一方的な蹂躙はまだ続いている。
スバルの顔がみるみる腫れていく。BJ越しとはいえ、あの乱打の嵐では無理もない。
むしろ、まだ立っているのが不思議だった。どうして、スバルは倒れないのだろうか?
エリオは注視して、その意味に気付き戦慄。背筋を冷たい汗が伝う。
正体は倒れることも許さない恐ろしい速度の連撃。
流石は六課最速のオールレンジアタッカー。フェイト・T・ハラオウンは近距離でも格闘戦でも、その異名に違わぬ速さなのだ。
エリオは飛び出したい気持ちを堪え、歯を食いしばって視る。
じっと右に左に揺れるスバルに目を凝らし――小さな光を見つけた。
「あれは!」
スバルの目はまだ死んでいない。嵐に耐え、反撃のチャンスを虎視眈々と窺っていた。
拳が勝手に握られる。
自然と、身体が前のめりになる。
自分が興奮しているのを自覚する。これ以上ないくらいに。
「私達の仕事は市民の安全と財産を守ること。それだけでもままならないっていうのに、
スバルは更に敵になる可能性が高いティアナを、あくまで助けたいなんて言う」
スバルの目が輝きを放つのとほぼ同時に、なのはが語り出した。
ぽつり、ぽつりと。視線は戦闘中の二人に固定されている。
「スバルは言ったよ。命を懸ける、命を賭けてでも、ティアナの本当の願いを聞き出すって。
そんなスバルがこの程度で挫けてちゃ、ティアナは引っ張れっこない。それにスバル自身も確実に死ぬ」
「なら……なら、僕達がサポートすれば――」
「これはね、私も誰も手伝っちゃいけない。だって本来の仕事じゃないんだから。
これが、スバルのごく私的な我が儘に対する私達の最大限の妥協点。
私も手伝うとは言ったけど、先頭を行くのはスバルじゃなきゃいけないの」
スバルはティアナが視力を失った原因であり、ティアナが融合体に変貌した現場に居合わせた。
そこで互いに本音をぶつけ合い、傷付け合い、ティアナはスバルの首を絞めて昏倒させた。
無意識だった、とスバルは弁解しているが、だとしてもティアナがスバルを危うく殺しかけたことに変わりはない。
二人の関係はもう、十日前までの親友とも、三日前までの依存し依存される関係とも違う。
最早、エリオやキャロには及びもつかない何かがあるらしく、
こればかりは直接スバルの真意を問うたなのはにしか理解できないのかもしれない。
一つだけ確かなことは、ティアナと話をつけるに相応しい相手はスバルを措いて他にいない。
少なくとも、なのははそう考えている。
「エリオ、キャロ、これだけはもう一度、肝に銘じておいてほしいの。
今、ミッドチルダは大変な事態に陥ってる。私達の任務は、市民の安全と財産を守るって仕事は、
天秤の向こうっ側に乗るのが、仲間との友情や家族や恋人への愛情だったとしても、決して軽いものじゃないんだよ」
俯いて唇を噛むエリオ。自分もあの雨の日、一人の市民を守れなかった。
もしティアナと知っていたら、それでも刃を向けられただろうか?
