「あら、ヴァッシュさん。何かやけにお疲れのようだけど」
「いやぁ、ちょっとハードな生活が続いておりまして……」
それはヴァッシュと守護騎士達との運命の邂逅から数日後の事であった。
この日、人間台風ことヴァッシュ・ザ・スタンピードは闇の書事件臨時本部へと足を運んでいた。
リビングの中央に置かれた椅子に座しながら、机の上に顔を突っ伏せるヴァッシュ。
傍目には何の変哲もないマンションの一室でありながら、その室内はオーバーテクノロジーに占領されている。
だがそんなオーバーテクノロジーの数々も今のヴァッシュからすれば見慣れたもの。
彼の世界の科学技術すら超越する機器の数々を前にして、ヴァッシュは休息に勤しんでいた。
ヴァッシュのその表情にありありと浮かぶは濃密な疲労の色。傍目からでも分かる程の疲労感がその顔から見て取れる。
「疲れてる時には甘い物よ。一杯どう?」
そんなヴァッシュに優しげな言葉を掛けるはリンディ・ハラオウン。
苦笑を浮かべながらリンディは湯呑みに注がれた薄緑色の緑茶だった物を、ヴァッシュへと差し出す。
確かにその液体は甘いだろうが……疲労の回復は到底望めそうにない。寧ろ最後のトドメを刺してくれそうだ。
ヴァッシュもその液体の危険性を察知したのだろうか、俊敏な動作で机から顔を上げると思い切り首を横に振った。
「い、いや、それは遠慮しておくよ」
「あらそう? これさえ飲めば、疲れなんて吹き飛んじゃうのに」
意識も一緒に吹き飛びそうだけどね! と突っ込みそうになるヴァッシュであったが、その言葉は何とか呑み込む。
突っ込みを引きつった笑みへと変化させ、ヴァッシュは話題を変えようと口を開けた。
「で? 今日は何の用だい?」
「いえ、少しね。先日の戦闘について情報が欲しいのよ」
そう返事を返したリンディからは、それまでの何処か抜けた雰囲気は拭い去られていた。
優しげな笑みはそのままに、だがその瞳は真剣な色に染まっていた。
そのリンディの表情と返答に、ヴァッシュの表情もまた真剣みを取り戻す。
「先日の戦闘、ね……」
「ええ。あの戦いでは本当に助けられたわ。取り逃がしたとはいえ守護騎士の一人を撃墜してくれたし、アンノウンからクロノを救ってくれた……改めて御礼を言わせて貰います。本当にありがとう」
「いえいえ、それ程でもないッスよ~。仲間なんだから助け合わないとね」
座したまま頭を下げるリンディに、ヴァッシュは小っ恥ずかしそうに手を振り、謙遜の笑顔で応えた。
だが、その笑顔とは裏腹にヴァッシュの心中は穏やかではない。
世界を救う為に、強固な決意を有するシグナムを止める為に放った苦渋の弾丸。
これが最後の銃撃―――そう思って自分は引き金を引いた筈だった。
血と争乱にまみれた一世紀半にも及ぶ人生。その締め括りとなる筈だった弾丸。
それは苦悩の末に放たれた決断の弾丸だった。
なのに、だというのに、全てをぶち壊す最悪の形で―――あの男が、ナイブズが現れた。
「それで少し聞きたいんだけど……ヴァッシュさんはあの金髪の男の事を知っているの?」
その質問が成される事を、ヴァッシュは半ば予想していた。
先日の戦闘で唐突に出現したナイブズ。管理局側からすればイレギュラーでしか無いであろう存在。
そして、自分はその謎の男と口論を交わしていたのだ。
リンディから見れば、自分はナイブズに関する唯一の情報源なのだろう。
管理局側の指揮官であるリンディならば、この質疑は当然の義務だ。
「……それは……」
だが、とヴァッシュは躊躇いを覚えずにはいられなかった。
