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男は、いつものように旅籠で夜を過ごしていた。
山のような……本当に山のような、大きな男だった。
大小二本、そして旅籠入り口には巨大なマサカリと、金棒が突き立っている。

「…嫌ねぇ、閃十郎さん。飲みすぎよ」
「あぁ?……まだ徳利20本空けただけだろうが?こんなんじゃ、厠にだって行きたくなりゃしねぇよ!」

閃十郎と呼ばれたその男は、町娘を数人侍らせ酌をさせていた。
酒肴を並べ、傍目には宴会のようにも見えるが……実際は、単なる晩酌だ。
更に言うと、寝酒と本人は言っている。

「……お前ェさん方、帰った方がいいんじゃねェか?」

おもむろに、閃十郎が口を開く。
まだ宵の口だというのに、この男にしては珍しくそう言った。
いつもであれば、朝まで帰さず酒と色に酔うというのに。
「えぇ?…どうしたのよ、閃十郎さん」
「また役人に追っかけられてるの?いけない人ねぇ……」
口々に娘達が言う。

「…………役人ならいいやね。……少なくとも、斬りゃァ死ぬんだ」

閃十郎の部屋の入り口。
そこに、何かが立っていた。

髪は床へ付くほど長く、南蛮風の衣を纏い、そして……漂っている空気は、生者のそれではない。
見開かれた目は死した魚のように濁り、全身に金属の装飾品をぶら下げている……おそらくは、南蛮人。

「ちょっと貴方……何の用なの?」
「閃十郎さんの旧知かしら?」

町娘が二人、その者へ詰め寄る。
しかし、その者は……口が裂けたような笑みを浮かべ、低く笑っている。
更に二人が詰め寄った、刹那。


骨張り、青白い両腕が二人の細首を掴み上げた。
酸素を求めて口をパクつかせ、その者の腕を引っかく。

引っかかれた場所は簡単に皮膚が裂け、そこから、明らかに血液ではない黒い体液が染み出した。
右腕に掴まれている娘の指が黒い体液に触れた途端、娘の指が溶け落ちた。
その痛みを上げる間もなく、次なる悲劇が彼女を襲った。

その者の右腕が発光し、瞬間、娘の皮膚は張りと艶を無くし、木乃伊(ミイラ)と化してしまった。
右腕から解放された途端、彼女の体は床へ、まるで莚を落としたかのような乾いた音を立てて落ちた。

未だ左腕に掴まれたままの娘はそれを見て、気を失う。
そして再び哀れな犠牲者の生気を奪わんと、左腕が発光する。


その瞬間、左腕は切断され、投げ出された娘の体を何者かが受け止めた。

「……クヒヒ……ヒ……貴公……何者だ……?」
左腕を肘から切断されたというのに、その南蛮人は笑っていた。
微かに声色から、男性である事が分かる。

その南蛮人と対峙するは、逞しい右腕に気を失った娘を抱え、そして左手に大刀を握った巨漢。
「俺様か?……赤鬼、とでも名乗ろうか?お前ェさん、異能の連中だな?」

逆手に持ち替え納刀し、娘をやや乱暴に、奥の布団へと下ろす。
動作自体は荒々しいものの、どこか優しげでもあった。

「……さてと、酒も味わった。色も。これで喧嘩が出来りゃ言うことなしだ。まして……お前ェさんみたいなのとならな!」

構える間もなく、その者は飛び掛ってきた。
一瞬隙を突かれたものの、閃十郎は柔を用いて、逆にその者を旅籠の二階から投げ落とした。
一切の加減無く投げられたその者は、向かいの長屋の屋根を突き破った。

追って閃十郎も飛び降りる。
受身を取って着地し、すぐに刀に手を添える。
二階から勢いをつけて投げ落としたのだ。
確かに一般人なら死に至る場合もある、少なくとも戦えはしない。
だが、彼の経験は告げていた。
あの程度では、怪我さえ負わせられないと。


もうもうと立ち上がる煙の中から、何かが姿を現した。
10尺……いや、15尺はあろうか。
人型ではあるが、決して人ではない。

その怪物は、狂ったような笑い声を上げながら、まっすぐに閃十郎へと右腕を振り下ろした。

爪は一瞬で抜き放たれた大刀によって受け止められ、半ばまで刀身が食い込んでいた。

鍔迫り合いの最中、失われたはずの怪物の左腕が横なぎに閃十郎を襲った。
瞬時に傍らに突き立っていた金棒を鞘に添えられていた左手で引き抜き、右からの爪を受け止める。

「左腕……確かに斬ったハズだがなァ……」

邂逅の最中、呑気な声で疑問を呈する。
煙が少し収まった瞬間、その疑問は氷解した。

怪物の髪に絡みつかれるように、二つの躯があった。
恐らくは、長屋に住んでいた夫婦であろう。
やはり生気を吸われ、完全に干からびていた。

「……ははァ、そういう事……かよっ!」
鍔迫り合いを行っていた右腕と左腕。
その両方に裂帛の気合を込め、弾き返す。

一瞬の間隙、それを逃さず納刀しながら怪物の懐に潜り込む。

そのまま、勢いをつけて怪物の顔面へ、下から突き上げるような拳を見舞う。
拳から伝わる、顎を砕いた手応え。

瞬間怪物の巨体は浮き上がり、唾液を撒き散らしながら昏倒した。


金棒とマサカリを引き抜き、怪物へ止めを刺さんとにじり寄る。

そこで、閃十郎、そして怪物の身体が足元から消えていくのに気付く。
彼が幾度と無く経験した現象が、今起こっていた。

「……面白ェ。今度は、どんな喧嘩ができるのやら」

完全に気を失った怪物と、怪物を殴り倒した巨漢。


二つの姿が、町から消えていた。



(了)

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最終更新:2009年03月12日 14:30