とある自然学者の昔話

彼との出会いは、15歳の時だった。


中学を卒業した直後、私は父の仕事の都合で櫻の国のとある村に引っ越すことになった。
なんでも、私が中学を卒業するまで「娘が卒業するまで慣れ親しんだ友達と一緒に居させてやりたい」と無理を言って転勤を待ってくれていたらしい。


新しい家、右も左も分からない土地、聞き慣れない方言。引っ越した地方は分からないことだらけ、不安だらけだった。
正直、高校入学直後はクラスでも浮いた存在だったと思う。考えれば当然だ、急に越してきた余所者がクラスで浮かない筈がない。
話す言葉も違うし、周りには小さい頃から付き合いのある友達は一人もいない。初対面の人しかいないクラスで話す事も怖かった私は、皆と喋ることも出来なかった。
高校に入学して1週間、気がつけば私は孤立していた。……いや、違う。自分から孤立して、殻に籠ってしまっていたのだろう。
いじめられこそしなかったが、その代わりに話しかけられなくなっていた。偶に話しかけられても、素っ気ない返事しか出来なくなっていた。
同じ教室に居るのに、自分だけが他の生徒たちとは違う次元にいるようだった。絶海の孤島のように、私はぽつりと浮かんでいた。

―――そんな私を救ってくれたのが、私の前の席に座っていた彼だった。
孤立する私を見かねたのだろうか、余所者の私に興味を持ったのか。理由は分からないけれど、彼は私に声を掛けてくれた。
入学して二週目の月曜日のお昼。教室の隅の自分の席で一人で弁当を食べていた私のところにずけずけとやってきて、自分の椅子をわざわざ私の机の所に持ってきて……
……男の子が食べるだけの量が詰まった大きな弁当箱を私の机に広げて、笑顔で喋りかけてきた。
彼にはもう沢山の友達がいた。きっとその日だって誰かに「一緒に食事をしよう」と誘われていた筈だ。それなのに―――わざわざ私と一緒に弁当を食べようとしたのだ。

『―――萱場ちゃん、どないしたんや?一人で食べててもおもんないやろ、良かったら俺と食べようや!』

……私はいつも通り素っ気ない返事をした。「ええ、どうぞ……」と一言だけ呟くように声を出して、あとはもう下を向いて自分の弁当を食べているだけだった。
普通ならここで会話が途切れるだろう。こんな何も喋ろうとしない女の子だと、きっと途方に暮れて誰も私には喋りたがらなくなるだろう。―――でも、彼だけは違った。
彼は私のつれない反応を気に留める事も無く、矢継ぎ早に私の事を色々訊いて来た。出身地、好きな食べ物、好きなタレント、得意科目……そんな他愛もない事を、沢山聞いてきた。
私は訊かれる度に、機械的に答えだけを返していた。

『何処から来たん?』「……○○(櫻の国の地名)。」
『……そ、そうか!ほな、好きな食べ物は何なん?』「ケーキ。」『……お、おう……ケーキか……俺もケーキは好きやで!』
『よっしゃ、ほんなら次は……得意科目は何なん?』「生物。」『お、生物か!俺、生物は苦手なんやー……良かったら勉強教えてや!』「……」

……今思い返してみても、もっと話題を広げるべきだったと思う程に、素っ気ない返事だった。
何個目かの質問をされた後、私は彼に何故そんな事を訊くのかと訊き返した。すると、彼は満面の笑みでこう返してきた―――「君の事が知って、仲良くなりたいからや!」って。
私は面食らった。こんな孤立した存在と仲良くなろうと思う物好きがいるのか、と……。

そんな風にして質問とそっけない返事だけの会話を交わして、月曜日のお昼は終わった。
私は最後に彼の名前を訊いた。―――思えば、これが高校に入って初めて自分から誰かに声を掛けた瞬間だった。

