59【ひづけ】 ◆qp1M9UH9gw



【1】


 たったの六時間で、十何人もの明日が奪われた。
 本来ならば明るかったであろう彼らの未来は、半ば強制的に閉ざされたのだ。
 克己の拳が堅く握りしめられ、同時にわなわなと震え出す。
 彼の内に秘められた感情は、殺し合いを開いた真木への怒りであり、同時に犠牲者の続出を食い止められなかった自分自身への怒りであった。
 もしも、アポロガイストをあの場で仕留める事ができていたのなら。
 もしも、財団Xの刺客を警察署で葬れていたのなら。
 不条理に未来を破壊される者が、一人は減っていたのかもしれない。
 所詮ifの話であったとしても、思考を巡らしても何の意味も齎さない空絵事であったとしても、そう考えずにはいられなかった。

 とはいえ、そのまま後悔し続ける克己ではない。
 救えたかもしれない命を救えなかった悔しさは、数分後には主催者打倒の為の強い意志へ転じていた。
 ここで挫けてしまっていては、それこそ死んだ者達に申し訳が立たないではないか。
 見据えるべきは未来である――主催を打倒する為にも、こんな場所で立ち止まるつもりは無い。

 問題なのは、同行者であるさやかの方だ。
 彼女は放送が終わった後、目に見えて動揺していた。
 無理もない――死んだ志筑仁美は、さやかの親友の一人だったのだから。

「……よしっ」

 そう掛け声を上げて、さやかが立ち上がった。
 彼女の表情からは、既に悲しみは感じ取れなかった。

「もういいのか?」
「うん、あたしはもう大丈夫」

 失礼な言い方だが、立ち直るのにはもう少し時間がかかると思っていた。
 だが、どうやら克己の心配は杞憂に終わったようである。
 その証拠に、今のさやかから負の感情らしきものはまるで感じられない。

「仁美が死んで悲しいし、さっきだって泣いちゃいそうになったけどさ……でも、今はまだ泣く時じゃないよ」

 泣く時は、真木達を倒して全てを終わらせた後。
 その瞬間までは、前を向いて戦おうと決めたのだ――さやかはそう克己に宣言した。
 無理をした様には見えなかったから、恐らくその意思は本物なのだろう。
 克己がそうであったように、さやかも懸命になって明日を求めているのだ。
 彼との戦いの記憶は、彼女を確かに変えているである。

「それにさ、あたしがクヨクヨするばっかりじゃ、何時まで経っても克己に追いつけないしね」

 そう言って笑いかけるさやかに対し、克己も僅かに微笑んでみせた。




【2】


 桂木弥子は、心の何処かで楽観視してたのかもしれない。
 この殺し合いもきっと、いつもの様にあの魔人――脳噛ネウロが解決してくれるのだと。
 何しろ彼は、死ぬ姿がまるで想像も付かない程に強いのだ。
 人知を超えた存在が、人知の範疇にある人間に支配できる訳が無い。
 今回もいつも通りに、ネウロが真木の「謎」を喰って一件落着になるのである。

 そう信じ込んでいたから、目の前の光景が猶更信じられなかった。
 弥子の視線の先にあったのは、最強であった筈の魔人の、見るも無残な屍骸。
 片腕と片足が欠損し、全身が火傷だらけとなったその死体は、彼が如何に無様な最期を遂げたかを物語っている。
 思わず弥子はネウロへと駆け寄るが、それでも彼は何の反応も示しはしない。
 どんな生物であろうが、死んでしまってはただの肉塊――「死人に口無し」とはよく言ったものだ。

「嘘、だよ」

 口から衝いて出た言葉は、否定である。
 目の前に真実があるにも関わらず、弥子はそれを認めようとしない。
 信じがたい光景から目を背ける彼女の行動は、一種の現実逃避と言えた。

「嘘だよ……!だって、そんな……あり得ないよ……。ネウロが……こんな……」

 余程混乱しているのか、出てくるのは曖昧な言葉ばかり。
 その様子からは、彼女のショックが相当なものである事が、容易に理解できるだろう。
 そんな弥子の姿を、アンクは苛立ちの籠った表情で見つめていた。
 あの様子を見るに、死んでいる男は弥子の関係者なのだろう。
 ショックなのは分かるが、だからと言ってずっとこのまま嘆いていられても困る。

