錯綜思考(策創試行)
「イシナギという魚をご存知ですか?」
大して険しくもない、ただ薄暗いだけの山道の中を、二人の人間が歩いている。
一人は足首まで届くほどに長い、美しい黒髪を携えた少女。
一人は伸ばしっぱなしの黒髪に、カチューシャをつけた痩身の男。
少女の唐突な問いに対し、男は「いや」と、まるで興味がないという風に、そっけなく返す。男の前を歩く少女も、まともな返答を期待していなかったように、男のほうを振り返ることなく言う。
「北海道に主に生息する魚です。一般的にはマイナーな魚ですけれど、体長が2メートルを超えるものもあって、大物狙いの方たちにとっては人気が
あるようです。もちろん食用にもなります。煮付けや刺身として食べることが主だそうですね。ちなみに肝臓には、多量のビタミンAが含まれているそうですよ」
「へえ」男は、あくまでそっけなく言う。「肝臓まで食べるのかよ、その魚」
「いえ、ビタミンAとはいってもあまりに多量すぎるので、食べてしまうと過剰症を起こして、頭痛、吐き気、皮膚剥離などの症状が出るそうです」
「毒じゃねえかよ」
男が呆れたように言うと、少女はくすりと笑った。「そうです、イシナギは危ないんです」
男はまた「へえ」と返す。それは先程のそっけなさとは別の、知っていることを今初めて聞いたように振舞うような、微妙な白々しさがあった。
それからまた、二人は会話を交わすことなく山道を歩き続ける。山道とはいっても、辺りに生い茂っているのは樹木の類ではない。
竹である。
広大な面積の、そのほぼ全てを青々とした竹で覆われた山。
地図に記された名は、雀の竹取山。
少女が先を歩き、男がその後に続いて歩く。頂上から麓へ向けて、下山する形で。
少女のほうは、高校の制服らしき特徴的なセーラー服。男のほうは、薄手のタンクトップにハーフパンツ、足元はなんと下駄という、どう考えても山歩き
には向いていない服装であるにもかかわらず、どちらも不自由そうなそぶりを見せることなく、軽快な足取りで進んでゆく。
少女が懐中電灯で照らしているとはいえ、足元が少し見える程度の山道を坦々と歩いてゆく二人。その自然な足取りが、逆に不自然に見えてしまうような光景だった。
「ところで、奇野さん」少女が、今度は振り返って言う。「今のこの状況について、奇野さんはどうお考えですか?」
奇野と呼ばれた男はその質問に対し、少し嫌そうな表情を見せた。
「どうって言ってもな――まあ、非常識っつーか、信じがたい状況ではあるよな。信じる信じないの話じゃねえのかも知れないけどよ。
話は単純に見えるのに、突拍子もない部分が多すぎる。なんていうか、現実的な夢の中にいるみてーだ」
「現実的な夢、ですか。なるほど」
実際にはその逆でしょうけどね――少女は独り言のように言って、また小さく微笑んだ。
逆――現実的な夢の、逆。
夢のような、現実。
男――奇野は、数時間前に自分が見た光景を回想する。ほんの数分間の間に繰り広げられた、いっそ滑稽ともいえるくらいに不条理な光景。
血、肉、骨、首、臓器、脳漿、死体。
そのすべてが、今ではもう、幻のように消えうせて。
………。
すべて、現実なのか。
あの光景も、今の、この状況も―――
「『現実的で構わないから、いっそ夢であってほしい』」
はっとしたように、奇野は顔を上げる。
「そう思っていますか? 奇野さん」
少女は振り返ってはいなかった。しかし奇野は、少女のその言葉だけで、視線とはまた別の何かによって射すくめられたような感じがした。
「余計な心配だよ、お嬢ちゃん」
余裕を表現するためか、奇野は肩をすくめた。
「お嬢ちゃんこそ、実際ついていけてねーんじゃねーの? あんた、一般人なんだろ? それがこんな、冗談が冗談してるみたいな状況に放り込まれて」
「もちろん夢であってほしいと思っていますよ。私は」
少女はあっけらかんと言う。
「奇野さんの言うとおり、私は見てのとおりの普通の女子高生ですから。私からすれば、現実的な夢も夢のような現実もありません。夢のように夢心地ですよ。間違って醒めてしまいそうです。
夢の中というよりも、漫画の中にいるような、あるいはゲームの中にいるような、いやむしろ小説の中にいるような心地です」
