……とある国。
広くは無いが、四季があり、美しい国があった。
小鳥の囀りが聞こえ、民はみな幸せそうに暮らし、王は威厳を以て国を治めていた。
彼だけが、このような道楽を持っていた。
実兄のように武術を極めるでもない。実妹のように自らの美を磨くでもない。
呪い、伝承、妖……そういった物にのみ、彼は興味を示した。
特に珍しい事ではない。
王族とは全階級の上に立つ存在であり、学問においてもそれは同様なのだ。
故に風変わりな学問に興味を示す王族も、特に珍しくない。
「朝ですよ、王子。さぁ、起きてくださいませ」
豪華な天蓋付きの寝台の下、彼は目を覚ました。
起こしにやってきた侍女の声を聞き、身を起こす。
多少ぼけた顔つきではあるが、中々に端整な顔立ちをしている。
髪は少々長く鎖骨ほどまで伸びているものの、美しく手入れされている為、不快感を与えない。
「……おはよう、エジェリー。すまない、僕を運んでくれたんだろ?」
「えぇ、書庫でお眠りになられていましたので……」
「ありがとう。調べ物をしていてね。東洋の『妖怪』についてなんだけど……」
「また……ですか」
エジェリーと呼ばれた侍女が、こめかみに手を当てて考え込む。
彼より1、2歳年上だろうか。
侍女という身分にありながらも、彼女は全く美しかった。
有り体に表現するのなら、豪奢に着飾って舞踏会に出席していても、なんら不思議はないほどに。
見た目もさながら、彼女は美しい心を持っていた。
「彼」の父……王ですらも見向きもしない彼に対し、彼女は極めて真摯に接した。
使用人の本分、と片付けるにはしのびないほどに、彼女は真摯だったのだ。
「王子、朝食はいかがなさいますか?」
「……持ってきてくれ。いつもで悪いけれど」
そう言って、彼は寝台から出て、窓の近くの椅子に座る。
外は緑に色づき、春の到来を予感させる。
緑の庭園の中、彼の実兄が師範とともにフルーレの訓練を行っている。
それを見て、彼は深く息を吐いた。
「………情けないな」
「はい?」
「僕だ。……『王』の城に住んでいるのに、僕ときたら、篭っては調べ物、学問、そればかりだ」
「…お言葉ですが王子、学問は王族の嗜みですよ」
「限度がある。僕はそれしか知らない、他の何にも興味を持てていないんだ」
「なれば、これからがあります」
侍女が、テーブルに朝食の載った盆を置き、紅茶を注ぐ。
「……異国の言葉に、『ノーブレス・オブリージュ』というのがある」
テーブルにつくなり、彼は言葉を発した。
「意味は『貴族の義務』で、高貴なる者は、社会に対し負うべき義務があるのだそうだよ」
「それが……いかがなさいました?」
「つくづく思う。僕はこのままでいいのか?……僕は、何をすればいいのか?」
「……王子、いったいどうなされたのです?」
「不安なんだよ。父上は僕に見向きもしない。おそらく、次の王は兄上だ」
彼の実兄は、よく出来た人物だった。
端麗な容姿、武技の才に優れ、その暖かな微笑みには誰しも心を開いた。
戦の際には自ら最前線へ赴き、幾度となく勝利を経験した。
やれ、一度に4人の敵を打ち倒したとか、敵将を一騎打ちの果てに討ち取ったとか。
話半分だとしても、あまりに華々しく、眩しかった。
彼は、それを抱いているのだ。
「別に、僕は王になりたい訳じゃない。ただ……このまま年経て死ぬんだとしたら……」
「王子……?」
「僕を覚えてくれている人間なんて何処にいる?僕は何のために生まれてきたんだ?……ならば、いっそ……」
そう言うと、彼は……部屋の壁に飾ってある宝剣を見やる。
だがその邪な考えは、侍女の声で掻き消された。
「…………私が覚え、語り継ぎます」
「この国の第三王位継承者は博識で、様々な国の文化を知り、知識の追求を諦めなかったと、私が語り継ぎます」
「……エジェリー?」
