ヒッチハイクレース2018
8月5日、夏。肌を焼くような日差しを背に、私は学校へ足早に向かっていた。「ヒッチハイク」というものはしたことはおろか、見たこともない新しい挑戦だった。その意気込みと前日不安になって突っ込んだ荷物でザックはみるみる膨れ、人ひとりあろうかというサイズになっていた。どでかいザックはすれ違う人々の注目を集め、私から体力をじわじわと奪っていく。ようやく校門に立った時、流れ出た汗でTシャツはびっしょり濡れてツートンカラーとなっていた。
今日はオープンキャンパスの日。本校を夢見ているのであろう若人たちが続々と集っている。思えば私も4カ月前は高校生であった。まさか大学に入って野宿しているなどとは想像だにしていなかった純朴な少年であった。未来とはまったくもって予測がつかない。
食堂も人であふれていた。しばらく待つうちに参加メンバー6人が集結した。そして、他の人の荷物を見て我が目を疑った。みな驚くほど軽装だった。50リットル超えのリュックなど誰もいない。極めつけはトートバッグにサンダルの人もいる。なんて強靭なメンタルなんだ…。一週間分の荷物を詰め込んだ自分が阿呆らしく思えた。
レースの前にチーム分けをすることに。今回は及川さんと山本さんがソロで挑むので、くじびきの結果松岡さんと青山、私と柳のペアになった。
チーム名どうするのか、ということになったが、及川さんの「おでんの具にしよう!」という宣言であっさり決まった。この真夏にあえておでんをチョイスするアグレッシブな姿勢、嫌いじゃないよ。
チーム玉子 及川
チームはんぺん 山本
チーム牛すじ 松岡 青山
チーム大根 樫村 柳
ずっと疑問に思っていた、「スタート地点が学校なのにどうやって高速に乗るのか」ということを及川さんにぶつけると、「用賀ICまで歩く」と返ってきた。????????
話によると渋谷ではほとんど車に乗せてもらえないらしく、毎年伝統のように用賀ICまで歩いてからヒッチハイクしているらしい。学校から用賀までその距離、9キロ。
学校まででさえへとへとになったあのザックを、真っ昼間の炎天下に背負って行進することを想像して頭が真っ白になった。そんなこんなで、12時ちょうどにレースは火蓋を切った。
渋谷から抜け出すまでが長かった。渋谷という名が示す通り、この土地は坂に囲まれていることを改めて実感した。果てしなく続く道を、ザックの重みで潰れそうになる肩を叱咤しながら歩いた。ヒッチハイクする前から限界が訪れるなんて…
どれほど歩いただろうか、三軒茶屋を過ぎたあたりで、及川さんが「電車乗ろう」と提案した。どうやらみな限界だったようで、嬉々として賛成した。伝統破れたり。車内ではだれも口を開かなかった。
ようやくスタート地点に着く。まずは全員近くのマクドナルドに駆け込み一服した。しばらく椅子と尻がくっついたかのように座り込んでいると、及川さんと山本さんは早くもヒッチハイクを開始するため出て行った。
こっから先はチーム別に書いてくださいヨロシク
チーム大根
目的地:九州
結局マクドナルドに最後まで居座り、腰を上げたのは14時。外に出ると、ムッとした熱気が再び身体を包む。マクドナルドの目の前にはICへと続く道路が走っている。チーム玉子とチームはんぺんの姿はすでにない。ヒッチハイクに成功したのだろうか。すぐそばでチーム牛すじがスケッチブックを掲げ頑張っている。我々は違う場所でトライすることにした。
私も柳も初めてなので、なにもかもが手探りだ。とりあえずセオリー通りに多くの車が集まる海老名SAを目指すことにして、まず試しにマクドナルドのドライブスルーに入った車を狙ってみることにした。......全くダメ。しばらく車を観察して気づいたのだが、ドライブスルーの客はファミリーが多い。すなわち、汗にまみれたむさくるしい男二人を乗せるスペースなどない。早々と見切りをつけ、場所を変えた。
なかなか乗せてもらうことができずに場所を転々とした。うちのサークル以外にもヒッチハイカーがいたので一言二言言葉を交わした。目的地は同じようだった。
向こうから像のような巨大なトラックが近づいてきた。「海老名」の紙を掲げると、我々の真横を通り過ぎる瞬間、ドライバーのオヤジはなんと中指を立ててきた。こなくそ。心の中で色々と言い返しておいた。
