逢魔が時(大凶刻)《後編》
「随分とまあ、ごてごてとした屋敷だな……」
「それ、あんたが言っていい台詞じゃないでしょうに」
とがめの呟きに、
否定姫が速攻で突っ込みを入れる。とがめの住んでいた屋敷を指して言っているのだろう。
しかし当然、豪奢に見えるのは外側だけだった。
兵どもが夢の跡。その言葉に違わず、屋敷内は見事に荒涼としていた。とがめや七実、ともすれば否定姫にとっても見慣れぬ洋風の建築様式ではあるが、こうも内部が破壊しつくされた建築物をして様式もへったくれもあったものではないだろう。
入口付近はまだ元の形を維持できている程度ではあったのだが、奥に行けば行くほどその破壊具合は凄惨さを増している。
瓦礫の山というよりは、瓦礫の海といったほうが適当かもしれない。壁も扉も天井も調度の類も、あらゆるものが壊され、崩され、砕かれ、潰され、それらの残骸がいっそ芸術的なまでに床一面を覆い尽くしてしまっている。もとの形などわかるはずもない。わかるのはせいぜい材質と、この建物は爆撃に耐えうるほどの強度を有していない、ということくらいだ。
「暴れも暴れたりだな……倒壊していないのが、これだと逆に不思議なくらいだ」
七実を除けば、ここで戦闘を交わしていたのは四人。たった四人が暴れまわった程度でこの惨状である。
しかも七実の話によると、その四人全員がほぼ徒手空拳で闘っていたというのだから恐るべしだ。
「まにわにの忍者さんは言うに及ばずですけれど――」瓦礫の海を越えながら七実が言う。「他の皆さんも、それに優るとも劣らずの使い手さんたちでしたね。一進一退、引きも切らずの見事な攻防でした」
「そんな連中を、そなたはひとりで一蹴しておるわけなのだがな……」
加えてその四人の戦闘技能のほとんどは、七実の持つ技術――見稽古によって、既に取り込まれてしまっていることだろう。
つくづく化物と言わざるを得ない。
……いや、化物すらも凌駕する――天才か。
「まあ、仕留められたのはひとりだけでしたけどね、結果だけをいえば失敗ですよ。……あの女が邪魔さえしなければ、あとひとりくらいは逃がさなかったのに。残念です」
「……空蝉、とかいう術を使うのだったか? そなたの話を聞いた限りでは、忍術と同じようなものだという印象を抱いたが……変わり身の術と似たような技術なのだろう?」
「構造としては、まあ同じようなものでしたね。素晴らしい技術でしたけど、種も仕掛けもある分、いちど仕組みが割れてしまえば以外に脆い――というのが非常に残念な点でした」
すぐに看破できてしまいましたし、と七実は言った。
まあ、それはそうだろう。
変わり身の術とは、要するに敵の盲点を突く、相手の眼を欺くための忍術だ。
盲点を突く。
眼を欺く。
鑢七実を相手に、これほど虚しく響く言葉もそうあるまい。
「あ、そういえば」と、とがめたちのほうを軽く振り返る七実。「先ほど少し、話しそびれていたことがあったのですが」
「…………?」
話しそびれていたこと?
「七花のことか?」
「いえ、この首輪のことです」
そう言って、こんこんと指先で自分の首輪を叩いて見せる。
「島でこの首輪についてお話しした時に、わたしは確か、中身を見ないことには詳しいことはわからない――と言いましたよね」
「言っていたな」
実際のところ、それがとがめにとって一番不気味に感じている点なのだが。
わからない、と言ったのだ。
あの鑢七実が、目前の物をして、わからないと。
「それがどうかしたのか? ……というか、その首輪の中身を調べるために、わざわざここまで歩いてきたのだろう?」
「見てました、実は」
「は?」
見ていた?
「見ていたとは――何を」
「ですから、この首輪の中身的なもの――みたいな?」
「みたいな?」
疑問形?
