《書 誌》
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【文献番号】 28055209
【文献種別】 判決/札幌高等裁判所(控訴審)
【裁判年月日】 平成12年 3月16日
【事件番号】 平成11年(う)第59号
【事件名】 傷害致死(変更後の訴因傷害致死幇助)被告事件
【審級関係】 第一審 28045242
釧路地方裁判所 平成9年(わ)第184号
平成11年 2月12日 判決
【事案の概要】
被告人は、親権者兼監護者としてD等に対するAのせっかんを制止してDらを保護すべき立場にあったところ、Aが、本件傷害致死を行った際、直ちにこれを制止する措置を採るべきであり、かつ、これを制止して容易にDを保護することができたのに、その措置を採ることなくことさら放置し、もってAの本件傷害致死を容易にしてこれを幇助した、として起訴されたが、無罪が言い渡されたため、検察官が控訴した事案において、被告人は、Aの暴行を実力により阻止することが著しく困難な状況にあったとはいえない等として、原判決を破棄し、懲役2年6月を言い渡した事例。
【判示事項】 〔高等裁判所刑事裁判速報集〕
内縁の夫の幼児虐待を制止しなかった被告人の行為が、傷害致死罪の不作為による幇助に該当するとして、これらを否定して無罪とした原判決を破棄し、懲役2年6月、執行猶予4年を言い渡した事例
〔判例タイムズ(判例タイムズ社)〕
被告人が親権者である3歳の子供を同棲中の男性が暴行によりせっかん死させた事案において、被告人は右暴行を制止する措置を採るべきであり、かつ、これを制止して容易に子供を保護できたのに、その措置を採ることなくことさら放置したとする傷害致死幇助罪の公訴事実について、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することはできないなどとして無罪とした原判決を破棄した事例
【要旨】 〔高等裁判所刑事裁判速報集〕
被告人の行為は、同人の作為義務の程度が極めて強度であり、比較的容易なものを含む一定の作為により可能であったことにかんがみると、作為による幇助犯の場合と同視できるものというべきであって、不作為による幇助犯の成立要件に該当する。
【裁判結果】 破棄自判
【上訴等】 確定
【裁判官】 近江清勝 渡辺壮 嶋原文雄
【掲載文献】 判例時報1711号170頁
判例タイムズ1044号263頁
高等裁判所刑事裁判速報集(平12)号227頁
【参照法令】 刑事訴訟法397条
刑事訴訟法380条
刑事訴訟法382条
刑事訴訟法400条
刑法62条
刑法205条
【評釈等所在情報】 〔日本評論社〕
門田成人・法学セミナー550号
不作為による幇助の成立要件
中森喜彦・現代刑事法3巻9号
傷害致死行為に対する不作為による幇助の成立を認めた事例
橋本正博・ジュリスト臨時増刊1202号148頁
不作為による幇助――作為義務を肯定した事例
大矢武史・朝日大学大学院法学研究論集4号83頁
内縁の夫による自己の子供に対する虐待行為を阻止しなかった被告人に,無罪を言い渡した第一審判決を破棄して,傷害致死幇助罪の成立を認めた事例
大塚裕史・別冊ジュリスト189号172頁
〔刑法判例百選1 第6版〕不作為による幇助
齊藤彰子・別冊ジュリスト166号166頁
〔刑法判例百選1 第5版〕不作為による幇助
《全 文》
【文献番号】28055209
傷害致死(変更後の訴因 傷害致死幇助)被告事件
札幌高裁平一一(う)五九号
平12・3・16刑事部判決
主 文
原判決を破棄する。
被告人を懲役二年六月に処する。
原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入する
この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。
理 由
本件控訴の趣意は、検察官佐藤孝明作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人古山忠作成の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、要するに、「被告人は、平成九年六月ころ、先に協議離婚したAと同棲を再開するに際し、自己が親権者となっていたC及びD(当時三歳)を連れてAと内縁関係に入ったが、その後、AがDらにせっかんを繰り返すようになったのであるから、親権者兼監護者としてDらに対するAのせっかんを制止してDらを保護すべき立場にあったところ、Aが、同年一一月二〇日午後七時一五分ころ、釧路市鳥取南《番地略》所在の甲野マンション一号室(以下「甲野マンション」という。)において、Dに対し、顔面、頭部を平手及び手拳で多数回殴打し、転倒させるなどの暴行(以下「本件せっかん」という。)を加えて、Dに硬膜下出血、くも膜下出血等の傷害を負わせ、翌二一日午前一時五五分ころ、同市内の市立釧路総合病院において、Dを右傷害に伴う脳機能障害により死亡させた犯行(以下「本件傷害致死」という。)を行った際、同月二〇日午後七時一五分ころ、甲野マンションにおいて、Aが本件せっかんを開始しようとしたのを認識したのであるから、直ちにこれを制止する措置を採るべきであり、かつ、これを制止して容易にDを保護することができたのに、その措置を採ることなくことさら放置し、もってAの本件傷害致死を容易にしてこれを幇助した。」