○
芙雪は風水の鳥たちで蔵人を受け止め、安堵の息をついた。
蔵人は、気絶しており、負傷していたが、
「……生きてた」
その事実が、安堵の息を吐かせる。
……間に合った。
ん、と呟き、目尻に浮いた涙を拭う。
まずは治療だ。過去の事故で遺伝詞構造が堅固になっている蔵人には、通常の風水治療は効果が薄い。
ゆえに、芙雪は神器を用いた。協音の領主のみが用いる、親和の神器を。
口ずさむ掛詞は己の詞だ。
共の歩みをわたしは望む
伴い進むとわたしは誓う
常世の末にすら疑わない
識神神器の掛詞は、相手と自分の遺伝詞を等しくする架け橋となる。
――芙雪・識神神器・発動・遺伝詞同調・成功。
遺伝詞を見る。
遺伝詞が乱れているのは胸。肋骨が折れたらしい。折れてからも戦ったのだろう、骨が臓器に刺さりかけているようだ。
……馬鹿。無理しすぎだ。
身体全体の筋肉にも遺伝詞の乱れが見える。恐らくは記憶遺伝詞の反射による動作再生も行ったのだろう。
芙雪は矢筒から神形具の矢を引き抜く。
金属製の白い矢だ。が、刃は付いておらず、穂先は重りとしての役目しかない。
蔵人の母、荻原・文月の作った神形具(デヴァイス)だ。
芙雪はその矢を握り、僅かな逡巡の後に彼の胸へ穂先を突き刺した。
瞬間。感触が返って来る。彼の遺伝詞の核に穂先が触れたのだ。
「オ」
芙雪は神形具の遺伝詞を響かせ、彼の遺伝詞操作(アレンジ)をした。
共鳴(ハウリング)。
芙雪の遺伝詞、神形具の遺伝詞、そして彼の遺伝詞が共に等しく震える。
遺伝詞同調をしてからの風水治療は、こちらの遺伝詞にも響くのだ。
蔵人の胸とこちらの身体から、白の鳥が飛び出した。彼と自分の遺伝詞の乱れが形になったものだ。
彼と自分から生まれ出る鳥を見ると、やや恥ずかしいものがある。
……文月さんにも“子供生んでるみたい”って言われたし……。
母さんにも同じこと言われたっけ、と家庭環境に思いを馳せ、蔵人の顔を見る。
安堵の表情がそこにある。
「……良かった」
同じ表情をこちらも浮かべた。
そこに声が響いた。
「――
新潟圏総長が、何の用でしょうか」
鎖音を響かせるのは、四の関節を持った棍。展開式四柱棍。
棍の纏う白色は冷気の霧。凍神の冷気。
それを携え、田中・核衛に立ち向かうのは、
「
長野圏副総長、筑摩・梓です。……姉の代わりに用件を聞きますが」
「用件は一つ」
田中は即座に答えた。
「支配だ。この地を貰う」
「それは承服出来かねますね」
答えた声は梓のものではない。
梓の背後。棍を持った眼鏡の男だ。
男は棍を一振りして、
「副長補佐、上杉・信繁です。……さて、投降を願いましょうか」
「ほう……」
と田中が眼光を鋭くした瞬間だ。
旋回した棍の瞬間が、梓のスカートを引っ掛けた。
めくり上げる。
「ちょっ――!?」
「……白か。色気がない」
「ふふふふふ油断大敵ですぐふぉあっ、あっ、ちょっ、痛っ、冷たっ!?」
「なんっ、でっ、こんなっ、時にっ、までっ!!」
棍による連撃が上杉を打ち据える。
見慣れた光景をうろんな眼で眺めながら、芙雪は思う。
……ああ、馬鹿だ。
総長の言葉を思い出す。“馬鹿は重病だ。百回転生しても治癒しない”との言葉を。
