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 ――松本空港付近の空地

 風があり、人がいる。
 風は冷気をはらんでおり、人は銃器などで武装していた。
 涼風が吹き寄せる中、武装した者たちは一人の女を包囲している。
 包囲の人数は十三人。
 武装する周囲に対し、女は無手だ。下駄に着物という純和風の格好で、周囲を気にすることなく立っている。
 と、包囲網に動きがあった。
「――母様!」
 声と同時、包囲網の上を飛び越えて、小柄な人影が現れた。
 少年だ。紺色の子供用スーツに身を包み、手には細長い包みを六本。
 武装した者たちはとっさに手にした銃器を向けるが、長弓を背負った指揮官らしき男の制止の手振りで動きを止めた。
 女は現れた人影を見て、
「ジェイド。おかえり」
「ごめんなさい、遅くなりました。――この人たちは?」
 ジェイドと呼ばれた子供は笑顔で母に答え、すぐに周囲に視線を巡らせて顔色を曇らせる。
 女はジェイドの持ってきた包みを受け取り、
「さあ。――とりあえず、無害だから無視してればいい」
 そう答えた直後、
「――相変わらずだな、荻原!」
 声が響いた。


 荻原・文月はその姓を呼ばれ、包囲の輪の中から出てくる声の主を見た。
 対全攻撃型白衣に身を包み、長弓と矢筒を背負った男だ。
 文月はその男を数秒見て、
「……誰?」
「矢村だ。散々迷惑かけた昔の同僚を忘れんで欲しい」
「――ああ、常念岳守護役の夫の矢村?」
「……何故そういう覚え方をするのだ、貴女は」
 なぜか溜め息を漏らす矢村を失礼だと思いつつ、文月はジェイドから受け取ったものを軽く振る。
 土産物屋でよく売っている、神形具の木刀だ。学生用で殺傷能力には欠けるが、耐久性が高く使いやすい。
 文月は六本のうち四本をジェイドに持っていてもらい、残る二本を両手に持ち、
「――それで、特領(GASAS)が私に何の用?」
 右の一刀を矢村に向けた。
「……国家レベルの問題でれば、我々特領が出るのは必然。心当たりはあるだろう?」
「私が言っているのは――」
 文月は自分に向けられる銃口の一つ一つを見回して、
「――この程度の人員で、私に何をするつもり?」
 ――文月・心理技能・発動・殺気放射・成功!
 殺気に気圧されて、包囲の者たちが後ずさった。
 冷や汗を流しながら、矢村が背の弓を手に取った。
「……この程度、とは言ってくれるな。確かに個人戦力では貴女に及ばないだろうが、集団戦ならば易々と狩られはしないぞ」
「判った」
 答えた時には文月は走り出している。
 矢村との距離は約八メートル。
 その距離を、文月は技能も用いず一瞬で詰める。
 下駄による足音とは木を打つ堅音だ。
 足音を甲高く鳴らし、文字通りの一瞬で距離を詰め、
「!」
 斬撃。
 ――文月・剣術(ソード)技能・発動・物体切断・成功!
 矢村は対抗判定(リバーサル)。
 だが遅い。
 ――矢村・回避技能・対抗発動・回避・失敗!
 裂音。
 文月の木刀が、矢村の長弓を断ち割った。
「な……!」
「素直に退いたのなら無視したけど――」
 ――矢村・脚術/回避技能・重複発動・バックステップ・成功!
 矢村は遠隔武術師(ストライクガンナー)としての癖で反射的に飛び退く。
 が、文月はその動きに追いつく。
 ――矢村・脚術/回避技能・重複発動・サイドステップ・成功!
  ――矢村・脚術/回避技能・重複発動・跳躍・成功!
   ――矢村・脚術/回避技能・重複発動・疾走・成功!
 矢村は振り切ろうと足掻くが、下駄の堅音を振り切れない。
「技能で振り切れない!? ――神陰流か!」
「――邪魔をするのなら、相手になる」
 文月の歩法は神陰流の流れを汲んだものだ。技能では逃げ切れない。
 包囲する者たちは、矢村への誤射を恐れて発砲できない。
「この……!」
 矢村が背の矢筒から矢を引き抜き、
 ――矢村・槍術/腕術技能・重複発動・突き・成功!
 ――文月・剣術技能・対抗発動・切り払い・成功!
 放った突きの一撃を右の一刀で切り払い、文月は左の一刀を矢村の胸元へ突きつけた。
 そして、
「あ」
 単音の詞(テキスト)。
 五行(バスト)の光撃が矢村を打撃した。
「――――!?」
 言葉にならない悲鳴をあげ、矢村が吹き飛ぶ。
 包囲の者たちが表情に怯えを見せ、包囲の輪を広げた。
 ジェイドがやや不安げな表情で、
「あの……いいんですか?」
「昔の同僚だから手加減はした。骨折程度で済むはず」
「はあ」
 返事とも溜め息とも取れる息を漏らす息子に構わず、文月は包囲の者たちへと向き直り、
「手加減するから安心して」
 直後、十二秒で全員を吹っ飛ばした。


