少女は狂った。狂わざるを得なかった。
迫り来る足音の中で、選択の余地はなかったのだ。
─────その日は雨だった。それも雷を伴う豪雨。
もしかしたらそれは必然だったのかもしれない。
食卓には父親と母親が並んで座り、夜中に起きてしまった少女はそれをただぼんやりと遠くから眺めていた。
しかし、その風景がいつまでも続く事はなかった。
雷が轟く。それと同時に天井から何かが両親の後ろに舞い降りる。持っていた得物を鈍くギラつかせて。
少女は何も出来なかった。
声を上げることも、逃げることも………両親を助けることも。
ようやく声が出せた時には、もう遅かった。
「…パパ?……ママ?」
その声に対する返答はなく、静かな家と対照的な雷雨にかき消された。
「…やぁ、お嬢ちゃん」
突然少女の背後から声がする。
少女は振り向き、声の主を確認する。
「…おじさん…誰?」
「………君の始末担当だよ」
再び雷が落ちる。少女は見てしまった。
笑うピエロ。その目は喜びと狂気に満ちていた。
少女は運良く振り下ろされたナイフを躱した。
────運悪く躱してしまったというべきだろうか。
少女が逃げた先に待ち受けていたものは、屍となった両親だった。
避けた反動で床が揺れる。
そして二つの首が落ちる。
その切断面はあまりにも滑らかで、血が噴き出したのは首が落ちてから数秒後であった。
傷口さえも斬られた事に気付くのに数秒を要するのだ。
そのあまりにも惨たらしい殺され方に、少女は言葉を発する事は愚か、考えを巡らせることもできなかった。
ヒタヒタと近付く足音。それはメトロノームの様に正確で、冷たい足音だった。
「人が死ぬククク瞬間ってのはなクケケ…死の匂いとともに花がケケケ咲くんだ…美しい花が…」
あまりにも沢山の感情が少女の心に押し寄せた。
少女は無意識に、しかし本能的に自身に『魔法』をかけた。
精神の決壊を防ぐために。
「恨むなら…自分の運のなさを恨みなよ」
振り下ろされたナイフ。それと同時に飛び散る血飛沫。
「……そんなに血が見たいなら……自分のを見るといいわ」
その暗殺者は非常識の中の常識に囚われていた。
恐怖にさらされた敵が反撃してくるはずがない。
もし、してきたとしても、恐怖によって乱れた攻撃などいとも容易く躱せると。
結果は違った。既に少女の顔に恐怖の色は無かった。
振り下ろしたはずのナイフは自分の腹に突き刺さり、紅色を噴き出させている。
だが、暗殺者も幾度となく仕事をこなしてきた。
常に携帯している数本のナイフに手をかける。が、そこにナイフは無く、それに気づいたときには既に手遅れであった。
ビスッ、ビスッ、と少女が奪い取ったナイフは、ダーツのように道化師の身体を捉えてゆく。
「あなたにはそこがお似合いよ」
最後の一刀が終わった時、ピエロは剥製よろしく壁に串刺しになっていた。
そこで名も知らぬ暗殺者は絶命した。
自分を殺した相手が何をしたのかも分からないまま。
彼女の中で恐れるモノは、もはや無力な自分だけであった。
力のなさ故に両親を見殺しにし…
力のなさ故に自分だけが生き残ってしまったのだ…
と。
少女は魔法の影響か、返り血によるものなのか、元は金色であった髪の色は赤色へと変化していた。
その後、彼女は両親を埋葬し、自分の両親を手にかけ、自分の命をも奪おうとした者が何者なのか、そしてどこから来たのかを調べ始めた。
正直その道化師が何者だったかなど、その時の彼女にとってはただの興味本位でしかなかったが。
そして彼女はあるサーカス団に目をつけた。
エリトームサーカス。ちょっとした界隈では幻のサーカスとして有名なようだ。
そのサーカス団が訪れると、必ずその街で行方不明者が出るという。
噂では、サーカス団にスカウトされただとか、はたまた捕まえられてショーの
実験台にされているだとか、そういった類のものが流れている。
しかし、消えた者を知る者もおらず、単なる噂だろうと気に留める者もいない。
そして、いつ、どこに現れるのか、全く規則性がなく、しかも突然現れ、忽然と姿を消すため、狙ってサーカスを訪れるのは困難を極めた。
だが、法則と呼べる物が一つだけあった。
サーカスが開催されるたびにギルドが1つ消えているのだ。
────少女の両親は共に魔導師であり、とあるギルドに所属していた。
しかし、両親が殺されてまもなく、そのギルドは存在すらも抹消された。
家にも戻ってみた…いや、正確には家などなかったが。
全てがなかった事になっていた。
