時刻は正午まであと少し、という頃。二人はやはり同じ場所に居た。
そこはISSという組織の一部であり、二人の職場である。当然、医者である二人の職場なので、医療現場である。
とはいえ、医療現場と言っても様々だ。単純に患者を診る事を目的とした場所から新たな治療法を探す研究所まである。
ここはその両者を兼ね備える、一種の総合医療施設である。
正午まであと少し、という事でシフトが早い人間は既に昼食を食べ始め、逆に遅めの人間はもう少し後に来る自分の休憩時間を励みに仕事に取り組んでいた。
和錆と月子も例外ではなく、先に休憩に入った月子が待ち合わせ場所の資料室ににやってくると、和錆は難しい顔をしながら資料を見ていた。
月子はそれを見て、何も言わずに部屋の片隅に備え付けてあるコーヒーサーバーからコーヒーをいれ、和錆の元に向かった。
「和錆、はい」
「え……あ、月子さん、もう来てたんだ。ごめん、ちょっと集中してて」
声をかけられてようやく月子が来ていた事に気づいた和錆は驚くと同時に申し訳なさそうに頭を下げる。
「良いよ、仕事でしょ? 休憩はまだ無理そう?」
月子はそれを見て微笑むとそのまま和錆の近くにコーヒーを置き、そのまま隣に席に座った。
「あ、うん。大丈夫、10分くらい待って貰えるかな、一度資料片付けないといけないから」
机の上に山と積まれた本、過去のカルテなどを見て、バツが悪そうにする和錆。何だか悪戯が見つかった子供のようでもある。
月子はそんな様子にくすくす笑う。別に悪い事なんてしてないのに、和錆は月子に対して何かあるとすぐに謝ってしまうのだ。
「大丈夫だよ、そんなに慌てなくても」
「そ、そっか、ごめん。なんかちょっとテンパってて……うん、片付ける前にちょっとだけ一息いれるね」
差し出されたコーヒーに口を付けるとあわあわと表情を変えていた和錆にも余裕が出来てたようだ。
一口飲んで、ゆっくりと呼吸をするともうそこには慌てている様子ではなく、普段の和錆特有の明るい表情になっていた。
「美味しいよ。ありがとう、月子さん」
「どういたしまして。和錆、難しい顔してたから。あんな表情ばっかりだと顔にしわが出来ちゃうよ?」
「……そんな表情してた?」
「してたよ。和錆は彫りが深いから余計に判りやすいね」
「それは……ちょっと恥ずかしいかもしれない」
月子の言葉に和錆ははにかむ。実際、自分ではそうと意識していなかったので、尚更だ。
「何かあった? 困り事?」
「ん……実は今研究しているクローン技術についてなんだけど、ちょっと問題がある箇所を見つけてね。その対応策を色々と調べてたんだ」
猫野和錆は医者ではあるが、同時にナノマシン研究者であり、クローン医学者でもある。
多くは知られていないかもしれないが、以前に起きた『マンイーター事件』でもその問題の解決に尽力した。
その結果や詳しい経緯については別の記事(可能なら『和錆、医療研究者』に
リンクを)を参照してもらうとして、話を進めよう。
「良い方法が見つからない?」
「……うん、ちょっと行き詰まってるかな。月子さんにはお見通しみたいだね」
まいりました、と和錆がお手上げのポーズを取ると月子は笑う。
「それくらい見てれば判るよ。手伝おうか?」
月子の提案に和錆の表情が明るくなる。それは彼女が今まで一番見てきたであろう、明るい表情だ。
二つ返事で月子の言葉に返すと思われたが、すぐに和錆はまた少し表情を難しくした。
「……良いの? 月子さんが居てくれると凄く心強いけど、そっちの方の仕事もあるでしょ?」
和錆の言葉通り、月子も仕事がある。特に現場で働けるように色んな資格も取っている為、現場では和錆以上に必要とされる事もある。
また、よほど医療現場が性に合っているのか、本人の努力もあるのだろうが、医療行為を行う月子は時に名医と言われる和錆以上の実力を発揮する。
