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「人を、殺したんだ。子供も老人も兵士も区別せず、何十人も何百人も。償えるわけが無いだろう?」
「そうね。誰かを殺した罪なんて、償えると考えるのも傲慢よ。
でも、それに甘んじて何もしないのはもっと惨めよ?」
「だから救いなさい。子供も老人も兵士も区別せず、何十人も何百人も。
その資格が無いとは言わせない。力も武器も寿命もあるんだから、充分出来るでしょ?
何かが出来る人間にはね、何かをする義務があるのよ」
あれから、三年が経った。
彼の命を助けたのは一度。彼に命を助けられたのも一度。
見詰め合ったのは二回だけ。背を預けあったのは数知れず。
痛くても辛くても、決して戻らない。
何時も、今を変えたくて、夢中で駆け抜けてた。
―――そして、今もまた。
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列車の上部、装甲の上を、高速で跳ね回る影が一つ。
白を基調に四肢を青銅色で覆ったその影は、立て続けに刃を投擲。が、翡翠の色に輝くそれは、逆手に掲げた短剣の前に掻き消える。
「ははははは! 見る影も無いなチェシャキャット!
世界を裂く爪牙も、虚空を渡る術も失っては形無しか!」
開発者―――ジェイル・スカリエッティは、『ベガルタ』と呼んでいた。
『小怒』を意味するその短剣は斬る為のものではない。柄から流し込まれた超震動を動力源に、紅い刀身の内部に仕込まれた二種類の防御装置を稼動させる『楯』なのだ。
通常のAMFと違い単一方向以外への防御力は低いが、敵そのものがどれほど高速かつ不規則な動きであろうと、直線的な射撃であり、弾速は目で捉えられる程度である以上充分に防御が間に合う。
「そっちはグリフォンも元気そうで何よりだ! それはそうと十年ぶりの再会だろう!?
僕にとっちゃ三年ぶりだがね、兄との再会を祝おうとするなら歓迎するよ! どうだい!?」
「生憎だが、オレにとっては半年も経っていない!
たとえ百年ぶりだろうが、祝う気など欠片も起きんがな!」
トーレとの通信が途絶えているが、さして心配することもあるまい。一人が欠け、自分が抑え込まれているこの状況は、望ましい拮抗状態だ。
『本来の』目的からすれば、それは非常に都合がいい。
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市街地の上空を、暗い緑で塗装されたヘリが高速で飛行する。
「じゃあ、作戦を説明するよ……はやて部隊長」
『周囲は市街地やけど、現場は既に結界で封鎖されとる。流れ弾程度なら気にせんで戦えるで。
結界は半径二百メートルの半球状。随伴しとった部隊が外部から維持しとる。
護衛部隊が中で耐えとるからやと思うけど、敵が脱出してくる様子はない。まだ間に合う筈や』
「あたしとシグナム副隊長、スバル、エリオ、ティアナの五人が前衛だな。結界は」
「レリックの位置は七両編制の四両目、回収にはスバルとティアナが行け……敵に魔導師がいる。油断するなよ。
動きが遅い上に頭も悪いガジェットとは訳が違う。一対一ならともかく、複数に狙われたら迷わず退け」
「エリオは護衛部隊と連携して敵戦力の排除。向こうの部隊長クラスの指示に従いなさい。
それが出来ない場合、ティアナが後方に下がって指揮。ヴィータ副隊長はフォローを。キャロとわたしは、上空から援護するよ」
「「「「了解!」」」」
そのコンテナの中、右から順にスバル、ティアナ、エリオ、キャロが座り、対面にはなのはとヴィータ、シグナム、そして欠席しているフェイトの位置には、
「……俺は何をすればいい」
傲然と腕を組んだ、仏頂面の金髪翠眼。
アレックスことキース・シルバーが、眉間に皺を寄せていた。
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―――主動力回復・メインプロセッサ再起動。
ざらつくノイズが視聴覚を走り、しかし間も無く調整される。耳に響いたのは、妹からの通信だ。
『……レ姉様ぁ? 大丈夫ですかぁ?』
「クアットロ、か……あれから何秒経った!?」
『んー、二百秒ぐらいですかねぇ? 機動六課の到着までは数分……』
ビルの壁に蹴り込まれた身体を引きずり出そうともがくが、脳裏に浮かぶ大量のエラーメッセージに断念した。
一旦、動作を中断。会話を続けながら、アラートの群れとダメージリポートを解析する。
頸部神経ケーブルの断裂は補助回線を稼動。左上腕のフレームにまで達する切傷は循環系の閉鎖によって処理。
「状況はどうなっている。一刻も早く、チンクの援護に行かねば……」
『ああ、その必要はない。そこから脱出したら、状況が変化するまで待機しておいてくれ』
「何故ですドクター。このままではレリックが……」
『ウーノとクアットロ、レッド、それからドゥーエにはもう伝えておいたのだがねぇ……実は、レリックは既に充分な数が集まっているのだよ』
「では、今回の出撃の目的は一体……」
『データ収集だよ。主に、九番目の妹……ノーヴェに組み込む『シューティングアーツ・エミュレータ』のね。拮抗状態はそれに都合がいい。
君とチンクに伝えていないのは、出来ればそれを悟られたくはなかったからさ。君達二人は、ばれないように手加減が出来るほど器用じゃないだろう?』
『そうなんですよぉ。だ・か・ら、失敗しても構わないんですぅ。むしろ、レリックを差し上げる方がいいかもしれませんねぇ……?
