sing my song for you~青空の破片 ◆z9JH9su20Q
それは、不意打ちだった。
耐え難い痛みと喪失感に視界が歪み、鼓膜を叩くあらゆる情報が、意識に引っかかることなく抜け落ちて行く。
余りにも見事に決まった不意打ちの効果は、それほどまでに強烈だった。
いや――その表現が不適切であることは、
美樹さやかも理解している。
何故ならここは、人外の怪物やそれに抗う戦士達が鎬を削り合う、逃げ場のない殺し合いの舞台。
そんなところに、何の力も持たない少女が放り込まれて――運良く生き延びられるなんて、何の保障もない都合が良すぎる妄想だということは、少しでも考えればわかることだ。
なのに、その可能性からさやかは目を背けていた。だから、当たり前のその現実が、卑怯なまでに唐突な、悪夢のように思えてしまったのだ。
「う、そ……」
急に、さやかを囲む影の背が伸びた――違う。滲んだ星空が遠ざかったのは、さやか自身の膝が折れ、視点が低くなっていたのだ。
第二回放送で告げられた、
鹿目まどかの死という衝撃によって。
「嘘だよ……そんな。何で、まどかが……」
それを受けたさやかの胸中は、六時間前、仁美の死を聞かされた時とは大きく異なっていた。
あの時のさやかには、結局聞かされただけの死に対する、現実感が欠けていた。
目の前で死んだ
巴マミとは異なり、ただの伝聞で、知識として与えられた親友の死に対して、さやかは情動が伴っていなかったのだ。
だから、あんなにもあっさりと立ち直れて――でもそれは、そもそも挫けてすらいなかったのに過ぎなかった。
死ぬ瞬間を目にしていなかろうと、どんなに現実感が伴わない情報であろうと。
死は――永遠の別離が、さやかから友達を奪い去っていた事実には、何の差異も生じていなかった。
さやかの目の届かないところで死に、その後の姿を晒していた
桂木弥子の亡骸が、そんな、さやかの認識の欠損を、埋めてしまった。
だから、その後に告げられたまどかの死は、ただの知識ではなく現実としてさやかを打ちのめした。
……しかしその両膝を折らせたのは、まどかを喪失しただけの重みではない。
今になってようやく、もう一人の――仁美の死を実感できてしまったが故の、覚悟のしようもなかった痛みが、さやかの心を苛んでいた。
まどかも、仁美も。二人共を、さやかは亡くしてしまった。
親友を喪った悲哀を痛み合える親友すら、守れなかった。
限られた時間を縫ってさやか達と一緒に居てくれた仁美も、魔法少女になったさやかの心だけでも支えようと傍に居てくれたまどかも、もういない。
さやかがまどかをからかって、仁美がそんな行動を窘めたり、逆に変な妄想を走らせてしまうのを止めたりしていた仲良し三人組のあの日々は。魔法少女であるという事実にさやかが折り合いをつけられさえすれば、これからも続いていくはずだった未来は――もう、永遠に、失われてしまった。
魔法少女になる時、戦いを運命づけられる以上に恐れた悪夢が、現実となってしまったのだ。
いつの間にか、さやかの眼前には大地が広がっていた。掌の冷たい感覚は、倒れ込むのを防ぐため無意識に両手を着いていたためのものだった。
始めのうちは、嗚咽を漏らすことすらできなかった。時折喉から漏れる声は、慟哭ですらない、無意味な呼吸音でしかなかった。
それでも、水が染み込むようにして――そんな現実を、さやかの願いに反して。思考は、受け入れ始めていた。
やがて、溢れた涙が大地を湿らせたのを合図にして。声にならない噛み殺された悲嘆の叫びは、さやかの喉を震わせ始めた。
「……どうした」
どれだけの間そうしていたのか、わからなくなった頃。
さやかの耳朶を打ったその声は、何故だか他の淀んだ音と違って、すっと脳に響いて来た。
「今はまだ、泣く時ではないんじゃなかったか?」
声の主――
大道克己が口にしたのは、六時間前、彼の問いかけにさやかが放った答えだった。
「まったく……記憶の抜けていく俺より忘れっぽくてどうする」
「そんなこと、言ったって……」
確かに、忘れてしまっていたのかもしれない。
……今にして思えば、何て無責任な言葉だろうか。
所詮さやかは、ただの小娘だった。何もわかってなどいないまま、正義のために戦う自分に酔って、勇ましい言葉を吐いただけ。
そのことに違和感すら覚えられず、しかし現実との乖離がなければ、こんな風に折れてしまうほどに弱い心の持ち主に過ぎなかった。
それに、あの時――仁美の死を知った時に、最初からこんなに悲しむことのできなかった自分の心の冷たさが、薄弱な己の人間性を疑わせ、またもさやかを揺らがせていたのだ。
そんなさやかに、克己は問う。
「おまえの友達は、そこでおまえに泣いてて欲しいのか?」
それは疑問を晴らすためではなく、確認のための言葉だった。
故に、「そりゃ、何ともないよりは泣いてくれる方が嬉しいんだろうがなぁ」と付け足しながら、泣くのが当たり前だよと心中で反論していたさやかに、克己は続ける。
「おまえが泣かなくたって、おまえが友達のことをどんなに想っているのかなんてのは……人間じゃなくなっちまった俺にも、見ればわかる」
――その言葉は、少しだけさやかの心を軽くしてくれた。
それは悩み続ける人間性の保証、だけではない。さやかの心の痛みを、想ってくれる者がいることで生まれた、安らぎだった。
それをくれた男は、更に言葉を繋いだ。
「だが泣いて、足を止めたところで……真木やあの『王』とやらを倒さない限り、この地獄はおまえに容赦などしてくれない。
どんな時だろうが戦いが終わるまでは立ち止まるな、足掻き続けろ! あの悪魔どもに殺されて俺みたいな死体になったら、友のために涙を流すことすらできやしないんだからなぁ」
