ワームどころか、普通の虫一匹の気配すらも辺りからは感じられない闇の中を、キックホッパーはひたすら進んでいた。
一歩、また一歩と共に彼の足音は施設の中を反響するが、それはすぐに彼方へと消え去っていく。
奥を進むたびに、鋼鉄特有の生臭い匂いと外にいた時より感じていた寒気が強くなっていくが、キックホッパーは気に留めない。
先程より迷路の如く複雑な通路を歩き、鋼鉄製の扉を見つけるたびにそれを蹴破り、内部を確かめた。
しかし現れたのは只唸り続けている用途の分からない機械のみで、この建物にいると言われるエリオの姿は何処にもない。
それでも、暗闇が広がる通路の中をキックホッパーは進んでいる。
彼は今、周囲への警戒を強めていた。建物に侵入してからひたすら走っているにも関わらずに、敵は全く姿を現さない。
先程森の中で戦っていた時は群れる蟻のように徒党を組んでいたのだが、それが嘘のように静寂で包まれていた。
そしてもう一つ、不振な要素がある。この建造物に突入して数秒経った途端だった。
クロックアップの機能を発動して高速の状態で動いていたが、唐突にそれが解除されたのだ。自分から解除などしていないし、制限時間に達したわけでもないはず。
彼はそれを敵の罠だと瞬時に確信した。クロックアップを強制的に解除するシステムなど聞いたことがないが、存在していたところでおかしくはないだろう。
大方、ワームがZECTに忍び込んでマスクドライダーシステムの設計図でも盗み、そこから妙な仕掛けでも作ったのかもしれない。
しかし、彼にとって真実が如何なる物だろうと関係のないことだった。シャドウの隊長だった昔ならば、早急に調査をしていたのかもしれない。
だがZECTに見切りを付けた今の彼にとって、関心の動く出来事では無かった。
泥沼のような濃さを持つ暗闇に包まれた通路を進む内に、巨大な扉が現れる。突き当たりなのか、他に道は見られない。
耳を澄ませると、鋼鉄の向こう側からはモーターが唸るような低い音が聞こえてくる。脇の壁には、複数のパネルが付けられた電子機器が張られていた。
恐らく、特定のコードが打ち込んで鍵を開けるドアなのだろうが、暗証番号など知っているわけがない。
キックホッパーは左足を構えて、扉を目掛けて勢いよくそれを振り上げた。闇すらも切り裂く勢いの蹴りによってドアの中心部は音を立てながら歪み、一気に弾け飛んだ。
冷気を放つ床を傷を付けながらボールのように跳ねていき、壁に激突していく。ゆっくりと足を地面に下ろすと、目前から熱気が放たれてくる。
煙が舞い上がる中で足を踏み入れた先は、妙に広かった。そのスペースを埋めるかのように、辺りは多くの電子機器が設置されている。
壁を覆っている鉄製の棚には、多種多様の色で濁っている液体の入れられた三角フラスコが、隙間のないほど規則正しく並べられていた。
手前のフラスコは赤や黄色といった明るい色彩が中心で、それより向こう側は黒や茶などの汚れた色の液体が入れられている。
それら一つ一つにラベルが貼られているが、特にキックホッパーは関心を向けていない。
奥を進むたびに、周囲の音はより強くなっていく。彼にとってそれら全てが、耳に触る程不愉快な物に感じさせる。
天井に設置された蛍光灯からは光が放たれていたが、周辺の機械より発せられるそれに比べればとても弱々しい物だった。
歩いていると、キックホッパーの前に一際広い空間が現れる。そこは、先程までの通路と違って強い明かりに包まれていた。
ふと、彼の耳に虫の羽根が羽ばたくような音が響く。
反射的にその方向を振り向いた瞬間、キックホッパーの仮面の下で矢車は驚愕の表情を浮かべてしまう。

