「止めろ! お前に構っている暇はない! 戦う理由も!!」
「あなたの剣がオットーの血を吸った! 私の理由はそれで十分です!!」
「なにをっ……!」
「デモニアックの出現する場所に、あなたは必ず現れると思っていました。やはり、あの女狐の言うことは正しかった!」
ディードは喋りながらも、剣筋に一切の乱れはなく、勢いも衰えない。多弁となることで闘争心を自ら煽り、
饒舌になればなるほど加速した。ガルムの防御フィールドは、いとも簡単に切り裂かれ、とうに用を為さなくなっている。
ジョセフは必死にかわしながら考える。自分の存在を知り、目的を知っている、女。
この条件に当てはまるのは、知る限りで一人しかいない。
ベアトリス・グレーゼ、あの女のやりそうなことだ。美貌と甘言で懐に入り込み、毒を植え付け、
植えつけられた人間は我知らず毒を周囲に撒き散らす。躍らされていることにも気付かずに。
限りなく確信に近い疑惑だった。戦闘機人の製作者、スカリエッティとやらを抱き込んだか、ディード個人かは分からないが。
「あなたがどれだけ正しくても、私はあなたを認めない! オットーは何も悪くなかった! 悪いのは……悪いのは全部私だったのに!!」
「知ったことかぁ!」
ジョセフは正面からの打ち合いは分が悪いと、スラスターを噴射、炎を噴いて空へ昇る。
距離を取って態勢の立て直しを図ろうとした。が、真紅の双剣がそれを許さない。
加速するガルムと同速で、ディードが追い縋る。
地を駆ければ、ガルムに追いつける相手はまずいない。しかし、今は噴射で強引に空を滑空している為に機動力は激減。
小回りも利かない。
理解していても空を選んだのは、まだ避難中の市民を考慮してのことだった。逃げるにせよ、戦うにせよ、
周囲に気を配る余裕はなくなる。街中を走り回れば、巻き込む可能性が大きかった。
ディードはガルムと並行して飛びながらも、攻撃の手は止めない。袈裟斬りに襲い掛かる左の剣を受け止めれば、
右の剣が斬り込む。左右から繰り出される乱撃。加えてディードは、剣のリズムに合わせ、言葉でもジョセフを抉る。
「他人を巻き込むのが怖いなら! 最初から戦わなければいいのに! この偽善者!」
「お前はそれでいいのか! まだデモニアックは残っている! 放っておけば、また人が死ぬ! 昨日のように!」
左を弾いて、すぐさま右と切り結ぶ。弾かれ、僅かに身体を仰け反らせたディードの目が光る。
今が好機とばかりに左が振り下ろされ、身体が浅く切り裂かれた。傷口を押さえながら思う。
言葉が軽い。
彼女から放たれる斬撃、言葉、どちらと比べても反撃が軽い。どんな大義名分があろうと、
彼女の大切な存在を殺したことに変わりはない。
覚悟はとうに出来ている。恨まれようと、偽善者と呼ばれようと構わない。己のやり方を変える気もない。
たとえ誰に理解されなくても。それは彼女も同じなのだろう。だからこそ、どんな言葉を以てしても、ディードは止められない。
止めるなら、力を以てしか止まらない。
「そんなこと、私にはどうでもいい! あなたが断罪者を気取るなら、私も斬ってみなさい! 今、ここで!」
「断る! あの女に何を吹き込まれた!!」
「それこそ! あなたの知ったことではありません!!」
ジョセフ自身、自覚していた。手数で劣り、武器の威力は互角。最も大切な戦う意志で、自分は大きく劣っていると。
戦闘機人は厳密には人と呼べるのか。それは分からないし、関係ない。重要なのは、事実ではなく真実。
ジョセフには彼女が人としか思えなかった。そして、人である彼女は殺せなかった。
ディードもそれを察しているのか、攻撃は激化。防御は二の次になっている。両足を地面につけて戦えば、
まだ戦いようもあるのだが。ディードが戦いながら、互いの位置取りを操作している為、それも難しい。
着地して融合を解除する余裕を与えないのだ。
切欠が必要だった。せめて、彼女の注意を一瞬でも引ければいいのだが。
ジョセフの思いが通じたのか、サイレンが間近まで迫ってきた。無論、この程度では足りない。
