く距離だ。これに武器が加わればまた話は違う。
 例えば今相手の掌に浮かんだものだ。翡翠色に発光する二つのリングが重なって回っている。どんな兵器か知らないが、使われれば互角か或いは上回るか。
 しかし、自分とこのデモニアックの間には決定的な差がある。それは決して埋まらない距離、絶対的な位階の差。
 自分はブラスレイターであり、これは違うということ。
 デモニアックが掌の武器を使おうとするより早く、女はポケットの手を振り抜いた。瞬間、女を中心に広がるプレッシャー。波紋のように伝わり、風もないのに木々を揺らした。

「さあ、案内して頂戴。あなたの御主人様のところへ」

 そう言って手を差し出す。途端にデモニアックは攻撃態勢を解き、女に背を向けて歩きだした。女はただ歩いてその後をついて行く。

「場所と入口さえ教えてくれればそれでいいわ。後はあなたの好きなように踊りなさい。ただし……」

 再度女の口が歪む。そこに計算は無く、あるのは純粋な期待。
 先ほどとは違い、今度は目まで笑っていた。これから起こることが心底楽しみだと言わんばかりに。

「そのうち、黒く蒼いボディのデモニアックが現れるわ。その男だけは殺しなさい。必ず、確実にね」


 デモニアックは次々と通路のドアに触れては電流に弾かれ、やがて風の流れを感じ取ったのか、脇目も振らず走り出した。
 向かう先に開かれた出口からは、朝の光が差し込んでいる。

「これが午前07時18分の映像です。つまり今から42分前の事ですね……」

 そう語るウーノの表情は暗く、モニターを眺める九人は一様に驚愕を表している。
 通路の監視カメラにはデモニアックの徘徊する映像が記録され、オットーの収容されたポッドが内側から破壊されていたのは全員が直接確認している。
 これが示す事実を誰もが理解しながらも、口にする者はいない。

「何ですの、これは……」

 あのクアットロですら驚きを隠せずに目を見開いている。すると、動揺することもなかったスカリエッティが口を開いた。

「ふむ……オットーはデモナイズ、つまりデモニアックになった可能性が極めて高いということだ。クアットロ……君なら分かっていると思ったんだが?」
「しかし、ドクター! 何故オットーが!?」

 声を荒げたのはトーレ。一人を除いた全員が同じようにスカリエッティに目を向ける。
 痛いほどの視線を向けられても彼は難なく受け止め、平然と言った。

「オットーは昨日デモニアックと戦闘している。その時感染したと考えるのが自然だろう」
「でも戦闘ならあたしやディードだって――」

 言い掛けてウェンディは、ディードの肩が一瞬震えたのを見逃さなかった。スカリエッティも見ずにモニターを凝視していたディードは、悪戯がばれた時の子供みたく、肩を竦ませた。

「それよりも今はオットーをどうするかが先決ではないでしょうか?」

 と、セッテ。クアットロが真っ先に頷き、他の姉妹もぎこちなく続く。
セッテがこんな時でも冷静なのは頼もしくもあり怖くもある、とウェンディは感じた。

「そうだね……ディード、君はどう思う?」
「え……私は、その……オットーを保護して治療をすべきかと……」
「治療? あれはもうそんなレベルじゃないわ」

 おずおずと話し出すディードの意見をクアットロが一笑に付す。それきりディードは黙ってしまった。スカリエッティは何の為にディードに訊ねたのか、ウェンディには分からなかった。
こういう場合はトーレが発言権を持つことが多く、それは今回も例外ではなかった。

「オットーを融合体として破壊するしかないのでしょうか……。ISもあります、管理局に回収でもされれば厄介ですが」
「いえ、捕獲が可能なら試みるべきかと。オットーも重要な戦力の内です」

 苦々しげに言うトーレだが、すぐさまそれに反論したのはチンク。両者は自然と睨み合い、一時沈黙が支配するが、
数秒の後、スカリエッティの仲裁によってそれは破られた。

「それなら君達全員で行きたまえ。実際に見なければ分からないこともある。捕獲か破壊か、判断は現場に任せよう」
「了解しました」

 トーレ達が言うが早いか、ディードが飛び出した。ウェンディと他の姉妹も同様に走りだす。
 破壊にせよ、捕獲にせよ早いに越したことは無い。なるべくXATや魔導師が嗅ぎ付けるまでに終わらせたいと、その思いだけは全員に共通していた。


 朝の街が人々の動き出す熱で徐々に始動しようとしていた頃、人波に紛れて歩く男女が二人。
私服姿で並んで歩くティアナとヴァイス、はたから見ればその様子は仲睦まじく見えるかもしれないが、当人達にとっては気まずい雰囲気が流れていた。

