「困りますねぇ……勝手なことをされては」

レイはキックホッパーの姿が消えた木々の間で、呆れたように口を開く。
カテナの名を持つ鎖で雁字搦めにされた両腕には、それぞれ左右にレプトーフィスワームとサブストワームの首が握られ、その巨体を締め上げている。
彼の足下には、サブストワームの得物である二本のブーメランが、持ち主の体躯ほどの大きさを持つ刃を妖しく煌めかせていた。
それはブーメランブレードの名を持ち、ジェイル・スカリエッティが生み出した武装の一つであることをレイは知っていたが、彼にとって関心を向けるほどの物でもなかった。
今にも頭部と胴体が分離せんとばかりの握力に襲われている二匹の異形は、必死に藻掻くものの微動だにしない。
彼は目の前に立つワーム達がクロックアップをしようとした瞬間、素早くその懐に飛び込んで高速移動を阻止したのだ。
仮面の下で嘲笑うような表情を浮かべながらレイは、両手に握る敵をつまらなそうに地面に投げ捨てる。
放り投げられた成虫体達は宙を舞うと、重力に引きつけられるように地面へと叩きつけられていった。
レプトーフィスワームとサブストワームは大地に激突すると、ボールがバウンドするかのように全身が転がっていく。
怪人の回転が止まるのと同時に、レイはベルトの脇から鍵の模様が描かれた灰色のフエッスルを取り出す。
目前で倒れているワーム達にも見えるように笛を裏返すと、それをレイキバットの口へと差し込んだ。

「ウェイク・アップ!」

フエッスルを口内に挟んだレイキバットは叫び、深紅の光を放つ両眼はその輝きを増していく。
その直後、口に銜えたフエッスルが消滅するのと同時にレイの両腕に巻かれたカテナが、高速の勢いで弾けていく。
内部に搭載された全てのシステムが起動し、腰から全身を目掛けて力がレイの体内に駆け巡る。
それに伴うかのように、レイキバットの口から笛の音色が流れていく。漆黒の闇に広がるハーモニーはとても優雅で、それでいて吹雪のようにとても冷たかった。
爆弾を使ったかのように吹き飛んだ鎖の下からは、青く彩られた手甲が姿を現し、両腕より金色に鋭く発光する巨大な三本の爪がせり上がっていく。
数秒にも満たない時間が経過した後、それぞれ左右対称に埋め込まれた三つの宝石が緑色の輝きを放つ。
ギガンティック・クローの名称が付けられた固有武器が闇の中で怪しく光を照らしながら、レイはゆっくりと歩を進める。

「貴様……やはり白峰天斗か!?」

一歩一歩と、距離を詰めるレイに対して地面に倒れているレプトーフィスワームは声を荒げながら言う。
レイは目の前の二匹のワームについて知っていた。かつてミッドチルダ全土を震撼させたJS事件を起こした一味の幹部である、戦闘機人であることを。
十二機の内四体が時空管理局によって拘置所へと送られたが、ネイティブとワームの力を借りて脱獄に成功し、その身体にワームの細胞を埋め込んで、新たなる力を得たと彼は聞いている。
レプトーフィスワームの方は三号機であるトーレで、サブストワームは七号機として作られたセッテの名をそれぞれ持っているが、レイにとってその事実はどうでも良かった。

「ほぅ、これは光栄ですね。貴方達のような鉄屑にも僕の名前が知られているとは」

まるで意外だったかのように、雪男を思わせる仮面の下でレイは軽い驚愕の表情を浮かべながら口を開く。
しかしその言葉とは裏腹に、彼の感情はさほど動きを見せていなかった。
目の前にいる二匹の異形とは、レイからすれば『己の野望も果たせなかった挙げ句に、別世界の力に頼るしかできない過去の遺物』でしかなかったからだ。
そのような存在に名前を覚えられたところで、嬉しく思うはずがない。

