星々だけが私たちの味方だった。
宵闇の向こう、遠くで響く銃声は、ポップコーンが弾ける音によく似ていた。
途切れていた意識が少しずつ視界に浮かび上がってくる。けれど、何故か紅く染まった視界は随分と暗い。夜って、こんな風に見えてくるものだっけ。
「 ── ぁ、ぅ」
どうしてか、呻く喉は砲煙に焼けていた。眼を擦ろうとして、持ち上がらない右腕を訝しむ。ならばと左腕に力を込めたけれど、やはり、動かない。
座り込む自分の身体に視線を遣った。 ── 初めてそこで、肩から先が無くなっていることに気がついた。自分の脚が、お腹から下が、どこかに消えていた。
人間というのは不思議なものだと思った。すっかり身体が無くなってしまったのに、すぐには驚いたり怖がったりしないのだ。脳が理解を拒む。あるいはきっと、拒み続ける。
「あ、あ ── あ」
なんのことはない。私の味方なんて、どこにも居やしなかったんだ。
『 ── おい! この子、まだ息がある、生きてるんだ ── ……… 』
『アドラー、こちらヘイロー8、こちらヘイロー8、要救助者1名を確認!』『トリアージレッド、トリアージレッド、至急後送の用意を! ヘリを回してくれ! 繰り返す ── 』
『メディック! メディック!!』『解ってるよ!!』『コッヘル、ケリー!』『ちゃんと押さえてろ、いま留める ── !!』
『くそッ脈拍低下!』『輸血はもうないのか!?』『喚くな! まだ助けられる!』『離れてろ! ショック用意 ── 3、2、1!』
── 生きてる? 私が? 冗談じゃない。
手脚も身体も何もかも無くなって、何がどうして生きているものか。そんな風に生きるなんて、夢物語もいいところじゃないか。
ああそうだ。これは夢なんだろう。そうじゃなかったら辻褄が合わないのだ。身体がないのに生きているなんて、おかしいよ。
みんな夢なんだろう。きっと。目が覚めたら、日曜日になっている気がする。お母様の焼いたフレンチトーストとソーセージを、つめたいミルクと一緒に食べるんだ。
そしたら皆んなで一緒に出かけるって約束なの。ぴかぴかに磨いた車でドライブ。隣街にある大きな自然公園へ。池のほとりで、お母様の作ったサンドイッチを食べて。
お父様はキャッチボールが上手。けれど手加減してくれているの。私はあまり遠くまで球を投げられないし、下投げでなければミットから零れちゃう。
だから本当は日が暮れた後、帰り道の街境いにある映画館へ寄る方が楽しみだった。ショッピングモールの中にあった、さして大きくもない所だったけれど、そこのポップコーンは特別に思えた。
シナモンがたっぷりかかったハニーフレーバーのポップコーン。大好きだった。いちばん大きいサイズを頼むことにしていた。けれど毎回残してしまって、お母様とお父様にも食べてもらっていた。
その瞬間がきっといちばん幸福だった。その後お買い物をしたりレストランに行くことは大したことじゃなかった。また来週も、こんな幸せな一日が来るんだって、信じて疑わなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「 ── 結局、この間の救出作戦、どうなったよ。」「どうもこうもねえ。輸送ヘリが1機、奴さんのRPGで落とされてからは泥沼さ。」「30分で終わる手筈だったのによ!」
「結局は空軍にまで協力要請。殲滅戦にシフトして、支援戦闘機のバンカーバスターで燻り出した。」「出てきたネズミ共はガンシップの機銃掃射で皆殺し、か。情けねえ話。」
「人質は?」「ほとんど死んだよ。みんな少年兵だった。ふざけてやがる。」「制服組のメンツも丸潰れ ── か。」「それでいて八つ当たり喰らうのは俺たちだ。やってられねえよ。」
「 ── でも、確か1人だけ、生き残ってた奴がいたっけな。」「聞いたぜ。女の子なんだろ?」「12歳だか13歳だか ── あんな子供に銃を持たせて、剰え戦わせるなんて。」
「能力者だって言うから無理もないが ── むごい話だ。 」「発見された時は瀕死もいいとこ、生きてるのが不思議なくらい。両腕、下半身、それに右目まで御陀仏だった。」
「 ……… それが本当なら、よく生きてたなぁ。」「だが、大規模な義体化は免れないだろうよ。」「あの年でか …… 。」
「そこまで若くて、しかも全身義体の能力者か。うちの軍でも、前例のないケースかもな。」「 ── 研究屋どもの下衆な笑いが眼に浮かぶぜ。くそったれ。」
「右眼球は完全に失明している。視神経から脳波をエミュレートしたがサケードが正常に機能しない。ニューロン内の伝達経路が傷ついたか?」
