高戸に配属されてからはや2年。最初こそ不安でいっぱいだったが、今では慣れたものだ。最近はあまぎりの運転ばかり。そんな自分の楽しみは、L4編成の乗務になる事。車掌業務はしないといけないけど、それでも分担出来るからいつもの労力よりは少ない。何より"彼女"と乗務できる。そして今日はいつものパターンならL4が回ってくる日。気持ちばかり早歩きで、点呼場へと向かった。
「…えっ?それ本当に私ですか?」
「間違いないよ。八木くんで間違いない。」
突然の言葉に頭はブルースクリーンを吐く。いや…心か?理解は出来るが心は追いつかない。
「八木くんにはいつもこんなことをさせてしまって悪いと思ってるよ…そりゃ。でもキミがほら…ウチの古参で若いからさ…。こう言っちゃ悪いけど、扱いやすいんだよ。」
さっきまでの気持ちは既に特急に乗って旅立ち、鈍足各停の心が追いつく術は無かった。
「その…さ?手当はちゃんと出るし住む場所も保障するからさ…?」
「いや…まあ…その…」
本社の運転所に転属して試運転含め新幹線の乗務に徹する。給料も上がる、住む場所もある、別にこれから交通が良くなると言うんだし行く場所がド田舎だとかってのも問題ない。なんなら少ない余暇でも隣国に行きやすくなるのは得。
ただ、ただ、"彼女"に会いづらくなるのは、とても悲しいことだと、自分の中の自分は訴えている。それが…捨てきれない。
「どうしても嫌なら…別の人をどうにかやりくりするけど…でも時間もそんなにないし人も沢山居るわけじゃないから…。厳しいかもしれないけど、受け入れて欲しいと思っている。やってくれるかな…?」
…この人がここまで言うのだから私しか居ないんだろうなとは思う。これを拒んでいるのも所詮は己の欲。社会の一員として、大人として、この程度を抑えられないのもダメだよな。
「…やります。大丈夫です。やれます。」
「おぉ…そりゃよかった…よかった…。ヴォホンッ。では。八木 伸介殿。あなたに三山運転区への異動を命じます。」
「分かりました。行ってきます。…お元気で。」
「一生の別れでも無いからな。たまには顔出してくれよ?お前中々モテてんだからさ。」
「なっ…何言ってるんですか。」
「HAHAHA。半分冗談だよ!!」
「そうですか…ん?」
半分…?
「はい!行ってらっしゃい!あまぎり54号はもう出ちまうぞ?さっさと行かないと三山行きの最終に間に合わないぞ。」
「あぁはい。では、お元気で。」
彼はいい人だ。いつでも誰でも、変わらず接してくれる。そして今も。こっちに向かって、手を振ってくれている。
私ももう一度、大きく手を振った。
「今日は遅かったですね。なにかつまみ食いでもしてきたんですか?」
「いや…まあそれはちょっと色々あって…。まあ追々話すよ。三空までは遠いんだしさ。」
「それもそうですね。」
いつもと変わらない突飛の姿に安堵する。まあ、初めて会った時と変わらないわけではないんだが。
それはそれとして最後のあまぎりの車掌乗務がある。しっかりそれはこなさねば。
「…時刻よし、ドアよし、ホームよし。こちら問題ないですよーっと。」
大きく手を振り、安全を伝える。古典的だが、昼間の特急のホームならこの程度で十分だ。見えたらその間に人は居ない。ある意味合理的だ。
ドアが閉まる。自分も扉を閉める。出発合図が鳴る。突飛が、いつものように流しノッチで列車を加速させる。美しいGTOの声が、辺りに響く。心地のよい信号歓呼が聞こえ、私は車内改札の準備をする。
ブザーが鳴る。通話の合図だ。何かあったのだろうか?そんな疑問を他所に、突飛は会話を進める。そして私を手招いた。
「八木さんに連絡ですと仰ってます。」
私は受話器を引き継ぐ。決して広くは無い空間。突飛のいい匂いがする。
「はい車掌の八木ですが…」
「ああ八木さんね。今日は車内改札は私一人でするんで、そのまま乗務員室に居ていいですよ。」
「えっえぇ?大丈夫なんですかそれ?」
「大丈夫ですよ。いつも一人でやってることです。出来ないことはありません。特にこの直通便は停車数も少ないんでね。問題ないですよ。ほなね。切りますよ。あっちでも頑張ってくださいね。」