旨の訴因変更後の公訴事実に対し、原判決は、不作為による幇助犯の成立要件として「犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらずこれを放置したこと」を掲げ、被告人に具体的に要求される作為の内容として、Aの暴行を実力をもって阻止する行為のみを想定した上で、被告人が、AのDへの暴行を実力により阻止しようとした場合には、負傷していた相当の可能性があったほか、胎児の健康にまで影響の及んだ可能性もあった上、被告人としては実力による阻止が極めて困難な心理状態にあり、被告人がAの暴行を阻止することが著しく困難な状況にあったことにかんがみると、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することはできないとして、被告人に無罪を言い渡したが、(一)関係証拠によれば、被告人は、Aへの強い愛情や肉体的執着から、Aに嫌われることを恐れ、Aの機嫌をうかがう余り、AがDらに暴力を振るっても、見て見ぬ振りをしていたことが認められ、Aの暴行を阻止することが著しく困難な状況にあったものとはいえない上、(二)不作為による幇助犯が成立するには、不作為によって正犯の実行行為を容易ならしめれば足り、その不作為が正犯の実行に不可欠であることや、作為に出ることにより確実に正犯の実行を阻止し得ることを要しないというべきであり,被告人に具体的に要求される作為は、Aの暴行を実力をもって阻止する行為に限られるものではないから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがある、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討する。
第一 本件において認められる事実について
原審で取り調べられた関係証拠によれば、本件においては、要旨次のような事実が認められる。
一 被告人とAが知り合った経緯等
1 被告人は、平成四年八月二七日、Bと婚姻し、Bとの間に、平成五年三月二七日、長男Cを、平成六年五月二八日、二男Dをもうけたが、その後、Bと不仲になり、平成七年九月ころからC及びDを連れて別居し、同年一二月一八日、Bと協議離婚し、C及びDの親権者となり、二人を引き取った。
2 被告人は、釧路市内のスナックで働いていた平成八年三月ころ、客として来店したAと親しくなり、同月二一日ころ、Aと朝まで飲み歩き、そのままドライブに出かけた後、自らAに同居を申し出、翌二二日ころから、Aが当時住んでいた同市昭和北三丁目のアパート(以下「昭和北のアパート」という。)で、C及びDを連れてAと同棲するようになり、勤めていたスナックも辞めた。
二 昭和北のアパートでの生活状況及びAと婚姻した経緯等
1 被告人は、同棲開始後間もない平成八年四月中旬ころ、帰宅が遅くなったことなどから、Aと口論になり、その際、反抗的な態度をとったことに激昂したAから、マイナスドライバーの先端を首筋に当てられ、赤い痕が残るほど力を込めて押し付けられるなどの暴行を受けた。
2 被告人は、同年八月ころ、Aと口論になった際、かみそりで手首を切って自殺しようとしたところ、それに気付いたAからかみそりを取上げられ、手拳や平手で顔面や肩を多数回殴打されるなどの暴行を受けた。
3 被告人は、昭和北のアパートに居住していた当時、このほかにもAから暴行を受けたことが何度かあったが、その都度、暴行を受けた数日後にAの留守を見計らって釧路市内の実母方に逃げ、しばらくすると、Aから、戻るように優しく言われ、子供を可愛がり、暴力は振るわないなどと約束されて、再びよりを戻すということを三、四回繰り返していた。
4 被告人は、その間の平成八年六月ころ、Aの子を妊娠したことを知り、同年七月二日、Aと婚姻し、また、Aは、同年一〇月三日、C及びDと養子縁組をし、被告人とAとの間には、平成九年一月二二日、長女F子が生まれた。
5 Aは、昭和北のアパートに居住していた当時、CやDの食事の行儀が悪いときなどに、しつけ程度に二人の頬を平手で殴打していたほか、立たせたり、正座させたりしていた。
6 Aは、被告人と同棲を始めたころ、鳶職人として働き、月収約二〇万円を得、生活も安定していたが、平成八年八月ころ鳶職を辞め、同年一〇月ころからは職を転々とするようになり、全く仕事をしないときもあって、生活が不安定になった。
三 Aと離婚した経緯及び星が浦のアパートでの生活状況等
1 被告人は、平成九年二月ころ、Aに暴力を振るわれたことから、Aの留守を見計らい、三人の子供を連れて実母方に逃げ、その後、実母から強く言われたこともあって離婚を決意し、Aもこれに応じたことから、同年三月六日、C及びDの親権者を被告人として協議離婚した。しかし、その数日後、Aから、前同様に優しく言われてよりを戻すこととなり、当時Aが昭和北のアパートを引き払って釧路市星が浦大通のアパート(以下「星が浦のアパート」という。)に住んでいたことから、同所で、三人の子供とともにAとの同棲生活を再開した。
2 被告人は、同年五月ころ、Aと口論となり、灯油を少量かぶって焼身自殺をする振りをしたところ、激昂したAから、両肩と両腿を手拳で殴打され、更に手や足を殴打するなどの暴行を執拗に加えられ、手足が腫れ上がって歩行も困難な状態となった。
3 Aは、星が浦のアパートに居住していた当時、CやDの食事の行儀が悪いときなどに、二人の頬を平手で殴打するなどしていた。