このままナイブズの事を語ってしまって良いのか。語ってしまえばもう後戻りは出来ない。
自分とナイブズとの因縁に何ら関係ないリンディ達をも巻き込む事となる。
痕跡もなく数十人もの人間を何処かへ消し去る力、クロノを撃墜した謎の斬撃……奴の力は未だ底が知れない。
危険な、余りに危険な選択だ。
「俺の口から……奴に関する事は教えられない」
そしてヴァッシュの口から零れ落ちたのは何ら意味を持たない解答。
結局、ヴァッシュはナイブズに関する情報をリンディに告げる事が出来なかった。
怖かったのだ。自分の発言一つで仲間達がナイブズの標的と成りうる事が、怖い。
こんな自分の為に涙を流して怒ってくれたなのはが、ナイブズの標的と成りうる事が、怖い。
「……ヴァッシュさん、今は一刻を争う事態なんです。どんな些細な事でも良いから……」
「駄目だ、それだけは出来ない。奴と俺の因縁に君達を巻き込む事だけは、出来ない」
頑として拒否の意志を見せるヴァッシュに、リンディは大きな溜め息を吐き出す。
髪を掻き上げ、湯呑みから緑茶だった物体を一口啜った。
「あの男が危険だという事は私にも分かるわ。だから……だからこそ、情報が欲しいのよ。ほんの少しでも良いから、勝利への確率を上げたいの。
そうでなくては、前線に立つなのはさん達が危険に晒されるわ」
リンディの言う事はヴァッシュにも理解できた。だが、それでも首を縦には振れない。
ナイブズの残虐性を知るヴァッシュには、どうしてもその情報を教える事が出来なかった。
「大丈夫だよ。奴は、僕が抑える」
口から出たのは誤魔化しにも似た、どっちつかずの言葉であった。
その解答にリンディは眉を顰めてヴァッシュを見る。
「そんな答えで私が納得するとでも?」
「いや、その顔を見る限りじゃあ納得してるって感じじゃないね」
「当たり前です。あの男は能力も実力も未知数。幾らなんでもヴァッシュさん一人に押し付ける事は出来ないわ」
迷いの一つも見せずそう言い切ったリンディに、ヴァッシュは心の中で溜め息を吐く。
人間という種が生み出す意志の強さは誰よりも良くヴァッシュが知っている。
それが善であれ悪であれ、一度決めた事は最後まで貫き通す。
大半の人間は自身の決意など容易く捻じ曲げてしまうものだが、ほんの一握りの人間はそれとは真逆に自身の決意を決して諦めようとしない。
決意を諦め易い人間と決して諦めない人間。その二つの人種が絶妙な均衡を保ち成り立たせているのが社会というもの。
そして眼前に座る女性を含め管理局に属する人間の殆どが諦めを知らない人間だ。
「心配しなくて良い。僕の身体は人より丈夫に出来てるから」
だからヴァッシュは会話を早々に切り上げ、席を立った。
話はまだ終わっていない、と声を張り上げるリンディへと背中越しにヒラヒラと手を振り、その場から退散する。
結局の決断を下す事も出来ずに、ヴァッシュはリンディの前から逃げ出したのだ。
確固たる決意の奥底に迷いの篝火をくすぶらせながら、最良の未来を夢見て、ヴァッシュは逃亡する。
その最良の未来と最悪の未来とが殆ど紙一重の位置に存在すると気付いていながらも、ヴァッシュは最良を求め続けていた。
□ ■ □ ■
そうしての逃亡劇から数分後、高町家への帰路の途中でヴァッシュは底抜けの青に染まった空を見上げながら、深く長く息を吐いていた。
身体が重りを背負っているかのように重い。
明け方はいつも通りのトレーニング、朝から夕方は翠屋でのアルバイト、夜は夜で殆ど無理矢理に参加させてもらっている蒐集活動……とてもじゃないが、身体の休まる暇がない。
