三山鉄道編第2章2話

終了点呼を終えたが、目的のはやて号まではまだ微妙に時間があるため、運転所の時刻表をなぞりつつ暇を潰す。新幹線は速度だけでなく、運行頻度でも在来線を凌駕する。この運行頻度により利便性は圧倒的に改善し、かつては寂れていたここ三山も、少しずつ賑わいを取り戻している。
そんな時、入口の方から声が聞こえてくる。
「あの…八木伸介さんはいらっしゃるかしら?」
「八木さんですか?さっき終了点呼をして…おっまだ居る。おぉい八木さん。呼ばれてるぞぉ。」
所長と、聞き覚えのある女性の声。僕を呼ぶ?なんだろうか。返事をしてそちらへ向かう。何かやらかしたかな?などと考え事をしていると、腰を棚にぶつけて情けない声を上げる。
「大丈夫?」
「だっ大丈夫です…」
すぐに女性は心配の声をかけてくれる。聞いたことが…というか見た事のある人で…
「って社長?!」
開業式の時に見た姿がそこにあった。木下さんだったか。
「ああうん…初めまして。三山鉄道の代表取締役をしております、木下瑛玲那と申します。…いつも振り回してすみません。そしていつもありがとうございます。」
唐突な謝罪と感謝に困惑する。社長がそのようなことをわざわざしに来るなど、理解し難いことだ。
「大変申し上げにくくはあるのですが…社長から感謝されるようなことをしているでしょうか?」
恐る恐る問うてみる。何か失言しても処分されるような状況では無いと思うが、それでも怖いものは怖い。
「えっとまず大前提として…社員の皆さんがいるからこそこの会社は成り立っているのです。ここへの感謝は当然だと思ってますし、感謝してもしきれません。今日八木さんを呼び出したのは…また異動をお願いしたくて…」
そう言い気まずそうにこちらを見る。中々言葉を返しづらい空気だ。
「異動…ですか?でもわざわざ社長がここまでいらっしゃらなくても、所長がやればいいと思うのですが…」
社長は更にバツの悪そうな顔をする。逃げ出したくなるような空間が、どんどん完成していく。
「八木さんには何度も無茶な異動をお願いしたから…流石に私自身が出ないと経営者失格かなと思って…」
「そんな…無茶じゃありませんよ。僕はこの仕事に誇りを持っていますから、これまでの異動など些細なことです。」
社長の手前、これ以上空気を悪くしないためにも強がってはみるが、実際には異動など億劫であったし、嫌な感情が無かったわけでは無い。それでも、それぞれの場所での出会い、経験は良いものであったし、運命とはそういうものかと、ポジティブに捉えられるようになっていた。
「そう…ありがとう。」
社長は笑う。とても綺麗な笑顔だ。これが社長だとは信じられない、そんなことを思う。
「それで異動についてなのだけど…運転主任として柏木運転所に行ってもらいたいの。通常の乗務は一気に減るでしょうけど…それでもいいかしら。」
運転主任…柏木運転所…メインは入換や工場への入出場などの乗務になるのだろうか。別に通常乗務にこだわってるわけでは無いのでその点は構わない。何より、柏木だと今までより突飛と会える回数が増え…
「はい大丈夫です。精一杯頑張らせていただきます。」
先ほどまでの空気を吹き飛ばすようにハイテンションで答える。三山は決して悪いところとは言わない。言わないが、やはり柏木に行けるならそれに超したことは無い。突飛と会いやすくなる、これはとても大切な項目だ。
「そう。それはよかった。えっと…できれば明後日から移って貰いたいのだけど、大丈夫かしら?」
「全然大丈夫です。期待に応えられるよう頑張ります。」
1日待ってくれるなら十分だ。今まで、特に前回の高戸から三山が異常だったとも言えてしまうのだが。
「ありがとうございます。それでは八木さん。これからもよろしくお願いします。」
社長は深々と頭を下げ、自分もそれに負けないように下げる。別に今までのことも社長に頭を下げられるほどのことでは無いとは思っているので、こうして頭を下げられると申し訳なさが出てくる。
「では…あっそうだ八木さん。」
そう言い耳元に顔を寄せてくる。唐突な急接近に腰が引けてしまう。
「…RailRoidの2人に優しく接してくれて、ありがとう。」
そう言って離れる。笑顔の彼女は、どことなく小悪魔っぽさを感じた。