「小説…」
なぜだろう、そこだけ妙に納得がいく気がするのは。
「それにしちゃあ、随分と軽く構えてるように見えるけどな」
「重く構えるだけ動きづらくなるだけです。当然、軽く見ているつもりもありませんけれど」
少女の声色が、少しだけ真剣味を帯びる。
「今の状況に救いがあるとすれば、不条理な状況ではあれど、状況そのものが不鮮明ではないというところでしょう。ですから今のところ、
地に足がついている感じがするのは確かです。何しろ目的がはっきりしていますからね。それ以外にすることがない、というくらいに」
「目的…」
「殺し合い」
真剣さを帯びていたとはいえ、その言葉はあまりにも軽く発せられた。
自分たちの目的。自分たちがここにいる理由。
そう、この状況がいくら信じがたいものであろうとも、そこだけははっきりしている。
殺し合い。
殺し合い以外に、することがない。
「………」
奇野自身、それは常々口にしたいと思っている言葉の一つだったが、それは軽々しい心構えで口に出してしまうと、予想以上にえらい目に遭う言葉であるということを、奇野は身をもって経験していた。
だからこそ、それをあっさりと口にしてしまう少女の態度に、奇野は少なからず違和感を覚えた。
こともあろうに、『参加者』の一人である奇野が、自分のすぐ背後を歩いているという状況にもかかわらず――
「勝つつもりで、いるのか?」短い沈黙を、今度は奇野が破った。「こんな、でたらめな、無茶苦茶な闘いなんかに、強制的に放り込まれて、本当にあんた、最後まで生き残るつもりなのか?」
「生き残るつもり?」
少女の声は変わらない。
「そんなもの、生まれたときからずっとあります」
「………」
「生き残るつもりがなくて、人間がどうやって生き続けられるというのですか。偶然で死に、必然で死に、当たり前のように死に続けるこの
人間という種類が。生き残る気もないのに生き続けている人間なんて、それはただ他者によって生かされているというだけの事。生かされているのは
死んでいることと同義。生き恥という言葉すら勿体ない。そんなふうに生き続ける人間の気が、私には一向に知れませんね」
奇野はまた沈黙せざるをえなかった。
なぜこの少女は、こんな言葉を平然と吐く?
「それに」少女は仕切りなおすように言う。「可能性の上でなら、私たちが勝つ方法はいくらでもあります。最初、あの白い部屋の中で主催者側の人間が言っていた言葉、覚えていらっしゃるでしょう? この闘いではあらかじめ、バランスをとるための配慮がなされていると」
「……ああ」
「? どうかしまして?」
「いや――つまり、それがお嬢ちゃんの自信の根拠ってことか?」
「確かに私はただの普通の一般人ですけれど、目的が殺し合いだったところで、主催者側から平等に勝つチャンスを与えられているとするなら、
一般人という属性を悲観する意味はないということです。むしろ私のような一般人こそ、早い段階で動いておく必要があります。状況に呑まれるのは
三流の証拠。求められるのは俊敏な思考と、正確な試行。戦略こそが鍵です」
「クリティカルだな」
「タクティカルですね」
軽い冗談のつもりが軽く流されてしまった。立つ瀬がない。
とはいえ、少女の言い分には奇野もそれほど異論はなかった。おそらくこの闘いには、最初に見たような相当な力を持つ『異能者』が
何人も参加していることだろう。しかし主催者側によってその実力に均衡がもたらされているとするなら、目の前の少女でさえ、確かに
戦い方しだいではいくらでも勝ち目はある。知力と戦略。この闘いでは、それこそが物をいう。
しかし奇野がそういうと、少女は「それは違いますよ」と否定した。
「違う? 何が」
「戦略が鍵になる、とは言いました。しかしそれは『参加者の戦闘能力が均衡しているから、より巧みな戦略を練ったものが勝利する』
という意味ではありません。なぜなら私は、参加者の能力に制限が加えられているというのが真実だったとしても、それによって参加者全員の
能力のバランスが均衡しているとは考えていないからです。少なくとも、私が主催者側の人間だとすれば、絶対にそうはしないでしょう」