 小一丸が告げた直後、通話は切られた。
 受話器を置き、深く息を吸い、
「――はあぁ~。……って痛――!?」
 疲れとともに吐き出すと、筋肉の収縮が胸の傷に響いて悶絶した。
「うう。おユキさんは怒らせるし兄さんには迷惑かけるし田中にやられた傷は痛むし、なんかもう天中殺っすよ。貧乏神とか疫病神とか凶々星とかそんな感じのにしこたま憑かれてる気がするっす。肩とか背中とかにぞこぞこと。――渦呪都市(カースシティ)―邪馬形に行った覚えはねえっすのに」
 どっかで御祓いとかしてもらうっすかね、と呟き、
 ……兄さんは、勝てるっすかねえ?
 と、思考する。
 田中・核衛は強い。
 実際にやられてみて、その強さは思い知った。田中は殺括者(キリングホルダー)の力を持っている。
 人を傷つけることを恐れず、自らが傷つくことを恐れず、他者の喪失を理性で無視できる強者。
 それが殺括者だ。
 最も多くを殺した者(ジェノサイダー)の字名(アーバンネーム)は誇張ではない。間違いなく、田中は最強の殺括者だ。
 そのうえ田中は、王系殺括者(ロウリズム・キリングホルダー)の力、遺伝詞凍結という力も持っている。
 炎の遺伝詞すら凍て付かせる力だ。攻撃力や防御力を神器や神術、武具に頼る者や、遺伝詞系戦種では勝ち目が薄い。
 田中に対して勝算が高いのは、純粋な肉体のみで戦う格闘師――それも田中と同等かそれ以上の力を持つ者だけだ。
 そして長野圏総長連合の面子で、その条件に合致するのは、
 ……総長である深視姐さんと、非常勤の荻原兄さんだけっす。
 長野圏総長連合最強にして最大戦力である、総長の遠隔格闘師(クリティカルガンナー)、筑摩・深視。
 殺人術の伝承者であり殺外者(キリングメイカー)の字名を持つ、第一特務の近接格闘師(クリティカルフォーサー)、荻原・蔵人。
 彼我の格を考えれば、新潟圏総長である田中・核衛には、長野圏総長である筑摩・深視との決闘を組むのが正道だろう。
 だが副長補佐、上杉・信繁は言った。
 ……総長が最初に戦って、万が一にも負けてしまったら?
 総長の敗北はその圏の総長連合そのものの敗北に等しい。
 総長は負けてはいけないのだ。
 そう前置きし、上杉は言葉を重ねた。
 ただの非常勤隊員である荻原・蔵人をぶつけて田中を損耗させ、あわよくば勝ちを拾おう。
 負けても隊員一人が負けた程度では長野圏総長連合の敗北ではない、と。
 ……戦略としちゃ、正しいっすよね。
 間違ってはいない。戦略としては正しい。
 だが、と小一丸は考えてしまう。だが、と。
「……姐さんが負けるかもしれないと思うこと、兄さんの勝敗はどうでもいいと思うこと――」
 それは、
「姐さんの勝利も、兄さんの力も、信じていないってことっすよね……」
 一息。
「……俺も信じられなかったから、その指示に従ったっすよ、と」
 疲れた口調で詞を吐き棄て、傷の痛みに舌打ち。
 天井を見上げ、目を閉じた。照明の人工光が消え、瞼の裏の闇が視界となる。
 何も映らぬ暗闇に浸り、小一丸は苦笑を一つ。
「――いつか、信じられるようになりたいものっすねえ」