「……どうしてそこで、自分のことをそんな風に言うのさ、あんたは」
思わず、さやかは反論していた。
――ただの死体がこんな風に、慰めてなんかくれるもんか。
しかし克己はどこか力ない笑みを浮かべて、小さく首を左右に振った。
「事実なんだから仕方ないだろう。俺は忘れて行ってしまうんだ、何もかも」
悲哀を込めて告げられた声には、どこか羨望の色も滲んでいた。
「だからおまえは忘れるな。その思い出が、未来へ届くように……今は生きろ」
「――忘れてなんか、ないよ。全然、なくしてなんかない」
そんな克己の励ましに、さやかは反射的に言葉を返していた。
それに含まれた強い語気に、克己も安心したような笑みを浮かべた。
「そうか――なら、良い」
「あんたのことだよ、克己」
訳知り顔で頷いていたくせに、何もわかっていなかったらしい男は、驚いたように顔を上げていた。
「ちょっと普通の人と違ってたって……あんたは人間の心を、なくしてなんかないよ」
悪を倒さんと努力ができ、外道に怒ることができ、何より他者のために悲しむことができる。
さやかが告げられた人間の定義は、克己にも等しく当てはまっていた。
自分が人間か、と問われれば、未だ返答に迷いはある。
だが、それが最初に己を人間だと言ってくれた、克己もまた人の心を持つという証明になるのなら――あの魔人の言葉だって信じてみたい。さやかはそんな風に感じ始めていた。
対して彼はバツが悪そうに、明後日の方向に顔を背けた。
「……そう見えたとしても、今だけだ」
「だったら、それを明日もできるように……もうちょっと足掻いてみなよ、あんたも」
それを最後に立ち上がって、膝についた土を払うさやかに、顔を背けたままの克己は、嬉しそうに鼻を鳴らしていた。
「ハッ! あんたも……か」
「そう……あんたも、だよ。
ありがとね、克己」
半日前なら、きっと照れて言えなかったような本心は、自然と口を衝いて出てきていた。
彼の言う通りだ。実感が追いつかなかった時があったとしても、自分が仁美とまどかの死を心底悲しんでいることは、疑いようもない真実で。
だけど、そこで泣き続けて後を追うようなことになるのは、きっと二人も望んでいないし――二人との思い出を、その優しさを、こんなところで途絶えさせるのだって、絶対に嫌だ。
だから、何もかもを奪って行くこの地獄の中でだって――さやかは、生き残ってみせる。
抱いた過去(正義)を守りながら、まだ未来を掴むために、足掻き続ける。
例え、一人だけでは荷が重くとも。今の自分には、仲間がいるのだから――
克己だけではない。大事なはずのコアメダルを、彼には何の見返りもないのにネウロを助けるため、見ず知らずの自分に貸し与えてくれた
アンクも。本当は自分が一番辛いだろうに、弥子の死に面した自分を気遣い励ましてくれたネウロも。人間ではないのだとしても、彼らも自分達と通じ合える心を持っている。だったら、願いはきっと同じはずだ。
もう、これ以上――誰も自分のような悲しい想いをしないで済む、明日が来るように。彼らと一緒なら、きっと。
そう考えながら、さやかは克己と共に、少し離れた場所で言葉を交わす仲間達の元へと歩み出した。
――――泣くのは全部、終わった後だ。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
――君が教えてくれたのは、青空の破片(カケラ)
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
あの男が、生きている。
たったそれだけの事実に堪えきれない嫌悪感を覚えさせられた相手が、自分よりも高い場所から見下してきている。それが一層、アンクの不快感を増幅させていた。
「……アンクよ」
傍目にもわかるだろう怒気を纏った今のアンクに対し、臆することなく声を掛けて来たのはかつて感情に疎いと宣った魔人、ネウロだった。
「今の放送役について、貴様の知っていることを聞かせて貰おうか」
「あぁ!?」
何故、自分が『王』を知っているとネウロに読まれたのか――それは奴の声を聞いた瞬間、意図せず平静を欠いてしまったからだということはわかっている。何より最後に“オーズ”と名乗り、オーメダルとの関わりを喧伝した『王』について、アンクが何かしらを知っていると予想するのは自然な成り行きだ。
故に声を荒げた理由は、ネウロに対して情報戦を仕掛けたいわけではなく――ただ単純に、『王』を話題に挙げることが、どうしようもなく不愉快だったからだった。
己を、満たされることなき欲望の無間地獄に誕生させた、あの男。
頭では、奴についての知識は彼らと共有すべき情報であることはわかっている。だが感情が、あの屈辱の過去を曝け出すことを容認しようとしない。
「話せ。我々は同志であるはずだ」
しかし有無を言わさぬ勢いで、ネウロは要求を続ける。
放送の途中、友の名を呼ばれた途端に崩れたさやかに寄り添っている克己からも、少し離れた位置から一瞥を寄越される。
「――よもや、情報を出し惜しみするような関係ではあるまい?」
沈黙とは利敵行為――そんな恫喝を裏に潜めたネウロ達の要求により、アンクの理性と感情の対決は勝敗を決した。
一度大きく息を吐いた後、アンクは苦々しい思いで口を開いた。
「あいつは……八百年前のオーズだ」
オーメダルを、グリードを――そして巡り巡ってはこの戦いを生んだのだろう欲望の『王』のことを、アンクは語る。
隷属させたグリードに人間の欲望から作らせたセルメダルを献上させ、最後は世界の全てを手にしようとして欲望に身を滅ぼされた、愚かだが兇悪だった『王』のことを。
