「さて」
さて、という言葉を会話の切り出し文句に使用するというのは、探偵小説のセオリーに対する皮肉を孕んだかの有名な格言の示すとおりに、文章におけるオリジナリティの乏しさと一種の語彙の少なさを露呈する恐れのある、古典的な言葉遣いとして認知している人間は実のところそれなりに多い―――ということは恐らくないだろうが、とにかくそんな思考も考察も一切なく、奇野の隣に座る少女――
萩原子荻はごく自然な口調で話を開始した。
「竹取山の麓においてこのゲームの主催者のささやかな配慮としてセッティングされていたと思われるジープを見事発見・獲得した私たちはそれに乗って竹林から森の中へと移動し、今現在進行方向上にある研究施設なる場所を当面の目的地として移動しているわけですけれど、異論はありませんね?」
「………セリフがえらいこと説明臭いのは異論の対象になるのか?」
「テンポ重視です」
何だそれ。
ジープの運転席に座っている男――奇野は、あたりの大木に注意を払いながらハンドルを左右に回す。ヘッドライトに照らされて見える景色は、草と木と砂利の埋まった土ばかりで、到底道と呼べるようなものではない。普通の車であれば、走ることもままならないような悪路だ。
子荻の指示により、スピードはあまり出ていない。安全のためというわけではないだろうが、今ここに限っては、その理由でも間違いではないのかもしれない。
「同じ風景ばっかで方向感覚狂うな――この方向でいいのかよ?」
「問題ありません。少し迂回する形にはなりますけど、傾斜の方向にそって行ったほうが効率もいいでしょうし」
地図も、どころかコンパスすら見ずにそんなことを言う子荻。
さっきからずっと、手元でシャープペンシルをカチカチ言わせて遊んでいる。
「目的地に異論はないけどよ」ハンドルを切りつつ、奇野が疑問を呈する。「そこに着いたら、何する予定なんだよ」
「とりあえずは調査、探索、情報収集ですね。またなにか、面白いものでもあれば見っけもんですけど――」
くるり、と指先でシャープペンシルを回転させながら言う子荻。
「ビギナーズ・ラックに期待するのは一度だけにしておきましょう。あらかた調査が終了したら、すぐに次の場所へ向かう予定です」
「ふぅん?」奇野は少し訝しげに声の調子を上げ、「そこに腰据えて待ち伏せるとか、そういうのはないのか」
まだ誰にも荒らされていない場所だとするなら、そこを拠点になるべく動かないというのも手のひとつだと思うのだが。
「それも有効でないことはないですけれど」疑問を予想していたかのように、するりと答えを返す子荻。「今の時点では、あまりお勧めできない策ですね」
「何でだ」
「まず理由のひとつとして、私たちには『眼』があります。それから『足』も」
子荻はポケットを指で弾く仕草を見せる。『眼』というのは、あのレーダーのことを言っているのだろう。
『足』というのは、このジープのことか――。
「これほどに使える機動力を手に入れて、ひとところにジッとしているというのもナンセンスでしょう。いつまで留まっていられるかどうかも分かりませんからね。地の利を得ようというならむしろ、ひとつでも多くの場所を把握しておく方が後々のためにもなります。ウォーゲームのマッピングよろしく、ね」
ゲーム――またその言葉を使うのか。
そしてさらに『眼』ですが――と子荻は続ける。
「遠くからでも、相手のいる位置がある程度把握することができる以上、相手の先をとるのはそう難しいことではありません。堅牢な城壁に頼る必要なく、私たちは迎撃の体制を整えることができる」
アドバンテージがあります。
子荻はそう言った。
「だから私たちに限っては、こんな森の中の施設で待ち伏せなんてしても、得られるメリットは少ないというわけです。精々、リスクが少ないという程度のことですね」
「成程――ね」
一応、納得した風を装った奇野だったが、内心ではいまいち釈然としていないところが大きかった。
それは一所に留まる必要性がないことを示す理由であって、待ち伏せという選択を否定する理由にはなりえないんじゃないか――?