 ――常念岳
 かつて常念坊という風水師が変じた大地竜(アーサーペント)の山は、標高2,857メートル。
 観光地として登山客が多く訪れるこの山も、冬には人影が少ない。
 が、その少ない人影が山頂にあった。
 人影は三つ。一人は槍を持った巫女服姿の女であり、一人は着物に下駄という服装で、両の腰に二振りずつ、両肩の後ろに一振りずつ、そして背中に一振りの計七刀を携える女であり、一人は紺色のスーツ姿の子供だ。
 槍を持つ女は、山頂に作られた木の祠の雪を祓い、詞を放った。
「この地を支える遺伝詞達。かつて鎮めの力となり、いまここに鎮めの地とある竜の意志よ。聞こえていますか? 私の詞が」
 風水五行の基本、楽府式首聯(ワインドアップ)だ。
 だが微妙に違う。最後に対象に確かめるものが、遺伝詞ではなく詞であった。
 女は神形具の槍を祠の前、雪に包まれた岩塊の奥深くに突き刺し、
「浸(しん)」
 と、遺伝詞を伝えた。
 しかし、周囲に変化はない。
 雪に覆われた岩の地面も、冷たく吹き寄せる風も、風水した女自身も、何一つとして変化がない。
 が、女の顔に落胆の色は微塵もない。あるのは一仕事終えた、という満足感だけだ。
 何も起こらないのは、そういうものだからだ。
 女は槍を引き抜き、背後でその作業を見ていた二人を振り返る。
 そして言葉を放った。
「――四年ぶりね、お隣さん」
「久しぶり」
「今日は何の用かしら」
「あなたに用があるわけじゃない」
「そう――」
 僅かな応答に笑みを浮かべ、女は槍を構えた。
 戦いに備えるために。
「ならば何をしに来たのかしらね? 荻原・文月。この常念岳守護役、矢村・紗月が護る――竜在る山に」
 その言葉に、相手は一つの対応を見せた。
 両の腰に二振りずつ佩いた刀の柄に、手をかけたのだ。
 戦闘の構えに、文月の傍らに居た子供が声をかける。
「母様……」
「下がっていて。――紗月も、この子には手を出さないで」
「子供を害する親はいないわよ。……ところでその子は貴女の息子でいいのかしら?」
「当然。私の息子。名前はジェイド」
「硬玉(ジェイド)ね……蔵人君も喜ぶわね、弟が出来て」
「妹も作った」
「そう。……じゃあ喜び二倍ね」
 言い、両者は子供が戦闘の邪魔にならないところに下がるまで沈黙した。
 構え合う二人を、ジェイドは不安そうな瞳で見つめる。
 そして、
「あ」
 荻原・文月が先制の五行(バスト)を放ち、
「浸」
 矢村・紗月が迎撃の竜を起こした。


 居合いの速度を上乗せした文月の五行は、超高速の光撃となって紗月を斬撃する。
 が、それは防がれた。
 破砕音。
 己の身体で光を防いだのは、一匹の小竜(レッサードラゴン)だ。体長二メートルほどの、黒の鱗を持つ土行の竜。
 紗月が攻撃を受ける一瞬前、事前に描いておいた風水紋章(チューンエンブレム)に眼点(タクト)して起こされた竜だ。
 通常の風水のように遺伝詞操作で竜を生んだのではない。
 竜が変じた常念岳の持つ“竜”という遺伝詞を起こしたのだ。原理で言えば、英国でいう外燃詞(オープン)に近い。

 破!

 黒の小竜が吼え、周囲の遺伝詞から破壊された部位を修復する。
 紗月は眼点に使った槍の代わりを懐から取り出した。
 短刀だ。一振り、という動作をもってそれは槍となる。
 新たに出した槍を構え、紗月は笑みで告げる。
「矢村の血族が常念岳においてのみ使える、起竜の風水。――どうかしらね?」
 その言葉に、文月はひとつの表情を見せた。
 それは目を細め、口元を僅かに吊り上げた表情。
 獲物を狩ろうとする肉食獣の表情だ。
 その口から発される言葉は、
「――面白い」
「喜んでもらえて嬉しいわ。では、――撃ちなさい!」
 紗月の命令に小竜は正しく従った。
 口を開け、光を放ったのだ。
 竜詞砲。
 身体を作る遺伝詞を己の掛詞に乗せて放つそれは、竜属における最大の攻撃方法だ。
 光は一直線に文月を狙い、
 ――文月・体術/脚術/回避技能・重複発動・大跳躍回避・成功!
 跳躍によって回避された。
 文月の位置は一気に黒の小竜の真上に。
 竜の一撃は標的を外して冬の大気を射抜き、
「あ――」
 と、上空から返礼の遺伝詞が小竜を穿った。
 そしてそれは一撃で終わらない。
「あ、あ、ああ――」
 右腰の一刀から左腰の一刀、両腰の二刀と居合いの五行を連撃。
 超高速の五行の連続に、竜は有効な対応を取れない。
 そこに、
「――あああああああっ!!」
 落下の勢いも鋭く、文月は両肩の二刀を竜に振り下ろした。
 斬断。
 そして二刀を突き刺したまま、
「あ」
 五行。
 神形具(デヴァイス)で増幅(アンプ)された文月の遺伝詞が、竜の体内に炸裂。
 威の連続にもはや黒の小竜は耐え切れず、流体に還元した。
 やるわねえ、と紗月は微笑。神形具の槍を手に一歩を後退し、
「じゃ、次は四匹同時でどうかしら?」
 積雪に隠した風水紋章に眼点した。
 同時、周囲三箇所に描いた風水紋章も起動し、四匹の竜が起きる。先ほどよりも大きく、一匹の体長はおよそ五メートルほど。
 同一神形具間の共鳴発動(ハウリングホイッスル)を利用した同時起竜だ。
「夫から貴女が来るかもしれないと聞いて、張り切って準備したのよ。――有り難いものよね、矢村の血脈は。私程度の力量で、大量生産の神形具を使って、なおこれだけの竜を起こせるのだから」
 苦笑。
「……で、どうかしらね?」
 四匹の黒竜の視線を一身に受けた文月は、四対の竜眼をしっかりと睨み返し、
 ――文月・心理技能・発動・威圧・成功!
 笑う。
 獰猛な笑みを浮かべ、背の一刀を引き抜いた。両腰両肩の小太刀六刀と違い、長刀というべき長さを持った刀だ。
 雪月花、という名前を持つ神形具である。
 それを正眼に構え、言い切る。
「――この三倍でも余裕」