「……どういうことだ? 中身を見たって、いったいどこで、どうやって――」
「覚えていませんか? とがめさんたちも見ていたでしょう? あの奇妙な白い空間に、まにわにの忍者さん達が勢ぞろいしていたのを」
「あ――ああ、」
成程、ととがめは思った。
最初にとがめたちが連れてこられた、あの奇妙な白い空間での出来事。
真庭忍軍十二頭領――あの空間に並んでいた連中の頭部のうち、九つを一瞬にして消し飛ばしてみせたあの爆発。あれは確かに、この首輪によるものだった。
立て続けに九回の爆破。今でも鮮明に思い起こすことができる。
あの爆発のことを、七実は言っているのだ。
爆破が首輪の機能の一部ならば、その仕掛けは当然首輪の内側に組み込まれているはず。それが発動したとなれば、必然、爆破の残骸という形で中身が外側に晒されることになる。
見て――いるのだ。
「あの時に、首輪の中身を見たということだな? しかし、なぜ早くそれを言わなかったのだ。それを見るためにわざわざここまで来たというのに、余計な手間ではないか」
「見たとはいっても、所詮は爆発の残骸でしたから。結局それほどのことはわからなかったんですよ。爆発の規模や種類なんか、わかったところで何の役にも立ちませんしね」
「むう……」もっともな言い分だった。普通に考えれば、粉微塵に吹き飛んだ物の仕組みを後から見て分かれなど、無茶な要求もいいところだ。「……何か見えなかったのか? 些細なことでも、有益な情報になりそうなものは」
「うーん。何というか、ここへ来てからいまいち調子がおかしいんですよね、わたしの眼。以前と比べて、見定めがうまくいかないというか……眼にごみでも入ったんですかね――」
ごしごしと目元をぬぐう七実。そんな原始的な理由で見損なわれてたまるか。
「ですから、わたしがあの時に見ることのできた情報といえば、どれもまだ確信的に言えないようなものばかりなんですよ。どちらかといえば、印象に近い段階というか。だからどうしても予断で話すことになってしまうので、ちゃんと調べてからお話ししようかと思っていたのですけれど――」
なるほど、裏付けがとれていないがゆえに、話すのを保留していた――ということか。
しかしそれでも、情報は情報だ。
「別にそれで構わぬよ。そなたの印象ほど、信頼できるものもないからな」
言いながらもとがめは、あの時の、赤い服の男と真庭蝙蝠との会話を思い出していた。
バランス――均衡、配分を保つための制限。
まさかあれが、七実に対しても――?
「わかりました」と七実は言い、「では、わかっている範囲で説明させていただきます。まず問題の爆破の仕掛けに関してですけれど、どうやら首輪の中をぐるっと一周するように、環状に仕掛けが施されているようですね。どこか一ヶ所でも連結が途切れてしまうと爆発するようにできているようです。――まあ、これはわざわざ言わなくとも予想できることかもしれませんが」
確かに、とがめにもそれは聞く前から見当はついていた。一部でも断ち切られれば作動する仕掛け。外すことはおろか、解体することも容易ではない作りというわけだ。
「じゃどうするの? 中身調べるっていって、壊したら爆発するんじゃ調べる以前の問題じゃない」
「解体する前に、爆破の仕掛けのほうだけをどうにかできる手段があればな……」
「例えば?」
「……外側から電気を流し込んで、仕掛けを故障させるとか」
「はい却下ー。流した瞬間爆発する可能性大よそんなもん」
「なんだ、きさまには何か妙案があるというのか」
「さあ? どうしましょう七実さん」
「さあ? どうしましょうとがめさん」
「…………」
丸投げ式。
首輪の仕組みを調べるために解体しなければならないのに、解体するためには首輪の仕組みを知らなければならない。堂々巡りだ。
