Gの啓示/主はいませり ◆z9JH9su20Q
「ふははは! どうした、その程度か!?」
「……くっ!?」
ハイパーアポロガイストと、ウェザー・ドーパント。
コアメダルの力を獲得しグリードとのハイブリットとなった改造人間と、T2に進化したドーパントの対決は、悪の組織の大幹部に趨勢が傾いていた。
先程までは
アポロガイストを寄せ付けなかったウェザー・ドーパントだったが、彼より遥か格上の仮面ライダーエターナルともある程度互角に戦えたアポロガイストとの間にはその実、戦力に大きな開きはない――むしろ、アポロガイスト側が死の恐怖に囚われ本領を発揮できなかっただけで、本来は逆とすら言えるような力関係にあった。
無論、T2となったことでその差を埋め得るほどにウェザーの能力も向上していたが、アポロガイストの果たした強化によってそれは帳消しとなった。
欲望を有する人間の身体は、欲望の結晶であるコアメダルの代用品として機能する――たった三枚、同系統のコアに限れば二枚だけしかない今のアポロガイストでも、グリードとしては完全体に近い。そこにアポロガイスト自身の能力が加われば、T2ウェザーを圧倒して余りあるのだ。
そうなれば精神の安定したアポロガイストが巻き返すというのは、実に自然な展開であると言えた。
鞭のように撓ったウェザーマインは、巨大なガイストカッターを盾に防がれ、その防具を絡め取ることすらできずに弾かれる。
ウェザーが体勢を崩した隙を見逃さず、アポロガイストは赤く荘厳な片翼を拡げると、そこに三つの火球を灯した。
ウェザーがその事実を視認したと同時。放たれた火球は、咄嗟に紡いだ風の障壁に軌道を逸らされた。しかし、防壁はその構成要素である大気を相応な量貪られ――続く弾丸を阻めるだけの防御力を、喪失してしまった。
「グゥッ!?」
「ははははは! 所詮は我が大組織にも招き入れられぬような、小物怪人ということか!」
アポロショットの着弾によってウェザーの身体が吹き飛ばされ、無様に転がる様に気を良くしたアポロガイストが再び哄笑する。
「やっべーじゃん……」
そんな想定外の光景に、
雨生龍之介は生首を抱えたまま狼狽えていた。
ガイアメモリなる、
キャスターの魔術にも比肩する怪異を操る井坂とて、決して無敵の存在でないことは龍之介も承知している。
それでも、気象を意のままに操るという異能の超人が弱いわけがない。そのウェザー・ドーパントがこうもあっさりと、あの中年男に圧倒される展開は予想外だったのだ。
「このままじゃ、この娘でアート作れないなぁ……」
もしも井坂がこのまま倒されることがあれば、次は龍之介の番だ。アポロガイストは、一度ならず敵対したこの自分を見逃すような人種にはとても思えない。
となれば――消沈していた自分に、目標を示してくれた井坂への恩義もある。加勢して、巻き返して貰わなければならないと龍之介は考える。
とはいえ、カードデッキを失った今の自分が割って入ったところで、精々が捨て身の囮になるぐらいしか有用な働きができそうにないことは明白だ。生き残って最高のCOOLを実現せねばならない龍之介に、そんな選択肢はあり得ない。
青髭の残した螺湮城教本を使えば生身で戦いに挑むよりはずっと役に立つかもしれない。それでも龍之介の変身したリュウガに蹴散らされる怪魔達が、今のアポロガイスト相手にどこまで有効か疑問視せざるを得ない以上、迂闊な介入は危険だ。
「どうしよっか……」
逡巡のまま呑気に呟く間にも、アポロガイストは着実にウェザーを追い詰めて行く。
しかし、まさにトドメとして振り下ろされたアポロフルーレに切り裂かれる寸前、それを揮う腕自体を掴むことでウェザーは防御に成功し、遂にその苛烈な攻めを中断させるに至った。
「大組織、ですか……そこにはあなたから見て、この私以上の力を持った怪人とやらが、大勢いるとでも?」
「当然なのだ! 無数の悪を取り込んできた我が大組織、貴様ら如きでは及びもしない精強な兵で溢れている!
