スカリエッティに案内された先、そこは一昨日オットーが入っていった部屋。
 そして、オットーのままで出てくることのなかった部屋。
 本当のオットーを見た最後の部屋。
 内側から破壊されたポッドは綺麗に片づけられ、今は跡形もない。
ポッドが並ぶ中で、一つだけぽっかり空いた空間が虚しい。

「ドクター、私の記憶をリセットなさるおつもりですか?」

 ディードは入室するなり、おもむろに問い掛けた。
 一昨日のままなら、ここは研究所の中でもシステムが独立している。あれほど興味津々にオットーを解析していたのだ、
アクセス権限もスカリエッティしか持っていないはず。尤も、研究所のすべてはスカリエッティの胸先三寸でいつでも、どうにでもなるのだが。
 とはいえ何をしても発覚せず、全体に影響を与えないこの部屋は便利。
そこへ連れてきたということは、つまりそういう類の処分をするつもりなのだ。

「んん? ハハッ、そんなことはしないさ」

 軽口で笑い飛ばされても警戒は緩めない。口で何と言っていようが、一度でも身を委ねれば如何様にでも料理される。
だからこそ、ディードにとって今が勝負所であった。なんとか彼の真意を探らなければならない。

「疑わしいかい? 君達を娘のように思っているのは、これでも本当なんだが……まぁ、心配なら私が妙な素振りをしたら即座に殺せばいい。
今ここにはウーノもトーレもセッテもいない。君なら簡単なものだろう。そうだな……ウェンディ、そうなったら君はどうする?」
「え、あ……あたしは……」

 ウェンディはあたふたして、最後には押し黙った。突然に話を振られて困惑しているようだ。
 もしそうなったらウェンディはどうするのか、考えるまでもない。当然、撃つだろう。彼女自身が言ったことだ。
 彼女がここにいるのもディードを監視する為。何を迷うことがあるのか。
 スカリエッティは答えられないウェンディがよほど面白かったのか、またもくつくつと笑う。
白衣のポケットに手を突っ込み、あくまで余裕の姿勢を崩さない。

「ま、何にせよできないだろう? それは私への忠誠ではないね。君自身のメンテナンス、ツインブレイズの修理と補充。
そして何より、私を殺してここを脱出できる可能性がゼロに等しいという打算だ」

 確かに。
 スカリエッティを殺した瞬間、姉妹の全員とガジェット・ドローン全機が敵に回る。仮に脱出できたとしても、死に物狂いで追跡してくるだろう。
そう、今の自分と同じように。とても退けられるものではない。

「不思議だ。そして実に面白い。君の目的は、復讐という合理的でない感情に即したものなのに、それを支える思考は現実的で理性的。
だがジョセフを前にすれば荒れ狂う。まったく、君は様々な矛盾を内包している、まるで人間だ」
「人間……私が……」
「そうだ、その矛盾こそが人を人たらしめている。それでいい、君は現実主義の復讐者になればいい。及ばずながら、私も力を貸そう」

 これまでディードは、ただの一度も自分を人間だと思ったことはなかった。この身体はスカリエッティの目的を果たす為の道具。兵器。
 この手も足も、ツインブレイズと同じ一対の剣。自らの意思と彼の意思は同一のものだとも。
 もしそうだったら、どんなに良かったか。
 スカリエッティの言う通り、邪魔をするならスカリエッティでさえ殺すと言っても、実際はそれによって生じるリスクを鑑みれば実行は難しい。
しかしジョセフを前にして冷静さを保ち、計算を働かせられる自信もない。
 こんな半端な心で復讐が果たせるのだろうかと不安が生まれる。なのに、スカリエッティはそれでいいと言う。それがますますディードを迷わせていた。

「私が敵でないと理解してくれたかな? 君が今後も戦闘機人としての任務を果たし、私に逐一データを取らせてくれると約束するなら、私は君を束縛しない。
計画実行の前だ、あまり助力はできないが、メンテや装備面では面倒を見よう。
大っぴらに目立たない程度ならジョセフ捜索も好きにするがいい。どうだい? 相互利益の為だ」

 信じられない。重ねて言うが、口約束など意味がない。
 では何なら信じられると言うのか。
 何も信じられない。もう、自分自身ですら。

 どれだけ考えても、有効な言葉が浮かばない。最適な選択肢が見出せない。
 所詮、稼働してまだ数週間、それも与えられる任務しかこなしてこなかったディードである。
片や相手は管理局を一人で手玉に取る天才。口車では、戦う前から既に勝負はついていた。
 口を開けば益々煙に巻かれそうで、ディードは口をつぐみ、俯いて唇を噛む。
頭の中を、打算と憶測が駆け巡る。
 そもそも、彼にとっての利益とは何か。それが分かれば、交渉の糸口になるかもしれない。
 問おうとするディードだったが、スカリエッティは続けて不可解なことを言い出した。

