タイトルロゴ
初代 - 1975年10月 - 1989年3月
2代目 - 1989年4月 - 1990年3月
タイトルロゴカラーリング
『テレポートTBS6』(白) - 1975年10月 - 1987年9月
『テレポートTBS6』 - 1987年10月 - 1989年3月
『テレポート6』 - 1989年4月 - 1990年3月
オープニングCG
1975年10月 - 1987年9月
テロップアニメーションで、ターゲットをイメージしたグラフィック→6のデザイン→6の輪っかの中にテレビカメラをイメージしたもの→そこから6のグラフィックが右端にスライドし、そこから「テレポート」の文字、更に星座をイメージしたグラフィックから「TBS」ロゴ(筆記体)が出てくる。テーマソング、提供クレジット表記(読み上げ無し)とともにその日のトップ項目の映像、あるいはお天気カメラを映していた。
1987年10月 - 1989年3月
とともにその日のトップ項目の映像、あるいはお天気カメラをバックに左右に光線が横切ると、
画面下からロゴが出てくるCGアニメ。
1989年4月 - 1990年3月
黒い画面の中央の青い光に向かって、画面の上下左右から黄、オレンジ、水色、ピンクの光がぶつかり合うと中央からブラウン管画面のような物体が現れる。その物体に光線がさすと『テレポート6』のロゴが浮かび上がるCGアニメ。
当初は画面に久和・荒川の顔写真が映し出されていたがすぐに無くなっている。
番組内容
「身近な情報、感じるニュース」をキャッチフレーズに、関東1都6県の話題を紹介。また全国ニュース規模の出来事も、番組独自の視点で伝えていった。ラジオの手法を大きく生かし、番組専用の情報受付電話を設置(番組のCM前アイキャッチのところでは画面上にその電話番号を表示)し、これらを「我が家・我が街、わがニュース」と題して反映させていった。この他、関東各地に取材拠点(駐在カメラマン)を設け、事件や事故のほか、季節の話題を取材していった他、キャスターが自ら現場でリポートを行う企画も数多く放送された。また、速報性を重視し、メインキャスターの居るスタジオとは別に、TBS報道局内のカメラから、ニュース担当キャスターが最新ニュースを伝えるコーナー[1]など、さまざまな演出方法でニュースを伝えていった。
この演出方法は、初代番組プロデューサー・中村登紀夫の考えによるところが大きく、全国ニュースとの差別化を図るため、夏の暑い時期には、キャスターの背広を脱がせ、ワイシャツ姿で出演させ、話題になった。また、取材記者が原稿を書いて、キャスターがそれを読むのではなく、記者自らのリポートを放送にのせる手法をとり、また記者が体験取材を行うことで、リアルさを醸し出していった。ロッキード事件の直後に、田中角栄が払い下げたという信濃川河川敷の土地の広さを伝えるため、料治直矢が自らその広い河川敷を歩き続けるリポート、師走の街を歌手・都はるみとともにリポートする企画など、現場の雰囲気や季節感などを重視したものが放送された。
他にも番組初期には釣りが趣味と語る、稲葉修法務大臣が月に1回程度出演し「稲葉修の釣り談義」を放送、その後も釣りは山本文郎の趣味でもあり、また季節感のある話題でもあるため「釣り情報」が幾度となく放送された。また、視聴者からの情報をもとに各地を訪問する「私鉄沿線シリーズ」などが人気を博したほか、春・夏の高校野球期間中には、郷司淑子をリポーターとして阪神甲子園球場に派遣し、関東勢のスタンド応援リポートを行うなど、一貫して関東地方の視聴者に向けた話題を紹介していった。
荒川・久和コンビとなった最後の1年は、『テレポート6』として放送。この頃には放送開始当初にあった関東1都6県の話題、番組専用の情報受付電話など全国ニュースと差別化したローカル色の強い話題・演出は撤廃され、報道性を重視した番組となった。
最終更新:2021年05月06日 22:23