これで逃げてもデモニアックの処理はXATがやってくれるだろうが、その為にはまず、ディードを引き剥がす必要がある。
ディードの思惑に乗せられる風を装い、通りの中央に踊り出る。継続して噴射できる時間は長くない、後は時間との勝負。
そして、時は来た。
見通しのいい場所で戦っていれば、必ず発見してくれる。それも、融合体より先に。戦闘中、しかも場所が空なら、
スナイパーによる狙撃は困難。ならば、XATが取る行動は一つ。
一台のアタッカーバイクから、ミサイルが放たれた。白煙をたなびかせて、目指すは融合体と戦闘機人。
五発、六発、まだだ。飛来する多数のミサイルに、ディードの顔色が変わる。それこそ、ジョセフが待ち望んだ瞬間。
広げた右手から伸びる光の鞭。気を取られているディードの左手に巻き付き、剣を絡め取った。ジョセフは、それを手元に戻さない。
右肩を大きく回し、ディードの剣ごとミサイルを薙ぎ払う。右肩に激痛が走った。
すべての撃墜はできずとも、数発斬り落とせば誘爆で落ちてくれる。いくつ弾があっても、
一点に向かってくるなら迎撃は容易。
爆煙が立ち込め、視界が塞がれる。右肩はティアナを助けた際の傷が開いたらしい。上げるだけで辛かったが、今なら逃げる隙がある。
ガルムを着地させようと煙を抜けた、その刹那――
「この程度で逃げられるとでも?」
目の前に現れたディード。右手の剣は、真っ直ぐに突き出されている。瞬間的な加速で回り込んだのだろう。
彼女もまた、チャンスを狙って切り札を温存していた。
咄嗟に、避けられないと悟る。ディードは構えているだけでも、こちらは突っ込むしか出来ない。
身体を捩り、胸を避け、なんとか左肩に狙いをずらす。直後、左肩を灼熱の痛みが襲い、
ブラスレイターの強固な身体を貫いた剣が、肩の後ろに突き出る。声にならない叫びが喉を突き上げた。
ディードは肩を抉りながら、剣を抜こうとする。ここで墜ちれば、待っているのは無防備な自分への追撃、そして死。
まだ死ねないという意志。それをはるかに凌駕する本能が身体を動かし、内なる獣を呼び覚ます。
封印していた悪魔が、憤怒の形相で理性を喰らう。
ジョセフの右目が赤く、光を放った。
おそらく、これが最後。限界まで炎を噴射し、ガルムを持ち上げる。ジョセフは右手を左肩に伸ばすが、
それは剣を抜く為ではない。抜こうとするディードの腕を掴んで、逆に引き寄せた。
「がぁあああああ!!」
それは戦士の雄叫びと言うよりも、猛り狂う獣の咆哮。
ジョセフは態勢を崩したディードの横面を、渾身の力を込めた裏拳で殴り飛ばす。
何かが砕ける音と共に、ディードの首が限界まで捻じれた。
ブラスレイターの持てる全力で殴られれば、常人なら首の骨が折れているだろう。だが、この時は手加減する余裕などなく、
追い詰められたジョセフは何もかも忘れ、ただ湧き上がる怒りに任せてディードを殴った。
この一瞬、確かにジョセフは、真にデモニアックと化していた。
ディードの身体が吹っ飛ばされ、剣が肩から抜ける。衝撃の直後、垣間見えた彼女の目は焦点を合わせていなかった。
おそらく意識が飛んでいるのだろうが、彼女は殴られた瞬間も、そして墜ちていく間も剣を手放さなかった。
ジョセフは手近なビルの屋上に転がるように着地。融合も変異も解除して、膝をつくと荒い息を吐く。地面に着地するまで、
ガルムを安定させる余裕がなかった。それほどまでに追い詰められていたのだ。
両手で頭を押さえた。両の肩よりも、頭と心臓の痛み、熱が上回っている。極限の状態で、危うく理性を放棄する寸前だった。
ディードはどうなっただろうか。死んでいてほしいという気持ちと、生きていてほしいという気持ち、相反する感情が同時に湧き起こる。
これ以上続ければ、あとは自分が死ぬか、ディードが死ぬかの二択。たとえディードを殺したとて、正気を保っていられる自信がなかった。
「ジョセフ、早く逃げた方がいいんじゃなくって?」
「ああ……」
満身創痍で立ち上がろうとするジョセフ。ガルムに手を掛けると、
「どこへ行こうというんですか? ジョセフ」
背筋が震えた。