切れてしまった…。あっち…ということは彼はこのことを知ってるんだろうなと思い、折角の厚意を受け取らない訳にもいかず、お言葉に甘えて乗務員室に残ることにした。三空まで2時間弱。この空間をどう楽しむか、そんなことを考えながらも列車は車体を傾け、カーブを抜けていく。気づけばメーターは130を指しており、それでもぐんぐんと加速していく。
そんな思考に足を引っ張られながら、ようやく脳の前線にやって来たのは転属の話。どう切り出そうか悩んで居たところ、突飛が口を開いた。
「で、結局色々ってなんなんですか?」
「ええっとね…実は僕新幹線の試運転の担当になったんだ。」
「おお。いいですね。いつですか?」
「それが…明日なんだよね。だからこの乗務も移動みたいなもの。」
「なるほど…いいですねぇ…新幹線って。この電車よりももっともっと速度出せるんでしょ?」
「そうだね…前に高速試験で200出したけど、新幹線じゃ通常営業で300出せる。」
「いいなー。飛行機の離陸速度とあんま変わらないじゃないですか。」
「ははは…そうだね。まあほんとに初期の試運転だから明日はそこまでの速度は出さないね…」
「それでも、羨ましいです!そんな列車を運転できるなんて!」
速いものの話になって、突飛が饒舌になっている。その後も三山新幹線の話を続けているうちに雷鳥を越え、特急あまぎりで最も線形の悪い区間に差し掛かった。振り子に揺られながら、険しいカーブを次々に抜けていく。
そうして四宮に着く頃、ふとあることに思い至った。転属の話が伝わってないのでは?と。そんな話をする意味があるのかとは思うが、隔日とはいえ、それでも2年間共に乗務した仲、きちんと別れは告げるべきだろうと思った。
「そういえばなんだけどさ。新幹線の試運転の担当するじゃん?それと一緒に三山運転区に異動することになったんだよね。」
それまで活発に言葉を発していた突飛の口は、開く気配が無い。
「あの…突飛?」
「…停車するんで話しかけないでください。」
口を開いたと思えば、拒絶の言葉だった。今まで、停車するからと話を突き返したことは無い。無意識のうちに気に触れる言動をしてしまったのだろうか。考えていてもホームは迫るので、自分も扉から顔を出す。
悶々としているうちに列車は停車し、あっという間に時間は来て、ドアは閉まり出発合図は鳴る。
列車はとてもゆっくりと走り出す。インバータが同期モードに入るまで1ノッチで引っ張り続け、それからもゆっくりと加速して行った。流しノッチすらも嫌うスピード厨にしては、随分とゆっくりとした加速だ。信号機は進行を現示しているが、その左手を押し下げる気配は無い。そんな運転を疑問に思っているうち、突飛が口を開いた。
「なんでもっと早く言わなかったんですか。」
いつものような美しく、それでいて柔らかい気持ちの込められたものでは無い、どことなく冷徹で、それでいて悲しみを含んでいるような…。
「ほら。その…私の興味のある話ばっかりじゃなくてもっと思い出話とかをすればよかったのにって思って…」
ちらと表情を見られたのか、いつもの語調に戻った突飛はそう言う。
「思い出か…そうだね。そういえば突飛との初乗務って試運転だったね。あの時はなんで僕が選ばれたんだろう。柏木を離れたくないな、なんて思ってたけど。君と一緒に乗務しているうちに楽しくなってきちゃってさ…。」
「あの頃はまだ八木さんも助手として乗ってて、今日みたいにずっと乗務員室で雑談してましたよね。」
「そうだね。あの頃はまだ突飛も硬かったなぁ。打ち解けられるか不安だったよ。」
「まだ経験が浅かったんで…語彙も少なく…。」
「それでも時間が経つにつれて、段々色々な話が出来るようになって。今もほら、思い出話ができるようになった。」
いつの間にか列車のスピードは乗り、カーブでの加減速もいつもより鋭く、出発時の遅れを取り戻しつつあった。
「でも、しばらく会えないんだろうな。そうだ。突飛、僕が居なくなったら寂しくなるんじゃないの?」
「…馬鹿言わないでください。他にも人は沢山居るんですよ?あなた1人でどうこうするわけないじゃないですか。」
「へー。僕は寂しいけどな〜。」
「変なこと言わないでください。別に三山に行ったからってひとりぼっちになるわけでもないでしょう?他の方からよくモテてるって聞いてますし。」
…え?