おそらく、無理だっただろう。
そうなれば、あの殴られた男は、エリオのティアナへの情のせいで命を落としていてもおかしくなかった。
本当は天秤になんか掛けたくない。仕事を貫くことが大事な人を守ることに直結するならいい。
けど、現実は唐突に取捨選択を迫り、こちらの都合なんて待っちゃくれない。
エリオにも、最近それが分かってきた。その上で、どちらも取るという選択がどれだけ欲深で困難かも。
果たしてフェイトはスバルに警告しているのか、覚悟を試しているのか、
それとも彼女が望みを叶えられるよう徹底的に鍛えるつもりか。
いずれにせよ、容赦も妥協もあり得ないのは確か。スバルのやらんとしていることは、それほどまでに重い。
そう考えると、理不尽に思えたフェイトの行動にも多少、得心が行った。
(そうとも知らずに僕は……)
握り締めた拳が震えた。己の不明につくづく嫌気が差す。
けれど怒りの捌け口が分からず、持て余す他ない。
その時だった。震える拳が、そっと握られた。
優しく、包み込む温もりの主はキャロだった。
「エリオ君、今はスバルさんの戦いを見てよう? 反省なら後でもできるから」
「キャロ……うん」
そうだ。反省なら後で幾らでもできる。それよりも、今はスバルを――。
エリオは毅然と前を向き、スバルの戦いを見届ける。
スバルはまだ耐えていた。フェイトのなすがままだったのが、徐々にではあるが両腕を上げ、防御の型を取る。
勢いに乗ったフェイトを崩すには不意打ち以外にない。とはいえ、それも困難と判断したのだろう。
これでは隙を見出すより先にスバルの身が持たない。
スバルがガードを固めた以上、暫く拮抗が続く。そう長くはないだろうが。
エリオは何とはなしに隣のキャロを見た。キャロも同じようにエリオに向いており、視線がかち合う。
そう言えば、まだ手は繋がれていた。
キャロも意識したのか、ぽっと頬を赤らめて目を逸らしたが、すぐにぎこちない感じで視線を戻した。
ただし、瞳に浮かんでいたのは照れではなく憂いだった。
「あのね、エリオ君。私も昨日、なのはさんと話したんだ。
二人がティアナさんを探すなら、私も手伝わせてほしいって言ったんだけどね……」
ゆっくりとキャロは不安を吐き出し始めた。
握った手がきゅっと締められる。まるで彼女の不安を表しているかのように。
「駄目だよ、って。これは私とスバルだけの我が儘だから、みんなには甘えられないって言われちゃった。
ミッドチルダは今、こんな状況だし……ティアナさんと戦う時は、キャロにも協力してもらうかもしれないからって」
なのはの拒否はもっともだった。全員が私情で動けば、部隊はたちまち立ち行かなくなる。それを踏まえての先の発言。
だからこそ、今日までに発見しなければXATから追手が掛かるというのに、僅かな暇を見つけての捜索しかしなかった。
それを理屈で分かっていても、キャロは疎外感を感じていたと思う。
ミッドチルダも六課も崩壊寸前の現状で、不安を感じないはずがない。
しかしスバルもフェイトもなのはも、頼りたい人物は皆、各々の問題で精一杯で、唯一、対等な立場のエリオは入院していた。
エリオは静かに空を仰いで息を吐く。
「そっか、キャロは強いね……」
なのにキャロは、スバルやエリオに情報の橋渡しをしてくれていた。折れそうな不安や悩みを、こんな小さな身体に閉じ込めて。
相談できる相手もいないのに。
エリオは改めて、彼女の強さを知った。同時に、自分の不甲斐なさも思い知る。だが、それもすべては終わってから。
スバルの戦いを見届けてからだ。
ごめん。それから、ありがとう……
心の中で、そっとキャロに感謝と謝罪を告げた。
直後、膠着していた戦局が動いた。
まるで切れ目のない乱打にも流石に疲れたのだろう。フェイトの勢いに衰えが見られた。
そして始まるスバルの反攻。必要なのは起死回生の一撃。一撃必倒のディバインバスターより他にないだろう。
となれば狙いは足だ。フェイトの超スピードの要たる足さえ潰せば、体力を温存し足を溜めていたスバルから逃れる術はない。
もっともそれしきのことは、フェイトとて読んでいる。エリオに読める、それは即ちフェイトにも読めるということだ。
今はデモニアックを演じているとはいえ、いつ切り替えるかは彼女次第。
そうでなくても強弱、緩急織り交ぜた戦法が取れるフェイトである。勝敗はまさに神のみぞ知るか。スバルの目的同様、綱渡りに等しい。
そんな一切合切を承知で、スバルは勝負に出た。
腕は変わらず顔面を守り、足は肩幅に開き、腰を落とす。一見して変わらないが、その姿勢が意味するものはカウンターだ。
そこまではエリオにも読めたが、当然警戒しているであろうフェイトにどこまで通用するか。
フェイトが動く。軽い跳躍からのハイキックが、スバルの左側頭部に向けて放たれた。スバルは左腕でそれを払い、前に出た。
「ぅぉおおおおおおお!!」
気勢を発して突進するスバル。
フェイトは右足を戻すと同時に、左足を繰り出す。狙いはあくまで顔面だ。
執拗に顔面を攻めるのは、足や胴では今のスバルの勢いを止められないから。
フェイトの体術も相当だが、やはり軽さは否めない。相手がシューティングアーツの練達者であるスバルなら尚更。
意表を突いてバルディッシュを手放したのが仇になったか。
スバルはこれも凌いでみせた。と、言っても、本命でないからこそ楽にできただけのこと。
フェイトは飛行さえできれば、追撃のないところからバルディッシュを引き寄せるなど造作もない。
しかしフェイトは、この模擬戦で飛行と砲撃を封じている。今回の訓練ではティアナをトレースしているのだから当然だが、
この期に及んでも定めたハンデを遵守する余裕があるのは流石。
とはいえ、狙いを定めるのも魔力を練るのも困難な接近戦では魔力弾は焼け石に水。
バックステップを踏みながら、スバルのガードを掻い潜って牽制しつつ、本命をぶち込む機会を窺っている。
(つまりこの勝負、フェイトさんがバルディッシュにたどり着くまでに捕らえられればスバルさんの勝ち。
逃げ切るか、頭部に直撃させればフェイトさんの勝ち……)
そしてバルディッシュまで十数歩の距離。スバルが徐々にだが確実に距離を詰めた時、フェイトが強く足を踏み込んだ。
(来る――!)