「あいつは俺達を封印する石柩となって死んだはずだった。どうしてあんな風に息をしてやがるのかまでは、俺も知らん」
可能な限り必要最小限に抑えたアンクの説明を受けて、「成程」と漏らしたネウロは暫しの黙考を始めた。
克己もアンクが話し終えたことで、興味を失くした様子だった。嗚咽し始めたさやかを見守るばかりで、それ以上は関わろうとはしていなかった。
さやかの泣く声が耳障りに思えて、アンクは少し距離を取った。その様子を見たネウロもまた、黙ったままアンクとの距離を維持しようと移動する。
「ふむ……まぁ、厄介な相手であるらしいことはわかった。万全の我が輩ならともかく、少なくとも並の人間では太刀打ちできそうにないこともな。
『王』の復活が真木達、この殺し合いの主催者どもが、時間に干渉する術を持っている確証とできるのかは悩ましいところだが」
歩みながら再び口を開いたネウロは、微かな歯痒さを滲ませて一人呟いた。
「……とはいえ、まだ奴らと相対する目処すら立ってはいない状況なのだ。先に思考を向けるべきことはいくつもある。
例えば条件付きで公表されるランキングとやらだ。あれのせいで、我が輩この場での食事の機会は事実上奪われてしまったが……」
そう呟くネウロの顔には、隠しきれない怒りの表情があった。
成程、誰が誰を殺したかが明白に記録されている以上、既に殺人に関わる『謎』は解き明かされていると言って良い。食物の恨みは恐ろしいというが、それは魔人も同じようだ。
……どいつもこいつも欲望塗れで、嫌になる。
「……公開された、という事実だけでは結局何も導き出せん。実物を拝むまでは、結局我々にとって有利になる情報は一つも見つけられそうにないな」
ネウロの述べた嘆息は、既にアンクも辿りついた答えだった。
誰かを殺した者だけが、誰が誰に殺されたのかを知ることができる――あの『王』らしい、実に悪趣味な条件だ。
真正面から殺し合いに反抗する者は、普通に考えれば自発的に条件を満たすことができない。
仮に正当防衛で資格を得たとしても、それが真実であるのかを他者に証明することは困難を極める。信頼の構築が妨げられ、多くの場合は情報の共有すら難航してしまう。
それらの要素が参加者間の疑心暗鬼を増幅し――奴の言葉を使えば、恐怖が欲望を刺激して、半数の脱落した殺し合いの停滞を妨げる一助になるのだろう。
また一見すればステルスマーダーが不利となりそうなこの制度だが、その情報を見られる者が限られることで生じる不確かさと不信や、そこに辿り着くまでのタイムラグがある限り、余程の間抜け以外には手の打ちようはあるはずだ。主催側も同じ想定をしているとすれば、この制度が導入されたことから残るステルスマーダーの数を予想することも現実的ではない。そのような手合いへの警戒は、引き続き必要不可欠なことだろう。
……そもそも悪行を公表されたところで、その隠匿に頭を悩ませる必要すらない者も、ここにはいるのだから。
「とはいえその情報も、姿形を変えられる者が存在すると確定しているこの状況で、どこまで頼りにできるのか」
ネウロも言及した、仇敵の名を意識した瞬間。アンクはもう一度、己の内で激情が荒れ狂うのを感じていた。
Xの生存は、放送の中で確認できている。あのイカレた殺人鬼は、今も意気揚々と――ワイルドタイガーか、はたまた別の誰かの姿を借りて、スコア公開など意にも留めずに会場を闊歩しているに違いない。
そんな事実を把握した瞬間、怒りだけでなく安堵を覚えていた自分にも、アンクは少なからず苛立っていた。
――何故、あの猟奇的な欲望の持ち主の安否を、微かでも気にかけたのか。
それは、自分で奴を殺したい、と思っているからだろう。しかし、奪われたメダルを奪還するだけなら、別にXをこの手で殺すことに拘る必要などない。なのに、己の手でXを抹殺することにアンクが執着を覚えた、その理由は……
(……違う)
脳裏を掠めたのは、短い金髪の少女の、間抜けな笑顔だった。
性格も相応に抜けていて、食い意地が張っていて、何の力も持っていなくて。今のさやかほどではなくとも、何かあるたびにめそめそ泣いていて。
だが、それでも――勇気を出し過ぎて死んでしまうぐらいに、肝は据わっていて。
何より、目が良かった。
ZECT基地で人の痕跡に真っ先に気づいたり、火災現場でコアメダルを見つけたり、リーダーに起きる首輪の変化に勘づいたり――よく、物事を観察していた。
きっと彼女の目には――アンクにはかつての夢の中にしか残されていないような、色鮮やかに輝かんばかりの世界の美しさが、余すところなく映されていたに違いない。
だが――その瞳に美しい風景が映ることは……何かの間違いで、これまでに彼女が目にしたそれを、聞かせて貰えるような機会も――――もう、ない。
当然だ。
彼女は、死んだのだから。
(――おまえは、関係ない)
その仇を討ちたい、などと。
それではまるで、蔑んでいた人間そのものではないか。
そんな無駄なことをしたところで何も埋められはしない、何も得られやしないということは――あの遠い日に、あの少女を喪ったその時に、学んだはずではなかったか。
この爪がXの命を求める理由は、ただ一つ。鳥の王である己を謀ったあの痴れ者を誅殺し、損なわれたプライドを癒す――それだけが目的のはずだと、アンクは自身に言い聞かせた。
そんな迷いに上の空になっていた、アンクの様子に気づいた様子もなく。ネウロは現状確認を口にし続ける。
「そういった問題点を解決するのに手っ取り早いのは、単純だがやはり同行している中で誰かが閲覧権を得て、その情報を共有することか……正直、気は乗らんがな」
