城主
山本次郎兼光、山本左馬介兼一
別名
一本松城、光雲寺山城、片山城
遺構
歴史
河辺臣百依、磯泊が築城したといわれる。
鎌倉時代には山本次郎兼光が城主となり、その後、三村元親の家臣である山本左馬介兼一が在城。天正2年(1574年)に毛利勢に攻められ落城する。
また一説では、山本兼一は上田城城主上田近江守家実の家臣であり、後に毛利に降る。
毛利勢は
鬼ノ身城を攻略するための向城として利用した。
メモ
河辺臣百依は倉敷市の
南山城にも開基として名前が出ていた。
南の山麓にかつて光雲寺があった。
概要
縄張り図
所在地
総社市原
交通
自家用車
登城口
注意
写真
遠景写真
城内写真
登城記録・感想等
参考文献
「日本城郭大系 13」 「昭和町史」
更新日
2010年01月22日
最終更新:2010年01月22日 22:55