第1 当事者の求めた裁判
1 請求の趣旨
(1)被告は,原告に対し,12万1680円及びこれに対する平成20年6月1日から完済日が奇数月に属するときはその月の前々月末日まで,完済日が偶数月に属するときはその月の前月末日まで,2か月当たり2%の割合による金員を支払え。
(2)訴訟費用は被告の負担とする。
(3)仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第2 当事者の主張
1 事案の概要
放送受信契約を締結したのに受信料の未払があると主張する原告が,被告に対して未払受信料12万1680円及びこれに対する約定利率による遅延損害金の支払を求めた事案である。
これに対して,被告は,原告との間に放送受信契約を締結した事実はなく,妻が被告に無断で被告名義にて放送受信契約書に署名押印したにすぎないと反論している。そこで,原告は,妻の行為が日常家事債務(民法761条)に含まれるので夫である被告は連帯責任を負うこと,被告は妻へ代理権を授与していたこと,表見代理(民法110条)が成立すること,被告が妻の行為を追認したこと,のいずれかにより放送受信契約の効力が被告に及ぶと主張している。
2 請求原因
(1)法及び規約
原告は,
放送法に基づいて設置された法人であり,放送法32条3項に基づき,総務大臣の認可を受けて,別紙「日本放送協会
放送受信規約概要」記載のとおり,放送受信契約の内容を定めた日本放送協会放送受信規約(以下「規約」という。)を定めている。
なお,「期」とは,規約6条に定める2か月ごとの支払期間をいい,4月及び5月を第1期とし,以後第6期まで同様である。
(2)契約の締結
ア 日常家事債務の連帯責任
原告は,平成15年2月7日,被告との間で,放送受信契約(以下,原告と被告との間で締結された放送受信契約を「本件契約」といい,一般的な放送受信契約とは区別する。)を締結した。その際,被告の妻であるC(以下「C」という。)が,被告名で放送受信契約書に署名押印し,被告名義で平成15年2月及び3月の受信料4680円を支払った。
本件契約の締結は,民法761条(日常の家事に関する債務の連帯責任)の日常の家事に関する法律行為に含まれるので,その法律効果は被告に帰属する。すなわち,放送受信契約の締結は,現在の日常生活に不可欠のテレビ放送に関する契約であること,原告の放送を受信できる受信設備を設置した者は放送法32条1項により放送受信契約を締結すべき法的義務を負っていること,放送受信契約を締結した場合の一月当たりの負担額も2400円であることなどからすれば,「日常の家事」に含まれることは明白である。
イ 代理権
Cは,本件契約当時,本件契約の締結について代理権を与えられていた。すなわち,被告は,Cに対し,夫婦にとって何らかの方針決定が必要な法律行為を除く日常生活に伴う法律行為等について,その要否の判断を委ね,代理権を授与していたものであり,本件契約の締結は,夫婦にとって何らかの方針決定が必要な法律行為ではなく,日常生活に伴う法律行為であるから,Cが被告から与えられていた代理権の範囲に含まれる。
ウ 表見代理
仮に,本件契約の締結がCの代理権の範囲に属さないとしても,表見代理が成立し,本件契約は有効に被告に帰属する。すなわち,被告は,Cに対し,夫婦にとって何らかの方針決定が必要な法律行為を除く公共料金に関することなど被告の家庭にとって日常生活に伴う法律行為等について,その要否の判断を委ね,代理権を授与していたものであり(基本代理権の授与),本件契約の締結がCの代理権に属さないとした場合,本件契約の締結は,基本代理権を超えて締結されたことになる。しかし,Cは本件契約の締結が自らの代理権の範囲内にあると信じており,かつ同人が本件契約の締結を行う際の態度に不自然不信な点はなく,「B」という印鑑を用いて押印し,2か月分の放送受信料4680円を支払った。一方,原告の契約取次者は,マニュアルに従い適切に本件契約を締結した。また,原告の契約取次者は,Cと面談する時,契約者名を夫婦のいずれにするかについては,誰の名前で契約して欲しいとのお願いはせず,Cの判断を尊重していた。したがって,本件契約の締結に際し,放送受信契約の締結がCの代理権の範囲に属さないことにつき,原告の善意無過失は明らかである。
エ 追認
仮に,本件契約の締結がCの代理権の範囲に属さないとしても,本件契約は被告により追認された。すなわち,被告は,原告と放送受信契約を締結したくないと考えていたが,それにもかかわらず,Cは,放送受信契約の締結がCの代理権の範囲に属すると信じ,本件契約の締結について被告に報告する必要はないと考えていた。これらの事実を考え合わせると,被告夫婦の間には放送受信契約の締結について決定的なそごが生じていたことになる。ところが,Cはおよそ10か月にわたり放送受信料を支払い続けたのであり,これほど長きにわたって,夫婦間のそごが顕在化しなかったとは考えにくい。そうすると,4回の被告名義での放送受信料の支払のいずれかの回からは,本件契約の存在が被告の知るところとなり,被告の了解の下に放送受信料の支払が行われたと解するのが自然である。したがって,仮に本件契約の締結がCの代理権の範囲に属さないとしても,本件契約は被告により追認されたと考えられる。
