● ――同刻 第一特務隊詰め所
そこは戦場と化していた。
幾多の戦闘音が重なり合い、苛烈な合奏(ギグ)を響かせている。
打撃音。
悲鳴。
己の詞。
神器の掛詞。
凍結音。
破砕音。
雅式首聯。
風の咆哮。
凍結音。
打撃音。
悲鳴。
悲鳴。
悲鳴――
「う……ああ……」
「無駄な抵抗をするからそうなる」
激痛にうめく第一特務の風水師の腕を、田中・核衛は踏み潰す。
枯れ木を折るような音の風水師の腕が折れた。
風水師が絶叫を上げ、気絶した。
それを見た者から罵声があがった。
「……殺括者が!」
早々に倒され、両脚を潰された神術師の男の叫びだ。
田中はそちらを視線を向け、しかしもはや戦闘力はないと判断して無視。
戦闘で倒れた棚や、破砕した机を調べていく。
「――何が目的だ、田中・核衛!?」
神術師の男が再度叫ぶ。
田中はもはや男を見ずに、
「戦闘において、情報は重要だ。相手のそれを潰しておけば、勝利は容易になる――」
床に散らばった書類や本の中から、一つのアルバムを拾い上げる。
アルバムの表紙に書かれている文字は、
「それは――!!」
「――そして相手の情報を手に入れれば、さらに勝ち易くなる」
神術師の男が叫びをあげる。
田中が拾い上げたアルバムには、“総長連合員名簿”と書いてあった。
懐に名簿を納め、田中は戸口へと向かう。
「――待て」
「もはや用はない」
田中は男の制止を無視。
しかし、
――田中・心理技能・自動発動・危険感知・成功。
漠然とした危機を感じて振り向いた。
視線の先、床に倒れ伏す神術師の男の手に、握られているものがある。
筒の形状を持つ、ガラスの武器。
詞剣管だ。
「こんなこともあろうかとな、……此処の床下には自決用の精霊燃料が保存してあるんだよ……!」
中に含まれている詞料液は赤。火の色だ。
神術師の男は手にした詞剣管を強く振り、投げた。
硝子の砕音と同時に中に含まれた詞料液“火帝(ファイアミドル)” がその威を発揮。
燃焼する。
「焼け死ね殺括者!」
田中の反応は迅速。
燃え上がる炎が床下の精霊燃料へ引火する前に、己の詞を謳った。
熱 音 色 風
全ては停止の定めにある
人 心 時 詞
全ては凍て付き動かない
深々と――
田中の己の詞はそこで途切れている。
しかしそれで充分だった。
――田中・雪王(スノウロウ)/心理技能・重複発動・遺伝詞凍結・成功!
詞料液“火帝”によって生まれた“炎”という遺伝詞が凍結した。
な、と神術師の男が悲鳴にも似た叫びをあげ、
――田中・腕術技能・発動・打撃・成功。
凍結した“炎”の遺伝詞が打撃で破砕され、流体に還元。
馬鹿な、という声があがる。
「炎すらも……凍らせるのか!?」
男の問いに答えず、田中は拳を握った。
ひ、と悲鳴をあげた男に向けて、それを叩き込む。
――田中・腕術技能・発動・打撃・成功。
骨格を砕く音。
肉を千切る音。
臓器を潰す音。
殺人の合奏の後には、赤いものが花のようにぶちまけられている。
「小賢しい真似をするから、そうなる」
詞に応える者はもはや居ない。
○
風の音がある。
地上とは違う風の詞色が、軽トラに増設された推進器の推進力に負けて道を空けて行く。
ここは空だ。
飛んでいる。
空を進む軽トラの荷台で蔵人を膝に乗せ、芙雪は周囲を包む浮揚の遺伝詞を見て、吐息を一つ。
……浮神神器(フローティングハイリズム)による飛行、か。 ……車両一台を浮かせるのだから、いつ見てもすごい。
と、運転席から声が来た。
「……で、治療はしたのだな?」
「あ、はい。とりあえずは」
「まったく、人を救急車代わりに使いおって。……最近は燃料代も安くないのだがな」
愚痴る声はしゃがれた老人の声だが、その声音には老いによる弱さを感じられない。
