森岡良介(もりおか りょうすけ)
- 背番号68
- 1984年7月15日生まれ
- 大阪府大阪市城東区出身
- 右投左打
- 明徳義塾高時代主将として3番・遊撃を張り、3年夏には母校を初の甲子園優勝に導く。
- この時の春の甲子園で、後に中日でチームメイトとなる吉見一起と対戦している。
- 2002年ドラフトで中日に1位指名されて入団。高卒ルーキーながら背番号8を与えられ、立浪和義の後継者として期待された。
- その期待にたがわず、ルーキーイヤーから一軍デビューし初打席でツーベースヒットを放つと、翌日にはスタメン入り。
- 二軍でも2004年にフレッシュオールスターゲームに出場、ファーム日本選手権制覇に貢献する。
- しかし森岡のポジションにはアライバ(=荒木雅博・井端弘和の二遊間)の牙城が高くそびえ立っていた。中日時代の6年間で一軍出場は2006年の17試合が最高だった。
- プロ初本塁打は2007年、タテヤマンから放つ。また広島東洋戦で松本高明のタッチをかいくぐって盗塁を決めるという好プレーを見せたことも。
- 二軍では毎年のように好成績を残したが、岩崎達郎(現東北楽天)らの台頭で徐々に出番を失い、2008年に堂上剛裕への高柳秀樹コーチ(当時)の叱責に抗議したことで首脳陣と確執を生んでしまった。
- 結局この事件がもとでオフに戦力外通告を受けてしまう。
- その後、トライアウトを経て東京ヤクルトが獲得。吉本、ユウキとともに入団を発表。
- 移籍1年目の2009年は7年目にして初の開幕一軍入り。35試合に出場する。
- また、CS進出を賭けた阪神戦で鳥谷敬の強い打球を体を張って内野安打に抑え、追加点を許さない好プレーを見せる。
- 後にこのプレーを宮本さんが評していわく、「あの守備が非常に大きかった。あそこが抜けていたら負けていたかもしれない」。この守備でチーム初のクライマックスシリーズ進出に貢献する。
- 2010年はイースタン・リーグで首位打者を獲得。一軍ではうっとりに代わってスタメン出場したことも。
- 2011年は5月26日に初のお立ち台に立つ。川端、kz、荒木らの離脱からこの年のCSでは遊撃手として全3試合に出場、ファーストステージ進出に大きく貢献した。
- 2012年はスーパーサブとして自己最多100試合に出場。また2007年以来の本塁打も放った。
最終更新:2013年07月16日 17:44