目の前にあるのは灰色の壁。
 黒とも白ともつかない曖昧ではっきりしない色。
 道を阻む壁は高く、ぶ厚く、強固。それでも壁を打ち壊し、先に行きたいと願っていた。四方を取り囲まれ、このままではどこへも行けないから。
なのに、どれだけ壁に拳を叩きつけても、自分自身を傷つけるばかり。
 強くなったと思っていた。たとえこの身体が望んだものではなかったとしても、強くはあったはずなのに、自らの本質はどこまでも無力なまま。
 乗り越えることも壊すことも叶わず、やがて行為は徒労に過ぎないと感じ始める。
 立ち尽くし、見下ろした両手は血に塗れていた。だというのに痛みは感じない。理由はすぐに分かった。手を赤く染めているのは
自分の血ではなかったのだ。
 そして気付く。この壁を越えたところで、失ったものは決して返らない。もう昔の自分には帰れないのだと。
 虚しさだけが止め処なく溢れてくる。その先に道がないなら、この行為自体が無意味だった。
 どこへ行けばいいかも分からず、何をすればいいかも分からない。立ち止まって見回す壁は徐々に迫り、いずれ自分を押し潰すのだろう。
時間は、もう残されていない。


 ベッドの上で丸くなっていたスバルは目を覚まし、いつの間にか眠っていたことに気付く。幾度となくまどろみと覚醒を繰り返し、
その度に変わっていないことを実感する。この部屋も、自分を取り巻く現状も、何一つ。
 今の夢はなんだったのだろう。抽象的で薄気味悪いくせに、やけに鮮明な夢。自分の夢のような、そうでないような奇妙な感覚。
 スバルは暫く考えたが、再び目を閉じた。こんなこと、どうせ無意味だ。
 時間が経つのが怖い。明日の夜になれば、なのはに答えを出さなければならない。自らの手でティアナを殺せるのか否かの答えを。
 どうすればティアナと戦わずに済むのか、彼女を取り戻すことができるのか――考えようにも思考が纏まらない。
 動いてもいないのに、眠くて堪らない。脳が思考を拒絶していのか、いや、単に睡魔を理由にして逃げたいだけなのだ。
いっそ時が止まってしまえばいいのに。
 目を閉じる直前、確認した時刻は二十時四十分。もうじき、拘束時間のほぼ半分が経過しようとしていた。

BLASSREITER LIRYCAL 第4話
慰めの対価

「ティアナ……ティアナ!」

 名前を呼ぶ声で意識が覚醒した。片方の頬を、風が微かに撫でるのを感じる。もう片方は、反対に大きく温かい背中に密着していた。

「あ……ヴァイス陸曹……」
「ヴァイス陸曹……じゃねえ。バイクで走ってる時に寝るな。危ねぇだろうが」
「すみません……」
「まったく……器用な奴だぜ」

 ヴァイスは呆れていながらも、声色に棘はなかった。むしろ優しげな響きが含まれている。顔は見えないが、きっと微笑んでいるのだろう。
 周囲はすっかり夜の色に切り替わっている。長距離を走る内に、いつの間にか眠っていたらしい。道を歩く人も、ネオンに彩られた街も、
車の流れも、平和そのもの。朝の地獄がまるで夢のようだった。
 しかし、いくら悪夢と思いたくても、あれは紛れもない現実。大勢の人間が死んだこと、その場にいながら何もできなかったこと、
この身体が、惨劇を引き起こした化け物と同じ肉体であることも。

「随分疲れてるな、少し休むか?」
「いえ、大丈夫です……ふぁ……」

 ティアナは小さく欠伸をし、寝ぼけ眼を擦りながら身体を起こす。前を覗くと正面からの風が顔を直撃。思いがけない突風に驚き、身を縮ませた。
 ヴァイスの身体が壁になって、寒風から守ってくれていたのだと知る。密接していない自分の背中や足は、
身体の前面とは対照的に、すっかり冷たくなっていた。
 元々寝不足だったことに加え、朝の出来事もあってか、疲労は極限に達していた。しかし一人だけ眠っていたのだから、
これ以上負担は掛けられないと、懸命に欠伸は噛み殺す。

「無理すんな、少し休憩していくぞ」
「あたし、本当に大丈夫です!」
「俺が疲れたんだよ。それじゃ駄目か?」

 いえ、とだけ呟くとティアナは沈黙した。ヴァイスがそう言うなら反対できないというのもあったが、何より今は眠かった。
抗おうにも、瞼が下がるのを止められない。
 頬を再び背中に預けると、不思議と心が安らいだ。こんなにも誰かに密着するなんて何年振りだろうか、ましてや男性相手に。
最後の記憶は多分、兄に背負われて眠った幼い日。
 広くて懐かしくて、どこかほっとする背中。それは今、視界の大半を占めており、ある意味では世界の大半とも言えた。
 いかに広いと言っても、たかだか両手に収まる程度の面積。しかしティアナにとっては、寒々しい街の中で、広大な次元世界で、
ここだけが唯一の拠り所。彼だけが冷え切った身体を温め、苦難から護ってくれる。
 いつもならこんなことは絶対にしないのに、今は無性に人の体温が恋しい。もしかすると、スバルに依存していた時と何ら変わっていないのかもしれない。
 たとえそうだとしても構わなかった。
 まだ独りじゃない。頼れる人がいる。名前を呼んでくれる人がいる。こんな身体になってしまっても。誰が何と言おうと、それに勝る物はないのだから。
 眠りに落ちながらも、ヴァイスの腰に回した両手はきつく握り締めていた。うたた寝していた間からずっと緩まることなく、彼を繋ぎ止めている。
 振り落とされないように。この温もりを絶対に逃がさないように。