「こんにちは、先輩。」
背後から聞き慣れた声がし、少し心が跳ねる。1つ体勢を整え、そちらへ振り返る。
「こんにちは、雅。仕事は順調かしら?」
「ええ、大丈夫です。先輩こそ、運用続きでお疲れでは無いですか?」
「そんなことは無いわ。私もいたって順調。」
私は首を振る。雅は少し不思議そうな顔でこちらを見る。
「あれ?そうですか?八木さんと会えてなくて寂しいように思えますが?」
その言葉に思わずむせる。いや、むせるとか無いはずなのだけど。
「ゲホッ…失礼。…いや、どうしてあなたが知っているの?」
「それは申し上げられませんが、先輩と八木さんはラブラブであることは知っています。」
「いっいや?そんなこと無いけど?」
明らかに動揺してしまう。こんなの、肯定しているようなものだ。
「そうなんですか?じゃあ八木さんは私が貰っていきますね。」
「ちょっちょっと!嘘だよ!私たちはもう付き合ってるんだか…ら…?」
「正直に言ってくれましたね、先輩。」
「そんなつもりじゃ…」
雅の罠にまんまとハマってしまった。とても、恥ずかしい。
「先輩も八木さんもお互いのことを好きなことは知っておりましたので。今更です。」
「そっそう…」
「それより、もう列車出るんじゃないんですか?24M乗務ですよね?」
「あっそうね。えっと…頑張ってね。」
そう言い残し列車の元へ逃げるように去る。寒さはまだ続いているというのに、全身がとても、熱くなっていた



走る先輩を見送り、自分も折り返しの準備へ向かう。どこか引っかかるような感覚を、そのままぐっと飲み込んだ。



「やわやわ~止まれ止まれ~」
3701Mに回1141Mを繋ぐ。振り子特急車で運転する摩訶不思議な普通列車、本来は入場用のスジだが、まだ第12編成が増備されていないためにそのまま次の運用につく。扉をしっかりと施錠し、これでもかというくらいにガチャガチャ言わせたあと、先頭車の方へ向かう。
「えっやっぱり伸介くん?!なんでいるんですか?!」
出発準備をしていた彼女は、驚いた表情を見せる。
「実はちょっと前からここに異動したんだ。黙っててごめんね。驚いてるところも可愛いよ。」
軽く寒いセリフを吐き、突飛の様子を伺う。手が止まってしまった彼女に、準備しないの?と言ってみる。
「…なんで言ってくれなかったんですか。」
少し不貞腐れた様子で彼女は言う。最近僕の前では感情をよく出すようになり、それをとても嬉しく思う。
「やっぱりこの運用でかち合うのが面白いかなって思って。あ、夕方のラッシュまでは暇だからこのまま1往復は着いていくよ。」
「えっ本当ですか?!それは嬉しいです。」
すぐに笑顔を取り戻した彼女は、ささっと出発準備を整え椅子に座る。
少し悪戯心が湧き、椅子の背もたれに腕をかけ、何事もないかのように会話を試みる。
「改正後の運用には慣れてきた?」
「そうですね…折り返しが大変な時もありますが、問題はありません。むしろ走行時間が増えてちょっと嬉しいです。」
「そう。それは良かった。何か困ったことがあったら気軽に相談してね。」
「ありがとうございます。でしたらえっと…その…」
「うん?どうしたの?」
そう言うと突飛はこちらに少しだけ振り向き、そして続ける。
「…なんでここに寄りかかるんですか…その…ちょっと近いです…」
「あれ?嫌だった?」
…言動は傍から見れば気持ち悪いセクハラ親父だ。突飛相手じゃなければ鉄道警察隊のお世話になっているだろう。
「嫌じゃないですけど…伸介くんが間近に居ると、落ち着いて運転できなくなってしまいますから…」
そう言って顔を背け、こちらを手探りでグイグイと押してくる。押してくる力が心地よい。
いい反応が得られたので満足し、運転台の少し右、いつもの位置に立つ。デッキと運転台とを仕切る扉には手すりが着いており、ここに体重を預けておくとそこまで辛くは無い。
「それでその…伸介くんは今日いつまでいてくれるんですか?」
「えーっと…16時には柏木に居た方がいいから…」
「じゃあやっぱり折り返して1022Mまでですね。…でも、1027Mの途中まで着いてきてくれてもいいんですよ?」
たまに見せる突飛の大きな甘えによって、理性をぶち壊し、己を見失いそうになる。愛する人が共に時間を過ごしたいと言うのであれば、誰が断るだろうか。二つ返事でそれに応え、突飛との時間を過ごすことに決めた。

「ただのバカップルじゃないですか。」
どこから漏れ出したか、夜にふゆつき号の運用で柏木に回ってきた雅がそう言い、突飛は顔を赤く染めた。
最終更新:2025年03月05日 13:38