というか蒐集活動が群を抜いてハードなのだ。それこそ、化け物ばりのタフネスを持つヴァッシュが悲鳴を上げるほどに。
それ程までに強いのだ、守護騎士達の主を想う気持ちが。
その想いの強さを、ヴァッシュは文字通り身を持って知っていた。
(主の為に負ける訳にはいかない、か……)
ふと脳裏に思い浮かぶは、前回の戦闘時に烈火の騎士が吐き出した執念の言葉。
四肢を撃ち貫かれ、最早戦闘の叶わない身体でありながらも、彼女は決して動きを止めようとしなかった。
芋虫のように這い蹲りながら、手離してしまった自身の得物へと近付いていった。
まさに、執念。 自分の身体よりも、自身の命よりも、烈火の騎士は主を優先したのだ。主・八神はやてを。
(命を賭けてでも、全てを敵に回してでも、救いたい人)
守護騎士達の想いを考える程、人間台風の決意はより堅牢なものへと変化していく。
彼にも居るからだ。命を賭けてでも守りたい世界が、命を賭けてでも守りたい人々が。
(ナイブズの力は異常だ。そしてナイブズは俺も知り得ない、俺の身体の秘密を知っている)
自分達がこちらの世界へと来る切っ掛けとなった、ジュネオラロックでの出来事。
奴に銃口を向けた事まではハッキリと覚えている。だが、奴の手がこちらに伸びてきたその直後から、唐突に記憶はあやふやなものになってしまう。
ただ明確に覚えているのは、世界を包み込む白色の極光。
そして、気付けば自分はこの世界に居た。
あの時、あの場所で何が起きたのか。
直前まで共にいた保険屋さん達や牧師さん、あの超異能殺人力集団は無事なのか。
考えれば考える程心配ごとは尽きず、ナイブズへの畏怖の念も大きくなる。
だが、それでも、
(止めなくちゃな―――絶対に)
実の兄弟である男が、強大な悪意と共に掲げた滅びへの道。
闇の書を利用しての人類駆逐。
あの男はこの世界でも変わらない。変わらぬ悪意で、変わらぬ信念を貫き通し、自身の道を突き進む。
なら、自分だって変わらぬ道を行く。人と人との間を歩き、人と人を繋げていき、そして奴の野望を阻止する。
ただ、それだけだ。
力の差も、自分の身体に秘められた『何か』も関係ない。
絶対に止める。全てを賭けて、守り抜いてみせる。
見れば西の空が鮮やかな朱色に染まり、世界を照らし続ける太陽が地平の彼方に落ち掛けていた。
真紅に染め上げられる世界を見詰めながら、ヴァッシュは高町家へと辿り着く。
見ず知らずのヴァッシュを快く受け入れ、そして平穏を与えてくれた、本当に優しい人々が集う暖かい家族。
守りたい、守ってみせる、絶対に失いたくない人達。
門を潜り抜け、玄関へと足を運ぶも其処は無人。家主とその妻はまだ働き先で汗を流している。
代わりに置いてあるは、二組の小さな靴。そのどちらとも、ヴァッシュは見覚えがあった。
(なのはと……フェイトも来てるのかな?)
その片一方、茶色の革靴は家主の娘である高町なのはの物。
その横に並ぶように置かれた黒色の靴は、おそらくはなのはの親友である少女・フェイトの物。
フェイトが退院の許可を得たのはつい先日。主治医の話によると、前回の戦闘で負傷したリンカーコアも殆ど回復したとの事。
同時期に入院したクロノはもう少しばかりの休養が必要らしいが、フェイトに関しては戦闘行為も可能だと告げていた。
そして再びこの世界へやってきたフェイトは、本日から今まで通りの学校生活を再開。
晴れて戦線への復帰を果たしたのだ。
(う~ん、退院祝いでもやってるのかな?)