「……いつまで嘆いてやがる。そろそろ行くぞ」
「ま、待ってよ……このまま置いてくの……?」
「当然だ。死んだ奴に今更何しようってんだ」

 死者は生き残りに何の得も与えはしない。
 強いて言うのであれば、強い喪失感を与えるだけだ。
 それこそ「死人に口無し」と言うやつで、アンクは無意味な肉の塊などに何の興味も示さなかった。
 ある程度知り合った仲ならまだしも、初対面の他人であれば尚更沸き上がるものがない。

「そいつが誰だろがな、死んだらもう無価値なんだよ。
 それともなんだ、お前が背負っていればそいつは生き返るのか?」

 そんな訳がない――もしそうなったとしたら、どれだけ幸福だろうか。
 だが、そんな奇跡は決して起こり得ない事は弥子だって理解できている。
 だからもう、ネウロは弥子に何も語りかけなどしない。
 如何に魔人であれど、生と死の境界を乗り越えれはしないのだ。

 弥子はただ、黙りこくる事しかできなかった。
 アンクの言う事はもっともだ――死者は何も与えないし、何も齎さない。
 死を嘆く暇があるのなら、前を見据えて歩くべきなのだ。
 だが、それを知っていてもなお、歩き出す事に躊躇してしまう。
 最も頼りにしていた魔人の死を目にした瞬間、弥子の自信は粉々に砕け散った。
 彼でさえ打ち勝てない様な強大な敵を、一体どうやって倒せと言うのか。
 そして、その強大な敵さえ監獄めいた空間に閉じ込めれてしまう主催者に、勝てる見込みなどあるのか。
 粉砕された自信から生まれた不安は恐怖、あるいは絶望となり、弥子を浸食していく。
 気付いた頃には、彼女の意志は脆弱なものとなり、一人の力だけでは立ち上がれなくなってしまっていた。

「立ち上がる気力も無いのか?」
「……」
「……だったらずっとそうしてろ」

 そう呆れ気味に言って、アンクは踵を返した。
 こうやって見捨てるような素振りを見せれば、どうせこの女は勝手に着いてくる。
 このまま嘆いていたところで埒が開かない事くらい承知しているだろうし、
 自分が進めば彼女もまた歩き出すのだろうと、そうアンクは認識していた。
 もしそれでも立ち上がらないのであれば、弥子の意思とはその程度のものだったという事。
 アンクとしては、彼女が立ち上がろうが立ち上がらなかろうがどちらでも構わなかった。
 着いて行きたいなら勝手に来ればいいし、来ないのならそこまでだ。
 別に、同情しているからこんなチャンスを与えているという訳では断じてないのである。

「……ほお?つまりお前は、この女を見捨てたという訳か」

 ――この場にいたのが二人だけならば、結末は違っていただろう。
 心に傷を負いながらも、それでも弥子はアンクを追いかけた筈だ。
 だが、此処にはまだもう一人の男が存在している。
 一切の情など持ち合わせない邪悪が、アンクの仲間として同行している。
 その男が、果たしてアンク達の行動を見過ごすだろうか――答えは、"否"だ。

「……では、この女の命の炎を奪っても構わんのだろ?」

 いつもと変わらぬ口調、しかし底冷えする様な殺意が込められた声。
 振り向けば、ガイが居た筈の場所に赤い怪人が立っているのが見えた。
 彼から滲み出ている殺気は、他でもない弥子へと向けられたものである。


【3】


 どうしてこの男は、桂木弥子を連れているのだろうか。
 アンクと行動を共にしている内に、アポロガイストにはそんな疑問が浮き出ていた。
 当初は「合理的な判断」だと言って流したが、よくよく考えてみれば妙な話である。
 何かしらの特殊能力がある訳でもないし、仮に彼女を赤陣営に引き込んだとして、一体何のメリットがあるのだろうか。
 陣営戦に何ら恩恵を齎さないこの女を同行させているアンクは、胸中で何を考えているのだ?

