カースト制度というものをご存じだろうか。

いわゆるヒンドゥー教における身分制度や階級制度を示す言葉で、絶対的な制度である。
そこまで厳密でなくとも、そういったヒエラルキーは人が集まり生きる以上、政治、社会、学校にも必然的に存在するものである。
それに倣って、学校での階級ヒエラルキーを表したものは、スクールカーストと呼ばれている。

私、麻生時音が在籍するクラスにも、その序列の様なものは存在し、底辺に類される者と共に、頂点に君臨する者もまた、存在する。
我がクラスにおいて、その頂点に君臨するのが白雲彩華、夏目若菜、新田拳正の三人である。

新田拳正。
言わずもがな元『桜中の悪魔』である。
最初の頃はその悪名を知る者全てを震え上がらせたものが、すっかり丸くなったのか、それとも噂はデマだったのか。
付き合っていくうち、あれ? ひょっとしてコイツただのバカなんじゃね? という認識が俄かに広がっていった。
そして今やすっかり放置しておいても問題ない危険物という扱いである。
だが、やはり危険物は危険物なのである。取り扱いには細心の注意が必要となる。
少なくとも我が学園に、彼に表立って楯突く命知らずは存在しない。
ある種の人間にとってはカリスマ的な扱いを受けている事実も存在するが、本人は自分の立場について全く無自覚である。
自らが置かれた立場も知らず、彼は日々適当に過ごしている。

夏目若菜。
我がクラスはAO組が半数以上を占めている特殊なクラスである。
その中において、学生レベルを飛び越えて世界レベルの実績を残している彼は正しく別格の存在である。
それ故、スポーツ特待組に対して非常に強い影響力を有しており、彼の一言で運動部全員が動くとさえ言われている。
卓球部に所属する私もまたその一人だ。彼のことを尊敬しているし憧れも抱いている。
また、その世界的知名度から絶好の広告塔として学園からも重宝されており、手厚い待遇を受けているという噂である。
だが、フィールドでの勇敢なまでのプレーとは異なり、日常では不必要に騒がれることをあまり良しとしていないのか。
常にクラスの中心にいるものの、あまり表立って行動しようとはしない。
己のおかれた立場を知りながらも、波風の立たない生き方を彼は選んでいる。

己の立場を全く自覚していない新田拳正。
己の立場を自覚しているが、あえて無視している夏目若菜。

そして、己の立場を自覚した上て、その力をひけらかしているのが白雲彩華である。

国内でも有数の名家の一人娘で、常に取り巻きを従え、強い発言力を持っている。
その権限は教師よりも上なのではないかと実しやかに囁かれているほどだ。
欲するモノを欲し、君臨することを是とし、支配することを躊躇わない。
正しく学園の女王である。

他の二人が進んで表に出ないため、これまでこの三人に目立った衝突はなかった。
だが、一度だけ頂点たる二人が真正面からぶつかった事件があった。
今回は、それについて語ろうと思う。

それはとある昼休みの出来事だった。

「ご、ごめんなさ……」
「ごめんじゃ済みませんわ!」

教室中に響き渡ような甲高い声が、振るえる小さな声をかき消した。

事の発端はルピナスが机の上に置いてあった飲み物を倒してしてしまったことにある。
飛び散ったその中身が、不運にも目の前の少女の衣服にかかってしまった。
これに関してはルピナスの不注意だし責任もあるだろうが、飲み物と言ってもパックのお茶であり、零れたのも数滴、衣服の端に多少付いたという程度のモノだ。
通常であれば謝って終わりという程度の出来事だろう。

だが、不運だったのは、相手は白雲彩華だったという事だ。
「ちょっと彩華さんの服が汚れちゃったじゃない」
「どうしてくれるのよ?」
「あの……その、洗って……」
「あら私の制服は特別性ですのよ、貴方なんかにクリーニングできるものではなくってよ」