「なんでそう思う?」
「面白くないからです」
長い黒髪が竹やぶに引っかからないように気をつけるようなそぶりを見せながら、少女は細い竹藪を掻き分けてゆく。
山頂からは、既にだいぶ下っている。今は二合目あたりだろうか。足取りが鈍らないのは奇野も同じだったが、少女のほうは
まともな道も道標もないはずのこの山道を、まるで自分の庭であるかのように、迷う気配もなく進んでゆく。
「先ほど私は、自分がゲームの中にいるようだ、といいましたが、例えとして言うならあの表現は間違いでしたね。なにしろここは
まさにゲームの中なのですから。生身の人間が参加する、実際の命をかけたサバイバルゲーム」
バーチャルの世界でないというだけ――少女はそういった。
「他の人間が一方的に殺されたんじゃ面白くない――あの主催者側の人間は、確かそんなふうに言っていましたね。一方的な殺戮では
ゲームにならない。ゲームにならなければ面白くない。だからバランスをとるために、力を制限する。それだけ聞けば、確かに自然な流れに
見えます。しかし主催者側の立場で考えた場合、どうしても納得できない部分があるんです。そうは思いませんか?」
奇野は沈黙を保った。少女は続ける。
「このゲームの参加者がどういった基準で選ばれたのか、私たちにとって走る由もありませんが、『他の人間が一方的に』という言葉から
あの妙ちくりんな衣装の人達のような異能者を筆頭とした、いわゆるプロのプレイヤーと、私のようなごく普通の一般人が、同時に参加していると
推察されます。一方的な殺戮では面白くないといっておきながら、殺し合いという事柄に関して、経験も能力も、価値観さえも、極端なまでに
異なる人種を同じ舞台に立たせてしまっている。この時点で、既に矛盾していると思いませんか?」
「………」
「一般人を同じ舞台に立たせてしまっている以上、バランスをとろうと思えば、それは相当な制限を『異能者』の側にかけることを
意味します。当の異能者、プロのプレイヤーの方達からすれば不本意極まりないことでしょうけど、しかしそれは、主催者の側にとっても
望ましい状況とは言えるでしょうか。こんな特殊な場所、ステージを用意し、おそらくは相当な、異常なほどに現実離れした
『異能者』達をわざわざゲームのプレイヤーとして選出しておきながら、その肝心の『異能』に対し、主催者の側でわざわざ
制限をかけているんですよ? ゲームを観戦する側からすれば、その異能こそをフルに発揮してやりあってほしいと考えるのが
自然でしょう。バランスを重視するというのならそれこそ私のようなただの高校生を集めてやったほうがむしろ面白くなりそうです。
わざわざ武器まで与えているんですから。はたしてこれが自然な流れといえるでしょうか? 違和感で人が死ねるなら
私は既に15回は死んでいます」
奇野は答えない。少女はさらに続ける。
「このようなゲームに限って言えば、プレイヤーの能力の低下は、すなわちゲームのクオリティの低下に直結する。牙と爪をもがれた
獣同士の殺し合い。そんなもの見て楽しいと思いますか? かめはめ波は強すぎるから使用禁止、空を飛べると卑怯だから舞空術も禁止、
体力がありすぎるから、サイヤ人は身体能力も制限。天下一武道会にそんな制約があったら嫌でしょう。ヤムチャさんどころか、
ミスターサタンが素で優勝することだってあり得てしまいます。盛り上がりに欠けすぎです」
言いたいことはよくわかるが、最後の例えに意味はあるのか。
「まあ…確かに」
奇野は言ってから、内心でもう一度つぶやいた。まあ、確かに。
少女と話しているうちに、奇野は今の状況に対してやたら客観的な意識を持ってしまっていたことに気づく。考えてみれば、自分こそまさにその『異能者』の側として参加している人間の一人ではないか。
「つまり、お嬢ちゃんは」奇野は、右手に持った荷物を軽く持ち直しながら言う。
「こう考えてるってのか? このゲームの主催者は、ゲームのバランスをとるつもりはない、と」
「いいえ、違います」
少女はまたも否定する。
「主催者はこのゲームのバランスに対して最大限の配慮を行っているはずです。バランスという言葉を最初に持ち出したのは