『俺?真琴っていうんや!神谷真琴や!どや、ええ名前やろ?女の子の名前みたいやってよう言われるねんけどな……。萱場ちゃんは何て名前なんや?』

「―――皐月。萱場皐月です。」

『そうか、皐月ちゃんか!よっしゃ、覚えたで!へへへ……よろしゅうな、皐月ちゃん!』

「……は、はい……―――」

底抜けに明るい笑顔と共に告げられた名前。これが私の彼との初めての会話だった―――

―――その日からの彼はしつこかった。登校中も下校中も私に付きまとうし、お昼は私が何と言おうと一緒に食べようとするし、私がどんな反応をしようと話しかけてきた。
家が隣だったから、家を出て学校に着いて家に帰るまでずっと一緒だった。私が何も喋らなくても隣で歩くし、出席番号が連番だったから授業でグループを組む時も事ある毎に一緒になったし……
初めのうちは正直煩いと感じていた。何故ここまでして私と一緒になりたがるのかと不思議に思うぐらいに付きまとい、構ってきた。
……そうするうちに、私はだんだんと彼と喋るようになった。ずっと一緒に居て何の屈託もなく喋ってくる彼に釣られて、なぜか私も喋れるようになっていた。
少し喋れるようになってから打ち解けるまでは早かった。明るい人気者の彼がいつも傍に居てくれるお蔭で勇気付けられたのか、気がつけばクラスの皆とも喋られるようになっていた。
元々クラスの人気者だった彼のお蔭で、私もやっとクラスの一員になれた。友達も沢山出来た。私は、彼のお蔭で救われたのだ―――


――――それから彼と私は親友となった。家も隣同士だから何時でも一緒、偶に彼の家に上がり込んだり、逆に彼を家に呼んだりして付き合いは家族ぐるみとなった。
明るくて素直で礼儀正しい彼に、両親も嫌な顔をする筈もなかった。家に男友達を呼ぶと両親に告げた時は怪訝な顔をされたが、彼を一目見るなり気に入ったらしくて
母なんて「皐月、あなたいい彼氏を見つけてきたじゃない!そんな甲斐性があるとは思わなかったよ!」だなんて、付き合っている訳でもないのにご機嫌だった位だ……。
夏休みはお互いの家族ごと一緒になって旅行に行ったり、正月に真っ先に上がり込んで新年の挨拶をしたり、まるで親戚のような付き合いだった。
彼のお母さんも優しい人だった。息子の友人ってだけなのに、まるで姪っ子のように可愛がってくれた。私に渡してくれたお年玉の額なんて彼よりも多かったのに驚いた記憶がある。

『―――なんや皐月ちゃんのお年玉の額、俺より上やん!どないなっとんねんウチのオカン、息子より皐月ちゃんの方が可愛いんか……』

「そりゃそうです!こんなに可愛い女の子、なかなかいないでしょ?真琴みたいなゴツい男より小さな女の子の方が可愛いですもんねー!」

『何自分で可愛い言うとるねん!……そらまあ、皐月ちゃんは可愛いけど……』

「……えへへ」

彼と私は間違いなく友達以上の関係になっていた。喋りかけるのも一緒に居るのも何の遠慮も要らなくて、仲の良い兄妹のような親しみと絆が生まれていた。
その関係が私には心地良くて仕方がなかった。彼と一緒に居れたから、この土地でも居場所が出来たような気がした。


大学に入る頃には、私と彼は兄妹から恋人になっていた。付き合って欲しいと切り出してきたのは彼の方、『大事な話がある』と呼び出された時の彼の極度に緊張した表情は今でも忘れられない……

そして大学卒業後(尤も、私は大学院で勉強を続けていたが。)。彼の水の国での仕事も2年目に入り軌道に乗りだした頃、私は又も彼に呼び出された。
少し背伸びした高級なレストラン、それなのに彼は「今日は全部俺の奢りや」と私に微笑みかけてくれた。彼の手には小さな箱、それが何を意味するかは未だ分かっていなかった―――。

『急に呼び出してごめん……最近皐月ちゃんが他の男と喋ってるの見ててな、なんか変な気分になったんや。俺のよく知ってる皐月ちゃんが知らん男に取られるような気がしたんや。
 皐月ちゃんを疑ってるわけとちゃうで?皐月ちゃんは俺の事を裏切るような子じゃないって知ってるから、そこはもう全く疑ってへんけどな。
 今までこんな気分になったこと無くてな、自分で自分に驚いた。なんで俺はこんな気分になってるんやろって……
 ……昨日考えに考えて漸く気付いたんや。―――ああ、俺は皐月ちゃんと結婚したいんやって。
 せやから―――俺の嫁になってくれ。俺の傍にいてくれ。頼む―――』

―――驚いたなんてものではなかった。つい昨日まで兄のように思っていた彼に、まさかこのようなことを言われるとは思っていなかったから……
彼の事はよく知っていた。ずっと傍にいたから、彼の事なら何でも知っていた。―――絶対に私を裏切らないという事も、知っていた。
私の事を孤独から救ってくれた。ずっと傍に居て、時には勇気付けて、時には優しく迎え入れてくれて……
彼ならきっと私を大事にしてくれる。そんな確信を持てる男は世界中探してもきっと彼だけだから、―――私は彼を受け容れた。