「おい、大丈夫か、ティアナ?」
「…………はい、すいません!」

 ヴァイスが呼びかけてから反応を返すまでに数秒を要した。ぼんやりと歩きながら船を漕いでいたところ、どうやら寝不足らしい。
 昨晩、自分が傍にいることで安心できたのか、寝入りは早かった。身体の疲労や心労も大きかったのだろう。
しかし数時間寝たかと思えば起き上がり、それ以降はたぶん眠らず、朝まで頭を抱えていたようだ。
 一度目が覚めると思いだしてしまったらしい。昨日の今日で仕方ないことではあるが。

「飯でも食って目、覚まそうぜ」

 ヴァイスは手近な喫茶店を指してティアナを促した。ティアナも無言で頷き、駆け足で後を付いてくる。
 ヴァイスとてなんとかしてやりたいと考えている。しかし不可抗力であるとはいえ、ティアナが罪を犯してしまったことは事実。
それに対して慰めを口にしても余計負担を掛ける気がしてならなかった。
 席に座りモーニングを注文すると、それきり会話が無くなる。
 元々思い悩むタイプの彼女のこと、きっと今も頭の中で様々なことが渦巻いているに違いない。
 自分にできることは、精々が現実的な問題から彼女を守る程度。気の利いたアドバイスもできず、それしかできない自分が歯痒い。

「あたし達……これからどうすればいいんでしょうか?」

 ティアナの突然の質問にヴァイスは即座に返答できなかった。少し考えて、当面の目的を放す。

「まずはゲルトを探す。所属してたチームに連絡してだな……局の者だって言えば住所くらい聞き出せるだろう」

 バイクレースのチャンピオン、ゲルト・フレンツェンは事故の後、融合体として舞い戻った。
通常の融合体とはやや違う姿に変身、融合体を撃破し、人間に戻った彼は巷では英雄として持て囃されている。
 まず同類と考えていいだろう。XATに拘束されている可能性もあるが、話を聞ければ手掛かりが得られるかもしれない。

「そうじゃないんです。あたし達がこれから何を目的にすればいいのかって……」
「お前が聞きたいのはあたし達……じゃなくて”あたしが”だろ?」

 図星を突かれたのか、ティアナは大きく目を見開き黙り込む。
 この融合体の出現には誰か糸を引いている者がいる。ここ最近の大量出現や、ティアナ達が遭遇した事件を考えればそれは明らかだ。
 今となっては死人だが、この立場でしか見えないこともあるはず。情報を得て影ながら六課に協力できれば、そうヴァイスは考えていた。
 それを考えることができたのは自分を助けた男のおかげであり、二週間という時間のおかげ。だが、ティアナはまだそこまで考えられず戸惑っている。
 ヴァイスは苦笑しながらコーヒーを口に運んだ。

「焦るこたぁない。ゆっくり考えればいいさ。幸い金も下ろせたしな」

 だが、ヴァイスは自分の考えをティアナに言うつもりは無い。あくまで目先の行動の提案に留めておく。
 これまで目標に一途に生きてきて、それを失った今、誰かから道を示されるのは甘い毒だ。聞こえのいい言葉で囁かれればいとも簡単に、ころりと転んでしまうだろう。
 時間が必要なのだ。そうすれば聡い彼女のこと、勝手に自分で答えを見つけて立ち上がれる。それまではあらゆる障害は自分が排除しよう。
 それにもしもティアナが何もかもから逃げたいというのなら、それに付き合うつもりでもいた。

「でも、あたし達XATに追われるんじゃないでしょうか……」
「だろうな。でもミッドも広い。XATだって暇じゃないんだ」

 ここはミッドチルダの東部。昨夜行き先を決める際、中央のクラナガン、病院のある北部ベルカ地区、
六課隊舎があるのが南よりなので、東西南北の内これらを避けた西か東か二択の結果だ。
 それにここらは山に程近い市街地。融合した結果か、これまでもデバイスで位置を追われていないのだから、すぐに見つかる可能性は低いと思われた。

「目立つことをしなければそうそう見つかるとは……」


 突如、ヴァイス達の喫茶店から見て道路を挟んで隣の店が吹き飛んだ。爆風は通りを越えてガラスを震わせた。
続け様にあちこちで爆発が起き、火の手が上がる。たちまち悲鳴は一帯に伝播し、それも車の衝突によって掻き消された。
 雨のように翠の光が降り注ぐ。人も建物も区別なく、等しく破壊をもたらす。
 ゆっくりと空から舞い降りる白い身体は一見すると天使。気配を悟ったのかこちらを向いた顔は間違いなく悪魔だった。