「まあ、別にどうでもいいですけれどね……」

氷のように冷たい言葉をレイは投げつける。
そこに込められていたのは、愚か者に対する侮蔑と嘲笑の念だけだった。
いくら最先端の技術を用いたとはいえ、所詮は弱者でしかなかったということだろう。
レイが呟いた直後に、よろよろとふらつきながらもワーム達は起きあがっていく。
その途端、サブストワームは左腕を瞬時に掲げる。刃の部分には体内に蓄積されたエネルギーが雷を模したような形で纏われていき、光を放つ。
サブストワームが電流が流れる凶器をレイに目掛けて突き出す。その瞬間、高熱を持った電気によって構成された矢が放たれ、高速の勢いで空気を裂くような音と共にレイに迫り来る。
放出された雷撃はほんの一瞬でレイとの距離を縮めていく。
このまま行けば、数秒の時間も経たない内に打ち出した矢はレイの胸板に刺さり、分厚い鎧を砕いていき、肉体がそれに吸い込まれた後に体内を突き破り、色が鮮やかな鮮血が勢いよく噴出される。
本来ならば、その筈だった。
しかし放たれた弓がレイに届くことはなかった。軌道を読みとった彼は、ギガンティック・クローが装着された腕を振り上げて、素早く光とぶつけていく。
巨大な爪と激突した矢は威力に耐えきることが出来ず呆気なく形を崩し、形状を作っていた粒子を霧散させる。
その様子にサブストワームは驚愕の声をあげるが、レイは特別気に留めなかった。

「白峰天斗……貴様、エリオ・モンディアルをあの男に引き渡すというのか!?」

戦闘機人NO.3、トーレの声でレプトーフィスワームは言葉を投げつける。
その醜い表情が変わることは一切無いが、声の質からして憤怒の感情が込められていることが窺い知ることが出来た。
レプトーフィスワームの疑念を聞いたところでレイの心境が変わることはないが、それでも彼は口を開く。

「そういうことになるでしょうね」
「一体どういうつもりだ、貴様は我々の協力者だったはず――!」
「貴方は何を仰っているのでしょうか!?」

レプトーフィスワームの言葉を、レイはあっさりと冷たく遮った。
それは、決して大声ではないがハッキリと辺りに響くほどの強さを持っている。
意図的に声のトーンを保ちながら、嘲笑うような表情を仮面の下で浮かべてレイは言葉を続けた。

「もしかして、我々が本気で貴方達を戦力として数えているとでも思っていたのでしょうか」
「どういう事だ……!?」
「やれやれ、鈍くて困りますね」

尚も怒りの声を向けるレプトーフィスワームに対して、レイは軽く肩を竦めながら言う。

「冥土の土産として教えてあげましょう、ワームが貴方達を解放したのはデータ収集の為ですよ」
「データ収集……?」
「そうですね。ワーム及びファンガイアの細胞を別の生命体に混ぜ合わせ、更にロストロギアの力を注入すれば如何なる生物が誕生するか……その研究ですよ」

氷の如く冷たく、一切の暖かみの込められていない言葉をレイはひたすら投げつける。
それ自体はレプトーフィスワームも知っていた。自らの創造主、スカリエッティがワームの戦力増強のために行った研究。
ワームを初めとする強靱な生命体の細胞を別の生物に注入し、そこからロストロギアの強大なる魔力を注ぎ込むことによって、レリックウェポンを超えるような生物兵器を生み出すための実験。
実験に継ぐ実験によって、細胞レベルでワームとの融合を果たすことに成功し、かつて監獄されていたナンバーズ達はこの肉体を手に入れたのだ。
分かり切ったことを言われたことにレプトーフィスワームは苛立ちを覚え、レイに食って掛かる。

「そんなことは貴様に言われなくとも、百も承知だ!」
「そうでしょうか? 貴方の様子を見る限りそれは絶対にあり得ないと思いますがね」
「何……!?」
「ワームと細胞を混ぜ合わせた生命体など数多くいるのです。その中で、貴方達だけが特別力が優れているとでも思ったのでしょうか?」

感情が全く見えないレイの言葉に、レプトーフィスワームは軽い驚愕の含まれた言葉を漏らす。
それでも未だに態度を変えないレプトーフィスワームを見て、レイは心底呆れたように鼻を鳴らして口を開く。

「細胞融合によって肉体の強化を果たしたのは、何も貴方達に限った話ではありません。言うならば、この僕自身も進化を果たした生命体なのですよ」

声を高らかにレイは自らについて語る。
それを聞き、レプトーフィスワームの中でトーレがハッとしたような表情を浮かべた。

「………まさか、我々は貴様の実験体とでも言いたいのか」
「ようやく察してくれましたか! いやいや、説明した甲斐がありましたよ」

ギガンティック・クローが輝きを放つ両腕を、レイは夜空に掲げながら最高に愉快な様子で笑いながら語る。
しかし、その態度はレプトーフィスワームの神経を逆撫でするのに充分な威力を持っていた。
高くしていた両腕を下げると、レイは再び口を開く。

