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nightstalker

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Last update 2008年01月13日

カミコのサキ  著者:nymphaea


 終わりと始まりはいつも一緒にやって来る。仰け反らせた喉に温いぬめりを受けながらユウの頭を過ぎったのは、そんな言葉だった。始まる時には、いつだって何もかも終わってる。
 おおばあが死んでカミコの御役目がユウに巡って来た時には、何でこんなお家に生まれたんだろかと恨んだものだが、この男のハツネを務められるなら悪くなかった。それもユウにとって、最初のハツネだ。幸運と言っても良い。
 ユウはまだ男を知らなかったが、これからはカミコとして数知れぬ連中と肌を合わせる事になるだろう。男と交わってそのコンを清め、サキを占うのがカミコの大事な御役目だ。それはユウがおおばあや、かかのように死ぬまで続く。この先男達の未来にどれほど流転を見るとしても、占う側のユウには一本道の人生しか用意されていなかった。
「あんた、町に行ってたんやろ。嫁さんもらうために戻ってきたん?」
「ああ。明後日が出征なんでな、親が行く前に嫁もらっとけって」
「たった一日か。嫁さん可哀想やなあ」
「少し黙っててくれるか。やりにくい」
 そう言われて黙り込んでも、ユウは酷く居心地が悪かった。それに恥ずかしい。この男は、明日には立派な家の娘さんと結婚して床を共にするのだ。ユウとの行為は、男にとって婚礼前に身体を清める儀式の意味しかないと分っていたが、それでも彼女には好きな男との初夜に違いなかった。ハツネはたった一度しかないから、彼との最初で最後の夜だ。
 嬉しくて恥ずかしくて、そして哀しかった。哀しくて哀しくて仕方ない。
 男に抱かれながら、ユウははらはら、はらはらと涙をこぼし続けた。思うのは、幼い頃の男の姿だ。かかが病で死んだ時、十のユウはまだカミコになるに幼すぎた。おおばあは、かかのかかの妹に当たる人でカミコの本筋ではなかったが、幼いユウに御役目は可哀想だというので中継ぎを申し出てくれたのだ。おかげで十日前におおばあが亡くなるまで、ユウは自由にしていられた。
 もちろん宮の禁域より表に出るのは御法度だったものの、後ろにはお山があったし、禁域の門からこっそり人を覗いたりもできたのだ。宮の表ではよく子供達が遊んでいて、同じ年頃の姿を見るたびユウは仲間に入りたかったが、カミコの者はむやみに里の人間と口を利いてはいけないのだと小さい頃から堅く仕込まれる。
 だからユウは恋しても遠く見守るだけしか出来なかった。彼女より少し年上のその少年は、どうやらこの村でも大きな家の息子らしく、周りから「さん」付けで呼ばれていた。最初は後ろ頭の形が綺麗な人がいると思って、そのうち彼の眉が凛々しい事に気が付いた。それから小さな子と弱い者に優しくて、少しだけ鷲鼻で、頭が良い。そうやって幾つも特徴を数えるうちに、どんどん彼を好きになり、いつもその姿を探すようになっていたある日、遊ぶ子供達の中から彼が消えた。病気か事故かと必死に耳を澄まし、噂話に彼が「都会のダイガク」とかいう場所へ行ってしまったと知ってどんなに落胆したか。もう会えないと思っていた。
 だから昨日、村長からハツネの相手に彼の名を聞かされた時にユウは天にも昇る心地だった。初めてでもしっかり御役目を果たすんだぞと念を押され、言われるまでもないと強く頷いたものだ。だけど彼に会えるのは、今度こそこれっきりだ。こうやって交わって彼のコンを清め、明日の朝に彼のサキを伝えれば、もう二度と彼には会えない。それが哀しくて、ユウは泣いた。
「つらかったのか? お前は今度が初めてなんだってな」
 事を終えて、疲れた顔を見せながらも彼はユウの涙を拭ってくれた。
「大丈夫、お勤めやもん。それにな、あたしずぅっと、あんたが好きやったんよ」
「何だそれは。会った事ないだろ」
「あんたたち、前に宮で遊んでたやろ。あたしは宮の中にいたんよ。一緒に遊びたくてたまらんで、皆が楽しそうなのずぅっと見てて、そのうちあんたを好きになってたんや。だから、最初の御役目があんたで嬉しかった」
「……カミコがそんなこと言って、いいのか?」
「わからんけど、一度だけやし。あんたは言わんでくれそうやし」
 涙は止まらなかったが、精一杯の笑顔でユウが恋を告白すると、男が抱き締めてくれた。
「なんかお前、可哀想だな。こんな迷信じみた御役目、嫌だと思わないのか? 今は文化の時代だぞ。町に行ってカミコなんて言ったら、皆が笑う」
「そうなん? でも、あたしはそれしか知らんし。生まれた時から決まってる仕事やもん。頑張るしかない」
「お前、強いな。赤紙来てんのに兵隊行くの、まだ嫌とか思ってる俺とは大違いだ。負けると分かってる戦に、何で死ににいかなきゃいけないんだろうな」
「あんた、死ぬの? それは嫌や」
「そんなこと言ってくれるの、お前だけだな。名誉の戦死って、俺が死んだら人は喜ぶんだぜ。明日やってくる俺の嫁さんになるとかいう女も、きっと喜ぶ」
 男が床の中で身を丸め、ユウはどうしていいか分からず、その背中に回した手でゆっくりとその身体をさすった。哀しいのはユウだったはずなのに、いつの間にか男の方が弱くなっている。
「あたしら、右手と左手のようになれないかなぁ」
「なんだそれ」
「そうしたら、代わりに重いもの背負ってあげられるやん。あんたが悲しいのとか、辛いのとか、あたしが代わりに引き受けてあげられる」
「馬鹿か。それは男の言うことだ」
 呆れた声で頭を撫でられ、もう一度抱き締められ抱き締め返して、いつの間にかユウは寝入っていた。風景がふいに変わった事で、彼女はそれが夢と知る。
 赤い風が吹いていて、身体が動かなかった。足が痛くてさすろうとして、そういえばさっきの爆撃で腕が飛ばされた事を思い出す。そこはもう痛いとか熱いとか、そういうものから遠くて、自分の半身が焦げた肉の臭いを放っていた。いや自分だけじゃなくて、第三連隊の仲間達も皆が焦げた肉になっている。黒と赤茶けた塊が幾つも転がり、知らなかったら誰がそれを人だと思うだろう。自分が死んでいくことよりも、足の痛みがじくじく止まらないのが気になって、気になって。
 太ももを掻き毟りながらユウは目覚めて、細く悲鳴を上げた。夢だと分かって見た夢なのに生々しさが脳裏を侵す。そうして、ユウはようやく自分が初めて「サキを見た」事に気付いた。カミコは交わった男の未来を読む。だから今のは、彼女を腕に抱く男が近く見る光景なのだ。この男は死ぬ。戦に行って、死んでしまう。
 カミコの読むサキは、決して外れないと聞く。だから男は死ぬ。
 それはもう衝動だった。飛び起きたユウは祭壇へ走り、儀式用の古刀を抜き放つと、叫びながら男の脚に斬りつける。片足などもげてしまえ。命に代われば、安いもの。
 騒ぎを聞きつけた村の男衆が宮へ駆けつけて目にした物は、白装束を朱に染めて呻く男と女。男の左脚には、幅広の刀が深々と突き刺さっていた。