「……どういう意味だ」
知れず、語気が鋭くなった。
「情報を出し惜しみするような関係じゃないんだろ? それともまさか……」
「落ち着け、アンクよ。気が乗らんとは言ったが、否定しているわけではない。降りかかる火の粉を払うことにメリットが付け足されたのならなおさらだ。
ただ――どんな相手からでも、『謎』を生むわけでもないのに命を永遠に奪うという行為は、我が輩としては可能な限り避けたい気持ちがある、というだけだ。
貴様とて、餌となるセルメダルを生む人間が無意味に減るのは望まんだろう?」
「……くだらねぇ」
漏れた声には、本心からの嫌悪が混在していた。
ああ、こいつは、よく似ている。
一見すれば、さやかや杏子の憧れたヒーローに近いような言葉を吐きながら――その本質は、グリードに。
結局は、殺人という行為を、人間の命を、自分の欲望に得かどうかで選別しているに過ぎない――人間の感情を綴る、悍ましい化物。
――少なくとも、この時アンクは、魔人ネウロという存在を“そういうもの”だと認識した。
(こんな奴のために……)
一瞬にも満たない刹那、再び脳裏を過ぎった考えを、アンクは舌打ちを以て破棄することとした。
「さて、次は死者についてだが……弥子以外で我々にわかる名前は鹿目まどかと
伊達明、そしてグリードの二体か」
魔人の繰り返した名に、あれだけ己の命に執着していた、抜け目のない男がどうして死んだのか――アンクは微かな興味が疼くのを感じた。
(いや……どうせあいつが弱かっただけだ)
しかし、これ以上益のないことに思考を割くまいと、それを黙殺するアンクとは対照的に。ネウロは感情を隠さず、呆れたように嘆息していた。
「……あの虫頭め。我が輩に対する命知らずな暴行の罪を裁く前に、早速脱落するとはな。いや野放しにするよりは余程良いのだが、少々腹の虫が収まらん」
「……どうだろうなぁ」
折角選りぬきの拷問を考えていたのに、などと肩を落とす魔人にアンクは待ったをかけた。
「
ウヴァは虫頭だが、しぶとさもゴキブリ並だ。
メズールはともかく……あいつなら本体のコアが無事なら、倒されてもそれ一枚で自我を保ち――隙さえあれば、健常な人間に取り憑くことだってできるだろうな」
かつてその状態に在ったウヴァを、グリードとして復活させたのは他ならぬアンク自身だ。他のグリード達さえも、ウヴァがそこまでのポテンシャルを持つ事実を把握していない可能性は高い。だからといって即有利に繋がる類の情報ではないが、後の立ち回りを考えて『グリードは人間に寄生できる』という事実を早めに周知させ、また敵の敵を増やしたいと考えたアンクは、それをネウロに伝えることにしたのだ。
「杏子の例もある。脱落を告げられたとしても、死亡が確定したわけではない。つまりウヴァの肉体は自律行動できなくなったとしても、メダルを手に入れた者に寄生し、内から支配権を奪っている可能性があるということか……何とも意地の汚い虫ケラだ」
こちらの意図を察したネウロは言葉を引き継ぎ、ウヴァを罵った後に少しだけ真剣な表情をした。
もう少し留まるのも手か、などという独白が聞こえた気がしたが、それが確かなのかを把握する前にネウロは真摯な表情のままで疑問を投げて来ていた。
「その場合、宿主から寄生虫を追い出すことは可能か?」
「……肉体との融合が不十分なら、外からでも叩き出せなくはない。だが完全にグリード化していたなら、ウヴァに逆らってメダルを外に出せるのかはそいつ次第だ」
例えば唯一の肉親である妹が、目の前で危機に瀕した時の兄のように――自身の強い意志で、グリードにつけ込まれる空隙をなくせば。
逆を言えば、余程強い欲望――そしてそれに応えられる余力がなければ、生きたままグリードに乗っ取られた人間が、己を取り戻すことは難しいだろう。
今の泉信吾には、それがない……内心で自身のアドバンテージを確認した後、アンクは口に出した考察の補足に移った。
「まぁ、可能性の話だがな。ここだとそう上手くはいかないかもしれないし、砕かれたコアが本体じゃないとも限らない。あいつ自身を砕かれたら、いくらなんでも消えるしかない」
「……そういえば、今のオーズとやらはグリードを砕くために躍起になっているのだったな」
微かな――おそらくはウヴァに利用されている者の安否への――憂慮を表情に滲ませた後、ネウロは誤魔化すような冷たい微笑みをアンクに向けた。
「しかも他にもコアを破壊できる者がいるという……気が気ではないな、アンクよ?」
「……関係ねえ。向かって来るなら潰すだけだ」
その返答には、微かな間を要した。
しかし、アンクの返答に生じた間に取り合うことはなく、ネウロは「では次だ」と考察する話題を変えた。
とはいえ、その先彼の巡らす考察の答えは既にわかっている。現時点で与えられた材料ではアンクの知恵を以てしても、自分達の有利となる情報は導き出せなかったのだから。
おそらく、オーメダルへの造詣で劣るネウロも同様の結論に達しているはず。なのにこうも益の薄い推理を続けるのは、それでもアンクと意見を交換することで生まれる微かな光明を見逃すまいという、その本気故か。
「……参加者としての我々の現状は、こんなものか」
一通りを語り終えたネウロは、そこで視線を思考の澱からアンクに戻した。
「アンクよ。我が輩よりもメダルに精通した貴様から見て、この推理に付け足すことはないか?」
「ねぇよ」
素っ気なく呟いた後、ただ、とアンクは付け足した。
苛立ちによる思考の乱れを修正した後、ふと覚えた違和感――共有しておいて、損はないだろう情報を。