「そうそう。ディード、君のツインブレイズだがね。いい機会だから伸展機能を追加しようかと思っているんだが、どうだろう。
前々から考えてはいたんだが、時期的に計画実行に間に合わないから止めておいた。
だが君が望むなら、前倒しして実装してもいい」
「ツインブレイズの強化を? しかし……」

 どうして今、このタイミングで言うのだろう。廊下でのやり取りはスカリエッティも聞いていたはず。
場合によっては主にすら牙を剥くような狂犬を、どうして飼い続けるどころか牙を与えようと言うのか。

「何故、場合によっては私を殺すとまで言った君を生かすどころか強化するのか、かね?」

 今更ではあるが会話を聞かれていたこと、見透かされたことで、表情にぎこちなく動揺を含みつつ、ディードは頷く。

「確かに、私は君の記憶を消去することができる。オットーの死も、存在までも、すべて忘れさせることができる。
君を従順な戦闘機人に戻せる。だが、それでは面白くない」
「面白くない? それが理由ですか?」
「そうとも。好奇心――私の研究も計画も、とどのつまりはそこに根差している。君達、姉妹にそれぞれ個性を持たせているのもそうだ。
精緻な機能性のみを目的とするなら、機械で十分。個々の性格も、姉妹という認識も無意味だ。しかし、そこには"揺らぎ"がない」
「揺らぎ……」
「感情の波、自身にも制御できない昂り、そんなところか。とても理屈で説明の付かない感情のブレは時に思わぬ結果を生み、
栄光を手にすることもあれば、破滅をもたらしもするものだ。
生半可な火は風に吹かれれば消えてしまうが、強い炎は風を呑み込み更に大きく、激しく燃え上がる」

 そんな曖昧なものを。
 とても生命操作と機械技術に精通した科学者とは思えない理由。
世界に反抗を企てる動機が享楽の為だと知ったら、彼を追い回す局の連中は卒倒しかねないだろう。
 だと言うのに、ディードは否定できなかった。

「己の命を顧みず、感情に任せて行動する。その爆発力が、突破力が、不可能を可能にする。
片割れを殺された君の憤怒と憎悪が、君を阿修羅の如き戦いに駆り立て、ジョセフを圧倒した。それが答えだ。
彼――ジョセフも迷いを抱えているのだろう。デモニアックの身体に人間の心。故に彼は強くもあり、弱くもある。分かるかい?」
「以前の私なら、きっと理解出来なかったでしょう。でも、今は違う……。今も私の内で渦巻き、煮え滾っている感情の奔流。これが揺らぎ……」

 今日のジョセフとの戦闘を思い返す。
 苦しい。
 辛い。
 先天的に強化された上に、機械で補強された身体でも、まだ足りない。
限界を超えた加速と斬撃に筋肉はおろか、機械部品までもが千切れそうだった。

 しかしディードは止まらなかった。より大きな力が自分を衝き動かし、限界以上の機動を可能にしていた。
だのに、その正体は皆目見当もつかない。
 ジョセフを追う理由だって、そう。最初に得体の知れない感情があり、理屈は後から付け足されたようなものだった。

「私の望みは生命操作技術の完成。そのサンプルであり、重要な因子である君達がただの機械では意味がない。
オットーの犠牲は残念だが、収穫はあった。それが君だよ、ディード。無感情でオットー以外に興味を示さなかった君が、
オットーの死に怒り狂い、今ではまるで別人だ」
「別人……今一つ実感が湧きませんが、確かに私は変わってしまったのだと思います。ジョセフが、オットーの死が私を変えた……」
「ノーヴェやセインは勿論、君やトーレ、セッテにも揺らぎが、揺れ動く心が存在する。それを再確認できた。
人はね、ディード。負の感情を暴走させた時、自分を含む、あらゆるものを破壊する力を生み出すんだ。
例え僅かであっても、君達も例外ではない」

 それだけ強い力が自分の中に宿っている。スカリエッティが与えてくれた力に加え、彼の言う心の揺らぎが生み出す力が。
頼もしいとは思わなかった。制御できない力など恐ろしさの方が先立つ。
 もしかしたら彼は、その揺らぎすらも制御できるかどうかを実験したいのかもしれない。
 ディードには、スカリエッティの歪んだ笑顔が、酷く恐ろしいものに思えた。