 浮き出た疑問は、やがて疑念へと姿を変貌させる。
 もしやアンクは、お情けであの小娘を保護しているのではないか。
 陣営の人数など所詮建前でしかなく、実情は弥子が心配だから同行しているのかもしれない。
 そう思うと、途端にリーダーが信用ならなくなってくる。
 本当にこの男は、赤陣営の長を名乗る資格を有しているのだろうか。

 だからこそ、この機会を逃す訳にはいかなかった。
 丁度アンクが弥子を見捨て、前へ進もうとしていたこの瞬間。
 もし此処で自分が彼女を殺そうとしたら、アンクはどの様な反応を示すのか。
 本当に弥子を陣営の頭数程度にしか思ってないのだとしたら、彼女の死に対し何の感情も抱かない筈だ。
 しかし、逆にアンクが動揺したのであれば、それはつまり弥子を仲間と認識していたという事である。
 アポロガイストが求める"リーダー"とは優勝だけを目指す合理主義者であり、
 仲良しごっこに興じる者など、断じて"リーダー"として認める訳にはいかないのだ。

「……なんだと?」

 アポロガイストの言葉を聞いたアンクが、怪訝そうな表情を彼に向けてきた。
 その顔は、唐突に弥子を殺すと宣言したが故のものなのだろう。
 本人にとっても、それは予想外の事態に違いない――やはりこの男は、弥子を仲間と認識しているのだ。

「何故その様な顔をする?貴様、この女の事などどうでもいいのではなかったのか?」
「どうせそいつは他の奴に殺される。別に今殺す必要は無いだろ」

 アンクのその返答を聞くやいなや、アポロガイストは嘲る様に笑ってみせた。
 もっともな事を言っている様に見えるが、このリーダーは弥子を殺されるのを防ごうとしているのだ。
 大方、突き放す様な素振りを見せれば彼女も仕方なく着いてくるだろうと思ったのだろう。
 なんとも甘い発想だ――戦場に立つべき"リーダー"に相応しいとは、とてもじゃないが思えない。

「ほお……?邪魔者は殺すのではなかったのか?随分と甘いのだなぁ、"リーダー"?」
「"リーダー"の命令に文句があるって顔してるな、お前」
「ああそうだ、大いにあるとも!大体、何故貴様はこんな碌な使い道も無い小娘を生かしているのだ!?」
「……ッ!そんな事お前には関係の無い話だろうが!」
「"関係ない"だと!?何もできん餓鬼を連れているだけでどれだけの負担が出ると思っているのだ!」
「もう黙ってろ!"リーダー"の命令に逆らうんじゃねえッ!」

 アポロガイストが反論する度に、アンクの不快感が表面化していく。
 この男は適当な理由を付けて納得させようとしている様だが、その程度で弥子の存在を容認するアポロガイストではない。
 やはりアンクは、弥子に対し少なからず仲間意識を持っていたのである。
 これで確信できた――この男と一緒に殺し合いを勝ち抜くなど、土台無理な話だったのだ。

「フン、どうやら貴様……やはり"甘ちゃん"だったようだな」
「誰が甘ちゃ……テメェまさか!」
「察しがいいなアンクよ、貴様の想像通りだッ!」

 アンクがリーダーに相応しくないと判明した以上、彼に服従する必要などあるものか。
 最早この男は、自分が生き残る為に邪魔な障害でしかないのである。

「言った筈だぞ!貴様が"甘ちゃん"だったのなら、そこの小娘諸共始末するとな!
 約束通り……貴様の命の炎も!そしてリーダーの座も!全て奪わせてもらうぞ!」

 放出された殺気を感じ取ったのか、アンクも臨戦態勢に移ろうとする。
 彼がどんな武器を所有しているのかは知らないが、どんな装備だろうがパーフェクターの前では無意味である。
 何しろ、パーフェクターで命の炎を吸い取ってしまえば決着は付いてしまうのだ――恐れる必要など、何処にもない。
 心中で余裕を含みながらもパーフェクターを取り外し、アンクから命の炎を奪い取ろうとした、その瞬間。
 どこからともなく現れた大量の毛髪が、アポロガイストの腕に巻き付いてきた。
 見ると、その毛髪は弥子から生えているものではないか。