凍てついた、刺すような声。燃え盛る炎の如き殺気。ガルムから離れ、唇を噛む。どうしても、やるしかないのか――。
振り向くと、屋上の縁にディードが舞い降りんとしていた。鼻と口に赤く、血を拭った跡。右手に同じ色の剣を携えて、彼女は笑った。
※
現場に駆けつけたヴィータが最初に見たもの。それは、空中を飛び回りながら剣戟を繰り広げる融合体と戦闘機人の姿だった。
「あれは……ブルーか!?」
ブルーは禍々しい造形のバイクに跨り、空を飛び回っている。背部にロケットでも付いているのだろう。
激しい炎を噴射させ、陽炎が揺らめいている。
他とは違う姿の融合体であり、融合体を殺す融合体、ブルー。しかし今、ブルーが戦っているのは、茶色のロングヘアーの戦闘機人。
想定外の事態に数秒間、ヴィータは固まった。
ブルーはまだしも、戦闘機人は積極的な戦い方からして、望んで仕掛けている。両者にどんな因果関係があるのか、想像もつかなかった。
戸惑うヴィータを余所に、XATのアタッカーバイクからミサイルが発射された。煙の尾を引くそれに目を見張る。追尾するミサイルは、
ブルーが掌から生やした光の鞭で撃墜。しかし、背中を向けていた戦闘機人は回避が遅れたらしく、
ブルーが止めなければ命中していた可能性が高かっただろう。
「何やってんだXATは……! 戦闘機人は極力殺さず逮捕が命令だろうが!」
言ってからすぐに、XATには関係ないのだと思い出す。ならば何故、六課に何の連絡もなく攻撃したのか。
他にも疑問は尽きなかったが、XATの問題行動も含めて、考えるのははやてに任せればいい。今はあれを止めるのが先決だ。
とりあえずヴィータは最初にXATのバイクに近付いて釘を刺す。
「六課の魔導師だ! ブルーと戦闘機人はあたしがやる。XATは逃げた融合体を追ってくれ!」
「でも……」
「戦闘機人は元々六課の管轄だろうが! それに空戦ならこっちが適任だ!」
「……了解!」
ヘルメットで顔は分からなかったが、声は女のものだった。彼女も命令で攻撃を許可されただけに
判断に迷ったのだろうが、長考するまでもなく頷く。
それでいい、ややこしい線引きは裏方がやってくれる。今は迷っている暇がないのだ。
出動していたのは確か、XATの二班。二班は腕利き揃いだと聞いていたが、噂通りらしい。
空を仰ぐと、いつの間にかブルーも戦闘機人もいない。たかが二十秒か三十秒でどこへ行ったのか、
空に上がって姿を探すと、二体はすぐに見つかった。四階建て程度のビルの屋上で、戦闘を続けている。
ただし、ブルーのバイクとの融合は解け、双剣使いの戦闘機人は剣が一本になっていた。
ブルーはかなり疲弊しているのか、遠目から見ても、形勢は明らかにブルーの不利。
どうしたものかと考えていると、
「(スターズ2、こちらロングアーチ、応答願います。ヴィータ、私や)」
「はやて、ちょうどよかった。あれはどうすんだ? あのままじゃブルーがやられる」
「(市街地での戦闘を止めるんが第一や。戦闘機人は撃退ないし無力化、ブルーも可能なら捕獲。
もしも会話できるようなら、指示に従うよう呼び掛けて)」
「会話? あれと会話出来んのか?」
「(ものは試しや。攻撃に移る判断は任せる)」
スターズ2了解、と通信を終えたヴィータは二体に向き直る。時間はあまりないが、戦闘の状況から割って入るタイミングを探る。
戦闘機人は防御を捨て、攻撃のみに専心。反対にブルーは戦う気があるのかないのか、消極的で防戦一方だった。
あれなら遠からず決着がつく。となれば、
「まずは戦闘機人から動きを止めるか……!」
グラーフアイゼンを構えて、赤く発光する三発の砲丸を浮かべる。シュワルベフリーゲン――まずは、これで牽制する。
ハンマーを大きく振り被り、まさに撃ち出そうとした瞬間、
「ディードの邪魔はさせないッス!」
側面からピンクのエネルギー弾が飛来した。ヴィータは飛び退りながら、確認するより先に、一発を声に向けて撃つ。
赤い魔力を帯びた鉄球が、爆発音を立てて直撃。それでも構えは解かず、気も緩めない。爆発音に紛れて微かに聞こえた鈍い音、