主催者の側なのですから。ゲームバランスというのは、ゲームが成り立つか成り立たないか、その一端を握っているといっていいほど
重要なものなのですから。こんな大掛かりなゲームを作り上げるような人間が、そこをおろそかにするはずはありません」
それができなければクリエイターとして失格です。
少女はそんな風に言った。
「ですから、私の予想―予想というよりは期待ですけれど―している限りでは、主催者側からのあの言葉は、こういった意味を
持っていると考えています。『用意はしておいた。それを使って、後は自分たちで好きなようにバランスをとれ』」
「『それ』?」
「裏技、ですよ」
鳥でも飛び立ったのか、二人の頭上の竹の葉がざわざわと派手な音を立てて揺れた。
「レーシングゲームで言えば、ショートカットのようなものですか。とにかくそういったものがこのゲームの中には存在していると
私は期待しています。このゲームにおける最大のポイントの一つは、プレイヤーの自主性。主催者の側ではあえてバランスを取らずに
最終的なバランスはプレイヤーに決定させる。私たちにランダムに与えられた武器とはまた別の、ゲームの内部そのものに組み込まれた
不確定要素。ゲームのクオリティの最大限に維持し、かつ全てのプレイヤーに勝利条件を与えることができる、まさに裏技です。
あくまで予想に過ぎませんが、それを探してみる価値は十分にあると思います」
「………」
奇野はまたも、沈黙せざるを得なかった。
絶句、というよりも、言いたいことはあったが、それを口に出すべきか躊躇した、といった感じである。
反応に困ったといってもいい。
確かに少女の言い分には一理あると言えなくもない。しかしそれは少女自身、期待、という言葉を用いていたとおり、
あまりに希望的な観測というか、都合の良すぎる考えではないだろうか。
この少女の自信は、そんな曖昧なものに依拠したものだったのか?
大体裏技って何なのだ。コマンド入力でフルオプションに一足飛びでもする気でいるのか。
奇野は嘆息した。やはりこの少女は『一般人』の側の人間だ。
殺人鬼を恐れない人間は二種類いる。鬼をも恐れぬほどの力を有する人間か、殺人鬼を知らない人間のどちらか。
参加者全員が殺人鬼である可能性すらあるこの状況で、殺し合いという言葉を軽々しく使い、参加者の一人である奇野に、堂々と背中を預けている。
人が死ぬ光景すら目の当たりにして、なお現状を認識できていない。
まさしくゲーム感覚である。
この少女と組んだのは、ある意味では正解だったかもしれないな――
奇野がそう思い、この雀の竹取山における少女との邂逅、この少女と組むことになった山頂での出来事を思い起こし始めた、そのほぼ同時。
奇野は、それを目視した。
◆◆◆
声をかけてきたのは、少女のほうからだった。
雀の竹取山、その頂上地点で一人佇んでいた
奇野頼知の前に、散歩でもするかのような優雅な足取りで、その少女はあらわれた。
ごきげんよう、と、気さくな感じに声をかけながら。
それに対し奇野は、当然の如く警戒した。相手が年端も行かぬ少女であるということは、奇野にとっては気を緩める理由には
まったくならない。むしろ今の状況において、丸腰のまま、しかも真正面から接近してきたことが、奇野にはこの上なく不気味に思えた。
そんな奇野に対して、少女はあくまでも優雅に、柔らかな笑顔を浮かべながら、両手を頭の上でひらひらと振った。
こわがらなくてもいいですよ、とでもいいたげな仕草で。
少女は言った。
私は、あなたと戦うつもりは毛頭ありません。
とりあえず、私の話を聞いてはいただけないでしょうか、と。
この時点で、奇野がこの少女に対して一切、何の攻撃も加えなかったことに関して疑問を挟む余地はあるかもしれない。
少女の言うところの『異能者』側の人間、プロのプレイヤーである奇野が、あからさまなまでに隙だらけの相手を目の前にして、
ただ相手の動向を窺っていたというのは不自然ではないだろうかと。
しかしこの疑問に対して、奇野はこう答える。奇野は相手が少女ということで気を緩めるこそなかったが、『この少女であれば