とがめは余計な手間だとは言ったが、このままでは無駄な手間になりかねない。
「まあ、そう簡単に外せたら苦労はいらないわよね」否定姫が言う。「とりあえず調べるだけ調べてみて、最悪、首輪の回収だけでもしておけばいいでしょ」
いいのか、と少し思ったが、妥当な線としてはそんなところなのかもしれない。
というか、何かもう色々と大雑把すぎる。
命がかかっていたはずではなかったのか。
廊下をしばらく歩いたのち、七実が瓦礫の山の前でふいに足をとめる。ぶん、と腕を振るうと、積み重なっていた瓦礫が音を立てて吹き飛び、その向こうに一枚の扉が現れる。
「この部屋です」
広い部屋だったが、そのぶん破壊の跡も一入だった。明かりがなく、足下がかなり見えづらい。光源となるべきシャンデリアが瓦礫の一部と化しているせいだろう。
「この暗闇の中で瓦礫の上を歩き回るのは危険だな……目が慣れるまで、ここでしばらく――」
言いかけた瞬間、顔へ唐突に光が浴びせかけられ「うわぁあぁ!」と思わず叫んで顔をそむけるとがめ。何事かと目を戻すと、いつの間にか七実がこちらを向いて目の前に立っている。その手には、光を放つ円筒形の何かが握られていた。
「荷物の中に入っていました。灯りとして使う道具のようです」
言われて、とがめも自分の荷物の中からそれと同じものを取り出してみる。七実のいう通りに操作すると、先から光の筋が放たれる。なるほど、これは便利だ。
「見て見てー、幽霊ー」と自分の顔を下から照らして遊んでいる否定姫をとりあえず無視し、慎重に足下を照らしながら瓦礫の上を進んでいく。
目的の「もの」はすぐに見つかった。
若草色の着物を着た、首から上が粉々の肉塊と化している、女の死体。七実から聞いていた通りの造形。
闇口憑衣の死体だろう。
首輪はすでに千切れた首から滑り落ち、瓦礫とどす黒く変色した血肉にまみれて転がっていた。七実はそれを特に何の感慨もなさそうにひょいと拾いあげ、光をあてながら目の前にかざす。
「生きた人間に、完全に気配を消すことが不可能なように――」じぃっと、内側まで抉り、覗き込むような眼で、「造られた物にも、綻びは必ずできる。どんなに完璧に近いものでも、隙は必ずあるはずです」
観察に入った七実から視線を外し、とがめは闇口憑衣の死体に目を落とす。
この闘いが「本物」である証拠だ。
なぜ自分がこんな闘いに――などという栓のない思考については、とがめは既にうっちゃっているが、この女はどんな心情をもってして、この闘いに挑んでいたのだろうか。
七実から聞いたところによると、この女は瀕死の重傷を負わされてなお、七実の足を掴み、戦闘の意志を見せたのだという。
そこまでする意味が、彼女にはあったのだろうか。彼女にとっての何が、それほどまでに強固な意志を自身に持たせたのだろうか。
自尊心? 使命感? 忠誠心?
何にせよ、事情をしらぬとがめに推察できたことではないが……。
「…………ん?」
「何? どうかした?」
「…………いや」
横から訊いてくる否定姫に首をふって、もう一度、目の前の死体に意識を戻す。死体の全身がよく見えるように明かりを照らし、七実と同じように、その若草色の着物をじっと見つめる。
目の錯覚だとは思うが、今、ほんの一瞬だけ――
死体が――動いたような。
「分かりました」
「え?」
七実の声だった。視線は変わらず首輪へと向けられている。
「何か分かったのか、七実」
「ええ、この首輪の外し方が」
「はぁ!?」
さらりと。
あまりにもあっけなく、七実はそれを口にした。
「ほ――本当か?」
「ええ、今度こそ間違いなく。やはり爆破の瞬間を見ていたのが幸いしましたね。あの時に見ていたものと合わせて、ようやく全体の構造を見通すことができました」
「………………」
こんな、こんな簡単に……?