「えちょまそれどこから聞いた。」
「普通にそこらで話されてますよ?私が耳にするくらいには。」
唐突に頭が痛くなってくる。自分の姿が他人にどう写っているのか、これは確実に自分の想像と大きく乖離しているぞなどと思っているうち、この乗務の終わり、三空へと近づく。その前にも止まる駅があるために、もう話せる時間は長くは無い。
塩津を出て、口から出たのは、「三空で別れのハグしてくれない?」だった。バカか。アホか。冗談交じりとはいえ馬鹿すぎる。
突飛は何も答えぬまま、いつもより高速で三空駅へ進入する。見事な段階制動で列車を止め、流れるような動きで非常にハンドルを叩き込み、そして立ち上がり、口を開いた。
「これで時間できましたよ。ほら。するなら早く。」
一瞬頭がフリーズした。それでも、突飛は冗談のつもりで言ったことにも真剣に応えてくれたと思うと、自分もそれに応えるために自然と身体が動いた。
薄い身体。心地のよい香り。いつまでもこうしていたかった。でも残された時間は少ない。
「…私だって寂しいんです。八木さんほど楽しく話せる人は居ないし、もともと、人と話すことの楽しさを教えてくれたのは八木さんでしたから。」
唐突にそう言われて、胸が高鳴るのを感じる。冷房が充分に効いているはずなのに、頬や耳は、まるで真夏に乗り換えダッシュした時のように暑く…
「はーいお二人さん。列車遅れるからその辺にしてねー。」
…次の車掌が良い冷水をぶっかけてくれた。
「よくノロケ話は聞かされてたけどまーさかここまでとはねぇ…」
突飛が腕を解き、静かに離れる。
「はい。遅れるからあなたは早く降りてね。じゃないと理明まで誘拐しちゃうぞ?」
無言で荷物をまとめ、そそくさと乗務員室を後にする。出る時にチラリと突飛の方を見たが、既に運転席に…いつもより帽子を深く被って…座っていた。
あまぎり54号を見送る暇もなく、あまぎりリレー号に乗り込み、柏木を目指すことにした。安眠のためにサハの中間に座ったが、突飛のことを思い出して眠れなかった。
柏木に着き、かつての故郷はここだったかと辺りを見回す。特急効果とは大きなもので、以前よりも明らかに活性化していた。
かつて乗り回した1000系に、近づく。運転士に挨拶をして、乗務員室に入れてもらう。そして高らかにディーゼルの音を響かせながら、三山行きの列を成してない普通列車は、最終便の肩書きを背負い走り出した。
アレが三山新幹線の高架だの、明日あそこを走るだの、様々なことを話しながら列車は三山本線を走る。定期的に換気を行い、車内は新鮮な空気で満たされる。三山新幹線の開業は三山鉄道を根幹から変える。それは、きっと良い方に。
「ここから三山本線って名前が消えるのも寂しいもんですけどねぇ。」
そう運転士は語る。この運行本数の少なさと線形・ルート取りの悪さは、維持しているだけでも素晴らしいものだが、そういった路線も新幹線の開業によって変化が訪れる。廃線こそされないものの、新しい路線名に変わるものもある。ここと、三山急行線。
「でも、これから貨物列車で賑わうってのが分かってるので、むしろ嬉しいんですけどねぇ。」
柏山線と陳峰貨物線は、新幹線開業前から本数の極めて少ない路線であったが、ついにはその旅客輸送をほとんど諦め、貨物輸送へと主題を提げ替えることとなった。UNEと特に密接な関係を持っているSQUARE…Kaio Groupの主導で建設される貨物新線によって貨物列車需要を押し上げ、瀕死のローカル線を救うというのは、なんとも嬉しい話だ。
「それと、三山より東は特急も行き交うようになるのも嬉しい。鉄道の敵とも言われる航空機も、僕たちにとっちゃ薬ってわけだ。」
Atlanta VISION Groupによって建設されている雷鳥国際空港、その空港線、新幹線との連絡線となるために三山以東は大きく賑わう予定だ。こっちは三山本線の名を残し、見事復活するというわけだ。
「国が荒れた時にはどうしようか思ったけど。何とか持ち直して、そしてどんどん豊かにしてくれてるわい。」