家があった場所には僅か1日で別の建物が建てられ、かつて在った家や両親のことを知る者は少女以外にいなかった。
そしてその少女を知る者もまた。
しかしここまで徹底して証拠を消す集団ならば、いつかきっと自分も狙われるだろう。
彼女は髪の色の変化を利用し、名前を捨て、『
ヴィーニュ』と名乗るようになった。
───彼女が無意識に自分にかけた魔法は『狂気の魔法』であった。
いや、魔法というより呪いと読んだ方が正しいのかもしれない。
彼女の家系は生まれながらにして魔法の才能が備わっていた。
この呪いはその才能全てを対価にしてかけた物だった。
彼女の魔術に関する能力は著しく低下し、代わりに筋力や動体視力などが増した。
通常の感性を失い、狂気に体を蝕まれることもあった。
そして何よりも重要なのは、彼女は彼女自身を殺したのだ。
少女としての自分。
何も出来なかった自分…無力な自分を。
自分を憎み、恨み、葬り去った。
自分を殺すことで強くなろうとしたのだ───
彼女には復讐だとか、これ以上の犠牲が出るのが許せないとか、そういった感情はなかった。
それは、無意識の内に忘れ去ろうとしていたからなのかもしれない。
とりあえず自分の両親の仇は討ったし、これ以上自分が付け狙われる謂れもないと。
そこで少女は考えた。
自分が生きる意味とは?何故死んでいないのか?…と。
彼女はただひたすらに闘い続けた。
何のためか。生きるためか。死ぬためか。思考からの逃避か。
狂ってしまった人間など、誰が理解できようか。
それは狂ってしまった人間でも理解できない。
自分でも自分を理解することはできない。
狂気とはそういうものなのだ。
しかし、やはり人間には限界がある。
彼女がかけた魔法は不完全なものだった。
いや、神クラスの外神においても完全なものをかけるのは難しいかもしれないが。
効力は切れるのか。切れたらどうなるのか。
そもそもどんな魔法だったのか。
彼女は自分自身で魔法は不完全なものだと自覚していたが、今ですらわからないのに先のことなど分かるはずもない、と目を瞑り…路地裏で眠りに落ちた。
───────────────
生きる意味、果たしてそんなものがあるのかはわからなかった。
ただ、彼女は死ぬ理由がないから生きていた。
別にどこで死のうとも構わなかったが。
そして時々思い出すのだ。あの日のことを。
過去に振り回されて生きるなどくだらない。
そうは思っても、過去というのはどんなに深い森に置き去りにしようと、どんなに暗い海の底に沈めようとも、必ず後をついてくる。
両親は確かに埋めたが、墓は建てていない。足がついてしまうからだ。
だが、彼女は知っていた。
死んだ人間は、覚えている者がいる限り、その者の中で生き続けると。
例え辛い事だろうと、自分が忘れてしまえばその時点で彼女の両親は本当の死を迎えてしまう。
だからせめて、自分が朽ち果てるまではあの日の事は忘れないでおこう、と。
彼女は自分なりに過去との決別をつけ、沿線上にある未来を考え始めた。
───それから数年が経った。
状況はあまり変わらなかった。
変わった事と言えば、料理の腕が上達した事くらいだ。
彼女は未だに生きる意味を探し出せずにいた。
金が無ければコロッセオで剣闘士として闘い、それが出来なければ狩った魔物をバラして売る。
またある時は、汚れ仕事を引き受けた。
要人暗殺。ただし、彼女が引き受けていたのはどうしようもない悪党の処理のみであった。
それが正しくないというのは、誰よりも彼女自身が知っていた事だろう。
金を稼ぐついでの罪滅ぼしのつもりだったのか、何処かに感情を吐き出したかったのか、それは分からなかった。
─────────────
その日のターゲットはいわゆるマフィアのボスだった。
薬や武器の商売ルート拡大の為に、カモフラージュとしてシーフラビの油田を買収。
副事業として油田の開発を進め、採掘場として機能させたのはいいが、誤って近くの川に石油を流出させてしまったのだ。
そして、採掘場は使い物にならないと放棄。
それ以降は、薬取引の中継地としてのみ使われている。
未だに石油は漏れだしたまま、汲み上げ続けられている。
他にも事を挙げれば数え切れない。
「ひ、ひぃぃ…!た、たすけてくれぇ…」
「…あら、随分と情けない声を上げるのね」
「あなたのせいで死んだ人はもっと悲痛な叫びと共に死んでいったわ」
「……金か…?幾らで雇われた!?10000F出そう!!」
「…そんなので動くように見える?」
「わかった!!倍の20000F出す!!まだ足りないか!?」