老人の名は荻原・儀天という。
蔵人の祖父だ。
両腕を義体化している老人は、無骨な戦闘用義腕でハンドルを繰りながら、
「しかし三度目の負けか。……惰弱なことだ。まあ次あたりは勝ってもらわんとな」
「……蔵人は」
芙雪は吐息。いまだ気絶したままの蔵人の頬を撫でて、
「わたしの制止を無視して、鬼に突っ込んで――」
「十三年前はともかく、三年前はオマエが傷を受けた。未熟な孫だが怒りの感情ぐらいは持っているだろうな」
「……そういうこと、なのかな」
「ん?」
「三年前があるから、蔵人は今のわたしを字名で呼ぶのかな」
芙雪の言葉に儀天はしばし沈黙し、
「そういうことは本人に聞け。未熟な孫にな」
「…………」
「聞くのが怖いか。ヤツの心の内を識るのが怖いのか、矢村の娘よ」
芙雪は無言。
儀天は構わず言葉を続ける。
「はン――、識神を以て他者の心を識るオマエにとっては、儂の孫は特別だろうからな。 ……十三年前の後遺症として、自己遺伝詞の異常な堅固性を持つ孫だけは、意思一つで識神による同調を拒絶できる」
一息。
「本人は気づいておらんがな」
は、と儀天は軽く笑い、無言のままのこちらにルームミラー越しで視線を送り、言った。
「――伝えたい詞は伝えられるうちに伝えておけ。……儂のように、伝える相手がいなくなる前にな」
○
意識が覚醒する。
まず感じたのは光。陽光でも月光でもない人工の照明が、自分を照らしている。
視界の中にあるのは見慣れた天井だ。車に轢かれた狸にも見える染みがある。
上高地の山の中ではない。自分の部屋だった。
……いつの間に帰ってきた? 移動した覚えはないが。
次に感じたのは重さだ。布団の上で横になっている自分の上に、何かが乗っている。
慣れた重さだ。不快な重さではない。
……芙雪だな。
確信を持って見れば、白いものが見える。
花のように広がるそれは、髪だ。黒という色を失った白髪。
白髪の少女が、うつ伏せで眠っている。
やはり彼女だ。
耳を澄ませば穏やかな寝息も聞こえてくる。
蔵人は吐息を一つ。
眠っている彼女の頭を撫でようと、左手を伸ばしかけ、
「…………」
やめた。
伸ばしかけた手を戻し、握り締める。
く、と軋んだうめきをあげ、
「おれは――」
「起きたか負け孫」
襖が開く音と同時に声。
振り向くと、両腕義腕の老人が作務衣姿で立っている。
祖父の儀天だ。老人は義腕で腕組みし、こちらを見下ろしている。
「三度目の負けだな、未熟な孫め。――しかも矢村の娘の話によれば自爆だそうだな」
「……祖父さんが運んで来てくれたのか?」
「治療をしたのはそこで呑気に寝ている娘だ。あとで礼でも言っておくのだな」
「……なんと言えばいいのか、判らん」
は、と儀天は息を吐くように笑う。
眉を上げ、口元を歪ませた、からかうような笑みだ。
「だから未熟なのだオマエたちは。自分で考えるのだな――相手が欲している詞を、な」
「オマエ……たち? どういう意味だ、祖父さん」
「儂がそう言った意味も言葉に出来ん未熟者に教える気はないな」
笑みのまま言い、儀天はこちらに背を向け部屋を出る。
「儂は車の整備をしてくる。その間に矢村の娘を起こしてメシを作れ。――夕餉の刻はとっくに過ぎているからな」
振り向かぬまま老人は立ち去り、襖が閉められた。
部屋の中には、蔵人と芙雪の二人しかいない。
蔵人は眠っている彼女の顔を見る。
警戒心など微塵もない、安心しきった寝顔だ。緩やかな笑みだけがある。
その彼女の髪は、白い。
「…………」
は、と蔵人は息を吐く。
「おまえが欲している詞とは――」
言いかけ、噤んだ。
詞ではなく思考で問いかける。
……なんなのだろうな?