それを支えるのは自分たち三山鉄道の社員である。人間とは気持ちに弱いものだ。努力が報われるかと言われるとそうでも無いが、それでも厳しい状況の中何とか社員に尽くそうとする上層の姿勢が、この会社を維持し、そしてこのビッグプロジェクトに繋がった。
「ほな八木さんや。この路線、いやこの国の歴史を変えるその役目、頑張ってくれよ。」
「ありがとうございます。では。」
レール破断事故であれやこれやした時と同じホームだな。そう思いながら列車から降り、運転所まで向かった。
「本日付で異動しました。八木 伸介と申します。」
以前よりも質素になったように感じる運転所に少し落胆した後、部屋の奥に群がる新しいダンボールを見て、その落胆を投げ捨てた。
「おぉ?おお。八木さんか。いらっしゃいいらっしゃい。よく来てくれた。あ、一応ここ取りまとめてる浮阿内と申します。フアナイ、独特で覚えづらいかもですけどまあこれから長いと思うのでゆっくり覚えてくださいね。えーっと…」
よく喋る人だなと思いつつも、良い人であることは直ぐに分かった。高戸といい、柏木といい、きっとこういった人が取りまとめているのもあって、この会社は回ってるのだろうと思う。
「八木さんは明日の試運転から早速乗務してもらうんでー…一応早めに7時にここでいいですかね?」
7時なら全然問題ない。
「はい。大丈夫です。」
「ほならねとりあえずまともな家は明日別の人に案内してもらうんで、一先ず今日は仮眠室でお願いします。えーっと八木さんは前にここまで運転してたんですよね?仮眠室の場所は覚えてますか?」
「はい覚えてます。」
「なら良かった。じゃ、そういうことで明日からこの三山運転区でよろしくお願いします。」
「よろしくお願い致します。では、失礼します。」
そうしてこの場を去る。去り際に「夜眠れなかったらここ来てくれたらポッカレモン出してあげるからねー!」と聞こえた。
身支度を整え、出勤点呼に向かう。
高戸と変わらない手順を踏む。
「では、今回の乗務区間の速度制限箇所について…。」
「はい。今回は試運転のため、乗務する全区間で速度制限がかけられています。速度制限は車上信号を確認します。」
「はい。では今回の乗務で気をつけることを…。」
「はい。8700系電車は通常の電車とは異なり、機関車に似た右手での多段力行、左手でのブレーキ操作のため、これらに気をつけて行きたいです。」
「はい。」
始発列車、縦軸ブレーキ車のためブレーキハンドルを受け取る。新品のピカピカなハンドル。2年前を思い出す。…非常2段に驚愕したことも。
「では、今日もご安全に!」
「ご安全に!…失礼します。」
「行ってらっしゃ~い。」
三山駅の新幹線ホームを目指す。まずは三山16番から新柏木5番まで。実際の営業に使うものと同じ、14両編成の8700系。様々な人と挨拶をし、運転台へ着く。色々教えてもらいながら始動手順をこなし、ブレーキハンドルをはめ込む。全てが新しい運転台、デジタルの棒型速度計が、この列車の性能を語る。
「電圧…25.8kv…よし…」
少々不安定ながらも、架線電圧は正常値を示し、車両を走らせる準備は出来ていると語りかけてくる。
MTCS音が鳴る。既存在来線で使われているMTSSとは異なる、完全に車上信号専用のものだ。
「時刻よし。戸閉め点…」
ブレーキを緩める。エアの抜ける静かな音がする。
「ブレーキよし。信号30、出発。」
静かにノッチを入れる。インバータの高音が響き、列車はゆっくりと動き出す。ノッチを戻す。
「緩解よし。」
お決まりの流しノッチをキメて、警笛を大きく鳴らし、再び力行する。雲がかかっていたが、ついには小雨が降り出していた。静かに新車を濡らしていく。…ワイパーはきちんと動く。MTCSが鳴る。
「信号、70。」
ノッチを深く入れる。それに応えるようにインバータが唸る。突飛に握らせたいな、そんな雑念が頭に浮かぶ。だがそれは叶わぬもの、生命体では無い彼女は、あの車両以外で運転することは出来ない。でも彼女は生命体そのものだ。意思は示すし、そこらの人間よりも話していて楽しい。何よりあれを楽しみにして毎日乗務していた。