爆煙が晴れると、そこにはボードに乗った赤髪の戦闘機人。彼女の乗っているボードは、盾と砲と高速移動手段を兼ねた武器だ。
「ちぃ! もう一体いやがったのか!!」
「あんたには、あたしと遊んでもらう! IS発動、エリアルレイヴ!」
赤髪の戦闘機人は、ボードの周囲に魔法陣状のテンプレートを展開。その色は、エネルギー弾と同色のピンク。
掛け声に合わせて、ボードが加速した。
遊んでもらうという言葉通りに、戦闘機人はトリッキーで遊んでいるような軌道を取った。
周囲を旋回しながら、ちょくちょく軽い射撃を寄越してくる。いずれもバリアで問題なく防御できる程度だが、
たまに強力な射撃を織り交ぜてくるのが厄介。その都度、強力な砲弾をセレクトしているのだろうが、見た目での判別はつき辛い。
そのくせ、こちらが追おうとすれば逃げ、無視してもう一体――ディードとブルーに向かおうとすれば、
強力な射撃と弾幕が行く手を阻む。自分の最も嫌いな部類に入る戦法。イライラすること、この上ない戦い方だった。
「てめぇら戦闘機人が何で融合体と戦ってやがる!」
「あんた達には関係ない話ッスよ!!」
「仕事がやりにくくなるんだよ!」
駄目だ、話にならない。この戦闘機人の目的は時間稼ぎ。ディードとブルーの一騎打ちに、
他人を交えたくないのは確かなのだろう。尤も、理由など知ったことではないが。
エネルギーを節約しているのか、やがて赤髪は牽制染みた攻撃しかしてこなくなった。機動力では相手が上、
逃げに専念されるとやり辛いが、方法はないではない。逃げに回っていても、こちらが決定的な隙を見せれば、
まだ乗ってくるはず。
ヴィータはこれ見よがしに砲丸を四発、宙に浮かべる。一度に撃てる数は四発、往復で八発。止まって行えば、
かなりの隙を晒す。そして、ヴィータは足を止めてアイゼンを振り被った。
赤髪は、案の定チャージを始める。前衛のいない一対一では、溜めが必要な強力な砲撃は行えないだろうが、
敵が動きを止めれば話は別。そう読んだのだろう、赤毛の動きが鈍る。だが、それはヴィータも同じだった。
敵はフリーゲンが誘導弾と知っている。逃げ回る相手を捕まえる為に足を止めたと思っているかもしれない。
十分に魔力を込めた砲丸を四発。ヴィータが叩き出した直後、目の前から巨大なエネルギーの奔流が放たれた。
四発の砲丸はすべてが砲撃にぶつかっていくが、盾としての役目は果たせず砕け散る。
太い光の束がヴィータを呑み込むのと、追加の四発を射出したヴィータが、
打ち出した勢いもそのままに前に飛び出したのは、ほぼ同時だった。
「アイゼン!!」
『ラケーテンフォルム』
グラーフアイゼンの柄が伸び、魔力を噴射。独楽のように回転しつつ、加速を開始する。
四発の砲丸とヴィータ、砲撃が衝突。爆発が起こり、爆煙が立ち込め、視界を奪う。
八発のフリーゲンは最初から囮と、精々が砲撃の威力を和らげる役目しか持っていなかった。
「ラケーテンハンマァァァァァァ!!」
煙を突き抜け、鋭く回転しながら迫るヴィータ。本命は自分と敵を直線で結び、最短距離を持てる最速で突っ切るラケーテンハンマー。
戦闘機人が回避行動を取るが、間に合うはずもない。遠心力を加えたハンマーが横腹を打ち、彼女はボードもろとも回転しながら落下、
地面に叩き伏せられた。ピクリとも動かないが、あの程度で死んではいないだろう。
騎士服はあちこちが焦げ、全身が痛い。尤も動くのに支障はなく、ダメージも予測の範疇ではあったが。
意表を突いて正面突破で急接近、一撃で落とす。強引だが、早々に終わらせる戦法が他に思いつかなかった。
「ったく、鉄槌の騎士を舐めんじゃねぇぞ……!」
グラーフアイゼンと一体になった自分の打撃が、砲撃とはいえ簡単に押し負けるわけがない。ましてや、
こちとら一対一でも惜しみなく強力な砲撃を撃ってくる相手と、何度も何度も戦っているのだ、耐性は付いている。
数秒待っても、赤髪は起き上がる様子はない。さて、これで邪魔は入らなくなった。改めてブルーを探すと、二体は未だ戦いを続けていた。