「気に病む必要はない。動物とは本能に従い生きるもの。感情で行動するのは、正しい人間の生き方だ。言っただろう、私も君も例外ではない」
「その経過を観察する、それがドクターの得る利益なのですか?」
「ああ。君の変化を、そして波紋のように広がり他の姉妹にも及ぼすであろう影響を見届ける。無論、それだけではない。
ジョセフを退けた今の君は、危うさこそあれ総合的には戦力になると判断した。オットーの穴を埋めるだけのね」
「その力があなたに向けられるとしても?」
「君が望むなら仕方がないだろう。
それはかつての君では、たとえ先の戦闘のデータが揃っていようと――否、あと何百何千回の戦闘を経験しようと到達できない境地なんだ。
だからこれは賭けだよ、大事を成すのにリスクは付き物だ」

 リスク――本当にそうなんだろうか。
 正直、まだ疑わしい。けれど迷っていても答えは出ないだろう。

「ドクター、一つお尋ねします。ツインブレイズは伸展機能の追加により、刃を実体化せず、鞭のように絡め取ることは可能でしょうか?」

 ならば、メリット次第では応じるのも手。というより、より高みを目指すには最初から選択肢などなかった。
 ディードの質問にスカリエッティは笑みを浮かべた後、顎を擦って考え込む。

「伸ばすのみでなく、斬らず捕らえる機能……か。そもそも伸展機能とは、ジョセフの鞭のような伸縮自在、如何様にでも軌道を変化させられるものではないんだ。
例を挙げるなら、六課の副隊長の蛇腹剣に変形するデバイス――あれを想定してもらえれば分かり易い。機能性で言えば、君の望む鞭には遠く及ばない」
「そうですか……」

 最初から分かってはいた。それでも落胆の色は隠せない。
 ジョセフに近付く為に、超える為に、仕留める為に、彼の機能を真似ることができれば。
 向こうは一本で、こちらは二本、単純計算でも戦闘力は倍。

「まぁ、待ちたまえ。私はできないとは言っていないよ。完全な再現は不可能だが、似せるだけならば可能だ。ツインブレイズとはエネルギーで刃が実体化する剣。
刀身を維持しつつ切れ味を極限まで落とせば、引っ掛けるくらいは造作もないだろう。理論上はね」
「本当ですか!?」
「かなり繊細なエネルギーの調整が必要になるだろうが。ただ、その計算をツインブレイズに処理させるとなると、重量を増やすか、或いは強度を減らすか。
何より実装に時間が掛かるから、とても数日じゃ間に合わないんだ。なら、君が戦いながら操作するのが手っ取り早い。だから、すべては君次第だと答えておこう」
「私次第……」

 伸展機能がそれほど万能ではないのなら。エネルギーの調整と、伸ばしたツインブレイズの操作を並行してやるのは骨が折れるだろうことは想像に難くない。

「そう。伸展機能だけでも君の負担は増える。どちらも流動する状況に応じて、戦いながら使用するのだから。
慣熟には相応の時間を要するだろう。しかし、時間はあまり残されていない」
「ドクターの計画実行の日……」
「それだけじゃない。もうじき、この世界は大きく震撼する。おそらくは、私の計画など比べ物にならないほど。
彼女が言うには黙示録の預言が成就するそうだ」

 目障りな連中をまとめて駆逐すると同時に、鍵を奪取する一大作戦。
成功すれば管理局は大打撃、後の状況によってはミッドチルダ全体をも揺るがす。
一人の犯罪者が企むには、あまりにも大規模な次元犯罪。それがスカリエッティの計画。
 では、それすら比較にならないという『黙示録』とは、なんなのか。ディードには想像もつかなかった。

「何なのですか? その黙示録とは……」
「さて。私にも分からない。詳しいことはまだ知らされていないんだ。だが、そう遠くないうちに世界は引っくり返る。
おそらくは一週間程度――その時までに決着を付けられなければ、ジョセフの行方は分からなくなるだろう」
「一週間……では、ドクターの計画は?」
「どうも私の研究待ちみたいでね。とはいえ、私もできれば当初の予定通り、来週の公開意見陳述会に間に合わせたい。
君のツインブレイズの強化と並行して進めるから……いやぁ、これは徹夜だな」

 と苦笑い。けれど、とても楽しそうだ。
 そうやって寝食も忘れるほど、好きなだけ研究に没頭したい。その一念を通そうと、彼は次元世界すべてを巻き込もうとしているのだから。