やはり総長は正しい。あれは百回転生したぐらいで治るようなものではない。
目が覚めたら蔵人にも教えてやろう。やはり総長は正しいのだと。
夢想していると打撃音が収まった。身体中に打撃痕を残し、結露の水滴をしたたらせながら上杉が立ち上がる。
「茶番は終わったか?」
「ああはいすいません待って頂いて。ええとですね、率直に言いますが貴方は包囲されてます。――上をごらんください」
上杉が手で上方、立ち並ぶ建造物の上を示す。
そこに、巨人が居た。
機械の遺伝詞を持つ巨人だ。それも複数の。
重騎。長野圏総長連合の徽章を肩部に備えた騎体達だ。
その中で、バスターミナルの上に乗っている騎体の音声素子から、声が響く。
『長野圏第二特務隊長、藤篠・豪。及び第二特務騎師隊だ。投降を勧める』
芙雪は呆然とそれ見て、
「……第二特務が、いつの間に……?」
「いえいえ予定通りですよ矢村さん。――最初から待機していたのですからね」
「――何?」
「つまり……」
上杉は眼鏡を中指で押し上げ、言った。
「荻原君は囮だったのです。理解できましたか?」
「……理解はした。でも納得はしない」
感情を押し込めて告げると、梓がこちらに視線を向けて、
「すいません、おユキさん」
「あなたが謝ることじゃないだろう。それより……」
芙雪は田中に視線を向けた。
新潟最強の男は、伏兵の存在を知らされてなお傲岸不遜。動揺の遺伝詞すら見えない。
「……ここまでやったのなら、是が非でも勝ってもらうぞ」
「勿論。何しろこれだけの人員ですよ。負けるはずなど――」
「その通りだ」
上杉の言葉に、田中が頷きを返した。
顔には笑み。
「この程度の人員で、俺は負けん」
言葉と同時に、田中は走り出した。
方向はバスターミナル。
「迎撃を!」
『判った』
藤篠の重騎が飛び降りてきた。
トン級の重量の落下を前にしても田中は恐れずに疾走。
轟音。
着地した藤篠の重騎の股の間を、田中が走り抜ける。
そして神器の掛詞が響いた。
雪王神器の掛詞だ。
次いで、田中は己の詞を口にする。
熱 音 色 風
全ては停止の定めにある
人 心 時 詞
全ては凍て付き動かない
深々と――
凍結と停止。終結の威を持つ詞だ。
田中は己の詞を謳いながら、バスターミナルに向かって拳を構え、
「凍て付き、砕け散るがいい」
――田中・雪王神器(スノウロウリズム)・発動(テイク)・遺伝詞凍結(ライブフリーズ)・成功(ヒット)!
――田中・腕術技能・発動・正拳・成功!
二動作。
たった二つのその行動で。
『何……!?』
バスターミナルが崩壊した。
冷気を伴った、超重量の大崩落が巻き起こる。
「俺に敗北など有り得んが、これだけの戦力は厄介だ。この場は退いてやろう」
「ま、待ちなさい!」
走り去ろうとする田中に、梓が追いついた。
鎖音も高らかに二本の四柱棍を展開し、凍神神器の掛詞を響かせ、
――梓・凍神/棍術/腕術技能・重複発動・伸長凍結打撃・成功!
――梓・凍神/棍術/腕術技能・重複発動・伸長凍結打撃・成功!
攻撃した。
白い冷気を纏ってチェーンを伸ばす展開式四柱棍の姿は、竜にも見える。二匹の氷竜だ。
双竜が冷気の牙をもって田中に迫る。
だが、
「児戯だ」
――田中・雪王神器・発動・遺伝詞凍結・成功!