「……すぅ…………ぅぷっ!?」

 沈黙から数秒、安らかな寝息を立て始めるティアナ。しかし、バイクの停車で眠りは妨げられた。さして強い衝撃ではなかったが、
突然の出来事に目を瞬かせる。
 目を開くと、そこはとあるファミリーレストラン。頬の感触が消えて困惑していると、ヴァイスの手が横から差し出された。

「ほら、起きろ。軽く腹に入れていこうぜ」
「あ、ありがとうございます……」

 ヴァイスの顔は優しく微笑んでいた。ティアナはその笑顔に甘えて、手を握って少しふらつく身体を支える。
 彼の手を取ってバイクから降りるという構図は、まるで騎士と姫のよう。何だか気恥ずかしくなり、ティアナはこの日初めて、
小さくはにかんだ笑顔を返した。
 向かい合った席に着き、オーダーをした後は互いに無言。そこでようやく、朝とほとんど同じ行動をなぞっていることに気付いた。
違いと言えば、注文はモーニングでなく、最初に口を開いたのはヴァイスであること。

「それで? いい夢は見れたか?」
「よく……分かりません。でも、悪夢だったのは確かです……」

 そう、あれはやはり悪夢なのだろう。他人の血で手を朱に染め、迫る壁に絶望する夢。今の自分の状況を如実に表していた。
 俯き加減にティアナが答えると、ヴァイスは肩を竦め、カラカラと笑った。

「皮肉だ、皮肉。馬鹿正直に返さなくていいんだぜ」

つられて躊躇いがちにティアナも笑う。小さく乾いた声で、顔を僅かに引きつらせたに過ぎないが。

「まっ、今日は遅くなったしな。医療センターに行くのは明日にしとくか?」
「いえ……行きましょう。少しでも早い方がいいです」
「しかし、お前が……」
「あたしは大丈夫です!」

ゲルト・フレンツェンの住所は分かっている。しかし、アポを取ろうと連絡もしてみたが、繋がらなかった。
調べてみると、どうやらXATによりどこかへ身柄を移されたらしい。

考えてみれば当たり前の話。仮にも融合体となった人間を、普段通り生活させておくはずもない。だが、大衆に英雄視され、マスコミに祀り上げられた今のゲルトを、
ぞんざいに扱いもしないだろう。いざ暴走した時の被害も考慮して、地上本部から離れた東部の医療センター辺りが適当だと当たりをつけた。
 もう時間も遅かったが、そうも言っていられない。まだXATに情報が回っていなければ、六課を名乗って面会。
でなければ(ヴァイスに頼んで)セキュリティシステムに融合して忍び込むか、どちらにせよ時間はあまり関係なかった。
 彼は鍵になる人物なのだ。何故、彼は人の姿で理性を保っていられるのか、他の融合体と違う姿なのか。知りたい疑問はすべてそこにある。
 彼はXATと協力して何度か融合体を撃破している。
もしかしたら、彼の口添えで討伐を免れるかもしれない――そんな幾許かの甘い期待も否めなかった。
 ヴァイスが苦い顔で溜息を吐く。その表情で、仕草で、途端に不安に駆られ、胸がざわめいた。
何か彼を怒らせたりしただろうか、機嫌を損ねただろうか。

「いいか、ティアナ。今更お前にこんな説教するまでもねぇだろうが……例えば任務中、新たに命令が入ったとする。
何でもいい、とにかくお前は熟考の末、自分には達成不可能だと判断した。なのにお前は、大丈夫です、できますって答えるか?」
「いえ……」

 答えない。
 考えてできないと結論が出たなら、よほどのことがない限りできるなどと言うべきではない。状況にもよるだろうが、それは恥ではない。
軽はずみな行動は、他者を危険に晒すだけだからだ。
 ヴァイスの忠告で、ふと思い出す。なのはの教導を無視して、撃墜された訓練。今もその時と同じ、無理をすべき場面でもないのに、
無理をしているのだろう。
 ティアナが唇を噛むのを窺いながら、ヴァイスは続ける。

「たかが寝不足でも、今のお前の体調はベストとは程遠い。今は休息を優先するべきだろ?」

 そんなことは百も承知だ。大丈夫、という言葉だけが虚しく空回りしていることくらい分かっている。それでも、それに勝る思いがあるから。
 ティアナは強い視線を以て訴えた。

