以下の記述には、ウソ・大げさ・紛らわしい表現や、エロゲに脳を汚染された人間の妄想が含まれている可能性があります。
・令嬢の病
物語開始以降、長らくその素性が隠されてはいたものの、沙織は作中でも最も安定した人格を持つ人物であるように見えた。
しかし、6巻においてその素顔が一部明かされたことにより、上の評価は誤りだったのではないかとの見方が可能になっている。
6巻の3章によれば、沙織は、眼鏡の種類ごとに口調や性格が変化するというのである。
しかもそれは、地震のため違う眼鏡をかけてしまったらすぐさま口調が変わったことからして、眼鏡に合わせて意識して口調を変えるというレベルではなく、かけた眼鏡に応じてひとりでに口調が変わるという強度である。
これは既に演技という域を超えたものと言うことができ、半ば複数の人格を持つに近い状態と言うことが出来るであろう。
しかもその人格群は、オタク眼鏡をかけた沙織に顕著に見られるように、固有の役割に対して特化された多分に人工的な人格である。
そういった、通常演技としてしか有り得ない人工的な人格を自己の人格として複数保有しているのが、沙織という人物だといえる。
そしてそのことは、沙織には、複数の人格の核となるべき人格が存在しないのではないかとの疑念を呼ぶ。
確かに、京介は素顔の沙織を見て、それが「本当の沙織」だと考えたようである。
しかし、上述したように、沙織は眼鏡をかければその眼鏡に対応して自然と人格が切り替わる状態にある。
だとすれば、その眼鏡をかけた沙織が、「本当の沙織でない」とは言えないのではないだろうか。
そして、眼鏡をかけた沙織もまた「本当の沙織」であるとするならば、眼鏡をかけた彼女とかけていない彼女のどちらが「本物」かは区別し得ないと言うべきである。
沙織自身が素顔をさらす際に自らの姿を「コスプレ」と称しているように、素顔の沙織もまた「お嬢様学校に通う令嬢」としての役割を演じる人格にしか過ぎず、他の人格との優劣は存在しないのではないだろうか。
もし以上の考えが正しいとするならば、沙織という人物は複数の人格の集合体に過ぎないのであって、一個の統一した人格を持った「槇島沙織」という人間は、この世のどこにも存在しないことになるであろう。
・令嬢は令嬢だけに好き嫌いが激しい
沙織は、桐乃達の他には親しい友人はいないと述べている。
しかし、他人とまともなコミュニケーションがとれない黒猫であればともかく、優れて社交的な態度をとることが出来る沙織に、交友関係を持つ人物が少ないとは考えづらい。
実際、コミュニティーの主催者としておたっく娘あつまれーの他のメンバーともやりとりはしているようであるし、姉が残したものとはいえその他の交友関係もあるようである。
そうしてみると、沙織は、相手とどれだけ交友関係があろうが相手が自分をどう思っていようが、自分が認めた人物以外は友人とは思わないという考えを持っているのではないだろうか。
そして、その友人と認めるための基準が、極めて高いのであろう。秋葉のオフ会に場違いなファッションでやってくるくらいの気合とずれた感性を持っている相手でなければアンテナにかからないくらいに。
結局のところ、客観的に見れば沙織は友達が少ない人物なのではなく、心の中で相手のことを友達と認めていないだけの、友達の多い人物だというように考えるのが自然である。
・槇島香織=宮田怜奈?
黒猫がねこシスの千夜子のスターシステム(あるいは同一人物)であるのと同様、沙織もまた原作者の過去作に登場したという「オタクな女の子が、好きな男の子へ一途なアプローチをする話」が原型になっていることが
明言されている。多分、編集の三木が原作者の伏見に『俺の妹』を
書かせるきっかけとなったという『十三番目のアリス』の宮田怜奈のことを指しているのだろうと思われ、長身、令嬢、変な口調という辺りはそれっぽい感じである。なお宮田怜奈が登場する短編は、伏見つかさの
『十三番目のアリス』特設ページで無料公開されている。
ただ、沙織と怜奈の特徴はそれほど似ている訳ではなく、どちらかと言うと怜奈の口調は本作の6巻に登場した「沙織が演じた香織」の口調に近いように思われ、その方がしっくり来る感じである。作者の中では香織は怜奈のスターシステム、あるいは同一人物ということになっている可能性はあり得るし、思えば「香織」が本名であるという描写はなく、「スーパー伏見大戦」的なワールド展開を夢想している読者にとっては、いろいろと想像の余地が残る部分ではある。
意見・批判等
- 氷属性のツッコミ役という点において、桐山誠人=真壁楓とも言えなくないだろうか? -- (名無しさん) 2011-03-16 21:20:52
- だいぶ更新されてないみたいだけど、一番上はけしてもいいのかな?(9巻) -- (名無しさん) 2012-02-17 18:29:08
- 令嬢の病→『この世のどこにも存在しない』ではなく、別の視点で言えば全てが槇島沙織の本心の一部であるが、それを表に出せない諸般の事情(恥ずかしがりなど)を個別に回避するために作った対応策が、バジーナを始めとする他の人格(キャラ)なのだと思う。 -- (名無しさん) 2012-04-28 07:27:07
- 好き嫌いが激しい→自然な考え方といえば。やはりカリスマ的な人格を兼ね備えてるとはいえ(BD特典の黒猫談)、ネット上や普通に会話する分には良い人ではあるものの、風貌や口調やキャラクターなどを踏まえると、普通の人間は実際につれ歩きたくないと考える人が多いと見る方が自然であると思います。 -- (名無しさん) 2012-04-28 07:38:22
最終更新:2010年11月11日 02:39