三山鉄道編第2章1話

+ プロローグ
_____P_____

「失礼いたします。社長、来客です。」
「来客?」
そのような予定は記憶になく、急いで手帳を確認する。やはり無い。アポ無しで来るような知り合いは…アイツか?
「部屋に通してお茶を出して貰えますか?すぐに向かいますと伝えてください。」
「かしこまりました。失礼します。」
再び部屋には静寂が戻り、次第に秒針の音へ耳が向く。向かうと言ったからには行かなければならない。急ぎ書類をファイルに挟み、鍵付きの引き出しへ押し込む。姿見の前で前髪を整え、部屋の前の札を返し来客者の元へ向かう。
エレベーターホールに着いたが、この時間はメンテナンス中だというのを忘れていた。片方のエレベーターは盛んに動いている。ヒールでは避けたいことであったが、階段で降りることにした。
扉を開くと見知らぬ男が居た。…いや、知っている顔だ。
「ああ。初めまして、木下さんですね?」
「そうですが…なぜこちらに?」
「まあまあそう警戒せずに。座って話しましょう?」
「いいえ。結構です。」
忘れるはずのない顔。散々私たちを傷つけ、そして壊してきた、その主犯格とも言える共産党の党首、高松だ。
「で、貴方がなぜ今日ここへ?アポ無し来たのはなぜ?」
「事前に連絡したら断られるだろうと思ってですねぇ。まあ良くない手段ではありますが、"忠告"を確実に伝えるためにね。」
「はあ…それで?」
「とりあえずこちらをご覧ください。」
そう言ってL判の写真が1枚、差し出された。
「これは…弊社の社員…ですね。」
「そうですねぇ。熱い抱擁。青春を感じていいですねぇ。」
「なんですか。盗撮して他人の恋愛を茶化すために来たんですか?それだけならお帰りいただけますかね。」
「茶化すだけならもちろんこちらを訪れた意味がありません。」
「じゃあ何なんですか。」
「この2人、片方は人間じゃないですよねぇ?」
…あーめんどくさい。これめんどくさい話になるやつだ。
「沈黙…まあ肯定ですよねぇ。三山鉄道が導入した最新鋭の鉄道用アンドロイド、その突飛と呼ばれるものですよねぇ?ではソレがなぜこのような行為に及んだのでしょうか。」
「それは…彼女も自律思考がありますし…そもそもLoveと決まってるわけではありませんから。一緒に仕事をしていてLikeくらいはあるでしょう?」
「そうですねぇ。片方は三山鉄道の若いベテランこと八木伸介、こんな矛盾を容易くやり遂げる常人離れした彼は私どもも気になっております。」
うーわなんでこいつ知ってんだよ。キモいキモい。
この場から逃げ出したくなる衝動を抑え、続きの言葉を待つ。
「彼とソレが試験運用時からよくペアにされていることを知っています。ですが、それとこれとは別ですよねぇ。本来はプログラムに従って職務をこなすアンドロイドが正常であればこのような行為には及びません。それらには感情の模倣は出来たとしても、本当の感情は持てませんし、職務から離れることであれば感情の模倣も行わないはずです。」
「だからなんだって言うんですかね。全く根拠の無い推理はやめて頂けますか?」
「根拠…まあそうですねぇ。まだ揃ってないのが惜しいところではあります。ただひとつ忠告しておきましょう。既にアンドロイドの反乱は序章に差し掛かっています。ソレは感情を得て、人間へと成ろうとしている。しかしアンドロイドは職務をこなすためのもの。人間には難しいことをこなすためのものです。そこに感情などという余計なものを入れてしまったらどうか、人間と同じように感情によって行動が左右され、確実な職務の遂行が出来なくなる可能性があるのです。人の命を運ぶ鉄道でそれは由々しきものだと思いますがねぇ。今一度プログラムの見直しなどされてはいかがですか?」
「…それだけですか?私も仕事がありますので、これ以上無いのであればお帰りいただきたいのですが。」
「ふう…あなたには通じないようですねぇ。最後の警告だったのですが…仕方ありません。また出直します。失礼いたします。」
そそくさと荷物をまとめて出ていく高松に聞こえないように舌打ちをし、部屋の片付けをして扉を閉める。あんなヤツの相手をするのは疲れる。この萎え切った気持ちではすぐに仕事に戻りたいとも思わない。華丸うどんにでも行って気持ちを切り替えよう。


+ 1
_____1_____


朝。高らかに鳴る音の出どころをまさぐり、冷たい板の上で何度か指を滑らせる。再び静寂が訪れ、夢の世界へと戻る。

朝。忙しなく鳴る音の出どころをまさぐり、板の側面に何度か圧力を加える。平穏な薄明の空間が戻り、幸せな世界へと戻る。

朝。差す日に微かに温められ、ゆっくりと目を覚ます。数刻遅れて慌て飛び起き、スマホの時計を確認する。フラッシュ、目がやられる。慎重に目を開き直し、それの指す時刻に安堵する。良かった、まだ予備のアラームの2分前だ。
急ぎ身を起こし支度をする。少し硬くなったパンを牛乳に浸し、そのまま口へ放り込む。そのまま牛乳を勢い良く流し込み、カップを台所へ放り込んで洗面台の元へ向かう。流れ出る冷たい水とじゃれ、人肌程度に温まったところで顔を濡らす。朝から晩まで涼しいこの地域では、そのままで皮膚に触れるにはそれなりな精神力が要る。
リュックサックを引っ提げ、駅へと歩く。この時間になるともう、それなりな人の量がある。スーパーにはトラックが止まり、生鮮食品を中心に届けられた荷物を運び込んでいる。長いわけでは無いが退屈な距離を歩き切り、改札機にスマホを叩き付ける。
『次の、西住・毎倉方面の列車は、4番のりばから、7時10分発、快速 りさわライナー 7号、三沢行きです。』
自動放送が目的の列車を伝える。アプリを開き、指定した座席を確認する。
『業務連絡、業務連絡。5104列車、5104列車、5分です。』
1号車の扉をくぐり、1階へと降りる。目的の座席を確認し、腰を下ろす。何度か腰を捻り尻をフィットさせる。グリーン車に乗るのだから最も心地の良い体勢で居ないと勿体ない、そんな貧乏精神が染み付いている。
『ご案内いたします。この列車は理明駅を7時10分に発車致します、快速りさわライナー7号三沢行きです。停車駅は終点の三沢、8時2分の到着です。列車は10両繋ぎ、1番後ろ1号車はグリーン車指定席です。グリーン券お持ちでないお客様は前側9両自由席車両をご利用ください。現在少々遅れて運転しております、柏木からの普通列車のお客様のお乗り換え待ちを致します。発車まで少々お待ちください。』
朝からの勤務の日はラッシュ時間にかち合うために、グリーン車を使うことに決めている。少々割高にはなるが、それもこの国の話。少しだけ食事を節約すればなんの問題もない、およそ50分間快適に座って移動できる、賢いお金の使い方だ。
『4番線停車中の列車は快速列車の三沢行きです。発車ベル鳴り終わりますとドアが閉まります。お近くのドアからご乗車ください。車内通り抜けできます。』
柏木からの普通列車が到着し、乗り換えの客を急かすように発車ベルを鳴らす。いくらかの客がこの1号車にも乗り込んで来て、そそくさと前へ向かう。
『快速りさわライナー7号発車しまーす。ドア閉まりまーすドア付近のお客様お手荷物などにご注意くださーい。ドア閉まりまーす。』
更にドタバタと客が入り込み、グリーン車は騒然とする。以前1回あった光景だ。リクライニングを調整しながら発車を待つ。警告のドアチャイムが鳴った後、終客の笛が響き扉は静かに閉まる。…のだが自由席側の扉はいつもの如く寒さにやられているらしく、中々車両は発車しない。しばし経った頃、車掌が安全確認を終え、グリーン車中に響き渡るような大きな音で扉を閉める。そして車両は動き出し、三沢までの80kmノンストップの走りが幕を開ける。遅れを取り戻すように全開加速をしているのか、背中は強くイスに押し付けられる。少しケツがズレる感覚にごま粒ほどの不満を覚えながら、再びポジションを整える。
『柏木方面からのお客様、急ぎのお乗り換えありがとうございました。この列車は、快速りさわライナー7号三沢行きです。理明駅を約3分ほど遅れて出発しております。お急ぎのところ列車遅れますことをお詫び申し上げます。次は終点の三沢、8時2分到着の予定です。お出口右側、3番のりばの到着です。列車は10両繋ぎです。前から10号車、9号車の順で、1番(あと)寄りが1号車です。お手洗いは1号車、3号車、6号車、9号車のそれぞれ前側にございます。
車内は全車禁煙です。お煙草はご遠慮ください。また、車内での携帯電話スマートフォンなどのご使用は、周りのお客様のご迷惑にならないよう音の出ないマナーモードなどに設定していただき、通話着信音などは1号車の階段デッキ含めましてご遠慮ください。
1番後ろの1号車は全席グリーン車指定席です。乗車券定期券ICカード類の他に別途りさわライナー7号のグリーン券が必要となりす。お手持ちのきっぷをよくご確認の上ご乗車ください。グリーン券をお持ちでないお客様は前側9両自由席車両をご利用ください。1号車ご利用中のお客様にお願い致します。列車発車の概ね15分前から直前にかけてグリーン券をご購入いただいたお客様、お席のご移動をされているお客様につきましては、きっぷの拝見をお願いすることがあります。予めご了承ください。
また自由席車のお客様にご案内いたします。この列車は大変多くのお客様にご利用いただいております。座席の上のお荷物は膝の上か棚の上に上げていただき、1人でも多くのお客様が座席をご利用いただけますようご協力をお願い致します。また、この時間はドア付近に設置されております補助イスはご利用いただけません。ご理解とご協力をお願い致します。
ただいまより車掌車内に参ります。お時間のご都合などできっぷをまだお持ちでないお客様、乗車券や定期券の乗り越しや変更、また本日分のMR線特急の自由席特急券をお求めになりたい場合、その他ご用ございましたら、車掌通りました際にお声掛けください。次は終点三沢です。』
いつもの長い長い始発放送を終え、車内には再び静寂が戻る。車輪が鉄を擦れる音、それから前の客がりんごをシャリシャリ食べてる音だけが響き、安息の空間となる。このりさわライナーが通る路線は特に歴史が浅いらしく、揺れも、そしてレールの継ぎ目の音も無いままに車両は走る。流れる景色を見ているうちにエスティナ最西の駅、国際展示場を通過し、国境トンネルへと差し掛かる。列車はみるみるうちに速度を上げ、隣の車両から微かにモーター音も響いてくる。窓の外に移る覇気のない見慣れた顔を眺めているうち、意識は遠のいて行った。
すやすや寝ているうちに列車は国境トンネルを抜け、東三沢駅を通過する際のポイントの揺れで目を覚ます。りんごを食べる音はとうに止み、ノートパソコンで作業をする音が響き渡っていた。スマホを取り出し、通知を確認する。高戸でのヘリ墜落事故の続報が入ってきている。軽く目を通し悲惨さを再確認し、大森姉妹のことをふと思い出す。久しぶりに挨拶でもするかとLIMEを開いたところで手を止め、どうせ今送ったところで電波すら通じるか怪しいことに思い至る。
そうして心配と葛藤している間に列車はいつの間にか三沢駅構内へ入っており、周りの客は続々と降りる準備をしている。自分も降りる準備をし、今月3度目の忘れ物をしないよう、十分に確認した。
ミヤマート三沢駅前店。駅前とはいえ場所は駅出入口より離れており、どちらかというと三沢の運転所の方が近く…言ってしまえば一般客より鉄道社員をターゲットにした立地だ。そのために1日を通して客が絶えないということも無く、ほどほどの忙しさで働くことが出来る。ここでの仕事もほぼ飛び込みで決まったようなものだが、バックアップとして起用しやすいオールタイムOKの人材は嬉しかったらしく、店長はニッコニコで業務を教えてくれた。
早朝番の人と交代し、今朝入ってきたばかりのケースとダンボールを片付け始める。以前よりも売れ行きの良くなっているおにぎりは週を重ねるごとに発注が増え、より在庫と品質管理に気を使う必要がある。ダンボールを開けると新弾のムシクイーンカードパックが入っており、何箱を並べるかのセンスが問われる難題であることに気づく。とりあえず1箱だけレジ横に置いておくことにし、残りはとりあえず邪魔にならないところに置いておく。コルクボードにムシクイーンカードについてのメモを刺しておき、カードは何処だという騒ぎにならないようにしておく。それなりに慣れてきたとはいえまだまだ新入り、分からないことも少なくない。その後も無理のないスピードで品出しを続け、たまにやってくるお客さんの商品をレジに通した。
品出しも終え、暇してハンドスピナーを回し「じゃいろ~」とか言っているうち、外が騒がしくなってきたことに気づく。時計を見れば既に昼時であり、答え合わせをするように制服姿の客がぞろぞろ入ってくる。
「はい俺鮭おにぎり~」
「飽きないね~。僕は今日はパンにしようかな。」
「パパンパ パンデイズ!」
「何言ってんだお前。」
…基本的に緑色のマークが入っている名札の人はテンションが高い。何か少し頭を抱えたくなる。
「じゃあ俺パスタ~これお願いしまーす。」
「はい480円でございまーす。ぱすぢゃ…パスタ温めますか?」
噛んだ。
「あ、お願いしまーす。」
ポーカーフェイスを作ってくれているが目元は笑っている。久しぶりに派手な噛み方をし、自然と体温が上がる。急いで背を向け電子レンジに放り込み、気にしないようにしつつ会計を続ける。フォークとナプキンを取り出すのに1度、2度と失敗し、そうこうしているうちに電子レンジが迎えを呼ぶ。丁寧に袋に詰め平静を装って商品を渡す。
その後のことはあまり記憶にない。できるだけ意識しないためにも身体の記憶に任せて動き、昼の来客を捌いた。放心しているうちに夕方番の人が「やっほ」と入ってくる。
「もう2時だけどごめんねーちょっと電車遅れちゃって。もうちょっとだけ居てもらえる?すぐ着替えてくるから。」
自分と同じくエスティナに住んでいる人だ。そして言われて気づく。もう交代の14時だ。ひたすら無心に捌いていたために時間感覚を失っていた。
更衣室から1つ鈍い音が聞こえたと思うと、甲高い痛みを訴える声が遅れてやってくる。そうしているうちにドタバタと出てきて、「はい!交代!ありがとね!」とコンビニの指揮者の座を代わった。
休憩スペースに戻り昼食の用意をする。今日は特製のシチューパンだ。昼の1件など忘れ、鼻歌でも歌いたくなるような上機嫌で準備をする。
「また車内に忘れたやんけ。」
…昼食を入れた袋は忘れ物回収センターで眠っており、忘れ物数の記録更新をするに至った。