「でも、どうやら僕はそちらを過大評価しすぎていたみたいですね」
「どういう意味だ!」
「言葉の通りですよ、貴方達はあまりにも弱い……」

嘲るような口調でレイはレプトーフィスワームの激高にあっさりと答える。

「かつてミッドチルダを震撼させたJS事件の実行犯。それが如何なる強化を施されたのかと期待したのですけど、実際は旧式のキックホッパー一人すらもまともに止められないとは……全く、聞いて呆れますね」
「何だと……!」
「もしもここで僕を止められたのなら彼を渡しても良かったのですけど、実に残念です」

仮面の下で笑みを浮かべ、レイは事務的な語りを終えた。
彼は快いような笑顔を作っているのに対し、その目は氷のようにとても冷めている。
実際にレイは言葉の通りに目の前の強化改造を施した二体の戦闘機人に対し、失望の感情しか感じていなかった。
いや、むしろ高望みをしていた自分に恥を覚えている。
かつては時空管理局を存亡の危機にまで追い込んだと言われた者達が、ここまで弱いと呆れる気持ちすらも持つことが出来ない。
目前にいる敵など、もはや彼が興味を示すような存在ではなかった。

「まあこれ以上、貴方達に構っているのも馬鹿馬鹿しいですし、この辺りで失礼させていただきます」

レイは二匹のワームに対し軽く頭を下げると、くるりと振り返る。
余裕綽々に彼の白い後ろ姿を見せつけられ、レプトーフィスワームは憤慨によって体を震わせていた。
彼の一言が引き金となり、蓄積した怒りは臨界点に達する。
隙を見せているレイは上の存在、自分達は下の存在。そして相手は自分達を敵に見ているどころか、まるで相手にすらしていない。
我々は侮辱されている、愚弄されている、嘗められている。
その事実が、プライドの高い彼女に許されることではなかった。

「我々を……」

レプトーフィスワームの両腕からは、トーレの固有武装であるインパルスブレードが紫色の輝きを放ちながら勢いよく飛び出していく。
左右一対となる二本の刃を構えて、彼女はそれに膨大な量のエネルギーを注ぎ込んだ。

「見くびるなあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

憤怒の感情によって作られた心からの叫び声を放ちながら、勢いよく地面を蹴る。
そのまま体内に蓄積されたタキオン粒子を全身の筋肉に流し込み、一気にクロックアップの状態に突入していく。
高速の状態で駆け抜けていくレプトーフィスワームの後ろに続くように、サブストワームもまたレイの背中を目掛けて走り出した。
左腕から生えた刃には、数秒前と同じように凄まじいほどの電流が帯びている。
レプトーフィスワームが勢いよくインパルスブレードを、サブストワームは電気によって作られた輝く矢を、それぞれレイの背中に浴びせようと放ったその瞬間だった。
このまま二つの得物によってレイの鎧を貫くまであと一歩だったが、突如としてその後ろ姿が消え失せてしまう。
突然の出来事に二匹の異形はハッとしたような表情を浮かべるが、加速した勢いを止めることは出来ず、レイの歩いていた地面を抉るだけで終わってしまった。
そこから数秒の時間が経つと超高速の時間が終わりを告げ、ゆっくりと宙に浮いていた土が爆音と共に急激に速度を上げて周囲へと拡散していく。
すぐさまワーム達は周囲をキョロキョロと見渡すが、レイの姿は見られない。

「何処だ、何処にいる!?」

怒りのままに声を荒げながらワームの持つ神経を最大限にまで活用し、レイの気配を探る。
その最中に、何かが地面に落ちるような音がした。
何が起きたかはレプトーフィスワームには分からなかったが、視線を落とす。
大地の上に置かれている物体を見て、目を丸くしてしまう。
それもその筈、脇に落ちていたのは常に見慣れている自分自身の左腕だったからだ。

「あああぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

左肩から鮮血のように火花が迸るのと同時に、激痛によって併発される熱によってレプトーフィスワームは悲鳴を上げる。
それを聞いたサブストワームは直ぐさま振り向くが、途端に風を切るような音と共に右肩が落ちてしまい、同じように苦痛の声を漏らす。
急激なダメージに身体が耐えることが出来ずに膝を落としてしまい、その巨躯は一瞬の内に本来の姿である戦闘機人の身体へと戻ってしまう。
焼かれるような苦悶の表情を浮かべ、額から汗を流すトーレとセッテの前にレイは再び姿を現した。
地面に蹲ったトーレとセッテの切断された肩から見える鉄屑と流れ出る血液、そして飛び散る火花を青い瞳が無言で見つめている。