あっちの課長は、とんとん拍子に出世してここまで来た……さぞかし自分が有能だと思っていることでしょうねぇ。レリックも十個以上確保していますしぃ。
―――単に、コネクションと戦力と稀少技能を保有していたというだけなのに。手に入ったレリックも、全てドクターが捨て置いた……ガジェットが勝手に奪いに行ったものだけなのに。
トーレ姉様、誰かを欺く為の情報にとって、最も重要なことは何か分かりますかぁ?』
「真に迫っている……そもそも嘘だと分からないことか?」
『いいえ、違います……真に迫っていることは二の次。最も重要なのは、相手が現実に見たいような、相手の望む嘘であること。
そうすれば、よしんば気付かれたとしても、相手はそれから目を逸らす……そこで初めて、真に迫っているということが活かされる』
演算処理系はほぼ無傷、第二補助プロセッサがエラーを吐いているので強制終了させた。
クアットロから送信されているデータから戦況を確認し、拮抗状態に安堵する。
他の作業と並列し、あの男―――四肢を装甲で覆った金髪翠眼の魔導師―――との戦闘データを解析する。
初撃はあちら、振り返りざまに左手から放たれる四つの投擲魔力刃。全身でロールを打って回避し加速、擦れ違いつつ首筋を右肘のブレードで斬りつけた。
飛び上がった男の後ろ回し蹴りの踵と激突し、薄紫の火花を散らす。その衝撃を利用し距離を離そうとした、その瞬間。
―――脚甲の足裏が虚空に生んだ円陣を踏み再加速、こちらの首元に直蹴りの爪先がめり込んだ。
衝撃によって神経ケーブル
その他の伝達系が瞬間的に切断され、飛行に必要なバランスの維持を喪失。失速しつつ線路脇のビルに激突、ブラックアウト。
戦闘機人に限らず、空戦を行う者は最高速において陸戦に勝る。地を蹴り続けなければならないという制約が存在しないからだ。また、同様の理由で屋外での三次元機動力は比べるべくも無い。
逆に、陸戦を行う者は制動能力、急激な方向転換において空戦に勝る。飛行魔法を使わない分、身体能力の賦活にリソースを割くことが出来るからだ。屋内での三次元機動力も同様の理由で高い。
故に、空戦と陸戦の戦闘は常に戦場に依存する。壁と天井、障害物が多ければ多いほど機動力を削がれる空戦に対し、陸戦は逆だからだ。
ならばこそ、空戦は陸戦に対して絶対的な優位を保有している。
屋内に誘い込むのは難しい。建物ごと吹き飛ばされる可能性が考えられるからだ。対して、屋外に出る側にそんな縛りは無い。
あの男は、その優位を一方的に崩して見せた。
恐らくは、瞬間的に足場を生み出す術式。飛ぶのではなく、跳び回るような空中機動を可能とするのだろう。
屋外での陸戦魔導師の優位を確実に確保する為の魔法。原理的には単純だが、一瞬で構成してのける技量は尋常ではない。
対抗する手段はある。奇しくも、ほぼ同様の戦術思想で設計された『エミュレータ』が。
「……ドクター」
『ん? 何だねトーレ』
「機動六課の到着と同時に、E-リミッターの解除許可を。
現状はレッドとチンク、ガジェット達が拮抗していますが、六課が到着すればその状態は崩れます。
ゼストとルーテシアに連絡し、私が主力を二人ばかり潰しておけば、丁度均衡するのでは?」
『ふむ、『ホワイトラビット・エミュレータ』を使うのかね?
……よろしい、許可しよう。ただし―――』
『適度に苦戦して、運良く倒せたように見せかけて下さいねぇ?