最初と同様、右足でのハイキック。スバルが手の甲で弾く勢いを利用して素早く足を戻す。
地中に埋め込まれた杭の如く深く踏み込んだ左足を軸に回転、後回し蹴りへと繋げた。
「くぅっ……!」
スバルの食い縛った口から苦悶の声が漏れた。フェイトの踵が、防御の上からでも重い衝撃を与えているのだろう。
リボルバーナックルをはめた右腕がビリビリ痺れているのが見て取れた。
そうか、これがフェイトの本命。攻撃を仕掛けてくるなら、ナックルのある右腕と踏んだ。
一時的にでも封じれば、逃げるにせよ攻めるにせよ有利に転がる。
フェイトの勝ちは決まったか。高を括ってフェイトの動きに集中していた時だった。
「エリオ君! スバルさんが!」
キャロの声に視線を移すと、そこにはスバルがナックルのない左腕を腰溜めに構えていた。
振り向くフェイトの表情に、初めて驚きが浮かぶ。それは彼女の読みが外れたことを意味していた。
対照的な二人の顔を青い魔力光が照らす。
万全とはいかないまでも、チャージを経て撃ち出される技は、フェイトの足を潰すには十分。
「これで!!」
青い魔力を纏った拳が、足を戻すより早くフェイトの脛を撃ち抜いた。
「っぐぅぅぅぅ!」
噛み殺した悲鳴。
非殺傷でも手加減していても、痛いものは痛い。右足は暫く使い物にならないだろう。
後ろ回し蹴りという不自然な体勢も災いした。転倒は辛うじて避けたものの、
今のフェイトは、スバルに背を向けるという致命的な隙を晒している。
ナックルダスターだったか。拳に魔力を圧縮し放たれる魔力付与打撃。ナックルから放たれるものとばかり思っていたが、
左手からでも撃てたとは。 短い間に、スバルは目覚ましい成長を遂げていた。
背を向けた上に、右足を引き摺って逃げるに逃げられない状況。今度こそ決着は付いたかと思われたが、さっきのこともある。
どんなどんでん返しがあるか分からない。何より、エリオから見えたフェイトはまだ諦めていなかった。
無理を押して逃げるか、スバル相手に格闘戦を挑むか。どちらも勝ち目は薄いが、それとも――。
エリオ、キャロはもちろん、なのはや副隊長、誰よりスバルの視線がフェイトに釘付けになる。
このフェイトの動きで、勝敗が決すると言っても過言ではない。
この隙を見逃すほどスバルは馬鹿ではない。拳を振り上げ、フェイトに狙いを定める。
全員の視線が集まる中、フェイトが跳んだ。
飛んで逃げるのではない。残った左足で、トン、と軽やかに宙を舞った。
高く、スバルの背丈を遥かに超えた跳躍。スバルの拳は空振り、フェイトは空中で華麗に身を翻した。
この跳躍の意味。単なる回避に止まらない。隣のキャロやなのはを見ても、すぐには理解していないようだった。
だが一人だけ。エリオだけは一瞬で悟っていた。
当然だ。映像データを見ただけの人間には分かるまい。その場にいた人間でなければ。
だからこそ、エリオに分からないはずはなかった。
そう、これは自分とティアナの戦いの再現なのだから。
となれば、次の行動は決まっている。
案の定、フェイトは左足を突き出して、スバル目掛けて落下を始める。狙いは鋭く正確に、その額を捉えて。
回避は間に合わないと判断したか、スバルは両足を開き、地をしっかと踏み締めた。