「私達を……殺すつもりか」
「そうしますけど、すぐにまた生きることが出来ます」
「どういう、意味だ」

苦痛と高熱によって息も絶え絶えな状態でトーレは口を紡ぐ。
彼女の脇では同じような状態になりながらもセッテは、レイの背後に無造作に置かれているブーメランブレードに目を向けていた。
セッテは重傷を負いながらもレイの隙を窺って、ブーメランブレードの元に飛び込もうと考えている。
しかしそれを察することが出来ないほど、レイは愚直ではなかった。
もっとも、彼にとってセッテという存在は驚異となるわけでもないので大して関心を向けていない。
仮面の下で変わることのない冷たい笑顔を浮かべながら、彼は口を動かした。

「我々の人形となって、再利用されるということですよ」

その言葉を終えるのと同時に、レイは左腕を高く掲げてギガンティック・クローをトーレの引き締まった肉体を目掛けて振り下ろす。
金色に輝く爪はトーレの身体を抉り、エネルギーを流し込む。
流れ込んだ粒子は彼女の体内を縦横無尽に破壊し、組織の機能を次々と停止させていく。
全力を込めたマスクドライダーの一撃を浴びてしまっては、如何に戦闘機人といえども一溜まりもなかった。
もはや悲鳴を出すことも出来ないその身体には次々と亀裂が走っていき、トーレの身体は後ろ向きに倒れてしまう。
続くようにレイは下から上に掬い上げるかのように、右腕に備え付けられたギガンティック・クローを勢いよく叩きつけて、セッテの身体を吹き飛ばした。
レイの勢いを止めることは彼女には出来ず、ただ無抵抗に浴びることしかできない。

「ガハッ………!!」

それがセッテの最後の言葉となった。
彼女が肺に溜まった鮮血を口から吐き出した途端、その身体はギガンティック・クローから流れ込んだエネルギーによって爆音と共に内部から破裂していく。
同じようにトーレの身体も地面に倒れたのを合図とするように、轟音を鳴らしながら派手な爆発を起こして身体を四散させた。
熱を持った爆風は瞬時に広がり、辺りの植物に引火させる。
燃え盛る炎の勢いが徐々に増していく中で、レイは僅かに残ったトーレとセッテの腕を拾う。

「これだけでもあれば、大丈夫か……」

紅蓮の炎から放たれる熱を身体で浴びながら、たった一人でレイは静かに呟く。
ワーム達が新たに生み出したといわれる肉体再生の技術には、細胞の一部分さえ残っていれば充分と言われている。
ならばこれだけでもあれば足りるだろう。

「そろそろ、あちらも終わっているでしょうね」

最後に残った二本の腕を両手で掴んだレイは呟くと、キックホッパーが突入した建物に目を向ける。
この施設はワーム達がスカリエッティ達を利用し、この世界の技術を解読するために作られた物だが、そろそろ役目も終えるだろう。
アルハザードに隠された技術は全て探し尽くしたので、もはや必要ではない。
彼は再び歩み始めた。ゆっくりと歩を進める途中、セッテの遺品とも呼べるような二本のブーメランブレードが無意味にその刀身を輝かせていた。
やがて一本のブーメランブレードがレイの左足によって、無造作に踏み潰される。凶器は重力に耐えきることが出来ずに、音を立てながら呆気なく粉々になってしまう。
続くように二本目の得物も、彼のもう片方の踵により潰されていく。レイが脚を離した後に残っていたのは、只の破片だけだった。
主を失い、砕かれた刃は自らの存在を示すかのように地面で光を放っているが、それに気を止める者は誰一人としていない。
完膚無きにまで砕け散り、鉄の欠片としか呼べなくなったブーメランブレードはやがて、何処からともなく吹いてきた風によって遠い彼方へと飛び去ってしまった。





「これは少々拙いわ……」

アルハザードの濃い暗闇を彷彿させる程の漆黒に包まれた通路には、腰に届くほどに長い髪が金色に輝いていた。
ワームから与えられた研究施設内で、駆け足で進んでいるドゥーエは一人呟いている。
その表情からは普段見せている理知的な雰囲気は感じられず、焦りしか無かった。
ドゥーエは今、足音を建物に反響させながら状況を打破するために思考を巡らせている。
彼女の脇には施設外の様子を窺うことの出来るコンソール画面が映し出されており、そこから外部を窺っていたが、事態は急を要するようだ。
この世界に現れたマスクドライダー達は内部に進入し、警護に当たっていたワーム達は全て敗れ、更には協力者であるはずのレイによってトーレとセッテの二名が撃破されてしまった。
あのキックホッパーと呼ばれる方のマスクドライダーは、クアットロが確保したエリオ・モンディアルを目的としているだろう。
冗談ではない、せっかく手に入れた実験材料をみすみす奪い返されるわけにはいかない。