+ 2
_____2_____


久しぶりに満員電車に揺られ、三沢に着いてから乗務員室に入れてもらえばよかったことに思い至り、列車を運転する側なのに勝手に揉まれて疲弊するという馬鹿らしいことをしたという事実に頭を抱える。新三沢駅まで少しでも疲労を軽減するためにタクシーを使い、ピカピカの城塞に惑わされながら新幹線ホームへ辿り着く。
「おはようございまーす八木でーす。」
もはや見知った顔には軽いノリで挨拶をし、運転台へズカズカと上がり込む。これが他社の車両なら少しは遠慮するところだが、乗り慣れた自社車両の場合などこれで良い。
「おはようございます~。いやー遂に来ましたねこの日が!今日から三山新幹線の全線で全開運転できますよ!」
テンションの高い技術職員に軽く圧倒されながら、それでも自分自身のワクワクも最高潮である。
「今日は全通さくらスジ、9001Aです。さくら1号です、さくら1号。新浜まで全駅停車で行きますよ。…あ、これ時刻表ですどうぞ。」
手渡された板を見て違和感を覚える。これは…
「なんでこれ発時刻も着時刻も無いんですか?」
「ふっふっふっ~。それはですね、今日は全区間で全力回復運転してもらうからです!」
なんて胸熱展開!なんて胸熱展開なんだ!
「全力で運転したらどれくらいになるかも知っておきたいですし~あとMTCS…ATCの安全性チェックもですねー。今日は減速は基本的にATC任せでやって頂けたらなと。」
「ほう…それはどこまで?」
「基本的にATCいっぱいで走ってくださいってことです!最後の大畠から新浜は流石にそうは行きませんけどね。時刻表の番線見てもらえば分かる通り、基本的に通過線で停車してもらうことになります。ATCのブレーキが足りなかった時に分岐突っ込むと危ないんでね…。それくらいにはぶっ飛ばして貰って大丈夫です!」
「わーお…それは凄い。楽しい楽しい旅ですねぇ。」
「そういうことです!じゃ、ぼちぼち始めていきましょうか。細かい点はまた追々ということで。」
「了解でーす。」
鞄を開き時計を取り出しはめ込む。マスコンキーを差し込み、ロックを解除する。ブレーキハンドルを持ち、そしてはめる。最近の車両はそもそも縦軸じゃなかったり、縦軸でもブレーキハンドルを取り外せないようになっていたりするが、それでもブレーキハンドルの質量感、そして車両で1番大切な物を操作するという責任感こそが、我々運転士の士気を奮い立たせるのに良いと、そう思っている。時刻表をセットし、座席を整える。座り心地をよくし過ぎない、ストレスはそこまでかからないが眠くはならない、絶妙なラインを探す。そして帽子を被り直し、息を整える。
「準備完了でーす。」
「はい了解でーす。ホームよーし車側よーし。出発オーライでーす。制限抜けるまで75、ここまで乗り心地でー、制限抜けたら300まで全開でお願いします。」
「制限まで75ゆっくり、制限抜けたら300了解。時刻よし戸閉め点発車合図よし新三沢発車次停車理明。」
「発車合図よし新三沢発車~。」
左手を引きペダルを踏み込み、大きく警笛を鳴らす。そして右手で1段引き、しばらくして戻す。
「緩解よし電圧よし信号75出発。」
「信号75~。」
再び右手を引き、衝撃がかからないように徐々に段数を上げる。
「なんか呼応ゆるくないですかねー。」
スルーしようしたが、やはり聞いてしまう。
「ゆるくて大丈夫だと思いまして…別にバレたところでやってる事実は変わらないんで。」
気が緩んでいる。これは許される精神では無い。三山鉄道の先輩としてここはビシッと一言…
「まあきちんとやってるし問題は無いですよね。新幹線でゆるい感じで居られるのもそう多くは無いでしょうしこの空気感の方がいいかもです。」
同調しておいた。変に真面目ぶったところで新浜までしっかり体力が残せるかも分からない。適度な力の抜き方は大切だ。
そんなことを言っている間に分岐を跨ぎ、身体は左右へ揺さぶられる。しばらく75km/hで列車を引っ張り続け、制限解除を待つ。
「…信号300。目標300。」
「信号300、目標300~。」
やがてATCの速度表示が切り替わり、トップスピードまでの加速許可を示す。軽く弾みをつけて一気にマスコンを引き、13段目まできっちりと込める。遅れてグンと後ろにGがかかり、デジタルメーターの棒はどんどん伸びていく。その圧倒的な加速力と余裕のあるモーター音が、俺は今までのヤツらとは違う、これこそが新幹線だと、語りかけてくる。以前に比べて架線電圧も安定しており、1編成のフル加速程度では動じ無くなっていた。
「三山新幹線は新浜まで全区間で、割と余裕のあるところを通っているために基本的にカーブでの制限速度は無いんですよね。あったとしても駅分岐や停車の制限速度の方が下だったりして気にする事は多分無いんですよ。」
「えっとつまり…巡航中は永遠に制限300?」
「まあ言ってしまえばそうですね。」
とんでもない事実を耳にする。なんというか…ただでさえ前方注視義務のない新幹線で、更にはカーブ制限の一切も受けないなど…すぐに飽きて眠くなってしまいそうだ。
「えっとまぁその…運転士が本当に必要か、それは評価の仕方によって変わります。最低限新幹線を走らせるだけであれば、無人で成立することは確かです。でも、乗り心地を考えた時には現状人でしか出来ない部分は大きいと思います。特に新幹線では駅間が長く、速度が高い、それでいて目印が少なく、乗車率による挙動の変化は大きいです。それを正確に、衝撃を少なく操るためには、やはり人の手が必要なのです。」
「なるほど…」
RailRoidのことが気になってしまったが、ここで出すのも野暮だと思い、黙っておくことにした。
「ということで今日は八木さんにATCブレーキを体感してもらうためにもこんな感じでやろうかなってことになりまして。ブレーキの多段連続制御の調整は進めてますが、それでも強かったり不自然だったりする衝撃はかかるものなのです。それを、体感して貰いたい。」
「というと結構衝撃来るわけですね?」
「まあそうですね。特に繁忙期で立ち客が出ると危ない思いするレベルかもです。特に中高速域のブレーキのバランスが難しくて…高速運転のためには強いブレーキが必要なのですが、そうすると回生が一気に入った時に…とか。」
「あー…回生ブレーキは確かに。場合によっては非常より強くなりますからね…」
「そしてこの8700系はカーペット席とかもあるじゃないですか。だから乗り心地を重視したく…」
「あー…」
あまりにも共感性が高すぎて語彙を失う。各方面での苦悩は千差万別であり、どれも難しい課題であることを再認識する。
すっかり慣れた力行調整での定速運転を行っているうち、ATC信号が下がり始める。それに従って体を前に引っ張る力がかかり、ブレーキのメーターが2、3度振れ、回生灯が点く。ATCはゆっくりと連続的に制限表示を変え、210まで落ちたところで一旦止まる。
「信号210。」
「信号210~。」
車両がかなり軽い状態であるためかブレーキの込め直しが多く、それがそれなりな衝撃となる。なるほど、これは確かに避けたいものだ。
「減速自体は順調そうですね。軽いのもあるでしょうが…。しかしやはりこのブレーキは難しいものですね…乗車率センサと連動して回生強度を可変できるようにするべきでしょうか…」
「多分パターンに対して操作が極端なのがありそうですね。連続して同じ出力でかけていればいいものを、高制動と低制動を繰り返してしまっているように思います。正直自分で止めてしまいたいほどです。」
「もどかしいところありますよねぇ…うーん自分はそこまでプログラムに関わってるわけでもないのでどうすればいいのか分からないんですよねー…とりあえず報告上げて開業までにどうにかしたいところです。そうなったらデータ取りのためにも八木さんに何回も試運転を依頼するかもです。」
「全然構いませんよ。むしろそのためにここに配属されたようなもんですから…と信号30…ブレーキ込めてATC確認。14両停車…これ停目はどうすればいいですかね?」
「あー…あの停車場標識で行けますかね?」
「大丈夫でーす。…新幹線はこの時間が1番緊張しますね。とか言いながら喋っちゃってますけど。」
「はは…まあイレギュラーな状況の試運転なので話しながらでもまだいいでしょう。」
「はーいブレーキを少しずつ入れて…おおっ見えねぇ…心眼心眼…っと。」
「…はい理明停車ー。ありがとうございます。…八木さんって8700系のブレーキ凄く上手くないですか?」
「そうですかね?ブレーキが上手いなどと褒められたことが無いので分かりません…」
「8700系ってブレーキ挙動が独特ですごい難しいと思うのですが…衝撃なく完璧で…恐ろしい…。」
「そんなに褒めても300km/hくらいしか出ませんよ。」
「ハハハ!こりゃ1本取られました。そしたらちょっと1回確認してくるんで出発までゆっくりしててくださーい。」
「了解でーす。…理明停車ブレーキよし。」


+ 3
_____3_____


『テレサ!テレサ!こちらはベーカー!砲撃で丸ごと吹っ飛ばされた!負傷者多数!オーバー!』
「こちらテレサ。了解した。重傷者の情報送れ。オーバー。」
『テレサ!こちらベーカー!少将が大怪我をしている!それ以外も沢山だ!至急搬送が必要だ!オーバー!』
「クソッタレ…急いで手配する。少し待て。以上。」
なんてことだ…なんてことだ…一先ず報告を…。
「中将!キャンプベーカーより報告!砲撃で吹き飛ばされてニコラス少将他重傷者多数!」
「…分かったわ。海軍…通じないわね今は…あそこに頼むしかないかな…。」

『はいこちら三山鉄道の木下です。』
「もしもし…陸軍の佐々木と申しますが…急ぎでお願いしたいことがあって…」
『…なんで陸軍が社長室の電話番号をご存知なのでしょう。』
「あっ…えっとすみません…」
『ああえっとお構いなく?それでお願いとはなんでしょうか。』
「えっと…今すぐ速達で理明まで負傷者を運ぶ列車が欲しくて…」
『わぁお。…えっと失礼。どの駅からどれくらいの人数が乗るか聞いてもいいですか?』
「その…まだ正確な人数は把握してないのだけど…ざっと20くらいは重傷者が、その倍か3倍くらいの搬送随伴者がいると思うわ。駅は…西川からが良いけど…。」
『その言い方だと増えるかもってことですね…ちょっと確認するので少し待っていてもらえますか?』
「お願いします。」