「受けちゃ駄目だ!!」
高度からの踵落とし。たとえ受け切っても、空いた両手から魔力弾の直撃を喰らう。
あの時はエリオが片手を折られ、雨で足場もままならない状況だった。
故に、確実に決めるならそこまで追い込まねばならないが、スバルの消耗を考えれば十分有効だろう。
フェイトもここで全力を尽くしてくるはず。片手で受けるのは困難、となれば必然と選択肢は回避か迎撃に絞られる。
模擬戦に横から茶々を入れるのはルール違反と知りながら、エリオは叫んだ。
それはスバルに自分と同じ轍を踏んでほしくないという思いからか。それともエリオ自身が、この戦いにティアナを重ねていたからか。
どちらにせよ、エリオの願いも空しくゴッッと硬い音が届いた。
しかし、それはスバルが両手で踵落としを防いだ音ではなく。
一歩前に出た彼女が、真っ向から額で踵を受け止めた音だった。
スバルは重い一撃にも揺るぎなく、鋭く尖らせた目で額に乗った踵を睨みつけている。
持ち前の打たれ強さ、ヴィータから教わった防御、咄嗟に魔力を集中し強化したフィールド。
それらすべてが相まって、スバルを立たせている。
しかし、本当にそれだけだろうか。
彼女の両足を支えているのは、そんな理屈とは別次元にあるもの。
絶対にティアナを止め、そして助ける。その願いを貫き通そうとする意志ではないか。
そう思えてならなかった。
「あはは……。まったく……言ったそばから無茶するんだから」
なのはが誰にともなく呟く。エリオが目をやると、なのはの口元には、呆れと不安が混じり合ったような複雑な微笑が浮かんでいた。
スバルの行動には誰もが目を見開いているが、一番驚いているのはフェイトだろう。
まさかスバルがノーガードで、しかも両手が自由になっているとは想像だにしなかったに違いない。
幾度となくひっくり返った戦いの趨勢は、ここに来て再び反転した。
スバルの両腕が振るわれる。フェイトが痛む右足で退くよりも、魔力弾で追撃するよりも早く。
当然だ。想定外の行動の対処を組み立ててから動くフェイトと、予定通り実行するだけのスバル。どちらが早いかは自明の理というもの。
何より攻撃対象は、無防備にも彼女の頭の上に自分から乗っかってきている。こうなれば、どんな行動もスバルに追いつけるはずがなかった。
そして力を溜めた両の拳が、左足を左右から挟み潰した。
「――ッッ!!」
声どころか音にもならない息だけが、フェイトの口から唾液と共に吐き出された。これで本当に非殺傷なのか、
ダメージが残らないものなのかと心配になるほどに。
フェイトは力を振り絞った右足で後ろに跳んだ。しかしあまりに弱弱しく、スバルから逃れるには到底足りない。
おまけに体勢はガタガタ、膝は今にも崩れ落ちそうだ。
今やフェイトの防御は両手のみ。スバルなら容易く突き破れるだろう。
絶好の好機。スバルは止めを刺ささんと踊りかかる。せめてもの抵抗にと交差された両腕を左腕で弾き、跳ね上げた。
がら空きのボディにリボルバーナックルが唸る。
最早、フェイトに打つ手はない。直撃を受ければ、耐えたとしてもフェイトの反撃の芽はないに等しい。
(決まった! 今度こそ……!)
