彼の言い訳、彼女の言い分 ――Part.1 彼の言い訳
2月14日。
全国の男子たちにとって、こんなにも憂鬱な――一部の人は浮かれる――日はないだろう。
直輝はもちろん前者のひとりで、ため息をつきながら学校に向かった。
たまに運良く土曜や日曜だったりする年もあるが、毎年そんなはずもなく、今年はしっかりばっちり平日だった。今日ほど、平日に学校に行かなければならない学生という肩書きが嫌になる日はない。
学校へ続く一本道。直輝の通う中学は団地から程近いところで、ほとんどの生徒はこの道を使う。部活をしていたときの癖で卒業間近の今もかなり早く家を出てしまう直輝は、大抵ひとりで登校していた。
だから、だろうか。
(……やめた)
ふと、こんな考えが頭をよぎったのは。
誰もが平静を装いながらどこか浮き足立った、バレンタイン独特の空気がどうしても苦手で、直輝は自主欠席(早い話がサボりだ)を決行した。
くるりと反対を向いて、来た道を逆に行く。
後で登校中に具合が悪くなったとか言っておけば、別に問題ないだろう。
もう高校は決まっているし、天気はいいし、こんな日に教室に詰め込まれているのもばかばかしい。
自分にそんな言い訳をして、直輝はどんどん逆行していく。
8時半。
授業が始まった頃だろうか。
結局特に行きたいところも思い当たらなかったので、直輝は母親が仕事に出かけたのを確認して家に入った。
案の定担任から電話が来たので、正式に欠席扱いになった。
これで、今日一日自由の身だ。
日当たりのいい自室のベッドに制服のまま寝転がると、初めて学校をサボったという軽い罪悪感と妙に高いテンションのせいで動悸がいつもより速いのがよくわかった。
ほとんどの人は学校なり会社なりへ行ってしまった。
人気のなくなった団地は静かすぎて、耳鳴りさえする。
自分の動悸を目を閉じて聞く。
罪を犯したばかりの犯罪者って、こんな気持ちだろうか。
変な考えが浮かぶ。
学校に行っていたら、絶対にこんなことは考えなかっただろう。いつものように友達としゃべって、授業を聞き流して、一日が終わっていただろう。
別に学校は嫌じゃない。むしろ楽しい。
バレンタインだって、去年まではここまで憂鬱じゃなかった。
サボるほど行きたくないのは、もらえるかもしれないと期待していた自分がいたからだ。
誰にも言ったことはない。でも、何となく心にひっかかっている奴がいて。
同じクラスだけれど、そんなに話す方でもない。
ただ団地の同じ棟に住んでいるから、お互い幼稚園の頃から知っている。
小学校までは、それなりに仲が良かった。中学にあがって、クラスが別になって、部活を始めて――なんとなく、距離ができて話さなくなっていった。
直輝自身、それは仕方のないことだと思っていた。中学なんて、クラスが離れたら友達も変わる。そんなものだ。
そう割り切っていたけれど、3年になるときのクラス替えでまた一緒になって名前を見つけたときは嬉しかった。
(また、昔みたいに話せるかもしれない)
その期待は甘かった。
気がつくと、二人の間には感じていた以上の距離ができていた。
それは、向こうは女になり、直輝は男になったということなのだろうが、直輝には距離ができたようにしか感じられないのだ。
何とかその距離を埋めたいと思った。
そう思って見ているうちに、だんだんと意識していくようになって、ああ好きなんだとわかるのに時間はかからなかった。
好きな人がいる状態で、バレンタインを普通に過ごせるほど直輝は大人じゃない。
もしかしたら、もらえるかも。くれるかも。
そんな期待。
(期待するだけ無駄だよな……。3年になってから、まともに話してもいないのに、今更だっての)
自分につっこむ。
期待したらそれが外れたとき落ち込むから、期待はしない。
そう一生懸命、自分に言い聞かせた。
次に気が付くと、もう日が傾きかけていた。
「あれ?」
時間を確認する。午後4時半。
(寝てたのか……)
それにしても寝すぎだ。頭がはっきりしない。
ベッドから降りるのも億劫で、しばらくぼーっとしていると、カツンと小さな音がした。
(え?)
それはとてもとても聞き慣れた音で……さっきせっかく消した期待を浮き上がらせる音で。
(聞き間違いかも……)
起きたばかりで、空耳か本当か確認するのを躊躇していると、またカチッと小さく音がする。
(……やっぱり!)