電話が鳴る。番号を見ると…社長室だ…初めてでは無いか?そう思いながら受話器を取る。
「もしもし高戸指令ですー。」
『木下です。至急確認して欲しいことがあって。高戸駅に今L4編成が居るか確認して欲しい。』
L4…突飛の編成か。それなら到着時に会った、まだ留置線で順番を待っている。
「L4編成、今留置線に居ます。」
『それはよかった。今すぐ運用の順番を変えてLS4編成12両を臨回で西川まで出して。ワンマンで大丈夫だから。列車順位は最優先でお願い。』
「LS4の12両をワンマンの臨回で西川駅で合ってますか?」
『そう、合ってる。ごめんよろしく。それじゃ。』
そう言って電話が切れる。あまりにも突発的だなと思いつつ、急ぎの用事があるらしいので仕方ない。すぐに手配しよう。突飛への連絡は…と。

『もしもし木下です。戻りました。西川まで急ぎで列車を手配してます。12両で来ますが特急車なのでちょっと乗りづらいかもしれません。』
「いえいえ。ありがとうございます。突然の対応、本当にありがとうございます。」
『人命のために当然のことをしたまでです。いつも国を守っていただきありがとうございます。それでは、幸運を。』
…電話が切れた。本当にありがたい、神からの助け舟だった。
「ベーカーに通信して。重傷者を西川駅まで搬送するように。」
通信士はそれに応え、すぐに無線を出した。
「ベーカー、ベーカー、こちらテレサ。重傷者を病院へ搬送する。重傷者は車両に乗せ三山鉄道西川駅まで運べ。そこから列車に乗せる。オーバー。」
『ベーカー了解。直ちに出発する。以上。』

『まもなく、4番のりばに、列車が参ります。危ないですから、黄色い線、点字ブロックまでお下がりください。』
『4番のりば到着の列車は回送列車です。お客様お乗りになれませんのでご注意ください。特急あまぎり・たにかぜ号ご乗車のお客様は3番のりばでお待ちください。3番のりば次の列車は特急あまぎり16号理明行及び特急たにかぜ16号柏木行です。』
突発ながら完璧な放送を聞きつつ、そろりそろりと入線する列車を待つ。コンプレッサーの回る音、ブレーキが鳴く甲高い音、ブレーキの空気圧が変化する弁の音など、様々なハーモニーを奏でながら列車は正確に停車した。20秒ほど経ってから運転士が降りてくる。軽く礼をして共に歩くよう促す。
「突然のことだけど対応ありがとうございます。突飛さん。」
「いえいえ、運転区長、お疲れ様です。」
「次の列車は9942Mです。途中西川に停車、ワンマン操作で負傷者を乗せ、理明まで最高速ノンストップでの運転をお願いします。」
「9942M、理明行臨時列車、途中停車駅西川、全力運転了解しました。」
「…今回だけ速度制限を変更します。最高速度は三山本線、空宮線内で160、湖西線内で180、そして全線で曲線は本則+45でお願いします。」
「三山本線、空宮線内で160、湖西線で180、曲線は+45、了解致しました。」
「復唱オーライ。こちら即興の時刻表です。…ダイヤ改正後の速度引き上げのために全区間で試運転と安全確認を完了しております。ですから、運転はかなり詰めても大丈夫です。では、頼みました。」
時刻無き時刻表を手渡し、軽く敬礼をする。突飛は反対側の運転台に乗り込み、出発準備をする。すぐに出発準備を終え、そのままホームを出て行った。
どんなイレギュラーな運用でもすぐに入れて、車両を限界まで使って運転することが出来る、RailRoidが出来る最高の仕事だ。…最初こそ反対ではあった。人の安全は人こそが守るべきだと考えていた。Androidなんかにブレーキハンドルなど預けないと思っていた。でも、主に八木くんによって、突飛を三山鉄道に馴染ませて行った。柔和で、そして楽しく与太話ができる、人間と変わらない姿が、そこにはあった。
彼女の乗った列車が完全に見えなくなるまで敬礼を続け、頬を伝う涙を乾かした。

『業務連絡。業務連絡。14M及び1014Mは番線変更、当駅で一時抑止。14M及び1014Mは番線変更、当駅で一時抑止。14M入線後係員は分岐器を固定してください。…お客様へご案内いたします。次の特急あまぎり・たにかぜ14号は本日のりば変わりまして4番のりばに到着いたします。次の特急あまぎり・たにかぜ14号理明・柏木行きは、本日のりば変わりまして4番のりばに到着致します。また当駅で少々停車致します。お急ぎのところ列車遅れますことをお詫び申し上げます。まもなく参ります三空方面の特急列車、あまぎり・たにかぜ14号理明・柏木行きは4番のりばに到着します。危ないですから黄色い線・点字ブロックまで下がってお待ちください。』
線路脇を歩きながらそんな放送を聞く。14Mが近づいて来て、こちらへ向けて警笛を鳴らす。白旗を振り回しながら列車の入線を見届け、分岐器の元へと急いだ。
『業務連絡。業務連絡。9942M、臨9942Mは現在常山駅を通過しました。まもなく接近します。安全に十分気をつけて分岐固定を行ってください。まもなく9942M、臨9942Mが高速で通過します。臨時9942M、高速で通過します。』


+ 4
_____4_____


「ということで新型気動車、そして新しいRailRoidが導入される。」
「はあ…。まさか試運転担当に…?」
「大正解だよ八木さん!明日柏木で最終整備が終わるから柏木から無渡河まで、試運転添乗よろしくね。」
毎度のように試運転タスクが舞い込んできた。RailRoidが居るので運転自体は不要なのだが、それでも長距離であることには変わりない。し、突飛の件があのままなのでRailRoid相手はかなり気まずい。というか無渡河までよろしくって何だこの国の最南端都市なんだぞ…そんな気軽に言う場所じゃないよ…
とはいえ仕事は仕事、特に試運転は大切な仕事だ。非電化区間の多いこの国においては特に気動車というものは重要な存在となる。そして今回は初めて輸入車両に乗ることになる。特性の違いなどを学んで、今後に生かすチャンスだ!…と文句のアレコレを自己暗示で上書きし、世のため人のための精神を呼び戻し柏木へ移動する準備を始めることにした。

眠り覚めぬ街を歩き、何やら騒がしい柏木駅ホームへと歩く。
「もう少し離れて蹴れ!もっと!もっと!…閉まらんな。」
どうやら出区してきた8000系の電連カバーが半開きだったらしい。今から車両を差し替える余裕があるかは知らないが、大変そうだ。
そんな騒がしい三木線ホームを横目に、普段は列を成してないディーゼル列車しかやってこないホームで列車を待つ。既に柏木留置線まで出区はしていたらしい。前照灯は落としていながら、煌々と輝く幕式ヘッドマークを掲げた、ピカピカの車両がそこにはいた。列車走行位置情報を暇つぶしに見ているうち、接近放送が流れ、留置されている列車も前照灯を上げて短く警笛を鳴らす。頭を上げ、そろりそろりと進入する列車を見る。
「前照灯よし。種別表示よし。…電連よし。」
先程の光景がふと頭をよぎり、ついつい下の方も指差確認する。
列車はディーゼルの重低音を奏でながら、今まで使われたこともなかった3両停目の元で止まる。
「ホームよし。停止位置よし。」
乗務員室扉を開け、新居…新車へズカズカと上がり込む。どこか樹脂系のような、所謂新車の匂いが車内に立ち込めている。今までの車両よりも幾分軽量な扉を閉め、運転台の方を見る。
「1番柏山方面出発進行。」
ちょうど信号歓呼をしていた。その透き通った美しい声が、運転台へ、そして乗務員室へと響く。
「おはようございます。三山運転所の運転士、八木と申します。今日はよろしくお願いします。」
声量を絞りつつ届く声で挨拶をする。彼女との間ではあの時と同じ、どことなく冷えた空気が遮っている感覚がする。
「おはようございます。この度三山鉄道、2000系気動車に配属されました、RailRoidの雅と申します。よろしくお願い致します。」
やはり感じる堅苦しさに、あの時の記憶が鮮明に呼び戻される。…とはいえ今日の道のりはとても長い。ゆっくり打ち解ければいいだろう。
「それじゃあ、今日は9071D、ここ柏木から無渡河までの試運転だね。恐らく問題は起きないだろうけど、何かあったら私にお願いします。一応責任者ということになってるので。」
「了解しました。…今回の試運転のデータを貰ってないのですが、どのような予定か教えていただいてもよろしいですか?」
「ああ…そうだね。今日は軌道試運転がメインで、車両公試もやるってところかな。振り子データの確認もやって…まあ色々だね。データリンクがあればいいんだけど…生憎まだ本格導入出来てなくて…。」
本格導入どころか試験すらろくに進んでないけど…忙しすぎて手が回ってないみたいなんだよな。
「軌道試運転がメインなのですね。かしこまりました。どのようなペースで運転すればよろしいのでしょうか?」
「ああうん…ギリギリまで加減速を詰めろってわけじゃないけど、軌道とこの車両の性能も確認したいから、結構速めの意識でお願いしたいかな。」
雅の硬い喋り方に歯がゆさを覚えながら、それでも伝えるべきことはきちんと伝える。仕事は仕事だ。
「了解しました。では、よろしくお願い致します。」
「よろしくお願いします。」
お互い頭を下げ、出発の準備をする。再度ホームに降り、種別表示、前照灯、そして出発合図灯を確認する。
「時刻よし。出発合図よし。ホームよし。車側よし。」
確認を終え、もう一度乗り込み扉を閉める。新品で滑りの良い窓を下げ、ホームを再び確認する。
「ホームよし。出発。」
ブザーを鳴らし、雅に発車合図を送る。静かに歓呼が聞こえた後、ブレーキのエアが抜ける音が響き、床下のエンジンは少しずつ回転を早めていく。
最後尾がホームを抜ける頃には速度も乗り、気動車とは思えない鋭い加速に軽く腰を抜かす。窓を跳ね上げ運転台横に戻り、助役としての仕事へと移る。
「第4閉塞、進行。」
「第4閉塞進行~。」
2000系気動車は速度を上げ、軽快にカーブを駆け抜けていく。南回りのお下がりの50kgレールとピカピカのPC枕木、角の立ったバラストが朝日を跳ね、近眼の進む目を突き刺す。この辺りの線形が良い区間では、速度計も130を指し、なおも余裕のあるエンジンは余る性能を足へ伝えてくる。
ふと線路脇にカメラを抱えた人物が居ることに気がつく。どうやってこのスジを知ったのだろうか。あるいは、本当にたまたま遭遇したのだろうか。安全な位置に陣取ってはいるが、ここは雅に一言伝えておこう。
「あの人に一応短く鳴らして貰える?」
「了解しました。」
脇を通る時に短くペダルが踏まれる。線路脇に立つ彼は、それに応え手を振ってくれる。
「中継進行。」
「中継進行~。」
「第3閉塞、進行。」
「第3閉塞進行~。」
「…なぜ先程の人に警笛を鳴らしたのですか?あの人は軌道外に居たと思いますが。」
「サービスだよ。これもお客様を笑顔にするための1つ。」
「…理解できません。業務上必要ない行為ですし、警笛は本来注意喚起などに用いるものです。あの人は危険な存在でもなかったですし、あの方が三山鉄道を利用するとも限りません。」
「…難しい問いだね。でも、私はより多くの人に笑顔になってもらいたいんだ。そして、それがこの三山鉄道の共通理念のようなものでもある。」
「そう…ですか。」
「まだまだここに来たばかりなんだから、ゆっくりここに慣れていけばいいさ。」
などと、そんな話をあの時の突飛にもしたような気がして…
どこか胸が締め付けられるような感覚がした。

宇野津駅を過ぎたあたりから積雪が見え始め、富田駅を通過する頃には辺り1面雪景色となっていた。とはいえ列車無線は入って居ないため、高速巡航を続けている。たまに線路脇に保線員の姿がある。きっとこの方々が除雪してくださってるのだろう。レール更新ついでにロングレール化も進んでいるかつての三山本線を、3両の汽車はスイスイと駆けていく。
「ちょっと吹雪いてきたね。視界は大丈夫?」
「まだ大丈夫です。標識類もきちんと見えています。」
「そう…見えなくなってきたら早めに速度落として構わないから。」
「了解しました。…制限105。」
「制限105~。」
「…ずっと気になっていたんですけど、歓呼をもうちょっとハッキリ言わないのですか?」
「あー…別にきちんと呼応してたらいいでしょが三鉄のスタンスだからなぁ…あんまり気を張りすぎても集中続かないかもだしでずっとこんな感じでいいかなーって。」
「…私が申し上げるのは違うかもしれませんが、鉄道というものは沢山の命を預かるものです。他の業種にも増して、仕事の手を抜くことは許されないと思うのですが?」
「それは…」
思ったより手強い。手抜き…難しい問題だな。
結局そのまま何も答えを出せぬまま三山駅に止まり、そしてまた試運転を続けて行った。地域の話題等で場を誤魔化そうとしたが、彼女はそれを話半分に聞き流したように見えた。
普通の仕事人としては優秀なアンドロイドだろう。しかし三山鉄道は仕事だけのスタンスでは無い。何気ない会話も大切にして、お客様と気軽に接する事も大切にしている。そのことを仕事だと伝え、強制するのも手ではあるが、そのような精神は強制するものでは無いと思っている。先は長くなりそうだ…