拍子抜けというか、もう逆にびっくりだ。
「馬鹿な……こういう大事なことは、最終話近くになってようやく判明するのが常識のはずではないか…………」
「はい?」
「あ、いや……何でもない」
何だろう、今の台詞は。
無意識のうちに口に出していた。
「じゃあ――」
じゃあ今すぐに外してくれ、と言おうかと思ったが、方法をまず確認しておくことにした。疑うわけではないが、あっさりすぎて信用するに足りない。
「――どうやって外すのか、まず説明してくれぬか」
「わかりました」確認のためか、首輪に顔をよく近づけ、「要するに、この首輪は――――」
言いかけた、その瞬間。
ぼぅん、と。
くぐもった音とともに、七実の持っていた首輪が爆発した。
「……………………え?」
ぐらりと、七実の身体が斜めに崩れ落ちる。
小規模な爆発だったが、それはあくまで殺傷目的の爆発。首輪を握っていた右手も、観察のために近付けていた顔面も、当然、無事で済むはずもなく――
「…………な、」
どさり。
闇口憑衣の死体と並ぶようにして、瓦礫の上へと倒れこむ、七実の身体。
火薬の臭い。血肉の臭い。
右腕と、頭部の前半分を破壊され、鑢七実は絶命した。
「…………な、…………な、…………な、」
なんだこれは。
落ち着け。落ち着け。とがめは自分に言い聞かせる。冷静に、冷静に考えろ。冷静に、状況を把握しなくては――
しかし、状況はとがめを落ち着かせてはくれなかった。
ぼぅん、と、二度目のくぐもった爆発音。
反射的に明かりを音の方へと向ける。ぼんやりとした光の中に、否定姫の姿が浮かび上がる。
ただし、首から上を除く。
金色の髪も、青色の瞳も、そこには跡形すらない。歪に抉れた首の根本からぷしゅううううぅぅぅぅぅぅぅぅと噴水のように大量の鮮血が溢れ出し、エプロンドレスを真っ赤に染め上げていく。
べしゃりと、七実と折れ重なるようにして、否定姫もまた瓦礫の一部となった。
「…………!」
とがめはもはや絶句していた。
鑢七実と否定姫。
つい今まで会話を交していたはずのふたりは、一瞬にしてただの肉塊と化した。
爆発音の余韻が、頭の中でわんわんと反響する。目眩がするのはその音のせいだけではないだろう。
……なぜだ?
なぜ首輪が爆発する? それも片方は、既に死んでいる者の首輪が。
――いや、そっちのほうはむしろ説明がつく。七実はその首輪を使い、解体の仕方を実演しようとしていたところだった。とがめの見た限りではまだ何かをしたようには見えなかったが、もしあのとき七実が「何か」をして、それが首輪の内部を刺激したとなれば、必然、仕掛けを作動させてしまうことになるだろう。
腑に落ちないところがあるとすれば、その場合だと七実の見定めが誤っていたということになる。ああも確信的に「分かりました」と言っていたにもかかわらず、解体に失敗したというのが納得いかない。
相手はあの七実なのだ。
誤爆などで死ぬ器だとは思えない。
仮にそうだったとしても、それでは否定姫の首輪が爆発したことに説明がつかない。首輪に触れてすらいないのだから、誤爆のしようがあるまい。
だとしたら……どうなる?
可能性。
妥当性のある可能性。
「…………まさか」
首輪の爆破。
それを見るのは、これで二度目だ。
一度目は?
一度目は、何が首輪を爆発させた?
真庭蝙蝠。
これはまさか、あれと同じく――――
「脱獄囚は即ち死刑――そんなことすら理解していなかったのですか、貴女達は」
「――――!」
誰かいる!
身構えたとがめに、黒い人影が覆い被さるように組みつく。抵抗する間もなく瓦礫の上に仰向けに倒され、衝撃に軽く絶息する。
ぴたり、と。
首にかけられる、ひやりとした両手。
当然、首輪を避けて、素肌に直接。
死体のような、体温の伝わらない手のひら。
「…………ぐ、」
動けない。
腕の力は大したことはないが――いや、これは手加減しているのだろう。振りほどけない、そして息の根を止めないぎりぎりの力で絞め付けているようだ。
「まあ、状況に逆らって逃げ出そうとするのも分からなくはない。それは恐怖から来る本能、防衛意識の現れだ。しかし、やはり迂濶と言わざるを得ないな……愚かとまでは言わないが」
ほとんど独り言のような喋り方。
声の聞こえ方から、その声の主と、とがめを絞め付けている人物が別であることに気付く。
……二人いるのか?