そして彼らを統べる大幹部の一人こそが、このハイパーアポロガイストなのだぁっ!!」
言い終えるか否か。半ば不意打ちのタイミングでアポロガイストが蹴り上げた爪先に対し、自ら彼の腕を解放したウェザーはバックステップで距離を稼ぎ、空振りさせる。
それで致命的な隙を晒すようなアポロガイストではなく、即座に体勢を整えたが、その間にウェザーもまた彼に相対する余裕を取り戻していた。
「それは……実に興味深いですねぇ」
問答を交わし、刺激された好奇心を活力へと変換したウェザーは、昂ぶりを以てアポロガイストに対抗する。
「そんな力がガイアメモリ以外にも溢れていたとは……全く、世界は広い!」
「ふん、訂正してやる。広いのではない、多いのだ。我々の支配してきた、貴様らの知らない異世界がなぁっ!」
ウェザーの放った鎌鼬を、アポロガイストは翼で起こした突風で相殺する。
「私の知らない……別の世界、ですか?」
「そうだ。本来交わるはずのなかった数々の異世界……融合を始めたその全てを支配することが、我ら大ショッカーの宿願! その大義を阻む貴様らは、ここで成敗してやるのだ!」
アポロガイストが唱える異世界という概念に、しかし龍之介もウェザーも疑って掛かることなどしない。
思えばキャスターもまた、別の場所――龍之介が住んでいるのとは別の世界からやって来た、悪魔の一種だったのだ。彼が呼び出す魔物はさらに別の世界の住人。今更異世界の実在を疑う理由はない。
ただ、それらを並行執筆しているのだろう神様はやっぱり凄いんだなと、ズレた感想を龍之介は抱いていた。
「パラレルワールド……いいえ、メモリを使わない仮面ライダーやあの
カオスというお嬢さんのことを考えれば、多元宇宙論が適切でしょうか」
ウェザー・ドーパントこと井坂はその知識量故か、龍之介からすれば難解な単語を一人得心したように呟いていた。
「成程、異世界とは。これまで彼らの噂一つ知り得なかった理由に、合点が行きましたよ」
納得した様子のウェザーは、再度目の前の戦いに集中する。
「でしたら、それら異世界に存在する特異な力も、いずれは全て平らげなければなりませんね……メダルシステムによってその垣根が取り払われるというのであれば、間違いなく可能なはず。こんなところで躓いている場合ではない、早速蒐集しなければ。
貴方をハイパーアポロガイストとやらにした力も例外なく……ね!」
「ふん、やってみるが良いのだ!」
再度激突する二体の怪人。アポロガイストの突然な強化への戸惑いを、新たな欲望を抱いたウェザー・ドーパントもようやく消化できたようで、その戦いぶりに迷いの色はない。
――それでも地力は、ハイパーアポロガイストが上回る。
井坂の苦境を覆すには、やはり龍之介の参戦が不可欠だろう。
しかし、ドーパント化している伊坂と生身の龍之介とでは、戦いに身を投じるリスクが違い過ぎる。そのことが今なお、龍之介に二の足を踏ませている。
未だ旦那を弔うためのアートの、材料を拾っただけ。最高のCOOLはおろか、手向けの品を作る前に、あんな偉そうな中年男にこの命を消費させられてしまう事態は避けたいのだが……
「……ありぃ?」
そこで何か重大な見落としをしている気がして、龍之介は自身が危機的状況に直面しているという事実を忘れ、抱えていた生首に視線を向けた。
本当に、吸い込まれそうな美しさをしている女の子だ。血や泥で汚れていなければ、さぞかし龍之介のイマジネーションを活かす絶好の素材になってくれただろう、が……
「……この娘、もう殺されてるじゃん」
今更になって冷静さを取り戻した殺人鬼は、そも己が何であるのかを思い出した。
雨生龍之介は、殺人鬼である。そうなったのはひとえに、“死”という事象への好奇心が昇華された結果だ。
龍之介の興味があるのは終わりの瞬間に濃縮された“生”であり、“死”に至る過程そのものだ。
それを見るための手段が殺人であり、それを重ねる毎に龍之介は他人の人生を学んできた。そうして身に付けた生と死、世界に向けた哲学だからこそ、青髭の旦那にも感心して貰えたのだ。
……断じて、自分達が死体弄りを愛好する変質者だから、などではなかったはずだ。
「あっちゃー……俺、空回りしてたんだなぁ」
既に殺され終えた残骸、消費され終えた命の残滓などを見て、どこに龍之介の学びたい“生”の縮図があるものか。
ましてやキャスターからあれほど浪費の美学を説かれたというのに、よりにもよって彼に向けて既に他人に殺され終えた死体を用いたアートを墓代わりに捧げるなど、ゴミ箱を漁って拵えた料理を差し出すようなものだ。これではむしろ、敬うべき彼を愚弄するような行為ではないか。
何より――感情の鮮度がない死体で作った芸術品など、キャスターの教えと、それから生じた彼への憧憬を、自ら全否定するかのような代物である。
だのに、彼の死を乗り越えようという気持ちばかりが逸っていたのだろう。墓代わりのCOOLなアートを用意する、ということばかりに思考を支配されていた龍之介は、自分達の哲学における基礎中の基礎を忘れてしまっていたのだ。
