十二月二十日、ボストン――
高層ビルの立ち並ぶ街の中、とりわけ目立つ高いビルがある。
ジェフマン・ファミリー本社である。
本社ビル最上階へ登るエレベーターに、一人の女が乗っていた。
ブロンズの髪はふわりと肩に乗り、双眸は碧い。年のころは三十代後半だろうか。
目的の階へつくと、女はエレベーターを降りてまっすぐに最奥の部屋へと向かった。
扉をノックする。
「シノーラ? 開いてるかしら」
「……開いてるよ~」
奥から、気の抜けた声が聞こえる。それが終わるか否かというところで、女は扉を開けた。
「相変わらずやる気無いわね。調子はどう?」
「駄目~……カーフ、また遅刻だよ~」
甘えたような鼻にかかる調子の声の持ち主は、ぐったりと机に突っ伏していた。
艶やかな金髪をオールバックにした三十代中盤くらいの男は、落ち込んだ子供のような顔を上げた。
「今日は遅刻じゃないわよ? あんたまた忘れたの?」
「忘れたって……ああ、そっか~、彼女に~会いに行く日だっけ~」
「そ。月に一度のね。……それに、今日は更に年でも一回だけの特別な日」
肩をすくめてため息をつき、窓の方へ目を向ける。
今日は快晴だ。
「っくし……ああ畜生、風邪引いたかな」
噂の男は黒いスーツに身を包み、バック・ベイ地区を歩いていた。
長身で風を切りながら、悠々とやや英国的な町並みを横切っていく。
最初に訪れたのはデリカテッセンであった。どうやら常連らしく、親しげに店主に話しかける。
「BLTサンド二つ。景気はどうだよ、ローランド」
「芳しくないね。昼ごろはもうちょっと混むんだが」
「もうちょっとも何も客いねぇよ」
軽く冗談を飛ばしあいながら物品を受け取り、男はまた街路へ出た。
まだ食べる様子は無く、またどこかへ向かって歩き出す。
と、そこへ二人組の女が声を掛けてきた。
「あら、カーウェイ。珍しいわね真っ黒なスーツなんか着て」
「ねぇどっか連れて行ってよ。いいでしょ?」
ラフな格好の二人は、非常に親しげに話しかけた。おそらく普段はこう言えば大抵良い返事が返ってくるのだろう。
しかし、この日は違った。
「悪いな、今日は別にあるんだ。また今度にしてくれ」
「えー……用事って、女?」
眉を下げ、口もとに微かに笑みを乗せる。
「そんなとこ」
「ふーん。まあいいや、それじゃあ次は遊んでね」
快活に手を振り、彼女たちは別の方向へと歩いていった。
次に訪れたのはアンティークの小物屋だった。
自分でも似つかわしくないと分かっているのか、どことなく落ち着きが無い。
「あー、えーと……これください」
買った物は童謡のオルゴールだった。心なしか店員の顔に、愛想とは別の種類の笑みが浮かんでいる。
「プレゼント用ですか?」
「あ、いや、ええと……じゃあそれで」
おそらく娘への贈り物とでも思われているのだろう、包み紙はやたら可愛らしいものが選ばれた。
器用に丁寧に素早く包まれ、また男の手に帰ってくる。
店を出て少し歩くと、今度は二人組の男に出会った。
一人は髪が薄く小太りで、もう一人は相反するように肉が削げている。
「スパンクマイヤさん、買い物一人でしてんの珍しいですね」
「あー、まあな。いつもは小うるさいのがいるから」
「んな事言われても俺たちじゃどうも返せませんて」
笑いながら話をし、ふとやせている方があることに気づいた。
「……そういえば、今日スーツ黒なんですね」
「ああ、もしかして特別な女に会いに行くとか?」
一瞬男の目に翳が宿るが、かすかな笑みでそれをかき消す。
「そうだな。……極上の女だ」
そういってまた歩き出す。
三番目に訪れたのは花屋だった。
ある花を注文すると、店員の女が驚いた顔をした。
「はぁ、無いことは無いですが。季節の花ではありませんよ」
「それでいい。適当にあるだけ包んでくれ」
「はぁ」
奥から持ってこられたのは、紫色のライラックだった。花束にされて男に渡される。
その姿に自嘲の笑みをこぼしながら、その店から出て、更に歩みを進めていった。
時刻は昼を回っていた。
ある山の奥深く、木々の生い茂る中に、石を積み上げただけの粗末な石塔があった。
男は花束のリボンを解いてその石塔の前に置き、オルゴールを開いてサンドイッチを食べ始めた。
しばらく、風に揺れるオルゴールの音ばかりが辺りに流れる。
昼食を食べ終えると、ようやく別の音が響いた。
「……一ヶ月ぶりだな。また会えて嬉しいよ、――。」
一瞬、風が言葉をかき消した。
「前に来たときから、ずいぶん色んなことが会ったんだ。
きっと君は信じてくれないだろうけどな。こことは違う世界に行って、色んな奴に会った。
俺の想像を超える戦い方をする奴も大勢いて……子供も多いんだけど。きっと君は悲しむだろうな。
……なあ。俺は、君との約束を守れているかな。
君の言ってくれた言葉の通りに生きる事ができているかな。
俺の人生は幸福だ。君が長引かせてくれたこの命は、幸福だ。
ただ、君がいないことだけが俺にとっての不幸なんだ。
君がいなくなってから相当経つけれど、まだ俺は後悔の念を消し去ることが出来ない。
俺は、ッ……」
その頬を涙が伝った。押し返すように目元を拭い、言葉を続ける。
「……やっぱり駄目だなあ、俺は。
人には後悔するなと言っておきながら、自分はまだ君が横にいない事を辛く思っている。
それでも、俺には君しかいない、そうずっと感じているんだ。
君の言ってくれた事は、なかなか守れていないかもしれない。
けれど、君は、君が死んでいったこの地だけは、俺が死んだとしても守り続けるよ。
君は、俺が生涯愛したたった一人の人だから。
ありがとう……――オズロ」
男は立ち上がり、少し目を閉じてからオルゴールと荷物を持って歩き出した。
風で舞い上がった花びらが、かすかにその涙を攫っていった。
クリスマスの雰囲気の漂う街中を歩き、一番高いビルへと入っていく。
最上階へ登るエレベーターが止まると降り、最奥の部屋に足を踏み入れる
「あ~、カーフ~」
「遅かったじゃない。目赤いわよ」
「「おかえりなさい」」
いつもどおりの風景に、カーウェイ・スパンクマイヤは小さく笑った。
「……ああ、ただいま」
了
最終更新:2009年03月11日 04:01