「あたしは一刻も早く、この身体の秘密を知りたいんです。今だっていつ追われるか分からない。なら、少しでも前に進みたいんです……!」

 事態に進展を望みたいのは本当。だが、身体の謎など二の次でよかった。今はただ、ヴァイスの足手纏いになりたくない。
何よりも彼に見捨てられるのが怖い。
 融合体になって、独りきりで震えていた自分を救ってくれた。エリオを手に掛ける寸前で止めてくれた。彼がいなければ、
エリオだけでなく殺戮を振り撒いて、XATか隊長達の誰かに殺されていた。
 感謝してもしきれない。だからこそ、これ以上迷惑は掛けられなかった。尤も、はっきりとそう言えば、彼に無理矢理にでも休ませられるだろうが。

「お願いします……ヴァイス陸曹」
「……分かったよ。それじゃ、さっさと食っちまおうぜ」

 ティアナの視線に根負けしたのか、ヴァイスは目を伏せる。まるで駄々をこねる子供を見る眼。その表情から、もう苦々しさは感じない。
 ウェイトレスの手によって目の前にサンドイッチの皿が並べられる。物を食べる気分でもないが、ぐぅと腹は鳴り、
身体は貪欲にエネルギーを求めていた。なにしろ、昨晩から何も口にしていない。
 夕食としては物足りないが、時間がないし、贅沢を言える立場にもない。窓の外が吹き飛ばないだけ、はるかにましというもの。
 今の自分は一文なし。情けなくも、何から何までヴァイスに頼りっぱなしの状況であり、ここの支払いも当然、目の前の彼。
食事にありつけるだけでありがたいと思わなければ。
 申し訳なさそうにサンドイッチを一口噛む。広がるのは何の変哲もないパンとハムの塩味。そんな、ただのサンドイッチが堪らなく美味しく、
手に持った分を口に放り込むと、手が勝手に次を求めて皿へと伸びる。
 と、次を掴む直前でティアナは手を止めた。上目遣いでヴァイスを見ると、彼は既に自分の皿を平らげ、食後のコーヒーを味わっている。
 ティアナは湧き上がる食欲に一旦ストップを掛け、

「あの、ヴァイス陸曹。あたしもずっと聞きたかったことがあります。どうして……ここまであたしにしてくれるんですか?」

 上目遣いは崩さず、遠慮がちに聞いた。
 ずっと不可解だった、何故彼が追われる危険を冒してでも、自分を傍に置いているのか。
この期に及んで元同僚でもあるまい。

その問に、ヴァイスはきょとんとした顔を見せた。何を当たり前のことを言っているのか、とでも言わんばかりに。

「ん? どうしたんだ、急に……」
「だってそうじゃないですか……。ヴァイス陸曹だけなら、ゲルトみたいに殺されずに……英雄扱いだって……」
「ありゃあゲルトの知名度があればこそだ。俺にチャンプは荷が勝ち過ぎてらぁな」

 ややおどけた調子で、握った両手を広げるヴァイス。
 バイクレースのチャンピオン『白き風』ゲルトは、巷では今や英雄とまで称えられている。彼こそが頼りにならないXATや管理局に代わり、
融合体から人々を守るヒーローであるとまで。
 一般人から、ある日突如変貌する融合体の性質上、対応は後手に回らざるを得ない。それを当てにならないと揶揄されては局も遺憾だろうが、
おかげでゲルトと接触できる可能性が高まる。おそらく管理局は彼を最大限利用するだろう。それで大衆の不安を僅かでも和らげられるのならば。

「でも……」

 メディアでしか知らないチャンプよりも、目の前のヴァイスの方がずっと尊敬できる、頼りになる。ティアナはそう伝えるべきか迷ったが、結局言えなかった。
融合体と自身に怯え、戦うこともできずに彼に追従するのみ。言ってしまえば、状況に甘んじている自分を許してしまう気がして。
 こんな自分に、まだちっぽけでもプライドが残っていたのだろうか?
 ヴァイスはもたれたソファに腕をかけながら目を細めた。口元はわずかに綻んでいる。

「それとも、お前は俺と一緒にいるのが嫌か?」
「そんなことありません!」

 ティアナはテーブルに身を乗り出す勢いで、全力で否定した。そこだけははっきりと否定しておかなければならなかった。
 ならいいだろ、とヴァイスは窓の外に目を遣る。夜景でも流れる車でもなく、その向こう、更に先へ。

「お前を見てるとな、なんか世話を焼きたくなるんだ。あいつ、ラグナみたいに……って、十二の子供と一緒にされても困るよな」
「妹さん……ですか」
「あいつ……どうなるんだろうな、これから。両親ももういねぇし……。遠縁にでも引き取られるか……それとも施設に入れられるのか……」

 ずっと愚痴一つ言わず支えてくれていたヴァイスが、いつも頼り甲斐のある大人だったヴァイスが、初めて寂しげな顔を垣間見せた。
 歯を食い縛り、苦虫を噛み潰したような一瞬の泣き顔。朝の戦闘でも、たった一人で融合体に立ち向かった彼が、唯一見せた弱さ。
 すべてが繋がった。昨日、彼に助けられた理由。彼が足手纏いを傍に置いている理由。
 それは――。