「………はぁ…マフィアのボスが聞いて呆れるわ」
「さよなら」
暗殺者は冷徹に剣を振り下ろした。
血が飛び散り、返り血を浴びる。
彼女は血の中で何を思ったのだろうか。
「私は何もしない相手を殺す程鬼や悪魔ではないけれど…何もしないで見逃す程天使や女神ではないのよ」
結果、マフィアのボスは生きていた。
ただ…腕が一つ足りない状態ではあったが。
「これだけの血と腕、殺した証拠としちゃあ十分でしょ」
「ああああああああああ!!!??俺の腕がぁぁあああぁぁああ!!!?」
「マフィアのボスとしてのあなたは今日、今を以って死んだわ」
「これからは精々真っ当に生きることね」
背を向ける偽善者。
木霊する叫び声。
更に鳴り響く一つの音。
「ぐっ…!?」
何かが彼女の体を貫いた。
それはボスが放った魔導銃の弾丸であった。
「…何も……」
「は?」
「……何もしなれば見逃してあげたものを…」
「…どうしてこう悪党というものは死に急ぐのかしら」
再び剣を振るう。
しかし今度は紅色に染まることはない。
「じゃあね」
「今度はお互い地獄で会いましょ」
「え?」
ボスの首が落ちる。
しかし血が噴き出したのは首が地面に落ちてからであった。
その後、穴の空いた体を引き摺り、石油採掘場へと向かった。
もちろん十数人の警備がいたが……
「ん?なんだお前?止まれ!止まらんと撃つぞ!!」
「これはあるものの流用なんだけど…」
「"人を始末しようとするって事は、逆に始末されるかも知れないリスクを背負っている"」
「これは本当にその通りだと思うわ」
「あなた達マフィア?それとも雇われかしら?」
「ま、そんなもの持ってるくらいだしマフィアよね」
「死ぬのが嫌ならその銃を下ろしなさい」
「くっ…止まれぇ!」
1人のマフィアが魔導銃を撃つ。
しかし当たらない。いや、厳密に言えば命中はしていた。彼女の剣に。
マフィアの狙いは実に正確だった。
それ故に弾道の予測は容易かった。
後は弾道上に剣を置き、受け流すだけだ。
「もう一度言うわ」
「死にたい奴は銃を構えなさい」
「な、なんだコイツ…!弾丸を受け流したっていうのかよ…!」
「う、撃てぇ!!」
採掘場に鳴り響く銃声。
しかし、マフィア達は心のどこかで彼女に対して恐怖を感じてしまった。
通常、一度感じた恐怖を克服するのには時間が掛かる。
増してそんな状態の魔導銃など命中するはずは無かった。
しかし、数を撃てば当たるのもまた銃。
数弾は彼女の体を捉えていた。
それも受け流されてしまったのだが。
受け流す度、傷口から血が噴き出す。
それでも彼女は怯まない。
弾を込め直す間、その数秒。
彼女は首を跳ね、胴を切断し、心臓を貫いた。
積み上がる死体。
残った者は戦意を失い、その場にへたり込む。
「お前は一体…何者なんだ…?」
「…………」
「偽善者、狂人、生ける屍」
「好きに呼ぶといいわ」
そして彼女はボロボロの体を…血だらけの体を動かし、バルブを閉鎖、動力を止め、ポンプを爆破した。
「…これで少しくらいは変わるかしら」
それ以降、石油採掘場からの石油流出は止まった。
無論、今まで流出した石油の除去を行わなければ、川は汚染されたままだが。
彼女は数人のマフィアの生存を許した。
顔を見られる事は無かったが、それは暗殺者としては三流もいいところである。
暗殺の仕事を引き受けたものの、気が進まなかった事の表れだろうか。それとも偶々だろうか。
なんにせよ彼女が仕事を引き受けると、死体の山が作られるのは紛れもない事実だった。
─────────────
彼女は知っていた。
積み重ねてきた罪と自分の無力さを。
だからこそ彼女は力を求めた。
そしていつの日か、その償いきれない罪を償おうと。
そんなある日、ファイアワークスの名を耳にした。
───なぁ、ファイアワークスっていうギルドを知ってるか?
なんでも、どんな難しい依頼だろうとこなしちまうらしいぞ。
噂じゃ何回も世界を救ってるらしい───
出来事は語られた瞬間に物語になってしまう。
後は都合のいい言葉がくっ付いていき、独り歩きするだけだ。
それでも……
「ふぅーん……退屈凌ぎにはなるかしら」
彼女にはそれが魅力的に思えたのだ。
こうして彼女はギルドファイアワークスへと入団した。
彼女は生きる意味を見つける事は出来たのだろうか。
また、彼女が無力な自分も自分自身だと受け入れる日は来るのか。
そんな事は誰にも分からない。
まだこの先の物語は紡がれていないのだから。
最終更新:2016年03月21日 15:27