「誰か、誰かいないの!?」

大声で呼び声をあげながらドゥーエは奥に進むが、何の反応もない。
彼女は先程からマスクドライダー達を撃破するために、本部の方に増援の要請を何度も繰り返している。
しかし返ってくるのは何もなかった。
軽く舌打ちしながらも、足を進めている内にドゥーエの目前に鋼鉄製の巨大な扉が姿を現す。
ようやく目的地にたどり着いた彼女は、足を止めた。
重厚な稼動音を立てながら扉を開いた先には、点滅を繰り返すコンピューターの光によって照らされた空間が現れる。
すぐさま彼女は画面の前に駆け寄り、コンソールパネルに手を付けた。
指の動きに反応するかのように、目前で光を放つ三つのモニター画面には醜悪な異形の画像とそれに関する文章が溢れ出るかのように映し出されていく。
そこに書かれていたのはマスクドライダーシステムが生み出された管理外世界で、太古の時代に人間を恐怖に陥れた怪物、レジェンドルガについてのデータだった。
この生命体はファンガイアを進化させたような身体能力と、異常なまでの生命力を持つ。
まだ実験段階だが、理論上では派手な運動をさせても問題はないと出ていた。
幸い、ここにはその個体が数多くいるので投入すればマスクドライダー達を始末できるだろう。
もしかしたらいい機会かもしれない、ここでレジェンドルガ達が何の問題もなく動き出せば今後の使用に何の問題もないはず。
先程の焦りが嘘のようにドゥーエは笑みを浮かべながら、目の前に並ぶ数多くのパネルを五指を用いて叩く。
伸びるバーと共に『エネルギー充填率、70%』と、赤く書かれた文字で画面に映し出される。

「もうすぐね……」

押し込まれるパネルに反応するかのように、モニターに映される数字は徐々に増す。
ドゥーエが呟いてから数秒もの時間が経過すると、目前の数字は既に九割に達している。
画面の脇には機械から放たれるのとはまた違う、微かな青色の輝きを持つ結晶がチューブに繋がれ、内部からエネルギーを流し込んでいた。
以前ビショップが送りつけたジュエルシード。このロストロギアに込められた力さえ利用すれば、通常より充填の時間が短縮される上に、戦闘能力が飛躍的に上昇する。
どうやらこれを渡してくれた彼には感謝しなければならないようだ、ここでマスクドライダー達を撃退すれば本部からの信頼は確固たる物になるだろう。
本来ならば姉妹を殺されたことによる怒りをぶつけたいが、このまま行ったところで返り討ちに遭う可能性がある。
レジェンドルガの群れを率いて、あの二機のマスクドライダーを始末し、逆に戦力をこちらの物にすればいい。

「ほぅ、これが貴方達が封印から目覚めさせたレジェンドルガですか」

やがて映し出された測定器が完全に埋まろうとしたその時だった。
突然背後より聞き覚えはあるが、この場にはあり得ない声がドゥーエの耳に入る。
ハッとしたような表情を浮かべながら振り向くと、漆黒の法衣に身を包んだ細身の男が立っていた。
突然現れた彼、チェックメイト・フォーの一角たるビショップはモニター画面の一つを冷たい目線で眺めている。

「ビショップ……! 何故、貴方がここに」
「いえ、大した用事ではありませんよ」

驚愕のまま口を開いたドゥーエの言葉を、ビショップはあっさりと遮った。
彼は自身の付けている眼鏡の角度を軽く変えると、画面を背にしているドゥーエの方に振り向く。

「貴方達の様子を伺いに来ただけですので、お気遣い無く」

冷淡な視線を向けながら口を開くビショップを見て、ドゥーエは軽く眉を顰めた。
今の状況をまるで分かっていないような発言に、彼女は苛立ちを覚えるがそれを堪える。
苛立ちが募っていく中で、ドゥーエは平静を装いながらも口を開く。

「………ビショップ、貴方は私達が今置かれている状況を理解してるのでしょうか」
「そうですね。このアルハザードに突如現れたマスクドライダーによって主力二名及び兵力の大半を失い、更にこの施設への進入を許してしまった……違いますか?」
「分かっているのでしたら、貴方も撃退に協力していただきたいのですが」
「何故です?」