いつでも殺せる』という感想を抱いた。このゲームの趣旨から言えば、目の前にいる相手を殺さないというのは確かに愚行であると
いわざるを得ない。
しかし「殺す」という選択肢には、それが取り返しのつかない結果を生むという条件が付随する。少女を殺すことで、ゲームにおける
対戦者を一人減らすことができるのはプラスではあるが、逆に今ここで、少女の話をまったく聞かずに殺してしまった場合、
それがマイナスの結果を生むことにならないとは言えない。
要するに、「いつでも殺せるのならば、少女の話を聞いてからでも遅くはない」という、妥当というか、ごくありきたりとも
いえるような理由において、奇野は状況を保留することを選択した。
少なくとも奇野自身は、自分がそういった考えを持って少女を攻撃することをしなかったと、そう自分を納得させている。
少女が続けて奇野に対して言ってきたことは、奇野にとっては、いや一般的な観点から見ても、十分に予想の範囲内のことだった。
要点だけを言えば、自分と組まないか、である。
この闘いを生き残るために、二人で組んで行動しましょう、と。
当然のこと、奇野があっさり「組む組む組みたい組みましょう」と少女の提案を受け入れることはなかった。
生き残るためには、一人で行動するより多人数のほうが基本的に有利、という理屈は正しい。しかしこのゲームは、
最終的に一人が生き残ることを前提としたゲームである。
何人がチームを組んだところで、生き残るのはただ一人。
そんな趣旨のゲームの中において、協力という言葉がどれほどの打算を含んでいるのか、それが分からないほどに奇野は馬鹿ではなかった。
しかし少女は、そんな奇野の心情を見越したように言葉を紡ぐ。
私はあなたを殺そうとは思っていません。
どころか、私はここで誰も殺そうとは思っていないんです。
もちろん、私が死ぬつもりもありません。
私はただ、生きてここから帰りたいだけなんです。
その矛盾をはらんだ言葉に、奇野は訝しんだ。
結論だけを言えば、少女はこう提案してきたのだ。このゲームの勝者に与えられる権利、どんな願いでも一つだけ
叶えることができるという、途方もない権利。
私の望みは、ただ生きてここから帰ること。
だから私は約束します。
『このゲームに参加した、全ての人間を生き返らせること』―――。
私が最後まで生き残った暁には、必ずそれを願うと。
………。
奇野は黙って、その少女の言葉を聞いていた。
全員を生き返らせることができるのかどうがは定かではないですけれど、「何でも」と言ってはいるし、願い事が一つだけというなら
ポルンガでなく神龍のほうでしょうから、大丈夫でしょう――そんな訳の分からない言葉さえ聞き流して。
結果的に、奇野は少女と組むことを了承した。
少女の甘言に乗せられたわけでは、勿論ない。
殺しはするが、必ず生き返らせる。
そんな言葉を真に受ければ、それこそ馬鹿である。
ただ奇野は、またも保留することを選択したのだ。少女を攻撃しなかったときと、ほとんど同様の考えにおいて。
今のうちは、利用できるものは利用しておこうと。
少女とて、まさか本当に最後まで奇野と行動するつもりではあるまい。
ころあいを見て奇野を殺すつもりだというなら、それより先に自分のほうがころあいをみて少女を殺せばいいだけの話。
それまでは、この少女を自分の『所有物』のひとつとして連れていておいても、おそらくマイナスにはならないだろう、と。
しかし奇野のこの考えは、先ほどの思考と同じく、奇野が自身の選択に対して納得のいく理由を考えたというだけの、
いわゆるあとづけに近いものだと言っていい。
奇野が少女に対し攻撃を加えなかったことも、奇野がこの少女と組むことを決定したのも、奇野にとっての、このゲームの
スタート地点である雀の竹取山の山頂において、彼がそこから数時間ものあいだ「様子見」と称して動こうとしなかったことも、
余裕のあるときならば、相手を小馬鹿にしたような軽薄な態度で相手に望むはずの彼が、少女との会話においてほとんど受動的な
受け答えしかできていないことも、すべては同じ理由に基づくものであるといえる。
裏の世界の住人である奇野頼知は、殺し合いの場という一般的には非常識な状況も、むしろそれが日常であるような世界で生きてきた。
