○
冬の朝というものは、当然だが非常に寒い。
暖かい布団から冷気漂う外界に出るのは、非常に躊躇われるものだ。
「しかし起きないわけにもいかんしな」
呟き一つで蔵人は起床。軽く伸びをしてから、芙雪が寝ている客間へと向かう。
なにやら芙雪の父は怪我をしたとかで帰宅せず、母の方は常念岳の鎮守の役で山篭り中。そういう時、芙雪は荻原家に泊まることになっている。娘一人では危険だから、というのが芙雪の母、紗月の言葉だが、
……隣なのだから、何かあればすぐ気付くだろうにな。
と思わないでもない。実際、芙雪の父の誠はそう主張していたはずだ。
だが四年前の矢村・荻原家合同家族会議の結果、娘を思う父親の主張はあっさりと退けられた。
当時はよく殺気混じりの視線を向けられたものだ。今ではもはや諦観の視線だが。
「……しかし、どうしたものかな」
ふと昨夜の芙雪の話を思い出して、腕を組む。
新潟圏総長、田中・核衛によって第一特務が壊滅し、連合員名簿が奪われた。
しかし奪われた名簿は偽物で、正しい情報は荻原・蔵人のものだけだという。
……まずおれをぶつけて相手を試そうということか。まあ、すぐに襲われるということはないだろうが。
情報の真偽を確認するのには、それなりに時間がかかるだろう。
しかも誤情報の中で一人だけ正しい情報があったとすれば、普通の人間は罠だと思うはずだ。
……とはいえ、総長が普通の人間であるはずがないしな。
例えばこちらの総長、筑摩・深視のような性格だったら、罠と罠と知りつつも罠ごと叩き潰そうとするだろう。
そして田中・核衛がそういう性格でないとは言い切れない。何しろ同じ総長だ。
「……どうしたものかな」
蔵人は嘆息した。
○
蔵人に起こされ、朝食をとった後にいろいろと話し合った結果、
「面倒だからとりあえず総長に話してみたらどうか」
ということになった。
総長、筑摩・深視の性格上、今回の件は副長補佐、上杉・信繁の独断だろうと推測できたからだ。
そういうわけで、豊科駅から大糸線を使って松本、総長連合本部のある時計博物館へ向かっている。
服装はもしものときに備え、戦闘用でもある制服を着用。当然、弓と矢筒も持っていく。
「……しかし、あの総長に会うのはあまり気が進まんな」
電車に揺られていると、蔵人が呟いた。
「そういえば蔵人は深視総長のこと苦手だっけ?」
「ああ。以前、敵味方もろともにブチのめされたからな。『目の前に立つ者を全て壊す女』という字名をしっかりと味わった。――というかあの字名は比喩にしておいた方がよいと思うが」
「んー、でもまあ、悪い人じゃあ……」
言いかけ、言いよどんだ。
――芙雪・心理技能・自動発動・記憶再生・成功。
反射的に色々と思い出し、
「……ええと、その、――た、頼れる人ではあるぞ?」
「総長が頼りなくてどうする」
「よく手作りお菓子とかくれるし。ほら、蔵人も貰ったことあるだろう?」
「確かに旨かったが、それは餌付けと呼ばないか?」
「……うーん」
言われ、悩む。確かにそんな感じではあった。
「――とにかく、毒舌で攻撃的で破壊力至上主義で突飛な言動が多い人だけど、だからこそ頼りになる人だぞ」
「そうなのか?」
「……蔵人。そこは、そうだな、って頷いて欲しい」
「そうだな」
一言が返って来て芙雪は苦笑。
窓の外、流れる景色を眺めながら、
「父さんか母さんがいれば、少しは助言もらえたかな」
「うちのは駄目だな。やられたらやり返せしか言わんぞあの二人は。四年前に一度だけ帰って来た時もそうだった」
「それは……、文月さんも啓地さんも、その、――個性的だから」