ビショップの平然とした態度に怒りが溜まっていくものの、彼女がそれを表に出すことはしない。
何とか笑みを作りながら、ドゥーエは口を開く。

「あの白峰天斗という男は、確か貴方達のお仲間だったと聞きましたけど?」
「そうですね、彼は我々の配下としてよく働いてくれます。全く、大助かりですよ」
「やはりそうですか……」

ビショップの一言で、彼女は確信した。
外部からキャッチした白峰天斗の言葉の通り、目の前の男も自分達を切り捨てるつもりでいる。
試しに鎌をかけてみたが、まさかこうも包み隠さず真意を言ってくれるとは。
全体重を支えるようにドゥーエはパネルが置かれている台に左手を乗せ、気付かれないようにごく自然な様子で右腕を身体の陰に隠す。

「貴方らしくも無いですね、てっきりこのまま何も言わずに私を殺そうと思ったのですが」
「一応、それなりの情はありますから。最後の最後くらいは腹を割って話そうと思いましてね」
「それはご丁寧に……」

頑なに態度を変えずにドゥーエは、自身の中にある魔力を右手に流し込む。
直後、その部分からは鋼鉄製の鋭利な三本爪が音を立てずに生成され、闇の中で鋭い輝きを放つ。
ビショップもそれなりに戦闘能力を持っているとはいえ、ピアッシングネイルを勢いよく突き刺せば一溜まりもないはず。
とはいえ、今それをやったところで避けられるのが関の山だろう。まずはレジェンドルガを封印から目覚めさせ、ビショップを葬ればいい。
ドゥーエは武器の作られた右腕をパネルの方に伸ばし、起動させる為のキーをゆっくりと押し込む。
これだけさえ済ませれば、力の注入を終えたレジェンドルガがこの施設に転送されるだろう。
全ての課程を終わらせたことによって笑みを保っていたが、それはすぐに消えることとなった。

「………ッ!?」

ピアッシングネイルの付けられた指先でパネルを打ち込んでから、数秒経った直後にドゥーエは違和感を覚える。
何も反応が感じられないのだ。このまま行けば、レジェンドルガが送り込まれることを知らせる音声が画面より流れるはず。
人工的に作られた人差し指で、同じパネルを数回押す。しかし結果は同じで、何も起こらない。
一見するとドゥーエの様子は冷静そのものに見えるだろが、目の前に立つビショップには動揺が読みとることが出来た。
その証拠に、彼女の背後よりカチカチと何かを指で押すような音を聞き取ることが出来る。
あくまでも態度を崩さないドゥーエが、ビショップには酷く滑稽に見えた。
普段自分の前に姿を現しているときは余裕の態度を散々見せている割に、少しでも想定外の出来事が起こればすぐに皮が剥がれてしまう。
もしや、背後で行おうとしていることも気付かれていないと思っているのだろうか。

「所詮、貴方もこの程度ですか……」

背後でいつまでもパネルを押し続けるドゥーエの姿が見るに耐えない物に写り、軽い溜息を吐きながらビショップは口を開く。
その直後に、ドゥーエはハッとしたような表情を浮かべながら意識をこちらに向ける。

「私に貴方のやろうとしていることを悟られていないとでも? 既にシステムを書き換えられていることも知らずに……」
「何ですって……!?」
「貴方達が本当に戦力として扱われるとでも思ったのでしょうか? だとしたら、実におめでたい物だ」

それは、施設外でトーレとセッテが撃破される前にぶつけられた言葉に酷似していた。
侮蔑の意味が込められていることが感じ取れるビショップの声を聞いて、ドゥーエは瞬時に理解する。
先程までモニターに映し出されていた数量は全てダミーで、システムは既に一つ残らず書き換えられていたのだ。
あたかも、本当に動いていたかのように見せかけて。
そして、ビショップがここに訪れた理由は実験体である自分を相手に、自らの実力テストをすること――!