四 材木町のアパートでの生活状況等
1 被告人は、前記三の2の暴行を受けた数日後、今度こそAと別れようと決心し、Aの留守を見計らって実母方に逃げたところ、実母からAと別れるよう強く言われ、今度Aの所に戻れば親子の縁を切るとまで言われた。そして、子供達との独立した生活をするため、生活保護の受給手続を進めるとともに、釧路郡釧路町豊美にアパートを見付け、平成九年六月初めころ、同所に転居することとなった。
2 被告人は、右アパートヘの引っ越しの当日、突如現れたAから、前同様に優しく言われ、「やくざの卵売りの仕事だが、仕事も決まった。」などと言われて、またもAとやり直すことにし、翌日ころには二人で釧路市材木町のアパート(以下「材木町のアパート」という。)を新たに借り、同所で、三人の子供とともにAと同棲生活を再開した。なお、Aは、同年六月六日、C及びDと協議離縁している。
3 Aは、同月初めころから、暴力団の関与する川上郡弟子屈町硫黄山での蒸し卵売りの仕事を手伝うようになり、これをしている間、半月ごとに約一五万円の手当を得ており、被告人らは、安定した生活を送り、また、Aが被告人やC及びDに暴力を振るうこともなくなった。なお、被告人は、同年七月ころ、Aとの間の第二子を懐妊したことに気付き、Aにもその旨伝えた。
4 Aは、暴力団関係者との人間関係の悩みなどから、蒸し卵売りの仕事に嫌気がさし、同年一〇月一日、世話になっていた暴力団組長方に置き手紙をして仕事を辞めてしまい、材木町のアパートも引き払って、被告人及び三人の子供とともに北海道内各地を自動車で転々とした後、同月一〇日過ぎころから、川上郡標茶町のAの実家に身を寄せた。
5 Aは、実家に身を寄せるようになってから、CやDを長時間正座させたり、起立させ、平手や手拳で殴打したりするなどのせっかんを度々加えるようになったが、被告人は、これを見ても、制止することなく、「あんた達が悪いんだから怒られて当たり前だ。」などと言い放ち、また、自らも、Dが夜尿をしたときに一、二度頬や臀部を叩いたことがあった。
五 甲野マンションでの生活状況等
1 Aと被告人は、Aの両親から現金一〇万円の援助を受け、平成九年一〇月二五日ころ、甲野マンションを借り、三人の子供とともに同棲生活を始めたが、このころ、被告人は、妊娠約六か月の状態にあり、Aも、そのことを知っていた。
2 Aは、甲野マンションに移ってから、何度か被告人に対し、別れ話を持ち出しては子供を連れて出て行くように言い、同年一一月初めころ、「出て行け。」などと言って被告人の頬と肩を平手と手拳で七、八回殴打し、更に、その数日後、被告人を正座させた上、同様に言って手拳等で肩と両腿を五、六分ほど殴打し続けたが、いずれの際も、被告人は、「これまで何度も黙って出て行ったりして迷惑をかけていたから、もう出て行ったりしない。」などと言って、何ら抵抗することなくAの暴行を受け入れた。また、Aは、これらとは別の機会に、被告人に裸で甲野マンションから出て行くよう命じ、その際、被告人は、三人の子供とともに裸になり、子供達を連れて玄関まで行ったものの、Aに制止され、屋外に出ることはなかった。
3 Aは、甲野マンションに入居して以降、新たな仕事に就く当てもなく、生活費にも事欠くようになったことなどから、不満や苛立ちを募らせ、その鬱憤晴らしなどのため、ほとんど毎日のように、CやDを半袖シャツとパンツだけで過ごさせた上、長時間立たせたり、正座させたりするなどしたほか、平手や手拳で顔面や頭部を殴打するなどの激しいせっかんを繰り返すようになった。なお、Aは、CやDを注意したときには、一〇回に八回程度は、右のような暴行に及んでいた。
4 他方、被告人も、同年一一月一三日ころには、さしたる理由もないのに、Aのせっかん等によってかなり衰弱しているC及びDを並ばせ、「お前達なんか死んじゃえばいいのに。」などと言いながら、二人の顔面や頭部等を殴打し、腰部等を足蹴にして、二人をその場に転倒させるせっかんを加え、同月一五日ころにも、Dに対し、平手で顔面を殴打し、その場に転倒させるせっかんを加えていた。
5 被告人は、AがCやDに激しいせっかんを加えていたのを見ても、CやDを助けるための行動には出ず、CやDが助けを求める視線を向けても、無関心な態度を示していた。
6 被告人一家は、甲野マンションに入居して以降、一日一、二回の食事しかとれず、その食事も満足にできない状態であったため、Dは、星が浦のアパート時代には一五・五キログラムあった体重が、死亡当時には一一・七キログラムにまで減っており、同年齢の児童の平均体重より三・二キログラムも劣る極度のるい痩状態にあった。
六 平成九年一一月二〇日の状況等
1 Aと被告人は、平成九年一一月二〇日午後二時ころ、F子を連れてAの友人であるG方へ向かったが、その際、Aは、CとDに留守番をさせ、半袖シャツとパンツだけの姿のDに壁に向かって立っているよう命じ、CにはDを見張っているよう命じて外出した。
2 Aと被告人は、同日午後三時四〇分ころからG方で過ごし、ビールを飲むなどして歓談し、同日午後六時四五分ころG方を辞去したが、Aは、帰途、機嫌が良かったこともあって、G方を訪ねる前に被告人が食べたいと言っていたドーナツを買ってやることにし、スーパーマーケットに寄ってドーナツ等を買った。