暗闇の中、ぼんやりとしか見えない人影は一言も声を発さず、男かも女かも知ることができない。すぐ目の前にいるのに、顔の輪郭すらも曖昧な、虚ろな暗影の集合体。
「ねえ貴女――白髪の美しいお嬢さん。人にはすべて、与えられた役割があるべきだと、そうは思いませんか?」
……何を言っている?
「あの人も、僕に役割を与えてくれた。しかし僕は、その役割に甘んじることができなかった。僕の思う方法で、あの人の望むものを見せてやろうとした。でも結局それはあの人が望んでいたものとは違っていて、結果的に裏切りになってしまったんだけどね……まあ、それも僕にとってはむしろ望むところだったさ。僕はその選択を後悔してなどはいない。自分の役割をまっとうしたのだと、そう信じている」
囁くように、声だけが聞こえ続ける。
すぐ近くにいるはずなのに、どこから話しているのかすらも分からない。
「しかし――僕はその代償として、果たすべき役割を失った。……いや、果たすべき役割を果たすための能力を失った。それは僕にとって、存在理由を失うに等しかった。恐怖だったよ……首を落とされるより、手足を潰されるよりも激しい喪失感に、僕は苛まされることになった。あの時に、僕は一度死んだ。……死んだも同然だった」
……何を、
「死とはそういうことですよ、白髪のお嬢さん。しかし、僕は今生きている。生き返ったんだ。力は再び僕のものとなり、僕は再び存在理由を得た。役割を与えられたんだ。この戦場の中で、僕の果たすべき役割を」
……何を言って、
「僕は感謝している。この殺し合いを主催した人物に。そして僕を、参加者のひとりとして選んでくれたことに」
……こいつは一体、何を言っている?
「だからこそ、僕はここでも与えられた役割を全うしなければならない。貴女だってそうだ、白髪のお嬢さん。逃げてはいけない。これは生き残るための義務のようなものだ。義務を果たさぬ者に、生きる権利は与えられない。ただ殺されて、死ぬだけだ」
「く……は…………っ」
じわじわと。
とがめの首にかかる力が増していく。
「決断の時だ、白髪のお嬢さん」
とがめの手に、何かが握らされる。細長く、しかしずしりと重い、ちょうど片手で握りこめる形状をした何か。
なぜかその感触だけで、それが小刀であることが明確に理解できた。
「殺らなければ殺られる。死にたくなければ、その小刀で目の前の相手を殺すんだ。それは貴女にとって権利を獲得するための手段であり、同時に果たすべき役割でもある。誰にも憚ることはない。さあ、生か死か。自分のその手で選ぶんだ」
ぎちぎちぎちぎち。
その言葉を合図にしたように、首への圧力が一気に強まる。
今度こそ本気の――本物の殺意を感じさせる力。
同時に、とがめの右手が小刀を強く握りこむ。
ぶつぅん、と、頭の中で何かが弾ける感覚。
「…………っ!!」
躊躇はなかった。
渾身の力をこめて、小刀を相手の胸部――心臓のあたりを狙い、一気に突き立てる。
血とともに、肉を破壊する生々しい感触が小刀を経由して、右手へと伝ってゆく。
人影は、びくんと身体を大きく痙攣させ、直立の姿勢のまま一瞬だけ固まり、そのまま断末魔も最期の抵抗もなく、あっさりと瓦礫の上に崩れ落ちた。
「かはっ……はあ……っ! ごほっ!」
喉をおさえ、苦しげに呼吸を整えるとがめ。頭がくらくらする。酸素か、血液か。どちらにせよ、あのまま絞められていたら確実に脳内部から死んでいた。
「お見事だ。よくやったよ、白髪のお嬢さん」
ぱちぱちぱち、と、乾いた拍手の音。
「これで貴女は、生き残る権利を得た。その首輪ももう大丈夫だろうね。そこに転がっている二人のように、首を吹っ飛ばされるようなことはもうないだろう」
「…………誰だ、きさまは」
ふらつく足で、とがめは無理矢理に立ち上がる。小刀はまだ、右手にしっかりと握られている。