冷気の双竜が停止した。
凍結したのだ。
そして田中が振り向きざまに拳を放ち、
「その程度の凍気では、何も停まらん」
砕いた。
凍結物の破砕音は硝子の破砕音に等しい。
「冷気の遺伝詞すら凍らせるなんて……!」
「すべては停まり散り行くのみだ。退屈な余興だったな、長野圏。――次は殺しに来る」
田中が走り去る。
誰も追いかけない。武器を砕かれた梓も、棍から雷神(サンダーハイ)の刃を生み出した上杉も、鋼神(スチールハイ)で騎体を覆った藤篠も、第二特務の騎師(ストライカー)達も。
怖いのだ。
追いかけ追いついて、凍て付き砕かれるのが。
芙雪も動かなかった。
芙雪は、蔵人の身体を強く抱きしめていた。
すがるように。
●
コール音。
「……久遠寺か。下らん策を潰して来た。
……ああ。問題ない。イレギュラーになるかと思ったが、所詮は殺外者だ。器が足りん。障害になることは無い。
ついでだが、副長と副長補佐、第二特務隊長の力量も少し知れた。当初の予定通りだ。一人ずつならば確実に屠れる。
……ああ、やはり少なからずとも障害になるのは総長だけだ。あれは器が知れぬ。異族筋という情報もあったが確認できん。
だがまあ問題ないだろう。……問題ない。問題ないと俺が言っているのだ。判ったな。
……ああ。判っている。油断など有り得ん。……判っている。判っていると言っている。
……そういえば、変わった風水師(チューナー)が居た。首聯(アップ)を使わん風水師だ。鳴弦の響きで風水(チューン)を行い、刃の無い神形具(デヴァイス)を用いていた。
……調べる? 好きにしろ。そちらは頼む。次の連絡を待て」
受話器が置かれた音。
●
松本時計博物館。
ここが長野圏総長連合の本部だ。
その一室に、今は三人が集まっている。
「えー、まず凍結破砕されたバスターミナルですが、何やら遺伝詞的に妙な感じだそうで風水での修復は難しいと。矢村さんの話では“遺伝詞が停まっているから、まず動かさないといけない”とのことで。五行か何かで一度破壊すれば風水が効くそうです」
「そのことは警察の衛生課には?」
「伝えておきました。……とはいえこのあたりは五行師(バスター)はあまり居ませんし、復旧にはかなりの時間がかかるかと」
上杉の報告を聞き、総長――筑摩・深視は鷹揚に頷き、
「五行師か。そういえばそこの負け男の母親は五行師だったな。連絡は取れるのか?」
「……母は四年前に一度帰って来たっきりだ。連絡は取れん。あと、誰が負け男だ」
「ほう。確かにそうだな。――先日も虚霊に負けたというのをヒガシから聞いている。つまりより正確に負け負け男と呼んで欲しいということだな? いい心がけだ。三角をやろう。負けたからマルはやらん」
「いえいえ総長。より正確にすれば三年前と十三年前にも虚霊に負けていますよ彼は」
「なるほど。つまり――負け負け負け負け男というわけだな? 呼びにくい。自重しろ」
「そちらが自重しろ総長。それと……副長補佐、なぜ貴様がそのことを知っている」
蔵人が歯を剥いて告げると、
「ふふふふふ」
上杉は眼鏡を中指で押し上げて笑った。
それだけだ。質問には答えない。
蔵人は嘆息を一つ。立ち上がろうとするが、動きが取れない。
身体中に巻かれた包帯で、椅子に縛り付けられているからだ。
「……おれがいつ解放されるのか、教えてもらいたいのだがな」
「まあ縛ったのは矢村さんですから。――向こうで事後処理の指揮してるお二人が戻るまでは我慢です」
と、ノックの音が響いた。
入れ、と深視が告げるとドアが開き、茶を注いだ湯飲みを盆に乗せて、一体の自動人形が入ってきた。
この館の館員である自動人形、長野・絹子――シルクだ。
彼女は柔和な笑みを浮かべ、
「お茶をお持ちしましたよ。……あら?」
包帯で縛り付けられている蔵人を見て、首をかしげた。
「……拷問ごっこですか?」
「違う」
「なるほど。それも良さそうだ」
「お二人が戻ってくるまでの時間潰しにはなりますね」
「あらあら。――あまり残虐なのはいけませんよ? 音とかが響くとお客さんがびっくりしますから」
「違うと言っているのだがな……」
「無論そのあたりは心得ている。だが――、ちょっとぐらい悲鳴が漏れても構わんだろう?」
「シルクさん目当てでやってくるここの常連さんなら日常茶飯事ですしね。――主に彼ら自身の悲鳴で」
「まあ、ちょっとぐらいなら良いですけれど」
「……包帯を引きちぎって暴れたくなるな」
歯軋りして腕に力を入れると、シルクが目を弓にして笑い、
「お外に出てからにしてくださいね?」