ようやっとそのことに思い至った龍之介は、間近で繰り広げられている激闘のことも今は忘れて、生首を手にしたまま踵を返した。
「ごめんねぇ……先生が首輪欲しいみたいだったから、切り落としちゃったのは勘弁してくれよな。これ以上変なことする前に、ちゃんと綺麗に返すから」
死体に語りかけるようにして、龍之介は謝罪する。
厳密に言えば、犠牲者である少女達ではなく――その殺人を成した、捕食者の方にだが。
細かい部分は荒削りだが、黄金の大剣で貫かれ大地に縫い止められた天使という構図は、まるで一幅の絵画のような洒落たアートだ。これを作った殺人者のセンスには、龍之介も感じる部分がある。
そんな彼、あるいは彼女が、自分の作品に後からやってきた赤の他人の手を加えられたと知ったら、あまり良い顔をしないだろう。少なくとも俺はそうだったと、龍之介はこの殺し合いに招待される直前、留守の間に破壊された工房の惨状を目の当たりにして覚えた義憤と悲嘆を思い出す。
理解せず壊したのとは違う、もっと良くしようとしただけだと言い訳しても――結局は他人の殺人を尊重しない行為であり、キャスターが言うところの嫉妬に駆られた獣と本質は相違ない。無理解にして無神経な痴れ者だ。
獣は獣でも、龍之介は優雅なハンターである豹だ。他人の殺人のおこぼれを貰うなんて、醜いスカベンジャーの真似事は美学に反する。
華奢な遺体の手前にその頭部を、できる限り丁寧に安置した龍之介はもう一度、ごめんと小さく呟く。
誰が残したのかも知れない死体を、それでも同じ殺人者として、これ以上荒らされてはならないと感じた龍之介はそれから改めて、激突する二体の怪人に向き直った。
「そうさ……俺は最高のCOOLを目指すんだ」
井坂によって示された、己の目標。そのための覚悟を、龍之介は振り返る。
「そんで旦那みたいな、本物の芸術家になる……だったらこんなとこで、あんなおっさんの好きにさせるなんて」
巧拙は問わない。自分の作品か、他人の作品かも問題ではない。
ただ、龍之介の中にある殺人者の矜持として。精魂込めて生み出されたアートが踏み躙られるなどという蛮行を、自身への危険を恐れて見過ごすなどという真似は――
「――COOLじゃないよな!」
覚悟を決め、迷いを投げ捨てた龍之介は、サバイバルナイフを取り出しながら声を張り上げた。
「先生! そいつ、ちょっと遠くへ飛ばせる!?」
戦闘への関わりを立っていた龍之介の突然の指示に、ウェザーは一瞬だけ虚をつかれた様子になる。しかし、その声に込められた確かな意志を感じ取り、頷きを返した。
「すみませんねぇ。彼が場所を変えて欲しいとのことです」
敵対者に向き直って告げると同時、ウェザーはそれまでと比べても一際大きな竜巻を繰り出す。
暴力的なまでの風圧はアポロガイストを数歩後退させるほどだ。しかし踏み止まった彼は勢いが和らいだ瞬間を見逃さず、出現した赤い翼で切り裂いてみせた。
「貴様らの都合など、断固拒否なのだ――ぁっ!?」
「それは我々の台詞ですよ」
勝ち誇ったアポロガイストに激突したのは、その体自体を巨大な砲弾としたウェザー・ドーパントだ。
竜巻にアポロガイストが気取られていた隙に、背面に向けてより圧縮した大気の噴流を放出することで加速した彼の突進は、己の翼に一時視界を塞がれていたアポロガイストの隙を的確に突いた。その様はあの夜青髭の水晶玉を通して見た、例の少女騎士の打ち込みに通じるものがあった。
アポロガイストの足が地から離れた瞬間に、雷と嵐がウェザーの両手から迸り、動きを鈍らせると同時にその身を運んで行く。
「ヒュー! さっすが先生!」
この一連の行動も、アポロガイストに与えたダメージとしてみれば薄い。それ故にメダルの消費ペースを考えて、これまでは決行には至らなかったのだろうが、その気になれば井坂もやられっぱなしというわけでもないのだ。
二体の怪人を追いかけながら、龍之介は月光を鈍く照り返す刃を己の手首に押し当てる。
「っ……!」
明らかに狂っていたとは言え、中学生ぐらいの女の子が耐えた行為だ。男の子には意地があるんだよと内心で呟き、みっともない悲鳴を押し込める。
全力疾走で上昇する心拍は、浅い傷口から噴き出す血の勢いを後押しし、龍之介の意識を少しばかり遠ざける。
――だが、負けない。
今の龍之介には、芸術家としての“覚悟”がある。
己に降りかかる不利益を無視して、もう少しだけ移動を続ける。
散乱し、天使を彩る朱いコントラストとなった死肉を、彼らの餌として荒らしてしまうわけにはいかなかったからだ。
それを用いなかった不足は、一層放出される勢いを増した、己の血でのみ補えば良い。
「待っててよ先生……今、手ぇ貸すからさぁ!」
アポロガイストから再びの逆襲に遇い、押されているウェザー・ドーパントを目撃した龍之介が傷口より溢れさせた血の一滴が、地に落ちる前に破裂する。
真っ赤な卵を割るようにして生まれ落ちたのは、瞬く間に膨張した青黒い触手の集合体――怪魔だ。
龍之介の呼びかけに応えた海魔は、一歩進むたびに刻まれる血痕から一匹、また一匹と生誕し、瞬く間に百鬼夜行と称するに相応しい物量へと膨れ上がる。
