【名前】福王寺 雪(ふくおうじ ゆき)
【容姿】164cm 細身

【生年月日】昭和59年(皇紀2644年年)1月20日生まれ
【所属】横浜DeNA
【利き腕】右右(元両打ち)
【守備位置】二塁、遊撃
【能力】
【パワター】髪型4、髪色1、眉毛35(-2)、眉色1、眉毛座標X0Y-3、目たれめ25(-1)、目色1、X座標0、Y座標―10
【背番号】23(2014までは36)
【球歴】市立船橋高校→全浦和(2002-2003)→三菱ふそう川崎(2004-2008)→三菱重工神戸・高砂(2009-2011)
【性格】抜かりない、短気
【その他】

高校時代~全浦和

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船橋市立船橋高校に入学。同級生には、林昌範がいた。
先頭打者として、主に出場していた。
進路は県下で喧嘩話が誇張され、行先に困っていたが、父親の伝手で、さいたま市の臨時職員になり、全浦和入りを果たす。
普段は体育施設で働き、通信講座で経理に関する資格を習得した。
全浦和でも先頭打者として、出場。ある試合での活躍から、三菱ふそう川崎に誘われ、転籍することになる。

三菱ふそう川崎

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初日のグラウンド入りで、オラついた雰囲気にも関わらず、緊張していた。
名門チーム入りということで、そのプレッシャーを感じていたらしい。
渡辺直人のエスコートもあり、それも何とかなったとか。

初年度は会社の不祥事で途中から社業に専念していた。
翌年は、渡辺直人らと共に、都市対抗制覇。特に守備走塁で貢献した。
さらに、2007年は東芝の補強選手(助っ人)として、都市対抗制覇に貢献する。
日本代表選出など、実績を積み上げ、ドラフト候補にもなっていた。
2008年で三菱ふそう川崎の休部が決まり、行先を決めることとなる。
ENEOSや東芝はもちろん、JR東日本、トヨタなど三菱外のチーム、名航、岡崎、神船、広製など三菱グループ内でも手が上がっていた。

三菱重工神戸

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2009年より神船の一員となる。
神船時代は優勝数こそ少なかったが、女性選手の先駆者として、同地区の選手らとも交流を深めた。
2011年ドラフト3位指名で入団。

プロ入り時代

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守備は安定感があり、初年度から開幕一軍を勝ち取る。
しかし、開幕直後、大不振陥る。失意の二軍落ちを経験するも、岩井のアドバイスもあり、4月末に復帰を果たす。
2012年は遊撃手・二塁手、2013年は二塁手・遊撃手、2014年は遊撃手、2015年からは二塁手と行ったり来たりである。
打撃は毎年、.280前後を推移する。
数年前まではフルアームスローだったが、最近はクイックスローで投げることが多い。
2019年をもって引退。引退試合やセレモニーは固辞。
おつかれさま会が12月に開催された。

引退後

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引退後は埼玉県さいたま市浦和区で生活している。




プレイスタイル

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元々両打ちだったが、三菱ふそう川崎入り直後に右打ち一本に統一した。
話によれば、両打ちでは社会人投手のパワーには勝てないと諭されたためである。

ツチノコバットを愛用している。予想に反して、振り抜く打撃を心掛けている。
手元まで引き付けて振り切る為、走り出しは遅く内野安打は多くない。
サヨナラの場面に強い。
見送りの時のバット回しが特技らしい。

盗塁成功率は高く、2012-2015迄は20盗塁以上で1桁失敗にとどめている。
走塁は普通。あたりの強いスライディングも持ち味。
本人は「キャンター、ファイターと呼ばれても良いです」とのこと。

守備は傾向を重視した位置取りをする。


その他

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渡辺直人には恩を感じており、同じユニフォームを着て日本一になりたいと密かに夢見ている。
アマ時代はちょくちょく、日本代表に選ばれていた。

高校の同期である、林昌範とは比較的良好な関係である。
湯浅和は高校のひとつ上の先輩。
特別仲が良かったわけではないが、キャッチボールの相手とかしてもらっていたようである。
早期引退には驚いてたようで、残念がっていた。
プロ初本塁打は篠田(新)から。
三菱ふそう川崎にいたこともあってか、京都の日野を意識している節もある。

押しつけがましい所があり、度々、トラブルになることもある。
ここ最近は、妥協点を探すことも増えてきている。
また、ある国際大会では緑川外野手と取っ組み合いしている(マジの戦闘はしていない)。

空挺レンジャーの父親直伝の技を習得しており、喧嘩は非常に強い。
家族構成は、父が元陸自隊員(定年退職)、母と妹、弟の五人家族である。

浦和レッズのサポーターでもある。
これは浦和に住んでいたときの影響である。
機嫌のいい時は三菱賛歌を歌っている。
愛車はランサーエボリューションファイナルエディション(赤)

登場曲は三菱ふそう川崎、トラック繋がりで「全国デコトラ祭り」で採用された「紅のバックファイヤー」
入団当初は別の曲を使っていたが、被ったことを知って変更を願い出た。
平成30年(西暦には割とうるさい福さん)からは、JINDOUのWILD CHALLENGER


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国際大会出場歴

2006年第16回IBAFインターコンチネンタルカップ(4位)、第16回ドーハアジア競技大会(2位)
2007年第37回IBAFワールドカップ(3位)
2009年第25回アジア野球選手権(優勝)
2010年第16回広州アジア競技大会(3位)


応援歌(宮川一彦流用)

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登場曲(紅のバックファイヤー/-平成29年)

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なお「全国制覇テキ屋魂OP」を希望していたようだが、無事却下された模様


登場曲(WILDCHALLENGER)

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最終更新:2020年02月29日 10:49