(3)未払
被告は,平成15年12月1日から平成20年3月31日まで(平成15年度第5期から平成19年度第6期まで)の52か月分の放送受信料合計12万1680円を支払っていない。
(4)よって,原告は,被告に対し,本件契約に基づき,12万1680円及びこれに対する訴えの変更申立書送達日の属する期の翌期の初日である平成20年6月1日から支払済みの日が属する期の前の期の末日まで,約定の利率である2か月当たり2%の割合による遅延損害金の支払を求める。
3 請求原因に対する認否及び主張
(1)請求原因(1)は知らない。
(2)請求原因(2)アのうち,Cが被告名で放送受信契約書に署名押印し,被告名で受信料4680円を支払ったことは認め,被告がCに放送受信契約の締結の代理権を授与したことは否認し,原告と被告との間で本件契約が締結されたとの主張は争う。
イの主張は争う。
ウの主張は争う。表見代理は成立しない。
エの主張は争う。
(3)請求原因(3)は認める。
(4)被告の主張(日常家事債務について)
ア 民法761条は,実質的には夫婦は相互に日常の家事に関する法律行為について他方を代理する権限を有することを規定している。そして,「日常の家事」とは,夫婦共同生活に必要とされる一切の事務であり,その具体的範囲は,夫婦の社会的地位,職業,資産,収入,夫婦が生活する地域社会の慣習等の個別事情のほか,当該法律行為の種類,性質等の客観的事情を考慮して定められるべきものである。
日常の家事とは,衣食住という夫婦の共同生活の基本的部分にかかわるものをいい,こうした夫婦の基本的部分について,夫婦の生活状況に照らして必要かつ相当な支出を伴う契約の締結が日常の家事の範囲とされるべきである。
これに対し,夫婦の共同生活の基本的部分にかかわらないものや,夫婦の生活状況に照らして,不必要ないし不相当な支出を伴う契約の締結は,日常家事の範囲外とされるべきである。そして,契約の目的物の必要性の判断や支出の相当性の判断には,個々の夫婦の意思や事情も考慮されるべきである。
イ 被告ら夫婦は,同年代の一般家庭と同等の生活水準にある。そして,本件契約に基づく受信料は,月額2340円と,月単位でみればそれほど高額とは言い難いが、本件契約は継続的に支払義務が生ずる契約であり,1年間でも2万8080円,居住年数によってはそれを優に超える金員の支払を求められる契約である。原告は,12か月前払の方式も受け付けており,この場合,12か月の受信料は2万6100円である。
放送受信契約は,放送の受信に関する契約であるところ,放送に関しては,その情報が視聴者個々人の思想信条の形成に大きな影響を与えるものであり,その情報の入手源の選択も,個々人の判断に委ねられる必要性が高いものである。したがって,受信契約の締結が,夫婦共同生活に必要であるとして,夫婦間に代理権を認めたり,連帯責任を負わせたりすることは,受信したくない放送を受信し,その対価を支払って受信したくない放送の製作に助力することを強いることになりかねず,個人としての思想信条の保護に欠けることとなる。すなわち,放送受信契約は,そもそも,その性質上,夫婦であるからといって,一方に代理権を与えてよいような性質の法律行為ではない。また,被告は,近年,原告において度重なる不祥事が生じていたこともあり,原告が放送する番組を視聴することはなかったし,放送受信契約を締結することにも反対していた。
さらに,昨今のインターネットの普及や他のテレビ放送網の充実により,公共放送から情報を得なければならない必要性はなくなっている。
ウ 以上のとおり,放送受信契約は,衣食住にかかわる契約ではないこと,被告夫婦に長期間にわたり相当な金銭的負担を強いるものであること,個人の思想信条にかかわる部分が大きいことの事情を考慮すると,夫婦間で代理権を認めるのにふさわしくない性質の契約であるといえる。その上,被告は,放送受信契約の締結を希望しておらず,現に,原告が放送する番組を視聴しておらず,本件契約を締結しなくても,被告夫婦の生活には支障がなく,放送受信契約を締結する必要性に乏しく,放送受信契約の締結が日常家事の範囲に含まれるとはいえない。