 気狂いの烙印を押され閉じ込められていたユウを、座敷牢から出したのは町の警察だった。村の人間でない事は言葉遣いですぐ知れる。彼女は町の刑務所に連れて行かれるらしく、カミコは村から出せねえと突っぱねる村民連中と大声で言い争っていたが、ユウはどちらでも良かった。
 彼女は酷く満足していた。刀の傷が元で、男は町の病院に運ばれたらしい。彼の父親に横っ面を張り倒され、息子はもう満足に歩けねえかもしれねえと言われて、彼女の顔に浮かんだのは笑みだった。それで気狂いにされたのだ。あの怪我のせいで、きっと男は戦に行けないだろう。死なないだろう。されば己の生死など。
 左手は、右手の代わりに重荷を受け取った。
 元々男には二度と会えないはずだったから、悲しみは考えていたのと同じ量で済んだ。喜びの方が大きい。
 その喜びに驚きが混じったのは、彼女が斬った男が刑務所に面会に来た日だ。彼は左脚を引き摺り松葉杖をついたまま、ユウに笑顔を見せた。
「良かった。無事だったんだな」
「……戦、行かんかったんやね」
「この足で俺は丙種に格下げだ。日本男児として恥さらしなんだと」
「あんたのせいじゃないから! 誰もあんたを責めんやろ?」
 ユウには、どうして男がここに来るのか分からなかった。サキを見たのは彼女だけだ。男にしてみれば、ただ気狂いに斬られただけだろう。
「俺はこれで良かった。戦争なんて糞だ。お前を恨んでもないし、むしろ感謝してる。だからお前を助けるために警察まで使ったんだよ。あのまま村にいたら、お前はカミコとして村の道具にされるか、殺されるかだった。……無事で良かったよ」
「なんでそんなことするん」
 あの晩みたいに涙が止まらなくなったユウに、男が困った顔をする。
「兵隊になれなくなった途端、嫁さんになるはずだった女に断られたんだ。あんな腐った村に戻るつもりもない。そしたら、嫁の来手がなくてな」
 少し顔をそっぽ向けて襟足の短い首筋を掻く男に、ユウの目からは涙が溢れて溢れて止まらない。どうしてこの男はこんなに優しいのか。そうだ、優しいところに惚れたんだった。遠く見るだけの、叶うはずもない片恋だったのに。