よくよく考えてみればヴァッシュは、フェイトが負傷した前回の戦闘から一度も彼女と会っていない。
ナイブズと守護騎士との邂逅やら蒐集活動への逆強制参加やらで忙しく、入院中のフェイトを訪ねる事が出来なかったのだ。
今朝の登校時、なのはを訪ねてきた際にようやく顔を合わせる事が出来たのだが、一言ワビを入れるだけで終わってしまった。
やはり一度しっかりと謝っておいた方が良いか、と考えたヴァッシュはブーツを脱ぎ、階段を登っていく。
目指すは二人がいるであろうなのはの部屋。
部屋の前に着くと、二三回ほどのノックの後にドアノブを回す。
「や、いらっしゃいフェイト。入院中は悪かったね、お見舞いに行けなくて……ってアラ? 誰もいない」
ドアの先は静寂に包まれた無人の部屋。フェイトは愚か、なのはの姿すら無い。
玄関には確かに二人の靴が置いてあり、一階には人の気配はなかった。リビングにてテレビゲームやらで遊んでいるという訳でもない筈だ。
首を傾げながらヴァッシュはなのはの部屋を後にし、今度は自分の部屋へと足を運ぶ。
元は物置に使用していたものを高町家の面々が整頓し、ヴァッシュの部屋として用意したものだ。
部屋は狭く陽当たりも良いとは言えないが、ヴァッシュはその部屋を非常に気に入っていた。
ガチャリという音と共に扉を開け、お気に入りの部屋へと帰還を果たすヴァッシュ。
そして、帰還と同時にヴァッシュは動作を止めていた。
扉を開けると同時に飛び込んできたその光景に驚愕し、思わず動きを止めてしまっていたのだ。
「あ、あの、一体なにをなさっているのでしょうか、お二人さん?」
スチール製のベッドと小さな戸棚のみが置かれた簡素な部屋に、なのはとフェイトの二人はいた。いや、二人がいる事は別段大した問題ではない。
何がヴァッシュを驚愕に至らせているかというと、それは二人が取っている行動。
二人が取っているその行動とは―――
(ど、土下座だ―――ッ!?)
土下座。
それは敗北のベスト・オブ・ベスト。
遠い島国で生まれた謝罪の最終進化系。
そのジャパン古来から受け継がれた伝家の宝刀を、何故か二人は現在進行形で行っていた。
(え、え、何これ、どうなってんの!?)
何がどうなってこんな事態になっているのか、皆目見当もつかないヴァッシュは、アタフタと二人を見ている事しか出来ない。
そんなヴァッシュへと頭を下げたまま、なのはが口を開く。
「お願いします! 私達に修行をつけて下さい!」
次いで、は? とヴァッシュの口が開かれる。
全く以て何を言っているのか分からない。
しゅぎょう? syu-gyou? 修行? 俺が? 誰に? なのは達に?
いやいや訳が分からない。
っていうか、空飛んじゃったり、ビーム撃ったり、光る鎌出しちゃったり、自分よりあなた達の方がずっと凄い力持っていると思うんですが。
何これ、新パターンの葉っぱ掛け?
私達に師事できる位には頑張れよこの野郎とか、暗に言われちゃってるのコレ?
「お願いします! 私達……もっと強くなりたいんです!」
その言葉と共になのはとフェイトは勢い良く顔を上げ、ヴァッシュを見詰める。
なのは達の瞳は真剣そのもの。自虐的な考えが脳裏を埋め尽くしていたヴァッシュであるが、その瞳を見れば流石に二人の真意も分かる。
二人は本気だ。本気で自分に師事を頼もうとしている……何故かは分からないが。
(マ、マジですか?)
その真剣な瞳を一心に集めるヴァッシュは、余りに唐突すぎる事態に言葉を発する事すら忘れ、呆然と立ち尽くしていた。
―――そして、これは高町なのは、フェイト・ハラオウンの両名にとって大きな転回期となる出来事。
―――天才魔導師達が更なる高みへと至る為の、大いなる一歩目となるのであった。
最終更新:2010年05月14日 19:52