答えは返って来ない。
○
夕食は鍋になった。
食卓の上にカセットコンロと土鍋を用意し、昆布でダシを取ったら食材を叩き込む。
今日の具は豚肉、豆腐、白菜に各種キノコ。
「矢村は今日も夜勤か」
義体リミッターをカットした戦闘用義腕の速度で豚肉をかっさらい、儀天。
豆腐を口に含んだ芙雪は頷きを一つ返し、豆腐を飲み込んだ。
「最近色々物騒だからな。GASASも多忙らしい」
蔵人が言いながら右の手指で儀天の義腕を弾き、その隙に左に持った箸で肉を拾っていく。
荻原家の住人は、本来は儀天と蔵人の二人だけだ。
しかし、芙雪の両親はよく夜勤で家を空けるので、芙雪も一緒に食事をすることが多い。
……一人の食事は寂しいし。
二人の殺人技能者が技量を無駄に発揮している合間を縫うように、芙雪は箸を動かす。
――芙雪・識神神器・発動・思考同調・成功。
それを可能とするのは協音の領主としての神器だ。
思考を同調させることで相手の意図を察知し、常に先手を取って動く。
蔵人に対しては識神神器が効きにくいが、そこは幼馴染としての記憶経験で対応している。
鍋奉行がいない荻原家の食卓は戦場だ。戦闘技能だろうが尋問技能だろうが、使える限りを駆使して胃を満たしていく。
しばらく無言の攻防を続け、そこそこ腹も満ち足りたところで、ふと芙雪は聞いた。
「そういえば、文月(ふづき)さんたちは今どうしてるんだ?」
「知らんな。だが多分、中近東だか欧州だかで斬ったり斬りかかったりしてるだろう」
「あの馬鹿娘はせっかく文月(ふみづき)の名をつけてやったのに、年に一度しか手紙を寄越さんからな。儂も判らん」
淡々と蔵人は答え、苦々しく儀天は答えた。
蔵人の母、荻原・文月は、夫である荻原・啓地(けいち)と共に海外で何かをやっている。
何をやっているかは父にも息子にも教えてないらしい。
……蔵人が他人に無関心だったりするのは、こういうのが原因なのだろうな。
芙雪は嘆息一つで食事を再開する。
と、電子音が鳴った。
電話の音だ。
「何処の馬鹿だ、食事時に……」
儀天がうるさそうな表情を浮かべて立ち上がる。
それを見て、蔵人がおもむろにコンロの火力調節ツマミを“山火事”から“火の七日間”に変更した。
「あ、蔵人――」
大火力で湯が即座に沸騰する中、素早い手つきで具を放り込み、高温で即座に煮えた具を回収する。
「……もう。蔵人は食い意地張ってるんだから……」
「機を逃すな、というのが祖父さんの教えでな」
「それは打撃の心得って前に言ってなかった……?」
「心得というのは何にでも適用できるものだ。おまえは食わないのか?」
「……食べる」
と、箸を伸ばした時、儀天が戻ってきた。蔵人が何食わぬ顔をして火力を戻す。
儀天はじと目で蔵人を見るが、彼は平静を保って食事を続行。
老人はため息一つ。
そして芙雪に視線を向けてきた。
「? 何か?」
「今の電話だがな。オマエあてだ」
「え――? それで、内容は?」
儀天はそこで言葉を切り、歯軋りを一つして、
「長野の第一特務隊が壊滅したそうだ。新潟の総長にやられてな」
○
いきなりの言葉に思考が止まった。
「……え?」
間の抜けた声を出し、動きも止まる。
停止する芙雪に構わず、儀天が言葉を続ける。
「オマエのところの……なんだったか。とにかくやかましい毛唐の小娘」
「広報長か」
「そう、それだ。なにやら色々言っててよく聞き取れなんだが」
「アレの発言の八割はノイズだからな。おれも聞き取れん」
蔵人の口調には動揺など微塵もない。
「――ってなんでそんなに冷静なんだ蔵人! 少しは驚いたりうろたえたりしろっ!」
こちらの言葉に蔵人は一瞬だけ考えて、
「うわあ。どうしよう。――これでいいか?」
「ああもう他人事みたいにー! 蔵人だって第一特務隊だろう!」
「そうだな。で?」
「で? じゃなくて! これからどうしようとか考えたりしないのかっ!?」
「おれは下っ端の非常勤隊員だぞ。考えるのは上がやることだ、――つまりはおまえが」
「えと、確かにそうだけど――」