「後回しにした、面を拝む目処も立ってない奴らの話だが……このゲームの裏側には、何かがあるだろうな」
「ほう――?」
「真木の野郎と……『王』が、仲良く同じ目的に向けて協力するわけがねぇ。奴らがここまでに潰し合っていない理由が、何かしらあるはずだ」
「成程な。足並みを揃えざるを得ない事情が、真木達にもあるというわけか。あるいはそれが、殺し合いの開催などという手間のかかる犯行の、発端となるような」
仮に、それが奴らの弱味だとすれば。それを解き明かせば、あるいは――あの絶対的な『王』の力に、完成した紫のグリードである真木に、そして何より命を握られ囚われたこの状況に、反抗する術が見つかるかもしれない。
この事態が『王』の掌の上で繰り広げられているのだとわかった以上――少なくとも、素直に優勝を目指すつもりなど、既に消えている。ならば好悪はさておき、ネウロの知力は利用できる方が良いとアンクは考えていた。
もっとも――魔人とグリードのそんな関係も、いつまで続くのかはわからないが。
そうして会話が一段落した頃。ちょうどさやかが立ち上がるのが、気配でわかった。
行くか、とネウロが歩み出すのに頷きはせず、しかし後に続こうとした足を一瞬躊躇わせる気がかりが一つ、アンクにはあった。
――それは、コアメダルの破壊について。
半日で砕かれたコアが現れることは、完全に予想の範囲内だ。しかしコアメダルの破壊者が単独ではない、という点は無視できない。
紫のメダルを持つ映司以外に、主催者としてこの場にいない真木の他にも、参加者の中に存在するのだ。コアメダルを破壊し得る、何者かが。
そして現時点でアンクが何より警戒したのは、それに対するネウロの態度だ。
何しろコアメダルを破壊できる者が複数存在するというのは、アンクが提供した情報とは食い違う事実なのだ。特に陣営戦の勝敗を握るコアメダルに関する重要な情報に誤りがあったとなれば、アンクに対する何らかの不信感を示すのが妥当なはず。
しかし実際のネウロの反応は、そんな気配を漂わせすらしなかった。
何故、ネウロは得られた情報の食い違いに泰然としているのか――その裏に、何かこちらの知らない事実が絡んでいるとしたら。
思考を巡らせたアンクの中には、既に一つ、その説明を可能にする仮説が生まれていた。
『王』が放送で告げるよりも先――アンクから情報を受け取った時点で、既にネウロは把握していたのではないか?
物理的に破壊できないはずのコアメダルを砕くことのできる、
火野映司以外の存在を。
そして、そのことをネウロが周囲に知らせようとしない理由は、即ち。
(――おまえにも、それをできる力があるのか?)
ネウロこそがその当人だからではないかと、アンクは睨んでいた。
自身が張本人であるなら、『王』から齎された情報にネウロが動揺する理由などないし、ただでさえ警戒されては困るアンクに最強の鬼札を自ら公開するわけもない。
また、『王』や錬金術師達ですら不可能だった紫のコアを用いないコアメダルの破壊が可能となれば、それはもう力の規模以前に余程異質な存在であるはずだ。そして、常世ならざる魔界において君臨した突然変異の魔人だというネウロならば、その条件に該当する“何か”を持ち合わせていたとしても、他の者ほど不思議ではない。
……このことについても、確証は何も掴めていない。だが否定する根拠もまた、存在しない。
この魔人は、己の存在そのものを脅かし得るかもしれない――アンクはネウロに対する警戒の度合いを、更に一段階高めることとした。
そんな警戒心で遅れた足を、数瞬の後にようやく踏み出して。アンクもまた、距離を開けていた同行者達との合流に向かった。
――――さやかの背後の反射鏡から、巨大な黒い影が飛び出して来たのはちょうど、その時だった。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
その瞬間までその世界に存在していなかった――故に、気配や存在感を完全に隠し通しての、完璧な奇襲に成功したものと、その黒龍は確信したことだろう。
事実、襲われた当人は未だ振り返ることすら出来ておらず。傍らを歩んでいた男もまた、彼女を完全に突き飛ばすことすら間に合いはしないタイミングだった。
だから、本来なら哀れな犠牲者の少なくとも一部を咥えているはずだったその下顎が、何も食むことなく直角に折れ曲がってしまったのは――自分の出現を最初に視認できる、獲物を挟んで反対側にいた魔人が、どんな存在であるのかを知らなかったが故の、不運によるものでしかなかった。
「……へっ?」
大音声を奏でながら黒龍が街路を割り、弾みながら滑って行く段になってからようやく、ネウロの背後でさやかは間の抜けた声を発していた。
「……ふむ」
しかしネウロはそれに取り合わず、本来の形に戻させた自身の掌を観察していた。
早速コアメダルを使い、この会場に連れて来られた時点に近い魔力は取り戻したが……一撃ではあの龍を仕留められなかった。
それは単純にあの黒龍の強靭さを表してもいるのだろうが、流石にあの程度の生物を殴った程度でここまで手が痺れはしない。
一度死んだことを含めた弱体化の影響はやはり無視できない、とネウロは現状を再確認した。
――例えば、殴打の瞬間、吐瀉物のようにして龍の口から撒き散らされたこの黒い炎。
ネウロは本来、一億度の業火にも耐え得る肉体を持つ。太陽の表面温度に等しいこの龍の息吹を全身に浴びても、本来ならばネウロが痛苦を覚えるに値しない。
しかしそれは、魔界というホームグラウンドでの話。その万分の一にまで弱体化してしまう地上においては、万全でもそれほどの耐熱性は望めない。