その疑念は間違ったものではなかったが、奇野がその考え方に対し違和感を拭いきれなかったのは、子荻が有効だと考える戦略の方向性が、奇野の持つ性質と噛み合わないことが原因としてある。
『呪い名』という、性質。
――精々、リスクか少ないという『程度』のこと―――
奇野と子荻の戦闘に対する意識は、まるで別物といってもよい。
「僕としてはむしろ、籠城作戦のほうを推したい所ですけれどね」
奇野の疑念をあっさりと代言するような声に、子荻は後部座席を振り返り、奇野はバックミラーに目を向ける。
「どうにも体調が優れないもので。今はあまり、あちこち動き回ったりしたくない気分なんですよ。本調子に戻るまでは、なるべくジッとして過ごしたいところですね」
わざとらしく疲れた声。仮病を使おうとする子供のようだった。
「あら」そんな様子を気にとめる気配もなく、子荻がそれに応じる。「それは私たちに対する恨み言でしょうか? 石凪さん」
「いやあ、そういうつもりで言ったわけではありませんけど」
くすりと、口の端だけで笑い、
「何しろつい先程まで生死の境をさまよっていたも同然の身ですから。そういうつもりで言ったほうが、むしろ間違いではなかったかもしれませんね」
「安心してください石凪さん。今はちゃんと生きていますから」
「理解してますよ。生きてなければ、僕はこんなに不調を感じてはいませんからね」
「そうですか。一応、後遺症が残らない程度には治療してさしあげたつもりですけれど」
お互いに、とてもいい笑顔を向け合う二人。
恐ろしいくらいに含みのある笑顔ではあるが。
「………」
数時間前、奇野と子荻があの竹林の中で邂逅を果たしたすぐ後に、二人はこの少年――
石凪萌太と出会った。
否、出会ったというのは正しくない。奇野たちと同じく竹林の中をさまよい歩いていた石凪萌太を二人が一方的に発見し、石凪がそれに気付くより先に二人が攻撃を仕掛けた――というだけのことだ。
攻撃に際し、子荻が『生け捕り』を提案したとき、奇野は確かに戸惑いを感じた。
中途半端だと思ったのだ。
この状況で、リスクを負ってまで生け捕りにするメリットがあるのかと。不意打ちまでふっかけるくらいなのだから、殺してしまうべきではないのかと。
結果的に、生け捕りには成功したのだが。
今のところ、それが正しかったのかどうか、奇野には判断がついていない。
なぜなら奇野は、会話のひとつも交すことなく、どころかまともな戦闘と呼べるようなものさえ行わないままに、石凪の身体を封じてしまったのだから。
有無を言わさず、というやつである。
奇野の能力――『病毒』を持ってして。
呪い名がひとつ、『奇野』に属する人間は、その身体に膨大な量の毒物を仕込んでいる。
微毒から猛毒まで。
既知のものから未知のものまで。
ありとあらゆる種類の、毒を。
その能力の凶悪さは、意識を取り戻す前の石凪の症状を見れば、火を見るより明らかである。
ただし奇野が勝利(と呼んでいいものかどうかも怪しいが)を収めることができたのは、その能力のおかげというわけではない。
子荻のおかげだ。
萩原子荻の弄した策が、見事なまでに物を言った。
完全なる不意打ち、芸術的なまでの騙し討ち。
勝負ですらなかった。
甲虫を捕えるが如き容易さで、子荻は奇野を『使い』、見事標的を生け捕りにしてみせた。
雀の竹取山という、彼女にとって「地の利」に恵まれた場所であったとはいえ―――
萩原子荻。
『策士』としての技量は、尋常ではない。
「まあ、前提だけで考えすぎても仕方ありませんけどね」
子荻は事なげに言う。
「石凪さんの言うとおり、闇に伏して待つのもひとつの手であることは事実です」
戸惑いを感じたと言えば、それは後部座席で優雅な笑顔を浮かべているこの男――石凪萌太に対してもあった。
今さっき生死の境がどうこうとか言っていたが、奇野が石凪に使用した『毒』はそれほど悪質な類のものではない。即効性で意識レベルを極端に低下させることはできるが、いわば麻酔に近い働きをするもので、解毒剤を使用せずとも、数十分から数時間で自然と回復する程度の持続性しかない。
だから実際には子荻の言ったような『治療』など行ってはいないし、後遺症など残ることもまずない。つい数十分前に自力で回復し、正常な意識を取り戻したばかりである。