――全ては、彼の目指す最高のCOOLのため。
悪魔に魅入られた若き芸術家は今、魔界の眷属を従えて。本当の意味では初めて、闘争の中に身を投じようとしていた。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
――奈落のように黒いその“影”は、あたかも獲物を感知した肉食獣のように、夜闇に溶け込んだままもそりと身を起こしていた。
軋むのはその身を包む鎧ではなく、肉体そのもの。万全から程遠い体は、未だ休息を欲していた。
それでも、その身を動かす欲望は、それ以上の停滞よりも、行動を求めていたのだ。
――そのために足りない力は、憎しみで駆動させる。
衰弱し、萎えた足での歩みはたどたどしい。半壊した己の鎧を支えきれてすらいない姿は、押せば折れてしまいそうなほど貧弱な、紛れもない敗残兵のものだった。
それでも一歩、また一歩。執念がその足を動かし続ける。
自らを誘う地を目指し、本来の勢いを見せかけだけでも取り戻しながら、邁進し続ける。
狂気に理性を明け渡し、ただ浅ましい欲望に殉じるしかなくなった彼は、死の瞬間まで本能のままに歩むしかないのだから。
どんな有様でも戦いに縛り付けられたこの存在は、紛れもなく――狂戦士と、そう呼ぶ他になかった。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
汚泥の上で、アポロガイストは幾つかの疑惑に駆られていた。
ウェザーという名の怪人との戦闘に乱入して来た、異形の戦闘員達。オニヒトデの怪人にしても醜悪なそれらの物量は目を見張るほどであったが、単体の戦力は所詮戦闘員並でしかない怪魔の軍勢など、大幹部にとって物の数ではない。
ここは一つ格の違いを示し、瞬く間に殲滅して見せよう――そんな思惑とは裏腹に、足元全てが腐肉の泥濘に変わり果てるほどに屠ってみせたところで、異形達が戦場に雪崩込んで来る勢いは一向に弱まる気配を見せなかった。
「お疲れのようですね」
怪魔の群れが成した壁の向こうから、まるで彼らを従えるように振舞うウェザーの声が投げかけられる。
対峙するハイパーアポロガイストの体には、怪魔どもの乱入以前に比べ遥かに多くの傷が刻まれていた。
怪魔程度に容易く傷つけられるようなハイパーアポロガイストではない。しかし多勢に無勢な状況下、ウェザーの持つ多彩な攻撃への対処が不完全となったことが原因だ。
それも、目隠しになる怪魔ごと攻撃されては、如何なハイパーアポロガイストとて満足に対応できるわけがなかったのだ。
もっとも、見た目ほどのダメージは存在しない――自身の状態を、“感覚”を頼りに判断したアポロガイストはそのように“誤診”する。
問題なく継戦可能なほど、グリード化によるパワーアップの恩恵を受けるハイパーアポロガイストに対し、怪魔どもはまるで恐れを知らぬように――否、事実そんな感情のない下等生物なのだろうが、途切れることなく攻め続けて来る。
少なくない同胞を巻き添えにしたウェザーに反撃する素振りも見せず、一貫してアポロガイストを狙う様子から、彼らが何者かの意志で統率されているのは明らかだった。
故に、おそらくはあの小僧が何らかの道具を用いて召喚・使役しているのだろうことは、既にアポロガイストにも推測できていた。
「ふん……多勢で少数を襲うなど、恥を知らぬ輩と戦っているせいなのだ」
日頃自分が何をしている組織の所属なのかは棚上げして、ウェザーの攻撃に対処する。更に纏わり付いてくる怪魔どもを翼で薙ぎ払いながら、アポロガイストは疑問を走らせる。
(何故だ……何故、奴のメダルが尽きんのだ!?)
一向に衰えない怪魔の軍勢を前にして、アポロガイストが最初に抱いた違和感の正体はそれだった。
道具を介している以上、この怪魔の軍勢の使役には龍之介のセルメダルが行使の代価として設定され支払われているはずなのだ。
アポロガイストとウェザーが絶命させた怪魔の数は、合計すれば既に三桁に迫る。一匹を呼び出すのに一枚の消費だとしても、見渡す限りを埋め尽くす異形の軍勢は、戦死者と合わせれば遠からず三百にも及ぶだろう。
参加者を等しく縛るメダル
ルールが存在する以上、セルメダルだけでは到達できぬ数。よしんば補えるほどのコアメダルを持っていたとしても、呼び出す時点で消費するだろうに、ここまで戦力投入をハイペースで保ち続ける必要はないはずだ。
しかし現実には、未だ更なる勢いで増え続ける怪魔の軍勢の勢いは留まることを知らず、亡骸から新たな個体が生み出され続けている。このままでは、逆にこちらのメダルが枯渇する。
となれば怪魔を殲滅するよりも、ウェザーか術者である龍之介をまず叩くことが定石。どちらを狙っても同じく怪魔が妨害するなら、より脆くリターンの大きな龍之介に狙いを絞るべきだろう。
だが、そのような結論にはアポロガイストはとうに至っており、その上で苦戦を続けていた。
理由は単純――見つからないのだ、雨生龍之介が。
(ええいっ、奴め、どこに行っているのだ!?)