「私が覚えています。王子、どうかお平らかになさってください」
言って、彼女は彼の手に手を重ねる。
俯いていた彼が顔を上げると、憂いを帯びた、美しい侍女の顔が目に入る。
……それを見て、彼は……言い知れぬ安堵感を覚えた。
「……国とは、戦に拠ってのみ成り立つものではございません。異国の文化を知る事が、国のためとなりましょう」
「…………ありがとう、エジェリー」
かすかに和らいだ表情を浮かべ、彼はティーカップに手を伸ばした。
半年後の事だ。
彼が侍女のエジェリーとともに、隣国へと赴いた時の事である。
雑用にも程があるが、彼は始めて「王」に使命を仰せつかったのだ。
そして、自国領内に戻り、しばらくした時。
彼らの馬車を、数十人の武装した男たちが取り囲んだ。
御者は早々に殺され、残るは「彼」と、美しい侍女だけである。
馬車から引き摺り下ろされ、月光の下、彼ははじめて刺客達の顔を見た。
「…あ……兄上……?」
……刺客の頭目は、彼の良く知る……第一王位継承者、実の兄だったのだ。
呆然としている彼に、「兄」は口を開いた。
「……悪く思うなよ。……王は、お前が……邪魔だそうだ」
苦しげな言い方ではあるが、その表情は月光に当てられた、怪物のように無表情だった。
「王子さんよ、こいつはどうします?」
男の一人が、美しい侍女の髪を荒々しく掴み、「兄」に見せる。
「……特に何も言われてはいない。だが……目撃者を残す訳にはいくまい」
「…………だってさぁ?」
男はすぐに下卑た笑みを浮かべ、侍女へ向き直る。
「や、やめろ……やめてくれ!!」
彼は、耐え切れずに叫ぶ。
その声は、月光の下、どこまでも響きそうであった。
「……お願いだ……!僕はどうなってもかまわない!だから、頼む……エジェリーだけは……!」
「……許せ、弟よ」
言葉とともに、彼は後頭部へ衝撃を感じ……そして、暗転していった。
その刹那、彼は……身包みを剥がれる、美しい侍女の姿を捉えた。
再び目が覚めると、彼は…猿轡を噛まされ、両手両足に縛めを施されていた。
傍らには一人分には大きい鉄製の棺、そして大穴が掘られていた。
「……目を覚ましてしまった………浅かったか」
大勢いた男たちの姿は消え、残っているのは彼、「兄」、そして、二人ばかりのスコップを手にした男。
「旦那、冷えてきましたぜ。早くやりましょうや」
男の一人が、「兄」へと囁く。
「…………良く聞け。今から、お前を埋葬する。本当なら……楽にしてやりたかったんだ」
彼の体が、男たちに持ち上げられる。
「……だが、せめて……彼女とともに、逝ってくれ」
彼は、視界の端に一人の女の姿を見つける。
裸身ではあるが、紛れもなく……彼の美しい侍女、エジェリーだった。
息はあるようだが……その姿は、凄惨なものだった。
おそらく、幾度となく犯され、穢されたのだろう。
かつて宝玉のように輝いていた目はどんよりと曇り、あらぬ方向を見据えていた。
彼の体が、棺の中に押し込まれる。
そのすぐ後に、穢された美しい侍女が、同じ棺に。
間近で見る彼女の顔には涙の痕が残り、口枷の痕跡も認められる。
……棺に蓋を被せられる。
暗闇の中、二つの息遣いのみが聞こえる。
衝撃。
墓穴へと下ろされたのだろう。
そして、棺に土を被せられる音が聞こえる。
聞こえる。聞こえる。聴こえる。きこえる。
数分後、一切の音が聞こえなくなった。
今にも消えそうな、「彼女」の息遣いを除いて。
「…王……子……」
今となっては懐かしい、彼女の声。
それは、すぐ耳元で発せられて……なお、小さい声だった。
「……王…子……申し訳……あり……ません……。エジェリーは……約束を……果たせ…られ……」
声が、消えた。
密着していた、「彼」の肩と、「彼女」の左胸。
肩から伝わる命の振動が……消えた。
そして、彼も堕ちていった。
深い、奈落の底へと。
