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狭間

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僕の魂は消えたのだろうか。それとも未だ残っているのだろうか。いずれにせよ、星の散りばめられた夜空を背景に、走馬灯のように駆け巡るのは―…。


「…父さんの、阿呆ッ。いつか死んでしまうんよ」

幼い子狐は床に臥す父の傍らで、怒っているのか泣いているのかよく分からない表情を浮かべながら喚いた。

「でもな、一平太。何も人間全てが悪いわけじゃない。御前だって、土産に貰った菓子を美味しそうに食べていたじゃないか」

「そ、それとこれとは、違うもんっ!」

涙目のまま膨れっ面を作ると、子狐は顔を背けた。


→場面は移り変わる。

「一平太、ご挨拶なさい。今日、泊まられるお客様ですよ」

自分の着物にしがみ付いて離れない息子へ、困ったように微笑みながら母狐は客人を紹介する。また人間だ。狐親子の住む山は、周囲に人里も妖村もない隔離された場所。人間へ興味を持つ父は門戸を開き、客人として招いてはよく語り明かしていた。

「べえ」

子狐は紹介された人間へ思い切り舌を出すと、そのまま駆けて屋敷の奥へと去っていった。


→場面は移り変わる。

外の様子が騒がしい。ぴくりと耳を動かすと、子狐は寝ぼけ眼で起き上がる。いつも両隣で眠る父母の姿は未だなく、よほど例の人間との話が盛り上がっているのだろうかと呆れた溜息をついた。
不貞寝するように再び眼を閉じかけるが、囁くような会話が途切れ途切れに耳に付く。

「……とは、たのんだ……」「うわさどお……、ばかな……」
「……かんたんに……、しんにゅう……」「はらう……もんだいは……」

ぱちり。子狐は目を開いた。

「……祓う?」

反芻すると同時に、背筋が凍った。跳ねるように布団から飛び出すと、客間へと四足で駆ける。

「あかんっ! 父さん、母さん……その人間はッ!!」

大声を張り上げて部屋へ入ろうとしたところで、反対に父の怒鳴り声が聞こえた。

「一平太、来るなっ!」

「……っ?」

びくりとして立ち止まった瞬間、戸を破って頭上から何かが降って来た。母の亡骸であった。最期に息子を守るように折り重なった母狐は、ぐったりと血に塗れている。

「っ……あぁぁああ!?」

叫びにすらならない声を上げ縋りつく。そして再び顔を上げる間すらなく、全身を貫くような衝撃が走った。ぐらりと身体が床へ叩きつけられる。酷く全身が痛み、吐き気もした。それでもなんとか力を振り絞り、左目を開いた。
瞳に最初に映ったのは、父の背だった。その優しい背にはぽっかりと穴が空き、嫌な音をあげてじゅうじゅう溶けていた。どろりと内臓が零れた。既に父狐も息子を庇い、絶命していたのだ。
そしてその穴越しに左目が宿した世界には―…。一人の人間が無表情で立ち尽くしていた。客人の人間とは、違う者のようだった。竹窓から差し込む薄っすらとした月明かりに照らされる、死人のような白い肌。真っ青な瞳に、黄金色の流れる髪。
父母を殺められた怒りよりもまず、恐怖と嫌悪が先立つ。視界がぶれる。そんなことをしている場合では無いのに、涙が止まらない。痛い。苦しい。逃げなくてはいけないのに、身体は小刻みに震えるばかりで思うように動かない。
じろり。青い瞳が、子狐を捉えた。ゆっくり、ゆっくりと人間は近づいてくる。子狐は、掠れた声で呟いた。

(あぁ。……ああ。殺され、る……)

意識はそこで、深い闇の中へ落ちる。


→場面は移り変わる。

走っても走っても闇。子狐は、父母の元へ辿り着けない。


→場面は移り変わる。

まず眼に入ったのは、見知らぬ天井だった。ぼんやりしていると、穏やかな声が耳に届く。

「気が付いたんだね」

状況も把握できぬまま、声の主の方へと子狐は顔を向けた。

「っ……」

眼を見開いたまま、ただ硬直した。そこには躊躇うような笑みを浮かべた、青い眼の男がいた。ぎゅうと無意識に両手で布団を握り締める。

「……大丈夫かい?」

ぐにゃりと自分の口元が歪むのを感じた。言葉も出せず、ただ首を何度も何度も縦に振った。男は心配そうに子狐を見つめていた。演技に違いないと思った。この人間の意図が一体なんなのか、判らない。判らないが……下手を打てば、きっと殺されてしまうと信じた。冷や汗がダラリと背中を伝う。左目がずきずきと痛んだ。

「怖い夢……。見ましてん」

愛想よく笑おうとしても笑えなかった。がたがたと身体が震える。敵意を恐怖を悟られてはいけない。取り入らなければ気に入られなければ―殺されてしまう。痛い。左目が……痛い。涙が溢れて、ついに頬を伝った。

「うっ……うぅ」

嗚咽を漏らした瞬間、ふわりと温かい腕に包まれた。父母を殺めたその人間は子狐を抱きしめ、何度も何度もあやすように頭を撫でた。やがて耐え切れなくなったように男の胸にしがみ付くと、子狐はしゃくりを上げながらわあわあ泣き始めた。自分でも、自分の気持ちがわからなかった。その温もりで、癒されるはずもないのに。
怖かったのだろうか。憎かったのだろうか。悲しかったのだろうか。苦しかったのだろうか。それともほんの少しの安堵を感じてしまった自分に、絶望したのだろうか。
痛い。痛い。痛い!イタイ!左目が焼けるように痛い……!!


→場面は移り変わる。

その日は月のない夜だった。あの人間は看病疲れか、すっかり寝付いてしまっている。子狐はといえば、左目が痛くて眠れない。
男は朔と名乗った。西洋の妖怪で、吸血鬼というらしい。子狐が倒れているところを、通りがかって助けてくれたというのだ。

……それが全て嘘だと知っていても、生きていく為には―…。
ずぶり。左目に指を突っ込む。
……その全てを、知らなかったことにしてしまえば―…。
ぬるり。吐き気のする感覚が、指を伝って全身に走る。
……今までの自分を、全て捨てることになったとしても―…。
ぐちゃり。その球体を抉り取る。

荒い息が止まらない。しかし、不思議と憑き物が落ちたかのように左目の痛みは癒えた。空洞となった目は、化けることで誤魔化す。機能こそ失えど、傍目には区別が付かないだろう。不要となった目は、朔の夜へと放り捨てた。


→場面は移り変わる。

走っても走っても闇。子狐は、もはや父母の姿すら見えない。


→場面は移り変わる。

翌日、目を覚ました子狐は何もかも忘れていた。救ってくれた恩人を師と呼び、よく慕った。


パァンと世界が弾けて、鏡のように粉々になる。あとはさらさらと消えていくだけ。あぁ、本当に、これで終わりか。僕という存在も、散り散りになって溶けていく。

半分以上が嘘と偽りの生活でした。見たくないものから目を背けて、逃げ続けてきました。それでも僕は幸せでした。両親との想い出も。師との想い出も。どちらもとても大切でした。片方を選べれなくてごめんなさい。弱くてごめんなさい。ずるくてごめんなさい。

けれどその結果両方を失うことになっても、僕はもう後悔しないでしょう。ありがとう。本当にありがとうございました。

それでは永遠に、お休みなさい。**

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