だから今現在の状況も、あまりに現実離れしているとはいえ、奇野にとっては日常の延長線上のようなものだと考えている。
殺し合いというなら、ここは自分のフィールドだと。
そういうふうに、むしろ余裕を持って臨んでいた。
しかし実際には、奇野は自分の心理状態を正確に把握できてはいない。
「呪い名」。
「殺し名」七名の対極に位置し、戦闘集団である「殺し名」とは真逆、非戦闘集団としての性質を持ちながら、
ある意味「殺し名」以上に忌み嫌われている集団。「呪い名」六名。
その三番目に名を連ねる「呪い名」が一名、「奇野」。
奇野頼知の有する能力は、人殺しという目的に対して言うなら、確かに特出して有効なものであるといわざるを得ない。
しかしその能力は、いうなら鳥籠の中の鳥を殺すような、相手を完全に自分の領域の中に引き込んでこそ威力を最大に
発揮するような、そういった類のものである。
この闘いの中において奇野は、殺し合いという名のフィールドの内部に強制的に放り込まれた形である。
裏の世界の住人とはいえ、奇野はあくまで「呪い名」なのだ。
戦場の外部にいてこそ威力を発揮する奇野が、完全に戦場の内部、殺し合いの渦中に引きずり込まれてしまった。
その現実が、自身でも気づかないうちに、彼からプロのプレイヤーとしての余裕を奪った。
恐怖、緊張、焦燥。そういったものが、今の彼の選択肢をどうしようもなく狭めている。
要するに、彼は状況に飲まれているのだ。
さきほど奇野は、少女が自分に安易に背中を預けている、と言った。
しかしそれは、奇野が自分の前を歩く少女の行動に完全に追従しているといってもよい形である。
行動だけではない。
協力という言葉にどれほどの打算がこめられているのか理解していたはずの奇野が、少女の言葉で安易に「組まされる側」に回ることを
良しとし、少女と出合ったときには確実に警戒心を抱いていたはずの奇野が、ゲームのバランスを問題にした先の会話において、
少女が自分たち、プロのプレイヤーと同等の力量を有しているという可能性を完全に失念してしまっている。
彼――奇野頼知は、自分が既に目の前の少女にすら飲み込まれつつあることに、まだ気づいていない。
◇◇◇
「なんだ――あれ」
麓まであと数分もかからないというところで、奇野は少し離れたところにある、細く背の低い竹が密集したようにして生えている
竹藪の中に、隠されるようにして置かれている何かを見つけた。
「あら、この距離からもう見えますか。目がいいんですね、奇野さん」
ビタミンAは豊富に摂ってるんでね――奇野は冗談めかしてそういった。
見えたとはいっても、この暗さの中では、さすがにそれが何なのかまでは判断できない。
少女がそれを隠している竹藪をかき分けるところに至って、ようやく奇野は、それが何なのかはっきりと見ることができた。
それは一台のジープだった。
アウトドア用だと一目でわかる、この竹藪に停められているのが不自然なほど豪胆なデザインのジープ。
運転席を見ると、そこには鍵がささったままの状態になっている。
少女はジープの窓をぽんぽんと叩いた。
「裏技とまではいきませんけど、まあ、隠しアイテムといったところでしょうね」
奇野はジープと少女を交互に見つめた。
裏技。
隠しアイテム。
まさか、こんなものが本当にあるなんて――
「そういえば奇野さん」少女はジープの後部座席のドアを開きながら言った。
「山頂で私が言ったドラゴンボールのたとえ話、覚えていますか? 願いがひとつというなら、ポルンガでなく神龍だと言う話」
またか。奇野はそう言いそうになるのを内心で思うに留めた。
どれだけドラゴンボールが好きなのだ。
「神龍は叶えてくれる願いはひとつだけですが、一度に多人数の人間を生き返らせることができる。ポルンガは三つの願いを
叶えてくれますが、ひとつの願いにつき、生き返らせることのできる人間は一人だけ。そういう設定でした。
しかし魔人ブウ編において、ポルンガも一度に多人数の人間を生き返らせることができるようにパワーアップされてしまっているんです。
ナメック星人の手によって」
それがどうした、木野は思った。だから言った。「それがどうした」