龍騎とリュウガでの戦いで見せた透明化能力を使い、身を潜めていることは予想できる。
しかし周辺には、怪魔の体液が撒き散らされ、透明化していようとその足取りは掴める……はずなのだが、何度か飛翔し見渡してみても、未だ補足することが叶わない。
(くぅっ、これはもしや鳥目という奴なのか!?)
それが、二つ目の疑問。
グリードの力を得て新生してからというもの、自らの戦闘能力の増大を確信してはいたが、ほんの少しだけ――違和感がそこに生じていた。
明確に意識したのは、怪魔発生のカラクリに気づいた後のこと。力任せに薙ぎ払うのではなく、冷静に効率良く対処しなければならないと、ハイパー化してからの高揚が初めて収まった後改めてウェザーの姿を目にした際に……その姿が、少し褪せて見えたのだ。
一度気になってしまえば、それまで意に止めなかった事柄にも注意が向かうことになる。
自らの視覚が曖昧となっていることに気づくのに、そう時間は必要なかった。
偉大なる大ショッカーも、黎明期には改造人間を作った際、ベースとなった生物由来の弱点まで再現してしまったと聞いている。
同じようにグリード化に伴って、ベースとなった鳥類の弱点である鳥目、つまり夜盲症を獲得してしまったのではないかとアポロガイストは推察していた。
(実際の鳥類は夜目が効くものも多いというのに、何たることなのだ!)
そこまでの知識を有していながら、たかが『鳥類の弱点が付与されてしまった』、などと……自身に起こった変化を過小評価したまま、アポロガイストは思考を巡らせる。
この状態では、龍之介の発見は困難。ウェザーの居所ははっきりしているのだが、怪魔の妨害を受けながらでは手痛い反撃を許すことは明白だ。
アンクやディケイドとの決着も控えている。リスクとリターンを見極めて、戦略的撤退を選ぶべきかと、判断の天秤が傾きかける。
(いや待て、危機に怯えるなど……そんな私は死んだのだ!)
だが復活した大幹部の矜持は、あれだけ大見得切った後、井坂達に不利に追い込まれて撤退することを躊躇させていた。
どの道、無防備に飛んでいてはウェザーの攻撃を受け、怪魔の群れの只中に撃墜されてしまう可能性もある以上、暫くは様子見に徹するしかないのだ。
いずれにせよ、思惑通りには行かない展開にアポロガイストは歯噛みする。
「██▅▅▅▅▅▅███████▀▀▀▀▀█████▃▃▃▅▅███ッ!!」
戦況を一変させる狂戦士が現れたのは、その直後の出来事であった。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
セイバー達と交戦したのは北部だったが、バーサーカーを覚醒させたのはC-4から届く魔力行使の余波であったからだ。
一里以上の距離を隔てても伝わる膨大な魔力――宝具の解放以外にあり得ないそれは、バーサーカーにサーヴァントの存在を認識させ、惹きつけるのに十分だったのだ。
途中、その悍ましい魔力の質は、かの王が持つ清廉なそれとは全く異なる性質のものであると理解しながらも――一度戦場を認識した以上、狂戦士は進路を変えられなかった。
ただ、自らを惑わした魔力の発生源を破壊し、改めて騎士王との再会を求めるのみ。
見敵必殺。たったそれだけのシンプルな思考の下に狂戦士は、戦場へと姿を現した。
待ち受けていたのは蠢く魍魎。その中で争う白と赤の二体の怪人。
「何者だっ!?」
突然の乱入者に誰何の声を上げる彼らが何者であるのか、バーサーカーは知らない。
ただ悉く、この手で殺すべき者どもであることだけは知っている。
令呪によって授けられた命を果たすため、何よりこの身を駆動させる狂気のための贄であると――!