「――ッ!」

視線の先には彼が探し求めていたエリオ・モンディアルが、巨大な円形の検査台の上に大の字の体勢で四肢を拘束される姿があった。
その脇にはガラスケースの中で暴れ回っているザビーゼクターの姿も見られる。
キックホッパーはすぐさま冷たい鉄の上で縛られているエリオの元へ向かい、両手を使って金具を引きちぎった。
強靱な戦闘力を持つマスクドライダーの力を用いれば、この程度は何て事もない。
彼はエリオの身体を抱き抱えた。先程の戦いによって川に落ちた所為なのか身体に冷たさは残るものの、まだ息はある。
すなわち、自分は間に合ったことだ。
安堵と共に生まれたその考えに、キックホッパーは疑問を覚える。
数時間前、ケタロスと呼ばれるマスクドライダーに敗れたときもそうだったが、何故こんな感情を持つのか。こんな塵にも劣る考えなど、捨ててしまったはずなのに。
その考えから抜け出すかのように、彼は脇に振り向く。そこでは主と同じように閉じこめられたザビーゼクターが、藻掻くかのように羽根を動かしていた。
ケースの中で足掻いているかつての相棒を見て、不意にキックホッパーはこの世界に流れ着いてからの出来事を思い返していく。
矢車は気が付いたときには、既に見知らぬ場所で立っていた。
一体ここは何処なのか、どうやってこの場所にやってきたのかはまるで見当が付かない。
ただ、その側にあった現実は彼を惑わせた。この手にかけた筈の弟である影山と、既に亡き者となっていた弟の剣が自分の隣にいたのだ。
それが意味することは希望なのか、それとも悪夢なのか彼には判断が出来なかった。
そして、その直後に現れた自らが最も嫌悪する異形の生命体、ワーム。見知らぬ土地で出会った新しい弟。
悩んだ結果、兄弟達とワームと戦いながら再び生きることを決めたのだ。
キックホッパーはエリオの身体を検査台の上に下ろすと、ケースを目掛けて右足を勢いよく振るう。
透明の箱は呆気なく粉々に砕け、破片が床に飛び散っていく。
そこから解放されたザビーゼクターは喜びの感情を表現するかのように、宙を舞った。そして、エリオの顔を覗き込む。
それは昔、自分を資格者として選んだ時にやっていた行動だった。傷ついた己を気遣うかのような素振りを見せるザビーゼクター。
もう見られることはないと思っていたが、こんな形でまた目にするとは。
心の中で呟くと、キックホッパーは再度エリオを抱える。目的を果たせたのだから、これ以上こんな不愉快な場所にいるつもりなどない。
周囲への警戒を強めながら、彼は再び足を進める。辺りからはワームの気配は相変わらず感じられないが、油断は出来なかった。
部屋から通路に出た途端、足音のような乾いた音が鳴り響く。振り向くと、暗闇の中から亡霊のように白い人影が浮かび上がる。
続いて現れたのは青い輝きを持つ二つの目。肩の位置で煌めく金色の二個のかぎ爪。
先程まで自分と共にワームの群れと戦った仮面ライダーレイが、姿を現した。

「どうやら、間に合ったようですね」
「そうみたいだな……」

レイは称えるような声で言うが、キックホッパーは特に何の感情も抱かない。
だがそれは彼にとって予想済みの反応。深く詮索するつもりはなかった。

「これ以上ここにいても無意味ですので、そろそろ脱出しましょう」

言うのと同時に、レイは背を向けて闇に満ちた道を進んでいく。
その後ろについて行くかのように、キックホッパーもまた足を動かした。
ふと、彼はその両腕の中で未だ眠り続けている弟の顔を見る。
未だに目覚める気配は見られないが、その体の中で生命維持に必要な臓器の動きは感じられた。
その直後、キックホッパーは無意識のうちにエリオを包む両腕の力を強くする。
まるで、彼を守る盾になるかのように。





鬱蒼とした森林に再び出るまで、五分も経たなかった。
周囲は未だ重さが感じられるほど暗く、空が晴れる気配は一向に見られない。
あれほどいたワームは一匹とも残っておらず、燃え盛る炎も木々の焼け跡のみを残していつの間にか消えている。
施設から脱出する途中、何か罠が待ち受けているかと思っていたが、何も起こらなかった。
このような得体の知れない場所ならば、自分の想像を絶するような出来事が平気で起こるかと思っていただけに違和感を感じる。
起こったとすれば、建物に突入してから強制的に解除されたクロックアップの状態のみ。
とはいえ、いちいち深く考えたところでどうなるわけでもない。そもそも真実自体どうでもいいことだ。