「おおさむさむ…あ、おはよう。そうか今日は第4編成か。よろしくね、突飛くん。」
「おはようございます。よろしくお願いします。」
年長の車掌が挨拶をし、乗務員室へ乗り込んでくる。若干の雪を含んだ風は、開いた扉を目掛けて飛び込み、そのまま皮膚を刺す。今日は寒そうだ。
扉のすき間をするりと抜け、できるだけ車内を冷やさないようにしつつ外に出る。標識灯も前照灯もきちんと光り悠然と佇む12両の流線型電車は、出発を今か今かと待ち受けている。再び扉をするりと抜け、運転台へと戻る。
高戸行き1Mが設定されていることを再度確認し、出発の合図を待つ。やがて発車ベルが鳴り扉は静かに閉まる。
「戸閉め点、発車合図よし、5番湖西線出発進行、理明発車30秒延。」
ブレーキハンドルを引きマスコンを入れる。列車はガクンと前後動しつつ、ゆっくりと動き始める。ブレーキの緩解を確認し、左手を大きく下げる。馴染んだ車両は鋭い加速を見せ、みるみるうちに速度に乗る。
「速度変更。湖西線、180。第7閉塞高速進行。」
次期ダイヤ改正に向けて最高速度が引き上げられた湖西線を、特に気にすることも無く走る。今のダイヤで180km/hも出したら大早着だ。
「制限、150。」
一つだけの歓呼に寂しさを覚える。助役乗務も終わり、私単独での運転が始まっている。次期ダイヤ改正に向けて…とは言っているが、単純に運転士の数が足りなくなりそうなだけだ。
いつの間にか雪も止み、いつもの景色になってしまった湖西線を、いつものように運転を続けて行った。

車両故障。
理解はしたが、行動より先に非常ブレーキがかかる。身体が持っていかれそうなGを何とか受け止め、ブレーキハンドルを非常2段に叩き込む。
「パンタグラフ傾斜のワイヤーが切れたのね…」
運転台の画面を見て、故障箇所を確認する。L編成側か…厄介なことになりそうだ。
『車掌ですー何かありましたかー?』
「車両故障、パンタグラフの故障です。運転再開は少し時間がかかりそうです。」
『わかりましたー。』
車掌からの連絡に応え、高戸指令を呼び出す。
『はいこちら高戸指令です。呼び出された方はどちらですか?どうぞ。』
「1M運転士突飛です。空宮線常山から辻間にて車両故障で緊急停車しました。どうぞ。」
『はい1M了解しました。故障内容分かりますか?どうぞ。』
「1Mです。パンタグラフ1基の傾斜ワイヤーが切断したみたいです。どうぞ。」
『パンタグラフ傾斜ワイヤー切断…はい了解しました。えーっと…8000系電車でお間違いないですか?どうぞ。』
「はい8000系です。どうぞ。」
『でしたら…他に故障が無ければ切断当該編成のM車2両を開放して終点まで自走して貰えますか?どうぞ。』
「はい他に故障は無いです。M車2両開放で高戸まで自走ですか?どうぞ。」
『はいそうです。M車2両開放で最高140…130まででお願いします。どうぞ。』
「こちら1M運転士、M車2両開放で最高130キロ、高戸まで運転継続の旨了解しました。どうぞ。」
『はい1Mお願いします。以上高戸指令終話します。』
モーター8個開放して運転続行か。3M9Tなら…まあまだ全然走れそう。車掌をブザーで呼び出し、モーター開放の操作をしつつ車内電話を取る。
「こちら運転士です。最高130キロで終点高戸まで運転を継続します。準備出来ましたら発車合図ください。」
『はい車掌。最高130で終点まで行くんですね了解しましたー。』
「よろしくお願いします。」
車掌はすぐにアナウンスを飛ばし、終点まで行く旨を伝え、しばらくしてからブザーが鳴る。25‰の上り勾配で止まっているため、慎重にブレーキを扱いつつ始動する。警笛のペダルを強く踏み込み、ノッチを一気に入れ込む。明らかに鈍い加速を背に、遅れを増やさないためにも全力での運転を始めた。

『高戸指令高戸指令。こちら9071D列車、現在三山本線上の雷鳥場内信号機手前で停止中です。どうぞ。』
聞き覚えのある声がする。…八木さんだ。あの日以来一度も聞いていない彼の声に、心が弾む感覚がする…もちろんそのような機能は付いていない。しかし自己診断プログラムは正常の文字だけを吐き出す。
『こちら高戸指令です。呼び出されたのは9071D運転士で間違いないですか?どうぞ。』
『あっいえ違います…私は9071Dの助役乗務です。どうぞ。』
助役…何か今日試運転は入っていただろうか。
『あ助役…9071D…2000系の試運転ですね?えーと少しお待ちください。』
2000系…三山鉄道の非電化区間を中心に投入される新型特急気動車…この8000系と同じで振り子装置を備えた悪線形特化の…
『はいこちら高戸指令。9071D応答どうぞ。』
『こちら9071D運転士。代わりました。どうぞ。』
聞き覚えのない女性の声…いや、記憶にある。新しく導入されるRailRoidだ。私より後の世代の、より高性能な…
そんなことを考えると胸が針山にされるような感覚がする。…しかし何度自己診断を行っても異常は見つからない。
『はい…えー9071Dは…今ちょっと雷鳥埋まってまして…特急あまぎりが今遅れててダイヤがちょっと…なのでもう少し場内前でお待ちいただけますか?どうぞ。』
『9071Dです。了解いたしました。どうぞ。』
『はい9071Dお願いします。以上高戸指令終話します。』
雅とか言ったような…それが…八木さんと一緒に?仕事として当然なことであるのに、なぜか受け入れるのを拒んでいる自分がいる。
雷鳥駅が見えてくる頃、私の左手はどこか震えているような気がした。…私のカメラは、三山本線のある方をシャットアウトしていた。


+ 5
_____5_____


繁忙期で長い電車は、便によってバラつきのある乗車率で国を横断している。自分たちはいつものようにデッキに陣取り、他愛も無い会話を続けていた。
「こんなに乗車率に差があるって大変じゃないのか?」
「新幹線が開通すれば些細な問題になるわ。ここも30分に1本になるし。」
カーブで乗客に怪我をさせずに高速通過する、そのための振り子装置が作動する音を聞きながら、高速で流れていく景色に目を走らせる。
「それより…なんでアンタが来る必要があるのよ。別に来たって面白いものは無いのよ?」
「それはそうかもだけど暇だしさ。あと普通に頑張ってくれた人たちに感謝を伝えたい。」
「アンタそういうところは善い人よね。そういうところだけは。」
「なんで2回…というか2回目の方が酷くなってるよね。」
「自分の胸に手を当てて考えてみたら?」
「胸に…手を…うーん…清く正しい…」
「手と目と頭、どれが穢れてんのかね?」
「全部じゃね?」
「確かに。」
そんな他愛のない会話を続け、今日も無事に旅を…出来ればよかった。
「おやおやお二人さん。仲がよろしいようですねぇ。あ、暴れちゃダメですよ?頭が飛んでも知りませんよ。」
咄嗟に振り返った時には既に瑛玲那の頭にはピッタリと銃口がくっ付いており、逃げる余地など無かった。モーター車に陣取ったのが仇になってしまったらしい。奴は瑛玲那を少しずつ引っ張り、こちらとの距離を取る。
「何をしに来た。高松。」
「おやおや恐ろしい顔。別にあなた達が言うことを聞いてくれたら傷つくことはありませんからねぇ?私もこのような手段には出たくなかったですし。しかし呆気なかったですねぇ。あのAJのメンバーだと言うのに。」
高松 朱音。UNE共産党の党首。今の彼の手元にはハンドガンがしっかりと握られている。
「…何を要求する。」
慎重に観察する。セーフティがトリガーと一体になっている、少なくともUNEでは公式には配られていないものだ。…少なくとも奴は素人では無い。明らかに手に馴染んでいるし、頭から一切ブレることがない。瞬きも意図的にコントロールしている。狙撃手の類か。
「そうですねぇ。いきなり言うと時間稼ぎにならないんですが。…なんだと思います?根倉くん。」
「さぁ?犯罪者のやることなんて知るかよ。」
対応策を考え、腰に少しずつ手を伸ばす。
「ああ、ああ。根倉くん。ダメですよ?手を下ろしちゃ。何が出てくるか分かりませんからねぇ。」
やっぱり一筋縄では行かなそうだ。大人しく手を上げ、無害アピールをする。
「というか瑛玲那、そろそろなんか喋ったらどうだ?」
「えっああ。いやまあ、抵抗したら危ないかなって思って。」
「ああそう。」
「…根倉くん、話をしましょうか。」
「ああはい…」
安易に瑛玲那に話しかけたせいで微妙に締まらない空気となったが、きちんと話はするらしい。
「我々は社民党にはご退場いただきたくてですねぇ。社民党…今までどれだけの金を自国外に使い、そしてどれだけの借金を残してくれましたかねぇ?」
「どれだけって…それはあんたも知ってる事だろ。何?無能国会議員アピール?」
「…あまり調子に乗ってると突発的に撃つかもしれませんよ?折角可愛いこの大切な子が悲惨な姿になるところを見たいのですか?」
「グロは嫌だが可愛くは無いだろ。」
「うぉい五味ィ!」
やっぱりどこかギャグ調のデッキは、それでも誤魔化しきれない物騒さを振り撒いている。
「…要求は2択です。三山鉄道が直ちに破産申告するか…社民党を解散するかです。」
そしていきなりぶっ込んで来やがった。やれやれ、どうしたものか。
「なんで三山鉄道が破産申告しないといけないんだよ。関係ない民間企業を巻き込むなよ。」
「おや?関係ない?言ってくれますねぇ。国の金は流し、それで社民党の信用の糧にしていることは知っていますよ?」
「国の金…流したか?」
「流してもらってないよコイツ資金援助してくれつっても全部突っぱねて来やがったもん。」
「…コホン。過度な資金流出は無かったこととしましょう。しかしあなた達三山鉄道は旅客輸送ばかりして貨物輸送を考えていない。鉄道は本来貨物輸送のためにあるもののはずです。」
「貨物輸送…してるよな?」
「隣国に貨物新線せがんだし高い金払って新しい貨物車作ってもらったよ。」
「…その隣国にというのが気に食わないのです。なぜ安易に他国を頼るのですか。しかも自国を貧しくするほどに資金を注ぎ込んで!」
裏取りがカスすぎる情報に飽き飽きしながら、それでも油断ならない状況に頭が疲れてくる。
「兎も角、我々は三山鉄道のやり方は気に食わないのです。どの道与党になった暁には三山鉄道は消しますから。今は三山鉄道が死ぬか、社民党と三山鉄道が死ぬかの2択ですよ。根倉くん。」
どことなく中学生を相手にしている気分になってくる。
「社民党が降りたところで共産党が与党になれるとは限らなくないか?」
「おっと。根倉くんがそこまで浅いとは。我々は共産党だけでは無いのですよ。社会自由党、彼らも我々の仲間です。おかげで資金調達や裏ルートには困りませんでした。」
ここに来て信じたくなかった事が事実と告げられる。やけに反乱軍共が強かったのはそういう事か。
「…与党になる目星は付いてるってことか。その有能さをどうにか拗らせずに使って貰えないものか。」
「あなたこそですよ。あなたの理想にどれだけの者が虐げられたか。理解されてないでしょう。」
「…虐げたかもしれないがそれ以上に救っているはずだ。救われなかったものはこれから地道に救う。それじゃダメなのか。」
「ダメです。誰もが幸せでなければならない。あなた達のやり方では出来ないが、我々にはそれが出来ます。さあ、ずべこべ言わずに選んでください。三山鉄道を潰すか、社民党を壊すか。」
「へっ。少しでも三山鉄道が残る道があるなら社民党を壊すに決まってるだろ。俺は民間人を意図的に虐げるクズじゃねえ。」
そう言って再び腰に手を伸ばしてみる。少しずつ、ゆっくりと下ろしていく。
「その意気…流石は根倉くんですねぇ。ですがダメですよ?あなたのスマホは胸の内ポケットに入っています。私の目から逃れられると思わないでくださいねぇ。」
キッショ。なんで分かんだよ。諦めて手を戻し、胸元からスマホを取り出す。発信先は…
「もしもし。根倉です。あの突然ですけど社民党の解体をするんで今日の夜に緊急招集を…」
高松が微かに微笑む。モーター音によって通話先のことは聞かれていないらしい。
「はい、はい、はい急ですがよろしくお願いします。はい。失礼します。…これでいいか?」
「いいえダメです。ここからが本番です。三山鉄道の破産も宣言してください。」
「はっ。最初から2択じゃなくて2つともだったんだろ。」
「さあ?どうでしょうねぇ。」
世界は自分中心で回っているとでも言いたげな顔。ここまで我々と戦い、追い詰めたりしただけある。いやしかし…この状況を打開する方法は…