ましてや、未だ半死半生の健康体とは言い難いこの状態では、背にした者を庇って降りかかった火の粉のダメージは皆無とは言えなかった。
「ちょっ……ネウロ、大丈夫!?」
とはいえ、耐えられない範囲ではない。仮に心配しているさやかが直撃を受けていた場合に比べれば、こちらの被害は遥かに軽微と言えるだろう。
――ただ一つの、ネウロの予想を外れた事態を無視すれば。
「耐えろ、サヤカよ」
唐突に告げられた彼女が、疑問の声を放つよりも早く――ネウロは脇に居たさやかと、ついでに何かの道具を取り出していた克己に有無を言わさず、それぞれ片手だけで後方に投げていた。
まさにその次の瞬間――黒龍が躍り出た鏡面から、猛火の柱が噴き出して。
石化した黒炎により移動を封じ込まれた魔人は、その炎の中に呑み込まれた。
「――ネウロぉっ!」
どういった理屈なのか――反射鏡の表面から、突如として迸った炎へとネウロが呑み込まれる様に、未だ宙にあったさやかが悲鳴を上げていた。
「……馬鹿が」
自分達を庇ったという彼の意図はわかっていたが、初撃はともかく、今度は完全に余計なお節介で火傷してどうする。
思わず漏らした舌打ちの後、克己はネウロによって中断させられていた動作を再開する。
《――ETERNAL!!――》
「変身!」
ガイアウィスパーを響かせた相棒を、克己は既に装着していたロストドライバーへとインサートする。
解放された永遠の記憶は克己の隅々にまで行き渡り、大気中から掻き集められた粒子で覆い尽くすようにして全身を再構成し、その姿をガイアメモリの戦士・仮面ライダーエターナルへと変身させる。
同時、魔法少女への転身を終えていたさやかと共に、エターナルは両の足で大地へと降り立つ。
「ネウ……」
「待て、さやかっ!」
火炎放射が収束しても、未だ燃え盛る炎に包まれたネウロの下へと駆け出そうとしたさやかの前に、エターナルは身体能力の差に物を言わせて躍り出た。
全くの同時、ネウロに火を噴いた反射鏡から、今度は真紅の龍が躍り出て、その牙を剥いて来ていた。
さやかを抱え、紅龍の突撃を間一髪のところで回避したエターナルは、着地した先で彼女を解放しつつ身を翻す。
「――あれは餌だ。仲間を助けようと、冷静さを欠いた奴を狙い撃つためのなぁ」
旋回して来た龍と対峙して得物を抜き放ちながら、エターナルはさやかに教授する。
数多の戦場を渡り歩いて来た大道克己には一見して理解できることも、未だ経験に欠ける美樹さやかには理解できなかったのだろう、襲撃者の意図を。
「無用心に飛び出すな」
「でも……ネウロは、あたしを庇って……っ!」
切羽詰ったさやかの様子に、克己は何が彼女を駆り立てたのかを悟る。
今も彼女の腰で輝くベルトが形見の、さやかを庇って攻撃を受け、最期は炎に包まれた仲間の存在を――まだ克己も、忘れてはいなかったから。
あれがトラウマになっているのだとしたら、それは彼女の心に住み着いた弱さとなっているのだろう。
だが――その弱さをどこかで好ましく思っている自分の存在を、克己は感じ取っていた。
「心配するな。奴があの程度でくたばるようなタマか」
だから、本来のセオリーをさやかに教えることを、克己――エターナルはしなかった。
もちろん、今口にした魔人への評もまた、偽らざる本心ではあるのだが。
「助けが要るのかは知らんが……駆けつけたいなら、まずはこいつらを排除する必要がある」
呟く間に、ネウロに顎を折られた黒龍もまた戦線に復帰し、紅龍と共にエターナル達への包囲網を形成していた。
頑強な巨体を誇る双龍に対し、エターナルとさやかが足止めを強いられているその隙に――鏡から飛び出した更なる人影は単身、孤立したアンクへと肉迫し始めていた。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
第一回放送の時と同じく、味方となり得た者を喪ったという事実に、
アポロガイストが覚えたのは焦りだった。
彼のように、手を組める悪ばかりで参加者が構成されてはいないことは、ウェザーや
バーサーカーとの戦いで既に承知している。同陣営でもないのに共闘できた
加頭順の存在は、最初の接触時に思っていた以上に貴重だった。
まして今の自分は、赤陣営のリーダーであるアンクと敵対している。『王』が煽っていたように、生き残りを懸けて陣営戦に臨もうとする者達が増えることを考えれば、今後同じ陣営の戦力を利用できる機会さえも更に減ってしまう恐れがある。
故に、陣営を乗っ取るならば急がなければならない……その考えに至った直後、アポロガイストはアンクと彼の同行者達を発見した。
その内、アンクを含む三人は手の内を把握しているが、仮面ライダーエターナルは少なくとも先程撒いた狂戦士並の強敵だ。そして未知数の要素として、既に死に絶えていたはずが息を吹き返している魔人、
脳噛ネウロの姿もある。どういう絡繰で生き返ったのか、種の割れない内は迂闊に手を出すべきではない、とも思われたが……
(いや待て、ゾンビの娘が奴らにとってお荷物なのだ)
放送を聞いて膝を折っているその心の弱さも、最初の手合わせで把握した純粋な戦力の低さも――アポロガイストからすれば役立たずと断じて何ら差し支えないが、甘ちゃんの奴らにとってはそれでも見捨てられない庇護対象なのだろう。
ならば、付け入る隙はある。そう考えたアポロガイストは、戦力差を埋める手段として、ミラーワールドから無双双龍を従えた奇襲という一手を選択した。
隠れて龍騎に変身し、ミラーワールドを経由して奴らの背後に回っている隙にゾンビの小娘も立ち直ってしまっていたが……無防備に背中を晒している。攻め込むタイミングは今しかないと、アポロガイストは決心した。