そんな事情を和錆が知らない訳も無く、自分のせいで月子に負担をかけてしまうのは非常に心苦しくも思う。
だが、月子はそんな和錆の不安や気持ちごと吹き飛ばすように微笑む。
「うん、何とか都合付けてみる。それに家に仕事は持ち込まないで欲しいもん」
「……あいたたた、それを言われるとなぁ」
「ふふ、冗談だよ。でも、おうちで二人で居る時に難し顔をされるのはやっぱり嫌だし、私が手伝って和錆の負担が軽くなるなら、そうしたい」
「……ありがとう、本当に。感謝してるよ、いつも」
月子の言葉に和錆は微笑む。その明るい表情。その為なら自分は頑張れると月子も笑う。
自分が月であるならば、和錆にはやはり太陽であって貰いたい……というと、少しロマンティックに過ぎるかもしれないが、正直な気持ちとしてやはり和錆にはその明るい表情で居て貰いたいのだ。
「お礼は良いよ。夫婦だし、同僚だし。私達はパートナーでしょ? 助け合うのは当然だよ」
その言葉には偽りも誇張もない。
お互いに得意な医療方法が違うとなれば、様々な時に激論を交わす事だってある。
ただ、それは相手を貶めたりけなす為ではなく、どうすれば患者にとって最善の医療が行えるかという『医者』として当たり前の事に忠実だからだ。
お互いの治療方法のそれぞれの有用性や特徴、そう言った物を尊重する。無理矢理に自分の技術にはめ込もうとしたり、或いは相手の治療方法に自分の治療方法を混ぜようともしない。そんな事をするよりも、部分部分で使い分けるだけで十分なのだ。
むしろ、医療法の違いは争いの種になるよりも多角的な視野を二人に与えている。
特に和錆は医学者という側面もある為、月子の助力と視点があるかないかでは大きく成果が変わる事すらある。
二人で居るという事は単純に労働力が二倍になるのではなく、お互いの欠点を埋め、お互いの長所を伸ばし、お互いを更なる高見へと導く。
正に相棒、正にパートナーという言葉に相応しい二人である。
「お礼は言わせて欲しいな。月子さんがいれば百人力だし、本当に助かってるんだ。いつもありがとう、月子さん」
「ふふ、どういたしまして。それじゃ、さっそく残ってる仕事、片付けてくるよ」
月子は笑って立ち上がる。ふわ、と長い髪とスカートが立ち上がると同時に広がる。
見る物の目を奪う様な華やかな見た目だが、服装は当然清楚な物で、医者の代名詞とも言える白衣は真っ白で清潔感を見る者に与える。
医療の申し子、というと語弊があるかもしれない。だが、確かに彼女はその外見も能力も医療……特に現場という物に対して真っ向から向かっている。
既に名の知れた自分よりもそうであるように見える事に和錆はその姿を素直に心強く思う。
それと同時に後世では月子の名前が偉大な医療者として残るのではないかと思う。そう、医学者でなく、医療者である。
「凄いね……上手く言葉にできないけど、本当に凄いと思う」
「急にどうしたの、褒めても何も出ないよ?」
「いや……月子さんを見てるとたまにどこまで行くんだろうと思う事があってさ」
「ここまで連れてきてくれたのは和錆でしょ? 違うって言うだろうけど、切っ掛けは間違い無くそうだよ」
「……お見事です、月子さん。何だかこそばゆいね」
確かに自分が言うだろう言葉を先回りして言われてしまい、和錆は恥ずかしいやらくすぐったいやら。
月子はそんな様子の和錆を見て、くすくすと笑う。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、それ、今聞きたい言葉じゃないな」
「勉強不足で申し訳ない……どんな言葉が聞きたかった?」
「仕事が終わった後、お礼にどこに連れてってくれるのか。それを教えて貰いたかったかな」
そう言うと月子は悪戯が成功した子供の様に……正に眩しいほどの笑顔を和錆に向けた。