しかし、それもじきに決着がつく。端に追い込まれたブルーの剣をディードが弾き飛ばし、飛ばされた剣は、落ちて地面に突き立った。
「やばい! ブルーが!!」
跪くブルーに、ディードは躊躇せず剣を振り上げる。ヴィータには、ブルーに人の姿が重なって見えた気がした。
抵抗する術はまだ残っている。野性を解放し、死に物狂いで足掻けば、まだディードを殺して生きる糸口もあるのに。
それを忌避しているかのように、彼の立ち振る舞いは人間以上に人間らしかった。
ヴィータは愕然とした。まさか、融合体が観念して死を受け入れるとでもいうのか? それじゃ、まるで人間じゃないか。
どんな疑問を抱こうと、時間を掛け過ぎたと悔やもうと、もう遅い。
ブルーは死ぬ。
ヴィータの位置からでは、どう足掻いても間に合わなかった。
瞬間、この時戦闘を見ていた全員が目にしただろう。遠目からでも分かる、天を貫く一条の光を。
薄緑の光線が地面から空へ向かって一直線に伸び、ディードの手を撃ち抜く。
剣は弾かれ、ビルから落下。ブルーの剣の横に突き立った。
ディードは手を押さえて苦悶しているが、その手は吹き飛ぶことなく残っている。
非殺傷設定――魔力射撃に間違いなかった。
ヴィータは光の放たれた方を見た。そこにいたのは、一体の融合体。
ブルー達のビルから見て、対角線上の建物の陰に半身を隠し、ライフルを構えていた融合体に、ヴィータは叫んだ。
「ヴァイス!!」
迷彩柄の身体に、輝く三つ目。フェイトの持ち帰った映像で確認した、ヴァイス・グランセニックの融合体としての姿。
構えているライフルは彼のデバイス、ストームレイダー。
ヴァイスも感付いたのか、すぐに身を隠した。
逃がすわけにはいかない、彼には聞きたいことが山ほどあるのだから。追おうとするヴィータの注意は、完全にヴァイスに向かう。
その為、背後からの音、光、何より気配に気付けない。
ピンクの光は無防備な背中に吸い込まれ、そこで爆ぜた。
「うぁああ!? てめぇ……まだ……!」
背中を襲う衝撃、熱を伴う痛みに身体を丸める。振り向くと、気絶していたはずの赤髪の戦闘機人が、
叩きつけられた建物を背にボードを構えていた。
しまった――そう思いながらも、痛みで硬直する身体はどうにもできない。
その間に、ブルーがバイクと融合して真っ先に離脱。赤髪はどこに力が残っていたのか、剣を拾い、ブルーを追おうと暴れるディードを捕まえて、
逆方向に逃げた。ヴァイスもいつの間にかいなくなっている。
ヴィータは飛び出そうとして躊躇した。自分は誰を追うべきなのだろう。かつての仲間であるヴァイスか、
傷つき捕獲も容易なブルーか。それとも、同じく傷ついており、スカリエッティの情報を握る二体の戦闘機人か。
指示を仰いでいる時間はない。感情に従い、ヴァイスがいた辺りに飛ぼうとするヴィータだったが、強い語気がそれを遮った。
「(待ちぃ、ヴィータ! XATが逃げた融合体をそっちに追い込んでる。今はXATの援護が先や!)」
はやてから入った通信は、追跡対象を指示するものではなく、どの対象の追跡も許さないものだった。
「ああ、分かってる……!」
了解と答えながらも、ヴィータは歯噛みする。これでは昨日のフェイトと一緒だ。
急ごしらえだが、封鎖は行われている。ブルーや戦闘機人はともかく、ヴァイスは引っ掛かるかもしれないが、
そうなった場合、戦いになるかXATに捕縛されるか。どう転んでもはやての、自分達の望む形にはならない。
募る悔しさと、ままならない苛立ちを融合体にぶつけるべく、ヴィータは残った融合体の掃討に向かった。
※
クラナガンといえども、夜になれば人通りは激減する。取り分け、最近の世情を考えれば当然のことと言えた。
静まり返った夜の街で、ジョセフは一人、未だ冷めやらぬ戦いの興奮を冷ましていた。両肩の痛みは和らいだものの、
完治には暫く掛かるだろう。
あの場から逃げる際、ヴァイスにティアナを託していかなければと、今にも倒れそうな身体を推してガルムを走らせた。
射撃の向きと気配から、見つけるのは簡単だった。驚いたのは、彼の傍らに既にティアナがいたことだ。あの射撃を見て、