「個性か……。実の息子に刀を突き付けてキャッチボールを強いる母親は、まあ個性的ではあるな。面倒だと答えたら皮一枚切られたがな」
そう言って蔵人は首筋を撫でる。
見ると、言葉では嫌そうだが、遺伝詞に不快の詞色はない。
「文月さんは野球、好きだから。蔵人にも好きになって欲しかったんだと思う。野球、嫌い?」
「……まあ、野球は嫌いではないな。好きでもないが」
「毎日朝夕に投球練習してるのに?」
「それは、……次帰って来た時に自分からストライクが取れなければ薄皮剥ぐと脅されたからだ。大体、昨夕と今朝はサボった」
仏頂面で言いつのる彼に、笑みで返す。
「蔵人は誤魔化すのが下手」
「……そうだな」
一言だけの答えが返って来て芙雪は苦笑。
と、そこで車内アナウンスが響いた。
窓の外には駅のホームが見える。
『次は終点、松本、松本ー。お降りの際は、もう一度お手回り品をお確かめください。終点、松本です』
○
まだ自動改札になっていない改札口で駅員に切符を見せ、駅を出る。
さすがに人が多い。蔵人は芙雪を見やり、顔色を見た。
「大丈夫か?」
「うん。平気」
協音の領主という遺伝詞特性を持つ芙雪は、無意識のうちに周囲の遺伝詞と同調してしまう。
よって、人ごみに酔うということが良くあるのだ。朝の出勤ラッシュなどは確実に酔う。
「さて、本部に行く前にそこのコンビニで餌でも買っていくべきか?」
「餌って……、まあ、差し入れぐらいは持っていくべきだと思うけど」
言い合い、駅前のコンビニへと向かう。
歩きながらあたりを見ると、何故か人通りが少なくなっている。
……平日だからか?
学生は冬季休業で休みだが、今日は平日だ。
そのせいだろうか、と適当に結論づけると、歩道の先に一人の男が立っているのに気付いた。
巨躯の男だ。手足は長く、服装は白の防寒着と積雪用のブーツ。フードを目深にかぶっているため、顔は見えない。
「…………」
「蔵人?」
手で芙雪の歩みを制して、問う。
「――ユキ?」
「どうした……の?」
「聞くのを忘れていたが、新潟圏総長とはどんな奴だ?」
「えと、王系殺括者で、最も多くを殺した者で、雪王神器による遺伝詞凍結を武器とする格闘師で――」
「外見だ。顔とか、服装とか、体格とか」
「んー、わたしはよく覚えてないんだ。写真で一回見ただけだから。小笠原隊長かアズマなら写真持ってるはずだけど」
「なら思い出せ。――田中・核衛とは、あれじゃないか?」
「え?」
こちらの視線の先に立つ男を見て、芙雪は一瞬動きを止め、
――芙雪・心理技能・発動・人物照合・成功!
背の弓を抜き、矢筒から対魔戦闘弓箭を引き抜き、弓につがえ、弦を引き絞り、
「――あれが田中だ!」
――芙雪・弓術技能・発動・速射・成功!
一矢を放った。
矢は流体を纏って光槍となり、男へと向かう。
そこに詞が響いた。
冷たい響きを持つ詞だ。
凍結、という意志を持った詞である。
それは、男の口から紡がれた。
熱 音 色 風
全ては停止の定めにある
人 心 時 詞
全ては凍て付き動かない
深々と――
――田中・雪王神器・発動・遺伝詞凍結・成功!
音も無く。
瞬間的に凍結した光槍は、速度すら凍結されたかのように地に落ち、破砕の音を響かせて流体に戻った。
男が言う。威圧、という力を持った雄々しい声で、
「――新潟圏総長、田中・核衛」
○
蔵人は芙雪をかばうように前に出た。
「――新潟圏総長が、何の用だ」
「見え透いた策を潰しに来た。……長野の総長連合は余興が多いな。下らん余興が」
「余興、か」
田中の台詞に適当に返し、蔵人は意思を外燃詞(オープン)。背後の芙雪に遺伝詞(ライブ)で問う。
……ここは総長連合本部の近辺だぞ。なぜ奴がここにいる?