「あ、あかねちゃん!?」
「ぬお!?なんだこれは……!?」

 アポロガイストが知る由も無いが、弥子には「あかねちゃん」なる生命(?)が支給されている。
 彼女は他人の毛髪と融合する事で毛髪を増幅させ、同時にそれを触手の様に操れるのだ。
 アポロガイストの行動に憤りを示した彼女が、弥子の毛髪と勝手に融合しアポロガイストを妨害しているのである。

 あかねちゃんの毛髪はアポロガイストの手にまで届き、遂にパーフェクターをはたき落す。
 あらぬ方向へ飛んでいったパーフェクターに気を取られている内に、アンクはアポロガイストと距離を取る。
 アンクが向き直した頃には、既にアポロガイストを拘束していたあかねちゃんの毛髪は切り裂かれていた。

「貴様……!よくも私のパーフェクターを!」

 余計な横槍を入れられた事によって、アポロガイストの怒りが頂点に達する。
 パーフェクターが使えない以上、戦闘に持ち込むしか無くなってしまった。
 あれは自分の最強の武器であり、同時に自身の命を繋げる生命線なのだ。
 それを奇襲で奪い取るなど、彼にとっては許し難い所業なのである。

「下賤な毛髪で私に触れおって……赦さんぞ小娘……ッ!」

 アンクを始末した後で弥子の命の炎を頂くつもりであったが、予定は変更だ。
 手始めにこの無礼な小娘を切り裂いてから、その後でアンクからリーダーの座を奪い取る。
 アポロフルーレを取り出し、今もへたり込む弥子をその刃の錆にせんと襲い掛かった。
 しかし、横からアンクに飛びかかられ、アポロガイストの行動は失敗に終わる。

「ええい、どこまでも迷惑な奴なのだ!貴様は一体何なのだ!?」
「俺が何なのか、だと……!?ハッ、見たけりゃ見せてやるよッ!!」

 そう咆哮をあげる様に叫んだ途端、アンクの肉体が変異を遂げる。
 たった一秒もしない内に、彼は鳥を連想させるような赤い怪人へと変貌していた。
 まだ「もう一人の自分」が何処かで眠っている今、自分が全身をグリード態に変化できるか不安であったが、
 どうやらその心配は杞憂だったようだ――泉信吾の肉体を利用すれば、「もう一人の自分」の力を借りずともグリード態になれる。

「来るなら来いッ!ぶっ潰してやるッ!」
「それが貴様の真の姿か……ならば私も、これを使わざるを得んな!」

 アポロガイストは小箱を取り出すと、民家の窓にそれを向ける。
 小箱が映された窓からベルトが出現し、独りでに彼の腰に巻き付いた。

「変身ッ!」

 その掛け声と同時に、カードデッキをバックルに装填する。
 するとづだろうか、アポロガイストは瞬く間に赤い装甲を身に纏ったではないか。

「仮面、ライダー……!?」

 鎧を纏ったアポロガイストを見て、アンクが驚嘆する。
 用いた道具の種類は違えど、その風貌は「仮面ライダー」を想起させるものであった。
 アポロガイストもまた、映司や翔太郎と同じ力を得ていたのである。

「怪人はライダーに滅ぼされるのが似合っているぞ!」
「テメェも怪人だろうがッ!」

 両者の殺気がぶつかり合い、いよいよ戦いが勃発しようとしている。
 そんな中、アンクはふとまだ近くにいた弥子の姿をちらと見る。
 怪物となった彼を見つめる彼女の表情は、恐怖で引き攣っていた。
 今この場で戦闘を行えば、間違いなく彼女はその巻き添えを食らうだろうだろう。

「……すぐ戻るから大人しくしてろ」

 そう弥子に告げると、アンクは翼を広げ、龍騎に変身したアポロガイストに飛びかかる。
 彼は両手で龍騎を捕獲すると、そのまま何処かへと飛んでいく。
 二人の姿が建物の隠れて見えなくなるのに、そう時間はかからなかった。