「完成は早くて三日後か四日後。短期間で新たなツインブレイズを完璧に使いこなすのは、たとえ戦闘機人であろうと不可能だろう。
それも実戦でテストする時間は、まず間違いなくないと思ってもらっていい。
もし、それでも成し遂げられる可能性があるとすれば……それは君の執念だ」
「執念? そんな曖昧なものにドクターは理想と命を賭けようと言うのですか……?」
「その曖昧なものが、一瞬とは言え君からジョセフを超える力を引き出した。人とは須らく曖昧なものだよ、ディード。
造られし人である君も、そして私もだ。どうだい? これが君の記憶と精神を弄らないという信用の証にならないだろうか」

 できなければ大詰めに入ったこの時期に大きな無駄になる。それを知りながら、より面白い結果を見る為に、彼は自身の命すらも賭け金にする。
それだけの覚悟を持って、この計画に臨んでいる。
 今の自分の目的はジョセフをこの手で殺すこと。スカリエッティと、かつての自分に比べれば、はるかに簡単で矮小な望み。
 けれど、自分は我が身可愛さに二の足を踏んでいる。
 今と昔、目的は違えど、生まれた瞬間から惜しむ命など持っていないのに。消えた半分を追う、とウェンディに啖呵を切ったばかりだというのに。
 そうだ。どうせ、どこかで賭けに出なければならないのなら。

「ツインブレイズの強化、是非お願いします」

 ディードが金色の瞳をきつく見据えると、スカリエッティは苦笑いで溜め息を吐く。まるで、子供のおねだりに渋々応じる父親のような仕草。

「まぁ、多少の無理は承知の上か。いいだろう。それが済めば、君の身体をもう一度、私に任せてくれるね?」
「はい。数々のご無礼、お許しください」

 スカリエッティに跪くディード。
 今のスカリエッティの言が偽りでない証拠はない。
 それでも信じていいと思えた。だからこそ、ディードは賭けた。

 迷っている時間はない。一分一秒でも早く、一歩でも強くならなければならないから。

「よろしく頼むよ。無感情だった君が自らの意思で目的を定め、私に反してでも成し遂げようとするんだ。
君の復讐の行く末、私自身も興味深く思っている。が、できなければ……」
「死を以て償えと……?」

 顔を上げて問う。
 その程度の覚悟ならとうにできている。だが、返ってきた答えは思いもよらぬものだった。

「いいや。どの道、失敗すれば私は死んでいるか捕縛されているだろうから。君を信じた以上、その責任は私自身にある。
ただ、私も負け戦は望んでいない。となると君の失敗は手痛い。
多大な時間と費用と労力、君という重要な戦力を無駄に浪費するだけとなってしまうからね」

 スカリエッティは念を押すだけで、何ら誓約を科そうとはしなかった。
 嘘ではないと思う。
 狡猾な彼は言葉で人を操る術にも長けている。時に信頼こそが人を縛り、意のままに操る最上の鎖であると熟知しているのだろう。

「必ずや、ご期待に添えて見せます。私自身の為にも」
「それでいい、交渉成立だ。おめでとう。これで君も、よりジョセフに近付ける。楽しみかい?」

 そうと知りながら、ディードは受け入れた。
 掌で踊るだけでもいい、利害が一致すれば駒でも構わない、それで仇が取れるなら。
 彼に近付き、彼を超える悪魔にならなければ、仇が取れないと言うのならなってやる。
 口振りから察するにドクター・スカリエッティは、既に情報を得て研究を始めているに違いない。
昨日、研究所に侵入してきた(スカリエッティは客人だと言ったが)ベアトリスと名乗る胡散臭い女。
彼女はスカリエッティに協力を求め、研究資料として一つのカプセルを置いて行った。おそらくはそれが鍵であるはず。
 ブラスレイターを確実に作り出し、制御する方法を発見すれば、彼は必ず試そうとするだろう。
そうなれば真っ先に実験台に志願するつもりでいた。オットーと同じ身体になれる上に、最強の力まで手に入る。
拒む理由は何一つなかった。
 同じ身体を手に入れ、ジョセフのような甘えを捨てれば、今度は絶対に勝てる。
オットーのように暴走したとしても、首一つになってでも喰らい付いて、必ずや果たす。
 その為には、まず心から悪魔に作り変えなければ。
 もっと硬く、もっと鋭く、もっと冷たく。それだけを一途に念じて。
 ディードは薄く、スカリエッティのそれに酷似した微笑を形作り、陶然と呟いた。

「ええ……本当に楽しみ……」

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最終更新:2010年10月31日 15:25