3 Aと被告人は、F子とともに、同日午後七時一五分ころ甲野マンションに戻ったが、Aは、子供部屋のおもちゃが少し移動していたため、Cに誰が散らかしたのかと尋ねたところ、Cが「Dちゃん。」と答えたことから、Dが言い付けを守らずおもちゃで遊んでいたと思い込んで立腹し、隣の寝室で立っていたDの方に向かった。
4 被告人は、右のAとCのやりとりを聞き、AがDにいつものようなせっかんを加えるかも知れないと思ったが、これに対しては何もせず、数メートル離れた台所の流し台で夕食用の米をとぎ始め、Aの行動に対しては無関心を装っていた。
5 Aは、Dを自分の方に向き直らせ、「おもちゃ散らかしたのはお前か。」などと強い口調で尋ねたものの、Dが何も答えなかったため、更に大きな声で同じことを尋ねたが、Dがそれにも答えず、Aを睨み付けるような目つきをしたため、これに腹立ちを募らせ、「横目で睨むのはやめろ。」などと怒鳴り、Dの左頬を右の平手で一回殴打し、続いて「お前がやったのか。」などと怒鳴ったが、Dが同様の態度をとったため、Dの左頬から左耳にかけての部位を右の平手で一回殴打したところ、Dがよろけて右膝と右手を床についたので、Dの左腕を掴んで引き起こした上、また同様に怒鳴ったが、なおもDが同様の態度をとり続けたことから、腹立ちが収まらず、Dの左頬を右の平手で一回殴打した上、更に「お前がやったのか。」などと怒鳴りながら、一発ずつ間隔を置いてDの頭部右側を手拳あるいは裏拳で五回にわたり殴打した。すると、Dは、突然短い悲鳴を上げ、身体の左から倒れて仰向けになり、意識を失った。
6 被告人は、Aが寝室でDを大きな声で問い詰めるのを聞くとともに、頬を叩くようなぱしっという音を二、三回聞いて、やはりいつものせっかんが始まったと思ったものの、これに対しても何もせず、依然として米をとぎ続け、Aの行動に無関心を装っていたが、これまでにないDの悲鳴を聞き、慌てて寝室に行ったところ、既にDはAに抱えられ、身動きしない状態になっていた。
7 Aと被告人は、その後、Aの運転する自動車にDを乗せて病院に向かい、同日午後八時一〇分ころ、市立釧路総合病院に到着したが、Dは、直ちに開頭手術を受けたものの、翌二一日午前一時五五分ころ、Aの暴行による硬膜下出血、くも膜下出血等の傷害に伴う脳機能障害により死亡した。
8 被告人は、右病院で、担当医師から、Dの命が助からない旨の説明を受け、これを聞いてAの身代わり犯人となることを決意し、待合室にいたAに対し、「私がやったことにするから、あなたは昼から出かけたことにしておいて。」などと言ってAの身代わりになることを申し出た上、医師の通報により右病院に臨場した警察官に対し、自分の犯行である旨虚偽の申告をし、同月二一日午前三時一〇分、傷害致死罪により緊急逮捕され、捜査段階では終始一貫して自分の犯行である旨虚偽の供述をし、同年一二月一一日、同罪により起訴され、同月二四日に至り、初めて同房者にAの犯行である旨を告白した。
以上のような事実が認められる。
第二 原判決の事実認定及び法令の適用について
一 原判決は、前記第一とほぼ同旨の事実を認定しながら、被告人の内心の意思や動機等について、被告人の原審公判供述及び各検察官調書謄本(原審乙18ないし20)(以下「被告人の供述」と総称する。)に依拠して、被告人は、(1)甲野マンションでAから強度の暴行を受けるようになって以降、Aに愛情は抱いておらず、子供達を連れてAの下から逃げ出したいと考えていた、(2)しかし、Aが働くこともなく家にいて留守になることがなかったことから、逃げ出そうとしてAに見付かり、酷い暴行を受けることを恐れ、逃げ出せずにいた、(3)甲野マンションに入居した後、Aからは出て行けと何回か言われていたけれども、Aの言葉は本心ではなく、被告人を試すために言っているものと思っていた、(4)Aから激しい暴行を受けたときの恐怖心や、AがCやDに暴力を振るっているのを側で見ていて、Aから「何見てんのよ。」などと怒鳴られたことがあったことなどから、Aに逆らえば、酷い暴行を受けるのではないかと恐ろしかった上、Aが逆上してCやDに更に酷いせっかんを加えるのではないかと思い、CやDを助けることができなかった、(5)身代わり犯人になったのは、Dを見殺しにしてしまったという自責の念から自分自身が罰を受けたかったためであり、Aをかばうつもりはなかった、との事実を認定している。
二 そして、右事実認定を前提に、(一)不作為による幇助犯が成立するためには、他人による犯罪の実行を阻止すべき作為義務を有する者が、犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらず、これを放置しており、要求される作為義務の程度及び要求される行為を行うことの容易性等の観点からみて、その不作為を作為による幇助と同視し得ることが必要と解すべきであるとした上、(二)被告人には、AがDに対して暴行に及ぶことを阻止すべき作為義務があったと認めながら、(三)その作為義務の程度は極めて強度とまではいえないとし、(四)被告人に具体的に要求される作為の内容としては、Aの暴行をほぼ確実に阻止し得た行為、すなわちAの暴行を実力をもって阻止する行為を想定するのが相当であり、AとDの側に寄ってAがDに暴行を加えないように監視する行為、あるいは、Aの暴行を言葉で制止する行為を想定することは相当でないとした上で、(五)被告人が身を挺して制止すれば、Aの暴行をほぼ確実に阻止し得たはずであるから、被告人がAの暴行を実力をもって阻止することは、不可能ではなかったが、そうしようとした場合には、かえって、Aの反感を買い、被告人がAから激しい暴行を受けて負傷していた相当の可能性のあったことを否定し難く、場合によっては胎児の健康にまで影響の及んだ可能性もある上、被告人は、Aの暴行を実力により阻止することが極めて困難な心理状態にあったのであるから、被告人がAの暴行を実力により阻止することは著しく困難な状況にあったとし、(六)右状況にかんがみると、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することはできない旨判示している。