MTCSが鳴る。どこまで速度を出すかは聞かされていない。徐々に上がる制限に、胸が高鳴る。
「信号、130。」
高速だが揺れは非常に少ない。高規格な新線ゆえに波のような線形などとは無縁だ。
__ちょちょちょ怖い怖い。いくら遅れてるからって攻めすぎだよ!
__制限はきちんと守ってるので、この走り方も想定内のものです。何も問題はありません。
初めて突飛と一緒に乗務した日を思い出す。機械だからこそ出来る技で見事に遅延を取り戻し、四宮に定着した時は驚いたものだ。
そしてMTCSは鳴る。
「…信号、175。」
8000系の営業速度を超えた。8700系はこれを通過点とし、まだまだ加速する。
__いくらこっちが性能で上でも回送列車には追いつけないって!
__でも!この8000系が抜かれたからには抜き返さないといけません!
貨物新線の出稼ぎ者を運ぶための金の卵号、その回送列車に追い抜かれて発狂したりもしてたっけ…。
150…営業最高速を超えても8700はまだまだ余裕の表情で加速する。またMTCSが鳴る。…あ。
「信号…198.9…」
「営業ではさすがにやらないですけどね。一応無段階制御なんでそういうのもできるんですよ。八木さんが出された記録なのでサプライズにと…。」
視界が歪む。でも、あれを出したのは突飛だ。自分じゃ…出せるものじゃなかった。
__200まであとちょっと!
__…もう諦めてブレーキかけないと不味くない?
__いいえ!まだ行けます!私はこの車両に自信があるので!残りの距離も把握してますから!
__………。
__うぅん…ダメか…198.9キロ…200に惜しくも届きませんでした。
自分に自信が持てることはとても素晴らしいこと。そう学んだな、あの日は。
「一旦その速度できちんとブレーキが働くかチェックしてもらっていいですか?」
「はい、分かりました。」
列車はまだまだ加速力は衰えないが、それをまだ思い出に浸ってろと言わんばかりにMTCSが押さえつける。…MTCSのブレーキは正常に作動する。
MTCSの音が鳴る。
「信号、210。」
三山鉄道の最高速を、今更新する。ついに200km/hを超え、高速鉄道と成った。ここから先は、突飛の知らない物語。どこかの国の世界初の高速鉄道の最高速へ、今至る。
「210キロ。問題なく出ましたね。えーっと八木さん。一応これが今回の試運転の最高速です。」
200を超えているというのに驚くほどに振動が少なく、そして静かだ。だがそれが物足りなくもある。良くも悪くもアトラクションみたいな在来線でしか得られない成分も、きっと存在する。でもこの速度が、快適性が、この国を成長させるものでもある。かつて三山鉄道が望んだものは、今叶えられた。自らの手によって。
「それじゃあ八木さん。200を目標に右手だけで速度を維持して貰えますか?」
「はい分かりました。」
力行だけで速度制御、高速の列車だからこそ現実的な手段として出来ること。13段ある力行を操り、速度を概ね合わせる。あれだけ苦労して出した速度よりも速いところを、定速練習の場に使う…とても面白いことだ。
その後は加減速などを繰り返し、各種データを取っていった。設計よりも大幅に制限されているとはいえ、それでも在来線より圧倒的に早く柏木には着いた。折り返しまでの休憩時間中、昨日の普通列車の運転士と話した。わざわざ会いに来てくれたらしい。試運転の感想を話し、新時代の到来だと声を揃えて言った。
新幹線ホームへと上がり、線路を眺める。理明方面も見た目上はもう出来上がっており、試運転は間近と言ったところか。理明まで行けたら、会うことも出来るよな…。遠くない未来、でも自分からすれば遠い未来。そんな未来に思いを馳せた。
