飯原誉士(いいはら やすし)
- 背番号9
- 1983年4月26日生まれ
- 栃木県小山市出身
- 右投右打
- 野球を始めたのは小学1年生のころ。中学校の後輩には現鴎の成瀬善久がいた。
- 小山高時代は県下屈指の投手としてスカウトに注目されていたが、肩の故障で白鴎大に進学後は外野手に転向している。
- 野手転向後は俊足巧打で鳴らし、関甲新学生野球連盟で4度のベストナインを受賞。
- 2005年大学・社会人ドラフト5位でヤクルトに指名されて入団。栃木県の大学からプロ入りするのは飯原が史上初。
- ちなみに、アマチュア時代はすべて小山市内で過ごしている。
- ルーキーイヤーの2006年は一軍キャンプでスタートし、オープン戦で好調さをアピールすると開幕一軍入り。
- 一軍では最終的に出場28試合ながら打率.324をマーク。フレッシュオールスターでも青木以来のMVPを受賞している。
- オフシーズンにはウィンターリーグに派遣され、5本塁打を放って打撃をアピール。
- 岩村がメジャー移籍した2007年はBIGさん、恵体糞打らと空いたサードのレギュラーを争うことに。
サードの守備はお察しください状態だったがこのシーズンではサードも含めショート、外野、セカンドと複数のポジションを守ってフルシーズン一軍に定着。この年自身初の規定打席に到達、打率.246、83三振と苦しんだが23盗塁を決めて最下位に低迷するなかでも気を吐いた。
- 2008年はラミちゃんの移籍からレフトのレギュラーを任されるも、のちにFくちくんにレギュラーを奪われてしまう。
- その後は不振の魔将に代わってkz、タケーチらと併用されるが、6月ごろにレギュラー復帰。最終的には規定打席に到達して打率.291、9本塁打と成長を見せた。
- 2009年はやや出場機会を減らしたものの、2010年にはレギュラー返り咲き。自己最多15本塁打を放った。
- しかし2011年は統一球の影響からか極度の大不振に陥ってしまう。
- この年は64試合に出場して本塁打0。打率に至っては.126の体たらく。
- 2012年も不振からは抜け出せず、50試合で打率.161に終わっている。
最終更新:2013年08月08日 15:08