気づけば日が傾いてきていた。チーム牛すじも別のヒッチハイカーももういない。暑さで頭は朦朧としている。ヒッチハイク一年目にして一日目は車に乗せてもらえず東京にて野宿、という悲しい想像もした。成功例を踏襲して牛すじがいた場所でトライしていると、後ろから声を掛けられた。「よかったら。溶けるんで食べちゃってください」クロスバイクに乗った兄ちゃんが袋を差し出ている。中にはチョコモナカジャンボが二つ入っていた。なんと優しいことか。おそらく炎天下突っ立っている我々を見て憐れんでくれたのだろう。ペコペコ礼を言う我々を背に、兄ちゃんは颯爽と走り去った。
人の情に触れて食べるチョコモナカジャンボはどれほど美味しいことか。溶けないよう交代で食べていると、柳のもとに一台のセダンが止まった。私は慌ててチョコモナカジャンボを口に押し込み、車に乗り込んだ。
待望の一台目の主は、還暦超えであろう親父さんだった。小田原にマンションを持っているらしく、通り道なので乗せてくれたらしい。何者なんだ… 偶然同じ大阪出身だったので土地話が進んだ。放出の地名を耳にしたのは久しぶりだ。海老名へは15分ほどで着いた。何度もお礼を言って親父さんとはお別れした。
しかしここからが正念場である。さまざまな行先の人々の海老名で、いかに目的地へより近づける車に乗せてもらうか。お手洗いに行ってひと休みしたのち、我々はスケッチブックに大きく「大阪」と書き込んだ。
西日が照り付ける下、SAの出口に陣取った。この時間から大阪へ向かう車などそうそういないだろう、と考えてしばらくのちには「名古屋」もしくは「静岡」に書き換えるつもりでいたのだが、驚くことに15分も経たないうちに黒塗りのセダンが目の前に止まった。セダンには何やら激しい字体のロゴや、キツネを模した面のステッカーが大量に貼られていた。運転手の兄ちゃんが色付き眼鏡をかけていることも相まって少し怖くなったが、乗せてもらえることはたいへんありがたいので急いで地面に置いたザックを背負いあげた。近づくと、ロゴには『BABYMETAL』と書いてあるのが見て取れた。超有名メタルダンスユニットである。私でも知っている。なんのことはない、運転手の兄ちゃんは熱心なベビメタファンだった。話してみると人柄の良い人で、東京で開催されたベビメタのイベントに参加するため車を走らせてきたらしい。これから大阪へ帰るとのこと。またも大阪出身の人に乗せてもらえた。奇遇。
22歳、トラック整備士の兄ちゃんはずっとBABYMETALのライブ映像を流していた。会話に挟まれた沈黙に響くメタル。それほど好きなのだろう。道中彼は我々のトイレや食事の心配をたびたびしてくれた。
静岡は東西に長くて横断するのは骨が折れるという話をしていると、ちょうど富士市に差し掛かった。行きには頂きまで綺麗に見えたと兄ちゃんは教えてくれた。右手に見えるはずの富士山に目を凝らすが、霧が深すぎて何も見えなかった。
何度も似たようなトンネルを通り抜けた。テールランプの光が蛍のように先まで続いていた。それは幼いころ家族と車で旅行に行った帰りに、寝てはいけないという根拠の無い意地から、くっつきそうになる瞼をこじあけながら見ていた車の列を思い出させた。
ライブ映像が終わると、兄ちゃんはフジファブリックを流した。夜闇で生きたように蠢く工場が造り出した光の海を眺めながら聴いていると、「旅をしているんだな」という思いが胸にぽっかり浮かんだ。夜の高速道路は私を不思議な心地にさせる。
前方にジェットコースターのレールが輝いていた。最初は志摩スペイン村かと思ったが違うようだ。柳がナガシマスパーランドだと教えてくれた。遊園地を見送ると、車はなぜか出口方面へと鼻先を向けた。突然の事態に困惑していると、車はそのままPAに入り、兄ちゃんがこちらを振り返った。「あのー、申し訳ないんやけど、俺もう限界で…」「はあ」「今日はここで寝ようと思ってるんやわ。ホントに申し訳ないね」「いえいえ、ここまで乗せてもらっただけでもありがたいですよ」そういうことで、兄ちゃんとは別れることにした。