「そう……ですね。あたしは……」

"代わり"――なんですね。

 唇は動いても声が出てくれなかった。
 ヴァイスも本当は妹に会いたいのだ。抱き締めて伝えたいはず、自分は生きていると。だが、それは許されない。爆弾を抱えた身体では、
もう兄妹としての生活は望むべくもないから、だから"代わり"を選んだ。
 胸が締め付けられる。さっきまでの喜びもどこへやら。ティアナは声も出せなかった。
 こんな気持ち、気付かなければよかった。気付かなければ、束の間でも幸せな気分に浸れたのに。
靄が晴れると、目の前は崖だった。例えるならそんな気分だ。
 だが、これは何に対してのショックなのだろう。代替品扱いに対する屈辱か、それとも、彼にとっての唯一無二でないことへの落胆なのか。

どちらかは分からない。確かなことは一つだけ。

 代わりは嫌だ。

 ただ、それだけだった。
 でも、それは身勝手な我が儘。物質面、精神面どちらにおいても彼を支えるには足りないなら。ヴァイスが生きる為に代わりを必要とするなら。
せめて代わりを務めるしかないのだろうか、とも思う。それだけが、役立たずが役に立つ、たった一つの方法。
 眠気覚ましに頼んだブラックコーヒーを一気に飲み干す。強烈な苦みも、痛みを誤魔化す刺激にはならず、眠気もとうに覚めていた。
続いて水も流し込む。何杯飲んでも、どれだけ渇いた喉を潤しても、続く言葉は出てこない。
 相反する想いがぶつかり合い、せめぎ合い、心に引っ掻き傷を残す。
 疼く痛みと不安に耐えるのが精一杯だった。

「あたしは……なんなんだ?」

 波立つ心中とは反対に沈黙するティアナに、ヴァイスは続きを求めた。ティアナは葛藤を胸の奥にしまい込み、あたふたと取り繕った挙句、

「いえその……あたしは…………ずっと独りですから」
「そういや、お前も昔は兄貴と二人だったって……悪かった、湿っぽい話しちまって」

 本音を零してしまった。
 幸いヴァイスは別の意味だと受け取ったらしく、それ以降触れることはなかった。かと言って他に話題があるわけでもない。食事が終わるまで
気まずい雰囲気は続いたが、後悔はなかった。
 矜持か慕情か。この気持ちの正体がどちらにせよ、代わりは嫌だという気持ちは真実。だが、真実にどれほどの価値があるだろうか。
 誰かに縋らなければ耐えられない現実。
 そして、縋る対象はヴァイス以外にはいないという事実。
 現実は変えられないが、真実などいくらでも捻じ曲げられる。気付いてはいけなかった真実など、忘れてしまえばいい。
蓋をして、胸に沈めて、封印してしまおう。
 いつか彼に認めてもらえる時が来るまで。いつか"代わり"でなくなる日まで。


 時計が二十一時を回っても、機動六課のロングアーチは眠りに就かない。それどころか、人も機器も熱気を帯びてさえいた。
数名仮眠中の者もいるが、ロングアーチほぼ全員が残って残務に勤しんでいる。普段であれば交代要員を残し、大体が業務を終えている時間だが、
今ではこれが普段になりつつあった。
 これまでの感染者や出現場所、状況を洗い、何らかの法則性を見つけ出そうとする者。XATからの情報を元に、
現在進行形で融合体の出現情報や痕跡を追う者。様々である。
 何しろ、今朝も東部で大規模な被害があったばかり。たった一体の融合体により街の一区画が半壊。死亡者、行方不明者だけで六十名以上。
重軽傷者も含めれば百をゆうに超えている。間違いなく、これまでで最大規模の被害だった。

(でも……まだ増えるんやろうな……)

 今朝の事件の死者も、これから起こる事件の死者も。考えて、はやては眉をひそめ、唇を噛んだ。
 助けを求める人の許へ、最速で真っ先に辿り着ける部隊。機動六課設立当初の理念は、とうに形骸化している。
 数値で表される死傷者の報告に慣れ、 麻痺してくる感覚に自責の念で刺激を与えると、屈辱と苛立ちがいや増す。
疲労と睡魔を誤魔化すのに、これ以上の方法はなかった。
 昼夜を問わぬフル稼働でもまだ足りない状況下で、はやても部下を置いて帰るつもりなど毛頭ない。とはいえ、流石に疲れが出始める時間帯。
そろそろ休憩しようかと思った頃、

「お疲れ様、部隊長。少し休憩したらどう? 眉間に皺、寄ってるよ」

 振り向くと、いつの間にかフェイトが横に立っていた。彼女の持ち味である優しげな声音。顔には、慈母さながらの穏やかな微笑み。
朝から険しい顔しか見ていなかった為、自分も険のある顔になっていたらしい。
 はやてはふっと顔から力を抜くと、立ち上がった。