【4】


 どうすればいいのだろう。
 残された弥子の脳内は、その一言で埋め尽くされていた。
 アンクがアポロガイストと戦闘している中、自分は一人放置されたまま。
 戦っている仲間の助けになりたいが、自分に戦えるだけの力などありはしない。
 ただこうしてじっとしているのが関の山で、それは誰にとっても何の利益も齎さない行為である。
 噛み切り美容師の事件から、自分が何も変わっていない事を痛感した。
 アポロガイストの言う通りなのだ――アンクの為にしてやれる事が、何一つとして見つからない。
 自分は結局役立たずの小娘でしかなく、彼にとって不要な存在なのだろうか。

 そう悲観的になっている時であった――弥子の視界に、見覚えのあるスーツを着た男が姿を現したのは。
 その漫画に出てきそうな奇抜な格好は、紛れもなく"ワイルドタイガー"のものだ。
 堂々と真木に反抗してみせた"正義の味方"が、彼女の前に現れてくれたのである。

 だが、どうも様子がおかしい。
 弥子の視線の先にいる"ワイルドタイガー"の足取りが、実に弱々しいものとなっているのだ。
 やがてその足取りのまま弥子の元に辿り着いた彼は、彼女のすぐ近くにあったネウロの亡骸を見つめ始める。
 弥子の存在などまるで気にも留めないで、彼はじっと死体を見つめ続けていた。

「何だよ、これ。ちょっと待てよ、なんで……なんで死んでるんだよ」

 ネウロの遺体の前で、"ワイルドタイガー"が膝を付く。
 その様子は、まるで彼がネウロの存在を知っているかの様であった。
 この男にとって、魔人の死とはそれほどまでに堪えるものなのか。
 さながら旧知の友を喪ったかの様な態度に、弥子はただただ困惑する。

「大層な台詞吐いた癖に……なんだよそれ……格好悪すぎるだろ……」

 死体の様子からして、恐らくネウロは為す術も無く惨殺されたのであろう。
 あらゆる人間を超越していた魔人が、こんな無様な最期を遂げたなど、弥子にだって到底信じられない。
 だが、目の前の光景は紛れもなく現実のものであり、認めざるを得ない事実である。
 例えそれが、どれだけ残酷なものであったとしても、だ。

「だったら……本気になった俺が……馬鹿みたいじゃないか……」

 その嘆きを聞いた所で、弥子はようやく気付く。
 目の前の"ワイルドタイガー"が、真木に宣戦布告した"ワイルドタイガー"では無い事に。
 今弥子の目の前にいるのは、"ワイルドタイガー"の皮を被った偽物。
 そんななりすなしが可能であり、なおかつネウロを知っている者など、この地には一人しか存在しない。

「もしかして……X……なの?」

 返答の代わりと言わんばかりに、"ワイルドタイガー"は顔を弥子の方に向けた。
 バイザーを開けたマスクの奥にあったのは、ぐにゃぐにゃと形を変えている異形である。
 不気味に変質を続けている彼の顔は、まさしく彼が怪盗Xである事の証明であった。



             O            O            O


 ネウロが死んだ。
 どこの誰かも知らない奴に、いつの間にか殺されていた。 
 あれだけ尊大な台詞を吐いておきながら、一人で勝手に死んでいたのだ。

 だが、そんな惨めな奴に負けた自分はどうなる。
 生まれて初めて全力で戦い、最初に敗北を喫した相手が、その程度の男なのだとしたら。
 彼の打倒が目的の一つとなりつつあった自分が、なんと愚かな事だろうか。

 今弥子を殺してしまえば、彼女諸共ネウロを「箱」に出来てしまえる。
 だがどうしてだろうか、目的の達成まであと僅かの所まで来ているというのに、少しも気分が高揚しない。
 それどころか、ネウロの死を知った瞬間、気分がどん底にまで落ちていくのを感じた。
 そんな自分の感情を鑑みて、Xは気付いた――自分はもう、ネウロの中身を見るだけでは満足できない事に。
 彼をこの手で打ち倒した上で「箱」にしなければ、自身の欲望は満たされないのだ。
 自分を打ち負かした男にリベンジする事で、初めて 自分は目的を達成できたと言えるのである。
 だが、それに気付いた頃には手遅れだった。
 ネウロはいつの間にか死亡し、Xだけが取り残される形になったのである。

 思えば、目が覚めた直後はなんと清々しい気分だったのだろう。
 新たな目標を見つけた瞬間、世界がこれまでとはまるで違う様に思えた。
 ATMからメダルを調達し、生まれ変わった様な感覚でこの地を駆けようとしていたのだ。
 そうなる筈だったのに、それなのに――どうして、こうなった。