三日後、その国を激しい嵐が襲った。
薄暗い城内を、時折走る稲妻が照らし出す。
始めにそれを発見したのは、夜警の兵士だった。
土と雨が混じったようなそれは、玉座の間へと続いていた。
それを追っていった兵士は……玉座の間へ入るなり、二度と戻ってはこなかった。
そして、それを次に見つけたのは……王、だった。
「何なのだ、一体……?」
蝋燭を手に、稲妻で照らし出される廊下を進む。
土砂と、血の混じった……その、痕跡を。
先ほどの兵士と同じように、玉座の間へと達した。
そこで王は始めて、玉座へ腰掛ける人影を見つけた。
「……誰ぞ、おるのか?」
呼びかけに応じたのは、王にとっては遠い昔に聞いた声だった。
「……父上、お久しくございます……クク……」
稲妻が、玉座の間を照らす。
玉座についていたのは……紛れもなく、『彼』の姿だった。
違っていたのは、彼の肌は青白く、血の気を感じさせない。
かつて美しく手入れされていた長髪も、雑に乱れている。
王が玉座の間に踏み入り、彼に近づいていく。
「お前……なのか?」
「…ええ、私ですよ。……父上?どうかなされましたか?クヒヒ、ヒヒ……」
近づいて始めて明らかになった。
「彼」の膝の上には、亡骸が抱かれていた。
かつては「彼」の侍女であった、エジェリーの。
土に汚れてはいたが、損傷はいたって少ない。
「………父上。私が……邪魔だったのでしょう?兄上から、聞きましたよ……」
「お前が……何故生きているんだ!?」
「いえ、死にましたよ。……一度は、ね……クク……」
彼が、左の手首を爪で掻き切ってみせる。
血の一滴も流れず、黒い得体の知れない液体のみが僅かに流れ出た。
「……この私が邪魔だというなら、…消えてあげましょう」
「……仕方なかったんだ!お前が……」
「私が?……では、何故彼女を?…………下種め。救えない。……そんなに我が身が可愛いか」
……彼の語調が、荒くなる。
慇懃な口調が、今となっては地獄の底から響いているように感じられる。
「私は望みどおり、消えよう。……だが、この国も消す。貴様もだ!!」
抱いていた亡骸が、彼の体に吸い込まれるように消えていく。
玉座から立ち上がり、王へと近づいていく。
一歩踏み出す毎に、彼の姿は変わっていった。
手足は異様に細長くなり、爪が伸び、遠目には槍のようにも見受けられる。
体のあちらこちらから、人間の顔が浮き出る。
その顔の一つには、彼の「兄」の顔もある。
目はいくつもの眼球が集まり、複眼を形成する。
口は耳元まで裂けていき、舌は手足にも負けぬほどに長くなる。
……その異形は、体長5mほどの四足歩行の形を取り、王に迫った。
王は、動けず、ただ見ていた。
再び稲妻が照らす。
彼の舌は鞭のように撓り、自らの父親を飲み込んだ。
『…我、魔海の畔に佇まん 滅光埋め尽くす冥界の暁を望まん 遠雷にも似た滅びの音を聞かん』
彼は、歌い出した。
『苦痛を越え、死を越え、生者と死者との隔たりを我、取り除かん事を願う』
『魔軍の群翼よ来たれ 天上の霊体よ 空を掛け、地に落ちよ』
『聖霊よ 眠れ 聖者よ 起きるなかれ 救世の主は揺り篭に沈みたもう』
『主なる暗黒の神々 羊皮紙の血判に従い今この地の摂理を滅ぼしたまえ』
闇が、形を成した。
彼の背から、四枚の翼となって。
『……呪法 ダモクレスの翼』
彼は、静かに終焉の名を告げた。
翌日
そこには、かつて栄華を極めた美しい国は存在しなかった。
あるのは、腐った木々、果てしなく広がる沼地、無数の骨、そして視界を奪う濃霧。
以降、彼……クラーヌ・ド・エテルネルと名乗る怪物が、各地を転々とする。
討伐に来た無数の英雄を引き裂き、気紛れに村落を壊滅させる。
数世紀経った今でも、クラーヌ・ド・エテルネルは世界のどこかを徘徊している。
(了)
最終更新:2009年03月12日 14:24