第三 原判決の事実誤認について
一 しかし、Aの当審公判供述を含む関係証拠及びこれによって認められる諸事実に照らすと、前記第二の一の被告人の供述(1)ないし(5)は、いずれもたやすく信用することができない。すなわち、
1 被告人がAから強度の暴行を受けるようになったのは、前記第一の二のとおり、Aと同棲を始めた直後の昭和北のアパート時代からのことで、同棲開始後間もない平成八年四月中旬ころには、Aからマイナスドライバーの先端を首筋に押し付けられて赤い痕が残るほどの暴行を受け、同年八月ころには、手首を切って自殺を図り、平手や手拳で顔面等を多数回殴打され、平成九年五月ころには、灯油を少量かぶって焼身自殺をする振りをし、手拳等で手足を殴打されて歩行もできない状況になるなど、強度の暴行を何回も受け、その度にAの留守を見計らっては実母方に逃げていたのに、被告人は、ほどなくAに戻るよう優しい言葉をかけられてはよりを戻すということを幾度も繰り返し、とりわけ同年五月ころ、星が浦のアパートから実母方に逃げた際には、実母から、今度Aの所に戻れば親子の縁を切るとまで言われ、生活保護の受給手続まで進めながら、数日後にはAとよりを戻して材木町のアパートで同棲するようになっていることなどに加え、原審公判廷においても、「母親としてじゃなく、女として、あの人のことが好きだというんで戻っていた。」などと供述していることに照らすと、被告人が、甲野マンション入居後、それまでと比べてさほど強度とはいえない暴行を二度ほど受けたからといって、にわかにAに愛情を抱かなくなり、Aの下から逃げ出したいと考えるようになったとは思われず、被告人の供述(1)はたやすく信用できない。
2 Aが家にいて留守になることがなくても、被告人は、Aから常時監視されたり、監禁、拘束されたりしていたわけではなく、原判決も指摘するように、Aが寝ているときもあったのであるから、常識的に考えれば、被告人が甲野マンションを出る機会や方法はいくらでもあった上、現に被告人は、これまで家出をする際には、子供達を残して単身実母方に逃げ帰り、後から子供達を迎えに行ったり、所持金のないまま子供達を連れてタクシーで実母方に逃げ帰り、実母に料金を払ってもらったりするなど、臨機の方法でAの下を逃れていたのであるから、Aが家にいて留守になることがなかったとしても、被告人が逃げ出せずにいたとは考え難く、また、被告人がこれまで家を出ようとしてAに見付かり、そのために暴行を受けた事実はなかったことに照らすと、そのようなことを恐れて逃げ出せずにいたとも考え難いので、被告人の供述(2)はたやすく信用できない。
3 標茶町の実家に身を寄せたとき以降、被告人に嫌気がさし、別れたいと思い、被告人にも繰り返しその旨話していた旨のAの原審公判供述や、甲野マンションに入居後、週に三、四回被告人から性交を誘われたが、本件までの約四週間に一、二度応じたのみである旨のAの当審公判供述に加え、職も蓄えもないAが、自分の子であるF子のみならず、被告人やその連れ子で自分とは既に離縁しているC及びDまで扶養しなければならない状況に置かれていたことや、これまで別れ話を持ち出したことのなかったAが、甲野マンションに入居後は、被告人に何回も出て行けと言い、C及びDに対し、ほとんど毎日のように激しいせっかんを繰り返すようになったことなどに照らすと、Aの出て行けとの言葉は本心であり、被告人もこれを察知していたものと認めるのが相当であるから、被告人の供述(3)はたやすく信用できない。
4 被告人が、これまでに、Aのせっかんを制止しようとしたために、Aから自己や胎児に危険が及ぶような激しいせっかんを受け、あるいは、C及びDに対するせっかんが更に激しくなったという事実はなく、被告人は、本件に至るまで、Aのせっかんを制止しようとしたことすらないほか、標茶町時代及び甲野マンション入居後、AがC及びDに激しいせっかんをしているのを見ても、「あんた達が悪いんだから怒られて当たり前だ。」などと言い放ち、Aのせっかんに加担するような態度をとっていた上、自らも、本件直前の平成九年一一月一三日ころには、さしたる理由もないのに、Aのせっかん等によってかなり衰弱しているC及びDを並ばせ、「お前達なんか死んじゃえばいいのに。」などと言いながら、二人の顔面や頭部等を殴打し、腰部等を足蹴にして、二人をその場に転倒させるせっかんを加え、同月一五日ころにも、Dに対し、平手で顔面を殴打し、その場に転倒させるせっかんを加えていたことなどに照らすと、被告人がDらを助けなかった理由が、Aに逆らえば、酷い暴行を受けるのではないかと恐ろしかった上、Aが逆上してDらに更に酷いせっかんを加えるのではないかと思ったことにあるとは考えられず、被告人の供述(4)はたやすく信用できない。