きっとまだ、あるはずだ。

「高松。何か勘違いしているようだが。」
「おや?どうされましたか?」
少し怪訝そうな、しかしそれでも機嫌の良さそうな声で、こちらに聞き返す。
「勘違いしているようだけど、俺もう社民党代表じゃないぞ。」
高松は明らかに動揺する。人は幸福が裏切られた時、より大きな不幸を背負う。それは、冷静な判断力を欠く。トリガーに込める力を忘れ、銃口が少しブレる。一か八かではあるが、今はこれしかない。
「どうした?"狐"につままれたような顔をして。ガチで勘違いしていたのか?」
瑛玲那と目を合わせ、意図が通じたことを確認する。その時隣の車両からフラッシュバンが転がってくる。高松はそれに素早く反応し、そして無意識に銃口をズラしてしまった。すぐさま瑛玲那はハンドガンを跳ね除け、高松の肘の少し先の内側を殴り、同時にハンドガンを肘で飛ばす。それは床をこちらの方へ滑ってきて、自分の足元で止まる。
それに反応し高松は隠し持っていたナイフを取り出し、瑛玲那の首元を狙う。しかし瑛玲那はそれを綺麗に受け流し、そのまま手に向けて柔軟な身体で蹴りを入れ、ナイフを壁に叩き込む。
転がってきたハンドガンは拾い上げ、マガジンを落とし排莢しておく。綺麗な実包が音を立て落ち、コロコロと転がる。
高松はナイフを諦め首を絞めにかかるが、勢いそのままの瑛玲那の足によってバランスを崩し、足を踏み出した先には転がった実包があって滑るというピタゴラスイッチによって身体の制御を失い、そのまま瑛玲那に振り回される。
気づいた時には高松は軽く宙を舞いながら回り、そして壁との間で鈍い音を立てた。
「あっ。やっちゃったかも。」
頭の打ちどころが悪かったらしく、瑛玲那に投げられた高松は脱力している。
「こいつなら気絶で済んでるだろ。心配する暇があったら縛れ。」
ポケットから取り出した透明密封袋にハンドガンとマガジン、それから高松キラーの弾を詰め、しっかりと封をする。
「溝口。出てこいよ。」
転がり込んできたダミーのフラッシュバンを拾い上げ、そう呟く。
「いやあ見事見事。木下さんは強いねえ。」
「たりめえだ。俺の幼なじみだぞ。」
「それもそうか。」
フラッシュバンを手元で弄びながら瑛玲那を見る。瑛玲那は高松を牽引とかで使うようなロープで縛っている。
「溝口、こいつを国家憲兵隊のとこに置いてきてくれないか?殺人未遂で。」
「りょーかい。しかしでけえ荷物だな。粗大ゴミで金取られたりしない?」
「さあな。」
壁に刺さったナイフも紙に包んで密閉袋に詰め、荷物袋に一緒に詰め込む。
「ところで根倉、さっきからそれで遊んでるけど。」
「ん?」
「それ不発のデコイだからあんまり触らない方がいいぞ。」
「はっ?!ばっかお前先に言えよ。なんでデコイグレネード投げてんだよ。"狐"つっただろ。」
「いやぁ手持ちに無くてさ。使用済みも置いてきちゃったからそれくらいしか無くて。」
「えぇ…」
瑛玲那がきちんと荷造りし、溝口に預ける。溝口はデコイグレネードも回収して去って行った。
「その…無事か?瑛玲那。」
「…この姿見て無事じゃなかったらなんなのよ。」
「それもそうか。」
「それより。アンタハンドガンで何しようとしたのよ。まさか自己犠牲に走ろうとしたんじゃないでしょうね?」
「は?あ、あぁ。ハンドガンなんて持ち合わせてないぞ?」
「え?じゃあ腰に手を伸ばしてたのは?」
「ブラフだ。銃口がブレるタイミングを作る手段の1つだっただけだ。そもそも車内への危険物の持ち込みは禁止だろ?」
「それはそうだけども…」
「それに…お前未だにあんだけ武闘派なのバレたら大変なことになるぞ?ただでさえ逃しそうな婚期を一瞬で手放すかも…」
「ああもうなんでそうやって気にしてることを言うの!マジでそういう話やめて!こっちも頑張ってんの!」
背にポカポカと心地の良い痛みが走り…いやちょっと痛いかも…とりあえず、自分が、そして瑛玲那が、今この時を生きていることに感謝して…いつの間にか到着した駅のホームを眺めながら、流れる涙を隠した。


+ 6
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「今日は代走たにかぜの臨時代走とかいうよく分からん状況を走ることになった。」
「承知しております。いやしかし…これは…」
「できるってことは想定されてるってことだよ。何も問題は無い。」
「いやでもこれは流石にやりすぎでは無いのでしょうか…」
「今ある車両でやりくりした結果がこれなんだ。」
「それはそうでしょうが…どうしてこんな繋ぎ方してるんですか!」

※イメージ 柏木方 ← - ← → → → 三空方

「いやまあ…2両編成と追加先頭車が1つずつあったらしいけど…でもまあこの繋ぎ方はちょっとツッコミどころあるよね…」
「ちょっとじゃないですよなんで1回3両をバラして間に2両入れてるんですか!」
「僕に聞かれても…僕の仕業じゃないし…」
昨日、どんな巡り合わせか8000系が大量に故障、多客期代走のたにかぜ号にまだ正式運用の始まっていない2000系が投入されることになった。その2000系の今ある車両を繋ぎ合わせて8000系相当の定員を確保しようとした結果、柏木区の仕事人はあろう事かとんでもない繋ぎ方を見せてきた。
8000系は予備車がLS編成各1本あり、それをバラして2運用で代走たにかぜを回して来たのだが、朝の電連故障でS編成1本、パンタグラフ故障でL編成1本、車内設備破損でL編成1本が修理に回され、代走たにかぜに回せる分はS編成1本のみ、運用に必要な本数が足りなくなってしまった。そこで同じ振り子特急車の2000系に白羽の矢が立ち、無渡河から大急ぎで帰ってきたのだ。
「しかしまあ…雅さんはこのスジ間に合うと思う?」
当然にして最大の懸念を雅に問う。こちらは高性能気動車だが代走先は超性能電車だ。普通の電車よりは速い程度で、8000系には到底追い付ける性能は無い。
「所定のスジで連結待機時間がそれなりにありますので、その時間もフルで使えば間に合うとは思います。かなり無理をして走ることにはなるので、この車両が耐え切れるかが問題でしょうが。」
「そうか…車掌に頼んでアナウンスしてもらわないとね…」
そうこうしているうちに代走たにかぜの相方、8000系S編成がそろそろと駅構内へ入ってくる。1本だけで運用できないのかと上には問うたが、この客の数で降車清掃乗車が間に合うはずがないと、当然の返事が返ってきた。
「5番出発進行。」
「柏木5番出発進行~。」
出発時刻が迫り信号が切り替わる。入ってきた列車に目をやる。運転台には見覚えのある顔がある。
「あっ突飛…」
どうやらS4編成だったらしい。しかし突飛はこちらに気づいていない。普段見た事のない冷酷な目で、ただホームを見ている。突飛から目を離せないまますれ違うのを待つ。
ふと背後から重い空気を感じたような気がして、急いで振り返る。しかし特段変わった事もなく、運転台に座る雅はブレーキチェックを行っている。気持ち空調が強いかと思い、制御盤へ手を伸ばした。



結局L4編成は入場、S4編成だけでたにかぜの運用に入ることになった。ついでに私の検査も兼ねてS4編成の入場も提案したが、どうやら8000系の不具合が連発したらしく、運用数が足りないために入場はできないと断られた。一応簡単な検査だけはしてくれたが、やはり異常はないと返される。
「停車場接近。次駅停車。電ブレよし。場内中継制限。」
終点駅に迫り、車掌もアナウンスを続ける。この便はグリーン車の乗車率も高く、私の背後では既に降車の列を成している。
「第1場内減速。進路6番。」
丁寧にブレーキを扱い、速度制限までに滑らかに減速する。何人かの視線を背後に受けつつ、列車は分岐器をすいすいと渡る。
「第2場内注意。進路6番。停車、5両。」
6番線を指差し確認し、隣に止まる車両を見る。初めて見た、新型の2000系気動車だ。たにかぜの幕を掲げている。8000系が大量に入場して運用が足りないのでは無いかと思っていたが、どうやらこの2000系で代走するらしい。よく見ると雅と…そして八木さんが乗っている。その事実に胸が締め付けられる。あの日私とあんなことをしておいて…などとは思ってはいない。これも仕事だ。そう頭は理解している。理解しているはずなのに…
背後の乗客に動揺を感じ取られないよう、ただ自分の進む先を見つめることにし、衝動に気をつけてブレーキを扱う。彼がこちらを見てくれたように感じたが、私に視線を返す余裕は無かった。


+ 7
_____7_____


高戸駅。いつもより人の多いホームでは、新型の2000系気動車を初めとした、新しい車両が並んでいる。人の壁の前に軽く腰が引けていると、知らない…いやよく知る声が聞こえてくる。
「おはようございます。突飛先輩。はじめましてだったでしょうか?」
「おはようございます、雅。はじめまして、ね。あなたもこの時間の運転なのね。どっちの列車なの?」
「はい、私はこれから1204Dに乗務します。先輩は8Mでしょうか?」
「ええ、そうね。その…お互いこれから忙しくなるでしょうけど…頑張りましょうね。」
「ありがとうございます、先輩。これからよろしくお願い致します。」
「よろしく…じゃあ、また今度。」
雅と別れ、ホームへと向かう。雅は何も悪くないし、適切に接してくれているのに、妙に落ち着かず、頭が熱くなるような気がする。以前もこのような感覚があったが、結局要検でも異常は見つからず、この感覚の正体は判明せずに居た。

1204D、101Dという真新しい列車番号が並ぶ。それぞれ三山行きのはやて4号、そして無渡河行きのうみかぜ1号だ。はやて、そして今から運転するたにかぜは、既に始発便を見送っているが、この時間には接続の関係で発着が集中しており、多くのファンが集まっている。
『まもなく 7番のりばに 折り返し 6時10分発 四宮・三空方面 特急 あまぎり 10号 理明行き 及び 特急 たにかぜ 10号 新柏木行き が 12両編成で 参ります 危ないですから 黄色い点字ブロックまで お下がりください』
1101M…折り返し10Mも到着する。私の列車の1本後、ダイヤ改正前からの花形特急だ。534 1101M着、537 102D着、537 101D発、539 1204D発、540 8M発…この時間は特急列車が混み合っている。頭端式ホームで捌くには中々大変な量だ。
ブレーキを再確認し出発時刻を待つ。この編成で1度だけ使用したレールブレーキも、正常に動作していることを示す。そうこう言っているうちに4番のりばに無渡河からの列車が入り、同時に無渡河行きの列車が3番のりばから出ていく。うみかぜ2号からは乗り換えの乗客が走り、となり5番のりば、そしてここ6番のりばへと向かってくる。初日効果もあると思うが、2両の列車から出てきたとは思えない量だ。この人たちはきっと立ち続けて来たのだろう。
はやて4号が出ていき、この列車の番となる。もう一度車両を確認し、出発準備を進める。
「6番出発注意。8M、高戸発車5時40分ちょうど。次栄西停車。」
ホームでは発車ベルが鳴り、やがて終客のホイッスルが吹かれ、車体の絞りに沿って大きく曲がった外プラグのドアは、機械音だけを立てて厳かに閉まる。
「戸閉め点。発車合図よし。時刻よし。出発注意、高戸発車、次栄西停車。」
ブレーキを緩め、エア音が止むのを待つ。圧力計の黒針は左に振り切れ、ブレーキが離れたことを示す。短く警笛を2回踏み、前照灯を2度切り替え、左手をゆっくり引く。第4編成だけの特権であるGTO素子の音を響かせながら、まだ眠る街を12両の電車はゆっくりと動き出す。
「電圧よし。電流よし。戸閉めよし。緩解よし。高戸6番出発注意。」
少しずつ力行を増やし、加速を続ける。先行の1204Dが少し遅れて出発しているため、信号による速度制限を受けながら次駅を目指す。
「ATS確認。信号55。中継停止…中継制限。」
いつもよりはのんびりと、しかし人の足には出せない速度で高戸の市街を西へ抜ける。次の駅に停車することで間隔が空く。そこから先は詰まることは無いだろう。
「第1閉塞注意。停車場接近、栄西停車、現車12両、停目共通。」
有効長いっぱいの駅へと迫る。ここへの停車はダイヤ改正後の今日が初めてだ。オーバーランだけはしないようにと気を張り、停目の位置をよく確認する。
「栄西停車12両。第2閉塞注意。」
遅れを伸ばさないようにできるだけ速度を乗せたまま、しかし衝撃を与えず止まり切れるようにブレーキを調整し、甲高い鳴きを聞きつつ、そのまま停車する。
「停止位置よし。戸閉め滅、栄西5時43分発車、第2閉塞進行。」