「フェイトちゃんもお疲れさん。そんなら少し休憩しようかな」

 五分で戻ると告げ、フェイトと一緒にロングアーチを離れる。はやては並んで歩きながら、いつもならいるはずの彼女がいないことに気付いた。

「なのはちゃんは?」
「まだ、一人で仕事中。エリオも暫くは動けないし、スバルはあれだし……キャロと隊長達でのフォーメーションを考えてる。
他にも色々と今日中にやっておきたいんだって。なんか声掛け辛くて……」

 そう、それこそが目下最大の問題。フォワードメンバー四名の内、エリオは負傷、スバルは拘束中、そしてティアナは――。

「鬼気迫る……って感じやからなぁ……。ここ最近、特に昨日今日は」
「今日はね、私もスバルにいろいろ言っちゃって……本当はなのはが一番辛いのにね……」

 フェイトは花が萎むように、しゅんと目を伏せた。
 今朝方なのはは、スバルとキャロにティアナを討てるかどうか問いかけたらしい。特にスバルには、納得いく答えが聞けなければ出動を固く禁ずると。
 事後承諾を求められた時は驚いたが、なのはがそこまで強く言うならと、仕方なく了承した。穴は自分が埋めると宣言したなのはは、
碌に休憩も取らず仕事に励み、数少ない暇は自身の訓練に費やしている。
 ティアナが入院した頃から傾向はあったのだが、昨夜からは特別苛烈になった。迷いを振り切るかのように没頭する様は、
傍から見ればほとんど自虐行為。
 フェイトともども注意も考えたものの、長年の付き合いである、なのはがそうなると聞かない性格なのは重々承知していたし、
なのはとて新人達に身を以て無理や無茶の危険を教え込んでいるのだ。実戦を前にして、無駄に体力を消耗する愚は犯さないと思いたい。
 後は彼女が無理をする局面が訪れない為に、あらゆる事態を想定しておかなければ。
 しかし、

「ティアナが無事なんかどうか……心配やね」

 これだけは予想もつかない。半ば祈る気持ちでフェイトに同意を求めると、

「え……? あ、そうだね……ヴァイス君の説得で一応正気は取り戻したらしいけど……。でも、放置しておくわけにはいかないよ。危険な存在には違いない」

 フェイトの表情が萎んだものから一変して驚きと戸惑いに、そして引き締まったものへ。
 しまった――はやては心中で呟いた。彼女にしてみれば、エリオに傷を負わせたティアナこそが危険な存在。
主観の情報と感覚で考えていたので、すっかり失念していた。
 確かに、フェイトの言うことも尤もではあるのだが。ティアナの精神状態がどうであれ、危険には変わりない。猫に噛まれて騒ぐなら危険はないが、
虎なら放置はできない。例え、怯えて襲っただけだとしても。
 そうこうしている内に休憩所に着いてしまった。今、勘ぐられては色々と面倒なことになるだろう。はやてはベンチに腰を下ろし、フェイトに合わせつつも、
さりげなく話題を変える。

「ああ、うん……そうやね。今朝の事件、ひょっとしたら関わってるかもしれへんし……」
「まさか……あれをやったのがティアナかもしれないって……?」
「ううん、ティアナやのうて……いや、やったとは思うてへんよ。せやけど、XATが到着した時には既に事は終わり、残されたのは瓦礫と死体と、
助けを求める人の悲鳴だけ……融合体は影も形もない」
「融合体が暴れたのは確か。なら、XATや私達が到着する前にそれを倒したのは誰なのか……」

 逃走したという可能性もないではないが、考えにくい。目撃者の証言を纏めると、件の融合体は突然空から光線で破壊を始めた。
 どの証言からも、その後の足取りは数分程度しか追えなかったが、破壊対象、行動原理共に完全に無差別で無作為。
破壊と殺戮に飽きて去ったにせよ、今まで何の目撃情報も得られないのは不自然。完全に理性を失っているなら潜伏はしない。

「逃げ隠れするんに夢中で直接見た言う人はおらんけど、爆発音を始めとして、戦闘があったらしき証言はある。
かといってティアナの時の例もある。隠れただけで、何らかの作戦である可能性もなきにしも非ずや。
融合体が作戦立てて動いてるって言うたんは私やし、な」
「できるとしたらゲルトと同じ、理性を持った融合体かな……」
「確認されている中ではティアナとヴァイス陸曹。後、これは可能性やけど、"ブルー"」
「サーキットで現れた、融合体を殺す融合体……」

 一週間と少し前、ゲルト・フレンツェンが下半身不随になったサーキット場に現れ、XATの包囲網の中から
忽然と姿を消した蒼い融合体――通称ブルー。
 ブルーはゲルト同様、人と融合体を自在に切り替えられるのではないか。それならば万事説明がつく。
憶測の域は出ないが、可能性は高い。

「まぁ、なのはちゃんといい、フェイトちゃんといい、あんまり気を張り過ぎて、目を曇らせんようにな。
今は何が正しいのか分からん状況や、先入観で真実を見誤る訳にはいかへん」