5 被告人は、現にAの身代わり犯人になっているのであるから、常識的には、Aをかばおうとする意思があったものと考えられるほか、本件当夜、意識を失ったDを病院に搬送した後、医師からその原因を尋ねられても、自己やAが殴打したとは答えず、「転んだ。」などと嘘を言い、Dが助かる見込みがないことを医師から知らされた後、警察官から任意の取調べを受けた際にも、自分がせっかんを加えていたと述べる一方で、当初は「今日は殴っていない。」と述べるなど、Dを見殺しにしてしまったという自責の念のみでは説明の付かない言動をしていた上、緊急逮捕後警察官から本格的な取調べを受けた際には、Aを愛している旨を繰り返し述べる一方で、Aの自己に対する暴力についてはほとんど述べず、「Aが、CとDを殴ったことは一度もない。」などと、あえて虚偽の事実を述べるなど、Aをかばおうとする意思がなければ説明の付かない言動をしていたことに照らすと、被告人の供述(5)はたやすく信用できない。
二 以上によれば、被告人の供述(1)ないし(5)に沿う事実はいずれもこれを認めることができず、前記第一の事実、とりわけ、被告人が自ら申し出てAとの同棲を開始し、Aから何回も暴力を振るわれながら、Aとの内縁ないし婚姻関係を継続していたこと、本件の五か月余り前からは、Aの暴力の有無にかかわらず、実母方に逃げることもなかったこと、甲野マンション入居後は、Aから別れ話を持ち出され、子供を連れて出て行くように言われ、暴力まで振るわれたのに、最後まで出て行かなかったこと、標茶町時代以降、AがDらに激しいせっかんをしているのを見ても、これを制止せず、かえってAのせっかんに加担するような態度をとり、本件直前ころには、自らもCやDに相当強度のせっかんを加えていたこと、本件直後Dの命が助からない旨を聞かされるや、躊躇なくAの身代わり犯人となることを決意し、自ら申し出て身代わり犯人になり、一か月余り虚偽の供述を維持していたことなどに照らすと、被告人が本件せっかんの際、Aの暴行を制止しなかったのは、当時なおAに愛情を抱いており、Aへの肉体的執着もあり、かつ、Aとの間の第二子を懐妊していることもあって、Dらの母親であるという立場よりもAとの内縁関係を優先させ、AのDに対する暴行に目をつぶっていたものと認めるのが相当であるから,被告人がAの暴行を制止しなかった理由として、被告人の供述(4)に沿う事実を認定した原判決には、事実の誤認があるといわざるを得ない。
三 そうすると、被告人は、Aの暴行を実力により阻止することが著しく困難な状況にあったとはいえず、前記第二の二の原判決の判示を前提としても、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することができないとはいえないから、右事実誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかというべきである。
第四 原判決の法令適用の誤りについて
一 後述する不作為による幇助犯の成立要件に徴すると、原判決が掲げる「犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらず、これを放置した」という要件は、不作為による幇助犯の成立には不必要というべきであるから、実質的に、作為義務がある者の不作為のうちでも結果阻止との因果性の認められるもののみを幇助行為に限定した上、被告人に具体的に要求される作為の内容としてAの暴行を実力をもって阻止する行為のみを想定し、AとDの側に寄ってAがDに暴行を加えないように監視する行為、あるいは、Aの暴行を言葉で制止する行為を想定することは相当でないとした原判決には、罪刑法定主義の見地から不真正不作為犯自体の拡がりに絞りを掛ける必要があり、不真正不作為犯を更に拡張する幇助犯の成立には特に慎重な絞りが必要であることを考慮に入れても、なお法令の適用に誤りがあるといわざるを得ない。
二 そこで、被告人に具体的に要求される作為の内容とこれによるAの犯罪の防止可能性を、その容易性を含めて検討する。
1 まず、AとDの側に寄ってAがDに暴行を加えないように監視する行為は、数メートル離れた台所の流し台からAとDのいる寝室に移動するだけでなし得る最も容易な行為であるところ、関係証拠によれば、Aは、以前、被告人がAのせっかんの様子を見ているとせっかんがやりにくいとの態度を露わにしていた上、本件せっかんの途中でも、後ろを振り返り、被告人がいないかどうかを確かめていることが認められ、このようなAの態度にかんがみると、被告人がAの側に寄って監視するだけでも、Aにとっては、Dへの暴行に対する心理的抑制になったものと考えられるから、右作為によってAの暴行を阻止することは可能であったというべきである。
2 次に、Aの暴行を言葉で制止する行為は、Aを制止し、あるいは、宥める言葉にある程度の工夫を要するものの、必ずしも寝室への移動を要しない点においては、監視行為よりも容易になし得る面もあるところ、関係証拠によれば、Aは、Dに対する暴行を開始した後も、D及び被告人の反応をうかがいながら、一発ずつ間隔を置いて殴打し、右暴行をやめる機会を模索していたものと認められ、このようなAの態度にかんがみると、被告人がAに対し、「やめて。」などと言って制止し、あるいは、Dのために弁解したり、Dに代わって謝罪したりするなどの言葉による制止行為をすれば、Aにとっては、右暴行をやめる契機になったと考えられるから、右作為によってAの暴行を阻止することも相当程度可能であったというべきである(被告人自身も、原審公判廷において、本件せっかんの直前、言葉で制止すれば、その場が収まったと思う旨供述している。)。
