日本

陰陽師

奈良時代に吉備真備が唐から日本に持ち帰った陰陽五行説に基づき、天文・吉凶・暦などを占う役職で、除霊などもおこなった。
平安時代には、内裏直行の陰陽寮にて占いをおこなった。
安倍晴明賀茂忠行芦屋道満などが有名。

安倍家が天文、賀茂家が暦学を得意とした。

平安時代以後は、安倍家が陰陽頭、賀茂家が次官陰陽助を世襲。

 鎌倉時代から、陰陽師は衰退を始め、戦国時代、賀茂家の本家勘解由小路(かげゆこうじ)家が断絶し、安部家の本家土御門家も衰退するが、江戸時代、陰陽師を統括する理由で江戸幕府が、賀茂家の分家幸徳井(かでい)家と、土御門家を復興させる。

明治維新後、1872年明治政府は陰陽道を迷信として廃止を決定。
明治時代に消滅されたことになっているが、現在でも除霊などをおこなっている。

戦後「信教の自由」により「土御門神道本庁」が設立されている。
現在では、石田千尋氏が有名である。

<参考文献>

Wikipediahttp://ja.wikipedia.org/

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最終更新:2021年06月08日 12:29