 それは自身に向けての訓戒でもあった。ある程度は決め打ちもやむを得ない。だが、先入観で判断すれば
再びヴァイスやティアナと同じ犠牲を出すことになる。勝手な思い込みと余裕の犠牲者を。
 すると、何故かフェイトは再び萎んでしまい、深々と溜息を吐いた。

「そっか……それでティアナの心配をしてたんだ。流石だね、はやては。それに比べて……駄目だなぁ、私」
「フェイトちゃん……どないしたん?」
「私、気付かなかった……ほんの一瞬、何ではやてはティアナを庇うんだろうって思った。ちょっと考えれば分かるのに。
ティアナが望んでエリオを傷つけるはずないって」

 ベンチに腰掛け、消沈した顔で項垂れるフェイト。両手で持った缶は強く握り潰され、フェイトの手の中で形を変えていた。
 まったく、どの娘も世話が焼ける。はやてはその隣にそっと寄り添い、優しく頭を抱いて引き寄せた。

「フェイトちゃんの気持ちは悪いことやないよ。私もヴィータやリィンやったら同じように思うてた。
でも、フェイトちゃんはティアナを忘れてなかった。自分で気付けた。なら、それでええんとちゃうかな?」
「うん、ありがと……はやて」

 腕の中でフェイトが頷いた。なのは同様、フェイトもまた彼女なりに、張り詰めたものを抱えていた。
立場上、そうそう弱さを見せられないのも同じ。
 敵の正体も、そもそも明確な敵がいるのかさえ定かでなく、誰もが身も心もすり減らし、それでも手の届かない人は死んでいく。
命は零れていってしまう。誰かの掌で踊らされている、こんな状況がいつまで続くのだろう。
 おそらく、そう長くは続かない。世界の闇で蠢いている何かは膨張し、破裂する瞬間を待っている。あくまで予感に過ぎず、
外れてくれればそれが最善。だが、言い知れぬ何かが頭に張り付いて離れないのも確かだった。
 破裂寸前に膨れ上がった現状から、いずれそう遠くない内に決定的な瞬間は訪れ、必ずや機動六課が行動を迫られる時が来る。それまでは。

「もうこれ以上、誰一人として隊員を減らす訳にはいかへんもんね」
「うん……」

それも隊長として果たすべき役割。しかし事態が終わった時、自分を含めた全員が無事に残っているとは、とても断言できなかった。
 焦燥感に駆られているのは、なにもなのはやフェイトだけではない。はやて自身、何も分からず被害ばかりが増える、
この閉塞した状況を打破する鍵を求めていた。
 突然変異なのか、はたまた何らかの法則がそこに存在するのか。おそらく、ティアナとゲルトこそが、それを証明する鍵。

(ゲルトはXATにいるからええとして、やっぱりティアナか……)

 欲を言えばXATと上手く共同歩調が取れない以上、ティアナはこちらで確保したい。彼女の口から何も聞かぬまま、
鍵を融合体として屠らせる訳にはいかない。勿論、隊長として隊員を想う気持ちも偽らざる本音。
 故に、出来るならティアナのことも、胸に秘めておけるものなら秘めておきたかった。しかし、フェイトの言う通り
放置できない危険要素であるのもまた事実。尤も、ティアナさえも人を襲う事態になれば、その時は鍵としての必要性も消えてしまうのだが。
 ゲルトとティアナが確かな例となってしまった今、こちらも伏せていたカードを開く必要がある。下手をすればXATのみならず、
同じ六課の仲間からも吊るし上げを食らいかねない。なのはやフェイトすら頼れないかもしれない。

(弱みを見せられへんのは私も同じやね……)

 はやては心の中で一人ごちた。
 たとえそうだとしても、逃げる訳にはいかなかった。
 なじられ、誹られたとしても、役を全うする。それだけを誓って。

「さ、そんならもうちょっと頑張ろうか」

 立ち上がったフェイトの顔には、すっかり力が戻っていた。
 五分程度の休憩時間を過ごし、ロングアーチに戻るフェイトとはやて。軽く伸びをして入るなり、慌てたルキノに迎えられた。

「隊長! たった今XATより緊急要請! ゲルト・フレンツェンが、収容先の医療センターから脱走。
現在、警備に当たっていた隊員と一班が追跡中ですが、六課からも応援を派遣してほしいとのことです!」
「な……まさか暴走!?」
「いえ、ゲルトの知人の隊員が、敷地内限定でバイクの搭乗を許可したそうです。
約十分前、そのバイクに乗って脱走しました。怪我人はいません」
「なにを……!」

 何をやっているのだXATは。不用心にも程がある。

「脱走されるまで警備は誰も気づかへんかったんか!? 行き先は!?」
「え……と、確認したところ、数時間前にジル・ホフマンからボイスメールが届いていました。会いたいという旨のメールです。おそらく……」
「はやて!」