『第三特務は侵入される時にやられたし、第二特務は輸送で忙しいから……ひょっとしたら警戒網自体が機能してないかも』
返答は、爪弾きによる小さな鳴弦と共に耳元に来た。こちらのみに聞こえるような、小さな空気の振動として。
芙雪が風水(チューン)を用い、大気に喋らせたのだ。
本来なら高位の風水師でもなければ出来ない技だが、協音の領主である芙雪は周囲の遺伝詞と同調することでそれを容易に行える。
『第一特務(ウチ)も隊長は姫路に出張中でアズマも動けないから……実質、今の長野で動けるのは隊長格だけだと思う』
……しかしおまえは無事だろう? どうにかできなかったのか?
『無理。第一特務の皆はほとんど入院中で動けないし。……わたしはアズマみたいに顔が広くないから』
……どうにもならんと言うことか。
嘆息を一つ。と、田中が言ってくる。
「相談は終わったか?」
――蔵人・心理技能・自動発動・抑制・成功。
驚きを技能で押し込め、聞き返す。
「……遺伝詞が読めるのか? 言葉にはしていなかったはずだが」
「遺伝詞など読む必要は無い。態度で知れる」
言い切り、田中は防寒着の懐に手を入れた。
――蔵人・戦術/心理技能・重複発動・行動推測・成功!
その手が引き抜かれる前に、蔵人は動作を起こした。
動作は二つ。そして一つだ。
――蔵人・体術技能・発動・飛び退り・成功!
――田中・投術技能・発動・棒手裏剣投擲・成功!
――蔵人・腕術技能・対抗発動・迎撃・成功!
――蔵人・腕術/体術技能・重複発動・抱き抱え・成功!
後退と同時に田中が投げ打ってきた鉄の投擲物を右の手甲で弾き、空いている左腕で芙雪を抱き抱える。
「え……蔵人!?」
いきなり抱き抱えられた芙雪が腕の中でわめく。
が、蔵人は無視。彼女を右手に持ち直して担ぎ上げ、
「投げるぞ」
……この場を離れて本部へ行き、応援を呼んで来てくれ。
言葉と遺伝詞で同時に告げる。
「ちょっ、――い、意図は判ったけど力技が過ぎるぞ――!?」
――蔵人・投術/腕術/体術技能・重複発動・投げ飛ばし・成功!
構わず投げた。
「っきゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――」
ドップラー効果で小さくなっていく悲鳴を聞きながら、
……意外に良く飛ぶな。空気抵抗は大きいはずだが。
しみじみと思っていると、頬に風が来た。
痛みが走る。
「女を逃がしたということは、一人で死にたいということか」
田中が再度の投擲を行ったらしい。しかも、
……わざと外したな。遊ばれているのか。
だとすれば、最悪でも死ぬことはないだろう。
覚悟を決めて田中に向き合う。
田中はつまらなそうな表情で、腕組みをしていた。戦闘の構えではない。
「つまらんな。二人がかりならば少しでも楽しめるかと思ったが」
「……戦いが楽しいのか?」
問いに、田中は答えた。
ああ、と頷き、
「身の程知らずの雑魚が絶望する様は、愉快ではあるぞ。実に滑稽だ」
「……理解できんな」
「貴様の器が足りんからだ。小人(しょうじん)が」
「その小人をわざわざ襲撃したのは、何のためだ?」
ふん、と田中は鼻を鳴らし、
「字名に殺の字を抱く者が気になった。それだけだ。だが……」
そこで言葉を切り、田中は懐に手を入れた。
……来るか!?