「さて、私の言うべき事はこれで終わりです。すぐにお仲間の所へ送って差し上げますよ」

思案の最中、唐突に聞こえてきたビショップの声によってドゥーエは意識を戻す。
直後にビショップは眼鏡を掴んで縁を畳み、法服の内ポケットにそれを納める。
それを終えると、ビショップの全身からはガラスが軋むような音が発せられ、首の下からはステンドグラスを思わせるような色鮮やかな痣が這い上がっていき、両眼が同じ色で染まっていく。
次の瞬間、ドロドロと醜悪な音を立てながら陽炎のように彼の身体が歪み、形状が変わる。
変化は一瞬で終わり、ビショップは真の姿を現した。
虫の揚羽蝶を思わせる形状を持つ醜悪な顔、耳の位置から左右に伸びた白鳥の彫刻、頭部から突き上がっているチェスの駒を思わせる角、多種多様な色の使われた全身を守る鎧、鎧の一部である左肩から伸びた突起、女神の彫像を思わせる形の白い右肩、背中と右腕を守るように羽織られた漆黒のマント。
多くの種族が存在するファンガイアの一種、インセクトクラスに分類される中のトップに君臨するその異形の真名は『禁欲家と左足だけの靴下』
またの名を、揚羽蝶を彷彿とさせる外見を持つビショップの本来の姿、スワローテイルファンガイア。
ビショップはスワローテイルファンガイアへの変貌を終えると、体内に蓄積された魔皇力を右腕に流し込み、一本の剣を作り出す。
刀身からは美しさと禍々しさを同時に感じさせる輝きを放ち、ステンドグラスを思わせる模様が刻まれている。
スワローテイルファンガイアは宙に浮かぶ刃の柄を右手で握ると、その先端をドゥーエの鼻先に突きつけた。冷たい煌めきを放つ剣によって、その表情はより一層焦燥で歪んでいく。
目前より迫る凶器を見たドゥーエもまた、体内から力を全身に目掛けて流し込み、ビショップと同じように姿を変える。
ドゥーエとて、このまま黙って殺されるつもりなど毛頭無かった。
紫色を基調とした外骨格、両肩よりそれぞれ左右対称に五本ずつ生えた海老の足を思わせる形状の棘、それに覆われている発達した黒色の筋肉、アーチを描くように腰まで伸びた二本の触覚、右腕に付けられた鉤状の巨大なハンマー。
キャマラスワームの名を持つ怪人へとドゥーエは姿を変えた途端に、異常なまでに発達した右手を素早く掲げ、スワローテイルファンガイアを目掛けて勢いよく振り下ろした。
風を切るような鈍重な音と共に鈍器は迫り来るが、スワローテイルファンガイアは左足を軸にして身体を反転させ、掠ることなく回避行動に成功させる。
標的を見失った右腕は勢いを止めることが出来ずに、そのまま鉄製の地面へとめり込んでいく。
床に亀裂が走ることに気にすることはせず、キャマラスワームは瞬時に鉄槌を構え直し、左から右へと横一文字に薙ぎ払う。
重量感の溢れる一撃を、スワローテイルファンガイアは勢いよく背後へと跳躍し、紙一重の差で空振らせる。
そのまま地面に着地すると、口から夥しい量の金色の鱗粉を勢いよく吐き出し、キャマラスワームの視界を遮った。刹那、キャマラスワームの周囲を包む粉が音を立てながら爆ぜていく。
これはスワローテイルファンガイアの体内に蓄積された、鱗粉の効果による物だった。起爆の効果を持つそれは、他のメンバーと比べて接近戦に優れていないビショップにとって最良の武器。
衝撃によってキャマラスワームが微かに悲鳴を漏らしながらも、右腕のハンマーを用いて鱗粉を振り払う。目の前を覆っていた粉は周囲に霧散するも、その瞬間に異形の顔面の下でドゥーエの目が見開いていく。
距離を離していたスワローテイルファンガイアは左手をこちらに向けている。その先からは、ミッドチルダの魔導師が作り出したのとはまた別の形状の黒い魔法陣が描かれていた。
回転する模様の中心からは、大量の闇が土石流の如く吹き出していき、高速の勢いでキャマラスワームに迫っていく。
アルハザードを包む暗闇のように濃く、それでいて禍々しい漆黒の波動との距離は一瞬で縮むも、後一歩と言うところでキャマラスワームは瞬時に両膝を曲げて、左側に跳び上がる。
噴出した闇を避ける事に成功するが波動の勢いが止まることはなく、先程までキャマラスワームが立っていた場所の背後に設置されていたモニター画面に激突していった。
スワローテイルファンガイアが放った暗闇に飲み込まれた液晶画面を構成する機械は破壊されていき、耳をつんざくような爆音と共にパーツが周囲に飛び散っていく。
煙が部屋を充満する中、内部が剥き出しになったモニターからは粉々に砕けた部品が落下して、複雑に絡み合っていたはずの切れたコードに電流が音を立てて迸る。
自らが壊した機械のことに気を止めることのないまま、スワローテイルファンガイアはキャマラスワームの跳んだ方向に振り向く。
視線の先にいるキャマラスワームは、まるでこちらに見せつけているように左手で薄い青色の輝きを放つ宝石を摘んでいる。
その結晶体は、以前ビショップ自身が実験のためにこちらへ送ったジュエルシードだった。
スワローテイルファンガイアの顔に彩られたステンドグラスに、仮初めの姿であるビショップの目が映し出され、その口を開く。

