清姫(きよひめ)
紀州日高郡にある道成寺(どうじょうじ)の伝説に出てくる女性。恋の妄執により大蛇となった。
古絵巻「道成寺縁起」の粗筋は以下のようである。
若僧・安珍は熊野参詣の途中、清次庄司に一夜の宿を借りた。その夜、安珍の寝床に庄司の娘(清姫)が忍び込み、夫婦になることを迫る。しかし熊野参詣のために精進潔斎をしていた安珍は、大願成就を前にして戒を破ることはできないと誘いを拒絶。それでも女は諦めずさまざまに誘惑してきたが、これをなんとかなだめようと「帰り道でもう一度立ち寄るから、そのとき一緒になろう」と言ったところ、彼女はそれで納得することにした。
安珍は宿を辞すと足早に熊野詣でを済ませ、女に会うことなく帰途についた。待てども安珍が戻ってこないことを不審に思った女は、通行人から安珍らしき僧がすでに帰りつつあることを聞いて激怒し、凄まじい形相で猛追する。追われていることに気付いた安珍は急ぎ日高川を舟で渡った。続いて女も川を渡ろうとしたが安珍に事情を聞いていた渡し守に拒絶されると、ついに蛇身となって日高川を越える。安珍は近くにあった道成寺に逃げ込むと、寺の僧の計らいで釣り鐘を下ろしてその中に隠れることとした。
大蛇となった女は門を破壊して寺に侵入し、釣り鐘に巻き付くと、火炎を吐きながら尾で釣り鐘を猛烈に叩いた。そしてしばらくすると血涙を流しながら去っていった。
釣り鐘は熱く焼けて手出しができない状態だったが、熱が冷めてから寺の僧たちが鐘を上げて中を見てみると、安珍の姿は骨さえ残らず灰燼と化していた。
数日後、道成寺の老僧の夢の中に蛇が現れる。その蛇は、自分は安珍だが女のために蛇の夫婦となってしまった、法華経の功徳によりこの苦を救って欲しいと語る。不憫に思った老僧は法会を行い、二人を供養した。これによってふたりは畜生の身を脱して天人に生まれることができたのである。
このように、本来の骨子は法華経の功徳の喧伝にあり、また女人の妄執の強さを語る仏教説話である。ただし時代が下るにつれて仏教色は薄まり、悲恋物語の色彩が強くなっていった。
知られている初出は『法華験記(ほっけげんぎ)』(1040年頃)。『今昔物語集』(12世紀前半)『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』(1322年)がこれを受けて書かれている。これらを受けて『道成寺縁起』(古絵巻、1400年頃)が成立。さらに謡曲「道成寺」、浄瑠璃「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」、長唄「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」などを通じてさらに広く知られるようになった。
物語の展開はそれぞれ大なり小なり異なっており、伝播・改作の様子は非常に複雑である。
なお、初出の『法華験記』では僧・女ともに固有の名前は与えられていないが、『元亨釈書』では僧が「安珍」となっている。
女は古いものでは未亡人として描かれるが、中世以後は若い娘として描かれるようになる。なお、「清姫」という名前が現れるのは浄瑠璃「道成寺現在蛇鱗(どうじょうじげんざいうろこ)」(1742年)が初出であろうと言われる(角川古語大辞典)。
参考文献:
日本古典文学大事典
日本伝奇伝説大事典
角川古語大辞典
『今昔物語集』巻十四・「紀伊の国道成寺の僧、法華を写して蛇を救ひたること」第三
(新日本古典文学大系「今昔物語集(三)」)
『法華験記』巻下・一二九「紀伊国牟婁郡悪女」(日本思想大系 7「往生伝 法華験記」)
『元亨釈書』巻十九・霊恠(新訂増補国史大系 31「日本高僧伝要文抄・元亨釈書」)
古絵巻『道成寺縁起』(室町時代物語大成 10)
万治三年刊本『道成寺物語』(室町時代物語大成 10)
最終更新:2005年11月09日 00:55