蔵人は投擲に備えて右手を前に構える。左の手甲は硬質樹脂板が貼り付けてあるが、右の手甲は鋼板を貼り付けてある。
左では手甲を貫通される恐れがあるが、右ならば先ほどと同じように弾くことが可能だ。
構えを取り、蔵人は戦闘を組み立てる。
……芙雪が応援を呼びに行った。十分もあれば本部に居る者を連れてくるはず。
もしかしたら総長はいないかもしれないが、副長か、副長補佐はいるだろう。
副長や副長補佐では新潟圏総長に敵わない可能性が高いが、
……その時は任せて逃げればいい。最後まで戦う義理はない。
荻原・蔵人は隊長格ではない。総長に襲撃されるような要人ではないのだ。
つまり、この戦いにおいて蔵人が注意することは、生き延びることだけだ。
……出来るはずだ。
自身に言い聞かせて、蔵人は田中に集中する。
――蔵人・視覚技能・発動・注視・成功。
攻撃の初動を待つ。
数秒とも、数分とも、数瞬とも判らぬ時間の後に、
「!」
田中が動いた。
だが投擲の動きではない。
「!?」
身体をひねり、肩を前に向け、やや前傾姿勢での突進。
ショルダーチャージだ。
「く――」
――蔵人・回避/体術技能・対抗重複発動・回避・失敗!
唐突の攻撃に対応が出来ない。
打撃を受けた。
田中は巨躯であり、体重も相応に重い。
その重量をすべて叩き付けられたような、重い打撃だった。
「っは――」
肺の中の息を吐き出し、膝を突き、
――蔵人・回避/体術技能・対抗重複発動・バク転・成功!
反射的にバク転でその場を飛び退いた。
その直後だ。
目の前で力が炸裂した。
力の向きは下向きで、結果としては道の舗装の破壊。行為の名前は踵落としだ。
道の敷石が打撃力に負けて破砕した。
……この破壊力は……総長並か!?
蔵人は驚きながらも飛んで来た砕片を弾き飛ばし、
「――やはり殺外者(キリングメイカー)ではこんなものか」
「!?」
――蔵人・回避/体術技能・対抗重複発動・スウェー・失敗!
石の砕片ごと打ち砕く拳打を受けた。
打撃音は、骨の砕ける音を伴っていた。
肋骨が折れたのだ。
「ぐっ……!?
――蔵人・心理技能・発動・痛覚無視・成功。
蔵人はなんとか痛みを無視し、打撃の威力が残る身体で無理矢理に距離を取った。
田中は追撃してこない。つまらなそうな表情で、打撃した腕を軽く振っただけだ。
蔵人は息を整えようとあがきながら、田中を見る。
……予想以上にリーチが長い……!
今の一撃は、不意の一撃というのもそうであるが、それ以上に相手のリーチが長かった。
スウェーで避けようとしてなお、直撃する拳だ。
……手足が長いのもそうだが、身体が柔らかいのだな。だから見た目以上に伸びる……。
「つまらんな」
田中が呟いた。
「やはり死を己に持たぬ者では座興にもならん。殺人術とやらを使ってみせろ」
「……使え、と言われて使うような技ではないのだがな」
「何を勘違いしている? 立場をわきまえろ――」
――田中・心理技能・発動・威圧・成功!
――蔵人・心理技能・対抗発動・威圧反射・失敗!
「――俺が、使ってみせろと言ったのだ。貴様はただ従えばいい」
「……期待に沿うような技ではないぞ」
蔵人は構えを取った。
両方の掌を顔の前に向け、重心は右足。体勢は軽い猫背。
構えたこちらを見て田中は拳を握り、
「――来い」
返答はせずに蔵人は距離を詰めた。
○
殺人術は何のためにあるか。
それを祖父に聞いたことがあった。
……自分よりも強い相手に勝つため――か。
思いながらも蔵人は拳を放つ。
威力のある右拳。だが田中の筋肉の防御を穿てるほどの威力は無い。
――蔵人・腕術技能・発動・正拳・成功。
――田中・腕術/回避技能・対抗重複発動・弾き・成功。
放った拳は容易に弾かれ、
――田中・体術/脚術技能・重複発動・回し蹴り・成功。
――蔵人・体術/回避技能・対抗重複発動・しゃがみ回避・成功。
その動作の反動を使って放たれた右回し蹴りを、蔵人はしゃがんで避ける。
田中の攻撃はそこで終わらない。
――田中・体術/脚術技能・重複発動・姿勢制御・成功。
――田中・脚術技能・発動・踵落とし・成功!