多勢に無勢。しかし怖気づく心などあるはずもない。
バーサーカーはどす黒い魔力に塗れた手を戦利品の宝物庫の中へと伸ばし、この戦場に相応しい武器を掴み取る。
――抜き放たれたのは、縦も横も、バーサーカー自身より遥か巨大な一本の柱。
当然握れるはずもないバーサーカーの掌に、魔力によって吸い付けられたその柱の正体は、柄だった。
更に空間越しに隠されたその全容が明らかになるに従い、敵陣の中、二体の怪人が息を呑む音が静かに響いた。
月下に晒されたのは、その翡翠の刃を赤黒い葉脈のような魔力に侵された、神造の剣。
『約束された勝利の剣』ほど尊くはなく、『無毀なる湖光』ほどに美しくはなく。ただただ、山でも斬ろうかというほどひたすらに巨大な、メソポタミアの女神の戦刃だった。
バーサーカーの誇る宝具能力、『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』はあらゆる武器を自身の宝具として扱えるという破格の代物だ。しかし狂化した今の彼では、真名の詠唱を伴う宝具の全力解放ができないという欠点が存在する。
故に、仮に『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』の中に騎士王が担う伝説の聖剣が収められていたところで、これら魍魎を一撃で灼き尽くすその真なる輝きは解き放てない。
しかし、彼が武器と認識できるものであるなら――その中でたまたま、名を呼ぶ必要があるのなら、真なる力を解き放てないというだけで。
振り回すだけで良いのであれば――身体構造上扱えるはずのない巨神の武具だろうと、武器と認識できた以上、彼は小枝の如く自在に操ってみせるのだ。
「██▅▅▅▅▅▅███████▀▀▀▀▀█████▃▃▃▅▅███ッ!!」
咆哮、そして片腕での一閃。
長大な横薙ぎの一振りは、軌道上に存在した全ての怪魔を血霧に変えていた。
とはいえ、文字通り大振りに過ぎた一閃は、二体の怪人に触れることも能わず、見事に回避されてしまった。
それぞれの方法で空を駆り、身構える異形の戦士達に対し、バーサーカーは振り切った剣を引き戻しながら、自らの斬り拓いた戦場へと突撃した。
そこでは既に、一太刀で切り捨てられた百を超す怪魔の屍から、倍する数の新たな怪魔が生まれ出でようとしていたが――
その先頭を踏み潰しながら、バーサーカーは跳躍する。
斬山剣(イガリマ)の重量まで加味された踏み込みに、直接蹂躙された個体だけでなく、周辺の怪魔も衝撃で弾け飛ぶ。だがそれは、副次的な結果でしかなかった。
元より斬山剣を抜き取ったバーサーカーの目的はただ一つ、この場所で跳躍できる足場を確保すること。百を超す異形を切り捨てたのは、そのついでに過ぎなかったのだ。
「██▅▅▅█▀▀▀▀▀▀▀▀▀████!!」
怪魔の群れを眼下に、宙にあるバーサーカーは彼方を見据え、その巨大な剣を投擲する。通常の投剣と何ら変わらぬ勢いで射出された翠刃は、大地との衝突で雷鳴もかくやという大音声を奏で、表面を抉りながら滑って行く。
剣が止まり切るのを待たず、更に『王の財宝』の宝具射出能力で追加の攻撃を加えようとしたバーサーカーだったが、斬山剣を投擲したのとは別の方向にその矛先を向け直す。
「――無視とは舐めてくれたものだなッ!」
赤い翼を生やした怪人が、バーサーカーの背後から仕掛けて来ていた。
既に『王の財宝』を射出できない間合いに入り込んだ怪人に対し、バーサーカーは咄嗟に手にした宝剣の一つで迎撃する。打ち込みを防ぐが、足場のない空中では持ち堪えられずバーサーカーは墜落を余儀なくされる。
「ぬぉっ!?」
しかし、その際に一閃。翼もなく、ただ落ちて行くだけだと油断していた怪人の隙を見逃さなかったバーサーカーの一撃が、その首筋へと旋回していた。
さすがに、そう容易く首を落とされる怪人ではない。しかし黒き一閃は、回避の遅れた彼のデイパックを切り落としていた。
デイパックを回収しようとする怪人に対し、更にバーサーカーは『王の財宝』より宝具を射出して牽制を行う。後退を余儀なくされた怪人のデイパックと共に、バーサーカーは地の獄へ――怪魔に埋め尽くされた死地へと、成す術なく落ちて行った。
「……愚かな奴なのだ」
自らの保身よりも、たまたま目に付いただけの他者への攻撃を優先した狂戦士に対し、微かな畏怖と侮蔑を滲ませてアポロガイストは呟いた。
事実、バーサーカーは既に『王の財宝』の射角変更が間に合わず、一本の剣だけを頼りにして魔物の大海嘯へと呑み込まれなければならなくなっていた。
無論、この狂戦士は怪魔の群れ程度に早々敗れはしないだろう。しかしアポロガイストが先のウェザーにされたように、諸共攻撃すれば一溜まりもあるまい。
そのウェザーはバーサーカーによる巨剣の投擲を回避した後、血相を変えてその着弾点へと飛んで行った。ならば背後から攻撃される心配もないだろうとバーサーカーに挑んだアポロガイストだったが、念のためにとそちらにも目を配ろうとして――諦める。やはり、夜目が効かなくなっているらしい。
(ええい、あやつの姿も見辛いのだ)
元より黒い上、妙な靄でその詳細を隠蔽しているバーサーカーの姿はこの暗闇の中では、今のアポロガイストには労せず見つけられるものではない。