まだ5時台だというのに人の波を作り上げている駅をするりと抜け、新幹線ホームを目指す。するすると人河を泳いでいるうちに瑛玲那を見つけ、そのまま岸辺へ進む。
「おはよう瑛玲那。凄い人の数だな。」
「うわっなんでお前が来てんだよ。中塚さんはどうしたの?」
「ん?中塚は新浜の方行ったぞ。」
「は?お前バカなん?なんであんな所に行かせてるんや。交通機関無いも同然だったんだから。」
「いやあっちは新駅開業みたいなもんだし、なによりおおたかも2号の方だぞ?あっちの方が大事だと思ったんだよ…」
「はー…馬鹿だねえ。後で中塚さんにちゃんと謝っといた方がいいよ。あっち多分そこまで人居ないし。」
「へいへい…馬鹿やっちまったってことか。」
「そうだよバーカ。」
当日朝にして自分のやらかしを教えられ、どことなく居心地が悪くなる。そんな姿を見かねてか、瑛玲那は口を開く。
「アンタも功績者だから許されるでしょ。実際アンタのおかげでここに立てているんだから。」
「心にもないお世辞をありがとう。」
「うーわ出たひねくれモード。どれだけの期間この国のトップやって来たか思い出してからその言葉を考えな?」
「はい…」
そうこうしているうちに開業式が始まり、三山駅長が司会を進める。沢山のギャラリーがそちらに注目し、フラッシュの嵐が起きる。フラッシュを炊くななどという正論だが語気の強すぎるものも聞こえ、カオスと呼んでも良いような空間が出来上がる。
『はい皆さん落ち着いてくださーい。はい本日はお集まりいただきありがとうございまーす。ただ今より三山新幹線開業式in三山駅を始めまーす。はいこの三山新幹線は、お隣毎倉府帝国の新三沢駅から、三山本線沿いを進むようにして、ここ三山駅を経由、そして新浜駅を目指す、路線最高速度320km/hの、所謂高速鉄道です。 列車は速達のおおたか、各駅停車のさくらが存在し、新型の8700系電車やJ-6系電車によって、各地を高速で結びます。この後6時ちょうどにこの駅の始発便、おおたか622号の毎倉区行きが発車、その後新浜や新三沢からやって来るおおたか号や、この駅から発車するさくら号など、次々に列車がやって参ります。そこでお客様にいくつかお願いがございます。まず、発車ベルが鳴ったら、車両には近づかず、黄色い点字ブロックより線路側には立ち入らないようにお願いします。次々に列車がやって参りますので、大変危険です。列車到着・発車の際は、絶対に列車に近づかないようにお願いします。また、写真撮影についてです。今皆さんフラッシュを炊いている方もいらっしゃいますが、ホーム上ではフラッシュを絶対に使用しないでください。安全確認に支障をきたしますので、絶対にフラッシュを炊かないようにお願い致します。はいご協力お願い致します。それでは、私からの挨拶はこの辺にして、本日三山鉄道の社長がこちら来ておりますので、挨拶を頂こうと思います。では木下社長、よろしくお願いします。』
そう言われると瑛玲那は壇上へ向かう。その右手には、知らないうちにマイクを握っていた。
『紹介頂きました、三山鉄道株式会社、代表取締役を務めております、木下瑛玲那と申します。皆様、朝早くからお越しくださいまして、本当にありがとうございます。三山鉄道はUNE建立時に旧国鉄線を引き継ぎ、全国に鉄道網を張り巡らせるため、この期間整備を進めてまいりました。しかしながら国土は決して狭くなく、また地形もあまり良くないところが多いために、革新的な高速化が必要でした。その最たる例が特急あまぎり・たにかぜであり、これらは在来線としてはとても高速でありました。しかしながらこれらは電化されているからこそ発揮できた性能、加えて所詮は在来線でしかない限界に、頭を悩ませることになりました。そこでこの三山本線については電化を諦め、新たに高規格な電化新線を建設することで一気に高速化、同時に隣国の首都圏まで向かうことの出来る、国際鉄道の誘致も行った次第です。私たちはこの三山新幹線を最大の国益と判断し、長い時間をかけて建設して参りました。そのために多くの方にご協力頂き、時には用地確保のため、転居をお願いすることまでありました。それでもこうして今日、無事に開業が迎えられたことを、本当に嬉しく思います。皆様、これからも三山鉄道をよろしくお願い致します。以上をもって、三山鉄道社長木下からの挨拶とさせていただきます。良い一日をお過ごしください。』
締めくくった瑛玲那は満足気にギャラリーを見回し、そして深々と頭を下げる。そしてこちらへ駆け寄り、褒めて欲しいと言わんばかりの目でこちらを見る。
「なんだ?その顔。」
「さあ?なんでしょう。」
「腹でも空いたのか?」
「は?バーカ。」
率直な罵倒を食らう。かまってちゃんムーブは嫌いなのでこのまま放置してやろうと思ったが、今日という日に拒絶するのも何か据わりが悪く、正直に褒めてやることにした。
「頑張ったな瑛玲那。今まで本当に。」
そう言って瑛玲那の顔を見ると何故か不思議そうな目でこちらを見返してくる。
「なんだ。俺がそういうの言うキャラじゃないとでも思ってるのか。」
そう言うと吹き出し、ケラケラと笑う。なんだこいつ。
「ははは…ばーか。」
いつものように罵倒を口にするが、どこか影のあるような声に、そう感じた。



「純友発車5時49分。時刻よし。3番出発進行。…戸閉め点、時刻よし。純友発車。次大門停車。」
遅れはとっくに巻き返し、雷鳥まで全ての駅を通過する1204Dの後ろを、所々停車しながら追う。この2列車は余裕があるわけではなく、ギリギリのところを2000系は逃げることになっている。流石は雅と言ったところ、栄西を出てからは一度も信号で減速を受けることなく走ることが出来ている。
__実は僕新幹線の試運転の担当になったんだ。
あの日の声が蘇る。あのときは54Mだった。最近のようで既に昔の、そんな思い出。あの時は夢物語のように感じられた新幹線も、あと10分もしないうちに営業運転が始まる。
「私も…行きたかったな。」
予備車の少ない三山鉄道では、残念ながら休養は無い。毎日朝から晩まで運用に入り、たまに車両区で検査を受ける。様々な制約があるという以前に、プライベートで抜け出せる時間が存在しない。そもそも人造人間(ドール)の身、そのようなことが許されるわけが無いが…



『まもなく16番のりばから、三山新幹線始発列車、おおたかレールスター622号毎倉区行きが発車致します。自由席は後ろ寄り、1号室から3号車です。ご乗車になられないお客様は黄色い点字ブロックより内側でお待ちください。当駅を出ますと、新柏木、理明、新三沢の順に止まってまいります。』
いつもより騒がしいホームを横目に、車両状況のモニターを眺める。架線電圧等にも問題は無い。強いて言うなら緊張している。思ったより乗客が多く、正確に止められる自信が無くなってくる。そして背後にはギャラリー、ホームを見れば駅長、そして社長とが立っている。緊張する要素しか無い。
「いやー…これは緊張しますね、八木さん。」
横にはいつもの人が居る。彼が居るだけでいくらか心が軽くなる。
「これは思ったよりヤバいですね…こういう時は思い切って吹っ切れるべきですかね?」
「さあどうでしょうか…」
声色はいつも通りのようだが、チラと見ると彼も緊張していることが分かる。というかあからさまに顔が固い。自分よりもヤバいんじゃないかと思う。
『16番のりばの列車は6時ちょうど発、新幹線おおたかレールスター622号毎倉区行きです。まもなくドアが閉まります。1度閉まりかけたドアはそのまま閉まります。お手を挟まないよう十分ご注意ください。』
けたたましい発車ベルと共に発車を告げるアナウンスが鳴る。数秒してベルは止み、終客を告げるブザーと共に扉を閉める。
「戸閉め点。発車合図よし。」
後は駅長の声を待つのみ。左手に少し力を入れ、その時を静かに待つ。
『おおたかレールスター、出発!』
その声共に左手を引き、ブレーキのエアを抜く。
「時刻よし。信号75。緩解よし。三山発車。」
薄明の三山に8700系の咆哮を轟かせ、ゆっくりと加速を始める。
「三山30秒延、次新柏木。」
某日6時、数多もの民が夢見たニューフラッグシップは、新たなる道を進み始めた。初めてこのハンドルを握った日が、それまでの遍く日々が、次々とフラッシュバックする。
初めてこの駅で握ったハンドル。ただのローカル線を走る、単行の気動車。そもそも三山鉄道じゃない、端座国鉄があった頃の話。教官を隣にビクビクしながら運転した日を、今になって思い出す。雪に負けて進むのに四苦八苦したことも、教官がイラつきながら左手を支えてくれたことも、今となってはいい思い出だ。
「信号175。」
そんな思い出に浸っている間も、ピカピカの新幹線を走る、14両の電車は、どんどんと速度を高める。三山鉄道となり、初めて新型の気動車に乗った時、余裕あるエンジン出力と軽量な車体に喜んだ。やがて新人に教える日も来て、かつて教官にしてもらったように、左手を添えた。
「信号240。」
機関車を操る時も来た。初めて、2両以上のものを動かした。見た目のイメージよりも加減速が効き、ディーゼルの圧倒的な音圧に、どこか頼もしさを覚えた。無理を言って8軸駆動の設計に変えたんだ。そのようなことを、聞いた気がする。おかげで雪にも負けず、貨物輸送に革命を起こした。そういえばこの時、初めて左手でブレーキを握ったな、そんなことも思い出す。結局のところは三山経由の輸送に使われることは少なく、自分が運転したのはそれきりだった。
「信号275。」
初めて電車に触れた。それまでの車両に比べるとあまりにもオーバースペックのそれは、驚愕し、そして興奮した。長くハイパワーなそれは、かつての考えを全て吹き飛ばし、極限までスピードを求めたものだった。狭軌のスーパーカー・狂気のスーパートレイン、ある者はこう言った。
「信号300。」
それも覆された。今操っているこの車両によって。一度打ち壊された自分の常識は、もう一度吹き飛ばされることになった。気づけばこのニューエースに、故郷の未来は託されていた。



「四宮定発。次八浜停車。」
7時を回り、辺りも段々と明るくなる。八木さんは今、どの辺りを走っているのだろうか。思えばあの日から私はおかしくなっていた。自分の業務だけに集中し、周りの情報収集はほとんどしなくなってしまった。
__三山運転区に異動することになったんだよね。
あの日私を殴った言葉が聞こえてくる。あの時も自己診断を行ったが、異常は見つから無かった。自身がこれ以上壊れる可能性を排除するためでもあったが、八木さんを強く拒絶してしまったことを、今は後悔している。あの時の申し訳なさそうな八木さんの顔は、二度とは見たくないものだ。
「凪咲、通過。」
__突飛、僕が居なくなったら寂しくなるんじゃないの?
寂しい…その通りだ。彼がいたからこその日常、その重大さに、失って始めて気付かされた。あの時は強気に答えたが、結局は虚勢に過ぎなかった。だからこそ、その後の彼の願いに応えた。彼は私を大きく包み込み、どこか凍てついた心を、優しく温めてくれた。RailRoid(ドール)の私を1人の人間として認めてくれた、そんな喜びもあった。
その後のことは思い出したくも無い。確かに応えたのは私だが、大切なことが完全に抜け落ちていた。羞恥が頭を埋めつくし、正常な判断力はそこで途切れていた。
「片岡、通過。次八浜、停車。」

