押本健彦(おしもと たけひこ)
- 背番号65
- 1982年10月28生まれ
- 千葉県流山市出身
- 右投右打
- 小学校のころは少年野球チームに所属。中学、高校と大舞台とは縁がなかったが、日産自動車に入社後才能が開花。
- 2003年ドラフト4位で日本ハムから指名され入団。
- ルーキーイヤーの2004年は開幕を二軍で迎えるがすぐに一軍昇格。ムエンゴや不安定な投球で一軍定着には至らなかったが、先発として7勝をマーク。一時は新人王候補にも名前が上がるほどの活躍を見せた。
- しかし、2005年は1勝も挙げられず。翌2006年は後半から一軍定着し、勝利の方程式の一角を担う。
- 2007年は安定感を欠いたものの自己最多36試合に登板。オフシーズンにはうま味コーチから熱心な指導を受ける。
- 2008年1月にafo・ヤタロー・ミキティーとの交換トレードでkz・はっしーとともに東京ヤクルトに移籍した。
- 移籍初年度は、新監督で日ハム時代から押本を見ていた総統の期待を受けて開幕一軍入りを果たす。セットアッパーを任され、イガリョー、マツケン、仏様とともに勝利の方程式を任される。
- 夏場に勤続疲労からか大量失点する試合が増えてしまったが、最終的に自己最多67試合に登板して27ホールド、防御率3.34の成績を残す。
- 2009年は不調で敗戦処理からスタート。それでも51試合に登板して防御率は2.67と好成績残す。
- 2010年は敗戦処理からセットアッパーまで何でもござれの便利屋に。翌2011年もケガ人続出の中フル回転。
- 2012年は日高・ヤマテツとともに、さらにケガ人続出の投手陣をまとめ上げる活躍を見せる。この年まで5年連続50試合以上登板を記録。
- しかしそれまでの無理や酷使が祟ったのか、2013年は背信の投球が続く。7/3に2度目の抹消をされるまでに防御率5.57と盛大に燃えてしまった。
最終更新:2013年07月11日 17:42