何とか怪魔達の血潮が噴き上げられるのを頼りに位置を見定め、特大の一撃を浴びせてやろうとして――
「――何ということだぁああああああっ!?」
背後から響いたウェザーの慟哭に、思わず何事かと振り返った。
酷く狼狽した声は、敵対者であるアポロガイストにも動揺を生むに十分だったのだ。
しかし未だ舞い上がる粉塵と立ち込める闇は、アポロガイストに彼らの捕捉を許さない。少なくとも、瞬時に状況を悟らせはしなかった。
さらに目を凝らすべきか、無視してまずはバーサーカーを葬るべきか。
その逡巡が、更に事態を悪化させた。
「――っ、何!?」
突如として迸った双つの閃光が、大群の一角を蒸発させた。
しかしそれは余りに禍々しい、瘴気のような赤黒い奔流の束。
それを放ったのは考えるまでもなく、バーサーカーしか存在し得ない。
しかし、いったいどんな武器を持ち出したのか。そう疑問に思ったアポロガイストが目にしたのは、あり得ない光景だった。
「馬鹿な……っ! 何故、貴様がそれをっ!?」
アポロガイストが目にしたのは、新たな兵装を手にしたバーサーカー。
しかしそれは、先程まで彼が手に執っていた、御伽噺に出てくるような剣や槍や斧などではなく――近未来的な、機動兵器。
アポロガイストに支給されていながら、使用することのできなかったパワードスーツを、バーサーカーは甲冑の更に上から纏っていたのだ。
その支給品こそは、第三世代インフィニット・ストラトス『打鉄弐式』。アポロガイストが持て余したその機動兵器を、こうもあっさり扱えるということは、まさか――
「まさか、貴様……女なのか!?」
的外れな驚愕の声を、アポロガイストが漏らす。
「██▅▅▅▅▅▅██████ッ!!」
理性を奪われている以上、それに憤ったわけではないだろうが。アポロガイストの錯乱の直後、狂戦士は応えるように咆哮した。
そして打鉄弐式の青白い機体を赤黒く染め上げたバーサーカーは、新たな甲冑の推進力を全開にして――鳥類系のグリードと化したアポロガイストに対し、彼の領域での闘争を挑み掛かった。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
最後に覚えているのは、視界の全てを埋め尽くす翠、そして衝撃。
闇の淵から帰還したばかりの、茫洋と霞む意識の中、最初に目に付いたのは赤色だった。
「うわぁ……」
視界を染めたそれを、凝視する。
(綺麗だなぁ……)
混じりけのない、艶やかな赤。
輝くほどに鮮やかな、ずっと求めていた原初の赤。
――あぁ、これだ。
たちまちに理解して、仰向けに倒れたまま龍之介は淡く微笑んだ。
自分が探していたものは――最高のCOOLに必要な物はこんなところにあったのだと、悟る。
「そっかぁ……そりゃ、そうだよなァ……」
思い返せば。どうして自分が殺人鬼になったのかを考えてみればこんなこと、至極当然の答えであった。
「けど……それじゃあ意味、ないよなぁ……」
声を出すのが、妙に億劫になっていた中。至福と思われた心に一抹の不安が生じる。
そうだ――このままでは、意味がないのだ。
何か、何か抜け道はないものか。まだ身体が動かない分も思考を巡らせる龍之介の頭に、地を誰かの足が踏み締める音が直接響いてきた。
「お、おぉぉぉ……なん、ということだ……」
聞こえて来た嘆きの声は、心配になるほどの衝撃と悲しみに打ちのめされていた。
「――何ということだぁああああああっ!?」
「……先、生?」
慟哭の主に問いかけてみたところ、取り乱していた声はピタリと止み、続いて彼が駆け寄って来るのがわかった。
「龍之介くん!? 喋れるのですか……っ!?」
「あー、うん。何かちょーっとしんどいけどね……」
左手には青髭の魔本を持っている。だから空いた右手で井坂に応えようとして、それが動かないことに気がついた。
「あれ……」
不思議に思ったところで気がついた。視界が右半分、消えてしまっていることに。
そして思い出した。あの黒騎士から、馬鹿みたいにデカイ剣を投げつけられていたことを。
あれに巻き込まれていたのだとしたら、なるほど……この血と言い、多分己は無事ではないのだなということを、龍之介は察した。
「龍之介くん……良いですか、今は口を閉じて、安静にしておきなさい」
何とか平静さを取り戻したらしい井坂の指示に、龍之介は素直に従うこととした。
「止血したら早急にここを離脱します。アポロガイストとあなたの怪魔達があの黒騎士を足止めしている内に……」
「アポロの、旦那……」
しかし、続いて井坂が何気なく漏らしたその名前に、龍之介はふと閃く物があった。
「なぁ先生、アポロの旦那、異世界がどうのって言ってたよな!?」
「龍之介くん、静かに……っ!」
「んで先生、パラレルワールドって! パラレルワールドってあれだよな? 別の世界で、この世界とあんま変わんなくて……他にも自分がいるかもしれないって奴!」
「――ッ! ええ、そうです。その通りです。ですから……」
「そっか……そっかぁっ! なーんだ……あは、はははははっ!」
博識な井坂から保証を得られた龍之介は、己が無事ではないのだろうということすらも忘れ、激しく哄笑した。
まるで指示に従わない龍之介に、井坂が狼狽と苛立ちを感じているのが伝わって来る。
恩人を困らせてしまったことは申し訳なく思う。だが、こうも沸き立つ感情に晒されては、仕方がないではないか。