誰もが決着を確信した。即ち、スバルの勝利を。
だが、それは成らなかった。
スバルの拳が直前で止まる。
ナックルを叩き込む寸でのところで、スバル自身が急制動を掛けたようにしか見えなかった。
エリオからはスバルの表情は窺えない。ただ、攻撃を覚悟していたフェイトは目を白黒させている。
スバルと同時にフェイトも、誰もが動きを止めた。実際には一秒少々だったろうが、何倍にも引き延ばされたように感じられた。
突如、訪れた静寂。
引き裂いたのは、やはり彼女だった。
「スバル!!」
静止した空間に怒号が轟いた。
声の主は――なのはだ。
かつてないほどの怒気を孕んだ声。なのはは目に見える怒りのオーラを全身に纏い、腕を組んで佇んでいる。
彼女がここまで怒っているのを見るのは初めてだった。
なのはが何故、こうも怒っているのか。エリオには見当も付かないが、ともあれ彼女の叱咤は止まっていた時間を動かした。
スバルはビクッと肩を震わせ、一拍遅れて動き出す。しかしスバルは拳を撃ちこまず、代わりにフェイトの左手を取って捻った。
関節を極めて取り押さえる気か。だが――。
無理だ。
即座にエリオは看破した。
手つきからして、自分にも分かる拙さ。フェイトなら苦もなく抜けられる。
一度抜けられて、それでも腕を取ることに拘る。スバルは明らかに平静を欠いていた。
二度目は足取りの重いフェイトを捕らえられたが、どう考えても罠だ。
だが、スバルはそれすら気付いていない。結果、致命的な隙を晒すことになる。
「そうは……させない!」
後ろ手に捻られ背中に回されたフェイトの手と、スバルとの間で金色の光が爆ぜる。
フェイトが掌で溜めていた魔力弾が、至近距離で炸裂した。おそらく捕まることを予測し、
スバルの狙いを察した瞬間からチャージしていたのだろう。
白煙を上げてフェイトは前のめりに倒れ、爆発に面喰ったスバルは堪らず仰け反り、手を放す。
フェイトは前へ、スバルは後ろへ。両者の距離が離れる。
しかしフェイトは堪えた。だん、と左足を強く踏ん張った。
先の踵落としもそうだが、覚悟が有れば大抵の苦痛は耐えられるもの。
同じ痛みでも自ら引き起こし、予想していたフェイトは行動に移せる。
「はぁああああああああ!!」
振り向きざまにフェイトは拳を突き上げ、スバルの顎をストレートに捉える。
ただの拳ではない。高々と掲げられたフェイトの拳は金色に輝いていた。
紫電一閃。
エリオはシグナムから教わった技を連想した。
そのものと呼ぶには些か不細工であり、原理も異なるだろうが――とはいえ電撃を拳に纏わせたのは確か。
おそらく、即興で電気を帯びた魔力スフィアを形成し、叩きつけた。発射するには不安定でも、直接ぶつける程度なら問題ない。
そんなものを、まともに顎に喰らったのだ。普段のスバルならまだしも、今のスバルではひとたまりもないだろう。
スバルは吹っ飛び、仰向けに倒れると、やがて動かなくなる。
それは、この模擬戦の決着を意味していた。
「何で……」
エリオは呟いた。
互いがハンデを負い、ルールに基づき先を読み合う、言わばチェスのように進んでいた一戦。
一手一手が意外なものこそあれ、振り返ってみれば、すべてが理に適った攻防。
しかし分からない。スバルがあそこで手を止めた合理的理由が、どうしてもエリオには理解できない。
いくら考えようと説明がつかなかった。
「スバルさんはフェイトさんを取り押さえようとした……。この模擬戦はティアナさんを想定したもの、
つまりスバルさんはティアナさんに致命傷を与える危険があると判断し、関節を極めて無力化を試みた……?」
いや、本当にそれだけか? あの状況下で、本当にそんな余裕があるものだろうか。
第一、これは模擬戦だ。急所に直撃してもまず重症には至らない。勝敗の懸かった土壇場で、そんなことを気にするだろうか。
そこまで没頭していた……?