彼女たちが言い合いをしているのは場所は教室の最前、教卓の前だった。
友人である尾関夏実水芭ユキがルピナスを守るように立ちふさがり、その周囲を彩華とその取り巻きたちが囲んでいるという状況だ。
見ようによっては、いじめの現場のようにも見える。
いや、現場そのものだろうか。

「ちょっと、もういいでしょ!?
 ルッピーもこうして謝ってるじゃん!」

夏実が果敢にも友人の擁護するが効果は薄い。
そもそも相手にされていない。
取り巻きたちにあしらわれているのが現状だ。
学生たちの憩いの時間である昼食時に、教室の雰囲気は最悪。
逃げ遅れ教室を出ることも叶わない周囲の者たちにできるのは、ただ巻き込まれないよう静観を決め込むことだけである。

だが、次の瞬間、パーンと、何かが弾けるような炸裂音が響いた。

「おいお嬢、その辺にしとけよ。ルー公も十分詫び入れてんだろうが」

最後尾の席で気だるげに椅子漕ぎしているのは新田拳正である。
先ほど響いた炸裂音の様な音は彼が足裏を床に叩きつけた音だった。

「これは私たちの問題でしてよ? 関係のない貴方は口を挟まないでいただけます?」
「テメェのネチネチした物言いは見てて気分悪ぃんだよ」

メシが不味くなる、と拳正はき捨てる。ちなみに彼の弁当は既に空だ。
その暴言に、彩華がキッと拳正を睨み付けた。

「あら、この私に意見するつもりかしら?
 貴方、私の一族がこの学園にしている寄付金が幾らかご存じ?」

彩華は己の力をひけらかす事に躊躇いはない。
それこそが己の力だと理解しているからだ。
事実。彼女に逆らった人間は退学の憂き目にあっている。

「あ゙? 知らねぇよんなもん。それが今何の関係があんだよ?」

拳正が己の机と椅子を弾き倒しながら、勢いよく立ち上がった。
そしてそのまま、ゆっくりと彩華に向けて歩を進めてゆく。
外敵の接近に対し、本来彼女を守るべき取り巻きは動けなかった。
拳正が睨みを利かせただけで、彼らは無意識のうちに後退り、モーゼの十戒のように道が開く。

気付けばすでに眼前。
互いに引かず、睨み合う。
拳正の迫力に対して、対峙できるだけの胆力を持つのは皮肉にも彩華のみであった。

「なんですの? 私に手を出せばどうなるか――――」
「――――だから、それが、この状況と、何の関係があんだって聞いてんだよ」

底冷えするような静かな声。
その声に、それなりに付き合いの深いクラスメートたちは理解していた。
拳正は完全にキテいる。いつ爆発してもおかしくない、と。

その緊張感に、教室は水を打ったように静まり返っていた。
この状況に、水芭ユキがいち早く動き教師を呼びに行ったが、それも無意味だろう。
一触即発。もう何がどうなってもおかしくはない。

いや、この状況であれば間違いなく拳正が勝つだろう。
だがその後、拳正もただでは済まない。
彩華の執拗さを考えれば確実に社会的な報復は免れない。
本人のみならず家族や関係者にも咎が及ぶかもしれないのだ。

しかし、拳正がそんな理由で引く訳がないという事は、この場にいる全員が理解していた。
もちろん彩華も。
だが、こうも注目を集めてしまっては彩華も引けない。
次の瞬間吹き飛ばされる未来が見えても、女王としてのプライドが引くことを許さない。

「も、もういいですよ、拳正さん! あの、あの私が悪かったんです。
 だからお二人が喧嘩なんてしないでください!」

涙ながらにルピナスが二人を止めるが、もはや状況はそんなレベルに収まっていない。
事態は、白雲彩華と新田拳正というスクールカーストの頂点の衝突に移行していた。
そんな言葉でこの状況は止まらない。