「先生……見つけたよ、俺。俺だけの最高のCOOLを」
――遂に自分は、答えを得たのだから。
「……それは、喜ばしいことですね」
喋るな、とは井坂ももう言わなかった。
聞き届けられない注意ばかりで立ち尽くすよりは、手を動かそうと考えたのだろう。
それでも、ちゃんと会話に応じてくれたことが嬉しくて、龍之介は滔々と語り出す。
「俺さ……元々は“死”っていうのがどんななのか、知りたかったんだ。それを死ぬ前に知りたいから、これまで殺してきたんだけど……」
貧血と思しき気怠さに負けず語っていると、不意に伊坂の手が止まった。
止血してくれると言っていたが、処置が終わったのだろうか――そんな疑問を感じるも、未だ冷めやらぬ興奮に押し流され、それよりも答えを伝えることを優先した。
「……やっぱり、他人の命はその人のもんでさ。俺自身の“死”について知るためには、結局想像の材料にしかならなかったんだよね」
だから、満たされなかった。
だから、殺し方に新鮮味がない程度のことで飽きが来て、もっと強い刺激を求め続けた。届くはずのない真理に近づけようと、空白を埋めるために無数の贄を積み上げた。
だが――そんな逃避も、もう終わる。
「でもさ、わかったんだ。俺にとって一番COOLな殺しの獲物」
唯一無二、揺らぐことのない絶対の目標を、雨生龍之介は見出したのだから。
「俺の“死”を知りたいなら――やっぱり、“俺”を殺すのが一番だってさ」
「…………君は、自分の生きているうちに“死”を知りたかったのでは?」
井坂の、純粋な疑問に満ちた問いかけに――案外鈍いなと内心苦笑しながら、龍之介は多大な疲労感も忘れ、朗らかに告げた。
「うん。だからさ……パラレルワールドの俺がいるじゃん、って」
井坂が息を呑んだのが、龍之介にも気配だけで伝わった。
感心して貰えたようだ、と手応えを覚えながら、急に意識が遠退き始めたことに焦り、一気に捲し立てる。
「俺の“死”を生きているうちに知りたいなら、別の世界の俺を殺せば良いんだって……この怪我と、先生とアポロの旦那のやり取りで気づけたんだ」
きっとこれが、覚悟の対価。
ただ、まだ光明だけ――掴み取るのは、これからだ。
「先生、俺やるよ。絶対にこのゲームを生き残って、別の世界に行く方法を手に入れる」
だから――井坂には、まだ力を借りないと。
「先生、言ってくれたよね……協力してくれるってさ。
先生も他の世界に行きたいみたいだし、そのついでで良いんだ。俺も連れてってくれよ」
「え、ええ……ですが、まずは治療が優先ですよ」
「うん……お願い……」
そこまで口伝できたことで、続いていた興奮が落ち着き――意識を繋ぎ止めていた糸が、切れたように感じた。
しかし、暗く沈んで行く意識の中でも、龍之介は安心しきっていた。
伊坂はドーピングコンソメスープだって使いこなす、最高にCOOLなお医者様だ。
彼が居てくれたから、自分はこの答えにたどり着くことができた。
それならきっと、彼は自分を助けてくれるだろうと、疑う余地なく信じていた。
それが運命というものだろうと、龍之介は思っていたから。
だって――もしも自分が神様なら、遂に目標を見つけた雨生龍之介を退場させるなんてつまらない脚本、書きはしない。
ここまで面白おかしく導いてくれた天上の主が見せる采配を、龍之介は信じていた。
(あぁ……主は、いませりぃ……っ!)
雨生龍之介が、心底から偉大なる演出家を讃えた、その直後。
彼の左手が握り続けていた、青髭の遺した魔道書――『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』が、立ち上る魔光を解けさせた。
その効果を発動させ維持するための代価、セルメダルが尽きたのだ。
独自の魔力炉を持ち、発動する限り怪魔を召喚し続ける『螺湮城教本』はキャスターが使役していた時と同様に、使用者が負担するコストは驚くほど少ない。何匹の怪魔を召喚しようが、桁違いの大海魔を召喚しようが、負担するのは『専属の魔術師』である魔道書を使役する維持コストだけで構わなかった。
それが、ハイパーアポロガイストをして驚愕させた物量を生んだカラクリ。
しかし、その破格なコストパフォーマンスを以てしても。雨生龍之介が、この魔道書の使役を許された時間は終わりを告げた。
確かに、維持のコストとして要求されるセルメダルの量はシグマ算で増大して行く以上、バーサーカーからの攻撃で大部分のメダルを流出させた後では、どれほどの良燃費だろうと枯渇は時間の問題ではあった。
しかし、まさに今積年の夢を叶える手掛かりを掴み、かつてない勢いで欲望を満たし、セルメダルを補填していた龍之介が、それでも短時間で賄えなくなった理由は――実は、至極単純なものだった。
それは単に、セルメダルの生産が必要量に達する前に、止まってしまったがため。
――命を消費し終えた残骸が、生きる者だけが持ち得る欲望を満たすなど、土台不可能な話なのだから。
雨生龍之介は、未来への希望という至福に満たされた中――眠るようにして、安らかに息を引き取っていた。
覚悟と命との交換で、生涯をかけて追い求めた答えを授けること。それが今回の脚本を担当した者が決定した、死の芸術家の迎える結末だった。
【雨生龍之介@Fate/Zero 死亡】
最終更新:2014年10月11日 22:41