「見えない所からこそこそと……不愉快極まりないな。話があるなら、直接わたしの前に出てきてみろ。顔も見せられぬような相手と、わたしはこれ以上話すつもりはない」
静かに虚勢を張る。
内心では、殺されかけた恐怖に加え、今の状況にも相手の言葉にも理解が追いつかず、焦燥状態だった。
「逃げも隠れもしないよ。僕はここにいる」
今度ははっきりと、声のする方向がわかった。とがめが小刀を突き刺した死体、それを挟んだ向こう側に、ひとりの男が立っていた。
姿を表した気配すらなく。
まるで、初めからそこにいたかのように。
「はじめまして、と言っておこうか」
とがめと対峙したその男は、微笑とともに名乗りを上げる。
「僕は
時宮時刻という」
「…………」
とがめの前に姿を表して尚、男――時宮時刻の醸し出す雰囲気は、余裕の一言に尽きる。
「乱暴な真似をしたことについては謝罪しよう。『それ』を見せてくれないことには、僕としては安心できなかったんでね。不意打ちで暴力的な手段を使わせてもらった。悪かったとは思うが、しかしこれは貴女のためでもある」
「だから……きさまの言動はさっきから訳がわからぬのだ。苛つかせるのが目的でなければ、そして会話が目的だというのなら、もう少し分かる言葉で話せ」
言いながらもとがめは、頭の中で思考を展開する。自分と相手との距離、相手の持っている円筒形の灯り、自分の持つ小刀、死体の位置、出口の位置と、そこまでの距離、方々に意識を巡らせる。
「何なのだこれは……わかっているというのなら説明しろ。何者だきさまは。何の目的でここにいる。さっき、わたしに何をした。今わたしを襲ったのはきさまの仲間か。なぜ……このふたりは死ななくてはならなかった」
最後の質問については、実際のところ予想はできていた。襲われる直前に思い到った可能性。加えて、時宮時刻の語っていた言葉の一部。
脱獄囚は即ち死刑――。
首輪を外すという行為が、主催者側への反抗と見なされた――ということなのだろうか。
しかし、訊かずにはいられなかった。言葉を止めてしまうと、内側から沸き上がるどす黒い何かに自分が飲み込まれてしまいそうな気がした。
しかし時宮時刻は、そんなとがめに対し、ゆるりと首を横に振ってみせる。
「そのふたりは、死んでなどいない」
「…………何だと?」
「死んだのは貴女のほうだ。白髪のお嬢さん」
その呼称をもう一度でも使ったら「その呼び方はやめろ」と言い放って堂々と名乗りを上げるつもりでいたのだが、相手の言葉にまたも理解が追いつかなくなり、絶句してしまう。
「……だから、何を、言って――」
「残念だが、僕は貴女と会話することを目的とはしていない。僕の目的は既に終了している。貴女が自分の中の攻撃性を発露させた、その瞬間にね。貴女は自分自身を犠牲に、自分が生き残る権利を得た。今の貴女として、生きることを選んだ」
「何をいっておるのだ! きさまは!」
とがめは怒号を放った。
堰を切ったように、激情の奔流が全身を支配してゆく。怒り、敵意、そして殺意。あらゆる攻撃的な感情が、とがめの身体を動かしていた。
「答えろ! 何なのだきさまは! 死んでいないだと!? ではこの死体は何だというのだ! 死んだのはわたしのほう!? ふざけた事を吐かすのも大概にしろ! 何が生き残る権利だ! 何が果たすべき義務だ! これ以上訳の分からぬ言葉で煙に巻こうというのなら、その不愉快な舌ごときさまの身体を八つ裂きにする!」
小刀を振りかざし、修羅の如き様相で時宮に詰め寄るとがめ。
血走った両眼は、もはや溢れんばかりの殺意で満ち満ちていた。
殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す!
こいつを殺す!