強引な動きで蹴りの軌道が変化した。
身体能力が優れているというだけでは出来ない技だ。
田中は自分の肉体、動作というものを、完全に制御しているのだ。
蔵人は再度思う。殺人術が何のためにあるかということを。
殺人術が存在するのは、自分よりも強い相手に勝つため。
だが、
……それにしても相手が強すぎるだろう!?
遺伝詞で叫んで蔵人は攻撃に対処する。
――蔵人・腕術/回避技能・対抗重複発動・迎撃・成功!
放つ拳は左腕。
狙う箇所は脚の関節。
着弾。
拳打の衝撃が拳から腕に、腕から肩に、肩から胸に伝わり、折れた肋骨を響かせ、痛みを生んだ。
――蔵人・心理技能・発動・痛覚無視・成功。
痛みは無視できるものだ。
関節を打ったことで田中は一瞬だけ動きを止めた。
その一瞬を使って蔵人は回避。
反撃に移る。
――蔵人・腕術技能・発動・ジャブ・成功!
弧を描く軌道で放ったのは右の拳。だが、拳打は囮でしかない。
本命は右の手甲の鋼板。その角を利用した、無手での斬撃だ。
肉より硬いものであれば人は切れる。通常は爪で行う技だが、蔵人はまだその域に達していない。
狙うのは田中の手首。その動脈だ。
……出血させて、体力を奪う!
田中も対衝撃反射素材(ASRA)のインナーは着ているだろうが、それは斬撃に対する防護効果を持たない。
切れる。そう思った瞬間だ。
硬音。
「!?」
金属と金属の衝突した音だ。
拳から衝撃が伝わって来た。
拳の先を見れば、田中の足がある。積雪用ブーツを履いた足が。
先ほど踵落としとして振り上げた足。その足で防御されたのだ。
「……どういう靴だ」
「硬化の紋章を彫り込んである。生半な打撃では傷すら付かん」
「――防寒着もか?」
「そちらはただの防刃製だ。硬化の紋章では動作に支障が出る」
「入念なことで実に結構だな……」
飛びのき、距離を取る。
田中は追撃せず、言葉を放ってきた。
「やはりつまらんな。所詮、殺外者は殺外者か」
「おれは」
なぜか言葉が出た。
反論などするつもりもなかったのに、だ。
出してしまったのなら、すべて吐き出すしかない。
蔵人は言葉を吐き出した。
「――おれは、殺外者で充分だと思っている」
田中は露骨に蔑みの表情を見せた。
「下らん。それは覚悟を持たぬ弱者の強がりだ」
「おれは覚悟など持てない」
言葉が止まらない。
「おれは強者になどなれない」
一度出してしまった言葉は、すべて吐き出すまで止まらない。
「祖父さんは言った。殺人術とは、自分よりも強い相手に勝つためにあると。ならば殺人術の使い手は弱者に過ぎない。
殺外者(キリングメイカー)であるならばそれはすべからく弱者だ。強者になろうとするならば殺括者(キリングホルダー)になるしかない……」
一息。
「おれは弱者でいい」
返って来たのは笑いだった。
侮蔑と失望の意を込めた音の響き。
嘲笑だ。
田中が哂う。
「――器が足りん」
蔵人は構わず距離を詰めた。
打撃の威力を上げるには、踏み込みを強くすればいい。
だが、強い踏み込みを入れた直線的な打撃は、曲線的な回避動作とは違う。威力はあるがカウンターに弱い。
ゆえにそのような打撃は、連打というコンビネーションの最後、クリティカルブロウとして使うのがセオリーだ。
――蔵人・体術/脚術/腕術技能・重複発動・掌底打撃・成功!