そうだとしても説明がつかない。実戦と仮定するなら、あの場で拳で止める選択は、それこそ愚行以外の何物でもない。
エリオの思考が、ぐるぐる堂々巡りを繰り返していたところへ、
「エリオ、それは違うよ」
なのはに否定される。
彼女はエリオとキャロの視線を集めた後、話を続けた。普段の教導と同じく、やんわりと教え諭すような口振りで。
「融合体の身体はそんなにやわじゃないよ。もしもティアナと戦闘になったとしたら、完膚なきまでに叩きのめさなきゃ捕らえられないだろうね。
関節を外したり骨を折ったくらいじゃ――ううん、たぶん腕一本、脚一本落としたとしても止まらない。それこそ四肢をもぐくらいしなきゃ」
恐ろしいことを平然と口にするなのはに怯むエリオ。
ティアナが四肢をもがれて達磨のようになった絵を想像してしまい、気分が悪くなる。
だが実際に、ティアナの強さと融合体の生命力は身を以て知っている。なのはの言う通り、それほど至難の業なのだ。
「そもそも、融合体相手に"組む"って選択肢があり得ないんだよ。デバイスと融合される恐れがあるからね。そう教えたでしょ?」
確かに。
極力正面から一人で仕掛けるな。
接近された場合は距離を取ることを第一に考えろ。
ヒットアンドアウェイを心掛け、懐に入る時は必ず反撃されない、反撃を許さない状況であること。
フォワード全員が口を酸っぱくして言い聞かされた注意事項である。
特に近代ベルカ式の使い手であり、前衛を務めるエリオとスバルは。
「じゃあ今のは判断ミス? それとも……」
隣ではキャロも首を傾げている。そうだろう、あれを見て疑問に思わない者はいない。
少し離れた場所では、ヴィータとシグナムが囁き合っている。
「やべぇな……」
「ああ、あれは根が深いかもしれん」
エリオはその会話が意味するところを考え、キャロと同時に一つの仮説に行き当たる。
なるほど。これなら、なのはの怒りにも説明がつく。
しかし――。
「まさか……」
「攻撃しなかったんじゃなく……できなかった?」
なのはは肯定も否定もしなかった。ただ、今は横たわって荒い息を吐くスバルを見つめている。
何を思っているのか、その横顔からは窺い知れない。
「あれならティアナとの模擬戦の時の方がまだまし。行動の是非はともかく、あの時は二人とも迷いがなかったから。
強くなりたい――その意志を二人なりに貫いた。でも今のスバルは違う。土壇場で迷い、手を止めた。
自分の我が儘に他人を巻きこんでおいて、今更それはないよ」
スバルには自分たちが与り知らぬ事情があるのだろう。それも相当深刻な。
なのははそれを誰より理解している。理解していながら怒っている。いや、だからこそか。
今のスバルに甘えに繋がる言葉は厳禁、とでも考えているのだろうか。
もちろん、すべてはエリオの想像の域を出ていない。だが想像通りだとすれば、理由はこうだ。
スバルの、言うなれば信念がなのはを動かした。そのなのはが、キャロや副隊長陣を動かした。
それは管理局の法や理念に反するものかもしれない。XATの任務を妨げるものかもしれない。
それでも、なのははティアナを助けるというスバルの意志に、可能な限り協力を約束した。
その意志は、大勢の人間を巻き込んで既に走り出している。
先頭を走るのはスバルだ。
彼女には人を動かした責任がある。
故に、スバルは止まることも倒れることも許されない。彼女の行動に理解を示し、乗った人間がいる限り。
もう事は彼女の一存で止まれる段階を通り越しているのだ。
「スバルは昨夜帰りに言ってたよ。『もう一分だって一秒だって立ち止まってる暇はない、一刻も早くティアのところに辿り着く』」
なのはは静かに語る。声音は柔らかく、穏やか。
エリオは内心、胸を撫で下ろした。
なのはは、まだスバルを見放していない。
「『どんな無茶も覚悟の上。今こそ命を張らなきゃ意味がない。今無理しなくて、いつ無理するんですか』、ってね」
スバルはまだ寝転がっている。時折ゴシゴシと額を拭っていたが、涙を拭っているようにも見えた。
彼女の為に自分に何ができるのか、そもそも何かすべきなのかどうか。
なのはと共にスバルの無茶を支えるのか、フェイトのように職務と正義に忠実であるべきか。
今はそれさえ分からない。
しかし、ただ一つ。
(僕は今こそ強くなりたい。ならなきゃいけないんだ。どちらを選ぶにせよ……!)
何かせずにいられなかった。
胸を熱いものが突き上げる。動かせない右腕がもどかしかった。
なのはは、そんなエリオの逸る気持ちを察したのか釘を刺す。
「でも往々にして、そんな時に限って道に迷わされるんだけどね。それも本人の意思に因らずさ……」
「迷わされるって……誰にですか?」
「う~ん……」
なのはは顎に手を遣り、考える素振りを見せた。
やがて彼女は両目を細め、静かに、冷たく言い放つ。
「現実って奴かな……。なんにせよ、今のスバルじゃ出動には出せないね。あれじゃ使い物にならない」
突然の戦力外通知。
キャロは目を丸くし、副隊長二人は苦い顔で頷く。
エリオは冷や水を浴びせられた気分になった。それは三人の反応にではない。
なのはの声は抑えられてはいたが、確かにスバルにも届いていた。彼女の肩が震えるのを見たからだった。
最終更新:2011年06月03日 12:53