__初めまして。運転士の八木といいます。
__初めまして。この8000系LS4編成に配属された、RailRoidの突飛と申します。よろしくお願いします。
八木さんを見送り合図を出す。振り返ることも無くリレー号に乗り込む後ろ姿も、愛おしく感じる。少し強めに扉を閉め、しっかりと閉まっていることを確認する。か細い声が聞こえ、列車は動き出す。中々面白いものを見れたが、同時に落胆した。ホームを抜ける。車内改札の準備をする。とはいえ、スマホで運行に問題が無いか確認するだけだ。乗換案内も、列車の走行位置も、時刻表も、座席情報も、切符の確認状況も、自由席のメモも、全てスマホで完結し、そして他の車掌ともリアルタイムで共有される。非常に便利で助かっている。事故やトラブルの時も、写真を撮って気軽に送れるのは、状況把握のしやすさからも優れている。
グリーン車の確認を終え、指定席も確認する。特にトラブルも無さそうで、自由席へと向かう。自由席は客の出入りや移動が激しいため、メモを取りながら一人一人の切符を確認する必要がある。
「はーい失礼しまーす。切符を拝見いたしまーす。」
メモに無い、あるいはメモと変わっている客の切符を確認する。特急券よし、乗車券は…おお。毎倉区行き。すごく長旅だなぁ。
「はいーありがとうございまーす。」
スーツの女性…と。黄緑のネクタイってのもメモっとくか。そうこうしているうちに自由席の検札も進み、デッキでもう1人の車掌と会う。金山さん…女性の方だ。
「お疲れ様です。前側は終わりましたよ。」
「ああ。おつかれ。ありがとね。どう?最近なにか面白いことあった?」
「ありましたよ。というかついさっき。」
「ほほう?詳しく。」
「八木さん居るじゃないですか。」
「あーうん八木くんね。あの人なんかやらかしたの?」
「やらかしたというか…まあやらかしてるようなもんですけど。三空で交代しようとしたら乗務員室で突飛ちゃんとイチャついてたんですよ。いやあアレはちょっと気まずくて…でも遅らすわけにもいかず…。」
「アハハハ何それいいとこ見れたじゃん。へぇ~八木くんが。…もしかしてショック受けちゃった?」
「うぐっ…痛いところ突いてきますね。」
「ずっと君は八木くんに理解してもらうには~って言ってたじゃん。」
「まあ…そうですけど。もう諦めましたよ。僕はあそこまで辿り着けなかった。」
「まあ運転士同士はかえって関わりにくいからねぇ。ハイスペックが故の悩みってやつか。でもでも、諦める必要は無いよ!まだ行ける!」
「とはいっても八木さんは三山運転区に行ってしまわれるらしいので…。」
「えっ何それ初耳。好青年でいい感じだったのになぁ。」
「なのでしばらく会えず僕のことなど忘れられてしまうかな…って。」
「甘いね。逆逆。逆だよ君。八木くんが突飛ちゃんと離れるからこそ君が近寄る効果が強いんだよ。突飛ちゃんは動けないけど君は三山運転区に行ったり出来る。そしたら会えるでしょ?今はチャンスなんだよ。」
「そっか…そうか…。なるほど。そうですね。」
「そうだよ!簡単に諦める必要は無いさ!ほれっ元気だせ!」
「はい。金山さん、ありがとうございます。」
「いいってことよ。じゃ、また後で!」
金山さんに励まされてしまった。…自分はまだまだチャンスがある、その通りだ。乗務員室まで歩き戻り、明らかに羞恥が読み取れる突飛ちゃんはそっとし、金山さんと他愛の無い話をしながら理明まで乗務、その後は乗務員室内で気まずい時間を過ごしながら三沢まで乗り通した。…まだ折り返しがあるんだけどな。
最終更新:2024年10月10日 21:39