とめどなく噴き上げる、火炎のような殺意。
方々に巡らせていたはずの意識も、今や目の前の相手にだけしか向いていなかった。
ほとんど盲目的なまでの破壊的な意識に身を委ねるようにして、とがめは小刀の切っ先を、殺意とともに時宮時刻に向ける。
「『それ』が、今の貴女だ」
そんなとがめとは対照的に、時宮時刻は全く揺るがなかった。
涼しげな顔で、自分に向けられる暴力の視線と凶器による威嚇を軽くいなす。
「貴女が殺したのは貴女自身だ、と僕は言っている」
そう言って、時宮時刻は足下に光をあて、目の前の死体――とがめが小刀を突き立てた人影を照らし出す。
「貴女の手によって、理知的で理性的な貴女はこの世から永久追放され、攻撃性と破壊衝動に満ちた貴女が、今の貴女として残存した――平たく言えば、そういうことさ」
闇の中に浮かび上がった死体の容姿を、とがめは視界に捉える。
心臓のあたりを大量の血で染め、人形のように空虚な顔をした死体。それが誰なのかは、記憶を探るまでもなくはっきりと分かった。
見覚えがあるどころの話ではない。
小柄な体躯。絢爛な衣装。肩口で揃えられた白髪。
それは明らかに――とがめ自身の死体だった。
――――――――――――。
とがめの意識が暗転する。
◆ ◆ ◆
「今度はどうやら、うまくいったようだね――」
時宮時刻は、自分が成した作業の結果をじっくりと確認しながら、そう言った。
言葉の内容とは裏腹に、その表情には満足感や達成感などの自惚れた感情は一切見受けられない。それは彼にとって、この程度の作業が「瑕疵なく成し遂げて当たり前」のものであり、また今までに何度となく繰り返してきたものであったからに他ならない。
「しかし、念には念を入れておいて正解だったのかな。特に、この黒髪の女性。控え目に見てもただ者じゃあない……恐怖を感じないというより、恐怖という感情そのものが欠落しているような人間、といったところか。僕にとって――僕らにとって、ピンポイントで相性の悪いタイプの人間だね……まあ、それならそれでやりようはあるが」
時宮の視線の先には、先ほどこの部屋に入ってきた三人の女性が、一言も言葉を発さずに佇んでいる。
無論、三人とも死んでなどいない。
とがめも、否定姫も、鑢七実も。
心臓を貫かれてもいないし、首を吹き飛ばされてもいないし、顔面を破壊されてもいない。首輪も勿論、装着されたままだ。
ただ、三人が三人とも魂の抜けたような無表情で、虚ろな目をしている。
あたかも人形のように。
「単純な方法でこそ先手を取りやすく、成功しやすい――まさに初心忘るべからず、だ」
驚愕法、と呼ばれる催眠導入法がある。
突然相手の目の前に手をかざしたり、大きな音を立てたりすることで、対象者を呼び名の通りに驚愕させる。それによって意識に一瞬の空白を作り、その隙をついて暗示を浸透させる、という手法。
催眠の誘導法としては、初歩中の初歩の技術。
三人が部屋に入った直後、とがめの顔に突然浴びせられた光。あの光は、七実の懐中電灯からのものではなかった。
あの瞬間に、時宮時刻は想操術を施したのだ。
それも、三人同時に。
「まっすぐこの部屋へ向かってこられた時には少々気を張ったが……結果的にうまいこと待ち伏せの形にできたのは幸運だった。手間が省けたと言うべきなのかな――」
かつてとがめは、鑢七実の『眼』を制するための奇策として、暗闇という効果を利用した。
時宮時刻が七実の能力を知らない以上、これは偶然と言わざるを得ないのだが――時宮時刻もまた、同じ効果を利用したのだった。
奇策士とがめは、暗闇による一瞬の死角という形で。
時宮時刻は、暗闇の中での一瞬の閃光という形で。
完全無欠の『眼』に風穴を空け、そこから一気に瓦解させてみせた。
忍法足軽により、限界近くまで身体が疲労しきっていたこともまた、術の効き目に拍車をかけた要因のひとつ。
時宮時刻。
想操術専門集団『時宮』の実力者にして追放者。