「着きましたよ、矢車さん」

レイの言葉によってキックホッパーは思考を止め、声の方向に目を向ける。
そこには、この世界に訪れる際に使った六法星の魔法陣が地面に描かれていた。
原理は全く分からないが、白峰の相棒であるレイキバットが作り出したそれはミッドチルダに存在する技術の一つで、転送魔法というらしい。
黄色と緑、二つの色彩で輝くそれは転送の名前の通りに上に乗った存在を、一瞬の内に別の場所に跳ばすことが出来るという。

「それでは、僕は先に行きますので」

二種の色の粒子が煌めく円陣の中に、レイは足を踏み入れる。その白い巨躯は光の中に吸い込まれていき、一瞬の内にこの場から完全に消滅した。
それに続くようにエリオを抱えるキックホッパーも方陣の中に入り込む。瞬間、淡い光は視界を覆い尽くし、彼の身体に浮遊感を感じさせた。
幻のような光を目線が捉えた途端、足下が消失したような感覚が襲いかかる。
あまりの眩さによってキックホッパーは仮面の下で目を細めるが、それでも両腕に抱えるエリオは離さなかった。
落下しているのか上昇しているのか判断の付かない中、二色の光は彼の前を通り過ぎていく。
不思議と、彼はその輝きに嫌悪感を抱かなかった。常日頃、このような物は反吐が出るほど嫌っていたはずなのに。
新たなる疑問が生まれた途端、両足の裏が地面に着くような感触を感じる。その直後に、辺りを覆っていた光もまた霧散した。
次に感じたのは、自分の真上で燦々と輝く太陽から放たれる暖かさ。辺りを見渡すと、少し離れた場所に数時間前自分が倒れていた川岸が見える。
ミッドチルダと呼ばれる元の場所に戻った。そう感じるのと同時にキックホッパーのベルトからホッパーゼクターが離れていく。
すると、マスクドライダーの鎧を構成するヒヒイロノカネが音を立てながら崩壊していき、物質の元となっているタキオン粒子が大気中へと流れてしまう。
矢車が元の姿に戻るのと同時にザビーゼクターは空の彼方へ、ホッパーゼクターは生い茂る草むらの間へとそれぞれ去っていった。
役目を終えたゼクター達を見送ることもせず、矢車は白峰の方へ振り向く。既に変身を解いた後なのか、彼の傍らをレイキバットが二枚の羽根を使って宙を飛んでいた。

「さて、ミッドチルダに戻ることが出来ましたので僕はこの辺りで失礼させていただきます」
「精々そのガキを大事にしておくんだな! じゃあな」

冷静な主である白峰とは対極を位置するように、レイキバットは感情的に口を動かす。
空に跳び去っていくレイキバットに続いて、白峰も背中を向けてすぐ側に作られたコンクリートの階段を昇っていく。
彼らの姿は数秒も経たない内に見えなくなるが、矢車は特に惜しまなかった。
問いつめることもないし、行動を共にする理由もない。ただ一つ疑問があるとすれば、残り二人の兄弟の居所。
あの戦いから散り散りになってしまった彼らは、白峰の仲間が探していると聞いた。
だが、これはあまりにも胡散臭かった。本当のあの男を信じていても良いのか。
自分に問いかけるが、答えは見つからない。
考えている途中、矢車はその両腕で抱えている弟の存在を思い出した。
エリオは元の場所に戻ってもまだ、目覚める気配を見せない。聞こえてくるのは、規則正しい呼吸音のみ。
矢車はエリオを柔らかい草むらの上に乗せる。今は目覚めるまで様子を見るしかないだろう。
影山と剣を探しに行かなければならないが、このままエリオを放置するわけにもいかない。
思えばこいつもザビーも、ワームによって人生を狂わされた。光の元を歩いていたはずが、一気に闇へと転落してしまう。
ザビーゼクターは闇に堕ちたエリオに何か同調する部分があって、資格者として選んだのだろうか。
エリオの顔を見ながら矢車はただ考えていたが、やめてしまう。考えたところでどうにかなるわけではないからだ。




09 終わり




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最終更新:2010年05月19日 23:06