『Hello Word Hello World』

「4日目、ギズモと公園へ」にて、言葉を覚えたギズモに対して樹が用いた言葉。
『世界』は『人の脳』が造り出したもの。
そして、『ただの脳』を『人の脳』にするのが『言葉』である。
ギズモは言葉を覚えた瞬間、はじめて『世界』が世界であることを知る。
言葉と認識が結びついたとき、ギズモの世界は生まれるのだ。


『歴史が私にどんな関係があろう。私の世界こそが、最初にして唯一の世界なのだ』

「4日目、new word」にて、ギズモが見ているモノは自分と『同じ』なのだろうか?
という樹の疑問に対して、琴子が言った言葉。
『同じ』ものなどなく、樹、琴子、ギズモはそれぞれ別のものを見ている。
自分の見ている世界は、自分にしか見えないたったひとつのもの。
同じ世界で生きているという認識は、『言葉』があってはじめて生まれる。
『言葉』による認識の共有が、2つの世界を『同じ世界』に見せかけている。
私たちは『言葉』が生み出したひとつの世界に住んでいるのだ。
引用元はウィトゲンシュタイン『草稿』


『存在することは知覚されることである』

琴子ルート「父の観た世界」にて、もうひとつの人生の電卓の日記に書かれていた言葉。
誰もいない森の中で木が倒れたら、音はでるのだろうか?でないのだろうか?
結論を言うと、誰にも観測できないものは『無い』ものと同じなのだ。
アイルランド、キルケニーの哲学者ジョージ・バークリーは、この言葉を用いて
物体という実体の存在を否定しようとした。


『この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし』

琴子ルート「父の観た世界」にて、もうひとつの人生の電卓の日記に書かれていた言葉。
ヨハネ曰く、言葉は神である。神は言葉で意味を与える事により、世界は生まれた。
全てのものはこれによって生まれ、それによらないものは一切ないのである。
引用元は『ヨハネによる福音書』


『『世界』は重なり合ってるの。きっと、私の世界と兄さんの世界も……』

琴子ルート「家族」にて、初詣に出かけた際琴子が言った言葉。
我々は、誰もが同じ世界を観ていて、また同時に自分にしか見えない世界を観ている。
そんな自分達が数えきれない程いて、水面に生まれた波が重なるように干渉し合う。
しかし自分の存在、そして相手の存在も互いの『クオリア』を求め合うことで、
揺らぐことのない、ずっと一緒にいられる世界を創ることができる。
樹が琴子を観ている限り、琴子は永遠に存在し、琴子が樹を観ている限り、琴子を観ている樹は永遠に存在するのである。

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最終更新:2011年03月09日 23:26