「隊長の小笠原・松葉は、確か姫路に出張中だったな。ならば隊長代理のおまえが対処しなくてはならない」
「……正論言ってるけど、よーするに蔵人は自分が動くのが面倒なだけだろう?」
「そうだな」
一言だけが返ってくる。
蔵人は返答が面倒な時や、本心を隠したい時は“そうだな”としか返さない。
はあ、と芙雪は嘆息。
と、電子音が鳴った。
電話の音だ。
「わ、私が出る!」
芙雪はダッシュして受話器を取り、叫ぶ。
「もしもし矢村――じゃなくて荻原ですが!」
『あ、おユキさんっすか?』
○
『アズマ!? 第一特務隊は壊滅したというのは――』
「マジっすよー」
第一特務隊員、東(あずま)・小一丸はギプスに包まれた右腕に視線を送り、左手の受話器へと声を投げた。
「さすがに
新潟圏総長は強いっすね。俺、アバラと右腕折られたっすよ。すげえ痛えっす」
『ほ、他の者は!? まさか死人は出て――』
「出てるっす。……神術師の平林が最後まで抵抗して」
『そうか』
「ヤツには部署変えを勧めてたんっすけどね。最後まで冷静で居られないようじゃ、第一特務は務まらないっすから」
『…………』
「おユキさんが気にすることじゃないっすよ。ヤツの責任っす。……県境でやられた第三特務の連中が、抵抗しなきゃ殺されないって言ってたのを無視したっすから」
『……いや。小笠原隊長がいない間、第一特務を率いるのはわたしだ。指示を徹底し切れなかったわたしの責任だろう』
「そうやって背負い込もうとするのはおユキさんらしいっすけどね。荷物が多くちゃいつか倒れるっすよ。――まあともかく、もうふたつ報告することがあるっすけど聞くっすか? ちなみにひとつはよくないことで、もうひとつはよいことっすよ」
『……じゃあ、よくないことのほうから』
「詰め所に置いといた連合員名簿――連合員の住所に氏名に容姿に性格に舞闘に神器にと色々とウチの情報が書いてるアレが、田中に奪われたっす。」
『――えぇ!?』
「ってか、襲撃はアレ狙ったものっぽいっすね。俺ら倒したのはついでみたいっす」
『蔵人といいアズマといい、何でそんなに冷静なんだお前たちは……!』
「いや、荻原の兄さんは単に興味ないんだと思うっすよ。兄さん、正規の隊員じゃないっすから」
『う……、と、ともかく、よいほうの報告は?』
「ああそれはっすね、――田中が持ってった名簿、最近作った偽物っす」
淡々と言うと、受話器の向こうから何かが倒れる音が響いた。
「どうしたっすか? おユキさん」
『……さ……』
「さ? ――あ、サイズは大丈夫っす。おユキさんのスリーサイズは実数値から全部マイナス10して記載したっす」
『先にそっちを言え馬鹿――――!! 偽物なら奪われても構わないだろう!?』
「いや、アレ作るの大変だったっすよ。嘘法都市―秋田の広報にも協力してもらって九割の嘘の中に一割の真実を」
『あー、それは大変だったかもしれないけど、――待て、わたしは知らなかったぞ?』
「上杉の考えた策っすからね。俺とヤツ以外は松葉隊長も含めて誰も知らねえっす」
告げた事実に、相手の声音が変わった。押し殺したような声で、
『……副長補佐の、策だと?』
……気づかれたっすかね?
だとしたらイヤだ、と思う。矢村・芙雪は温厚でマトモな性格をしているが、その分キレた時は激しい。
そして彼女がキレる時というのは、おおむね“彼”が危険に晒された時だ。
昨年のカラーギャング狩りで“彼”を騙して現場に出した時の、彼女の怒気を思い出すと身体が震える。
それでも、事実は事実として伝えなければならない。伝えなければ、彼と彼女は知らないままに戦うことになる。
「そうっすよ」
平静を装って、返す。
『――第一特務隊長代理として聞くぞ。偽名簿の中の“一割の真実”とは、誰の情報だ?』
受話器の向こうの彼女から、冷気を感じる声音が返ってきた。
唾を飲み込み、一拍。
深く息を吸い、一拍。
肺の息を吐き、一拍。
三挙動の間をおいて、小一丸は告げた。
「第一特務隊非常勤隊員、荻原・蔵人の情報っす」
最終更新:2009年05月22日 07:23