「20mm焼夷榴弾のエアバーストを右側頭部に貰った痕跡がある。火傷も激しいが、おおかたの原因は爆轟とソニックブームだろうな。酷いもんだ。」
「脳に損傷が見られないのは本当に奇跡的だよ。だが ── 頭蓋骨ごと三半規管もやられている。」「とりあえず右眼は、光学素子タイプにして様子見だな。」
「そして、ここからが本題だが ── 脳はそのままで良いとして、脊髄は6センチほど残して置換するのが最善だろう。多臓器不全の兆候も見られる。」
「血液を媒体にした能力なんだろう? なんとか残してやれないか。」「だったら骨髄なら培養もできるし、最近の自己構築型義体なら毛細血管まで再現できる。それでどうだ。」
「わかった。しかし、生身の部分は ── 」「あまり無理は言わんでくれよ。そも一般論でも、臓器の30%・肉体の55%を義体化した時点で歩留まりは効かんと言われてる。」「全身義体化しかあるまい。残せるのは、脳と脊髄と骨髄 ── 強いて言うなら、残った皮膚の一部、だろうな。」
重い瞼が開く。レンズが露光して、勝手に焦点を合わせる。信じられないくらい長い間、目を瞑っていたみたいに。けれど目やにが気になったりはしない。
目覚めれば、そこは知らない天井。窓から射す日がひどく眩しい。手をかざす。大きな掌、長い指。おかしいな。こんなに大きくなかった。それに、ここにある筈もなかった。
だったらこれは夢なんだろう。また瞼を閉じる。夢の中なんだから、泣いたっていいんだ。
「アリア中尉。」「本日付けで、陸軍701機械化試験小隊への転属を命じる。」
「ねえ。」
「顔の皮膚だけを遺しておく ── ってこと、できるかしら。」
「 …… 出来ない訳じゃ、ないが。然し、全身義体なんだろう?」「特段のメリットもないぞ。ナノマシンの効きも悪いし、自己再生の効率も悪くなる。」
「言っていいことかは知らんが、随分大きな火傷の跡があるじゃないか。どうせ骨格フレームでおおかた決まるし、頭蓋骨まで義体化するんだから、いっそ無くしてしまえばいいのに ── 。」
「いいの。 ── お願い。」
みんな、みんな、悪い夢。それなら、私の好きにしたって、許されるべきよ。
殺しましょう。殺されましょう。そうしたらきっと、いつか、醒めてくれる筈だから。
「 ── 愚かね。」「分かっているのでしょう?」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「 ── はッ、は、ッ、 ……… は、ぁッ。」
飛び起きる。シーツを払いのける。情事よりも荒い呼吸。ベッドサイドの時計を垣間見る。午前3時。汗なんて二度とかかない筈なのに、背筋にべっとりと嫌なものが張り付いている気がした。
よろよろと起き上がって、冷蔵庫を開いて、飲みさしのミネラルウォーターを一気に空ける。鏡も見ずに洗面台で顔を洗い、シャツの袖で拭う。吐き戻しそうになるのを必死で堪えた。
ベッドに戻る気力はないから、ソファに倒れこんで横になる。丸ごと部屋の一面を占める雨戸から、変わらない月明かりが差し込む。乳白色の優しい光に、身体が溶けていく。
── 徐に寝返りを打った。髪の毛が絡むのも気にせずに、仰向けになった。寝る前にソファへ放ったままの、分厚いクリアファイルを手に取る。見知った天井を遮って、読んでいく。
藤色の髪をした少女の顔写真。その経歴。功績。淡々とした報告書。投薬量。機序。結果。肉体的な反応から吐瀉物の成分に至るまで。実験中の写真。苦しそうに悶える女の子の姿。
何十枚。何百枚。千枚に届くだろうか。読み切れないくらいに続いていた。 ── 情動が、沸き起こらぬ訳も、ないけれど。
けれどそれよりも納得が先に来た。忘れていた記憶。忘れたかった記憶。思い出せたのかもしれない。私たちは、似た者同士だ。
それでも、やはりこの部屋は、夢の中にある。彼女と過ごした時間も、また。
だから次こそは、目醒めの中にいなければならない。 それで全てが終わるとしたって。 ── いなければ、ならない、のに。
思い切りファイルを投げ捨てる。くるくる回って、ベッドの上に飛んで行った。それはスプリングを軋ませて、そして何度か跳ねて、どこか家具の隙間に落ちていった。
眠れなければいい。彼女もそうであればいい。呪うように願って、けれど届かないことを知っていた。
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アリアの過去に関して、でしょうか。そんなSSです
最終更新:2018年06月21日 18:20