止めを刺すには十分な――彼もまた、異形の能力の持ち主だった。
鑢七実。
その究極の『眼』によって、あらゆるものを見通し、見定め、見極め、見取ってきた彼女が、他人の『眼』によって支配されるというのは、皮肉という以外にないだろう。
もしかしたらそれは、単に相性の問題だったのかもしれないが。
七実の『眼』が、相手の能力を見極め、飲み込む性質を持つものであるのに対し、時宮時刻のそれは、相手の内部に浸透し、内側から支配する性質を持つもの。
受け取る視線と、放つ視線の違い。
更にもうひとつ。
時宮時刻の使用した技術は、対象者と目を合わせると同時に術を施すことのできる、いわゆる瞬間催眠と呼ばれる種類の能力である。鑢七実の技術――見稽古は、その技量こそ途方もないものではあるが、かといって見た瞬間にそのすべてを取り込むことのできるようなものではない。
僅かなりとも、時間が必要なのである。
見切り――見極め――見取るまでの観察時間が。
一度見れば大抵は、二度見れば磐石に――である。
更に穿ったところまで言うなら、ゲームバランスを維持するための処置として、彼女の天才性そのものにある程度の制限が加えられていた、ということも挙げられるが――そんな理由付けはもう、どうでもいいことだろう。
そんな理屈に、もはや何の意味もありはしない。
あるのはただ結果のみ。
とがめも、否定姫も、鑢七実も。
それぞれがそれぞれの幻術の中で、自らの精神を破壊され――
支配という名の、敗北を喫した。
「くだらないな……うん、我ながらくだらない。もともと適当に言った言葉とはいえ、実にくだらない」
三人が不承島から出てしまったことは、結果からいえば失策だった。
容易には渡ってこれない――よしんば渡ってこれたとしても、待ち構えている側としてはいくらでも対処のしようのある、いわば三人にとってこれ以上ない安全区域である不承島から、いくら脱出の策を練るための情報集めという目的があったところで、安易に外に出るべきではなかったのだ。
「果たすべき役割、生き残るための義務、自分の存在理由……確かにくだらない。そんなことは、僕にとってもどうだっていいことなんだ」
ただの戯言だ、と時宮は言う。
「僕はただ、僕自身の目的を、僕自身の手で成し遂げる。それだけだ」
西東天――十三階段と呼ばれる組織を作り、世界の終わりを目論んだ、人類最悪の遊び人と自らを呼称する男。
そんな人間の思想に唯一、心の底から純粋に共感し、同調した男――。
「さてと、貴女達の実力が如何ほどのものか、とくと見せてもらうとしようか。遠慮はいらない。急ぐ必要もない。――ここからは永久に、殺戮の時間だ」
世界の終わりを望む男、時宮時刻。
彼の蒔いた戦乱の火種は、緩慢に、しかし確実に、音を立てて燃え広がりつつあった。
【1日目 早朝 赤神イリアの屋敷 H-4】
【時宮時刻@戯言シリーズ】
[状態] 健康
[装備] なし
[道具]支給品一式、ランダム支給品(1~3)
[思考]
基本 世界の終わりを見る
1 操想術を使い殺し合いを促進させ、世界を終わらせることが出来る者を探す
【鑢七実@刀語シリーズ】
[状態] 想操術による精神支配
[装備] なし
[道具]支給品一式、ランダム支給品(1~2)、キスショットの心臓
闇口憑依の支給品(確認済み)
[思考]
基本
1
2
3
【とがめ@刀語シリーズ】
[状態] 想操術による精神支配
[装備] なし
[道具]支給品一式、ランダム支給品(1~3)
[思考]
基本
1
2
3
【否定姫@刀語シリーズ】
[状態] 想操術による精神支配
[装備] なし
[道具]支給品一式、ランダム支給品(1~2)
防弾エプロンドレスと黒縁メガネ(装備中)@戯言シリーズ
[思考]
基本
1
2
3
| ← |
追跡表 |
→ |
| ― |
とがめ |
― |
| ― |
否定姫 |
― |
| ― |
鑢七実 |
― |
最終更新:2009年12月17日 21:26