原告の契約担当者は,本件契約の締結が日常家事の範囲内に属するものかどうか,すなわち,被告の妻に代理権があるのかについて疑念を差し挟む余地があったといえるにもかかわらず,契約書に被告の妻が被告の名を署名押印していても,このような疑念を払拭するに足る措置を何ら講じていないのであるから,本件契約の締結が日常家事の範囲内であると信ずるについて正当な理由があったといえない。
エ そもそも,受信料支払債務は,法律で,受信装置を設置した者に対し,必然的に契約をさせ発生する債務であり,しかも,片務的に発生するものである(受信装置の設置に対し発生し,対価として徴収するものではない。)。民法761条が想定するのは,原則的には双務契約の相手方というべきであり,判例,裁判例で日常家事債務を認められたものもそうである。
オ 放送受信契約の締結には,民法761条は適用されないので本件契約の効力が被告に帰属することはない。
4 被告の主張に対する原告の反論
(1)民法761条は,日常の家事の範囲内において,夫婦の一方と取引関係に立つ第三者を保護することを目的とする規定であると解すべきであるから,問題になる特定の法律行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為に属するか否かは,その夫婦の立場のみに立って判定するのは相当ではなく,その夫婦と取引関係に立つ第三者の立場にも立って,これを客観的に判定すべきである。したがって,社会通念上生活必需品とされる食糧,衣類,燃料の買い入れ,夫婦の共同生活に不可欠な家賃,地代,電気水道料金の支払等の法律行為や,相当な範囲内での家族の保健,娯楽,医療,未成熟の子女の養育,教育等に関する法律行為は,その行為をする夫婦の主観的意思にかかわらず,民法761条所定の日常の家事に関する法律行為であると解するべきである。他方,日常の生活費としては客観的に妥当な範囲を超える借金をしたり,夫婦の特有財産である不動産を担保に供したり,それを売却するような行為は,日常の家事に関する法律行為に属しないものと解するべきである。
テレビ放送や原告との間の本件契約の締結は,相当な範囲内での家族の娯楽に関する法律行為というべきであり,また,テレビニュース等により日常生活にかかわる情報や主権の行使にかかわる情報を迅速かつ簡易に取得することは,日常生活に不可欠というべきであるから,放送受信契約を締結する行為は民法761条の日常家事の範囲内の法律行為といえる。
(2)例えば,食糧,衣類,燃料については,これを継続的に購入するような契約を締結するような場合,個々の購入が社会通念上相当といえるのであれば,日常の家事の範囲内というべきであるから,契約の継続性をもって日常家事に該当しないということはない。
被告は,受信料について,1年間では2万8080円になると指摘するが,このような事情は,食糧,衣類,燃料を継続的に購入する場合も同様であって,長期間の受信料の額を通算することに何ら意味はない。
(3)放送受信契約は,受信設備を廃棄(廃止)すれば,直ちに解約が認められる上,仮に,放送受信契約が締結されていても視聴自体を強制させるわけではない以上,何ら個人の思想信条の保護を奪うものではない。むしろ,受信機を設置した場合に原告との間で放送受信契約を締結すべきことは法律で定められていることであり(放送法32条1項),一般の家庭で日常的に行われていることである。夫に代わってその配偶者が契約することも珍しくない。これを認めなければ,夫が不在がちの家庭では放送受信契約の締結という法律上の義務を果たす機会が制限されることになる。
(4)被告は,本件契約の締結を望んでおらず,また,本件契約を締結しなくても,夫婦の生活に支障はなく,本件契約を締結する必要性に乏しかったと主張する。
しかし,民法761条は,上記のとおり,夫婦の一方と取引関係に立つ第三者を保護することを目的とする規定であると解すべきであるから,日常家事の範囲については,その夫婦の立場のみに立って判定するのは相当でなく,その夫婦と取引関係に立つ第三者の立場にも立ってこれを客観的に判定すべきである。被告の主張は,民法761条の趣旨を没却するものであり妥当ではない。
また,被告が放送を視聴しているか否かは,受信料支払義務の成否とは直接関係がない。すなわち,放送法32条1項を受けた規約5条は,受信料支払義務の発生要件について受信機の設置を要件としているのであって,放送番組の有無を要件とはしていない。
(5)放送受信契約は,公法上の契約ではなく,私法上の契約であり,放送法に特段の規定がないときは民法が適用される。また,放送受信契約は,双務契約ではなく,片務契約である。さらに,放送受信契約の成立日は,規約では受信機設置の日とされているが,運用上,放送受信契約の締結時としている。
第3 証拠
証拠関係は,本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから,これを引用する。