「何の真似でしょうか」
「ビショップ、貴方がこのまま退いていただけるのならば私は今回のことに目を瞑りますし、忘れることにします。でも、それを受け入れないのなら貴方は死ぬことになりますよ?」
「ほう、私に貴方と共に心中しろと」
「あらあら、そんな愚かな選択を私がすると思ってるのでしょうか?」

本来の姿であるドゥーエの声を用いて、キャマラスワームはスワローテイルファンガイアに語る。
スワローテイルファンガイアは冷たい目線で、ジュエルシードを見つめた。
確かにあのロストロギアの力さえ使いさえすれば、この施設もろとも自分を破壊し、キャマラスワームは転移魔法を用いて逃走することが出来るだろう。
最も、それはジュエルシードの効果が正常な状態で働いていたらの話だが。
互いに感情の込められていない視線を絡ませている中で、先に口を開いたのはスワローテイルファンガイアの方からだった。

「………全く、何処までも愚かな人形だ」

地の底から響くような、禍々しい声でスワローテイルファンガイアは呟いた。
それと同時に、人間が持つ物とは明らかに形状の違う瞳が、より一層輝きを増していく。
ステンドグラスを思わせるような色合いの光を見て、キャマラスワームという偽りの姿の下で、ドゥーエは眉を顰める。
ファンガイアが瞳から放つ不気味さを醸し出すような煌めきと、スワローテイルファンガイアの一言は不快感を感じさせるのに充分な威力を持っていた。
そんな心境の変化に気を止めることはせず、スワローテイルファンガイアは言葉を続ける。

「疾うに詰んでいるというのに、それを認められないとは」
「今更負け惜しみでしょうか? 分はこちらに傾いていて――」
「それでしたら何故、初めの内にクロックアップをしなかったのでしょうか?」

欣快した様子で語るキャマラスワームの言葉を、スワローテイルファンガイアはあっさりと遮った。
その瞬間、異形の下でドゥーエの表情は急激に驚愕で歪んでいく。
キャマラスワームの感情の変化を察したのか、スワローテイルファンガイアは再度口を開いた。

「いや、正確に言えば『できなかった』の方が正しいですね。魔法をかけていたのですから」
「魔法ですって……!?」
「AMFと言いましたっけ? かつて、貴方達が生み出した魔法を妨害する魔法………」

スワローテイルファンガイアは機械的で、暖かみが感じられない口調で言葉を続ける。
AMFとは、スカリエッティによってナンバーズとほぼ同時期に生み出されたガジェットドローンより発せられる結界魔法の一種。
このフィールドさえ用いれば、ミッドチルダに存在する大半の魔法を妨害することが出来る。
かつてスカリエッティの一味はこれを駆使し、時空管理局に多大なダメージを与えた。

「あれは以前より興味がありましてね、私は個人的に調べていたのです……その性質及び物質を。そして全てを把握した際に、我々はこれに新しい効力を付加したのですよ」
「新しい効力ですって……!?」
「ええ、クロックアップそのものを妨害する結界魔法……言うなれば、クロックダウン・フィールドと呼ぶべきでしょうか」
「クロックダウン……?」

聞き覚えのない単語が出てきたことにより、キャマラスワームは疑念の声を漏らす。
しかしスワローテイルファンガイアはその反応に興味を示さずに、数秒の間が空いた後に唇を動かす。

「……どうやら、貴方を止めることが出来たのですからそれなりの効果はあるようですね。良いデータが取れたことには感謝いたします」
「良いデータですって……!」
「データでなければ、何故わざわざ貴方ごときに命を再び与えなければならないのでしょうか」

誇りを傷つけられて怒りの感情が高まっていくキャマラスワームを、スワローテイルファンガイアは冷ややかに見つめながら侮蔑の言葉をぶつける。
そしてスワローテイルファンガイアは右腕を掲げて、自ら距離を詰めながらその手に持つ刃をキャマラスワームに向けた。
冷酷な輝きを放つ凶器を突きつけられて、キャマラスワームは右腕のハンマーを構え直すが、スワローテイルファンガイアは特に感情を抱かない。
一歩、また一歩と距離を詰めるスワローテイルファンガイアを前にして、キャマラスワームはジュエルシードを握りしめる。
けれども宝石はその輝きを放つだけで、何も起こらない。


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最終更新:2010年05月18日 22:28