だからこそ蔵人は、強い踏み込みで左の打撃を入れた。
拳ではなく掌底による打撃だ。
田中は右腕で防御する。
筋肉の鎧を纏う、太い腕だ。速度と精密さ重視の左の打撃では、ろくにダメージを与えられない。
むしろダメージを受けているのはこちらだ。折れた肋骨に振動が入り、激痛を生んでいる。
しかも、体当たるような踏み込み動作で放った一撃は、相手のカウンターを招く。
それは承知のうえだ。
カウンターが来た。左の拳だ。
――蔵人・腕術技能・対抗発動・掌底打撃・成功!
蔵人はそれに合わせて右足で踏み込み、右の掌底を打つ。
拳と掌底が激突し、打撃力をぶつけ合い、
……く!
――蔵人・心理技能・自動発動・痛覚無視・成功!
掌から伝わってくる痛みを蔵人は無視。
痛みも大した痛みではない。近接距離まで踏み込んだがために、拳が最大威力を発揮する点より前で着弾したからだ。
両者共に両腕を使い、封じ合っているこの状況。
次の一瞬だけが必殺の機会だ。
――蔵人・心理技能・発動・記憶再生(イメージリピート)・成功!
遺伝詞を外燃詞して思い出すのは先日の戦闘。
妖物の熊に放ったあの一撃だ。
「お――」
強く外燃詞(オープン)された記憶遺伝詞(イメージライブ)が、長野の都市理力によって反響(リフレクス)する。
動作再生(アクティブリピート)。
“思い出の一撃”だ。
――蔵人・体術技能・発動・ひねり・超成功!
筋のひねりによって力を蓄え、
――蔵人・腕術技能・発動・押し付け・成功。
密着させた掌にわずかに力を込めて押せば、田中は反射的に抗って前に出てくる。
そこが二打目を放つ瞬間だ。
「おあああああああああああっ!!」
――蔵人・腕術/体術技能・対抗重複発動・カウンター・成功!
――蔵人・腕術/体術/脚術技能・重複発動・超密着打撃・成功!
密着状態からのカウンター。
回避は不可能。威力は絶大。
凶悪なまでの打撃力が田中に炸裂する。
はずだった。
――田中・雪王/心理技能・自動重複発動・遺伝詞凍結・成功!
手ごたえが消えた。
否、動作が停まったのだ。
「――何!?」
身体を浅く包むのは、冬の気温とは違う凍て付く冷気。
雪王神器の生んだ凍結の遺伝詞だ。
「……記憶遺伝詞の反響を凍結させ、動作再生を停止させたのか!?」
「なかなか面白い都市だな、ここは。余興でしかないが」
田中は言い、こちらの喉を掴んだ。握力任せで絞められる。
「ぐぁっ……」
「だが、余興はもう要らん」
蔵人は抗えない。肋骨の折れた身で記憶遺伝詞の反響による強制動作再生を行ったために、もはや抗える余力が残っていないのだ。
……駄目、か。
息が止められ、思考が鈍くなる。意識が閉じかけている。
思い出すのは彼女のことだ。
かつてもいまも共に居て、やがても共に居たであろう彼女。
弱者でしかない殺外者。守りの誓約も果たせない。そんな自分を、なお信じてくれる少女だ。
蔵人は思考の中で彼女に謝った。すまない、と。
……おれはいつも、救ってもらってばかりだったな。
聞きなれた音が聞こえた。
幻聴か、耳鳴りか。
鳴弦の音だ。
そして、鳥の羽音だ。
「――!?」
閉じかけていた意識が覚醒し、前を見た。もはや首の戒めはなくなっており、
……空が……。
空がそこにあった。白の鳥が無数にはばたく空だ。
飛んでいる。投げ飛ばされたのだろう。
よく見れば、鳥は風水で作られたものだ。
名を呼ぶ声が響いた。
「――蔵人!」
同時に、蔵人は鳥たちに受け止められた。
大気で作られた鳥は、柔らかくこちらを包み込む。
その感触に浸り、蔵人は一つの名を遺伝詞で呼んだ。
……芙雪。
直後、今度こそ意識が閉じた。
最終更新:2009年05月22日 07:24