 四匹の黒竜が口腔に力を溜める。
 竜詞砲を放つつもりだ。
 対し、文月は正眼に構えた神形具を横に。切っ先が背に隠れるように構えをずらし、
「あ」
 と放つ遺伝詞は、もはや金属の遺伝詞を含んだ白光ではない。陰りを含んだ、淡い光。
 月の光だ。
 文月自身の遺伝詞である。
 月光色の遺伝詞による五行が横薙ぎに放たれる。
 同時に、竜詞砲が放たれた。光熱の直線射撃の数は四本。それは月光色の遺伝詞と衝突し、
「砕く」
 相殺した。
 硝子の砕音を響かせ、熱と光の遺伝詞が大気に踊る。
 文月の攻撃はそれで終わらない。
 ――文月・心理技能・発動・記憶再生(イメージリピート)・成功!
 一撃を放った動作、その記憶を強く思い出す。
 強く外燃詞(オープン)された記憶遺伝詞は、長野の特性に従って反響(リフレクス)。
 それによって生まれるのは、
「二撃目」
 先ほどとまったく同じ動作の五行が意識せずに放たれた。
 円弧を描いて飛んだ月光色の遺伝詞は、空間に漂う光熱の遺伝詞を断ち切って更に前に。
 四匹の竜へと、その威をぶちまけた。
 四竜は月光色の斬撃に鱗を砕かれ、身体を損じ、しかし、
「まだまだ、よ」
 耐えた。
 崩!
 という咆哮と共に、竜達が文月へと跳びかかり、
「詞変(ワード・アクセル)! 十二万詞階(オクターブ)の遺伝詞(ライブ)達よ!」
 紗月が追撃の風水打撃を放つ。雅式首聯(オーバーラップ)で作られたのは風の槍だ。
 四匹の竜の突撃と風の槍を前にしても文月は恐れない。
 長刀を地に突き刺し、両腰の小太刀に手をかける。
「あ」
 と瞬時に放たれる光は、文月の月光色の遺伝詞と、小太刀の金属の遺伝詞が混ざった白い詞色の遺伝詞。
 居合いという速度を持った白光は同時に二条が放たれた。
 それは四匹の竜のうち二匹を穿ち、しかし砕き切れず、それでも勢いを衰えさせ、
 ――文月・剣術/投術技能・重複発動・左右小太刀投擲・成功!
 納刀の勢いで投じられた小太刀が、その二竜を断ち割った。
 建御名方刀術の奥の手、射刀術だ。
 抜刀の五行。納刀の射刀術。
 文月の居合いの真髄とは、それら二つの動作を組み合わせ、居合術として一動作とした高速攻撃だ。
 残る竜は二匹。文月は同じ動作を繰り返す。
「あ」
 と抜刀の五行を放ち、
 ――文月・剣術/投術技能・重複発動・左右小太刀投擲・成功!
 納刀の射刀術で仕留める。
 最後、一直線に飛んできた風の槍を、
 ――文月・剣術技能・発動・逆袈裟・成功!
 地に突き刺しておいた長刀を掴み、そのまま振り上げて迎撃した。
 文月は紗月に視線を向け、
「これで終わり?」
「……あと十個ぐらい描いとくべきだったかしらね、風水紋章」
「そもそも戦法がなってない。……竜の本能に任せてるだけじゃ、駄目」
「今まではそれで何とかなるような連中しか来なかったから……ね。やっぱり貴女には敵わないわぁ」
「そうでもない。……紗月が本気で来てたら、私も危なかった」
 呟き、文月は紗月の瞳をしっかりと見据えた。
「なぜ、本気を出さなかったの?」
「そうねぇ……」
 頬に手を当て、紗月は微笑。
「――だって貴女、遺伝詞に殺気がないじゃない?」
 一息。
「貴女が本気になってないのに、私が本気になれるわけないでしょ」
「……ごめん」
 文月は頭を下げた。紗月は苦笑。
 苦い笑みを浮かべて、
「……本命は、息子さんだったのね?」
 紗月の視線の先、常念岳頂上の祠があった場所に、一つの樹が生えていた。
 いつの間にか生えているその樹は、自然のものではない。
 恐縮そうにジェイドが頭を下げ、言う。
「超人紋章(スーパーエンブレム)“聖伝樹(レジェンド)……地脈、少し弄りました。ごめんなさい」
 言葉と同時に樹が掻き消えた。
 ジェイドが超人紋章を解除したため、流体に還元したのだ。
 紗月は溜め息を一つ。槍を肩に担い、
「やっちゃったことは仕方がないわねえ。……まったく、また一月ぐらい山篭りして地脈の整調化しないと」
「……ごめん」
「謝るぐらいなら最初からやらないで欲しいのだけど?」
「違う。それはさっき謝った。……今のは、あなたの旦那の分」
 文月の言葉に紗月は半眼で問うた。
「……何したの?」
「全治一ヶ月ぐらい」
「……下山したら、私の娘に伝えて頂戴。――両親ともども一ヶ月ほど家を空けます、と」
「判った」
 紗月は再度溜め息。
 と、音が響いた。
 風の重なりによって生まれる音だ。
 それは一つの掛詞(メッセージ)を持っていた。
 鎮魂という掛詞だ。
「……鬼が出てたのね」
 紗月が下界を見るのに合わせて、文月もそちらを見た。
 戦闘の所為か、霧が出てきていた。下界は見えない。
 しかし霧の先を見て、紗月は呟いた。
「起竜とか地脈改造とかのせいで、少し遅れたかしら。……誰かが傷ついてないといいんだけれど」