結果、先行させたドラグブラッカーはさやかを庇ったネウロにより一撃で顎を折られ、ものの見事に殴り飛ばされてしまった。強力なミラーモンスターの醜態はアポロガイストを驚愕させたが、流石はこのアポロガイストの配下、ただでやられはしない。石化する黒炎を浴びせ、ネウロの動きを封じると一矢報いる働きを見せてくれた。
良い手下を持ったと喜んだ龍騎はミラーワールドからストライクベントを発動し、身動きの取れないネウロに追撃を浴びせる。更に無双双龍に引き続きさやかを狙った攻撃を仕掛けさせてエターナルの足止めを行い、そして満を持して龍騎自身が飛び出した。
自身の不利を埋めるために、最優先に狙うは赤陣営リーダーの首。そして奴のメダルから齎される、更なる戦力の増強だ。
「――アポロガイスト……っ!」
接近する龍騎を認識し、グリードの姿に変貌しながらアンクがこちらの名を呼ぶ。その間に龍騎は、彼をドラグセイバーの間合いに捉えていた。
振り下ろした一閃をアンクはその爪で横合いから弾き、距離を稼ごうと後退する。
アンクの、グリードとしての能力はアポロガイストも既に熟知している。間合いを開かれれば龍騎の装備では不利となることを悟っていたアポロガイストは、追って何度となく青龍刀を振り翳す。
「思ったより早く帰って来やがったな……っ!」
やがてドラグセイバーをその爪で掴み取り、力比べに持ち込んだアンクが吐き出した苛立ちの言葉に、アポロガイストは龍騎の仮面越しに意気揚々と答えていた。
「ふん、あの時言ったはずだ……今日のところは勘弁してやる、となぁっ!」
『王』を僭称する輩が告げた通り、第二回の放送を以て既に日付は変わっている。己の言葉を違えたわけではないと、アポロガイストは鼻を鳴らす。
「貴様のメダル、全てこのハイパーアポロガイストが貰い受けてやるのだ!」
「ハイパー……?」などとアンクが微かに疑問の色を見せた隙に、龍騎は左の拳でアンクの腕を打ち据える。拘束が弱まった隙をついてドラグセイバーがその掌を浅く切り裂き、アンクの爪から解放される。
アンクが体勢を立て直そうとするその隙に、更に龍騎は追撃に入る。素手だけのアンクは隙の少ない拳と威力の高い剣の連携を捌き切れず、やがて直撃を許して行く。
「ははは、どうしたアンクよ! 随分手応えがなくなったのではないか!?」
その胸を横一文字に切り払いながら、龍騎の仮面の奥でアポロガイストは哄笑を漏らす。
事実、アポロガイストも思わず拍子抜けするほど、アンクは明確に弱体化していた。あの戦いの際に使われていた剣と楯がない、といった装備の問題だけではないほどに。
対してハイパー化を果たしてからというもの、夜目が効き難くなった以外アポロガイストは絶好調だ。地力そのものの向上は、龍騎に変身した際の戦闘力も大きく高めることとなり、両者の戦力差を更に拡げることになっていた。
アポロガイストは知る由もないが、アンクの弱体化はそのハイパー化にも起因していた。
もう一人のアンクが確固たる存在を有していた頃、アンクがメダルを取り戻してもグリードの能力を取り戻すことができなかったように――ハイパーアポロガイストという新たな分身の誕生がアンクの力を削ぎ、単純なコアメダルの減少以上の弱体化を招いていたのだ。
幸い、保有するコアメダルの枚数の優位性から、まだアンクにはグリード態を維持する能力が残されていたが……何らかの要因で、本来他のコアメダルと同等のはずの十枚目のコアの力が大幅に強化されていた結果、アポロガイスト側もメダル数の不利を補い、グリード化できるだけの地力を獲得していた。
そんな事情もあって、アンクはかつて対等に戦っていた龍騎に圧倒されるに至っていたのだ。
「――伏せろ!」
そんな状況を一変させたのは、宙を裂いて迫る蒼白い斬撃だった。
アンクに向けられた警告だが、龍騎が従ってはならない道理もない。身を屈めて飛来した一閃を回避した龍騎だったが、その瞬間攻勢が途切れた。
その隙にアンクが転がり、龍騎から距離を稼がんとする。慌てて追い縋ろうとした龍騎の前に、黒いマントを靡かせた、白い人影が舞い降りた。
「――まさかおまえが、仮面ライダーの力を使っているとはなァ。アポロガイスト」
「貴様……っ!」
眼前に立ち塞がったのは、可愛い無双双龍が足止めしていたはずの敵――この地で最初に出会った仮面ライダー、エターナルだった。
「……不愉快だ」
半日前にはその名も知らぬと言った男は、しかし今は悪の手によって“仮面ライダー”が汚されることへの怒りを、言葉にして明確に吐き出し――斬りかかった龍騎の一撃を身を引くだけで躱すと、カウンターの要領でこちらの身体を思い切り蹴り上げて来た。
息の詰まった一瞬、意識がブレた。正気に戻った時には、既に、緩い弧を描いて吹き飛ばされていた龍騎の頭上から、巨大な火球が飛来していた。直撃に叩き落とされた龍騎へ向けて更なる追撃の火炎弾が放たれ、余波が路上を焦がして行く。
《――GUARD VENT――》
咄嗟に召喚した防具で、アンクによる上空からの火炎弾の直撃を防ぎつつ、少なくともドラグレッダーが無事であることをアポロガイストは確認する。手放してしまった得物を補充しようとしてソードベントを取り出せたところを見るに、ドラグブラッカーも健在のようだ。
しかし――アンクを追う間に遠くなってしまったそこに視線を巡らせれば、ネウロを包んでいた炎は消え去り、さやかが彼の傍らで治療らしき行為をする自由を許してしまっている。単純にエターナルによって無双双龍は軽く追い払われてミラーワールドに撤退してしまった、というわけか。
(――ええい、不甲斐ない奴らなのだっ!)