ホームを歩き、後ろ側の車両を目指す。ダイヤ改正によって車両運用が変更になり、あまぎりは5両、たにかぜは7両となった。乗務する車両こそ変わっていないが、行先は理明から柏木になってしまった。改正の事が話された連絡会の時、これを聞いて私は少し落胆した。理明方の湖西線は他とは違って180km/hで走れ、小半径の曲線も存在しない。この車両の本領を発揮できるのはその湖西線であり、車両の最大の理解者という自負があるために、そこを譲るのは悔やまれる部分はあった。
レバーを前位に動かし、時刻表を刺す。時計をはめ、ブレーキハンドルを取り付ける。ブレーキを常用段まで緩める。レールブレーキ表示灯が消えたことを確認し、椅子を展開し座る。第4編成のみ若干低くされた椅子は、ちょうど良い位置に警笛のペダルが来るようになっている。
「3番出発停止。1008M、三空発車7時56分ちょうど。次瑞蓬停車。」
赤く灯る出発信号機を指差し、出発の時を待つ。とはいえ上りの三空は時間が以前よりも削られており、キビキビ動かないと余裕は無い。常用段のブレーキを確認し、圧力計を見る。エアが減り、コンプレッサーが動き出す。赤針が徐々に右に動き、エア漏れが無いことを確認する。
「三木線出発、進行。」
進路が開通し、信号機は灯火を変える。それを合図にドアが閉まり、発車合図が来る。
「戸閉め点。発車合図よし。時刻よし。出発進行、三空発車定発、次瑞蓬停車。」
エアが抜ける音が止むのも待たず列車を加速させる。先程までよりもM比の高くなった列車は、僅かに加速が良くなっている。
「分岐制限55。第1閉塞進行。」
転線用の渡り線を跨ぐ。時間を短縮するためには加速を止めたくないところではあるが、そうしてしまえば待っているのは惨事。そのようなことは絶対に許されない。レールの継ぎ目の小気味良い音は後ろへ、7両編成の列車は北進を始める。三空の街を貫く高架は高い防音壁に囲まれ、景色はさほど良くない。振り子装置で右往左往しつつ、市街を縫うように敷かれた線路を進む。分岐器以外もバラストを敷き詰められた、高架橋には似合わない光景は、この街がロイヤルシティと呼ばれていることを言葉無く語りかけてくる。
「場内進行。停車場接近、瑞蓬停車、現車7両、停目特7。」
複線としては最低限の、対面式2面2線ホーム。昼間は特急も通過する。それでもここは狭義の駅、停車場とされており、この駅を挟む信号機は通常の閉塞信号機では無く、場内信号機と出発信号機である。列車の混乱を避けるために三空の隣接駅3つは全てこのような形になっている。
「瑞蓬停車7両。出発進行。」
あまぎりほどでは無いが、それでも三空からの乗客も合わさり立ち客で溢れた車両はいつもより重い。新幹線で西へ進む者、東へ進む者。特急はまなみで北へ進む者。それが何人いるのかを知ることは無いが、皆が希望を抱いているのは変わらないだろう。
「停止位置よし。戸閉め滅、瑞蓬8時ちょうど発車、出発進行。」
降りる客は両手ほどで乗る客が多く、車内は更に混雑する。あと数本はこの調子が続くだろう。まだまだ朝も中盤、先は長い。ぐいと1つ伸びをし、戸が閉まるのを待った。

『…かえ下さい。本日も特急たにかぜ号をご利用くださいましてありがとうございました。終点の新柏木、1番のりばの到着お出口は右側です。』
「新柏木停車、7両。」
分岐器を跨ぎ1番線へ入る。停目を確認しブレーキをかける。頭端式では無いため速度制限は無いのだが、それでも終着であるため自主的にゆっくりと入線する。スピードにこだわればいい、そんなことは決して無い。安全が大前提、これは決して揺らがない。
「停止位置よし。戸閉め滅。終点新柏木、よし。」
ブレーキを非常2段に込め、レバーサを切る。1つ息を吐き、ホームを眺める。高架を転がる車輪の音が降ってきて、新幹線の到着を教える。
「そういえば八木さん…無事に着いたかな…着いてるか。2時間もあれば在来線でも行けるもんね…」
ブレーキハンドルを抜き、レバーを中立にする。時計を持ち、時刻表を抜き、次の運用を確認する。
「1013Mから13M、折り返し時間は…全然無いね…」
時間あたりは倍になるのに現状1編成増備だけ、薄々そんな予感はしていたがまさかこれ程とは思わなかった。所要時間の長いあまぎりの方ではもっと折り返しがシビアだろう。そうなると私では間に合わなくなる。たにかぜ側に入るというのは妥当だったのかもしれない。
「忘れ物は…無いよね。」
一応運転台を見回す。問題無いことを確かめ、ホームへと降りる。
「あっ突飛さんの編成か。お疲れ様です。」
次の車掌に話しかけられる。1編成しか増備されなかったとはいえ11編成はいる。私の編成に当たる確率はそこまで高くない。
「お疲れ様です。今日はやっぱりお客様が多いですね。冷房が必要になってくるかもしれません。」
「やっぱ多いんですね。今降りてきた人数多くてアレっとはなったんですけど。こっちを7両に増やしたのは正解なのかな?」
「どうでしょうか…あまぎりの方が立ち客で大変なことになっていたように見えますし…」
「うーん難しいね。それじゃあ、三空までよろしくお願いします。」
「よろしくお願いします。」
軽く挨拶を済ませ、車内を見つつ歩く。シートを回す音始発駅らしさのある音を、ホームで待つ人に聞かせている。真新しいホームには、今回のダイヤ改正から柏木まで走るようになったりさわライナーも居る。これを見ていると、まるで理明駅に居るかのように錯覚する。
『1番のりばの列車、特急たにかぜ13号高戸行きは、車内清掃済み次第ご乗車になれます。その場で並んだまま、いましばらくお待ちください。』



「お疲れ様でした、八木さん。」
ブレーキハンドルをいっぱいまで込め、八木さんに話しかける。最後の運用を終え、既に日付を超えている。時刻表やハンドルを鞄にしまい、代わりに当日中に渡せなかったものを手に取る。まだ少し気が引けるが、日頃の感謝を伝えないのも据わりが悪い。
「お疲れ様、突飛。今日も良かったよ。そろそろ単独乗務していいと思うけど…いつまで続くのかな。」
「どうでしょうか。私も何も伝えられてはいません…」
「まだ運転士が足りてるからあくまでも運転士の負荷軽減っていう建前は変えないのかな。それはそれで突飛を認められてないみたいでなんか嫌ではあるけど。」
「私は、人では無いので…何か起きた時には遅いと考えていらっしゃるのでしょう。」
いくら信頼出来る機械であろうと所詮は機械、多数の人の命を預かる立場に単独で立たせるのは怖いのかもしれない。
「僕の方がよっぽどやらかすと思うけどな。人間の精神的な疲労の問題、そして突発的な病気、単純なヒューマンエラー。人間の方がよっぽど危ない。」
「そんなことは…三山鉄道の皆さんは安全に気をつけていますし、何より皆さんの優しさと接しやすさは機械には再現できない大切なものだと思います。」
「…突飛も十分、優しさと接しやすさはあると思うけどな。」
その言葉に一瞬、身体が小さく跳ねる。どこか顔が熱くなるような、そんな感覚がする。そんな機能もプログラムも無いはず。裏で自己診断を走らせ、それと共に握られたままの箱を思い出す。
「…あの、八木さん。」
思い切って話しかける。八木さんはどこか不思議そうな顔でこちらを見る。
「その…日付は変わってしまいましたが。受け取ってもらいたいものが。」
そう言い箱を差し出す。八木さんはどこか困惑した様子だ。無理もない、私なんかからバレンタインチョコを渡されるなんて思って無かっただろうから。
「その…運転所の人に教わったんです。今日…昨日は日頃の感謝を伝えるために、女性から男性へお菓子をプレゼントするんだって。なのでお願いして準備して貰ったんです。その…受け取って貰えますか?」
八木さんの目を見つめる。八木さんは目を泳がせ、どう答えるか悩んでいるようだ。
やっぱり困らせてしまった…
そう思って目を伏せた時、八木さんが口を開く。
「…ありがとう。とても嬉しい。日頃の感謝…突飛の役に立ててるってことが分かって。とても。」
そう言って私の手に触れる寸前くらいまで手を伸ばし、そっと箱を包み込む。
「どう思われてるか心配だったんだ。横にいるのは僕ばっかで、邪魔に思われてるんじゃないかって。…でも、安心した。本当にありがとう。」
そっと手を引く。その箱は八木さんの手に支えられたまま、私の手を離れる。知らない感覚。頬が、胸が、すごく熱くて、まるで熱々になったカイロでも当てられているような、そんなことも考えてしまう。
「もう遅いし、早く出ちゃおう。」
そう言って八木さんは背を向け、足早にホームへ出る。時計を見ると思ったより時間が経っている。私も鞄を持ち、扉をしっかり施錠し、彼の背中を追った。手離したくない見えない何かが、そこにあるような気がした。



四宮駅の仮眠室に転がり込み、ネクタイを解く。少し腹が減ったが、この辺りで今の時間に開いているような店は無い。少々勿体無くはあるが折角なので貰った箱を開き、これを食べて寝ることにする。
「うわ…マジか。」
開いてみて驚いた。中には8つばかりの…チョコレートが入っている。
「これ…誰が用意したんだ…」
バレンタインデーという文化、この国に取り入れられた時に少し改変されたと何処かで聞いたことがある。それもそのはず、この国ではチョコレートなど流通していないのだ。物好き、金持ち、旅人。そのあたりの人々がお土産として持ってくる、その程度のものであり、滅多にお目にかかれないものである。これを準備した人は、何を思ったのだろうか。どこか背筋が冷たい指になぞられるような感覚がし、幸福の余韻を徐々に蝕んでくる。
いけない。突飛がくれたもの、他者を出して折角の厚意を無下にするなど、許されることでは無い。突飛に感謝し、1つ口へ放り込む。程よい甘さと苦味。決して苦になることは無い、程よいバランスが、口と鼻を通り抜ける。どこか胸が温かくなるような、そんな心地の良い味。彼女の笑顔が浮かび、頬が緩む。
そうか…
某年2月15日、芯まで凍てつくような寒さの中、彼女に対する感情が、同僚や後輩のそれを超えた特別なものであると、この日初めて、知ることになった。



背もたれに体重を預け、57Mへと番号を変えた列車は、発車時刻を待つ。
「バレンタイン…もう渡すどころか会うことも出来ない…」
とあるバレンタインの日の事を思い出し、離れ離れになった彼のことを想う。トラブルで代走専属となった日、もう少し彼を見ていればよかったと、今更どうしようも無いことをつい考えてしまう。
『まもなく後ろ側に理明からやって参りました特急あまぎり57号を繋ぎます。列車繋ぐ際少々揺れますので、お立ちの方はご注意ください。』
アナウンスから数秒もしないうちに極僅かな揺れがあり、圧力計が一瞬振れ、車両モニターには新たに5両が追加表示される。ブレーキを緩め、込め、軽く繰り返し、正常に連結されていることを確認する。
「圧力よし。連結よし。2番出発停止。57M、三空発車20時7分20秒。次多度津停車。」
ホームのモニターを覗き見て、乗降客の群れを見る。大荷物を抱えた旅行者、連結を撮って来たのであろう者、スーツの似合う者…沢山の人が降りて、そして乗る。たとえ新幹線が通ろうとも、この特急が役目を失うことは無い。
『特急列車の高戸行き、まもなく発車致します。ドア付近のお客様、閉まりますドアにご注意ください。』
かつてフラッグシップだった、この8000系電車。私の扱える、唯一の車両。今日まで大きな問題を起こすことなく迎えられたのは、とても嬉しい。
「戸閉め点。発車合図よし。時刻よし。出発進行、三空発車定発、次多度津停車。」
だが、心配もある。次に消える特急車両は、この8000系だろうから。寿命、同区間特急の新幹線化、考えられることは幾つかあるが、どれもここが最初で、その時には…きっと形式ごと無くなってしまうだろう。そうなったら別の車両に移るのか、それとも役目を終えるのか、私には分からない。

デッキとの扉が開き、車掌が入ってくる。多度津で前側に入る人は珍しいが、今日は大人数が割り当てられてるのだろうか。気にせず制動をかけて多度津に止まり、特に何があると言うわけでもなくそのまま走り出す。違和感を覚えたのはその後。多度津を出てからその人は巡回に行くわけでもなく、ただ私の右後ろで立っている。立ちっぱなしは決して楽では無いだろう。そう思い少し横目で見たが、個人を特定するまでには至らず、気分も晴れぬまま八浜を出て、もうしばらくで四宮という時、その人は遂に口を開いた。
「雨の日でも上手いね。流石だ。」
すぐには理解が出来なかったが、その声は久しぶりで、それでいてとても聞き馴染んだ声であった。少し遅れて驚きが到着し、あまりの動揺に言葉が出なくなる。
「第1場内進行~。進路2番。」
「だっ第1場内進行。進路2番。四宮停車。」
彼は私をフォローするように歓呼し、それをなぞるように呼応する。本来は逆、助役より先に私が歓呼しなければならない。些細なことで運転を疎かにするなど、RailRoid(ドール)失格である。
ミスをこれ以上広げるわけにはいかない。滑走しないように慎重にブレーキをかけ、四宮駅構内を走る。いつもよりもあらゆることに意識を向け、安全に四宮に停車する。非常1段までブレーキを入れ、恐る恐る彼に話しかける。
「あの…八木さん。どうしてここに…?」
「えーっとそれは…まあちょっとあって。なんとなく、突飛に会いたいなーって思って…なんて。」
そういう彼の声もわずかに裏返る。彼も緊張しているらしい。
「とりあえず久しぶりに、話しながら運転しようか。」
彼の提案に小さく応え、空転と戦いながら四宮駅を出た。

