城主
上野肥前守
別名
馬入道山城・羽入道山城
遺構
本丸・出丸・堀・土塁
歴史
上野肥前守が
常山城に移動後は、城代として家臣の三宅左馬允徳久、佐々井伊賀、塩見、河内、白神右京亮果春(永正6年 1509年)、白神右京進帯刀(弘治3年 1557年)が居た。天正年中(1573~1593年)に毛利に攻められ上野方は児島に移動する。
天文2年(1533年)上野伊豆守頼氏が松山城で敗北後、庄氏、三村氏の持城になり、天正3年(1575年)1月16日の小早川隆景率いる毛利軍の
鬼ノ身城合戦の際には宍戸隆家が布陣した。
メモ
歴史が被る木村山城を調べるまで保留。
上野肥前守は隆徳の祖父?常山城への移動は、延徳2年(1490年)。
上野肥前守隆徳の常山への移動は、弘冶3年(1557年)。
概要
縄張り図
所在地
倉敷市真備町市場
交通
自家用車
県道280号線沿いに『ネットワーク寺子屋』の看板があるのでそこから入り、『ネットワーク寺子屋』の看板に従い進んでいくと大きな池に着きます。
登城口
注意
写真
遠景
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登山口と思われる場所には、入山禁止の看板 |
馬入道山城跡の碑 |
登城記録・感想等
こた 10/01/04 (晴)
先日、真備ふるさと歴史館で登城口を教えてもらい行ってみましたが、池の側に駐車できるスペースがありましたが、入山禁止の看板があちらこちらに建っているため登城を断念しました。麓には『史跡文化財指定ノ山』の碑が建っており、山頂が真備町の文化財である馬入道山城であると明記されていました。
参考文献
「日本城郭大系 13」 「真備町史」
更新日
2010年01月15日
最終更新:2010年01月15日 23:17