「あ、あの」

 絶望の淵に沈むXに、弥子が何か言いたげな様子だった。
 何を考えているかなど見当も付かないが、とりあえず聞くだけ聞いてみよう。

「何さ、言いたい事があるならハッキリ言いなよ」
「え、えと……その……お願いが……あるの……」

 弥子曰く、仲間が襲われているから力になって欲しいらしい。
 自分の力ではどうにもならないし、頼れるのはこの場にいるXしかいない、という事だ。
 何故犯罪者である自分にそんなお願いをするのか、一瞬不可解に思ったが、少し前の彼女との邂逅を思い出して納得する。
 既に殺人を行っている身であるが、自分は決して殺し合いに乗っている訳ではないのだ。
 あくまで自分の欲望に従っているだけであり、真木の言いなりになるつもりなど在りはしないのである。
 そういう事情を知っていたからこそ、弥子はXに頭を下げれたのだろう。
 本人が殺し合いに対し否定的なら、自分の願いを聞き入れてくれるかもしれない――そんな僅かな可能性に賭けたに違いない。

「……嫌だよ。なんでオレが厄介事に首突っ込まなきゃならないのさ」

 いつもの調子であれば、乗っていたかもしれなかった。
 だがしかし、最低な気分になっている今となっては、そんな依頼を受ける気力など何処にもない。
 「箱」の事も、自分の正体の事も、今この瞬間だけはどうでもよくなっていた。
 今はただ、誰にも関わらずに一人で時間の経過を待っていたかったのである。
 しばらく時間が経てば、きっと受けたショックも和らいでいる筈だ。

 拒絶された弥子は、目に見えて項垂れていた。
 自分の様な犯罪者に協力を頼む辺り、相当切羽詰っていたのだろう。
 だがそんな事、自分にとっては関係の無い話である。
 とにかく今は、何事にも干渉するつもりは無かった。

 そんな時、道端に放置されていた白色の物体を、Xの視線が捉えた。
 確かあれは、アポロガイストが所有していたものである。
 「もう一人のアンク」から奪い取った詳細名簿に、パーフェクターについての記述があった。
 アポロガイストが所持している道具であり、それを使えば人間から生命力を吸収する事が可能らしい。
 彼はパーフェクターを使用する事で、僅かな寿命を永らえさせている――そういった内容が、詳細名簿には書かれていた。

 弥子もXの視線の先にあった物に気付いた様で、それに駆け寄って手にしてみる。
 彼女はそれをまじまじと見つめると、その後にXへ問いを投げかけてきた。

「これを使って、"命の炎"ってものを奪うんだよね?」
「よく知ってるね。確かにアンタの言う通り、そいつは生命力を奪い取る事ができる」
「それなら、他の人に生命力を分け与える事もできるんじゃ……」

 それを聞いて、Xは弥子の目的を察した。
 恐らく彼女は、パーフェクターを利用してネウロを蘇生させるつもりなのだ。
 確かに傷を治癒できる量のメダルと"命の炎"があれば、それは可能かもしれない。 

「出来るだろうね。でもさ、誰から生命力を供給するっていうのさ?」

 Xの言う通り、蘇生させようにも、生命力をどこから調達するのかが問題である。
 ネウロを生き返らせるのにどれだけの"命の炎"が必要なのかは不明瞭だが、
 例えどれ程の量であったとしても、"命の炎"を奪い取る対象の存在が必須なのだ。

 この場にいるのは弥子とXだけで、他の人間の気配は全く感じない。
 他の場所に移動して他の参加者から奪うという手もあるにはあるが、
 生命力を奪う以上、対象やその仲間とトラブルが起こるのは間違いないだろう。
 そんな状況で、一体どうやって"命の炎"を調達するというのか。

 そう内心で嘲け笑っていた、その時であった。
 弥子が、何か決意をした様な表情でXに向けてこう言ったのである。



「ねえ、X。もしも私が"命の炎"をネウロにあげるって言ったら……私のお願い、聞いてくれる?」




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最終更新:2013年09月17日 01:41