同じく頂点の一角である夏目若菜であれば、あるいは二人を止められるかもしれない。
彼の言葉であれば拳正はまず耳を貸すだろうし、然しもの彩華とて学園に対しての影響力を持つ彼の発言を無碍にはできない。
だが、それ行うには彼も相応のリスクを負う必要がある。
拳正が止まらなければ怪我をするし、彩華が逆上すればこの学校にはいられなくなる。
この状況で彼がそのリスクを負うことは期待できないだろう。

となると、この状況を止められるカードは残り二枚。

白雲彩華に対する鬼札は三条谷錬次郎である。
彼女が錬次郎に惚れているというのは周知の事実である。と言うより彼女がそう宣伝している。
彼が一言、止めろと言えば無条件で彼女は引き下がる。
だが錬次郎は動かない。彩華に関わろうとせず窓際の席で、所在無げにしながらも静観を決め込んでいる。

となると、残りは一枚。

「何を、やっとるか――――!」

廊下から走りこんできた最後の鬼札、一二三九十九が、スパンと勢いよく拳正の後頭部を叩いた。

「……てめ、九十九」
「ごめんね白雲さん。状況はよくわかんないけど、多分コイツが全部悪い。ホントごめんね」

グワシと先ほど叩いた後頭部を鷲掴みにして無理矢理頭を下げさせる。
拳正は当然抵抗するが、九十九も食らいつきわちゃわちゃとした揉みあいに発展してゆく。

「テメェ、いきなり現れて人が悪いとか決めつけてんじゃねぇよ! 状況ってもんがあんだよ、状況ってもんが!」
「何よそれ! どんな状況でも女の子にガン飛ばす状況なんてないつーの!」
「あーもう、話聞けよこのアマ!」
「アマとはなんだコノヤロー!」

そのまま状況を無視して言い争っていく二人。というより一方的に拳正がタコ殴りにされている。
頂上決戦は一転、見慣れた痴話喧嘩にシフトしていた。

「……ふん。いきますわよ」

互いに引き際を失っていた状況だ、これがいい引き際だったのだろう。
言い争う二人の様子を横目に見ながら、彩華は不機嫌ながらも取り巻きと共に教室を後にした。

彩華の退場で、ギリギリまで高まっていた教室の緊張感が一気に解けた。
未だ痴話喧嘩を続ける二人は残っているが、いつものことだ、取りたてて気にする者はいない。
これによりいつもの昼休みが教室に戻ったのだった。

「このブス! ブス、ブス、ブース!」
「やーい、チビ、チビ、チービ!」
「あ、あの!」

小学生並の言い争いをする拳正と九十九の間に声が割り込んだ。
ルピナスである。

「ありがとうございました、拳正さん、九十九さん!」

ぺこりとルピナスが頭を下げる。
隣の夏実も一緒に頭を下げた。
その行動に二人は言い争いを止め、彼女たちへと向き直る。
おう、と応じる拳正。それに対し。

「?? どういたしまして…………?」

トイレに立っていたため、本気で状況を理解していない九十九は、ルピナスの感謝に疑問符を浮かべるのだった。

「あれ? もう終わっちゃった?」

完全に息を切らせた先生を引き連れたユキが現れたのは、それからしばらくの事だった。

――――翌日。

「うーっす」

拳正は昨日の騒動を特に気にした風でもなかった(というより本気で忘れてるっぽかった)。
何事もなかったように、いつも通りの態度だった。

だが彩華の方は性格上この件を根に持たないなどという事はありえないだろう。
しかし、拳正がそう言う態度である以上、自分だけが気にしていると思われるなど彼女のプライドが許さない。
故に、彩華も表面的には気にしている様子は見せず、いつもどおりを装っていた。
尾関夏実は白雲彩華に嫌悪感を抱いたようだが、有象無象の恨みなど彩華にとっては大した問題ではない。

当事者の二人が態度を示さない以上この件はこれで終わりだ。

以上が頂上決戦(未遂)事件の顛末である。
我々の日常の一コマであった。

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最終更新:2014年04月25日 15:42