何をしてもいい
TRPGのよさを語る上で時折用いられ、大いに誤解を招いている表現。
確かにTRPGはコマンドラインが出る訳ではないので、その選択肢に縛られる事はない。なので、例えば謁見の間でいきなり王様に切りかかったりする事も出来る。
が、反面。
ゲーム内において、国王に切りかかったキャラクターはその行為に対して責任を問われる。ただ策もなく剣を抜いた結果、衛兵達に取り押さえられて死よりもつらい屈辱的な刑罰を受けてもそれを甘んじて受けなければならない。
プレイしているテーブルにおいても、何をしてもゲームが楽しめると保証されている訳ではない。突飛な宣言をしてあわてふためくGMを見るのは楽しいかもしれないが、周囲の人間もまた同様の楽しみを得ているかどうかは分からない。その宣言によって無駄に時間を浪費し、参加者が期待する他のもっと違った楽しみが削減されてしまうなら、プレイヤー同士の喧嘩にまで発展するかもしれない。
TRPGには一緒に遊ぶ「相手」がいて、キャラクターにも「立場」があるという事を言い含めなければならないので、安易に「何をしてもいい」と説明すると余計な手間を負うことになるだろう。
補完した表現を考えるとするなら、「"こうしたらこうなる"に制約が無く、何をしても相応の結果が得られる」といったところだろうか。
最終更新:2008年07月01日 14:49