「―――はい。……大事にして下さいね?」『おう。―――約束や!』

差し出してくれた指輪は、後から聞いた話によると非常に高価なものだったらしい。娯楽費を全て切り詰めて買ったのだとか。
その心が本当に嬉しかった。ああ、この人なら自分の事を犠牲にしても私の事を想ってくれるのだな、と……
――――こうして、私は萱場皐月から神谷皐月になった。


―――それから更に数年。結婚後私は櫻の国を離れ、彼の勤めている会社のある水の国に移り住んだ。
もうあの時とは違って傍には彼がいるから、住む場所が変わることへの恐怖は無かった。一人じゃないと分かっているのがこうも心強いとは……
水の国に移り住んだのには訳がある。博士号を取得した私は水の国のとある研究機関に助手として勤務することになっていたのだ。
彼の勤めている会社ともそう遠くない場所だったので、本当に好都合だった。

そんな風にして私の新生活も安定しだした頃、何日か体調が優れない日が続いた。
体は重いわ度々眠気に襲われるわ熱も出るわと明らかに体が異常をきたしていて、私は大きな病気でも罹ったのかと不安になりつつ、なぜか私より動揺した彼に連れられて病院へ向かった。
向かった先の病院で告げられたのは……

≪おめでとうございます。妊娠1か月です。≫

「『―――え!?』」

―――私は子供を授かっていた。更に日が進んでお腹の中の子が女の子と分かった時には、彼はもうひっくり返るかという勢いで喜んだ。
……嬉しくない筈がなかった。私と彼の子が自分のお腹の中に居るというのが何よりも嬉しくて、愛おしくて、……言葉では言い表せない感情で頭の中が溢れかえった。



「……子供の名前、どうする?」

『……実はなぁ、女の子って分かった時からずーっと名前を考えてたんや。「衣織」って名前や!
 衣みたいになぁ、どんな人でも優しく包んであげられる優しい子に育ってほしいんや。画数も調べてみたんやけどな、「衣織」の総画数は大吉らしいで!
 運にも優しさにも恵まれたええ子に育ってほしいなぁ……
 ―――よっしゃ、こうなりゃ俺もバリバリ働いて稼ぐで!子供の為にもいっぱい稼いでやらんとアカンからな!』

それからというもの、彼は更に張り切った。『生まれてくる子供の為にももっと出世して稼ぐんや!』という宣言通りに力の限り働いて昇進、給料も上がった。
妊婦である私に、それはもう最大級の注意と優しさを払って気遣ってくれた。……どこまで行っても優しい彼に、私は何度感謝しただろう。
私は産休ということで研究は一旦中止。家でゆっくりとさせて貰う日が続いた……


そんなこんなで予定日も近づいたある日。

『ほな、行ってくるわ!くれぐれも体には気ぃ付けてや!』

「分かってますって!いってらっしゃい。」


――――これが、彼との最後の会話になった。


彼がいつも通り家を出てから数時間。私も何時も通りに一通りの家事を終え、何時も通りにテレビを点けてワイドショーを見ていた。
芸能人にスキャンダルが発覚したとか、スポーツ選手が結婚したとか、本当に取るに足らないニュースばかりが流れていた……が、
画面が突然切り替わった。アナウンサーが憔悴した面持ちで臨時ニュースを伝える―――

≪臨時ニュースをお知らせします。午前11時過ぎ、水の国でテロが発生しました。事件現場は――――≫

画面が切り替わり、事件現場が映し出される。煙を上げて炎上する建物、逃げ惑う人々……
私は言葉を失った。だって、其処は―――――




                  ――――――彼の職場だったのだから。




視界が暗転する。耳鳴りが収まらない。何も考えられなかった。
彼に電話を掛ける。繋がらない。何度も何度も掛ける。やはり繋がらない。何時まで経っても連絡は来ない。―――居ても立ってもいられなくなった私は家を飛び出した。
事件現場は凄惨だった。彼の勤めているビルは跡形もなく崩れ去り、焼け跡だけが未だ焦げた匂いを燻らせながら生々しく事件の爪痕を色濃く残していた……
溢れ返る人混みの中、私は必死で彼の姿を捜した。日が暮れるまで、妊娠していることも忘れて捜した。それでも、彼は見つからなかった。