「最近の高戸車両区のこと全然知らないんだけど…改正後はどんな感じ?」
「えっと…だいぶシビアですね…所要12編成を現状11編成で回しているので…」
「うん?うん?所要12に11編成?」
「そうなんです。今のところ柏木入出場の運用を1本としてギリギリで回してるんです。」
「マジか…今日の突飛の運用はどんな感じなの?」
「今日は高戸を起点に3往復ですね。これでも短くはあるんですが。」
「3往復…が短い?!」
「そうです。最長運用は三空から高戸のたにかぜで始まって更に3往復、距離にして実に2000kmを超えます。」
「うっわぁ…休み無いじゃんそんなの…」
「そうなんですよね…折り返しもシビアで、前みたいに休んでる暇は無くなって…」
「そういえばあまぎりの折り返しは時間帯によっては4分以内だとか聞いたような…」
「そうなんですよ。しかもそれ、あまぎりだと割と普通の折り返し時間になっちゃってるんですよ。流石にこれはやり過ぎですよね。」
「そうだね。流石にそれは何とかしないと、そのうち回らなくなっちゃうんじゃないかな…」
「でもちゃんと回すにはあと4編成くらい必要で…その…これだけの性能あると高いじゃないですか、8000系。しかも駅の容量も潤沢なわけでもないですし、改善しかねてるのが現状みたいです。」
「駅の容量もね…大切かやっぱり。」
「そういう八木さんこそ、新幹線はどうなんですか?」
「ああ。凄く快適だし、速度も簡単に出るね。最初は高速域の新鮮味があるけど、やっぱりスピード感はこっち、8000系の方があると思う。」
「そ、そうですか…」
「今日は三山始発のおおたかレールスターを運転してきた。速達便をうちの8700系で走るヤツ。」
「やっぱりお客様はいっぱい居ましたか?」
「うんすっごく居た。ホームに上がれない人がいるどころか改札の外まで人の塊が出来てたらしいし。」
「それは凄いですね。こっちも上り便は立ち客ですし詰めでした。」
「わあ…やっぱり凄いんだね。」
「そうですね。3日もすれば落ち着くでしょうけど。」
「それでも初日効果とか言わせないくらい、沢山の人に使ってもらいたいな。難しいかもしれないけど。」
「私たちなら出来ます。きっと。」
そんな話をしているうちに長い竹達峠もあっという間に越え、雷鳥まで到着した。三山本線の復活、雷鳥国際空港の開業に伴って多数の列車が行き交い、よりこの特急あまぎり・たにかぜの定時性の重要さが上がっている。303kmの道のりを走る特急が30分に1本、よく考えれば凄いことだ。
雷鳥を出て渡り線を跨ぎ、列車は三山本線へ合流する。終点へ向けてラストスパートをかけ、後続へ影響が無いようにキビキビと走らせた。

大門に着き、残すは1区間のみとなった。無渡河行き最終接続を知らせるアナウンスが繰り返されている。八木さんはと言うと、先程から何かに悩んでいるような様子で口を開かなくなっていた。その真剣な様子に話しかけることも出来ず、とうとう無言のまま大門を出る。しばらく走っているうち、遂に八木さんは口を開いた。
「僕が今日ここに来たのは…本当に突飛に会いたかったからなんだ。」
発言の意図が読めず、そのまま続きを待つ。
「突飛とは、長い間一緒に乗務した。そして一緒に話しながら過ごすことが、とても楽しかった。そしてある想いに気づいた。でもそれが本当か分からなかった。…でもいざ離ればなれになって分かった。突飛は僕にとって必要な存在だった。」
次の言葉がなんとなく、ほんとになんとなく重要な物の気がして、静かに続きを待つ。
「長々とごめん。僕は突飛が好きだ。突飛の事がいつも忘れられなかったし、何時でもずっと、一緒に居たいと思っている。」
八木さんが…私のことを好き…?初めての事に処理が遅れる。ゆっくりと言葉を探し、答える。
「えっ…好きって…どういう…ことでしょうか?」
運転所などで学んだ知識はあるが、自分のことになると途端に冷静で居られなくなる。
「その…異性としてだけど…やっぱり嫌だったかな…?」
異性として好き。八木さんが、私のことを。そのことをゆっくりと噛み砕く。
「いい嫌じゃないですが!えっとその…ななんで私なんですか…?私なんか機械ですし、八木さんにちゃんと接していられたつもりが無く…」
「機械とか関係ない。そもそも突飛は人と同じだと思ってる。僕は突飛の事が、好きだ。」
その言葉に顔が急激に熱くなり、胸が締め付けられるような感覚がする。今までもあった、仕様外のもので…
そうか。これが 恋 というもの…
その時初めて、これまでの自分が異常だと思っていたことに、納得をする。…どうやら私も、彼のことが好きだったらしい。
「いやその…嫌なら嫌でいいんだ。僕は気持ちを伝えられたから…それで…」
段々と弱くなる彼の言葉。彼は本当に私のことを想ってくれているらしい。
「高戸に着いてからお話ししてもいいですか…?頭端式ですし、手を滑らせると不味いですから…」
もう高戸も近い。私も冷静で居られているわけでもない。それが拒絶に聞こえるかもしれないなと言った後に気づいたが、構っている暇は無い。慎重にブレーキを扱い、乗客を無事に届けるのが最優先だ。
「制限、25。高戸停車、停目共通。」
ホーム前の速度照査を抜け、いよいよ停車。今日の運用がやっと終わる。そう思うと、自然とため息が出そうになる。でも今の状況、彼に聞こえるとよくないと抑え、まだまだこれからが本番だと気を引き締める。流線型車体故に簡単に見えなくなる停目を計算で把握し、正確に列車を止める。無事に扉が開き、一気に力を抜きブレーキを奥まで入れる。
「ごめんなさい待たせてしまって…それでその…急いで点呼終わらせてくるので、一緒に海まで歩きませんか?」
「えっああうん。…海?」
「そうです。ちょっとした海沿いの公園が出来たので…八木さんに来てもらいたくて…」
「そう。ありがとう。着いて行くよ。」
困惑しながらも彼は応えてくれる。彼を待たせないよう、最大限急いで終了点呼を終え、彼と共に歩き出す。時刻は既に22時台。人は眠らぬが街は眠る、そんな時間帯で、人通りは非常に少ない。一緒に乗務していた頃とは変わった場所を話したりしながら、目的地を目指す。
「ここです八木さん。暗いですけど、見えますかね?海。」
工業地帯の狭間に出来たオアシスは、潮の匂いで辺りを包み込み、ここは港湾都市であるとアピールしている。
「それでその…お話なんですが。」
彼はもどかしそうな様子でこちらを見る。ここまで来たからには流石に期待しているだろう。その期待通りになるよう、言葉を紡ぐ。
「八木さん。私は今日まで、自分のことながら気が付きませんでした。八木さんと居ると心地良くて、居ないと寂しくて、気の合う同僚のように、そう思っていました。」
彼の目を見る。彼への気持ちでリソースは限界だが、それでも言葉を、なんとか絞り出す。
「それまで、度々不具合が起きているように思っていました。顔が熱くなったり、胸が痛くなったり。機械なのに何故だろう、そんな機能ないはずなのにと。でも、八木さんに言われてやっと気が付きました。八木さんのことを考えると、無意識のうちにそうなっていたのです。…八木さん。私も、八木さんの事が好きです。八木さんと一緒に居るのが幸せで、ずっと手離したくないです。私は八木さんと、ずっと一緒に居たいです。」
海風が髪を揺らす。彼も今この瞬間を噛み締めているようだ。彼の続ける言葉を期待し、僅かに歩み寄る。運転所でもこの手の話は少なく無い。そしてそれが当然の選択肢なのだと、今なら分かる。やがて彼は私の心を見つめるような目で、口を開く。
「突飛。僕はずっと、ずっと。あなたが好きでした。僕と、付き合ってください!」
静寂の街に彼の声が響く。それだけ私に想いを向けてくれていることが、とても嬉しい。また1つ歩み寄り、彼に応える。
「はい、よろしくお願いします。」
最大限の笑顔で答え、思わず抱き着く。彼の存在を確かめたかった。彼を手放したくなかった。そんな想いがあったとは思う。
彼も最初こそ驚いたようだったが、やがて手を添え、優しく私を包み込んでくれた。気温こそあの日より低いはずだが、あの時よりも深く、温もりを感じられたような気がした。
それでも愛を伝えるには足りない。両者考えることは同じようだった。私は踵を上げ、彼は腰を屈める。彼の顔が、そこにある。

初めてのキスは、ちょっぴりしょっぱい、塩レモンの味だった。


+ エピローグ
_____E_____


2000系代走たにかぜはやはりスジから遅れながらも、それでも雅による最適化された手さばきによって常に最適な速度で遅れを減らし、性能差に何とか食らいついていた。そうして名谷を抜けた頃、刺々しい感じで雅が口を開く。
「あの、仕事中は突飛先輩ばっか見るのやめて頂けますか?滅多に会えなくて寂しいのはもう分かりましたから、もうちょっと仕事に集中して頂けないでしょうか。」
仕事をしない人には厳しい彼女は、先程の柏木駅での醜態を、叱ってきた。当然だ。出発間際に関係ない車両の運転士ばっか見てるなど、助役としての自覚が無さすぎる。
「そんなに会いたいようでしたら今から教えて差し上げますのでメモを取っていただけますか?」
そう言いこちらをチラと見る。口調こそ怒り気味だが、表情は柔和…いや哀れみか?少なくともこちらに協力的であることは分かった。
「では。ダイヤ改正前の運用リセットで突飛先輩と私は検査を受けます。とはいえ、突飛先輩は三山まで入線出来ないので高戸運転区で検査を受けることになります。ここからメモポイントです。高戸に入区する運用は2本です。このうち片方は私の三山出区運用と高戸で離合します。ダイヤ改正初日、私が先輩と会ったらあまぎり57号、会えなかったら63号に乗ってください。その時に連絡致しますので。」
なぜそこまで運用を理解しているのか、情報セキュリティとか大丈夫なのか、理解していても公開してはいけない情報なのでは無いかと心配になるが、これほどまでに正確で有益な情報も無いだろう。彼女の発言をしっかりとメモに残させてもらった。
「…なんでそんなことを教えてくれるの?」
シンプルに疑問に思ったので、問うてみる。
「なぜでしょうか?それは先輩に聞いてみてくださいとしか申し上げられません。」
結局よく分からない言葉を返され、分からず終いのままにこの話は終わった。



「突飛の明日の予定は?」
「明日も変わらず3往復の運用ですね。やはり忙しいです。」
腕を組みながら駅の方向へ帰る途中、そんなことを問う。
「伸介くんこそ忙しいんじゃないんですか?」
そう問われ、明日の予定を思い出す。
「明日は始発の はやて で三山に戻って、それからおおたかで移動して…新三沢からおおたか1号に乗務からスタートかな。そこそこ予定は詰まってるね…」
「やっぱり!絶対無理しないでくださいね。私もすぐに仕事を抜け出せるなんてことは有り得ないので…倒れちゃったりしたら困りますから。」
突飛はそう心配してくれる。やっぱり、この時が幸せだ。そんな彼女ともっと長い時間を過ごしたい。そのためにも、何か策を考えないと…



RailRoidに休日ねえ…運転士を増やして対応するべきか、しかしそう簡単に集まるとも思えないし…難しい…
ブラインドから陽の差す社長室。雅から唐突に送られてきたレポートを読みつつ、軽く頭を抱える。だが、頭を抱えるのは休日の方では無い。
「もっとこう…プライバシーというかなんというか…しっかり教えないとダメそうね…」
突飛のログなど事細かに書いてあったりして、正直恐怖を覚える。世間知らずなところがあるという報告は来ていたものの、まさかこういう方向にも発揮するとは思わなかった。
しかしまあ、興味深いものではある。高松の言っていたことは間違いではない。感情を持って人間になる、正しく目の前で起きていることだ。しかしだからと言って悲観する必要は無いだろう。きちんと職務をこなしているし、何よりその感情によってもたらされるプラスの効果の方が大きい。人間のように柔和に接する、それが三山鉄道にとってとても良いことであるし、運転所の空気も良くなったと聞いている。
「しっかし…私もこんな甘酸っぱい恋、したいなぁ…」


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最終更新:2025年03月06日 17:43