「おかしな話ですよね。神と同等の存在であるはずの神龍やポルンガが、パソコンのOSをバージョンアップでもするかのように
どんどん便利にされてっちゃってるなんて。確実に人間の命の重さを念頭に置いたはずの設定なのに」
「ご都合主義もほどほどに、ってことか? お嬢ちゃん」
「神なんてその程度、ということですよ、奇野さん」
少女は奇野に手を差し伸べてきた。握手を求めてきたわけではない。奇野は少女の意図を察し、右手に持っていた荷物を少女に差し出した。
荷物、といってもディパックではない。
奇野が今まで、山道の中で引きずるようにして運んでいた、それ。
それは人間だった。
少年と呼べるくらいの年齢にみえる風貌。
敏捷そうな長い足。
服装は作業服らしき、緑色の
ツナギ。
端正なその顔からは、完全に血の気が失せてしまっている。
口元からわずかに漏れる呼吸音で、かろうじて少年が生きているのが判断できるほどに。
少女は奇野からその少年を受け取ると、作業服の襟首をつかんで「よいしょ」と気合いを入れつつ、少年をジープの後部座席に放り込んだ。
「さて、奇野さん」ジープの後部座席のドアが閉められ、代わりに助手席のドアが開かれる。
「とりあえず私たちがすべきことは情報収集ですが、それに専念するというわけにも行きません。既に私たちより積極的な行動に
移っているプレイヤーもいるはず。警戒することも必要ですけれど、そういうプレイヤーに対してこそ、先手をもって
制していかなければなりません」
「言われるまでも」
「幸い『情報』に関しては、私たちは一歩先行していますからね」
少女は自分のディパックを背から下ろした。
「ドラゴンボールの世界では、ほとんどの戦いにおいて物を言ったのは当然のごとく戦闘能力。しかしドラゴンボール収集の
クエストにおいては、重要なのはやはり情報だった。ブルマさんは本当に有能な技術者でしたね」
またもそんなことを言い、少女はディパックの中身をひとつ取り出した。
「………」
ドラゴンレーダー、ではあるまい。
しかしその形状は、限りなくそれを髣髴とさせる。
緑色の画面の中央部に、小さな光点がふたつ灯っているのが見える。それが何を示しているのか、確認することすら余計だと奇野は思った。
今のところ、このエリアに他の参加者はいないようですね――そう言って、少女はディパックを背負いなおした。
「生きるためには生き残ること。ここが戦場だというのなら、生き残るために戦いましょう。
たとえ舞台が神の手の上だったところで、たとえ相手が魑魅魍魎の集まりだったところで――」
少女は、鋭利な日本刀のような笑みを浮かべた。
「私の名前は
萩原子荻。正々堂々手段を選ばず真っ向から不意討って御覧に入れましょう」
奇野は少女のその笑みに気を取られ、少女が何を呟いたのか聞いていなかった。
【1日目 黎明 雀の竹取山 B-8】
【奇野頼知@戯言シリーズ】
[状態] 健康
[装備] なし
[道具]支給品一式、ランダム支給品(1~3)
[思考]
基本 とりあえず生きることが優先。そのためには誰でも殺す。
1 今のところは、少女の示すとおりにしておく。
【萩原子荻@戯言シリーズ】
[状態] 健康
[装備] 簡易レーダー(『生存者』の首輪に反応。同エリアにいる参加者の位置を示す)
[道具]支給品一式、ランダム支給品(1~3)
[思考]
基本 生き残るために、常に最善の策を考えておく。
1 情報収集を優先。特に参加者に関する情報がほしい。
2 今のところ、一番警戒すべきなのは目の前の「奇野」。
3 『彼』が参加しているかどうか気になる。
「裏技」「能力の制限」に関しては、実際は可能性のひとつ程度にしか考えていない。
「クビツリハイスクール」時点の萩原子荻。
【
石凪萌太@戯言シリーズ】
[状態] 意識混濁
[装備] なし
[道具]支給品一式、ランダム支給品(1~3) (現在は子荻が所有)
[思考] 意識混濁のため思考停止中
| ← |
追跡表 |
→ |
| ― |
奇野頼知 |
― |
| ― |
萩原子荻 |
― |
| ― |
石凪萌太 |
― |
最終更新:2009年02月18日 11:20