思わず舌打ちし、先程下した評価を舌の根も乾かぬうちに覆す。何という根性なしどもか。
無論、エターナルの戦闘力をアポロガイストは過小評価していたわけではない。それでもさやかを守りながらの戦いとなれば、自身がアンクのメダルを奪うまでの時間稼ぎができるという見立てだったのだが……
これは、さやかの成長ぶりを知らないアポロガイストの、彼女が大きくエターナルの足を引っ張るという誤った前提が導いた予想と現実の乖離だ。無論、ネウロの一撃によって早々にドラグブラッカーが負傷し、戦力を大幅に低下させていたことも、アポロガイストの計算を狂わせた一因ではあるのだが、何より克己との特訓や加頭との死闘を経験した今のさやかは、無双双龍を相手に戦力とはならずとも、エターナルが常に庇わなければ自身の無事を保てないほどの素人では、なくなっていたのである。
そんな事実は露知らず、アポロガイストは続く火炎の着弾に歯を食縛る。こうなってしまってはミラーワールドに龍騎自身が撤退し直接指示を与えるか、アドベントのカードで呼び出さなければもう一度戦力として勘定することはできない。
アンクによる猛爆撃で身動きを封じられている隙に、エターナルが間合いを詰めてきていた。奴が手を掲げたのを合図に火球が途絶えるが、当然休む間もなくエターナルエッジの一閃が迫り来る。その一撃をドラグシールドを楯にして凌ぐが、耳障りな金属音はアンクの猛攻にも耐え続けた強靭な楯が、エターナルの刃には容易く抉られている事実を示していた。
更に一閃、二閃。エターナルエッジの翻るたびに、身を守る楯が確実に刻まれて行く。
このままでは拙い、という焦燥に駆られ龍騎はドラグセイバーを繰り出す。だが、隙を衝けたわけでもない。使い慣れた愛剣の連撃さえ容易く捌いたエターナルが相手では、不慣れな青龍刀の一撃は容易く弾かれる。ナイフでこちらの斬撃を払い除けた勢いのまま、流れるようにして打ち込まれたエターナルの蹴りに対し、龍騎は傷だらけの楯を再び翳して身を守る。
しかし、その反動を利用してエターナルは宙を舞って後退。着地した瞬間に彼が指を鳴らすとそれが号令なのか、はたまた単に敵味方の距離が生じたからなのかはともかく、アンクが上空から火炎弾による爆撃を再開して来る。
「――ぐぁああっ!?」
エターナルの猛攻によって抉れ、拉げていたドラグシールドはその特大の火炎弾の直撃で限界を迎え、砕け散る。火炎弾の衝撃に吹き飛んだ龍騎が無様に悶える様を見ながら、辺りを燃やす炎によって不気味に照らされたエターナルが得物をひゅんひゅんと弄び、構え直す。
「……放送は聞いているよなァ? アポロガイスト」
エターナルの嬲るような声が、龍騎へと投げかけられる。
「元々貴様のような奴を生かしておくつもりはなかったが、殺したい理由がもう一つ増えた」
台詞もそうだが、何というあくどい声色か。とても正義の仮面ライダーには思えない。
咄嗟に、龍騎は背後の反射鏡へと駆け出そうとした。エターナルに恐怖したわけでは断じてないが、下僕との合流も目指して一度ミラーワールドへと撤退すべきだと判断したのだ。
しかし異世界への入口は、上空から注いだ焔によって焼き尽くされ、閉ざされる。
「逃がすか、馬鹿が!」
アンクの放った拡散式の火炎弾は一発では終わらず、更に周辺の鏡となり得る物を根刮ぎ焼き払っていた。
「さぁ――地獄を楽しみな」
退路を絶たれたことに呻いた龍騎は、死刑宣告と共にエターナルが踏み出した音を聞く。本来ならば反対方向に逃げて距離を稼ぎたいところだったが、その先にさやかとネウロの姿を認めて踏み止まる。
小娘はともかく、アポロガイストからしても魔人と聞き及んでいるネウロの力は計り知れない。意外にもダメージが深刻なのか、はたまた優勢であるためか自ら動く必要もないと判断しているのか。今はさやかの傍らで安静にしている様子だが、迂闊に飛び込んで奴とエターナルと挟撃されてしまうことだけは避けたい。
覚悟を決めた龍騎は踵を返し、旋回する勢いのままドラグセイバーを繰り出す。だが大振りとなってしまった一撃は容易くエターナルのナイフに受け流され、ローブに隠されていた左の拳の軌道を読めず、顎を無防備に打ち抜かれることとなる。
視界を歪ませた隙に、更にエターナルエッジが疾走し、龍騎の甲冑越しにアポロガイストを切りつける。刃渡りの都合上、流石に肉体そのものに受けた傷は浅かったが、そこまで切り込むほどの一撃の威力に龍騎は成す術もなく、気づけばまたも宙を舞っていた。
最早龍騎では、持ち堪えることも限界か――後ろ向きに回転して吹き飛んで行く最中、アンクの準備していた巨大な火炎弾が奴の掌で猛るのを見て、アポロガイストはそう思考する。
流石に、ネウロとエターナルを同時に相手取ることは困難だろうが――奴らから逃れることならば十分可能な、ハイパーアポロガイストの力を解き放つべきか。
「――――ハァアアアアアッ!」
そんな結論に至ろうとしていたアポロガイストを留まらせたのは、夜空を裂いて飛来した赤い流星だった。
「オォリャアッ!!」
「な――ぐぁっ!?」
その赤い流星は、燃え盛る先端を今まさにトドメの一撃を放とうとしていたアンクに突き刺して――猛烈な勢いで、彼を撃墜した。
「――何?」
頭上で起こった変化に気づいたエターナルが視線を巡らせている隙に、事を成した赤い戦士は舞い降りていた。
「大丈夫か、あんた達!?」
自分を振り返り、心配の声を掛けて来るその者の姿を、龍騎――アポロガイストは、よく知っていた。
故に。
「……クウガ!?」
思わぬ救世主の名を、アポロガイストは叫ぶこととなった。
最終更新:2015年03月21日 11:46