そうして目を覚ました石凪に対し、子荻はさっそくといった感じで、奇野にしたのと同じような『交渉』を持ちかけた。
あまりにもあっさりと、側で聞いていた奇野が呆気にとられてしまったくらいにあっけらかんと。
私たちと一緒に行動しませんか―――と。
そして結果、『石凪』は―――
――構いませんよ。
――ちょうど、誰かと組みたいと思っていましたから。
――むしろこっちから頼むところです。
あまりにもあっさりと、奇野たちとの共同戦線を受け入れた。
何なんだ? こいつらは―――
「ああ、いや、さっきのはほんの軽口ですから、どうか気になさらず」
少年――石凪は言う。
「さっき見せてもらった地図ですけれど、いくつかこの目で確認しておきたい場所がありましたから――できるなら僕も、積極的に移動する方針に賛成です」
「そうですか。じゃあ――」
奇野は、自分の隣に座っている少女に対しどういう感情を抱けばいいのかどうか分からなくなってきていた。
ありきたりで、適当で、ざっくばらんで、場当たり的なように見えて―――
それでいて、うまくいく。
手中に収めるが如く、思いの通りに事を運ぶ。
一見すると、何も考えていないようにすら見えてきてしまうくらいに。
「奇野さんは、どうされますか?」
だから奇野は、
「俺も別に、それで構わねーよ」
だから奇野は、考えることをやめた。
「今は行き先でグダクダしててもしょうがねーでしょ。どのみち行きあったりばったりに近いんだから、サクサク行こうぜ」
詳しいことはその後でいいだろ、と、奇野は適当な感じでまとめた。
今はまだこれでいい。今は迷う必要なんてない。疑惑なんて、最初からあってないようなものだ。
考えるな、戸惑うな、躊躇するな、思考に足を取られるな。
生き残るためには、今はこれでいいはずなんだ。
「では、満場一致で決定ということで」
かちり。子荻の手元でシャープペンシルが鳴る。
「迷わず惑わず、行くとしましょう」
話している間に、東のほうからうっすらと空に色が付き始めてきているのが木々の隙間から見えていた。あと一時間もすれば十分な明るさが得られることだろう。
そうすれば一層、他の参加者とのエンカウント率も高くなってくる。
本当の戦いは、まだこれから先か―――。
二人とも無言だった。
萩原子荻が第一棟内に入ってから、奇野と石凪は互いに一言も喋らず、次の建物へ向けて歩いていた。単に交わすべき言葉がなかっただけなのかもしれないし、何か言うべきことがあったからこそ、あえて何も言わなかったのかもしれない。
もっとも現実的に考えれば、互いに警戒し合っていただけのことなのかもしれないが。
『殺し名』――石凪萌太。『呪い名』――
奇野頼知。
異端中の異端と、異形中の異形。
沈黙を生むには、十分に足る組み合わせ。
「………」
奇野は自分の能力について、子荻には既に(曖昧にではあるが)話してある。子荻が竹取山の中で論じていた、参加者のバランスと制限についての話は、奇野の持つ能力が健在だったことを根拠としたものだったのだろうが――ただ奇野は、その話に関わる最も重要な部分をひた隠しにしている。
奇野は自分の身体に制限が加えられていることに、ゲームの最初から気づいていた。
今の奇野頼知が使用できる――他人に『感染』させることのできる毒物の種類は、通常の時と比べ、極端に少なくなっている。使用できないと言うより、単純に『ない』のだ。すっぼりと抜き取られたように、大量の『毒』が奇野の体内から消滅させられている。
こういうのも一応、解毒というのだろうか。
奇野が使用することのできる『毒』の数は、今や百種類にも満たない。
体力のほうには、何の制限も加えられていないとはいえ―――
奇野にとっては、圧倒的すぎる制限である。
だがそれは同時に、奇野を安心させる材料でもあった。奇野にこれほど絶大な制限が加えられているということは、他の参加者――例えば隣にいる『石凪』にも、同様に制限が加えられているということ。実際、奇野たちがこの石凪を仕留めることができたのも、不意打ちの策が成功したことの他に、『殺し名』としての戦闘能力がある程度削がれていたことがあるのだろう。