「それでね、私が出所すると同時に彼と小さな式を挙げたんだよ。今考えると、本当に質素なものだったんだけど、あの時は嬉しかったねえ。彼の友達が沢山集まってくれて、今まで見た事もない綺麗な着物を彼が借りてきてくれてねえ」
「それでそれで、それからどうなったの」
「だけど戦争が激しくなって、丙種だった彼もまた招集されてしまったんだ。軍服を着たあの人があんまり格好良くて、胸が詰まったねえ。あの時に見た先読みが、とうとう当たったしまうのかって。駅で彼が乗った汽車を、ずぅっと眺めて……それっきりさ。私の大好きな凛々しい姿は、あれが最後になったよ」
 どよめく子供達に、老婦人は老眼鏡をずらして目にハンカチを当ててみせた。悲痛な声で少女が祖母に尋ねる。
「もう、絶対にその兵隊さんは帰って来ないの?」
「ずぅっとずぅっと昔の話だからねえ」
 見る見る大きな眼に涙を溜めた少女に、老婦人の横にいた女性が苦笑して、その肩を叩いた。
「さ、このお話はこれくらいにして、向こうでお兄ちゃん達と遊んでらっしゃい」
「うん……」
 名残惜しげに去っていく小さな背中が十分遠くなると、先ほどの女性が少し顔を顰めてその母親に向き直る。
「お母さんったら、子供達をからかうのは止めてよ。その兵隊さんはちゃんと戦争から帰って来てるでしょ!」
 彼女がぴしりと指差した先には、縁側でのほほんとお茶を飲みながら、猫と戯れる老人が一人。
「お前だって、面白がって見てたじゃないの」
「私も昔はお母さんに騙されてた口だから、やっぱりちょっと面白かったのよ。だけど、あれじゃお父さんが可哀想過ぎるわ」
「……お父さんも、戦争に行く前はあんなに格好良かったのにねえ。まさか若ハゲの家系だったなんて。戻ってきた姿を見て、ちょっとくらいがっかりしたって仕方ないだろう。まるっきり別人だったんだから」
「お父さん、可哀想……」
 だが、つるりと光る後頭部は今でも変わらず形が良かった。あの閉鎖された村で、少女の日に胸を切なくさせた後ろ姿。あの頃より少しどころでなく萎んでいるが、それはユウも同様だ。育んだ時間と幸せが、体の内より外を満たした結果だった。
 子供達が遊ぶ声。昼の光。遊び疲れた猫が、ユウの膝に跳び乗ってぐるりと丸くなる。カミコと呼ばれていた時代には、夢見た事すらなかった光景。
 ああ、と彼女は長く息をついた。
 もうすっかり母親の顔になった彼女の娘が「どうしたの」と振り返る。
 猫じゃらしを手に揺らしながら、太陽を見上げる夫の背中。
「不思議の国は、ずぅっと、ここにあるんだね」




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