 更に状況確認を求めるはやてに、背後からフェイトの声が届いた。
 そうだ、話している暇はない。ゲルトは並の融合体を上回る戦闘力。もしも暴走なら、事態は一刻を争う。

「うん、フェイト隊長! 市街地飛行許可、ジル邸の座標はすぐにデバイスに送る。超特急で出動!」

 頷き身を翻したフェイトを見送ることもなく、司令室に飛び込む。席に着くなり両手を顔の前で組み、モニターを睨みつける。
 モニターには、ゲルトの現在位置が地図上に表示されていた。
 ジル・ホフマン、ゲルトの恋人。ルキノの言うように、行き先はここでまず間違いないだろう。
 ゲルトを誘ったのが彼女の方からだったとしても、場合によってはゲルトの処遇――引いてはティアナの処分にも関わってくる。
最悪、どちらも融合体として殺してしまえ、となるかもしれない。最悪の事態を考えると、はやては胸騒ぎを抑えられなかった。



 「くそ! どこへ行きやがった!」

 ヴァイスはハンドルを殴って苛立ちを吐き出す。現在時刻は二十一時三十分。医療センターから飛び出したゲルトを発見、
追跡を始めてから三十分以上が経過していた。
 どうやって会おうかと考えていたところに、向こうから訪れた、またとないチャンス。この機を逃すまいと必死に食らい付いたものの、
ゲルトは信号も制限速度もまるで無視。何かに急き立てられるように先を急ぐ。
 大量の車が行き交う交差点を、突き抜けただけならまだしも、大型トレーラーの下さえも滑って潜り抜けるのだから堪らない。
結局、街中を離れ、郊外に出た辺りで見失ってしまった。

「うぅ……気持ち悪い……」
「悪ぃ、飛ばし過ぎたか?」

 気付けば熱くなって、後ろに乗っていたティアナのことも忘れて振り回していた。体調不良も相まって酔ったのだろう。
一度バイクを止めて、背後で青い顔をしているティアナの背中をさすった。

「ありがとうございます……」
「スペックじゃ負けてなかったと思うんだがなぁ……終盤で千切られちまった」

 負けたのは純粋に腕の差。最初からこうなることは分かりきっていたから、悔しくはなかった。『白い風』ゲルトが本気で走れば、
趣味のバイク乗り如きが背中も拝めないのは、当然と言えばあまりに当然。むしろこれまで離されなかったのが奇跡的だったのだ。

「さて、どうするか……」
「あ、あたしのことなら心配しないでください……」

 どう見ても大丈夫な顔をしていないくせに。と、相も変わらず虚勢を張る相方はさて置いて。
 見失ったものは仕方がない。行き先も分からない以上、闇雲に探しても期待は薄い。またの機会を待つべきか。
しかし、またの機会が来るのだろうか。
 などと考えていると、暗闇と静寂を切り裂いて、横をバイクが高速で通り過ぎた。一瞬だったが見間違えるはずがない。
あれは確かにXATのバイクだった。

「ティアナ、悪いがもう少し我慢できるか?」
「……はい!」

 十中八九ゲルトを追っている。XATなら離れても追跡できる上、どれだけ急いでいても付いていけるかもしれない。
ヴァイスはバイクに飛び乗り、アクセルを捻った。
 十分少々バイクを走らせ、XATの後を追う。着いた先は、広い芝生の庭付の豪邸。
 そこで繰り広げられている光景に、隠れることも忘れ、ヴァイスとティアナは立ち尽くした。

「ゲルト……なんですか……あれが」

 ティアナがわなわなと唇を震わせる。ニュース等で知っていたヴァイスでさえ、その姿には戦慄した。
 庭に面したテラスには、顔を血に染めて腰を抜かした男。同じく、その奥で怯えている女。一人佇んでいるのは、白と紫の異形。
ニュースの映像で散々見た融合体。ゲルト・フレンツェンのもう一つの姿。
 ただし、今のゲルトは完全な融合体の姿ではなく、顔と身体の半分に人を残しており、それが尚更禍々しさと異様さを引き立てていた。
人の形の脇腹からは血を流し、しかし悪魔の双眸は怪しく緑色の光を放っている。

「ゲルト、止めてくれ! どうしてあんたが……!」

 先に着いたXATの隊員が銃を向けたが、ゲルトは反応を返さず、言葉にならない呻き声を上げる。

「ウォォォォォォォォ!!」

 それは苦悩の叫びか悪魔の咆哮か。
 走り出したゲルトは、二人の隊員の制止を振り切って暗闇に消えた。続いて二人がそれを追う。

後に取り残された男と女はガタガタと震えている。バスローブとネグリジェでは夜風は寒かろうが、
当然震えの理由はそんなものではない。男の顔面、手に持ったナイフは血に染まっており、おおよその事態は窺える。
 問題はその理由だが、じきにXATの応援が二人を保護に来るだろう、いつまでもここに留まってはいられない。
ヴァイスはゲルトが去った方向へバイクを向ける。

「俺達も追うぞ、ティアナ!」

 ティアナは答えなかった。ゲルトを見た驚愕の表情で硬直し、小刻みに震えている。
 確かに刺激は強かったが、ここまで怯える程だろうか。いくら不安定になっているティアナでも尋常ではない。
 そう思っていた――ティアナの視線を追うまでは。