―――何時まで経っても、彼が見つかることは無かった。


衣織が生まれたのはその数日後だった。まるで彼の生まれ変わりのようにして事件の直後に生まれたのは、きっと偶然ではない――――

彼を失ったショックから立ち直らせてくれたのは、彼が遺した子だった。―――衣織が居なければ、きっと私は精神的に立ち直れなかっただろう。
……衣織は本当に彼と私の両方に似ていた。黒い髪と口元は彼に似ていて、目元や鼻の形は私に似ていて、……そうやって色んな所が似ているのが、衣織が私と彼の子である何よりの証拠だ。
彼の遺した子供を抱いていると、不思議と彼が其処に居る気がした。ずっしりと重い我が子に彼との繋がりを感じて、私は逃れられない悲しみから立ち直れた。
――今でも悲しみを忘れた訳ではない。それでも私が笑顔でいられるのは、間違いなく衣織のお蔭だ。


彼を失った私は、衣織を産んでから暫くして櫻の国の実家に帰った。母もお義母さんも「独りで子育てをするのは大変だろう、こっちに帰ってこい」と何処までも優しく私を迎え入れてくれた。
お義母さんも、私と同じぐらいショックを受けた筈なのに。「きっと皐月ちゃんは私よりもショックを受けとる筈やから」と、私には悲しむ素振りさえ見せずに気丈に振舞ってくれた。
……それでもお義母さんは、衣織を抱いて泣いた。息子の面影を色濃く残す衣織を見て、涙は堰を切ったように溢れだした。泣きながら、衣織を優しく撫で続けた―――

『おぉ……真琴によう似た可愛い子やなぁ……口元なんかあの子そっくりや……ホンマにこの子が真琴の遺した子なんやな。ああ、よう分かる。よう分かる……
 ―――皐月ちゃん。真琴の分も、この子を立派に育て上げたってな。頼むで。それがあの子への一番の供養になる筈やから―――アカン、涙が止まらへん……ゴメンな皐月ちゃん、一番辛いのはアンタやのになぁ……』

「……はい……――――!」

私も衣織のお蔭で抑えられていた涙が一気に爆発したように、その晩は涙が涸れるまで泣き続けた。涙ながらに、絶対に立派な優しい子に育てると誓った。
―――それが死ぬまで優しかった彼への、最愛の我が子を失くしてなお私の事を気にかけてくれるお義母さんへの、一番の恩返しになる筈だから。



実家の村の人々は皆優しかった。夫を亡くした私のことを気にかけて、村全体で子供の面倒を見てくれた。
ある程度衣織が育って私が学者として櫻の国の研究室で研究を再開しても、サポートは続いた。事ある毎に私が家を開けている間は引き取ってくれたり、子供同士で遊ばせてくれたりした。
そうして村の皆が私を支えてくれたからなのだろう。――――私は自然学者として研究を認められるまでになった。これは私一人では絶対に成し得なかったことに違いない。

衣織は今でもかつての彼と同じように村の方言を喋る。子供は育った環境の言葉を話すようになるというが、衣織はまさにこの村の環境に育てられたのだ。
だから、私は衣織の喋る方言が大好きだ。だって、それはこの村の優しさの証だから―――

『おかーさん、おかえり!あのね、今日はおばあちゃんの家で遊んだんやで!えへへ……おにぎり食べさしてくれた!』

「あら、そう!美味しかったでしょう?おばあちゃんの作るおにぎり、とっても大きいもんね!」

『梅干しとかかつおとかいろんなおにぎり作ってくれた!わたしも作ったんやけど……あんまり上手く出来へんかった。』

「そっかー……よし!じゃあ今度お母さんと一緒に練習しようか!」

『うん!』

―――今年、衣織は中学生になった。私の仕事の都合もあって村からは離れたが、休みがある毎に実家に帰って娘共々顔を出している。
優しいお義母さんはその度に温かく迎えてくれる。―――彼の生前の温かさは、きっとこのお母さんから受け継いだものに違いない。

私はちゃんと母になれているのだろうか。衣織の母として、優しく、強くなれているのだろうか。其れは分からない。けれど―――
―――衣織は彼と同じような明るさと優しさを持って育ってくれている。其れが私にとっての何よりの自慢であり、誇りだ。
これからどんな大人に成長するかは分からないが、村の人々、お義母さん、私の母、―――そして彼の為にも。衣織は絶対に私が立派に育ててみせる。


ここ最近、衣織はますます彼に似てきた。
衣織は彼の形見だ。明るくて優しい性格、彼と同じ方言、「神谷」という名前、黒い髪、口元……色んな所が彼に似ている。
彼は間違いなく衣織の中に生き続けている。だからこそ私は衣織を愛するし、彼と同じ明るさと優しさを兼ね備えた人間に育てたい―――

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最終更新:2014年05月29日 00:16