直輝は勢いよくベッドから降りて窓から顔を出した。
「……直輝!」
どうして。
どうして、『今日』呼んだ?
あんな懐かしい呼び出しの合図なんか使って。
その声で名前を呼ばれるのも久しぶりで。
もう、どうしていいかわからなくなる。
「美和……」
「ちょっと、降りてこれるー?」
直樹が頷くと、美和は早く早く、と催促した。 慌てて家から出て一番下まで降りていくと、美和が待っていた。
「美和、なんで」
「なんでよりによって今日休むの!?」
「……は?」
「あたしはねっ、話できるなら今日ぐらいしかないと思って準備してたの! なんで、なんで、こんな大事な日に休むかなっ!?」
意表をつかれて開口一番文句だったので、直輝は何も言い返せず絶句した。
「多分バレンタインが嫌で休んだんだと思うけど、でも、もうちょっとあたしのこと考えてくれたっていいんじゃないの!? そりゃずっと話してなかったし、あたしのこと直輝がどう思ってるかなんて知らないし、無理かもしんないけど。それで……だから、これ」
話すだけ話して、カバンから包みをひとつ出した。
濃い茶色の包装紙に、細い金色のリボンがかかった四角い包み。
いきなりの展開に頭がついていかなくてぽかんとしていると、美和が心配そうな顔になった。
「だめ、かな?」
「え?」
「その、受け取ってもらえないかな……?」
「あ、……」
直輝はゆっくりとその包みを受け取った。
途端に安心した顔になる。
「よかった。用、それだけだから。じゃあね」
笑顔でそう言って階段を上がっていこうとする美和を、直輝は引き止めていた。
「ってちょっと待てよ!」
「うわ、何!?」
「……なんで俺に?」
「なんでって……こういう日にチョコ渡すなんて、理由ひとつしかないと思うけど」
「……本気で?」
「本気」
あんまり真顔で言うから、直輝は吹き出した。
「なんだよ、早く言えよ」
「なんで笑うのよっ。直輝こそ驚いてないで受け取ってよね! すごい、緊張しすぎて死ぬかと思ったんだから……!」
「いきなりべらべらしゃべられてこれとか言われたら驚くだろ普通」
「ほんとはカバンか下駄箱に入れるつもりだったんだよ!? なのに、直輝、休むから……」
「そ、それは……」
まさか美和からもらえるかもしれないという期待を裏切られたくなくて、なんて言えなくて、直輝は口ごもった。
「なんで休むの!? 家にいてくれたからよかったけど、他の場所にいたら絶対渡せなかったんだからね」
「……ごめん」
「5階まで石投げるの、大変なんだよ!? 久しぶりにやったけど、脱臼とかしてたらどうするつもり?」
「…………ごめんって」
自分が学校行かなかったせいで美和が大変だったんだと実感して、直輝はひたすら謝った。
結局、逃げたという事実にも気づいてしまって、かなりきまりが悪い。
「でも、なんかさ、せっかく天気良くて、こんな日に一日勉強してたらもったいないと思って」
小さい声で必死で言い訳をすると、今度は美和が吹き出した。
「相変わらず優しいよね。いつもいつも、相手が傷つかないように一生懸命になってくれて」
思いがけず褒められて、直輝は顔をあげた。
美和が少し肩をすくめる。
「そういうのって、自分がいちばん辛いのにね」
「そんなことないけど……」
「もー、こんなときまで優しくなくていいのに!」
じれったそうに、美和が包みごと直輝の手を取った。
「これ受け取ったんだから、これからはあたしにだけ優しくしなきゃダメなんだからね」
「……うん」
どうしてか、素直に頷いていた。
これでやっと、今までできなかった分話したりできる。
そう思ったからかもしれない。
「じゃあ、明日学校行くとき迎えに来てね!」
そう言って、今度こそ美和は階段を上がって自分の家に入ってしまった。
手元に残った包みを見つめて思った。
(人にどう思われてるかなんて、言われてみないとわかんないもんだな……)
次の日、いつもの時間に家を出て美和の家に寄った直輝は、早すぎるといきなり美和に怒られ、朝から言い訳をする破目になることを、まだ知る由もなかった。
最終更新:2010年04月19日 19:04