3 最後に、Aの暴行を実力をもって阻止する行為についてみると、原判決も判示するとおり、被告人が身を挺して制止すれば、Aの暴行をほぼ確実に阻止し得たことは明らかであるところ、右作為に出た場合には、Aの反感を買い、自らが暴行を受けて負傷していた可能性は否定し難いものの、Aが、被告人が妊娠中のときは、胎児への影響を慮って、腹部以外の部位に暴行を加えていたことなどに照らすと、胎児の健康にまで影響の及んだ可能性は低く、前記第三の三のとおり、被告人がAの暴行を実力により阻止することが著しく困難な状況にあったとはいえないことを併せ考えると、右作為は、Aの犯罪を防止するための最後の手段として、なお被告人に具体的に要求される作為に含まれるとみて差し支えない。
4 そうすると、被告人が、本件の具体的状況に応じ、以上の監視ないし制止行為を比較的容易なものから段階的に行い、あるいは、複合して行うなどしてAのDに対する暴行を阻止することは可能であったというべきであるから、右1及び2の作為による本件せっかんの防止可能性を検討しなかった原判決の法令適用の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかというべきである。
第五 破棄自判
以上によれば、論旨はいずれも理由があるから、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、当審において更に次のとおり判決をする。
(罪となるべき事実)
被告人は、平成九年六月ころ、先に協議離婚したAと再び同棲を開始するに際し、当時自己が親権者となっていた、元夫Bとの間にもうけた長男C及び二男D(当時三歳)を連れてAと内縁関係に入ったが、その後、AがDらにせっかんを繰り返すようになったのであるから、その親権者兼監護者としてDらに対するAのせっかんを阻止してDらを保護すべき立場にあったところ、Aが、平成九年一一月二〇日午後七時一五分ころ、釧路市鳥取南《番地略》甲野マンション一号室において、Dに対し、その顔面、頭部を平手及び手拳で多数回にわたり殴打し、転倒させるなどの暴行を加え、よって、Dに硬膜下出血、くも膜下出血等の傷害を負わせ、翌二一日午前一時五五分ころ、同市春湖台一番一二号市立釧路総合病院において、Dを右傷害に伴う脳機能障害により死亡させた犯行を行った際、同月二〇日午後七時一五分ころ、右甲野マンション一号室において、Aが前記暴行を開始しようとしたのを認識したのであるから、直ちに右暴行を阻止する措置を採るべきであり、かつ、これを阻止してDを保護することができたのに、何らの措置を採ることなく放置し、もってAの前記犯行を容易にしてこれを幇助したものである。
(証拠の標目)《略》
(補足説明)
1 不作為による幇助犯は、正犯者の犯罪を防止しなければならない作為義務のある者が、一定の作為によって正犯者の犯罪を防止することが可能であるのに、そのことを認識しながら、右一定の作為をせず、これによって正犯者の犯罪の実行を容易にした場合に成立し、以上が作為による幇助犯の場合と同視できることが必要と解される。
2 被告人は、平成八年三月下旬以降、約一年八か月にわたり、Aとの内縁ないし婚姻関係を継続し、Aの短気な性格や暴力的な行動傾向を熟知しながら、Aとの同棲期間中常にDらを連れ、Aの下に置いていたことに加え、被告人は、わずか三歳六か月のDの唯一の親権者であったこと、Dは栄養状態が悪く、極度のるい痩状態にあったこと、Aが、甲野マンションに入居して以降、CやDに対して毎日のように激しいせっかんを繰り返し、被告人もこれを知っていたこと、被告人は、本件せっかんの直前、Aが、Cにおもちゃを散らかしたのは誰かと尋ね、Cが、Dが散らかした旨答えたのを聞き、更にAが寝室でDを大きな声で問い詰めるのを聞いて、AがDにせっかんを加えようとしているのを認識したこと、Aが本件せっかんに及ぼうとした際、室内には、AとDのほかには、四歳八か月のC、生後一〇か月のF子及び被告人しかおらず、DがAから暴行を受けることを阻止し得る者は被告人以外存在しなかったことにかんがみると、Dの生命・身体の安全の確保は、被告人のみに依存していた状態にあり、かつ、被告人は、Dの生命・身体の安全が害される危険な状況を認識していたというべきであるから、被告人には、AがDに対して暴行に及ぶことを阻止しなければならない作為義務があったというべきである。
ところで、原判決は、被告人は、甲野マンションで、Aから強度の暴行を受けるようになって以降、子供達を連れてAの下から逃げ出したいと考えていたものの、逃げ出そうとしてAに見付かり、酷い暴行を受けることを恐れ、逃げ出せずにいたことを考えると、その作為義務の程度は極めて強度とまではいえない旨判示しているが、原判決が依拠する前記第二の一の被告人の供述(1)及び(2)は、前記第三の一の1及び2で検討したとおり、いずれもたやすく信用することができないから、右判示はその前提を欠き、被告人の作為義務を基礎付ける前記諸事実にかんがみると、右作為義務の程度は極めて強度であったというべきである。
3 前記第四の二のとおり、被告人には、一定の作為によってAのDに対する暴行を阻止することが可能であったところ、関係証拠に照らすと、被告人は、本件せっかんの直前、AとCとのやりとりを聞き、更にAが寝室でDを大きな声で問い詰めるのを聞いて、AがDにせっかんを加えようとしているのを認識していた上、自分がAを監視したり制止したりすれば、Aの暴行を阻止することができたことを認識しながら、前記第四の二のいずれの作為にも出なかったものと認められるから、被告人は、右可能性を認識しながら、前記一定の作為をしなかったものというべきである。