加えて今は、回復してきているとはいえ、奇野の『病毒』が効いている。
油断さえなければ、簡単に殺されることはないはずだ。
「………ふぅ」
考えている間に、第二棟――奇野に割り当てられた建物の前に到着する。第一棟より一回り小さい。入口の造りは同じで、見た目としては自動ドアのような感じなのだが、どうやら手動で開ける必要があるらしい。扉の脇に数字キーのついたパネルのようなものが設置されていたが、押してみても何の反応も示さない。機能していないのだろうか。無言のまま中に入ろうとしたところを、「ところで奇野さん」と、後ろから唐突に呼び止められる。
奇野はとっさにサングラスを装着し、それをつい、と軽く押し上げながら、長髪を風になびかせるようにして振り返る。
「ヘイ、何かなボーイ」ばさあっ、と前髪を派手にかき上げ、「ひょっとして今、俺の名前を呼んだのかい?」
「無理矢理にキャラ作ろうとしなくてもいいんですよ」
ぐさっ。
「あのお姉さん――萩原さんですけど、気をつけておいたほうがいいと思います」
くそ、火傷覚悟で頑張ったのに。
氷河期召喚しちまったじゃねえか。
「あー……気をつけるって何に?」
「あの人は少なくとも、僕たちと相互関係を築こうなんて微塵も思ってはいませんよ。言っていることが、嘘とか本当とかの次元じゃないんです。魂がまるで籠っていない」
「………さっきは、信じましょうとか言ってなかったっけか?」
「信じたほうが効率的だったというだけの話です。数の利が欲しいのは僕も同じですし――今はなるべく、誰とも戦いたくはないですから」
「………死神が」
「元・死神ですよ、奇野さん」
石凪は笑う。笑顔の他に、表情を知らないといった風に。
「何を殺し、何を殺さないかは僕自信が決めます。『殺し名』も『石凪』も関係ない。こんなゲーム、真面目に参加する気なんて最初からありませんよ。ただ――」
あなたはどうか分かりませんけどね、奇野さん――と、石凪は静かに言う。
笑顔だが、目が笑っていない。
射すくめるような視線を、遠慮なく飛ばしてくる。
「………何だかんだ言って、結局根に持ってんのか?」
少し考え、奇野は虚勢を張ることにした。
「熱くなんなよ、ガキ。こーゆー場合、『内輪揉め』が一番の死亡フラグだってことくらい分かってんだろ? 無駄なことに燃料使うなって。今はお互い――」
「浅野みいこ」
不自然なくらいに感情の籠らない声。
「覚えていますか? この名前」
「………?」
浅野――みいこ? 誰だ? 聞き覚えはある………ような気はする。それも割と最近。みいこさん――誰かがそう呼んで………みいこさん………みいこだから、みーちゃ――
「あ」
「いつぞやは、僕の身内がお世話になりました」
ぺこりと、慇懃に頭を下げる石凪。奇野にはもちろん、その仕草は皮肉以外の何にもとれない。
………身内だと?
「誤解しないでくださいね。別にそのことを理由に、あなたとここで敵対しようだなんて思ってはいませんから。それとこれとは別、というやつです。ただあなたにとって、僕は全く縁のない相手ではないということを、ゆめゆめお忘れにならないよう………ああ、それとついでにもうひとつ」
そして実際、ただのついでと言わんばかりの軽い口調で、
「
哀川潤もここに来ていますよ」
「………!」
「心ばかりの忠告ですけれど――哀川潤はおそらく、あなたを敵視するでしょう。十三階段の十二段目、《病毒遣い》、奇野頼知をね。後から恨み言のないように言っておきますが、僕は彼女を敵に回してまで、あなた達と仲良しこよしでいるつもりはありませんよ。僕が誰を殺すかと同じく、誰を味方とするかもまた、僕自身で判断させていただきますので、そのつもりで」
言うだけ言って、石凪は奥の建物の方へと向けて歩き始めた。すたすたと、軽やかな足取りで奇野から遠ざかっていく。
「………………けっ」
そんな後ろ姿を最後まで見送ることなく、奇野は目の前の無骨な絶縁扉に手を掛けた。
ずずぅ、という重々しい音とともに扉が開かれ、内側と外側の絶縁が解き放たれる。ひんやりとした風が中から吹き付け、それが肌を僅かに粟立たせる。
いっそのこと、異界にでも通じてりゃいいのに―――そう奇野は思い、中へと一歩、足を踏み出した。
それもまた、貧困な発想だった。