「おいティアナ――」
「フェイト……さん……」

 ティアナの視線の先、庭の中に舞い降りたのはライトニング1、フェイト・T・ハラオウンその人。
その目は、既にティアナを捉えていた。
 まずい――ヴァイスは直感的に思った。現在の自分達の立場、ゲルトの暴走の現場に立ち会っている事実。
そんな諸々の理由を考えるより先に、本能で危険を感じ取った。
 第一に、フェイトの目は据わっていた。ティアナを睨んだ目が細められると、張り詰めた空気が漂い、
歴戦の魔導師の重厚なプレッシャーが叩きつけられる。これが敵を前にした彼女のスタイルなのかと
思わず竦みそうになるくらいに。
 そして、敵とはティアナだ。フェイトの顔にあるのは明らかな敵意。殺意でこそないが、
攻撃的な視線はどう考えても部下に向けるそれではなかった。
 力づくでもティアナを締め上げ、洗いざらい話したらエリオの前に引き出す。それこそ手段を選ばずに。
フェイトの瞳は、そう物語っていた。

「俺が話す、お前は下がってろ」

 ティアナの腕を掴んで引き寄せ、フェイトから隠れて、その手にバイクのキーを握らせる。

「(ゆっくりバイクに手を掛けろ。俺が合図をしたらお前は逃げるんだ。振り向かずに全力でな)」

 念話で話す間もフェイトから視線は逸らさない。

「(そんな……ヴァイス陸曹一人置いて逃げるなんてできません!)」
「(お前がいると戦いにくいんだよ。それにまだ戦うと決まったわけでもない。心配すんな、
適当に時間を稼いで逃げるさ。だからさっきのあの店で待ってろ、な?)」
「(……分かりました。でも……必ず来て下さい。あたし、待ってますから……。だから絶対に……絶対に、お願いします)」

 しかし、懇願するティアナに答える時間はなかった。

「お願い、二人とも私と一緒に来て。従ってくれれば悪いようにはしない」

 フェイトも従うとは思っていないのだろう。その証に一歩一歩距離を詰めてくる。放つプレッシャーを徐々に強めながら。
どうやら会話を許すつもりはないらしい。
 確実な射程距離に入った瞬間、ヴァイスは肉声で叫んだ。

「行け!!」
「はい!!」

 ティアナがバイクに飛び乗り急発進すると同時に、ヴァイスはストームレイダーを起動。フェイトの道を遮って立つ。
瞬間、目の前のフェイトの姿がブレて消失、脇を突風が駆け抜けた。

「な……!?」

 何が起こったのか、理解が追い付くのに時間は掛からなかった。しかし、信じ難かった。まったく反応できない程の高速。
たった一瞬で、フェイトは間違いなく本気なのだと確信させられた。

全身に力を込めると、熱いものが身体を駆け巡る。特に、ストームレイダーを握る右手は奇妙に伸びたように錯覚した。
 地を蹴り身体を捻りながら、振り向き様ストームレイダーを連射。淡い緑の光線がティアナの間近に迫り、
今まさにバルディッシュを振り下ろさんとしていたフェイトの両足を撃った。

「うぁ!?」

 短い悲鳴を上げて倒れるフェイト。非殺傷設定ではあったが、飛行状態からバランスを崩して転がった。
しかし転がりながらも、器用に受け身を取って立ち上がる。
 ヴァイスは素早く回り込んでフェイトの進路を塞いだ。ティアナはその間に走り去り、バイクの音は遠ざかっていく。
 ティアナは一度も振り向かなかった。それだけが唯一の救いだった。できれば今の自分を彼女には見られたくなかったから。
 立ち上がったフェイトは、ゲルトを見たティアナ同様、目を見開いて驚愕を露わにした。
 予想していても、その反応は辛いものがある。自分がどんな姿をしているかは理解していた。
人とかけ離れた恐ろしい怪物、融合体の姿だ。
 深緑のボディの全身に、黒や茶の模様が不規則かつ斑に混在し、迷彩を施していた。その他には目立った突起等はなく、
厳めしいながらも均整の取れた外殻を持っている。闇に浮かぶ眼は蒼く鋭く、在るべき位置に二つ。そしてもう一つ、
額の小さな裂け目からギョロリと第三の眼が覗く。

「フェイトさん……見逃しちゃくれませんか?」

 同化して右腕の延長となったストームレイダーをフェイトに突きつける。対するフェイトはバルディッシュを構えて答えとした。
今度はフェイトもティアナを追おうとはしない。追えば背後から狙い撃たれると判断したのだろう。

「……そこをどいて、ヴァイス君」
「フェイトさん……すみませんが、その顔を見ちゃどけません」

 フェイトはきっと退かない。こちらも退くわけにはいかない。

「逮捕って形はティアナだけでよかったんだけど……!」

 互いに大切な者の為に。
 それ故にかつての仲間同士は対峙し、戦いの火蓋は切って落とされた。


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最終更新:2010年08月02日 00:49