時刻は21時。降りた場所は湾岸長島PAだった。来たことも聞いたこともなかったが、ナガシマスパーランドの隣に位置しているせいか家族連れで溢れる意外と大きなPAだった。フードコートに入った途端お腹がキュウと鳴いた。そういえば昼のナゲット以来なにも口にしていない。担々麺を食べ東海ご当地ドリンク「ローヤルトップ」を飲んで一服した。
SA内をうろうろしていると、展望台のような高台があった。人もいないので今夜の寝床はここに決定した。高台からは高速道路を隔ててナガシマスパーランドのアトラクションが見える。それは夜空をまぶしく彩り、まるで夢の中であるかのように錯覚させた。車が走り去る音を聴きながら私は目を閉じた。
目を覚ますと辺りはうっすら明るくなっていた。柳は近くのベンチで電子書籍を読んでいた。寝てないのかと訊いたら「眠れなかった」と返ってきた。徹夜のようだ。たしかに蚊がぶんぶん羽音をさせていたし、一度人が来る気配もした。眠れたほうが幸運だったかもしれない。
身支度をして時刻は5時半。今から出発する車があるか不安だったが、とにかく「草津」のボードを掲げてみる。PAを発つ車の半分以上がトラックだった。普通車も家族連れが多く、乗せてもらえない。次第に背後のナガシマスパーランドが魅力的に思えてきた。6時を過ぎたころには、「7時までに乗せてもらえなかったらナガシマスパーランドで遊んで温泉入って名古屋駅から帰ろう」などと弱気になっていた。
諦めかけたそのとき、男性が一人話しかけてきた。「ヒッチハイクですか?」20代くらいの人だった。レースのことを話すと、「じゃあ、俺の車乗ります?」と言った。渡りに船。萎えてへなへなだった熱意は再び勢いを取り戻す。嬉々としてワゴン車に乗り込む。
声を掛けてくれた兄さんは、友人を訪ねて京都まで行くらしい。名神高速を外れないよう、京滋バイパスに入る手前、草津で下ろしてもらうことにした。気さくな人で、自分の仕事についてずっと話してくれた。清掃員と食用肉卸売業を兼業しているそうで、特に肉の種類についてのエピソードはたいへん興味深い内容だった。東京からずっと車を走らせてきたが、さすがに心身共に疲れているらしい。「でも、後ろに二人の命乗っけてたら緊張して事故なんて起こせないよ」と彼はからからと笑った。
草津へは思ったより早く到着した。兄さんの話が面白かったからだろうか。
朝食休憩をとり、これからの行き先を話し合った。24時間レースという体裁を保つ以上、今日の12時までが制限時間。つまり4時間半後にはゴールしなければならない。このことから鑑みるに、当初の目的九州は絶望的である。そもそも私も柳も疲れからかなり気力を奪われており、これから何時間も車に揺られるのは本望でなかった。
「疲れた」「九州やめよう」
我々は最終目的地を大阪と定めた。
8時から最後の車を探し始めた。8時とはいえ夏の日差しが鋭く照ってくる。途中で大学生らしい集団が大きなワゴン車でやってきた。我々のほうを見て、「あれヒッチハイクちゃうん?」「へぇ~」という声が聞こえてきた。そして楽しそうに売店で食料を買い込み、そのまま行ってしまった。高速道路を自分の車でなく身一つで移動してきたことを今さら実感し、えもいわれぬ感動を覚えた。
8時半を回ったあたりで、柳が「もうここがゴールでいいんじゃないかと思ってきた」と言い出した。それはなんだかよくない。せめて高速道路を降りたい。滋賀の山に放り出されちゃたまったものじゃない。なんとか9時過ぎまで粘ることにした。
残り10分を切って焦り始めた頃、一台のセダンが止まった。スーツを着たおっちゃんが手招きしている。我々はなんとか大阪への切符を手にすることができた。
おっちゃんは大阪本町の会社に向かう途中のようで、話すうちに懐かしい地名がぽんぽん出てきた。大阪は私の地元である。後ろに過ぎ去る道路標識も見慣れた地名が書いてある。数百キロを移動してきたことを改めて実感し、身が震えた。吹田ICを過ぎた辺りで、太陽の塔の金色の顔がちらっと見えた。
高速道路を降りて、大阪駅に最も近い駅で下ろしてもらうことにした。
大阪環状線野田駅の高架下で下車、記念写真を撮ってから、チームダイコンはゴールを迎えた。
大阪駅で解散して、各自留まるなり実家に帰るなりした。
最終更新:2018年11月14日 16:50