 芙雪が戻ってきた。
 うつむき加減の顔色は暗く、足取りも重い。
「……どうした?」
 問いに芙雪は一瞬顔を上げ、しかしまたうつむいた。
 消え入るような小さな声音で、
「……第一特務は、事実上壊滅したみたいだ」
「それはさっき聞いたぞ」
「……詰め所にいた全員が負傷して、――平林が死んだ」
 告げられた言葉に蔵人はやや考え込み、
 ――蔵人・心理技能・発動・人物照合・成功。
 技能に成功するが記憶にはない。
「誰だそれは」
「神術師の……」
 告げられたキーワードに蔵人は再度考え込み、
 ――蔵人・心理技能・発動・人物照合・成功。
 技能に成功するがやはり記憶にはない。
「いや。判らん」
 きっぱりと告げる。と、なぜか芙雪は溜め息をひとつ。
「……蔵人って第一特務のメンバー、小笠原隊長とアズマしか把握してないだろう」
「それとおまえだな。別に毎日顔出してるわけでもないしそれで充分だと思うが」
「……蔵人にそういう、人間関係の暖かさを期待するのは無駄かな」
「そうだな」
 一息。
「――ところで、話はそれで終わりか?」
「…………」
 芙雪は沈黙。
 そして唐突に抱きついてきた。
「……ユキ?」
 背から抱きついてきた芙雪は腕をこちらの胸へと回し、張り付くように身体をすり寄せる。
 蔵人はややうろたえながらも、振りほどくようなことはせずに考える。
 ……何があった?
 芙雪は割と無防備な性質であり、男が誤解するような言動を天然で実行するが、それにしてもこれは唐突だ。
 何故か、と考えるが、判らない。
 判ることは、
 ……不安なのだな。
 抱きしめて存在を確認したいほど、不安なのだろう。
 つまりは、
 ……おれが危害を受けるかもしれない、ということか?
 蔵人は抱きついたまま言葉を発さない芙雪の手を取り、握った。大丈夫だ、とでも言うように。
 そして、言う。
「――ユキ、何かあるならば言ってくれ。おれはおまえと違って、言葉で伝えられなければ判らない」

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最終更新:2009年05月22日 07:23