4 関係証拠に照らすと、被告人の右不作為の結果、被告人の制止ないし監視行為があった場合に比べて、AのDに対する暴行が容易になったことは疑いがないところ、被告人は、そのことを認識しつつ、当時なおAに愛情を抱いており、Aへの肉体的執着もあり、かつ、Aとの間の第二子を懐妊していることもあって、Dらの母親であるという立場よりもAとの内縁関係を優先させ、AのDに対する暴行に目をつぶり、あえてそのことを認容していたものと認められるから、被告人は、右不作為によってAの暴行を容易にしたものというべきである。
5 以上によれば、被告人の行為は、不作為による幇助犯の成立要件に該当し、被告人の作為義務の程度が極めて強度であり、比較的容易なものを含む前記一定の作為によってAのDに対する暴行を阻止することが可能であったことにかんがみると、被告人の行為は、作為による幇助犯の場合と同視できるものというべきである。
(法令の適用)
被告人の判示行為は、刑法六二条一項、二〇五条に該当するところ、右は従犯であるから、同法六三条、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとし、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件は、当時三歳の男児Dの親権者兼監護者であった被告人が、内縁の夫AによるDに対する激しいせっかんを阻止せず、AによるDの傷害致死を容易にしてこれを幇助したという事案である。
被告人は、甲野マンションに入居して以降とりわけ激しくなったAのDらに対する恒常的なせっかんを放置し続けていたもので、本件は起こるべくして起きた事案といってよい。被告人は、本件せっかんの当日、A及びF子とともに五時間余り外出し、その間、電灯もストーブも点いていない暗く寒い室内で、半袖シャツとパンツだけの姿で起立させられていたDを思い遣ることなく、Aが帰宅するなり、おもちゃを散らかしたといえる状況もないDを問い詰め、暴行に及ぼうとしたのを認識しながら、Dの母親であるという立場よりもAとの内縁関係を優先させ、AのDに対する暴行に目をつぶり、AやDの姿が見通せない台所の流しで夕食用の米をとぐなどしていたもので、動機に酌量すべきものはほとんどない。被告人は、AがDに対して暴行に及ぶことを阻止しなければならない極めて強度の作為義務を負っており、かつ、比較的容易なものを含む一定の作為によってこれを阻止することが可能であったのに、何らの作為にも出ず、母親として果たさなければならない義務を放棄していたもので、被告人が当時妊娠約六か月の状態であったことを考慮しても、犯行態様は決して芳しいものではない。Dは、Aの暴行及びこれを阻止しなかった被告人の不作為により、硬膜下出血等の傷害を負い、直ちに病院に搬送されて手術を受けたものの、既に手遅れの状態となっており、受傷から七時間足らずで死亡したもので、その結果は誠に重大であり、Aから連日のように無慈悲かつ理不尽なせっかんを加え続けられた挙げ句、おもちゃを散らかしたとの濡れ衣を着せられて、いわれのない激しいせっかんを受け、全身に新旧多数の打撲傷や痣、皮膚の変色を残したまま、僅か三歳六か月の幼い命を奪われたDの無念さは察するに余りあり、実父であるBが、Aに対する厳罰を望んでいるほか、Dを助けなかった被告人も許せない旨警察官に供述しているのも、誠に無理からぬところである。加えて、被告人は、本件犯行後自ら進んでAの身代わり犯人となり、緊急逮捕後は一貫して自分がDを殴って死亡させたのであり、Aは無関係である旨の虚偽の供述を繰り返し、逮捕後一か月余りを経た起訴勾留中に、ようやく真犯人がAである旨を同房者に打ち明けたもので、犯行後の行状も甚だ芳しくない。以上のようにみてくると、被告人の刑事責任は誠に重い。
しかしながら、本件傷害致死の正犯者はあくまでAであり、被告人の幇助の態様は不作為という消極的なものであったこと、被告人自身もAからしばしば相当強度の暴力を振るわれており、前記妊娠の点をも併せ考慮すると、被告人が期待された作為に出なかったことについては、一概に厳しい非難を浴びせ難い面もあること、被告人自身、本件により自らが腹を痛めたDを亡くしており、自責の念を抱いていること、被告人は、累犯前科を有するAと異なり、これまで前科なく生活しており、原審係属中の平成一〇年五月二七日勾留取消決定により釈放された後は、飲食店従業員として稼働していること、被告人にはDのほかに三児があり、現在C及びF子は施設に入所しているものの、いずれは同児らを引取り、自ら養育していくべき責任があること、被告人には釧路市内に住む実母がいて、将来も折あるごとに被告人の相談に乗り、被告人を監督していくものと期待されることなどの諸事情も認められ、これらを前記諸事情と併せ考えると、この際、被告人に対しては、直ちに実刑をもって臨むよりも、Dの冥福を祈らせつつ、社会内で更生の道を歩ませるのが相当と考えられる。
(原審における求刑 懲役三年)
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 近江清勝 裁判官 渡邊壯 嶋原文雄)