一撃で倒してしまうと、あちらが実力差を自覚してしまいますからぁ』
「難しい注文だな、それは……努力はするとしよう。レッドはどうしている?」
『彼の兄と戦闘中だ。兄弟喧嘩、と言うには……少し生々しいかね?』
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両手にARMSを起動したレッドが、高笑いしながら接近してくる。超震動がある以上、接近戦では勝ち目が無い。
地を蹴り飛ばして宙を舞い、両手に顕した二振りの短剣を時間差で投擲。
だが、紅い短剣の生み出すAMFの前に魔力結合が分解され、影すら残さず消失した。
残存魔力が心許ない。大技は二発が限度。そうでなくとも、このレベルの戦闘機動を続けていれば一分と持たずに底を突く。
しかしそれは表情に出さず、挑発めいた軽口を叩き続ける。その癖だけは全く抜けないのだ。
「随分と便利な玩具だねえ、そいつは!」
「そちらのデバイスは不便そうだな! 射撃管制から何から大幅にオミットしたか!?
ならば―――その代わりに得た奥の手があるのだろう!? このオレに見せてみろ!」
「人に切り札を見せろと言うなら、自分が先に見せるべきじゃあないか!?
例えば、腰の鞘に納まったままの剣とかね!」
「こいつは今の貴様に使うべきものではないのでな!」
……相変わらずテンションの高い奴だ……
思いつつも動きは止めない。神速の一歩から繰り出される右下段からの斬り上げを跳躍回避。
空中を狙って突き出された左の刃。本来ならば避け得ぬ一撃を、右の足裏に生んだ円陣を蹴って再跳躍、回避する。
空中で倒立するように身を捻り、直上から六つの魔力刃を最大圧縮で連続投擲、炸裂させる。指先ほどの刃が驟雨と化した。
しかしまた同じ。左手に握られた短剣が唸りを発し、命中する軌道にあった全ての刃が消滅する。ただでさえ残り少ない魔力を大幅に消費した攻撃は、一片のダメージも与えられなかった。
だが、それでいいのだ。
「それは無駄だと分からないのか!?」
「……シルバー兄さんが君を失敗作扱いした理由が、ようやく分かってきたよ」
「……何だと?」
何故ならば、狙いはレッド本人ではなく―――
「足下―――僕と違って、空中で動く手段は無いんだろう?」
「うおっ!?」
列車の装甲に突き刺さった小さな魔力刃が、もう一度炸裂した。構成する魔力の全てが衝撃へ転化され、幾つもの亀裂を穿つ。
三層式の装甲の表面、つまりその足場が崩壊し、バランスが崩れる。
更に、
「戦闘に集中すると周りが見えなくなる。能力の質も相俟って、一騎打ち以外じゃあ全然弱い。
……今だ、やれっ!」
その瞬間、戦場を覆っていた結界が解除された。
左右のビルから結界を張っていた局員が顔を出し、長杖や狙撃銃を構えて連続射撃を叩き込む。
もうもうと舞い上がったのは、魔力弾の着弾に伴う余剰魔力の白煙だ。
『やったか!?』
『部隊長、アレ誰……というか、何でしょうかね?』
『私は今のでカートリッジが切れました。誰か余裕のある方は?』
だが―――共振が消えていない。
着地したあと、飛び交う念話に対し、狙撃位置の変更と再度の待機を命令する。
煙が晴れたとき、そこには―――
「……伏兵とは、やってくれるな―――!」
あれだけの攻撃を殺傷設定で撃ち込まれてなお、立ち上がるレッドの姿があった。
短剣を掲げて守った左腕と胸、頭部は無傷。全身各所に空いた風穴も高速で修復されていく。
「……そういえば、再生能力はトップクラスだったね」
魔力がついに底を突き、身体能力の賦活が消失。蓄積疲労が一挙に筋肉を侵蝕し、針金で縛られたように重くなる。
目の前には無傷のARMS、こちらの武器は徒手空拳のみ。
『狙撃! 最速で当てるだけでいい―――!』
だがそれでは遅過ぎる。それ以前に、二番煎じが通じるほど甘い奴ではない。
レッドが、右手の刃を大きく振り被った。回避しようにも、脚も腕もあまりにも緩慢だ。
だから、あえてバランスを崩して背後に倒れこむ。左手で受身を取って転がり、数秒だけの時間を稼いだ。
奴はその無様さが癇に障ったのか、苛立ちを顔に浮かべて左の刃を振りかざす。
―――その顔が引き攣った。
背筋に震えが走る。結界、そして魔力の余波によって気付かなかった。目の前の相手とは違う共振反応。
「この共振は、まさか―――!?」
「―――シルバー兄さん!?」
瞬間、遥か彼方より飛来した紫電の槍が、奴の胴体を根こそぎ蒸発させた。
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最終更新:2007年11月05日 19:24