とあるホテルの、最上階にあるスウィートルーム。
豪奢なベッドに、二人の人間が横になっている。
一人は中年男性。恐らくは、40歳前後の日本人。
もう一人は若い女性。茶色く染め上げた髪をじっとりと顔に張り付かせている。
そして、両者とも生まれたままの姿で、シーツに包まっている。
「随分激しいんだな?殺されると思ったよ」
葉巻の煙を燻らせながら、男性が言う。
隣の女性と同じように、びっしりと汗をかいている。
「……そう?私はこれが普通なんだけど。お嫌い?」
額に張り付いた髪を後ろに撫でつけながら、男と反対の方へ向いて女性が返す。
撫で付けられて分かったが、ところどころに赤いメッシュを入れているようだ。
涼しげに返したものの、その瞳には何処と無く憂いがある。
「とりあえず、一杯どうだね?汗をかいた事だし、何よりまだ宵の口だ」
男の提案に、女性は黙って体を起こす事で答えた。
ベッドサイドのバスローブを手に取り、身に付ける。
カウンターテーブルへ向かい、良く冷えたシャンパンを開け、フルートグラスにゆっくりと注ぐ。
一連の動作には、非常に手馴れたものがあった。
一拍遅れて、男性がカウンターテーブルへ、グラスを取りに来る。
そのまま窓際へ向かい、摩天楼を見下ろしながら口をつける。
傍らに歩いてきたバスローブ姿の女を強引に抱き寄せ、唇を奪う。
女は、抵抗せずに身を任せた。
数秒して、接吻を止める。
唇を離すと、名残惜しそうに唾液が糸を引いた。
「……もう終わりなの?」
熱を帯びたような顔で、男性を見上げる。
怖気を奮うような、蟲惑的な眼差し。
その言葉を受け、男はグラスの残りを全て一息で飲み干し、窓に女を押し付けるように迫った。
両手首を押さえつけ、狂ったように女の唇を貪る。
掴みかかられた時に女が落としたグラスが割れ、カーペットに染みができた。
「んっ…ぅ……」
口腔内に舌をねじ込まれ、表情を歪ませるも、その目にはまだ余裕があった。
それに気付いてか、男は、女の懐に右手を差し入れて、豊かな双丘を蹂躙する。
その時、男は違和感に気付いた。右手に、本来ならばあるはずの感覚がない。
いや、右手が……麻痺している。
左手もだ。
その証拠に、左手で掴んでいた女の右手が自由になっている。
少し遅れて、両足も麻痺する。
体重すら支えられなくなり、男はその場に崩れ落ちた。
四肢の自由は無いが、意識はある。触覚だけがない。
辛うじて動かせる首で、状況を把握しようとする。
女が、笑っていた。
口元を歪ませ、低く笑っていた。
「……女に酒注がせんじゃねぇっつーの。それぐらい分かれよ、バァカ」
いつの間にか、女が煙草を咥えていた。
仰向けに倒れた男の腹の上に腰掛け、煙を男に吹きかける。
「お……お前、何を……」
咳き込みながら、辛うじて言葉を搾り出す。
至極当然の、疑問を。
「…アタシの顔に見覚えねぇか?いや、覚えてる訳ねーなぁ。お前にとっちゃ、商品の一つだったしなぁ……」
「何の事……ぐあぁぁぁぁあぁ!!!」
煙草を男の右目に押し付ける。
悪臭が立ち込め、人間の口から発せられたとは思えないような声を上げて苦しんだ。
男が悶えている間に、女が、ノートPCを取ってきた。
これは男が持っていたもののようだ。
「見せてもらうよ。……生意気にロックなんかかけやがって」
PCを立ち上げると、パスワードの入力を求められる。
瞬間、女の爪が光り、何も入力せずにEnterキーを押しただけなのに、ロックが解除された。
「……んーと、10年前……5月、23日……と。あった」
何かのデータベースだろうか。
開かれたデータベースには、年齢、性別、そして「発送」先がズラリと並んでいた。
推測だが、男は恐らく、裏の世界の人間なのだろう
一流企業に勤めている風には見えないのに、このスウィートルームを取っている。
そこからも、不自然な点が感じられた。
「…11歳、女。発送前に逃亡。これ、アタシじゃん。つーことは、アタシの前の……八歳、男。これか」
男が自由が戻らず、まだ苦しんでいる一方、彼女は目当てと思われたデータを見つけた。
「発送先……何だよ、コレ」
そこには、確かにこう書かれていた。
『
カノッサ機関』と。
「………今ので、思い出したぞ……!お前、10年前のあのガキか?」
男が、精一杯の虚勢とともに声を張り上げた。
女は立ち上がり、バスローブを脱ぎ捨てて着替え始めている。
「…そうだ、間違いない。俺がもう一匹のガキを連れて行こうとしたら、ピーピー喚いて……」
「………そんなのが遺言でいいのか?お前…」
着替えを終えた彼女が、ぽつりと呟く。
ドレープの装飾が施された赤い、優雅なイブニングドレス。
スウィートルームと相まって、いかにもな高貴さを醸し出している。
片手には携帯電話、もう片方の手には男のノートPCを持っている点は、ミスマッチと言えるが。
「10分後、このホテルは土台から爆破される。安心しなよ、お前を含めて、宿泊客は全員助からない」
携帯電話をしまい、入り口のドアへと歩いていきながら言う。
「何だと……!?お前、何のためにこんな…!」
未だに四肢の自由を奪われたままの男が、声を絞り出す。
「……いやぁ、ナメられると困るんだよね。アタシが、鍵宮スミカが、ゲス一人殺しただけで帰ったなんてさ」
ドアを開け、笑顔を男に向けた。
紛れも無い笑顔なのに、何故か、背筋が凍るものがある。
「……それじゃ、おやすみ」
言って、彼女は出て行った。
10分後、爆発によってホテルは土台から完全に倒壊。
ホテル関係者、宿泊客含めて生存者0という、最悪の事件となった。
主犯は今も確定しておらず、迷宮入りの可能性が極めて高いという。
―――とある研究所らしき施設の一室。
巨大な円筒形の水槽の中に、人間の男性が眠っていた。
色素を失った真っ白な肌、髪は、神秘的ですらある。
水槽下部には、「No.402E」とだけ、簡素に刻印されていた。
end
最終更新:2009年08月19日 16:09