「伏せろ!!」

 言うより速く、ティアナはテーブルの影に転がり込んでいた。一瞬遅れてヴァイスがそこへ覆い被さるように飛びこむのと、光線が窓を砕くのはほぼ同時だった。
 爆音と、ガラスが一斉に割れる音で一時的に聴覚が麻痺する。頭を振って感覚が戻るのを待つが、追撃はいつまで経っても来ない。
 やがて離れた場所で爆発が起こる。どうやら無差別かつ適当に暴れているだけらしい。
 顔を上げると、店内は滅茶苦茶に破壊されていた。ガラスと言うガラスは割れ、ヴァイスとティアナ以外は全員倒れ、呻き声を上げている。
 起き上がり、外を見たヴァイスは思った。店内の状況など遥かにましだったのだと。
 ざっと数えても十人以上が路上に横たわっている。しかし数に数えられない、原形を留めていない者も散見された。

「ティアナ! 大丈夫か!?」
「はい、あたしは大丈夫です……」

 ヴァイスはほんの十数分前と同じ言葉を自分の下に倒れている少女に掛けた。
 流石はフォワードである。ティアナは自分よりも反応が速く、衝撃によるダメージも少ない。

「仕方ねえ……ティアナ、俺達で奴を引きつけるぞ! XATか六課が来るまででいい……んだが……」

 ストームレイダーを起動、柱の陰に隠れながら振り向くヴァイス。だが、最後まで言い切ることはできなかった。
 ティアナは両手を見つめて、わなわなと震えている。ヴァイスの言葉などまるで耳に入っていない。

「ごめんなさい! ヴァイス陸曹……あたし、できません……!」
「あぁ!?」

 思わず間の抜けた声が飛び出す。この期に及んで何を言っているのかと思ったが、その顔色を見ては何も言えなくなった。
 蒼白に染まった顔に浮かぶのは確かな恐怖。その目には自分の手がどう見えているのだろうか。

「あたし……エリオと戦う時、クロスミラージュと融合して無理やり黙らせたんです……。
いえ……喋っていても同じかもしれない。今クロスミラージュで戦ったらあたし……今度こそ戻れないんじゃないかって……!」

 そう言ってティアナは顔面を両手で覆った。
 激しく動揺している状態の説明は要領を得ないというか、さっぱりわからなかった。だが、おそらくはこうだ。
 AIの音声を切るのは簡単だ、一言黙れと命じればいい。それをティアナは融合することでプログラムを弄った。
 尤もそれ自体は、例えるならスイッチを切るのではなく、配線を外したようなもの。繋ぎ直せば、すなわち融合すれば簡単に元通りにできる。だが、それが怖くてできない。
 殴ることも撃つことも人にできる。融合することは融合体にしかできない。つまり、ある意味で融合は人でなくなった明確な証と言える。
だからヴァイスも、必要に迫られない限りは忌避してきた。
 そして物言わぬ武器でしかないクロスミラージュで戦えば、再び理性を失った狂戦士に立ち戻ってしまうかもしれない。それも怖いという訳だ。
 或いは、クロスミラージュは恨み言こそ言わなくても、行動に対する指摘や、説明の要求をしてくる可能性はある。
ティアナにとってみれば、淡々とそんなことを言われるのは傷を抉られるのに等しい。

「……ならお前は動ける人間を連れて隠れてろ! 俺一人でやる!」
「すみません……」

 わかっている、ティアナを責めても仕方がない。暴走する危険を孕んでいるのは自分とて例外ではないのだから。
 ヴァイスはそう言い捨てて、割れた窓から通りを警戒する。打ち捨てられた骸や車は数を増し、爆音は遠ざかり、悲鳴は聞こえてこなかった。
 見た目は普通の融合体のようだが、飛行していたこと、そして光線を撃ってきたことから考えてやはり普通ではない。

「くそっ、俺だけで抑えられるのかよ……」

 おそらく身体能力も通常より優れているであろう融合体。それに対してこちらは一人きり。ティアナと二人で戦っても勝てるかどうか危うい相手に不安は隠せなかった。
 表に出て曲がり角から顔を出すと、100m程先に融合体の姿があった。動くものはあらかた殺し尽くしたと、獲物を求めるように徘徊している。
 正面からでは不利、勝つには狙撃しかない。ヴァイスは角からスコープを覗きこむが、上手く狙いが付けられない。
動きが不規則過ぎる。リスクを鑑みれば絶対に外すわけにはいかないのだから。
 不意に視界に影が落ちた。この地獄には不釣り合いな陽光を一瞬遮ったそれは、同じく太陽の下に不似合いな黒い悪魔。
 炎を噴射する大型のバイクは、通りを塞いでいた無人の車ごとヴァイスの頭上を飛び越え、着地。こちらを見向きもせず、融合体へと向かっていく。
 ヴァイスはかつて一度だけ、その姿を見たことがあった。


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最終更新:2009年11月21日 00:55