――蔵人・視覚/心理技能・重複発動・表情読解・成功。
彼女は本気で言っている。
――蔵人・心理技能・発動・抑制・成功。
蔵人は深い溜め息をつく。
やはり人にからかわれるのは慣れない、と蔵人は思う。
特にシルクだ。この天然具合は四年前に一時帰宅した母によく似ている。こちらの意思を気にしないところが。
こちらの意思を言葉にせずとも判ってくれる芙雪は、本当に有り難いと思う。
……早く帰ってきてくれ、芙雪。
心底そう思った時だ。
振動が伝わってきた。機械のような規則的なものではなく、軽くゆったりとした振動の連続。
足音だ。それも二人分。
そしてその片方は、蔵人のよく知る者の足音だ。
それらはドアの前で停まり、ノックの音に変わった。
入れ、と深視が告げるとドアが開き、最初に入ってきたのは一羽の鳥だ。
風水で生まれた白の鳥は一直線に蔵人へと向かい、
「っ!」
同化した。
風水で整調化された遺伝詞が戻ってきたのだ。
一度“鳥”という形を介しているため、戻ってきても大した反響はない。
そして、
――蔵人・視覚技能・自動発動・発見・成功。
開いたドアのところに、二つの人影がある。
一人は副長の梓。深視を見て、やや驚いた顔をしている。
そして、
「起きてたんだ、蔵人」
こちらを案じるような表情で、それでも顔に微笑を浮かべ、
「治ってないところとか、ある?」
芙雪がいる。
○
戻ってくるなり周囲視点的にいちゃつきを開始した二人を置いて、梓は姉に問いかけた。
「いつ来たんですか?」
「つい先ほどだ。しかし――」
と、深視は目を細め、
「私が不在の間に核衛の下衆が暴れていたとはどういうことだ。ん? そう思わないか上杉。第二特務を動かして交通規制までやって誘った挙句仕留められないとは。さて、貴様はこの圏の副長と副長補佐と第二特務を全部合わせても田中・核衛一人に敵わないと確認したかったのか?」
「いや、その、――ふふふふふ」
深視に睨まれ、冷や汗を盛大に流しながら眼鏡を拭く上杉を見て、梓はいい気味だ、と胸中で思う。
……あんなときにまでめくるなんて、何を考えているんですかまったく。
上杉に冷ややかな視線を送っていると、
「しかも聞いた話では核衛に色気の無い下着を見せたそうではないか」
「――ちょっ!? 姉さん!?」
「白。清純派なのは良いがやはり色気が無いことは否めない。長野の副長がそんな色気の無い白い下着だったと新潟圏に伝わってしまっては、長野が色気の無い都市だと思われしまう。長野の恥だな」
色気が無いのは恥なんかじゃありません。ってか色気があるのは誇りなんですか。
そう言い返したいところだったが、あいにく動揺が大きすぎて声が出ない。
「そこでは私は先ほど新潟に私自らが起草した写真入副総長成長記録・改をFAXで送っておいた。前に学園都市―筑波の学園新聞の『全国学生連合美人紹介』に添付したものを、さらに改稿・バージョンアップしたものだ。これで新潟も我が都市への認識を改めることだろう」
「な……」
「ん? どうした妹よ。喜びリアクションが足りないぞ。お前に色気が無いなどという誤情報が阻止されたのだ。
ここは万歳三唱にブラボーハラショーオブイェークトと異国式三段賛美をだな」
「――なんでそういうことするんですかー!!」
吼えた。
もし架空都市(エアリアルシティ)―倫敦だったら、音に負けて周囲が字己詞震(ディスセルフ)するぐらいの吼詞(タスク)だった。
さすがの深視もやや驚いた様子で深刻な表情を見せ、数秒考え込んだ後に、
「反抗期か……」
「違いますっ! いえそうかもしれませんけど問題なのはそこじゃなく……、っていうか、見てたんなら止めてくださいよ二人とも!?」
殺気走った目で男二人を睨むと、芙雪に包帯を解いてもらっている蔵人は肩をすくめ、
「身動きがとれなかった。動けても止められなかっただろうがな。――まあ制止はしたぞ。遺伝詞の声で」
上杉は怪しい笑みを浮かべながら中指で眼鏡を押し上げ、
「ふふふふふ。……私が総長様を止められると思ってます?」
「……敵しかいない……」
うなだれる。と、おろおろと芙雪、あらあらとシルクが、
「えっと、その、……気を落とさずに? ほら、いつものことだろう?」
「落ち込むのはいけませんよ? ……思考には底が無いので落ち続けますし」
励ましてくれているのか追い討ちをかけたのか判らなかった。
と、いつの間にか背後に立っていた姉が肩を叩き、
「まあそう気を落とすな。私はいつでもどこでも絶対に味方だ」
「――帰りますっ!!」
梓は泣きながら走り去った。
最終更新:2009年05月22日 07:25