彼女もすぐに走り出したらしい。
「やっぱり、あんただったか。世話んなったな、こいつのこと」
そう言って笑うヴァイスは、あの日別れた時と同じ笑顔。ティアナはヴァイスと再会して気持ちが昂っているのか、
泣きながらただ頭を下げていた。そんな二人の姿は微笑ましく、やはり少しだけ羨ましく、ジョセフも笑った。
「しっかりと面倒を見ておけ」
「俺の分とこいつの分、借りが二つになっちまったな」
「気にするな、十分過ぎるほど返してもらった」
交わした言葉はそれだけだった。互いに追われる身、悠長に話している時間はなく、これ以上の言葉も必要なかった。
それからティアナを乗せたヴァイスと別れ、今は何をするでもなく、空を仰いでいる。
手元には彫りかけの聖母子像。彫っていると心が安らぐ、それはティアナにとってのヴァイスと同じ、ジョセフの心の拠り所であった。
ジョセフが木彫りの像を握り締め星を眺めていると、不意に横から声がした。
「あの……ちょっとよろしいですか?」
振り向くと、栗色の髪を横で束ねたサイドポニーの女性が歩いてきていた。年は若く、ティアナと同じか少し上。
管理局の制服だが、パトロールや職務質問には見えない。
「突然で申し訳ありません。オレンジの髪を頭の両側で括ってる女の子って見ませんでしたか?
私より少し年下で……こんな顔なんですけど」
彼女が携帯端末から宙に浮かべた写真は、ジョセフも知っている、少女の顔。すぐに察しはついた、ティアナの同僚か友人。
不安げに胸に手をやり、本気でティアナを心配しているのが窺えるが、ティアナは居場所を知られては困るだろう。
どうしたものかと考え、
「オレンジの髪……」
「知ってるんですか!?」
「ああ……東からここへ来る途中に、ほんの少し話しただけだが。今どこにいるかは知らない。すまないが、ミッドの地理には明るくないんだ」
曖昧に答えた。嘘は教えに反するが、言葉が足りないのは嘘ではない。
そこで話を打ち切ってもよかったのだが、平静を装う彼女が垣間見せた落胆が、ジョセフに続きを語らせた。
「ただ……二日前の夜にも同じことを聞かれた」
「そう……ですか。多分……それも私の知り合いです。彼女、何て言ってましたか?」
二日前の雨の夜、濡れながら、泣きながら、友達を探していると言った少女。きっと、ずぶ濡れになるまで街を必死になって駆け回っていたのだろう。
その涙が印象に強く残っており、一言一句まで覚えていた。
「パジャマ姿で裸足の友達。今は会わせる顔がないが、どうしても話したい。放っておけない、と……」
「青い髪の娘ですよね。まったく、自分もずぶ濡れのくせに……」
そう言った彼女は、どこか寂しげな微笑みを浮かべる。悲しみを誤魔化すような儚い微笑みに、ジョセフもつい訊ねる。
「友人なのか?」
彼女は、んー、と口に手を当てて考える。やがて苦笑し、遠い目をした。
その目はジョセフを通り越して更に先、空の星に視線を彷徨わせ、彼方に想いを馳せている。
「友人……ではないですね。でも、なんでしょう……部下、同僚、教え子、仲間――不思議ですね、どれも正しいはずなのに、
言葉にするとあやふやになってしまう……でも、私にはどっちも大事な娘なんです」
ヴァイス、ティアナ、そしてザーギン。自分にとってどんな存在か、問われても明確な答えは出せない。人と人の関係なんて、
名前がある方が稀かもしれない。ふと、そんなことを思った。
「そんなものかもしれないな……」
「え? 今、何か?」
「いや、なんでもない……」
彼女は怪訝な顔で首を傾げたが、ジョセフが話す気がないと知ると諦めたのか、軽くお辞儀をした。
「ご協力ありがとうございました。ここらは大丈夫ですけど、最近は物騒ですので、夜の外出は控えた方がいいですよ。では……」
彼女の姿が完全に見えなくなると、傍に立てていたガルムにエレアが映る。ずっと出る機会を待っていたのか、
彼女は剣幕と言っていいほど一気に喋り出した。
「皮肉ね。あなたがどれほど人の為に命を懸けたとしても、人は認めない。いつ、誰があなたに感謝したの?
あなたがデモニアックというだけで、XATや魔導師は狙ってくる。あまつさえ、あなたが名前も知らない誰かの為に殺した
デモニアックの逆恨みで、あの戦闘機人はあなたを殺そうとしている。空しくならない?」
ヴァイスの再会したティアナを見た時、間違っていなかったと思えた。
反面、ディードの顔が今もチラついているのだ。姉妹を殺され、復讐に燃える少女。彼女は、自分がティアナを助けたと知ったら、
どう思うだろうか。どんな顔をするだろうか。
助けたティアナと助けなかったオットー。程度の差はあれ、自分が命を選別したことに違いはない。
助けるか否かの線を、勝手な基準で引いたことも。
「あなた、昨日今日で何回死に掛けたの? らしくないわね、余計なことにまで首を突っ込んで。あの戦闘機人は必ず、
またあなたを狙うわ。彼女を殺さないと、あなたは生き残れないわよ」
らしくないのは自覚している。あの時、ディードを殺せと叫ぶ本能を必死で抑え込んでいた。ヴァイスの助けがなければ、
間違いなく死んでいただろう。
しかし、人を殺した自分は、果たして人でいられるのだろうか?
デモニアックといえど、元は人。その意味で、自分は既に教えに背いているかもしれない。
だが、たとえ御許へ行けず、地獄の業火に焼かれようと、踏み越えてはいけない一線がある。そんな風に思えてならなかった。
「ジョセフ、あなた迷っているわ。惑っては駄目。揺らいでは戦えない。戦えないあなたは美しくなくてよ」
「迷っているつもりはない」
それは半分嘘で、半分は本当。今の今まで、先ほどの女性と、そしてエレアと話すまでは確かに迷っていた。
目的を果たすまで、死ぬわけにはいかない。しかしどの道、心まで堕ちてしまえば目的は果たせないのだ。
ならば、最後まで人の振りをして生きたい。
故にディードは殺さない。何度、彼女が襲ってこようとも。それが、たった今、ジョセフが出した答え。
「俺達ブラスレイターに、揺らいでいる暇はないんだからな」
「あの二人を羨んで、自分の生き方に迷いを覚えたように見えたわ」
羨んでいる?
無論、それはある。だからこそ、ザーギンの目指す世界は認められない。人の中で人として生きていくことを望んでも、
彼の創る世界に人はいないのだから。彼が疫病と獣により人々を死へと追いやり、黙示録の預言を成就させた後の世界には。
「いや、あんな奴らがいるからこそ、俺は戦える。それに、俺にはお前がいる」
「……美しくないジョークね。あなた、センスないんじゃなくて?」
当然、彼女が考えているような意味ではなく、彼女の冷徹で合理的な思考に助けられているという意味なのだが、まあいい。
時に言葉を以てしても、考えは伝わらないものだ。逆に言えば、想いを伝える為に、言葉は不要な時もあるのだろう。
ジョセフは呟く。エレアにではなく、自分自身に言い聞かせるように。
「あの二人が今後どう生きようと、俺にできることはいくつもない。俺はただ……信じたいだけだ」
そう、信じたいだけなのだ。あの二人が自分達の、ブラスレイターの希望になってくれるかもしれないと。
独りでは耐えられなくとも、二人なら。
自ら孤独を選び捨てたものを、戦いと追跡の旅路を行く自分が決して果たせないものを、あの二人なら。
他者と触れ合うことも愛し合うこともできない、この呪われた身体でも、もしかしたら。
失った、人並の幸福を望めるかもしれないと。
最終更新:2010年08月06日 00:11